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■2015/11/07 (Sat)
※ 物語中に登場する美術家、美術作品、美術用語はすべて空想のものです。

第4章 美術市場の闇

前回を読む

 バブルが弾けた後の美術界は暗澹を極めた。
 美術経済のピークは1990年頃とされており、推定規模は1兆円に達すると言われている。その後は転落傾向を見せて、日本画壇の大家は、1号数千万円から10分の1以下に落ち、物故作家となると、価格という考え自体が消滅した。
 美術品の需要それ自体が一時的に消滅したのだ。あれだけ買い込んだ美術品は倉庫行きになり、行方不明になる事例も多数起きた。
「美術品は、持ってさえいればどんどん価値が上がり、儲けになる」
 この生ぬるい幻想は瞬時にして悪夢の債務地獄に変えられたのである。
 画商や画廊も、煽りを食らって次々と廃業。特にバブル期に事業を広げすぎた画商ほど、その後ひどい転落の仕方をした。
 これを乗り切るには、それぞれで知恵を働かせなければならない。そういう時代的な必要を、唐突に突きつけられたのである。
「それで、太一はな、外国から流れてくる美術品の転売を始めたんや」
 話はどこまでも重く沈んでいくようだった。
「あの、それって盗品のこと?」
 コルリが慎重な感じに確認する。
 光太が重々しく頷いた。
「そう。盗難美術や。まず、外国の窃盗グループが美術品を盗む。それを日本に持ち込む。この段階でどこそこの社長さんにはすでに話は通っている仕組みになっとるんや。でも、そのまま直接クライアントに持って行ったりはしない。まず、画商の手に渡り、来歴を曖昧にする作業をするんや」
 効果的に活用されたのが『交換会』だった。
『交換会』とは、プロの画商だけが集る、日本特有の競売システムである。基本的に関係者以外立ち入り禁止。やりとりも密室状態で非公開。ここで美術品に付いた値段が、そのまま市場価格になるわけである。
 俗に『絵ころがし』と呼ばれる転売方法がある。『交換会』で転売を繰り返すことによって、徐々に値段を吊り上げていく方法である。
 その過程で、多くの人の手に渡り、次第に来歴不明になっていく。これは、『絵のロンダリング』とも呼ばれていた。
「それですっかり来歴不明になったところで、もともとのクライアントであった社長に引き渡す。そのとき画商は、その作品が盗品とは言わない。あくまでも『出来のいい名画のコピー』と言って引き渡すんや。社長も、それが本物だと知らない振りをして、その美術品を手に入れる。もし指摘されても『知りませんでした』とシラを切る。『交換会』についても知らんことになってるし、作品の来歴もすでに不明になっているから、アリバイはばっちりや」
 実例が存在する。1984年。パリのスミュール・アン・オクソワ美術館から、コローの名画数点が盗まれた。
 何年も経って、発見されたのは日本だった。この絵を所有していた社長らは、それが盗品だとは知らない建前になっていた。
 この事件は、窃盗グループが銀行強盗に失敗して逮捕されたことを切掛けに、初めて発覚した(※)。

※ 実際に起きた事件。1984年10月17日、スミュール・アン・オクソワ私立美術館からコローの絵画が盗まれた。『夕暮れ』『ボド婦人の肖像』『スミュールの日暮れ』『果樹園』『帽子をかぶった少年』の5点である。実行したのはフランスマフィアだが、日本での販売を請け負ったのは日本人の藤曲信一。フランスのICPOが捜査のために来日し、美術品はすべて回収されている。強盗の実行犯は、1986年11月25日、東京都・有楽町の三菱銀行を襲撃し、逮捕されている。

次回を読む

目次

※ 物語中に登場する美術家、美術作品、美術用語はすべて空想のものです。

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