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■2015/07/30 (Thu)
創作小説■
第1章 隻脚の美術鑑定士
前回を読む
8
突然、画廊が白く瞬いた。驚いて振り向く。するとカメラを手にした女が、暖簾を掻き上げて立っていた。
「ルリお姉ちゃん、何すんの!」
ツグミは思わず感情的になって叫んでしまった。
「うん? 記念写真」
「ルリお姉ちゃん」と呼ばれた女は、悪びれたふうもなくディスプレイに映った画像をチェックしていた。
彼女の名前は妻鳥コルリ。ツグミより3つ上のお姉さんで、現在は大阪の写真専門学校に在籍している。愛用機はキャノンのEOSだ。
「やめて! もう、恥ずかしいやんか」
ツグミはコルリに迫り、カメラを奪い取ろうと手を伸ばした。といっても、カメラを奪ってもどうこうするつもりはなかった。恥ずかしさと動転で、自分で何をしようとしているかわからなかった。
コルリはツグミをひらっとかわすと、ささっと川村の前に進み出て笑顔で頭を下げた。
「川村さんですね。妹から話は聞いています。この度は家に絵を預けてくださってありがとうございます」
さっきまでの調子から一転、コルリは丁寧な挨拶でお辞儀した。ツグミはコルリに手を伸ばしたきり、どうしていいかわからず、何となくコルリと一緒に頭を下げてしまった。
コルリは見た目を気にしない性格で、髪は手入れせず伸ばしたままで、顔にかかりそうなのをさっと左右に分けているだけだった。丸いフレームの眼鏡をかけている。着る物にも頓着しない性格で、シャツは一番安いもの、ズボンはいつも同じものを穿くから、すっかり汚れてしまっていた。
それでも、コルリに不潔な感じはまったくなかった。一見するとみすぼらしい格好だけど、不思議なくらい色彩感覚に優れ、むしろ感性の強さが際立ってくるように思えた。無頓着に放り出した格好だけど、目はパッチリとしていて瞳は大きく、小さな顔の中にきちんと整っていた。どこかで正装する機会があったら、誰もが振り向かずにはいられない美少女に変わるだろう。
「妻鳥さんとは縁があるからね」
川村はコルリに軽く会釈して微笑みかけると、壁に掛けられた絵に目を向けた。
ツグミは「光太さんと知り合いなんやって」とコルリに耳打ちした。コルリが意外そうな顔で「へえ」と漏らした。
「それじゃ、僕はそろそろ帰るよ。用事は済んだしね。君たちもそろそろ夕食の時間だろ」
川村はツグミに言うと、画廊の入口のほうへ向った。
「え……。そうですか。それじゃ、その、今日はありがとうございました。あ、それから待たせてしまってすみませんでした。また機会があったら……」
ツグミは急に気持が萎れるのを感じて、言葉も釣られるように落ち込ませてしまった。
川村は、暖簾を掻き上げたところで一度足を止めて振り返り、ツグミを慰めるように微笑みかけた。
「うん、また会えるといいね」
川村が画廊の外に出て行った。ツグミは川村を追いかけて、画廊の外に出た。
街にもう夕日の光はなく、しかしまだ夜ではなくぼんやりとした青い暗闇が街を覆っていた。街灯がぽつぽつと暗くなりかける通りに浮かんでいる。街はこれ以上ないくらいひっそりと声を沈め、風に耳を澄ませると遠くで川のせせらぐのが聞こえた。
ツグミは川村が通りを歩いて行くのをずっと見詰めた。川村は野道を歩く人のようにしっかりとした足取りだった。
その後ろ姿が少しずつ小さくなっていくのを見守るうちに、ツグミは胸が苦しくなってしまった。せつなくて、川村の側に駆け寄り、その背中に抱きつきたい衝動に捉われてしまった。声をかけようかと何度も迷った。
そうやってもやもやしているうちに、川村はずっと向うの角を曲がってしまった。
それから、コルリが肘でツグミを突いた。
「いい男やん」
「もうルリお姉ちゃん!」
からかうコルリに、ツグミは自分でも意外なくらい強く声を返した。
次回を読む
目次
※ 物語中に登場する美術家、美術作品、美術用語はすべて空想のものです。
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