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■2013/10/10 (Thu)
シリーズアニメ■
急ぐ用事もなく、校門までの道のりをゆっくり歩いていた僕が振り返ったのは、風が吹いたのか、何かの予感を感じたのか――。
振り返って黄昏の色に染まるコンクリートの壁をずっとずっと上へと視線を向けると、そこに紺色の布の切れ端がひらりと風に揺れているのが見えた。
何だろう?
僕はじっと目をこらす。ただの布きれじゃなくてそれは――はっとなったのはそれが女の子だったから。女の子は屋上のフェンスを跳び越えた縁に立っていて、新入生であることを示す紺のリボンを春風にはためかせていた。
自殺!
ただちにそう判断した。自殺。命を絶つこと。おそらく僕が一生試みない行為。
ここで物語の進行は大きく2つに別れる。1つは主人公が積極的に物語に参加して進行していく方法。1つは主人公が消極的で勝手に物語が進行していく方向。
僕は明らかに後者のタイプだったけど、その時ばかりは体が動いた。昇降口に飛び込み、上履きを履かず、靴のまま階段を駆け上がる。全速力で屋上へ、息が上がるとかしんどいとか言っていられない。とにかく階段を駆け上がった。
間もなく屋上へ出た。大きな室外機が独占する小さな広場は、背の高いフェンスにぐるりと囲まれている。緑の味気ない金網の向こうに、女の子は背を向けたまま、立っていた。夕日の輝きが眩しく、女の子の背中を黒く浮かび上がらせていた。
「あ、あの……」
僕は夢中になって叫んだ。そこでどんな言葉を用いたかは割愛するけど、とにかく僕は……、
という旨を、ただひたすらに伝えようとしていた。その最後に、僕はありったけの思いを込めて叫んだ。
「要するに、眼鏡が大好きです!」
返ってきたのは沈黙だった。その後で、女の子が風に消え入りそうな声で、ぽつりと言った。
「……不愉快です」
「……君」
驚いた。茫然としつつも、何かを尋ねようとしていた。
だけど――。
「うあぁぁぁ!」
僕は低く呻いて膝をついた。胸を強烈な痛みが刺していた。意識が白く飛びかけていた。
僕の胸に、真っ赤な剣が突き刺さっていた。いつの間にか女の子が持っていた剣だ。この剣が、僕の胸を貫き、切っ先が背中から突き出ていた。確実に心臓を貫いている。痛みが制服を赤く染める血のように広がっていった。
「あ、相手が悪かったですね」
女の子は強気を装っていたけど、明らかに怯えるふうに声を震わせていた。柄を握る手も震えている。
僕は消え入りそうな意識をしっかりと繋ぎ止め、かすかに顔を上げた。女の子の……眼鏡を見たかったけど、視界はゆらゆらと霞んでいた。
なんとかそう、言葉を絞り出した。
「あなた……いったい何者ですか」
女の子は茫然とした色に、困惑を浮かべている。でも、
「それは僕の台詞だよ」
僕は微笑みかけた。
こうして、僕と栗山未来は出会った。こんな2人が、そのとき限りの関係で終わるとしたら、全ての物語はこの世に存在できないだろう。
■ ■■■ ■
黄昏。それは昼と夜の境界。人間界と異界の境界。フェンスの向こう側という境界。少年は人と妖夢の端境に立っている。
ここにはありとあらゆる境界がせめぎ合っている。『境界の彼方』は、その狭間に立っている少年と少女の物語だ。
『中二病でも恋がしたい!』は学園アクションもののパロディだった。学園アクションものを、冷静な目線で見たらどのように映るか。それは少年の頃に冒険を終えた者が、高校生になったというのにまだ冒険の最中にいる人をどのように見るか……あの時の甘酸っぱさが、現代の白けた視線を混濁させて、強烈な恥ずかしさとして跳ね返ってくる。『中二病でも恋がしたい!』はその姿をコメディとして描いている。
普通に考えれば、順序で言えば逆なのだ。同じ軸上の延長線上ではなく、同じ軸の一歩手前にある作品。それが『境界の彼方』だ。しかし京都アニメは、あえて逆の順序で、パロディを描いた後で、その元ネタにするべき作品の制作に取りかかった。
ジョルジュ・バタイユは熱心なキリスト教徒だったが、「笑い」というものに遭遇して以後、キリスト教がまとっている荘厳さの一切が笑いとしか感じられなくなった。神聖な大聖堂も、厳粛な礼拝も、何もかも滑稽だ――。
「中二病」はまさしく時代全体が笑いに覆われて、厳粛さを失ってしまった時代を象徴する言葉だ。ありとあらゆるエンターテインメントの中に描かれていた真面目さが、パロディに変換されてしまう時代。ありとあらゆるスタイルのエンターテインメントが描かれ尽くしてしまい、視聴され尽くされてしまい、成熟しきったユーザーにはパロディしか連想できなくなってしまった時代。シリアスを描いてもユーザーが脳内でパロディに変換してしまう時代。
『中二病でも恋がしたい!』はそうした今の若者たちが感じている感覚そのものを描いて共感を得たが、『境界の彼方』はそれからいくらか後退してみせる。本格アクションを描いてもパロディと取られてしまうとわかっていながら、あえて――ありきたりすぎるとも言えるような――学園伝奇アクションを描こうとする。
空間の作りには奥行きを出すためのぼかし掛けが細かくかけられ、しばしば空間的な厚みを出すための陰影がその奥行きに与えられている。
舞台設計は過去の京都アニメーションらしい実直さが現れる。徹底的に取材と考証を重ねた上での緻密な描写。飛躍はほとんどなく、おそらく実際にあるのだろうと思われる風景を丹念に描いている。
中心的舞台が学校であるから、画面の中を学生が多くひしめいているが、今のところデジタルモブは使用されていない。すべて手書きで書き起こされている。朝の登校風景など、多くの学生が一斉に動く場面があるが、あえて手書きでこだわり、手書きで動きが与えられている。
キャラクターの仕上げ処理は非常にシンプルである。そうした理由は動き出した瞬間、意図が見えてくる。
ダイナミックかつ繊細なアクションの連続。映像の主眼は日常世界の描写や、可愛らしいキャラクターにあるのではなく、アクションの動きそのものにあるのだ。
ヒロインの栗山未来は「浮遊する少女」の系譜にあるキャラクターである。
この動きはもちろん作り手の誇張が作り出したものだが、ふと『中二病でも恋がしたい!』の小鳥遊六花のアクションを思い出す。小鳥遊六花も靴にローラーを仕込んでいて、地面を滑っていた。『中二病でも恋がしたい!』でパロディとして描いていたものを、ここで元ネタとして描いているのだ。
神原秋人が水の入ったバケツを投げる。ここからスローモーション。バケツに気付いた栗山未来。しゃがみ込んで剣を前に突き出す。『スーパーマリオブラザーズ』のBダッシュの後のように滑っていく。剣がバケツに触れて切り裂かれていく。真っ二つに切り裂かれるバケツ。中に入った水が弾け飛んでいく。恐ろしく難易度の高い作画だが、スローモーションで水滴の一つ一つが跳ねていく様子をしっかり描いている(水滴が大きく描かれているところが、唯一の妥協点だ)。
体の動きと手の動きが違うという、一見すると奇妙に見える動きだが、目にもとまらない動きを、あるいは目まぐるしい動きを、ある種の記号的表現に戻して描かれた場面だ。
この場面のポイントは、キャラクターの上に載せられているエフェクトだ。フルコマで描かれたエフェクトが、人物以上の激しい猛烈さを表現してみせている。
この動きは実写で表現する場合、俳優には普通にアクションをさせて激しいストロボを当てる。すると俳優は動いているのに、見た目にはパッパッと静止コマを並べているように見える。
『境界の彼方』はその表現を元にしているが、こちらの場合、栗山未来の動きは本格的に静止している。赤く煌めくエフェクトだけが動いている。「ここだ」という決めのポーズだけがストロボの光が当たった瞬間浮かび上がっていく。
こちらも目にもとまらぬ動きを表現した一コマだ。素早い動きを、素早い動きとして描いてみせるのではなく、あえて静止コマの連続で描いてみせている。またアクションのケレン味が生き生きと輝く瞬間でもある。
■ ■■■ ■
私はかねてより、ある程度力を持ったアニメ会社は出版事業を始めるべきだという持論を持っていた。なぜならば、ネット配信を利用すればタダで出版事業を始められるからだ。
出版事業は莫大なお金がかかるし、相応の人員も必要になってしまう。雑誌を出版した場合、300万部売らないと黒字にならない。雑誌単体で利益が出せないから、単行本で収益を計る。そこまでになってくると、相当の資金的な後ろ盾が必要になってくる。サンデーやマガジンすら創刊してから数年近く赤字に悩まされた。
しかしネット上で雑誌を作る場合、基本的にタダだ。誰でも自分でサイトを作って、勝手に始めてしまってもいい。実質的な経費は作家への報酬と、編集家を雇うお金、それからサイトを維持するための少々のお金だけでいい。それらは“莫大”というほどのお金が必要なわけではない。オンライン雑誌で作品を発表し、それから単行本で利益収入を目指す……Kindleを利用するという手もある。
なぜアニメ会社が出版事業を始めるべきなのか……それは“自立”するためである。アニメの製作には莫大なお金がかかり、製作委員会の資金力が頼りだが、アニメ会社は基本的に制作費だけで、作品が大ヒットしても成功報酬を手にすることができない。一方、製作委員会なら大失敗してもリスクを分散させられるという長所もあるが。
アニメーターの労働環境の劣悪さは誰もが知っている話だろう。作品がそれなりのヒットを飛ばしても、現場に還元されることは滅多にない。
ならばアニメ会社が単独で自立するしかない。アニメ会社自身が企画し、制作し、販売まで引き受ける。当然、利益を自分のところで独占する。成功すれば、アニメーターの労働環境を一挙に是正することができる。もちろん失敗したら、責任は自分で引き受けねばならないが。
アニメーターの労働環境を是正させるもっとも手っ取り早く、合理的な方法とは“儲けること”なのだ。
しかしネットユーザーたちの声を聞いてみると、京都アニメの挑戦を“悪しき商法”と捉えている人が多数派のようだ。なぜなのか?
どうやら、儲けようという行為自体が“悪”という歪んだ嫌儲精神に基づくものらしい。従来型のビジネスは“悪しき商法”ではないとネットユーザーたちは考えている。なぜならばその以前にあったから。以前からあったビジネスは“当たり前のものとしてそこにあるもの”だから意識できない。一方、新規なものはそうではないからネットユーザーたちにとって目の前を飛び回る蚊のように存在が浮き上がって見えてしまう。そこで今までにないビジネスを、嫌儲精神に照らし合わせて、“悪”として断罪する。
アニメーターの労働環境の劣悪さを知っていながら、それを是正しようという挑戦を始めると“悪い商法”と批判するのである。
もしかしたら、ユーザーの意識そのものが追いついてくるのを待つべきなのかも知れない。
ともあれ、責任を自社で負うから、勝負には負けるわけにはいかない(実際には音楽事業やDVD販売など色んな事業の協力が必要になるから、製作委員会を作っている)。幸いにも『中二病でも恋がしたい!』『Free!』の2作品は批評的にもビジネス的にも成功を収め、良き道筋を作っている。この作品『境界の彼方』もその道筋に乗って欲しいところだが、残念なことにニコニコ生放送では低評価という結果に終わってしまった。
①56.0%②24.4%③12.6%④3.8%⑤3.2%
①②を合算させるとそれなりの数字だし、③より下を押した人は少ない。しかしこの結果が、ネットでは「『境界の彼方』はつまらない」という評判を定着させ、加速させる一因を作ってしまった。ネットユーザーの間にじわりと醸成されつつある“ブランド嫌い”を援用させる結果となってしまった。
作品はまだ始まったばかり、物語もこれから動き始めるところだ。ストーリーものは、これから起きる“展開”で驚きを与えるのだ。3度目の挑戦はまだまだこれから、始まったばかりだ。
続き→とらつぐみTwitterまとめ:作品紹介補足
作品データ
監督:石立太一 原作:鳥居なごむ
シリーズ構成:花田十輝 キャラクターデザイン・総作画監督:門脇未来
美術監督:渡邊美希子 色彩設計:宮田佳奈 小物設定:髙橋博行
妖夢設定:秋竹斉一 撮影監督:中上竜太 編集:重村建吾
音響監督:鶴岡陽太 音楽:七瀬光
アニメーション制作:京都アニメーション
出演:KENN 種田梨沙 茅原実里 鈴木達央
進藤尚美 渡辺明乃 松風雅也 川澄綾子 今野宏美
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