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■2015/08/09 (Sun)
創作小説■
第2章 贋作疑惑
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2
ヒナと合流した後、旅行ターミナル2階にある《町屋小路》に向った。《町屋小路》は外国人旅行者向けに作られた、「いかにも趣のある日本の商店街」風の一画だが、現実にそういう風景が失われつつある今、日本人にとっても郷愁を誘う場所だった。
ヒナは食堂に入って行くと、メニューも見ずにハンバーグ定食を注文した。
「あれから何も食べへんかったんや。だから頭ん中ずっとハンバーグがぐるぐるしててな。到着したらとにかく食うぞーって思って」
ヒナは聞かれもしないのに楽しげに説明を始めた。ツグミとコルリは共にサンドイッチにした。
「それでヒナお姉ちゃん、このまま家に帰れるん?」
ウエイトレスが注文を聞いて去って行くと、ツグミが懸念を抱きながら訊ねた。
ヒナは長旅の疲れか、ふうっと息を吐き、背もたれに体を預けた。
「うん、そのつもりやったんやけどな。あの後また電話があって、これから美術館に戻ることになったんや。夜にはまあ、戻れるけど、寝に戻るだけや。明日の朝にはまた、飛行機や」
ヒナは化粧の下に疲労を浮かべ、それでもなんでもないみたいに微笑み、ちょっと背伸びをして体をほぐすようにした。飛行機の中で眠らなかったのだろうか、とツグミは心配になった。
食堂は《町屋小路》の雰囲気に合わせて、昔の食堂風に作られていた。レイアウト自体は普通のレストランだけど、壁や柱が年代がかった木造になっていた。テーブルの天板は木目調で、座席は畳だった。昔の料理屋風のひらひらのついた白いエプロンを着けたウエイトレスが、暇をもてあまして談笑をしていた。昼にはまだ早い時間だから、店内は人が少なかった。
「じゃあ、休みなし? そんなに人手がないん?」
コルリが同情と抗議の声を上げた。
「まあ、他人任せにはできへん仕事やからな。私が頑張らなきゃ、皆に迷惑かかるわ」
ヒナは大した苦労でないみたいに、テーブルに肘をついてコルリに微笑みかけた。
「ヒナお姉ちゃん、フランス、どうやった? 美術館とか行った?」
話が暗い方向に行きかけるのを察して、ツグミは別の話題に変えようとした。
「そうやね。今回はバルビゾンにあるお屋敷に行ってきたんや。見渡す限り、牧場も農場もみーんなそこの主の土地、っていうところで、美術館並みのコレクションを持っとったな。先祖はグランドマスターと呼ばれる画家のパトロンやっとった、ていう話しやから、なかなかお目にかかれない名画で一杯やったわ」
ヒナも気分を改めて、遠い国の御伽噺でも聞かせる調子になった。
ツグミとコルリは「へえ」と溜め息を漏らし、顔を輝かせた。
「じゃあ、ミレーの絵とかもあったん?」
コルリが続きをせがむ子供みたいに尋ねた。
「うん、一杯あったで。コローやクールベ、シャルル・ジャックにディアス、フェルディナン・シェニョー……。一番いい時代の絵がずらっと並んでたなぁ。見事なハウス・ミュージアムやったわ」
ヒナは指を折りながら画家の名前を挙げて、それから思い出したように頬をうっとりとさせた。
「いいなぁ、私も見に行きたい」
ツグミもヒナの表情に釣られるように恍惚とした気分になってしまった。頭の中で、美術館にも図録にも載せられていない、まだ見ぬ絵画を空想した。
「それで、どんな仕事やったの? 仕事の話を聞かせて」
コルリも興奮したように身を乗り出した。
「そうやね。屋敷の主と夜空を眺めながら、ワインを片手に愛について語るんや。一番のドレスを着て、相手の目をじっと見詰めて、言葉と言葉の駆け引きや。静かで情熱的に誘いかけるけど、軽い女と思われないように、知的な言葉で引き寄せたり突き放したりをしながら、夜のひとときを過ごすんや」
ヒナは水を入れたコップをワイングラス風に持ち、ちょっと大人の雰囲気を作りながら語った。
しかし、ツグミの頭の上に「?」が浮かんだ。
「ヒナお姉ちゃん、それが仕事なん?」
ツグミはきょとんとして訊ねた。ヒナは頬杖をして、ツグミに顔を寄せて意味ありげな微笑みを浮かべた。
「うん、そうやで」
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目次
※ 物語中に登場する美術家、美術作品、美術用語はすべて空想のものです。
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