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■2015/08/19 (Wed)
創作小説■
第2章 贋作疑惑
前回を読む
7
突然に、契約書が手から離れた。ツグミははっと振り返った。いつの間にそこにいたのか、コルリが背後に立っていた。コルリに契約書を奪われたのだ。「駄目! 駄目! 駄目! 返して!」
ツグミはわたわたと手を伸ばした。でもコルリは、ツグミの手を鮮やかにかわしつつ、器用に契約書の文字を見詰めた。
それから、
「ツグミ! ちょっと待った!」
コルリは急に声を上げて、ツグミに掌を突き出した。
「……何?」
ツグミはびっくりして動きを止め、目の前に突き出された掌を見詰めた。
「これはあかんわ。絶対に繋がらへんで」
コルリは手を引っ込め、今度は契約書をツグミの前に突き付けた。
「どういうこと?」
ツグミはぽかんと訊ね返してしまった。頭の中が混乱状態で、コルリが言わんとする意図が理解できなかった。
「川村さんって、垂水区の人やろ?」
コルリが確認するように訊ねる。ツグミは戸惑いに捉われながら頷いた。
「うん、そうやけど……」
「じゃあ、市外局番は078になるはずやで。垂水区の市内局番は、確か20から99だったはずだから……。この番号じゃあ、どこにも繋がらへんわ」
コルリはちょっと契約書を自分の手許に戻し、確かめるようにすると、再びツグミの前に差し出した。
「そうなん!」
ツグミはびっくりして、契約書を手に取り、そこに書かれている数字に目を凝らした。
「ウチも078やん」
コルリはさも当り前みたいな口ぶりだった。
ツグミはどーっと肩から力が抜けてしまった。気持ちの中では、膝を着いて倒れているところだった。
川村さん、どうして嘘の電話番号を書いたんやろう……。
「じゃあ、この住所は?」
ツグミはコルリに契約書を向け、住所を指差した。ショックで自分でもわかるくらい声が弱くなっていた。
「どうやろ。ありそうな気はするけど……。行ってみんことにはな……」
コルリは住所を覗き込みながら、確信が持てない様子で顎に指を当てた。
ツグミは重く溜め息を吐きながら、契約書に目を落とした。急に川村が遠い存在に感じてしまった。ずっと身近にいて、生々しく感じていた川村が、手の届かないどこかに消えてしまった気がした。
コルリは、何か考えるふうに「う~ん」と唸っていた。
「なあツグミ。川村さんのところ、行ってみようか」
ぽつりと、何気ない一言を口にするようだった。
ツグミはえっと顔を上げた。
「いい。いい。だって、そんな迷惑やん」
ツグミは精一杯、手と頭を左右に振った。
コルリは、突然ツグミの肩をがっちり掴んだ。じっと目を覗き込んでくる。
いつになく真剣な顔だった。ツグミはちょっと怖く思って、肩を小さくすぼめた。
「ツグミ、いいか? 私はツグミの味方やで。ツグミのこと、からかったり、誰かに言ったりとかもせえへんから、本当のこと言うんやで。……川村さんのこと、好きなんやろ」
コルリは慎重に切り出し、「川村さんのこと」を聞くとき、一拍だけ間を置いた。
「……え、それは……」
ツグミは困惑して目を下に落としてしまった。
体の奥が、かぁと熱くなるのを感じた。胸の中で、何かが弾ける感じだった。
そんなふうに考えなかったわけではない。しかし面と向って言葉にされると、思考も体も壊れたようになって、ただただ苦しくて泣き出したいような気持ちになってしまった。
「……わからへん。なんか、苦しい……」
泣いてしまった。言葉が掠れて、涙が溢れた。
「ごめん、ごめん。私、無理強いしたな。本当、ごめん」
コルリはツグミを抱き寄せ、宥めるように頭と背中を撫でた。ツグミはひっひっとしゃくりあげて、コルリの肩を涙と鼻水で濡らした。
コルリが優しくしてくれたおかげで、間もなく気持ちが落ち着いてきた。ツグミはコルリから離れ、濡れた頬と鼻の下を手で拭った。鼻につんとする痛みだけが残った。
「よし。じゃあ、とりあえず川村さんの家に行ってみようか。契約書の不備。会う動機はできたやろ?」
コルリはツグミから契約書を手に取り、提案した。ツグミは「うん」と掠れかけた声で頷いた。
さっそくコルリは、画廊の入口に向って歩き始めた。しかしツグミは、あっと思い出すことがあってコルリの手を掴んで引き止めた。
「あの、ルリお姉ちゃん。いつから画廊におったん?」
ツグミは訊ねながら、恥ずかしくなって目を逸らした。ひょっとして、見られちゃったのだろうか。あれを、全部。
「えーっと、ツグミが3回目に受話器を取った時……かな」
コルリはちょっと宙を見上げて、考えるふうにした。
ツグミはほっと胸に手を当てた。
「よかった……。うん?」
「よーし、行こう!」
するとコルリが、ツグミの背中に手を回し強引に進ませた。ツグミは考えを中断して、コルリに従って歩きはじめた。
次回を読む
目次
※ 物語中に登場する美術家、美術作品、美術用語はすべて空想のものです。
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