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■2015/11/13 (Fri)
創作小説■
※ 物語中に登場する美術家、美術作品、美術用語はすべて空想のものです。
前回を読む
「ごめんな、ツグミ。何かお土産買ってくるから」
コルリはそのまま電車に残り、すまなさそうな笑顔で手を振った。
ツグミは寂しい気持ちで、プラットホームを後にした。
兵庫駅北口から外に出ると、1度立ち止まり、街の様子を見回した。風が爪を立てるように冷たくなっていて、アスファルトに点々と水滴を散らしていた。
雨が降り始めたのだろうか。ツグミは紙袋を胸に抱えて、駅前の屋根からちょっと身を乗り出し、空を見上げた。顔に、ぽたぽたと水滴が落ちてきた。
どうしよう。ツグミは頭の中であれこれシミュレーションを始めた。手前の横断歩道を頑張って走りぬけ、向い側のアーケードに飛び込んで……。いや、今は大切な絵画を抱えている。タクシー……いやいや、そんなお金はない。待っていればすぐに止むかも……。
ぐずぐずしている間に、気のせいなのか風の勢いが強くなっていくように思えた。
「あらぁ、ツグミちゃんじゃない?」
おっとりと間延びする声が、ツグミに掛けられた。
振り返ると、長い髪にウェーブを掛けた女性が、ツグミを覗き込むようにしていた。
「かな恵さん」
ツグミは顔を明るくして、女性の名前を呼んだ。
掛橋かな恵。
神戸近代美術館に勤める絵画修復師で、ヒナとは同じ職場の友人だった。ツグミとかな恵との関係は、ヒナを通して紹介され、以来ときどき会って、美術について語り合う友人だった。
ツグミはかな恵と一緒に、駅前の喫茶店に入った。テーブルの数も少ない狭い喫茶店で、黒に近い色のフローリングと柱に、白壁が際立って映えていた。白壁にはぽつぽつと絵画が飾られ、当たり障りのないボサノバがゆったりと喫茶店を満たしていた。客の数も少なく、落ち着いた雰囲気だった。
何となく趣味のいい喫茶店で、語り合うにはぴったりの場所だった。ただ、飾っている絵画がシルクスクリーンなのは残念だったけど。
ツグミは円テーブルにかな恵と向き合って座った。持っていた荷物は、空いている席に置いた。
「かな恵さん、スケッチに行ってたんですか?」
かな恵の持ち物は、小さな革のバッグに、スケッチブックだけだった。
かな恵の格好は、茶色の地味なダッフルコートに、くるぶしまで隠れる白のスカートだった。ヒナのように表舞台に立つ仕事じゃないせいか、かな恵はあまり見た目に気を遣うタイプじゃなかった。顔のメイクはいつも薄くあっさりしていたし、ゆるやかに波打った髪は、パーマを当てているのではなく、単なる癖っ毛だった。
顔が丸く下膨れの感じで、目がぱっちりと大きく、瞳はいつもキラキラと輝いている印象だった。オシャレとかメイクとかに無縁の地味な女性だったけど、どこか可愛いと思える女性だった。
「うん。実は絵のコンクールがあるんやぁ。私も応募しようと思って、いろいろ回って描いてきたんやぁ。修復だけじゃなくて、やっぱり絵描きもやりたいから。ツグミちゃん見てくれるぅ?」
かな恵はツグミにスケッチブックを差し出した。
ツグミはスケッチブック受け取り、開く。かな恵が今日スケッチしたページを指示した。
明石海峡大橋の絵だった。線の数は少なく、やわらかく紙をなでるようなタッチだったけど、橋の形が的確に捉えられていた。さらりと描かれた濃淡が、浮かび上がってくるような実在感を表現していた。
スケッチブックに大きく橋が描かれたり、パーツごとに分けて細かいディティールが記録するように描かれたり、何ページもスケッチが続いていた。絵画を作るためのコンテもいくつか描かれていた。まだ模索の最中らしく、いくつも構図が描かれていた。
手数の少なさが、絵描きの確かなデッサン力を示していた。枚数が多く、手の速度も想像できた。無機物を描いているのに関わらず、どの絵もぬくもりを持った柔らかさがあった。ツグミはスケッチを見ているうちに、自然と心地よい気持ちになって微笑を浮かべていた。
「すごくいいです。私、かな恵さんの絵、好きです。コンクール頑張って下さい」
ツグミは楽しげな気分のままスケッチブックを閉じて、かな恵に返した。
「ありがとう。ツグミちゃんに誉められるのが、一番嬉しいわぁ。ツグミちゃん、批評家よりもいい目持っとおからなぁ」
かな恵も微笑を浮かべて、スケッチブックを受け取った。おっとりとした優しい微笑みだった。
次回を読む
目次
※ 物語中に登場する美術家、美術作品、美術用語はすべて空想のものです。
第4章 美術市場の闇
前回を読む
12
電車が兵庫駅に到着すると、『雨合羽の少女』はツグミに引き渡され、1人きりでプラットホームに下りた。「ごめんな、ツグミ。何かお土産買ってくるから」
コルリはそのまま電車に残り、すまなさそうな笑顔で手を振った。
ツグミは寂しい気持ちで、プラットホームを後にした。
兵庫駅北口から外に出ると、1度立ち止まり、街の様子を見回した。風が爪を立てるように冷たくなっていて、アスファルトに点々と水滴を散らしていた。
雨が降り始めたのだろうか。ツグミは紙袋を胸に抱えて、駅前の屋根からちょっと身を乗り出し、空を見上げた。顔に、ぽたぽたと水滴が落ちてきた。
どうしよう。ツグミは頭の中であれこれシミュレーションを始めた。手前の横断歩道を頑張って走りぬけ、向い側のアーケードに飛び込んで……。いや、今は大切な絵画を抱えている。タクシー……いやいや、そんなお金はない。待っていればすぐに止むかも……。
ぐずぐずしている間に、気のせいなのか風の勢いが強くなっていくように思えた。
「あらぁ、ツグミちゃんじゃない?」
おっとりと間延びする声が、ツグミに掛けられた。
振り返ると、長い髪にウェーブを掛けた女性が、ツグミを覗き込むようにしていた。
「かな恵さん」
ツグミは顔を明るくして、女性の名前を呼んだ。
掛橋かな恵。
神戸近代美術館に勤める絵画修復師で、ヒナとは同じ職場の友人だった。ツグミとかな恵との関係は、ヒナを通して紹介され、以来ときどき会って、美術について語り合う友人だった。
ツグミはかな恵と一緒に、駅前の喫茶店に入った。テーブルの数も少ない狭い喫茶店で、黒に近い色のフローリングと柱に、白壁が際立って映えていた。白壁にはぽつぽつと絵画が飾られ、当たり障りのないボサノバがゆったりと喫茶店を満たしていた。客の数も少なく、落ち着いた雰囲気だった。
何となく趣味のいい喫茶店で、語り合うにはぴったりの場所だった。ただ、飾っている絵画がシルクスクリーンなのは残念だったけど。
ツグミは円テーブルにかな恵と向き合って座った。持っていた荷物は、空いている席に置いた。
「かな恵さん、スケッチに行ってたんですか?」
かな恵の持ち物は、小さな革のバッグに、スケッチブックだけだった。
かな恵の格好は、茶色の地味なダッフルコートに、くるぶしまで隠れる白のスカートだった。ヒナのように表舞台に立つ仕事じゃないせいか、かな恵はあまり見た目に気を遣うタイプじゃなかった。顔のメイクはいつも薄くあっさりしていたし、ゆるやかに波打った髪は、パーマを当てているのではなく、単なる癖っ毛だった。
顔が丸く下膨れの感じで、目がぱっちりと大きく、瞳はいつもキラキラと輝いている印象だった。オシャレとかメイクとかに無縁の地味な女性だったけど、どこか可愛いと思える女性だった。
「うん。実は絵のコンクールがあるんやぁ。私も応募しようと思って、いろいろ回って描いてきたんやぁ。修復だけじゃなくて、やっぱり絵描きもやりたいから。ツグミちゃん見てくれるぅ?」
かな恵はツグミにスケッチブックを差し出した。
ツグミはスケッチブック受け取り、開く。かな恵が今日スケッチしたページを指示した。
明石海峡大橋の絵だった。線の数は少なく、やわらかく紙をなでるようなタッチだったけど、橋の形が的確に捉えられていた。さらりと描かれた濃淡が、浮かび上がってくるような実在感を表現していた。
スケッチブックに大きく橋が描かれたり、パーツごとに分けて細かいディティールが記録するように描かれたり、何ページもスケッチが続いていた。絵画を作るためのコンテもいくつか描かれていた。まだ模索の最中らしく、いくつも構図が描かれていた。
手数の少なさが、絵描きの確かなデッサン力を示していた。枚数が多く、手の速度も想像できた。無機物を描いているのに関わらず、どの絵もぬくもりを持った柔らかさがあった。ツグミはスケッチを見ているうちに、自然と心地よい気持ちになって微笑を浮かべていた。
「すごくいいです。私、かな恵さんの絵、好きです。コンクール頑張って下さい」
ツグミは楽しげな気分のままスケッチブックを閉じて、かな恵に返した。
「ありがとう。ツグミちゃんに誉められるのが、一番嬉しいわぁ。ツグミちゃん、批評家よりもいい目持っとおからなぁ」
かな恵も微笑を浮かべて、スケッチブックを受け取った。おっとりとした優しい微笑みだった。
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※ 物語中に登場する美術家、美術作品、美術用語はすべて空想のものです。
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