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■2010/01/03 (Sun)
映画:外国映画■
空から何かが迫った。
焔をまとった岩石はが次々と迫り、ニューヨークの高層ビルを次々と破壊する。高く聳え立つビルの先端は潰され、窓という窓は破られ、岩石の力は衰えず地面に大きな穴を作った。賑やかな街角は瞬時に地獄に変えられた。そこにいた多くの人たちには、何が起きたのか考え理解することすらできなかった。
それは遥か天空から放たれたものだった。青空よりもずっと向う、漆黒の宇宙からからだ。だがそれは、本当の危機への序章に過ぎなかった。
貿易センタービルがまだ残っている頃の映画だ。見る側の勝手な心象だが、黒煙を吹き上げる光景が不吉に思えてしまう。
小惑星が地球に向っていた。かつて恐竜時代に終止符を打った、恐るべき巨大な隕石だ。小惑星が地球に激突すると、全人類が死滅し、歴史は終了する。
その日まで、あと18日。
地球を救えるのは、訓練を受けた軍人たちではなく、石油堀りだった。
ハリーと愉快な仲間たち。仲間の召集シーン。石油堀の仕事はどうしてしまったのだろう?ヘンなところでディズニー映画らしいはっちゃけ振りを見せる。
映画は、見る者の想像をはるかに越えて展開していく。
シーンの一つ一つはファンタジックで、古典的な科学冒険ものを髣髴とさせる。
特撮やデジタルが中心だが、パニック映画の要素をふんだんに取り入れている。
唐突に挿入されるロマンスシーン。前後の時間的連続などない。ただロマンスだけがある。「そんなの関係ねえ」とでも言いたげな強引さだ。
作品の特徴は、めまぐるしく迫るアクションとロマンスだろう。
それに映像が美しい。どのシーンも光が自在に制御され、色彩を感じる感性は極めて高い。
物質の質感は、光の効果によって実際以上の迫力を与えている。破壊のシーンですら独特の美意識が染み渡っている。
そうしたカットの数々が、とてつもない速度で連続する。それが見るものの判断力を越えて、圧倒的な印象を与えている。
時折、映像は映画本編より印象的な瞬間を見せる。マイケル・ベイは脳みそまで筋肉の監督で知られるが、映像センスは優れて良い。この才能が映画のドラマと無関係なのが残念だ。
ただ物語には奇妙なくらい抑揚がない。
ド派手なアクションの次はロマンス。その次はまたアクションといった具合で落ち着きがない。どの台詞も解説としてもドラマとしても機能せず、クライマックスシーンだけが次々と性急に迫ってくる感じだ。
台詞はドラマを組み立てるための“核”ではなく、もはや“伴奏”だ。この感覚は映画という以上に“アトラクション”に近い。
一方で、『アルマゲドン』のような特撮映画の周辺を見ると、人々の葛藤がわかる。
「特撮ばかりの映画は、退屈だ」「最近の映画は、デジタルに頼ってばかりだ」
しかし一方で、物語中心の映画に接すると退屈してしまう。台詞がドラマとして機能しはじめるまで我慢ができない。
「痛快な“見世物”としての特撮映画に飽きているが、物語映画を最後まで見通す根気がない」
技術の映画か、物語の映画か。そのどちらにも移れない。
映画が迷走するのではない。映画の鑑賞者が、自身の望みがわからず迷走するのだ。
宇宙に飛んでからの冒険は相当にぶっ飛んでいる。左のカットは宇宙基地を爆破するシーン。原因はもちろん石油堀達。呆れるのを通り越して笑うしかない。
それでも美しい映像が圧倒的印象をもたらしている。
力のあるアクション、破壊、渾沌。
カットがとてつもない速度で羅列し見る者に強烈な心理作用を与える。
台詞のつくりはどれも子供じみている。だが音楽と映像美によって、強引にシーンを成立させてしまっている。
ドラマとしての映画はすでに解体している。高度に発達した映画技術が新たな種類の映画を誕生させたのだ。
映画記事一覧
作品データ
監督:マイケル・ベイ 音楽:トレヴァー・ラビン
脚本:ジョナサン・ヘンズリー J・J・エイブラムス
スコット・マイケル・ローゼンバーグ
出演:ブルース・ウィリス ベン・アフレック
〇 リヴ・タイラー ウィル・パットン
〇 スティーヴ・ブシェミ オーウェン・ウィルソン
焔をまとった岩石はが次々と迫り、ニューヨークの高層ビルを次々と破壊する。高く聳え立つビルの先端は潰され、窓という窓は破られ、岩石の力は衰えず地面に大きな穴を作った。賑やかな街角は瞬時に地獄に変えられた。そこにいた多くの人たちには、何が起きたのか考え理解することすらできなかった。
それは遥か天空から放たれたものだった。青空よりもずっと向う、漆黒の宇宙からからだ。だがそれは、本当の危機への序章に過ぎなかった。
貿易センタービルがまだ残っている頃の映画だ。見る側の勝手な心象だが、黒煙を吹き上げる光景が不吉に思えてしまう。
小惑星が地球に向っていた。かつて恐竜時代に終止符を打った、恐るべき巨大な隕石だ。小惑星が地球に激突すると、全人類が死滅し、歴史は終了する。
その日まで、あと18日。
地球を救えるのは、訓練を受けた軍人たちではなく、石油堀りだった。
ハリーと愉快な仲間たち。仲間の召集シーン。石油堀の仕事はどうしてしまったのだろう?ヘンなところでディズニー映画らしいはっちゃけ振りを見せる。
映画は、見る者の想像をはるかに越えて展開していく。
シーンの一つ一つはファンタジックで、古典的な科学冒険ものを髣髴とさせる。
特撮やデジタルが中心だが、パニック映画の要素をふんだんに取り入れている。
唐突に挿入されるロマンスシーン。前後の時間的連続などない。ただロマンスだけがある。「そんなの関係ねえ」とでも言いたげな強引さだ。
作品の特徴は、めまぐるしく迫るアクションとロマンスだろう。
それに映像が美しい。どのシーンも光が自在に制御され、色彩を感じる感性は極めて高い。
物質の質感は、光の効果によって実際以上の迫力を与えている。破壊のシーンですら独特の美意識が染み渡っている。
そうしたカットの数々が、とてつもない速度で連続する。それが見るものの判断力を越えて、圧倒的な印象を与えている。
時折、映像は映画本編より印象的な瞬間を見せる。マイケル・ベイは脳みそまで筋肉の監督で知られるが、映像センスは優れて良い。この才能が映画のドラマと無関係なのが残念だ。
ただ物語には奇妙なくらい抑揚がない。
ド派手なアクションの次はロマンス。その次はまたアクションといった具合で落ち着きがない。どの台詞も解説としてもドラマとしても機能せず、クライマックスシーンだけが次々と性急に迫ってくる感じだ。
台詞はドラマを組み立てるための“核”ではなく、もはや“伴奏”だ。この感覚は映画という以上に“アトラクション”に近い。
一方で、『アルマゲドン』のような特撮映画の周辺を見ると、人々の葛藤がわかる。
「特撮ばかりの映画は、退屈だ」「最近の映画は、デジタルに頼ってばかりだ」
しかし一方で、物語中心の映画に接すると退屈してしまう。台詞がドラマとして機能しはじめるまで我慢ができない。
「痛快な“見世物”としての特撮映画に飽きているが、物語映画を最後まで見通す根気がない」
技術の映画か、物語の映画か。そのどちらにも移れない。
映画が迷走するのではない。映画の鑑賞者が、自身の望みがわからず迷走するのだ。
宇宙に飛んでからの冒険は相当にぶっ飛んでいる。左のカットは宇宙基地を爆破するシーン。原因はもちろん石油堀達。呆れるのを通り越して笑うしかない。
それでも美しい映像が圧倒的印象をもたらしている。
力のあるアクション、破壊、渾沌。
カットがとてつもない速度で羅列し見る者に強烈な心理作用を与える。
台詞のつくりはどれも子供じみている。だが音楽と映像美によって、強引にシーンを成立させてしまっている。
ドラマとしての映画はすでに解体している。高度に発達した映画技術が新たな種類の映画を誕生させたのだ。
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作品データ
監督:マイケル・ベイ 音楽:トレヴァー・ラビン
脚本:ジョナサン・ヘンズリー J・J・エイブラムス
スコット・マイケル・ローゼンバーグ
出演:ブルース・ウィリス ベン・アフレック
〇 リヴ・タイラー ウィル・パットン
〇 スティーヴ・ブシェミ オーウェン・ウィルソン
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