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■2009/09/07 (Mon)
映画:外国映画■
西暦1080年。
スペインの領土は、キリスト教徒と、ムーア人との争いで、分断されていた。
ビバールの貴族であるロドリゴは、ムーア人との戦いに勝利し、その王を捕虜とする。
仲間たちは「処刑すべきだ」と主張するが、ロドリゴは「捕虜を殺せば、争いの火種になるだけだ」と判断。
捕虜の命を助け、解放する。
すると捕虜であったムーア人の王は、ロドリゴに“エル・シド”の称号を授け、忠誠を誓う。
しかし、捕虜の解放はスペイン王の反逆であった。
ゴルマス伯爵は謁見場において、ロドリゴを反逆罪として告発する。
さらにゴルマス伯爵は、弁護に訪れたロドリゴの父を殴打し、侮辱する。
その日の夜、ロドリゴはゴルマス伯爵の前に現れる。
ロドリゴは、剣を手に、父を侮辱した謝罪を求める。
ゴルマス伯爵は、強情に謝罪を拒否。
ロドリゴはゴルマス伯爵と剣での戦いになってしまい、殺してしまう。
ゴルマス伯爵の娘シメンは、ロドリゴと結婚を誓い合っていた。
それもゴルマス伯爵殺害によって、引き裂かれてしまう。
王の死とともに、貪欲な二人の王子が領地を巡って口論。ナイフを手にとって、殺し合いをはじめてしまう。
その後間もなく、フェルディナン王が死亡する。
すると二人の王子が、互いの領有権を巡って争いを始める。
どちらも譲れずに決別。国は、二人の王子のために分裂してしまった。
そんな最中、イスラム教徒のユサフはこれを機会に、とスペイン進行を計画していた。
映画『エル・シド』は露骨にキリスト教側の視点で描かれている。イスラム教徒は、黒ずくめの悪の集団という描き方だ。今、再び『エル・シド』を制作したら、そのようには決して描かれないだろう。
“エル・シド”は実在の人物だが、その実像はやや神話めいている。
死しても馬にまたがり、敵の軍勢を蹴散らしたとか、愛用した剣は、妖精が鍛えたエクスカリバーと同じ由来を持つ剣であるとか、そうした伝説がいくつも語り継がれている。
セットや衣装、小道具はどれも堂に入った作りだ。歴史的な風格や趣を感じさせる。デジタルを使用しない時代の大作映画の作り方だ。実際の古城なども登場するので、セットとの見極めが難しい。
映画は、1961年に製作され、上映時間は3時間を越える大作である。
チャールトン・ヘストンやソフィア・ローレンといった名優が共演する。
実物大の城のセットを製作し、煌びやかな衣装に、豪華な装飾品や、調度品の数々。夥しい数の群集。
デジタル技術のない時代、目に映るすべてを人間の力だけで制作した。紛れもなく、映画史上最大規模の作品だ。
現代の視点で見ると、残念ながら荒が目立つ映画である。特に後半の戦いのシーンは、技術の水準が映画の求めているレベルに達していない。デジタル云々ではなく、カットスピードの進歩、スティディカムやハンディカムの発明、映画文法の発達。映画の規模、風格は申し分ないが、技術面で早すぎた映画といわねばならない。
ただし、難点は、敵として登場とするイスラム教徒の描き方だ。
残虐な性格で、イスラムの軍勢は黒ずくめで、いかにも悪者の軍団という感じだ。しかも、イスラム教徒なのに英語を話している。
映画史に残る傑作だが、この当時の特色が難点だ。
伝説に彩られたエル・シド。題材としては今でも充分に通用する英雄譚だ。だが作品の規模や予算以上に、映画自体が『エル・シド』という題材に追いつけていない感じだった。現代の技術、感性、視野の広くなった知性ではどのように描かれるだろう。作品が大きすぎてリメイクの話は聞かないが、少し想像を巡らしたい作品だ。
映画の中のエル・シドは、伝説上の人物ではなく人間として描かれる。
ただし、とてつもなく高潔な英雄だ。
例え王であろうとも、誠実でなければ従おうともしない。
真に国のために、決して腐敗と結びつかず、たった一人でも戦いを挑もうとする。
そんな人物の姿に、民衆は、王よりエル・シドの元に集結する。
エル・シドは、後に伝説として語り継がれる人物だ。
しかしその生き様は、生きている頃から、素晴らしい輝きを放っている。
この映画も同じように、永久に輝きを放ち続けるだろう。
ウィキペディアの『エル・シド』の記述
ウィキペディアの『レコンキスタ』の記述(この物語はレコンキスタの時代を背景に描かれている)
映画記事一覧
作品データ
監督:アンソニー・マン 音楽:ミクロス・ローザ
脚本:フレドリック・M・フランク フィリップ・ヨーダン
出演:チャールトン・ヘストン ソフィア・ローレン
〇〇〇ジュヌヴィエーヴ・パージュ ジョン・フレイザー
〇〇〇ゲイリー・レイモンド ハード・ハットフィールド
スペインの領土は、キリスト教徒と、ムーア人との争いで、分断されていた。
ビバールの貴族であるロドリゴは、ムーア人との戦いに勝利し、その王を捕虜とする。
仲間たちは「処刑すべきだ」と主張するが、ロドリゴは「捕虜を殺せば、争いの火種になるだけだ」と判断。
捕虜の命を助け、解放する。
すると捕虜であったムーア人の王は、ロドリゴに“エル・シド”の称号を授け、忠誠を誓う。
しかし、捕虜の解放はスペイン王の反逆であった。
ゴルマス伯爵は謁見場において、ロドリゴを反逆罪として告発する。
さらにゴルマス伯爵は、弁護に訪れたロドリゴの父を殴打し、侮辱する。
その日の夜、ロドリゴはゴルマス伯爵の前に現れる。
ロドリゴは、剣を手に、父を侮辱した謝罪を求める。
ゴルマス伯爵は、強情に謝罪を拒否。
ロドリゴはゴルマス伯爵と剣での戦いになってしまい、殺してしまう。
ゴルマス伯爵の娘シメンは、ロドリゴと結婚を誓い合っていた。
それもゴルマス伯爵殺害によって、引き裂かれてしまう。
王の死とともに、貪欲な二人の王子が領地を巡って口論。ナイフを手にとって、殺し合いをはじめてしまう。
その後間もなく、フェルディナン王が死亡する。
すると二人の王子が、互いの領有権を巡って争いを始める。
どちらも譲れずに決別。国は、二人の王子のために分裂してしまった。
そんな最中、イスラム教徒のユサフはこれを機会に、とスペイン進行を計画していた。
映画『エル・シド』は露骨にキリスト教側の視点で描かれている。イスラム教徒は、黒ずくめの悪の集団という描き方だ。今、再び『エル・シド』を制作したら、そのようには決して描かれないだろう。
“エル・シド”は実在の人物だが、その実像はやや神話めいている。
死しても馬にまたがり、敵の軍勢を蹴散らしたとか、愛用した剣は、妖精が鍛えたエクスカリバーと同じ由来を持つ剣であるとか、そうした伝説がいくつも語り継がれている。
セットや衣装、小道具はどれも堂に入った作りだ。歴史的な風格や趣を感じさせる。デジタルを使用しない時代の大作映画の作り方だ。実際の古城なども登場するので、セットとの見極めが難しい。
映画は、1961年に製作され、上映時間は3時間を越える大作である。
チャールトン・ヘストンやソフィア・ローレンといった名優が共演する。
実物大の城のセットを製作し、煌びやかな衣装に、豪華な装飾品や、調度品の数々。夥しい数の群集。
デジタル技術のない時代、目に映るすべてを人間の力だけで制作した。紛れもなく、映画史上最大規模の作品だ。
現代の視点で見ると、残念ながら荒が目立つ映画である。特に後半の戦いのシーンは、技術の水準が映画の求めているレベルに達していない。デジタル云々ではなく、カットスピードの進歩、スティディカムやハンディカムの発明、映画文法の発達。映画の規模、風格は申し分ないが、技術面で早すぎた映画といわねばならない。
ただし、難点は、敵として登場とするイスラム教徒の描き方だ。
残虐な性格で、イスラムの軍勢は黒ずくめで、いかにも悪者の軍団という感じだ。しかも、イスラム教徒なのに英語を話している。
映画史に残る傑作だが、この当時の特色が難点だ。
伝説に彩られたエル・シド。題材としては今でも充分に通用する英雄譚だ。だが作品の規模や予算以上に、映画自体が『エル・シド』という題材に追いつけていない感じだった。現代の技術、感性、視野の広くなった知性ではどのように描かれるだろう。作品が大きすぎてリメイクの話は聞かないが、少し想像を巡らしたい作品だ。
映画の中のエル・シドは、伝説上の人物ではなく人間として描かれる。
ただし、とてつもなく高潔な英雄だ。
例え王であろうとも、誠実でなければ従おうともしない。
真に国のために、決して腐敗と結びつかず、たった一人でも戦いを挑もうとする。
そんな人物の姿に、民衆は、王よりエル・シドの元に集結する。
エル・シドは、後に伝説として語り継がれる人物だ。
しかしその生き様は、生きている頃から、素晴らしい輝きを放っている。
この映画も同じように、永久に輝きを放ち続けるだろう。
ウィキペディアの『エル・シド』の記述
ウィキペディアの『レコンキスタ』の記述(この物語はレコンキスタの時代を背景に描かれている)
映画記事一覧
作品データ
監督:アンソニー・マン 音楽:ミクロス・ローザ
脚本:フレドリック・M・フランク フィリップ・ヨーダン
出演:チャールトン・ヘストン ソフィア・ローレン
〇〇〇ジュヌヴィエーヴ・パージュ ジョン・フレイザー
〇〇〇ゲイリー・レイモンド ハード・ハットフィールド
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