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■2016/04/18 (Mon)
創作小説■
第6章 フェイク
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36
建物に入ると、目の前に廊下が現れた。明かりは非常灯ランプだけだった。かすかな光に、廊下が暗く反射して浮かんだ。廊下の印象は、病院か化学実験室みたいだった。無機質で幅が広かった。人の気配は皆無で、3人分の足音だけが跳ね返って戻ってきた。
廊下に並ぶドアにも明かりはない。覗き窓が真っ黒に沈んでいた。掲示板やプレートに、何か貼り付けてあった跡が残っていた。今はすべて剥ぎ取られて糊の跡だけ残っていた。
ツグミは二ノ宮と少し距離を置いて、従いていった。二ノ宮たちとぴったりくっついて歩きたくはなかった。
廊下を端まで進み、曲がると、階段が現れた。階段を登り踊り場で折り返すと、上から明るい光が射してきた。ツグミはその明かりに、救われるような気がした。
2階に上がるとまた廊下が現れた。照明は何となく仄暗く、廊下が鈍い光を反射させていた。
2階も物音はなく、人の気配もない。中途半端に照らされた廊下が、却って廃墟の印象を深めて不気味に思えた。
「ここだ。入りたまえ」
二ノ宮が間もなく現れたドアを開けて、中に入った。
ツグミは二ノ宮に続いて、ドアを潜った。
するといきなり眩しい光が飛び込んできて、目がくらんでしまった。
間もなくして、部屋の中が像を浮かべる。ツグミは部屋全体を見回した。入ってすぐのところが休憩所になっていた。休憩所の奥に黒の革張りソファが置かれていた。ソファの隣に自動販売機が置かれていた。自動販売機脇のゴミ箱が、紙コップで溢れ返っている。自動販売機はどうやらまだ動くようだ。
休憩所の正面に化学実験室のような広い空間があった。実験室と休憩所の間をガラスが仕切っていて、ガラス越しに実験室を覗けるようになっていた。
実験室は強烈な光が当てられていて、あまりの光の強さに、実験室全体が白く浮かんでいるようだった。そんな中に、何人かの研究員が僅かな影を湛えて揺らめいているように思えた。
実験室の中には、すでにレンブラントの『ガリラヤの海の嵐』が持ち込まれていた。『ガリラヤの海の嵐』はイーゼルに掛けられて、研究員みたいな人達に取り囲まれていた。
研究員は全員で6人いた。どれも白衣に白帽、白マスクという格好で、ツグミにはみんな同じ人に見えた。
研究員たちは『ガリラヤの海の嵐』を取り囲んで、討論を始めている様子だ。会話は間のガラスで遮られていて、休憩所まで聞こえてこない。
実験室には様々な道具が置かれていた。しかし撤収の労力を考えてなのか、あまり道具は多くない。棚には半分しか薬品が入っていなかったし、フラスコやビーカーといったお馴染みの道具もワンセットしか見当たらない。
実験室としてはどこか寂しい感じだった。空間の広さに対して、6人の研究員は少なく思えた。
ガラスの前にカウンターが置かれ、マイクが設置されていた。二ノ宮がマイクの前に進んだ。
「来賓の到着だ。テストを始めたまえ」
二ノ宮がマイクに吹き込んだ。声が少し重さを持って返ってくる。
二ノ宮の声が実験室内に届いたらしい。研究員の何人かが振り返って、了解の意味で頭を下げた。
研究員の1人が、他の研究員に指示を出していた。それから同じ研究員が、実験室左奥に設置されたマイクの側に向かった。
「それではテストを行います。テストは、マイクロスコープ、分光測色法、加速器質量分析法による、炭素14年代測定法。この3種を行います」
女の声だった。品がよくて、好感の持てる声だった。
ツグミは気になって顔を上げた。休憩所の頭上に、スピーカーが取り付けられてあった。スピーカーは学校でよく見かけるタイプのものだった。
「加速器質量分析法? 《AMS》がここにあるんか?」
ツグミは「まさか」という思いで、二ノ宮を振り返った。
「もちろんだ。鑑定に必要なものだからな」
二ノ宮はさも当たり前といった調子で答えた。
加速器質量分析機。この機械を、通称《AMS》と呼ぶ。非常に巨大で、高級な機械だ。《AMS》は、これまで困難だった、炭素14年代測定法を簡単に行えるようにした機械だ。必要な試料も、わずかに約1ミリグラム。『トリノの聖骸布(※)』を、実は13世紀前後のものと判定したのも、この《AMS》だ。
国内にはわずかに3台しかないはずの機械だ。その4台目が、まさかこんな場所にあるとは……。
「えらく、金かけとおんやな」
ツグミは驚きを隠すように、皮肉っぽく言った。
「大金を得るにはまず投資だ。より大きな金が入ると思えば、安いものだろう?」
二ノ宮は自分が集めた宝物を自慢するように、誇らしげだった。
ツグミは杖に両掌を置いて、実験室を覗き込んだ。内心、「ヤバイ」と思った。いくら絵画に細工を施したとはいえ、付け焼き刃の付け足しだ。まさか相手が《AMS》を所有しているなんて、想像もしていなかった。
※ トリノの聖骸布 イエス・キリストが磔にされて死んだ後、その遺体を包んだとされる布。聖骸物の1つ。炭素年代測定法によって13世紀のものと推定されたものの、その真偽について、今も議論が絶えない。
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目次
※ 物語中に登場する美術家、美術作品、美術用語はすべて空想のものです。
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