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■2009/08/15 (Sat)
映画:日本映画■
フィンランドのカモメはでかい。
丸々太った体で港をのしのしと歩く姿を見ると、小学生の頃に飼っていたナナオを思い出す。
ナナオは体重が10.2キロもある巨漢三毛猫だった。
誰にもなつかず、近所の猫にはすぐ暴力をふるい、みんなの嫌われ者だった。
でも、なぜか私にだけはそのでかい腹を触らせてくれ、喉をごろごろいわせ。
私はそんなナナオが可愛かったので、母に内緒で餌をたくさん与えていたら、どんどん太って、そして、死んだ。
ナナオが死んだ次の年、トラックにはねられて母が死んだ。
母のことは大好きだったが、なぜか、ナナオが死んだときよりも涙の量は少なかった。
それは武道家の父に、人前では泣くな、といつも言われていたからではない気がする。
私は太った生き物に弱いのだ。おいしそうにご飯を食べる太った生き物に、とても弱いのだ。
フィンランドにかもめ食堂を開いて一ヶ月。
お客は一人もやってこない。時々、覗き込んでくるおばさんたちはいるけど、あえてかもめ食堂に入ってこようという人はいない。
私は毎日、退屈な時間をコップを磨いて過ごしていた。
そんなある日、かもめ食堂にフィンランド人の若者が入ってきた。にゃろめシャツの若者だった。
「かもめ?」
「かもめ。……あ、いらっしゃい」
お客さんだ。突然やってきたお客さんに、私はすぐに応じられなかった。
にゃろめシャツの若者は、かもめ食堂の奥のテーブルに座った。私はコーヒーを入れて、若者のテーブルまで運んだ。
「ありがとう」
若者は笑顔と日本語で応じてくれた。
「日本語お上手ですね。にゃろめ、ですね」
「好きですか?」
若者はシャツを引っ張って、私ににゃろめを見せた。きっと、日本の漫画が好きな人なんだ、と私は察した。
「はい、好きですよ」
私は機嫌よく答えを返した。実際、にゃろめは大好きなキャラクターだった。
「だれだ、だれだ、だれだ……ガッチャマンは好きですか?」
「ガッチャマン? ああ、“誰だ”じゃないですか。誰だ、誰だ、誰だ」
すると若者は、スケッチブックを引っ張り出した。
「全部ご存知?」
「全部? ちょっと待っててくださいね。誰だ、誰だ、誰だ……誰だ?」
メロディは知っているのに、出てこない。なんだか、もどかしい。
心地よい清潔感のあるかもめ食堂。手前の店には常にシャッターが下りている。かもめ食堂の右、左の店もいつも閉じているようだ。どうやら、周囲シャッター街の一角に、かもめ食堂のセットが作られたようだ。
フィンランドの街角に、かもめ食堂は静かにたたずんでいる。
『かもめ食堂』には何となく静かで、伸びやかな空気が漂っている。
『かもめ食堂』の風景にはいつも手入れが行き届いていて、清潔感がある。
淡い色彩が重ねられ、光の感触も淡く、それが独特の穏やかさとぬくもりを与えている。
どこか、現実的ではない。日常的な食堂の風景だが、どこか桃源郷的な静謐が全体に漂っている作品だ。
「外国食べる日本食は100倍うまい」とよく聞くが、この映画を見ると納得してしまう。ただし、一つ突っ込むとしたら“鮭”は日本の民族食ではない。日本人が鮭を食したのは戦後2、30年ほどの話。日本人自身が抱いている誤解だ。
『かもめ食堂』の物語は、のびやかに描かれているようで、実際は周到に順序だてられている。
登場人物は、それぞれなんらかの役割を担って、機能的に役割を演じている。
だからといって、理屈っぽく構築される物語ではなく、すっきりとした手触りを残すストーリーだ。
というのも、『かもめ食堂』の物語には目標地点がない。
一応、閑古鳥の鳴くかもめ食堂が繁盛するまでの物語と読み取ってもいい。
地域の人々との交流の物語と読み取ってもいい。
だが、『かもめ食堂』は目標に向かって邁進する映画ではない。
ただ、かもめ食堂に訪れて、伸びやかな時間をすごし、静かに食事をするひとときを過ごす映画だ。
よくわからない存在の、もたいまさこ。かもめ食堂中で圧倒的な存在感を放つ。
何となくそこにいて、何となく静かにたたずんでいる映画。
美しさや良心を強く主張するわけでもなく、ドラマチックな何かが待ち受けている映画でもない。
ただ静かにそこにいて、静かなひとときを過ごす映画。
ゆるやかにかもめ食堂を訪ねて、空腹を満たす映画。あるいは、“癒し”のひとときに心の空腹を満たす映画だろう。
『めがね』の記事もあります。
映画記事一覧
作品データ
監督・脚本:荻上直子 原作:群ようこ 音楽:近藤達郎
出演:小林聡美 片桐はいり もたいまさこ
ヤルッコ・ニエミ タリア・マルクス マルック・ペルトラ
丸々太った体で港をのしのしと歩く姿を見ると、小学生の頃に飼っていたナナオを思い出す。
ナナオは体重が10.2キロもある巨漢三毛猫だった。
誰にもなつかず、近所の猫にはすぐ暴力をふるい、みんなの嫌われ者だった。
でも、なぜか私にだけはそのでかい腹を触らせてくれ、喉をごろごろいわせ。
私はそんなナナオが可愛かったので、母に内緒で餌をたくさん与えていたら、どんどん太って、そして、死んだ。
ナナオが死んだ次の年、トラックにはねられて母が死んだ。
母のことは大好きだったが、なぜか、ナナオが死んだときよりも涙の量は少なかった。
それは武道家の父に、人前では泣くな、といつも言われていたからではない気がする。
私は太った生き物に弱いのだ。おいしそうにご飯を食べる太った生き物に、とても弱いのだ。
フィンランドにかもめ食堂を開いて一ヶ月。
お客は一人もやってこない。時々、覗き込んでくるおばさんたちはいるけど、あえてかもめ食堂に入ってこようという人はいない。
私は毎日、退屈な時間をコップを磨いて過ごしていた。
そんなある日、かもめ食堂にフィンランド人の若者が入ってきた。にゃろめシャツの若者だった。
「かもめ?」
「かもめ。……あ、いらっしゃい」
お客さんだ。突然やってきたお客さんに、私はすぐに応じられなかった。
にゃろめシャツの若者は、かもめ食堂の奥のテーブルに座った。私はコーヒーを入れて、若者のテーブルまで運んだ。
「ありがとう」
若者は笑顔と日本語で応じてくれた。
「日本語お上手ですね。にゃろめ、ですね」
「好きですか?」
若者はシャツを引っ張って、私ににゃろめを見せた。きっと、日本の漫画が好きな人なんだ、と私は察した。
「はい、好きですよ」
私は機嫌よく答えを返した。実際、にゃろめは大好きなキャラクターだった。
「だれだ、だれだ、だれだ……ガッチャマンは好きですか?」
「ガッチャマン? ああ、“誰だ”じゃないですか。誰だ、誰だ、誰だ」
すると若者は、スケッチブックを引っ張り出した。
「全部ご存知?」
「全部? ちょっと待っててくださいね。誰だ、誰だ、誰だ……誰だ?」
メロディは知っているのに、出てこない。なんだか、もどかしい。
心地よい清潔感のあるかもめ食堂。手前の店には常にシャッターが下りている。かもめ食堂の右、左の店もいつも閉じているようだ。どうやら、周囲シャッター街の一角に、かもめ食堂のセットが作られたようだ。
フィンランドの街角に、かもめ食堂は静かにたたずんでいる。
『かもめ食堂』には何となく静かで、伸びやかな空気が漂っている。
『かもめ食堂』の風景にはいつも手入れが行き届いていて、清潔感がある。
淡い色彩が重ねられ、光の感触も淡く、それが独特の穏やかさとぬくもりを与えている。
どこか、現実的ではない。日常的な食堂の風景だが、どこか桃源郷的な静謐が全体に漂っている作品だ。
「外国食べる日本食は100倍うまい」とよく聞くが、この映画を見ると納得してしまう。ただし、一つ突っ込むとしたら“鮭”は日本の民族食ではない。日本人が鮭を食したのは戦後2、30年ほどの話。日本人自身が抱いている誤解だ。
『かもめ食堂』の物語は、のびやかに描かれているようで、実際は周到に順序だてられている。
登場人物は、それぞれなんらかの役割を担って、機能的に役割を演じている。
だからといって、理屈っぽく構築される物語ではなく、すっきりとした手触りを残すストーリーだ。
というのも、『かもめ食堂』の物語には目標地点がない。
一応、閑古鳥の鳴くかもめ食堂が繁盛するまでの物語と読み取ってもいい。
地域の人々との交流の物語と読み取ってもいい。
だが、『かもめ食堂』は目標に向かって邁進する映画ではない。
ただ、かもめ食堂に訪れて、伸びやかな時間をすごし、静かに食事をするひとときを過ごす映画だ。
よくわからない存在の、もたいまさこ。かもめ食堂中で圧倒的な存在感を放つ。
何となくそこにいて、何となく静かにたたずんでいる映画。
美しさや良心を強く主張するわけでもなく、ドラマチックな何かが待ち受けている映画でもない。
ただ静かにそこにいて、静かなひとときを過ごす映画。
ゆるやかにかもめ食堂を訪ねて、空腹を満たす映画。あるいは、“癒し”のひとときに心の空腹を満たす映画だろう。
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作品データ
監督・脚本:荻上直子 原作:群ようこ 音楽:近藤達郎
出演:小林聡美 片桐はいり もたいまさこ
ヤルッコ・ニエミ タリア・マルクス マルック・ペルトラ
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