■ 最新記事
(08/15)
(08/14)
(08/13)
(08/12)
(08/11)
(08/10)
(08/09)
(08/08)
(08/07)
(08/06)
■ カテゴリー
お探し記事は【記事一覧 索引】が便利です。
■2010/01/03 (Sun)
映画:外国映画■
そこは深い森の闇の奥。文明の光がまだ届かない場所に、1つの部族が小さな村を作って過ごしていた。訪ねる者は少なく、一族の者も、外の世界を知らずにいた。
ある朝、ジャガーと呼ばれる村の若者は夢を見ていた。
森の影から現われる男。
男は引き攣った表情で凍りつき、喘ぐように空気を求めていた。
「何か用か?」
ジャガーの問いは不自然なくらい冷徹だった。
すると男は、息を止めて「気をつけろ!」と叫んだ。
そこでジャガーは目を覚ました。
まだ朝の早い時間だ。村の広場に、暗い影が落ちている。夜明けの輝きは、まだ茂みの向うに留まっている。
犬が騒がしく吠えている。ジャガーはまどろみに戻るつもりもなく、寝床を後にして、村の広場に目を向けた。
村の人達はまだみんな眠っている。静かな様子だが、犬だけが騒がしく吠え続けている。
が、急に犬の鳴き声がやんだ。
何だ。
緊張を感じた瞬間、向うの家の影に、ふっと何者かの影が現れた。
侵入者だ!
ジャガーは危険を察知し、妻と子を起こして家を飛び出した。
侵入者たちは間もなく姿を現し、村を襲った。各家に火をつけ、飛び出してきた村人を攻撃し、手と足を縄で縛りつけた。
ジャガーは妻と子を村の外れの大穴まで行き、その影の中に妻と子を隠した。
「必ず助けに戻る!」
ジャガーは妻と子に言い残すと、村人たちを助けに戻った。
村では戦いが始まった。あちこちで悲鳴が上がり拳が振り下ろされていた。だが敵は鍛えられたマヤの戦士だった。マヤの戦士の強さは圧倒的で、鍛えられたナイフを持っていた。
村はたちまち占領され、人々は捕らえられてしまう。ジャガーも力及ばず、父親が殺され、侵入者に捕らえられてしまう。
ファンタジーの創作について一般に抱かれがちな誤解がある。「ファンタジーは子供向けだから、通俗的なものを羅列させればよい」という考え方だ。実際はファンタジーほど考証と学術が必要なものはない。
映画『アポカリプト』は知られざるマヤ文明を描いた作品だ。
16世紀中頃。ユカタン半島にスペイン人が侵略し、間もなく崩壊の時を迎えようとするマヤ文明。文明の中心地は狂気に捉われて、自滅に向かい進んでいる。
だが、映画にはマヤ文明の崩壊そのものは描かれていない。
物語の中心となるのはマヤ文明に襲撃された周辺の村と、脱出する男の壮絶な追跡劇だ。ジャングルを中心に、逃亡者とマヤの戦士による力と力、肉体と肉体のぶつかり合い。
安直な特撮やデジタルの力には頼らない、直球的な腕力勝負で挑みかける映画だ。
マヤ文明の中心地は間違いなく最も予算が掛けられている。映画の予算は常に限られているし、どこに力を注ぐかで監督の判断力が問われる。映画監督には会計士の才能も必要なのだ。
『アポカリプト』は『パッション』に続いて、死語になった言語だけで撮影された映画だ。聞きなれない言葉が、異国的な空気を増幅させている。
世界観の造形はマヤ文明を下敷きにしているが、さらに空想の力で膨らませている。実際の時代考証とは違うが、それはあくまでもフィクション、あるいはファンタジー映画だと思って接すればいいだろう。
衣装や入れ墨、住居といったディティールが詳らかに描写され、民族の暮らしをリアリズムを持って描き出している。マヤ文明の住人は、原初的な狩猟採取の生活を送っているが、いかにも劣った原始人として描かれていない。聡明で文化的で、なによりそれぞれが美意識を持って自身を飾り立てている。
有名俳優が1人も登場しない映画だが、俳優達の容姿、肉体は美しく、簡素な装飾で飾り立てられた姿が肉体の美しさを際立たせている。
肉弾アクションの連発。アクション俳優だったメル・ギブソンらしい演出だ。対決の構図の作り方など作法を心得ている感じだ。左カットでは本物のジャガーに追いかけられている。容赦のない演出だ。
アクションが中心の映画だが、『アポカリプト』は余計な小細工が使われていない。デジタル技術や飛躍したアイテム、怪獣キャラクターも登場しない。
とことん肉体でぶつかり合い、全力で疾走する映画だ。
“血沸き肉踊る”という言葉どおりの展開が矢継ぎ早に迫ってくる。
映画『アポカリプト』はファンタジーのお手本としてよく練られているし、エンターティメント映画として骨のある映画だ。
映画記事一覧
作品データ
監督・脚本:メル・ギブソン
音楽:ジェームズ・ホーナー 脚本:ファラド・サフィニア
出演:ルディ・ヤングブラッド ダリア・エルナンデス
〇 ジョナサン・ブリューワー ラオール・トゥルヒロ
〇 モリス・バード ヘラルド・タラセナ
〇 ルドルフォ・パラシオス フェルナンド・エルナンデス
ある朝、ジャガーと呼ばれる村の若者は夢を見ていた。
森の影から現われる男。
男は引き攣った表情で凍りつき、喘ぐように空気を求めていた。
「何か用か?」
ジャガーの問いは不自然なくらい冷徹だった。
すると男は、息を止めて「気をつけろ!」と叫んだ。
そこでジャガーは目を覚ました。
まだ朝の早い時間だ。村の広場に、暗い影が落ちている。夜明けの輝きは、まだ茂みの向うに留まっている。
犬が騒がしく吠えている。ジャガーはまどろみに戻るつもりもなく、寝床を後にして、村の広場に目を向けた。
村の人達はまだみんな眠っている。静かな様子だが、犬だけが騒がしく吠え続けている。
が、急に犬の鳴き声がやんだ。
何だ。
緊張を感じた瞬間、向うの家の影に、ふっと何者かの影が現れた。
侵入者だ!
ジャガーは危険を察知し、妻と子を起こして家を飛び出した。
侵入者たちは間もなく姿を現し、村を襲った。各家に火をつけ、飛び出してきた村人を攻撃し、手と足を縄で縛りつけた。
ジャガーは妻と子を村の外れの大穴まで行き、その影の中に妻と子を隠した。
「必ず助けに戻る!」
ジャガーは妻と子に言い残すと、村人たちを助けに戻った。
村では戦いが始まった。あちこちで悲鳴が上がり拳が振り下ろされていた。だが敵は鍛えられたマヤの戦士だった。マヤの戦士の強さは圧倒的で、鍛えられたナイフを持っていた。
村はたちまち占領され、人々は捕らえられてしまう。ジャガーも力及ばず、父親が殺され、侵入者に捕らえられてしまう。
ファンタジーの創作について一般に抱かれがちな誤解がある。「ファンタジーは子供向けだから、通俗的なものを羅列させればよい」という考え方だ。実際はファンタジーほど考証と学術が必要なものはない。
映画『アポカリプト』は知られざるマヤ文明を描いた作品だ。
16世紀中頃。ユカタン半島にスペイン人が侵略し、間もなく崩壊の時を迎えようとするマヤ文明。文明の中心地は狂気に捉われて、自滅に向かい進んでいる。
だが、映画にはマヤ文明の崩壊そのものは描かれていない。
物語の中心となるのはマヤ文明に襲撃された周辺の村と、脱出する男の壮絶な追跡劇だ。ジャングルを中心に、逃亡者とマヤの戦士による力と力、肉体と肉体のぶつかり合い。
安直な特撮やデジタルの力には頼らない、直球的な腕力勝負で挑みかける映画だ。
マヤ文明の中心地は間違いなく最も予算が掛けられている。映画の予算は常に限られているし、どこに力を注ぐかで監督の判断力が問われる。映画監督には会計士の才能も必要なのだ。
『アポカリプト』は『パッション』に続いて、死語になった言語だけで撮影された映画だ。聞きなれない言葉が、異国的な空気を増幅させている。
世界観の造形はマヤ文明を下敷きにしているが、さらに空想の力で膨らませている。実際の時代考証とは違うが、それはあくまでもフィクション、あるいはファンタジー映画だと思って接すればいいだろう。
衣装や入れ墨、住居といったディティールが詳らかに描写され、民族の暮らしをリアリズムを持って描き出している。マヤ文明の住人は、原初的な狩猟採取の生活を送っているが、いかにも劣った原始人として描かれていない。聡明で文化的で、なによりそれぞれが美意識を持って自身を飾り立てている。
有名俳優が1人も登場しない映画だが、俳優達の容姿、肉体は美しく、簡素な装飾で飾り立てられた姿が肉体の美しさを際立たせている。
肉弾アクションの連発。アクション俳優だったメル・ギブソンらしい演出だ。対決の構図の作り方など作法を心得ている感じだ。左カットでは本物のジャガーに追いかけられている。容赦のない演出だ。
アクションが中心の映画だが、『アポカリプト』は余計な小細工が使われていない。デジタル技術や飛躍したアイテム、怪獣キャラクターも登場しない。
とことん肉体でぶつかり合い、全力で疾走する映画だ。
“血沸き肉踊る”という言葉どおりの展開が矢継ぎ早に迫ってくる。
映画『アポカリプト』はファンタジーのお手本としてよく練られているし、エンターティメント映画として骨のある映画だ。
映画記事一覧
作品データ
監督・脚本:メル・ギブソン
音楽:ジェームズ・ホーナー 脚本:ファラド・サフィニア
出演:ルディ・ヤングブラッド ダリア・エルナンデス
〇 ジョナサン・ブリューワー ラオール・トゥルヒロ
〇 モリス・バード ヘラルド・タラセナ
〇 ルドルフォ・パラシオス フェルナンド・エルナンデス
PR