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■2015/08/29 (Sat)
創作小説■
※ 物語中に登場する美術品は、全て空想です。
前回を読む
美術館の門を潜り抜けると、いきなり正面にミレーの『小麦を振るう人』(※1)が現れた。
ツグミは思わず「おお」と声を上げてしまった。
『小麦を振るう人』は《オルセー美術館》の収蔵作品で、今回の企画展のためにレンタルされた作品の一つだった。
暗い小屋の中で、膝当てをした農夫がタイトル通り、蓑で小麦を振るっている。赤味のある背景に、農夫のズボンのブルー、小麦と蓑のイエローの配色が鮮烈だ。農民の暮らしの平凡な一場面だが、ミレーはその所作をまるで決定的瞬間のようにダイナミックに描き出している。
この作品で、ミレーは農民画のジャンルを世に問うたのだ。《バルビゾン派》(※2)の歴史はこの絵から始まったのだといっていい。
美術館の中は貴族屋敷風に色鮮やかな壁紙に、唐草模様をあしらったレリーフが施されていた。
普段は《ハウス・ミュージアム》風に貴族の生活が再現され、テーブルや食器が置かれているが、それらは今回の展示では排除され、麻袋やバケツやピッチフォークが置かれていた。バケツはへこんで黒い染みを浮かべ、ピッチフォークには藁が絡み付いていた。絵画は農民具に紛れるように、武骨なフォルムの額縁に、よれた木片を組み合わせたようなイーゼルに掛けられていた。
どれも作品世界に没入させるための小道具として効果的だった。作品もさることながら、展示方法にもこだわりと工夫が感じられるものだった。
美術館は小部屋が奥へ奥へと連なる構成だった。一部屋に絵が2点、という配分だった。どの部屋も次に移りたがらない人で溢れ返って、すごい熱気だった。
次の部屋にはデュプレ(※3)の『嵐・秋の夕暮れ』とテオドール・ルソー(※4)の『フォンテーヌブローの森の入口』が展示されていた。
その部屋を通り過ぎると、次は壁紙が農場の風景を三百六十度カメラで撮影して、プリントされたものに変わった。置かれている絵画は羊画家として知られるシャルル・ジャックの『小川のほとりの羊飼い』。年代を理由にバルビゾン派に加えられないとする専門家が多い、カミーユ・コローの作品『フォンテーヌブローの浅瀬』だ。『フォンテーヌブローの浅瀬』の背景になっている壁紙が、ちょうど森になっていた。
次の部屋が、ポスターにもなっている『干草を束ねる人』だった。やはり本物は違う。絵具の手触りと風格は、どんな印刷機でも再現できるものではない。
1階に展示される作品は全部で15点。数は少ないけど、いずれもサロンに出展され、評価が高く、作家の代表作として知られる作品ばかりだった。
画家が構図を徹底的に練りこみ、キャンバスの上に一つの世界を作り上げる。バルビゾン派の絵画は、鑑賞者の精神どころか、魂までも絵の世界に取り込み、画家が描き出した無限の陶酔の世界へと誘いこんでいく。
見ている人は誰もが絵の前で茫然として、ただ口を開けて立ち尽くしているだけだった。ツグミとコルリも、そんな人たちに混じって絵の世界に気持ちを委ねた。
絵画の歴史で言えば、この後に『印象派』が生まれ、絵画の認識は一度がらりと崩壊してしまう。
フォービズムやダダ、キュビズム――。絵画から厳格なデッサンは消え、アカデミックな教育と方法論は軽んじられるようになり、画家はいかに突飛で奇怪なものを作り出せるかを競い始める。
バルビゾン派絵画は、絵画らしい絵画を描いた最後の時代といえる。
サロン作品の最後に現れたのはコンスタン・トロワイヨン(※5)の『耕作に向かう牛・朝の印象』だ。
縦260センチ、横400センチの大作だ。描かれているのは、牛の群れを引き連れ、今まさに耕作に向かわんとする農夫の姿である。その背後から、朝の淡い光が射し込んでいた。
やはり農民の暮らしの一場面に過ぎない。が、画家はその瞬間を、あまりにもドラマチックに、情景を美しく描き出した。農夫や牛たちのディティールは重々しく、力強い。それに、大画面から迫ってくるスペクタルは圧倒的だった。
この絵の前で、行列は停滞してしまっていた。誰もが絵の前で茫然として、我を忘れて眺めていた。すでに立錐の余地もない大渋滞だったが、なかなかその絵の前から動こうという者はいなかった。
ツグミもそういう人達の1人になって、ただただ絵の前に立ち尽くしてしまった。まるで心が絵画の中に吸い込まれ、あの農場の中を彷徨っているような感覚だった。
すると、誰かが後ろで肩を叩いた。
「もう30分も見とおで」
すっと顔を寄せて囁いてくる。我に返って振り向くと、ヒナが後ろに立っていた。ヒナはツグミとコルリに笑いかけて、腕時計の時計盤を指で叩く。
ヒナは体のラインにぴったり合った、シックな黒のワンピースを着ていた。ヒナのような長身美女を魅力的に見せるのに、それ以上の衣装はないだろう。
ツグミとコルリは、ヒナに連れられて群集から抜け出した。
※1 小麦を振るう人 ジャン・フランソワ・ミレー作品。1848年作。ミレー初期の傑作で、転換期となった作品。現在はオルセー美術館収蔵。
※2 バルビゾン派 1830~1870年にかけて、フランスのバルビゾン村を拠点にし、農民画を描いた画家たちがいた。彼らをバルビゾン派と呼ばれる。ミレー、コロー、ルソーなどはその代表者。
※3 ジュール・デュプレ 1811~1889年。バルビゾン派を代表する画家の一人。『嵐・秋の夕暮れ』は村内美術館収蔵。
※4 ジャン=バティスト・カミーユ・コロー 1796~1875年。ミレー以前にフランスの田舎を題材にしていた画家。バルビゾンを拠点にしていたわけではないが、バルビゾン派に加えられている。後の印象派に大きな影響を与える。『フォンテーヌブローの浅瀬』は1833年制作で、ナショナル・ギャラリー収蔵。
※5 コンスタン・トロワイヨン 1810~1865年。オランダやベルギーを旅して多くの傑作を残した画家。1839年にバルビゾンを訪ねて絵を描いていた。『耕作に向かう牛・朝の印象』は1855年作でオルセー美術館収蔵。
次回を読む
目次
※ 物語中に登場する美術家、美術作品、美術用語はすべて空想のものです。
第2章 贋作疑惑
前回を読む
12
30分ほど待ってようやく順番が回ってきた。ツグミとコルリは、受付に無料券を差し出した。受付嬢は、ひどく無愛想な感じで機械的に半券を切った。美術館の門を潜り抜けると、いきなり正面にミレーの『小麦を振るう人』(※1)が現れた。
ツグミは思わず「おお」と声を上げてしまった。
『小麦を振るう人』は《オルセー美術館》の収蔵作品で、今回の企画展のためにレンタルされた作品の一つだった。
暗い小屋の中で、膝当てをした農夫がタイトル通り、蓑で小麦を振るっている。赤味のある背景に、農夫のズボンのブルー、小麦と蓑のイエローの配色が鮮烈だ。農民の暮らしの平凡な一場面だが、ミレーはその所作をまるで決定的瞬間のようにダイナミックに描き出している。
この作品で、ミレーは農民画のジャンルを世に問うたのだ。《バルビゾン派》(※2)の歴史はこの絵から始まったのだといっていい。
美術館の中は貴族屋敷風に色鮮やかな壁紙に、唐草模様をあしらったレリーフが施されていた。
普段は《ハウス・ミュージアム》風に貴族の生活が再現され、テーブルや食器が置かれているが、それらは今回の展示では排除され、麻袋やバケツやピッチフォークが置かれていた。バケツはへこんで黒い染みを浮かべ、ピッチフォークには藁が絡み付いていた。絵画は農民具に紛れるように、武骨なフォルムの額縁に、よれた木片を組み合わせたようなイーゼルに掛けられていた。
どれも作品世界に没入させるための小道具として効果的だった。作品もさることながら、展示方法にもこだわりと工夫が感じられるものだった。
美術館は小部屋が奥へ奥へと連なる構成だった。一部屋に絵が2点、という配分だった。どの部屋も次に移りたがらない人で溢れ返って、すごい熱気だった。
次の部屋にはデュプレ(※3)の『嵐・秋の夕暮れ』とテオドール・ルソー(※4)の『フォンテーヌブローの森の入口』が展示されていた。
その部屋を通り過ぎると、次は壁紙が農場の風景を三百六十度カメラで撮影して、プリントされたものに変わった。置かれている絵画は羊画家として知られるシャルル・ジャックの『小川のほとりの羊飼い』。年代を理由にバルビゾン派に加えられないとする専門家が多い、カミーユ・コローの作品『フォンテーヌブローの浅瀬』だ。『フォンテーヌブローの浅瀬』の背景になっている壁紙が、ちょうど森になっていた。
次の部屋が、ポスターにもなっている『干草を束ねる人』だった。やはり本物は違う。絵具の手触りと風格は、どんな印刷機でも再現できるものではない。
1階に展示される作品は全部で15点。数は少ないけど、いずれもサロンに出展され、評価が高く、作家の代表作として知られる作品ばかりだった。
画家が構図を徹底的に練りこみ、キャンバスの上に一つの世界を作り上げる。バルビゾン派の絵画は、鑑賞者の精神どころか、魂までも絵の世界に取り込み、画家が描き出した無限の陶酔の世界へと誘いこんでいく。
見ている人は誰もが絵の前で茫然として、ただ口を開けて立ち尽くしているだけだった。ツグミとコルリも、そんな人たちに混じって絵の世界に気持ちを委ねた。
絵画の歴史で言えば、この後に『印象派』が生まれ、絵画の認識は一度がらりと崩壊してしまう。
フォービズムやダダ、キュビズム――。絵画から厳格なデッサンは消え、アカデミックな教育と方法論は軽んじられるようになり、画家はいかに突飛で奇怪なものを作り出せるかを競い始める。
バルビゾン派絵画は、絵画らしい絵画を描いた最後の時代といえる。
サロン作品の最後に現れたのはコンスタン・トロワイヨン(※5)の『耕作に向かう牛・朝の印象』だ。
縦260センチ、横400センチの大作だ。描かれているのは、牛の群れを引き連れ、今まさに耕作に向かわんとする農夫の姿である。その背後から、朝の淡い光が射し込んでいた。
やはり農民の暮らしの一場面に過ぎない。が、画家はその瞬間を、あまりにもドラマチックに、情景を美しく描き出した。農夫や牛たちのディティールは重々しく、力強い。それに、大画面から迫ってくるスペクタルは圧倒的だった。
この絵の前で、行列は停滞してしまっていた。誰もが絵の前で茫然として、我を忘れて眺めていた。すでに立錐の余地もない大渋滞だったが、なかなかその絵の前から動こうという者はいなかった。
ツグミもそういう人達の1人になって、ただただ絵の前に立ち尽くしてしまった。まるで心が絵画の中に吸い込まれ、あの農場の中を彷徨っているような感覚だった。
すると、誰かが後ろで肩を叩いた。
「もう30分も見とおで」
すっと顔を寄せて囁いてくる。我に返って振り向くと、ヒナが後ろに立っていた。ヒナはツグミとコルリに笑いかけて、腕時計の時計盤を指で叩く。
ヒナは体のラインにぴったり合った、シックな黒のワンピースを着ていた。ヒナのような長身美女を魅力的に見せるのに、それ以上の衣装はないだろう。
ツグミとコルリは、ヒナに連れられて群集から抜け出した。
※1 小麦を振るう人 ジャン・フランソワ・ミレー作品。1848年作。ミレー初期の傑作で、転換期となった作品。現在はオルセー美術館収蔵。
※2 バルビゾン派 1830~1870年にかけて、フランスのバルビゾン村を拠点にし、農民画を描いた画家たちがいた。彼らをバルビゾン派と呼ばれる。ミレー、コロー、ルソーなどはその代表者。
※3 ジュール・デュプレ 1811~1889年。バルビゾン派を代表する画家の一人。『嵐・秋の夕暮れ』は村内美術館収蔵。
※4 ジャン=バティスト・カミーユ・コロー 1796~1875年。ミレー以前にフランスの田舎を題材にしていた画家。バルビゾンを拠点にしていたわけではないが、バルビゾン派に加えられている。後の印象派に大きな影響を与える。『フォンテーヌブローの浅瀬』は1833年制作で、ナショナル・ギャラリー収蔵。
※5 コンスタン・トロワイヨン 1810~1865年。オランダやベルギーを旅して多くの傑作を残した画家。1839年にバルビゾンを訪ねて絵を描いていた。『耕作に向かう牛・朝の印象』は1855年作でオルセー美術館収蔵。
次回を読む
目次
※ 物語中に登場する美術家、美術作品、美術用語はすべて空想のものです。
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