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■2016/06/29 (Wed)
創作小説■
第7章 Art Loss Register
前回を読む
12
ヒナは下から現れた板画を見て、満足げに頷いた。ツグミに板画を渡し、シートに散らばったカードを回収し始めた。ツグミはヒナから板画を受け取り、ヒナが満足そうにした理由を理解した。デューラーの贋作『自画像』の下から現れたのは、デューラーの本物の『自画像』だった。
本物のデューラーは、贋作よりも金の巻き毛がくっきり描かれているし、何より眼差しが強く、鑑賞者を鋭く見つめ返す迫力があった。
もちろん本物ではなく、本物そっくりに似せて描いた川村の絵だった。ツグミは再び川村の技術の高さに感嘆の息を漏らさなくてはならなかった。キュフナーは本物を2つに割いて、贋作を作った。川村はその通りに、本物のデューラーを贋物の下に隠したのだ。
デューラーの右上、本来作者のサインが記されている場所に、メッセージが記されていた。
『新山寺 6時』
筆で書かれた美しい文字だった。ツグミはすぐに頭の中に記録していた川村の文字と照合した。間違いなく川村の文字だった。
ツグミは間違いなくここに川村さんがいる、と確信した。
「ツグミ、こっちを見て」
ヒナが贋作の『自画像』を手に取り、裏を向けた。
『琴平駅デ、待ッテイル』
こちらも筆で描かれていた。しかし川村の文字ではなかった。誰か別人の文字だった。
ツグミは首を振った。
「違う。こっちのは川村さんの字じゃない。贋物や」
メッセージが2つ。一方は、川村自身が書いた文字。もう一方は、川村以外の誰かが書いた贋物の文字。
これが意味するものとは……。
ツグミは自分の考えが正しいのか不安になって、ヒナを見上げた。ヒナはまだうつむいて、答えを探しているみたいだった。
その時、背中にゾクッとするものを感じた。背中を撫でられるような、あの嫌な感触だった。
ツグミは、もしやと思って背後を振り返った。バスから車を4台挟んだ後方に、トヨタ・ブレイドがいた。
トヨタ・ブレイドは、雨に濡れてダーク・ブラウンのボディをより艶やかに輝かせていた。どこか魚類を思わせるような艶めかしさが宿っているように思えた。
ツグミはヒナの腕を強く引っ張った。
「ヒナお姉ちゃん、後ろを見て!」
ヒナも後ろを振り返った。そうして、トヨタ・ブレイドの存在を気付いて、はっと息を漏らした。
ヒナはまず停止ボタンを押した。「次、降ります」とのどかな調子でアナウンスが流れた。
次にヒナは、デューラーの本物の『自画像』を手に取ると、ツグミに後ろを振り向かせ、コートの背中に『自画像』を突っ込んだ。
「お、お姉ちゃん……」
ツグミはヒナが何をしようとしているのか、すぐには理解できず困惑した声を上げた。 ヒナは構わず、ツグミに自分で背中の絵を固定するように指示し、トレンチコートのボタンを締めた。
「ツグミ。お金は、持っとったよな。大丈夫やね」
ヒナは確かめるようにツグミに強く問いかけた。ツグミはヒナに対して正面を向き、コクコクと小さく頷いた。
ヒナはトレンチコートの腰の紐を、グイグイと引っ張った。
ツグミはようやくヒナの考えがわかってきた。コートの背中に隠した板画を、落ちないように調整し、お腹をへこませた。
「ヒナお姉ちゃんいいの? 贋作のデューラーはどうするん?」
「こっちは嘘の情報なんや。重要なヒントはそっちの本物のほうや。川村さんは本当に天才やで。こういう事態を全部予想して用意しとってくれたんやからな」
ヒナは早口に言いながら、ツグミのコートの紐を縛った。ツグミのお腹が痛くなるくらい、きつい縛り方だった。
それからヒナは、ツグミの目を真っ直ぐに覗き込んだ。
「……ツグミ、一人で川村さんのところに行けるな」
「う、うん、大丈夫」
ツグミはヒナの気迫に飲まれるように反射的に頷いていた。
「信じているで、ツグミ。フェルメールの本物を見付けられるのは、アンタだけやからな。事件を、終わらせるんやで」
ヒナがツグミを抱きしめて、頭を撫でた。
ツグミはやっとヒナの考えが、すべて理解できた。ヒナは自分とデューラーの贋物で、囮になるつもりだ。
ツグミは別れを予感して、胸がつらくなった。ヒナの背中に手を回して、少しでもぬくもりを得ようとした。
すると、ツグミは不安が過ぎ去るのを感じた。深いところで静かな決意が現れ、勇気が身を包むのを感じた。
次回を読む
目次
※ 物語中に登場する美術家、美術作品、美術用語はすべて空想のものです。
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