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■2014/02/28 (Fri)
読書:研究書■
本のタイトルが、そのままテーマになっている。
「結局、日本のアニメ、マンガは儲かっているのか?」
著者の板越ジョージは、実際にアメリカで日本のアニメ、マンガを販売する仕事に従事し、その実体験的な立場から本を書いている。それでお題目に掲げられている「儲かっているのか?」という問い。この問いに対しては、残念ながら「NO」である。あまり儲かっていない。
では受け入れられていないのか? と問われるとそういうわけではない。
「アニメやマンガに関するコンベンションでの集客数や、実際アメリカに住んでいての肌感覚では、日本のアニメの人気の衰えはまったく感じません。むしろ、世代から世代へと、時代とともにアニメに慣れ親んだ分母は増えていっていると思います。」(32ページ)。
それだけ支持されているのに、しかしビジネスとしては成功していない。それは何故なのか? 板越ジョージは、当事者の目線からその謎を解き明かしていく。
本の視点は「アメリカでは……」というところから始めているけど、日本のアニメに対する支持は、今や世界スケールである。世界のユーザーは、日本のアニメ・マンガがローカライズされた状態を望んでいない。つまり、それぞれの国に合わせたストーリーやキャラクターの改変を望んでいない。可能な限り、オリジナルのまま接したいと思っている。それくらいに、日本の作品に対する信頼や愛情は深い。
それでも、ビジネスとなるとまるでうまく行かないのだ。
理由の第1に、マーケティングにかける予算が少ない。アメリカでは、制作スタッフとマーケティングスタッフの割合は3:5。対する日本は、7:1。アメリカでは、マーケティングスタッフが多い。それくらいに、マーケティングに賭けているものは大きいのだ(しかも、日本はマーケティングスタッフに、英語を話せるというだけのビジネスの素人を立ててしまう場合が多いそうだ)。
第2に、アメリカの書店事情。アメリカのコミック専門店は、新刊コミックのスペースが小さい。出版社は単行本売り上げによる利益を重要視していないので、人気作品でもあまり多く刷らない。アメリカのコミック専門店へ行くと新刊コミックはほんの僅かで、あとは古本が中心。ファンは、古本の中から、お目当ての作品を探すわけである。
そういった場所に、翻訳本を大量に送りつけても「どこに置けばいいんだよ!」という話になる。
それに日本のマーケティングスタッフは、「これはいいものなんです! ぜひ置いてください」と情熱的に説明する。同じ日本人なら「そうか、わかった。では様子見でいくつか……」となるけど、アメリカ人だと「何だお前」みたいになる。「これはいいものなんです」なんて説明されても、中身のわからないものは店に置けない。
第3に、知的財産に詳しい弁護士を雇わない。アメリカでは弁護士は100万人いると言われ、エンターテインメント関係を専門にしている弁護士は2万人もいる(アメリカは弁護士多すぎると思うけど)。対して、日本は知的財産を専門にする弁護士はやっと1000人ほど、と言われる。
著作権の絡む契約の時に、弁護士を雇わないケースが多く、結果として不利な約束を押しつけられてしまう場合がかなりあるそうだ。それで、本来得られる利益が得られていないという。
アメリカが危機感を覚えたのは、2000年頃に起きた『ポケモン』ブームだった。私もその当時、ハリウッド映画のウイークリーランキングをリアルタイムで見ていたのだけど、『ポケモン』の映画が見事興業ランキング1位。しかも数週間ランキングトップに居座り続けていた。
この時、2位だったのはリック・ベッソン監督の『ジャンヌ・ダルク』。本来ならば確実に1位だったはずの『ジャンヌ・ダルク』は『ポケモン』のせいで全米1を獲れなかったのだ。
翌年に公開された『ポケモン』映画の続編もやはり興業ランキング1位を獲得。貫禄の人気を誇示してみせた。アメリカでの『ポケモン』爆進に、私も無邪気に喜んでいた。
だが、これがアメリカ人の危機感を募らせてしまった。ポケモン人気が後退すると同時に、店舗の棚から日本の作品を撤去。「日本外し」が始まったのだ。それがデータとして明確に現れたのが2006年だった……というわけだ。
こうしたナショナリズムはアニメに限った話ではなく、ゲーム業界も影響を受けている。今、批評誌を中心に、「日本のゲームより欧米のゲームのほうが面白い」という見解が普通になってきている。これにも“裏”があるらしく、アメリカのレビューアが、日本の作品を低く書き、アメリカの作品を高く書いているから……というらしい。
「アメリカは自由の国。才能と意欲を持った人が成功する国」と評され、アメリカ人自身もそのように語る。だが実際には人種や民族に対する差別が強烈な国だ。違う国のエンターテインメントが勢力を持ってくると、危機感を憶え排除しようとする。そういう性質を持っていることを忘れてはならない。
その後は2008年にリーマンショック。この影響で2009年にはアメリカでDVD販売を請け負っていたサーキットシティが会社の清算。2010年には日本の作品を多く取り扱っていた大手書店ボーダーズが倒産。アメリカでの「売り場」が減っていく事態に直面している。
マスメディアはデータ上の数字を見て、「日本のアニメはもう海外では受け入れられない」なんて書いたりする。しかし始めに書いた通り、日本をテーマにしたイベントを開催すると、ファンが多く集まり、その数は年々多くなっている。筆者の肌感覚として日本の作品をリスペクトする人は確実に増えている。
単に、ビジネスとして成功していないだけで、その理由は一杯ある。
まず日本側が現地リサーチを全くせず、精神論で押し通そうとすること。知的財産に詳しい弁護士を雇わない。売れ始めてもナショナリズムという障壁に阻まれてしまう。
半分くらい日本側のオウンゴールという気がしないでもないが、ビジネスとして成功しないだけの理由はあるのだ。
板越ジョージは、成功するためにどうするべきか? という提唱をはじめる。
アメリカでは、2000年頃の保有規制撤廃によりメディアのコングロマリット化が進んだ。例えばウォルト・ディズニーは、放送局のABCとスポーツチャンネルのESPN、メジャーリーグのロサンゼルス・エンジェル、アニメ製作会社ピクサー、映画会社のタッチストーン・ピクチャーズとミラマックス・フィルム、コミック出版社のマーベル・コミックを傘化に収めた。2012年、『スターウォーズ』の権利を買収したことは、記憶に新しい。
これだけの複合体としての強みを活かして、世界展開を押し進めている。日本のコンテンツの海外輸出率がわずか5%であるのに対し、米国は17.8パーセント。海外売りに力を入れているのがわかる。
板越ジョージは日本も同様にコングロマリット化すべきだと提唱する。確かに別資料でも、アニメが海外展開しない理由を「そもそもそれだけの資力がないから」と挙げられている。今のままではあまりにも脆弱だ。
(巨大化すればそれだけ動きが鈍くなるのでは……新しい発想が生まれなくなるのでは……という懸念もありそうな気がするけど。しかしアニメ制作だけではなく、出版、音楽、グッズ制作などの事業を1社で縦横に連携を取れる会社を作ることができたら、きっと強力だろうな……と私もよく夢想する)
それからプロデューサーの育成だ。
「ディズニーはすばらしいプロデューサーであり、手塚は優秀なディレクターである」(140~141ページ)
これには多くの意味を含んでいるように思える。アメリカは確かにプロデューサーの国だ。アメリカ人でも優秀なディレクターはいるけど、プロデューサーとしての存在感が際立っている。だから、色んな国から才能をかき集めて、大きなものを作ることに長けている。
例えば、世界興業収入1位2位を独占しているジェームズ・キャメロンはカナダ人だ。映像派の代表者リドリー・スコットはイギリス人。重量感ある映像を作るウォルフガング・ペーターゼン監督とローランド・エメリッヒ監督はドイツ人。ニュージーランド出身のピーター・ジャクソンも忘れてはならない。
対して、日本はディレクターの国だ。日本を代表すべき映画監督は多く、海外からは日本そのものが尊敬の対象になっている。アニメーションの品質は最高だけど、そのほとんどが国内の才能だけで作っている。なぜそんなに作れるのかといえば、日本人だからだ、というしかない。
才能と技術はある。支持もされている。決定的に足りないのはプロデューサーだ。作品はそのままで、プロデュースできる人を発掘、育成していくことが、今後の課題になっていくだろう、と板越ジョージは語る。
現在進行形で、少子化は国内のマンガ・アニメビジネスに深刻なダメージを与えている。漫画のメインターゲットはやはり少年少女。その人口が減っていくという現状は、漫画の文化そのもののを弱くしてしまう。
もう1つ、アニメーターの給料がいつまでたってもよくならないという問題。こちらの理由はシンプルだ。アニメを制作するにはお金がかかるが、儲けは少ないからだ。よくピンハネがどうこうという話は出てくるが、実際にアニメ業界にいる人は、誰も得していない。「アニメ業界に大金持ちはいない」というくらいだから。
今はアニメビジネスは好調といわれるけど、天井は見えているし、少子化の影響で目減りしていくのは確実だ。
だからこそ、海外売りに鉱脈を見出す。その方法を考える時が来たのかも知れない。
著者:板越ジョージ
出版・編集:株式会社ディスカヴァー・トゥエンティワン
「結局、日本のアニメ、マンガは儲かっているのか?」
著者の板越ジョージは、実際にアメリカで日本のアニメ、マンガを販売する仕事に従事し、その実体験的な立場から本を書いている。それでお題目に掲げられている「儲かっているのか?」という問い。この問いに対しては、残念ながら「NO」である。あまり儲かっていない。
では受け入れられていないのか? と問われるとそういうわけではない。
「アニメやマンガに関するコンベンションでの集客数や、実際アメリカに住んでいての肌感覚では、日本のアニメの人気の衰えはまったく感じません。むしろ、世代から世代へと、時代とともにアニメに慣れ親んだ分母は増えていっていると思います。」(32ページ)。
それだけ支持されているのに、しかしビジネスとしては成功していない。それは何故なのか? 板越ジョージは、当事者の目線からその謎を解き明かしていく。
本の視点は「アメリカでは……」というところから始めているけど、日本のアニメに対する支持は、今や世界スケールである。世界のユーザーは、日本のアニメ・マンガがローカライズされた状態を望んでいない。つまり、それぞれの国に合わせたストーリーやキャラクターの改変を望んでいない。可能な限り、オリジナルのまま接したいと思っている。それくらいに、日本の作品に対する信頼や愛情は深い。
それでも、ビジネスとなるとまるでうまく行かないのだ。
理由の第1に、マーケティングにかける予算が少ない。アメリカでは、制作スタッフとマーケティングスタッフの割合は3:5。対する日本は、7:1。アメリカでは、マーケティングスタッフが多い。それくらいに、マーケティングに賭けているものは大きいのだ(しかも、日本はマーケティングスタッフに、英語を話せるというだけのビジネスの素人を立ててしまう場合が多いそうだ)。
第2に、アメリカの書店事情。アメリカのコミック専門店は、新刊コミックのスペースが小さい。出版社は単行本売り上げによる利益を重要視していないので、人気作品でもあまり多く刷らない。アメリカのコミック専門店へ行くと新刊コミックはほんの僅かで、あとは古本が中心。ファンは、古本の中から、お目当ての作品を探すわけである。
そういった場所に、翻訳本を大量に送りつけても「どこに置けばいいんだよ!」という話になる。
それに日本のマーケティングスタッフは、「これはいいものなんです! ぜひ置いてください」と情熱的に説明する。同じ日本人なら「そうか、わかった。では様子見でいくつか……」となるけど、アメリカ人だと「何だお前」みたいになる。「これはいいものなんです」なんて説明されても、中身のわからないものは店に置けない。
第3に、知的財産に詳しい弁護士を雇わない。アメリカでは弁護士は100万人いると言われ、エンターテインメント関係を専門にしている弁護士は2万人もいる(アメリカは弁護士多すぎると思うけど)。対して、日本は知的財産を専門にする弁護士はやっと1000人ほど、と言われる。
著作権の絡む契約の時に、弁護士を雇わないケースが多く、結果として不利な約束を押しつけられてしまう場合がかなりあるそうだ。それで、本来得られる利益が得られていないという。
(画像出典:世界のエンタメ業界地図2013年版)
第4に挙げるのが、ナショナリズム。別のデータを見ても、2006年を境にして、日本のアニメビジネスは大きく後退している。2006年に何が起こったのか? 板越ジョージは「カルチュラル・エコノミック・ナショナリズム」であると指摘している。アメリカが危機感を覚えたのは、2000年頃に起きた『ポケモン』ブームだった。私もその当時、ハリウッド映画のウイークリーランキングをリアルタイムで見ていたのだけど、『ポケモン』の映画が見事興業ランキング1位。しかも数週間ランキングトップに居座り続けていた。
この時、2位だったのはリック・ベッソン監督の『ジャンヌ・ダルク』。本来ならば確実に1位だったはずの『ジャンヌ・ダルク』は『ポケモン』のせいで全米1を獲れなかったのだ。
翌年に公開された『ポケモン』映画の続編もやはり興業ランキング1位を獲得。貫禄の人気を誇示してみせた。アメリカでの『ポケモン』爆進に、私も無邪気に喜んでいた。
だが、これがアメリカ人の危機感を募らせてしまった。ポケモン人気が後退すると同時に、店舗の棚から日本の作品を撤去。「日本外し」が始まったのだ。それがデータとして明確に現れたのが2006年だった……というわけだ。
こうしたナショナリズムはアニメに限った話ではなく、ゲーム業界も影響を受けている。今、批評誌を中心に、「日本のゲームより欧米のゲームのほうが面白い」という見解が普通になってきている。これにも“裏”があるらしく、アメリカのレビューアが、日本の作品を低く書き、アメリカの作品を高く書いているから……というらしい。
「アメリカは自由の国。才能と意欲を持った人が成功する国」と評され、アメリカ人自身もそのように語る。だが実際には人種や民族に対する差別が強烈な国だ。違う国のエンターテインメントが勢力を持ってくると、危機感を憶え排除しようとする。そういう性質を持っていることを忘れてはならない。
その後は2008年にリーマンショック。この影響で2009年にはアメリカでDVD販売を請け負っていたサーキットシティが会社の清算。2010年には日本の作品を多く取り扱っていた大手書店ボーダーズが倒産。アメリカでの「売り場」が減っていく事態に直面している。
マスメディアはデータ上の数字を見て、「日本のアニメはもう海外では受け入れられない」なんて書いたりする。しかし始めに書いた通り、日本をテーマにしたイベントを開催すると、ファンが多く集まり、その数は年々多くなっている。筆者の肌感覚として日本の作品をリスペクトする人は確実に増えている。
単に、ビジネスとして成功していないだけで、その理由は一杯ある。
まず日本側が現地リサーチを全くせず、精神論で押し通そうとすること。知的財産に詳しい弁護士を雇わない。売れ始めてもナショナリズムという障壁に阻まれてしまう。
半分くらい日本側のオウンゴールという気がしないでもないが、ビジネスとして成功しないだけの理由はあるのだ。
板越ジョージは、成功するためにどうするべきか? という提唱をはじめる。
アメリカでは、2000年頃の保有規制撤廃によりメディアのコングロマリット化が進んだ。例えばウォルト・ディズニーは、放送局のABCとスポーツチャンネルのESPN、メジャーリーグのロサンゼルス・エンジェル、アニメ製作会社ピクサー、映画会社のタッチストーン・ピクチャーズとミラマックス・フィルム、コミック出版社のマーベル・コミックを傘化に収めた。2012年、『スターウォーズ』の権利を買収したことは、記憶に新しい。
これだけの複合体としての強みを活かして、世界展開を押し進めている。日本のコンテンツの海外輸出率がわずか5%であるのに対し、米国は17.8パーセント。海外売りに力を入れているのがわかる。
板越ジョージは日本も同様にコングロマリット化すべきだと提唱する。確かに別資料でも、アニメが海外展開しない理由を「そもそもそれだけの資力がないから」と挙げられている。今のままではあまりにも脆弱だ。
(巨大化すればそれだけ動きが鈍くなるのでは……新しい発想が生まれなくなるのでは……という懸念もありそうな気がするけど。しかしアニメ制作だけではなく、出版、音楽、グッズ制作などの事業を1社で縦横に連携を取れる会社を作ることができたら、きっと強力だろうな……と私もよく夢想する)
それからプロデューサーの育成だ。
「ディズニーはすばらしいプロデューサーであり、手塚は優秀なディレクターである」(140~141ページ)
これには多くの意味を含んでいるように思える。アメリカは確かにプロデューサーの国だ。アメリカ人でも優秀なディレクターはいるけど、プロデューサーとしての存在感が際立っている。だから、色んな国から才能をかき集めて、大きなものを作ることに長けている。
例えば、世界興業収入1位2位を独占しているジェームズ・キャメロンはカナダ人だ。映像派の代表者リドリー・スコットはイギリス人。重量感ある映像を作るウォルフガング・ペーターゼン監督とローランド・エメリッヒ監督はドイツ人。ニュージーランド出身のピーター・ジャクソンも忘れてはならない。
対して、日本はディレクターの国だ。日本を代表すべき映画監督は多く、海外からは日本そのものが尊敬の対象になっている。アニメーションの品質は最高だけど、そのほとんどが国内の才能だけで作っている。なぜそんなに作れるのかといえば、日本人だからだ、というしかない。
才能と技術はある。支持もされている。決定的に足りないのはプロデューサーだ。作品はそのままで、プロデュースできる人を発掘、育成していくことが、今後の課題になっていくだろう、と板越ジョージは語る。
現在進行形で、少子化は国内のマンガ・アニメビジネスに深刻なダメージを与えている。漫画のメインターゲットはやはり少年少女。その人口が減っていくという現状は、漫画の文化そのもののを弱くしてしまう。
もう1つ、アニメーターの給料がいつまでたってもよくならないという問題。こちらの理由はシンプルだ。アニメを制作するにはお金がかかるが、儲けは少ないからだ。よくピンハネがどうこうという話は出てくるが、実際にアニメ業界にいる人は、誰も得していない。「アニメ業界に大金持ちはいない」というくらいだから。
今はアニメビジネスは好調といわれるけど、天井は見えているし、少子化の影響で目減りしていくのは確実だ。
だからこそ、海外売りに鉱脈を見出す。その方法を考える時が来たのかも知れない。
著者:板越ジョージ
出版・編集:株式会社ディスカヴァー・トゥエンティワン
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