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■2009/09/05 (Sat)
映画:外国映画■
1950年2月。
マッカーシー上院議員が「国務省職員に205人の共産主義者が勤務している」と告発。
これを切っ掛けに、アメリカ全土に赤狩りの嵐が吹き荒れる。
誰もが自身の投獄を恐れ、家族や親しい隣人に疑いを向けた時代。
マスコミすら、政治的圧力と恐怖心から、上意下達的な報道しかしなくなった時代。
そんな時代に、真っ向からマッカーシズムに抵抗したニュース・キャスターがいた。
マッカーシー(左)の告発によって、アメリカの世論は動揺する。マスコミもその例外ではなく、政府からの宣誓書にサインするよう強制される。報道にもネガティブな自主規制の嵐が吹き荒れようとしていた。
CBSの人気キャスターであるエド・マローは、デトロイトの地方新聞に目を向ける。
その地方新聞には、空軍のマイロ・ラドゥロヴィッチが、共産主義の疑いで解雇された一件が記されていた。
だが、この解雇には具体的な証拠はなく、裁判すらない強制的なものだった。
エドは同僚のフレッドに話題を持ちかけ、番組で大きく取り上げるべきではないか、と話し合う。
報道で正論と真実を取り上げようとしても、圧力がかけられる。エドとフレッドは、その圧力に抵抗して挑戦する。ちなみに、フレッドは監督ジョージ・クルーニーの父親だ。つまり、父親自慢の映画でもあるのだ。
だが、周囲の反発は大きかった。
エドとフレッドの上司は、「会長とスポンサーに報告するぞ」と怒り、
番組を聞きつけた空軍の大佐は、露骨な圧力をかけてくる。
それでもエドとフレッドは、果敢に抵抗してマイロの一件を番組に取り上げる。
エドの報道はまずまずの成功を収め、好意的な評価を得る。一方で、エド自身が共産主義の疑いが向けられてしまう。
日本人は空気の良さと恐ろしさをよく知っている。空気に同調しすぎると、思考力を失い、狂信者になる。
知性の時代においては、英雄も知性に長けた者ではなくてはならない。
周囲の“空気”に決して押し流されず、自身の信念を強く持ち、主張し、良心をなくさない者。
知性の時代には、それが強く求められるし、現在のような過剰な情報化の時代においては、自身の信念と知性の高さがより重要になる。
映画『グッドナイト&グッドラック』はブッシュ政権によるイラク戦争下で制作された。当時のアメリカの状況について正確に知らないが、相当な報道規制、情報統制が敷かれたようだ。ちょうど、マッカーシズムに似た状況に陥り、その“空気”への反発が、この映画の制作を促した。映画制作者は、エド・マローと同じ精神で映画を製作したのだ。
権力者は、大衆の感情を自由に操作する方法を知っている。
大衆に本当の不安と恐怖を抱かせることができれば、反抗の意識を権力や親にではなく、自身と隣人に向けるようになると、よく知っている。
そうした疑心暗鬼が社会一杯に満たされると、正論はむしろ恐怖を掻きたてて、正義は抹殺される。
権力は大衆を操作する方法をよく知り、その方法論を常に実践している。
冒頭スピーチより引用「もし、50年後や100年後の歴史家が今のテレビ番組を一週間分見たとする。彼らの目に映るのは、おそらく今の世にはびこる退廃と現実逃避と隔絶でしょう。アメリカ人は裕福で気楽な現状に満足し、暗いニュースには拒否反応を示す。それが報道にも現れている。だが我々はテレビの現状を見極めるべきです。テレビは人を欺き、笑わせ、現実を隠している。それに気付かねば、スポンサーも視聴者も制作者も後悔することになる」
報道は、その当事者が想像する以上に、はるかに大きなパワーが与えられている。
「この人は悪い」テレビでそう言えば、その情報に接した人々は、親しい友人に囁かれたように信用する。
言論の発信者は、常に自身の言論に責任を持たねばならない。
言論の代表者の意見は、多くの人々の思考・意識に、決定的な影響を与えるからだ。
罪なき者を犯罪者に仕立て上げることも可能だ。
だからこそ報道に従事する人間は、周囲の“空気”に流されないように自身を律し、冷静でなければならない。報道を仕事にする人間にとって、常に精神性の高さが求められる。当然であるが、付和雷同であっては決してならない。自身の信念や主張がなく、“何となく”周りに流されるなどあってはならないし、周囲に発生した“何となく”の空気を自身の信念と主張であると錯覚するということもあってはならない(要するに最低限の「思考力」の必要だ)。その程度の自立心がなければ、報道をやっていく資格などないだろう。
だが、それも実際には“空気”にすぎない。
その人間に対して好意を抱くか嫌悪を抱くか。
そういった判断を、周囲の“空気”に委ねて同調する必要はない。まして、それを自身で思考した信念だ、と錯覚するのはただの愚か者だ。
報道の発信者こそ、そうした“空気”に過ぎない意識に対して、敏感に審査すべきである。
そんな不安と恐怖という“空気”を作り出したマッカーシズム。
エドは単身、そんな“空気”に反発し、恐れず“正論”を主張する。
映画記事一覧
作品データ
監督・脚本:ジョージ・クルーニー
脚本・制作:グラント・ヘスロヴ 撮影:ロバート・エルスウィット
製作総指揮:マーク・バダン スティーブン・ソダーバーグ
出演:デヴィッド・ストラザーン ジョージ・クルーニー
〇〇○ロバート・ダウニー・Jr パトリシア・クラークソン
〇〇○レイ・ワイズ フランク・ランジェラ
〇〇○ジェフ・ダニエルズ テイト・ドノヴァン
〇〇○トム・マッカーシー アレックス・ボースタイン
マッカーシー上院議員が「国務省職員に205人の共産主義者が勤務している」と告発。
これを切っ掛けに、アメリカ全土に赤狩りの嵐が吹き荒れる。
誰もが自身の投獄を恐れ、家族や親しい隣人に疑いを向けた時代。
マスコミすら、政治的圧力と恐怖心から、上意下達的な報道しかしなくなった時代。
そんな時代に、真っ向からマッカーシズムに抵抗したニュース・キャスターがいた。
マッカーシー(左)の告発によって、アメリカの世論は動揺する。マスコミもその例外ではなく、政府からの宣誓書にサインするよう強制される。報道にもネガティブな自主規制の嵐が吹き荒れようとしていた。
CBSの人気キャスターであるエド・マローは、デトロイトの地方新聞に目を向ける。
その地方新聞には、空軍のマイロ・ラドゥロヴィッチが、共産主義の疑いで解雇された一件が記されていた。
だが、この解雇には具体的な証拠はなく、裁判すらない強制的なものだった。
エドは同僚のフレッドに話題を持ちかけ、番組で大きく取り上げるべきではないか、と話し合う。
報道で正論と真実を取り上げようとしても、圧力がかけられる。エドとフレッドは、その圧力に抵抗して挑戦する。ちなみに、フレッドは監督ジョージ・クルーニーの父親だ。つまり、父親自慢の映画でもあるのだ。
だが、周囲の反発は大きかった。
エドとフレッドの上司は、「会長とスポンサーに報告するぞ」と怒り、
番組を聞きつけた空軍の大佐は、露骨な圧力をかけてくる。
それでもエドとフレッドは、果敢に抵抗してマイロの一件を番組に取り上げる。
エドの報道はまずまずの成功を収め、好意的な評価を得る。一方で、エド自身が共産主義の疑いが向けられてしまう。
日本人は空気の良さと恐ろしさをよく知っている。空気に同調しすぎると、思考力を失い、狂信者になる。
知性の時代においては、英雄も知性に長けた者ではなくてはならない。
周囲の“空気”に決して押し流されず、自身の信念を強く持ち、主張し、良心をなくさない者。
知性の時代には、それが強く求められるし、現在のような過剰な情報化の時代においては、自身の信念と知性の高さがより重要になる。
映画『グッドナイト&グッドラック』はブッシュ政権によるイラク戦争下で制作された。当時のアメリカの状況について正確に知らないが、相当な報道規制、情報統制が敷かれたようだ。ちょうど、マッカーシズムに似た状況に陥り、その“空気”への反発が、この映画の制作を促した。映画制作者は、エド・マローと同じ精神で映画を製作したのだ。
権力者は、大衆の感情を自由に操作する方法を知っている。
大衆に本当の不安と恐怖を抱かせることができれば、反抗の意識を権力や親にではなく、自身と隣人に向けるようになると、よく知っている。
そうした疑心暗鬼が社会一杯に満たされると、正論はむしろ恐怖を掻きたてて、正義は抹殺される。
権力は大衆を操作する方法をよく知り、その方法論を常に実践している。
冒頭スピーチより引用「もし、50年後や100年後の歴史家が今のテレビ番組を一週間分見たとする。彼らの目に映るのは、おそらく今の世にはびこる退廃と現実逃避と隔絶でしょう。アメリカ人は裕福で気楽な現状に満足し、暗いニュースには拒否反応を示す。それが報道にも現れている。だが我々はテレビの現状を見極めるべきです。テレビは人を欺き、笑わせ、現実を隠している。それに気付かねば、スポンサーも視聴者も制作者も後悔することになる」
報道は、その当事者が想像する以上に、はるかに大きなパワーが与えられている。
「この人は悪い」テレビでそう言えば、その情報に接した人々は、親しい友人に囁かれたように信用する。
言論の発信者は、常に自身の言論に責任を持たねばならない。
言論の代表者の意見は、多くの人々の思考・意識に、決定的な影響を与えるからだ。
罪なき者を犯罪者に仕立て上げることも可能だ。
だからこそ報道に従事する人間は、周囲の“空気”に流されないように自身を律し、冷静でなければならない。報道を仕事にする人間にとって、常に精神性の高さが求められる。当然であるが、付和雷同であっては決してならない。自身の信念や主張がなく、“何となく”周りに流されるなどあってはならないし、周囲に発生した“何となく”の空気を自身の信念と主張であると錯覚するということもあってはならない(要するに最低限の「思考力」の必要だ)。その程度の自立心がなければ、報道をやっていく資格などないだろう。
だが、それも実際には“空気”にすぎない。
その人間に対して好意を抱くか嫌悪を抱くか。
そういった判断を、周囲の“空気”に委ねて同調する必要はない。まして、それを自身で思考した信念だ、と錯覚するのはただの愚か者だ。
報道の発信者こそ、そうした“空気”に過ぎない意識に対して、敏感に審査すべきである。
そんな不安と恐怖という“空気”を作り出したマッカーシズム。
エドは単身、そんな“空気”に反発し、恐れず“正論”を主張する。
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作品データ
監督・脚本:ジョージ・クルーニー
脚本・制作:グラント・ヘスロヴ 撮影:ロバート・エルスウィット
製作総指揮:マーク・バダン スティーブン・ソダーバーグ
出演:デヴィッド・ストラザーン ジョージ・クルーニー
〇〇○ロバート・ダウニー・Jr パトリシア・クラークソン
〇〇○レイ・ワイズ フランク・ランジェラ
〇〇○ジェフ・ダニエルズ テイト・ドノヴァン
〇〇○トム・マッカーシー アレックス・ボースタイン
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