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■2011/01/21 (Fri)
シリーズアニメ■
第1話 出会い
石垣で縁取りした通りの脇に、ベンチが一つ置いていた。クレインはベンチの前までやってくると、自転車を停めてスタンドを上げた。それからベンチに座り、IPodにさっき手に入れた戦利品のSDメモリーを差し込んでみる。
すぐにIPodがSDメモリーを認識した。古いものだけど、ちゃんと動きそうだ。クレインは背もたれに肘を乗せ、期待をこめて画面が何か表示するのを待った。
間もなくディスプレイにスタートウインドウが浮かび上がった。クレインはカーソルを動かし、OKサインをクリックした。すると、目の前に3D画像が飛び出してきた。
「お、出た出た」
にわかに興奮してきた。クレインは背もたれにゆったりと体を預け視線を上げると、立体ウインドウを指先で目の高さまで持ってきた。
「……フラクタルは22世紀の科学を持ってネットワーク化された数兆の計算機の総体です」
IPodから淡白な女のナレーションが聞こえてきた。
クレインは、がっかりした溜め息を漏らした。
「何だ、教科書か。音楽データだったらよかったのに」
クレインはもう興味をなくして、空中に浮かんだ映像から視線を外した。それでも古いデータは、記録された通りの映像と音声を続ける。
「フラクタル・ターミナルを体内に埋め込み、高高度浮遊サーバにライフログを定期的に送信することによって、全ての人々が平等に基礎所得を受け取ることができます。働かなくても生活が保障される、争いとは無縁の世界。フラクタルこそが人類が生み出した、22世紀の神なのです……」
クレインはぼんやりと周囲の風景に視線を投げかけた。淡い緑の草原は少し進んだところで途切れて、絶壁となって落ちている。その向うはなだらかな海の青が広がっていた。水平線には平和そうな雲がぽつぽつと浮かんでいる。少し寒いと感じるくらいの風が、ふわふわとクレインの体をなでていた。
「フラクタル・システムが確立されたばっかの頃か。古典もいいところだな」
ぼんやりと、教科書に対する感想を告げる。
……この教科書の望む未来は確かにやってきた。おっしゃるとおり、ほぼ快適。誰かと触れ合わなくても、大抵うまくやっていける。ちょっと退屈ではあるけど、これ以上の何かがあるとは思えないし……。
クレインはゆったりと背伸びして体をほぐすと、さらにあくびを浮かべた。見える範囲に人はいない。というより、周囲に人の気配すら感じない。
たった一人。一人だけど、フラクタル・システムと常に繋がって、ドッペルを通していつでも交流できる。
幸福で望むべき未来。そう、きっとこれでいいんだ。
いつの間にか音声が途切れて映像も消えていた。考え事をしているうちに、終わってしまったらしい。クレインは代わりにいつもの音楽をかけた。
不意に、耳元で鐘の音がした。
「5時の祈りの時間です。あなたの現在位置から導き出される僧院の方角は、右方向約10度です。さあ、祈りをささげましょう」
フラクタル・システムの音声だ。
「はいはい」
クレインは誰となく返事をして、ベンチから立ち上がると、指示のあった方角を振り向いた。
多少めんどうといえば、これだ。フラクタル・システムが神だとしたら、ライフログを送る行為は祈りである。こうしてフラクタル・システムの方向をまっすぐに見て個人データを送信する。そうすることで、フラクタル・システムの恩恵を永続的に受けることが可能になるわけだ。
「……まばたきをせず、おだやかに……」
フラクタル・システムの声が、クレインに指示を与える。クレインは言われた通りに、目の前の水平線をじっと見つめていた。
すると、何かが視界の端に紛れ込んできた。
何だろう?
そう思っている間に、何かは視界の中央に入ってきて、しかもこちらに向かってきた。グライダーだ。誰かが乗っている。というか、すごい速度だ。
クレインははっと身を低くした。グライダーが頭上を疾走する。追い風がクレイン自身をさらおうとした。
クレインは振り返った。グライダーは少し向うを行ったところで、急速に方向を変えている。
「何だ?」
にわかに胸の奥がそわそわするのを感じた。少なくともここ何年かは体験していない動揺――困惑だった。
突然に、頭上を爆音がかすめた。慌てて頭を抑える。何か、大きなものが通り過ぎた。
通り過ぎたのを確認してから、クレインは目を開けて、何かに目を向けた。小型の飛行艇だった。操縦席に、何人かが乗っている。
飛行艇は少し進んだところで方向を変えて、さっきのグライダーを追跡した。
何だろう? 何が起きた?
何もわからないままに、クレインは茫然と目の前で起きる事件を見ていた。
グライダーに乗っているのは――女だ。青い僧院の装束を身にまとい、亜麻色の長い髪を風になびかせている。
突然に、爆音が轟いた。飛行船が銃撃を放ったのだ。銃弾の軌跡がグライダーを狙う。グライダーは左右に体を揺らし、銃弾をかわした。
それで、ようやくクレインははっとした。
「大変だ!」
クレインは自転車にまたがり、ペダルをこいだ。できる限りの速度で道を走った。グライダーと飛行船は絶壁沿いに疾走している。クレインは懸命にこいで、グライダーを追いかけた。
と、車輪に何かがぶつかった。自転車が跳ね上がった。身を守る間もなかった。全身が石垣の向うに放り出され、体を草むらにぶつけてしまった。拍子にIPodが耳から外れて、歌声が大音量で流れる。
「あいって!」
クレインは短く悲鳴を上げて、身を起こそうとした。
その時、目の前をグライダーが通り過ぎた。行ってしまう。そう思ったけど、グライダーの女がクレインに気付いたように旋回して戻ってきた。クレインは顔を上げて、女がどうするのか見守った。
女がゴーグルをはずした。こちらを見ている。クレインも女を見ていた。女の顔が緊張に固まっている。でも次の瞬間、信じられないくらいおだやかな微笑を浮かべた。
「――え?」
また何か胸に感じた。なんだろう。動揺のように感じたけど、それとは違うそわそわ浮き立つような何か――。
次に女は、ハンドルから手を離し、両手を大きく広げた。そしてそのまま、グライダーから落ちた。
でもクレインはあまり驚かなかった。そんなはずはないとわかっていたけど、でもその時、彼女は飛べるのかもしれないって思ったから――。
そこは遥かな未来。22世紀、フラクタル・システムと呼ばれるコンピューターが完成し、人々は働かなくてもよい未来を獲得した。フラクタル・システムとさえアクセスしていれば、最低限の住処と食事と医療が保障される。と同時に、フラクタル・システムは人との接し方、社会性すらも激変させてしまった。
『フラクタル』の映像の中に、生身の人間はごく少数しか登場しない。クレイン自身と少女フリュネ、それからフリュネを追跡する謎の3人組。あとはほとんどがドッペルと呼ばれるアバターで間接的に接するだけだ。家族すらドッペルを通じて断片的に時間を共有するだけで、夫婦間ですらお互いがどこにいるかも感知していない。おそらくは深く探らないことが、『フラクタル』の時代における礼儀のようなものなのだろう。
家族すらも、フラクタル・システムが提示する役割でしかない。ただ“役割”という虚ろな役割意義(あるいは義務)だけが、家族を結び付けているだけなのだ。
すべてがフラクタル・システムと呼ばれる巨大なシステムに隷属する一断片に過ぎない。人間も動物も風景も、何もかもがフラクタルが作り出す無限大の細密さと情報量を持つパターンの一つなのだ。
分析するまでもなく宮崎駿のビジュアルイメージが随所に現れている。「冒険物語=宮崎駿」くらいの図式が作り手、ユーザーの双方の意識にあるのかもしれない。確かに宮崎駿の影響は絶対的で、その影響力はもはや世界規模のものだ。誰も宮崎駿という原型的、原体験的イメージから踏み越えることができない。『フラクタル』はそんな宮崎駿からの影響と宮崎駿への尊敬を隠そうともごまかそうともせず堂々と見せ付けて描いている。
《フラクタル》はブロワ・マンデルブロが創作した数学的パターンである(Wikpedia:フラクタル/ブロワ・マンデルブロ)。一つの《フラクタル》の中には観測できる限り無限の《フラクタル》パターンの繰り返しが存在する。
それを映像として観察したとき、まるで万華鏡のように見える瞬間がある。不思議な図形を次々に作り出していくけど、それでもどんな瞬間であっても、絶対的な規則性に隷属している。
『フラクタル』は目に映る総て――おそらくは自然の現象すらも何もかもがフラクタル・システムに隷属し、総てが同様のパターンを描き、システムの構造の中に隷属しているのだ。
ストーリー原案の東浩紀は思想家として知られ、現在も早稲田大学で教鞭をとる大学教授である。アニメ『フラクタル』は東浩紀が構想したもので、おそらくは我々が考えるようなものを遥かに飛び越えた壮大なものが描かれ、それを読み解くにはより高度な意識が必要となるのだろう。いったいどのように物語が進行し、解説、解体されていくのか。実に楽しみなところである。
そんな未来世界では、人と人とが直接的に接する機会は決定的に減少している。すべてが――ペットすらもドッペルを通して、間接的に接触しようとする。まるでオンラインゲームのように、人と人とは直接的に顔を合わせず、それでいて顔を合わせないことを前提に独自の社会性と社会意識を構築している。
『フラクタル』が描く未来は、現時点の我々が考える理想の世界だろう。人間がもっとも憎み嫌悪する対象は人間である。たとえ家族であれ兄弟であれ夫婦であれ、所詮は他者であり、異文化、あるいは拒絶すべき異物である。個人こそが一つの国家であり、一つの文明であり、他者とは嫌悪すべき『文化への不満』の対象なのである。
他人の意識や思考は決して理解することはできない。他者とは基本的に不愉快な対象なのだ。だからこそ社会性という緩衝材が必要なのであり、人は人生の初めに相当な苦労をして社会性を身につける訓練を必要とし、不完全ながらエゴを妥協する術を身につける。
作画は精密さを極めていく近年のアニメと比較すると、どこかしら落ち着いているように見える。線の数は少なく、陰影はあっさりとやわらかく描かれる。それでもどっしりとした体型の重さが常に意識され、はっきりとした実在感を感じながら見ることとができる絵だ。
だが一方で人は他者という存在、あるいは他者という反応を求めている。かつては一つの生活空間を構築するためにどうしても他者が必要だったが、現代のような文明の発達した時代において、他者は別様の意味を持ち始める。
人は他者を求め、他者にすがり、あるいは性的充足のために利用し、あるいは協力し合う。
おそらく未来世界において、他者は現代とはもっと違う意味を持った、道具的存在を遥かに超えた、『絆』が強く意識され、それが他者との結びつきをかろうじて作り出すのだろう。
ヒロイン・フリュネのルックスは少し印象的だ。最近のアニメは少女をより幼く描き、身体も小さく描く傾向がある。フォルムを重視するためにウエストラインは特に細く削り取られ、極端なくらい華奢に描いている。一方フリュネの体型はどっしりしていて、おそらく身長は主人公のクレインよりも高い。山本寛監督の意向はまだ読みきれないが、少し興味深い描き方である。
アニメ『フラクタル』の前半において、生身の人間はとりあえず主人公クレインの他、ただ一人も登場しない(ガラクタ市に登場したモブは除く)。そんなクレインの前に、謎の少女フリュネが突然あらわれる。
フリュネはおそらくフラクタル・システムに隷属しない異物――フラクタルに対するカオスなのだろう(Wikpedia:カオス理論)。
冒険物語における少女(異性)=ファム・ファタールとは異界からの使者であり、少年を現在から別世界へと誘う役割を担っている。ファム・ファタールはそれまでの少年の日常を徹底的に崩壊させ、別の次元へと意識を止揚させる。それは少年から大人へという性と肉体の成長であり、意識の変化である。
だからフリュネはクレインの思わぬ行動をとる。グライダーから危険な飛び降りを披露したり、いきなり服を脱いだり、飛びついてきたり。その挙句、突然クレインの前から姿を消してしまう。
何もかもがフラクタルに隷属し、総てがフラクタルの一断片として共有されている世界において、フリュネは小さなカオスであり、そのカオスに感化されたクレインは、やがてフラクタルという巨大なシステムを侵食し、ついには世界をカオスに飲み込んでいくのだろう(フリュネはフラクタル・システムの許容を超えた小さな他者であるのだ)。それはフラクタル・システムという揺り篭の世界に対する、思春期らしい自我と反抗の目覚めである。
『フラクタル』の制作発表と同時に公開された山本寛監督の引退声明は、業界内にささやかな動揺を与えた。これまでに大きな外れはなく、順調にキャリアを築いてきた作家に、どんな心象の変化や戸惑いがあったのか。もしかしたら、そのヒントは作品のどこかに描かれるかもしれない。なぜなら作品は作家の呟きであるからだ(言い方を変えれば「監督ってのはいかに観客に気付かれないようにパンツ脱ぐかだよな」である。by押井守)。
『フラクタル』は『涼宮ハルヒの憂鬱』『かんなぎ』といった大ヒット作を生み出した山本寛監督の最新作であり、引退を賭けた作品である。山本寛監督は以前から「高度に描きこまれた作画アニメ」への違和感と疑問を示しており、それを証明するように作画の力ではなく、むしろ物語そのものの語り口や展開を大切に描いている。物語は合理的に整理され、段取りよく解説され、そのなかに活劇とささやかな笑いをテンポよく差し挟んでいる。見ていて心地よい感触が全体に張り巡らされている。
もっとも、《物語の構築》は日本のアニメの問題点の一つであり、致命的な弱点でもある。日本のアニメのほとんどは物語の構想が不充分なまま制作を進行させ、結末は出たとこ勝負で監督やプロデューサークラスの制作首脳陣ですら意識の共有すらされていないのが現状である。そのアニメが終わりに向かってどうなっていくのか、誰もわからない。ある意味、博打やおみくじを引くような状況で、制作が進行してしまっているのである。
なぜそうなるのか。物理的には時間があまりにも切り詰められている状況下での制作であることが問題なのだが、他にも物語を構想するためのノウハウが絵画の構成するノウハウほど十分に蓄積がないこと、それから構想を組み立てるための専用の部門が設立されていないことが挙げられる。
果たして『フラクタル』はどのように物語を構想し、どんな結末を目指して進行していくのか。もしかしたら克目すべき傑作になるかもしれないし、大きな変化もない拍子抜けの駄作になるかもしれない。何もかもはこれからである。
作品データ
監督:山本寛 原作:マンデルブロ・エンジン
シリーズ構成:岡田磨里 ストーリー原案:東浩紀
キャラクター原案:左 キャラクターデザイン・作画監督:田代雅子
セットデザイン:青木智由紀 イノセユキエ プロップデザイン:田中祐介
メカニックデザイン:林勇雄 美術監督・イメージデザイン:袈裟丸絵美
色彩設計:中島和子 撮影監督:石黒晴嗣
音響監督:鶴岡陽太 音楽プロデューサー:佐野弘明 音楽:鹿野草平
音楽制作:フジパシフィック音楽出版 ソニー・ミュージックエンタテインメント エピックレコードジャパン
アニメーションプロデューサー:清水暁 プロダクション協力:Ordet
アニメーション制作:A-1ictues
出演:小林ゆう 津田美波 花澤香菜 井口裕香 宮下栄治
○ 近藤浩徳 木村雅文 吉田安愉子 松丸幸太郎 倉富亮
○ 松嵜麗 丸山ゆう
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