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■2015/08/01 (Sat)
創作小説■
第1章 隻脚の美術鑑定士
前回を読む
9
6時になって、夕食の準備が始まった。コルリが台所に立ち、フライパンで刻んだ玉葱を炒める。テーブルには挽肉が用意されていた。今夜はハンバーグだ。ツグミはテーブルに着いて、契約書をファイルに収め、家計簿をつけていた。
今日の収入11万円。それに、コルリが夕食のために買ってきた食材を書き込む。厳しいのは相変わらずだけど、11万円の臨時収入のお蔭で、今月はある程度の余裕が出そうだった。
ツグミが台所に立つ機会は滅多にない。片足ではできる仕事も限られているから、料理はいつもコルリに任せ切りだった。そのせいでツグミは料理が不得手で、1人きりの時はパンとかお茶漬けとかで済ませてしまう。家庭でのツグミの仕事は、専らお金の管理だった。
台所は画廊の奥、廊下を挟んだ向こう側にある。調理場から湿気が少しでも画廊に漏れてはいけないから、画廊と台所にはそれぞれ引き戸が設置され、料理中から食事が終わるまで、換気扇と除湿機を稼動し続ける。
そもそも敷地面積が狭い上に、画廊にスペースを割いているから、台所はすこぶる狭い。4人掛けテーブルを置いただけで一杯一杯の空間で、椅子を引かないと、その後ろを通行する余地すらない。
それに、食器や鍋ばかりでもなく、事務所も兼ねているので廊下側の壁には契約書類他を満載にした棚があった。全ての壁が棚に覆われて、ひどく閉塞感のある部屋だった。
ツグミは家計簿を書き終え、ファイルを開き川村の書いた契約書を見た。1つ前の契約書の日付を見ると、2年以上前だった。まだ中学生で、ミスばっかりしてたな……とぼんやりと思い出した。
絵を置いて欲しい、という人はごく稀だが、たまにやってくる。しかし、無名の絵描きの作品が売れる可能性は絶望的に低い。そもそも、週に数人のお客さんがやっとという妻鳥画廊で、絵が売れること自体が奇跡みたいな話だった。
光太の絵を目当てにやってくるお客さんに、“ついで”みたいにお勧めしたら時々、買ってくれる人がいるみたいな具合だった。
そういえば、とツグミは思った。この頃は特に絵を見るわけでもないのに、ふらっとやってきて話だけをして帰る男性のお客さんがぽつぽつと増えたような気がする。あれはいったい何なんだろう? どうせ暇な画廊だし、お客さんを無下にするわけには行かないからお茶を出して応対するのだけど、あの人たちの目的は何なのだろう。もっとも、川村もそんな男性客の1人だったのだけど。
ツグミは頬杖をして、ぽかんと宙を見上げた。連想が川村に及ぶと、それまでの思考は消えて頭の中が川村に占領されてしまった。川村の顔や声が、何度も頭の中でリピートされる。
「川村さんのこと、思い出しとん?」
唐突にコルリが声を掛けてきた。
振り向くと、コルリがボウルに手を突っ込み、挽肉と玉葱を混ぜて捏ねているところだった。
「違うよ! ルリお姉ちゃん、からかわんといて」
ツグミは図星を突かれた動揺をごまかすように、声を高くした。
コルリがちょっと顔を上げて、軽く微笑み、また視線をボウルに戻した。
「そんな恥ずかしがらんでええんやで。ツグミだって男の子のことが気になる年頃やろ。それに、川村さんやったら、私はOKやで。男前やし、静かで誠実そうやし、腕もいいし……」
コルリからからかい調子が消えて、穏やかに諭すような感じになった。
「ルリお姉ちゃんが何度もからかうからやん」
ツグミは頬杖をつきながら、拗ねた子供のように頬を膨らませた。
「ごめんな、ツグミ。で、あの絵、どうするん? 知り合いの画商さんに預ける? ここに置いとっても埋れるだけやで。あれだけの絵、ここで腐らせたらあかんやろ」
コルリは捏ねた挽肉の形を整え、種を作った。コルリの話は真面目なものに移ろうとしていた。
次回を読む
目次
※ 物語中に登場する美術家、美術作品、美術用語はすべて空想のものです。
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