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■2015/11/21 (Sat)
創作小説■
※ 物語中に登場する美術家、美術作品、美術用語はすべて空想のものです。
前回を読む
書斎は階段と、ツグミとコルリが2人で兼用している寝室に挟まれた細く長い部屋だった。部屋の両側の壁が作り付けの本棚になっていて、かつては画集や美術研究書で一杯だった。今は徐々に漫画や学校の教科書に置き換えられつつある。
書斎の奥に、机が2つ、背中合わせに並んでいた。細長い部屋に無理に机を突っ込んだ格好になっているので、椅子の位置を互い違いにずらして置かないと、入らないくらいだった。手前がツグミで、奥がコルリだ。
書斎の中は深く影が落ちていて、コルリの机のライトだけが真っ白に浮かび上がっていた。コルリはパソコンモニターに向かい、今日撮影してきたらしい写真の整理をしているみたいだった。
ツグミは、寒いけど、ちょっとドアを開けたままの状態にしておいた。本棚に向かい、何か退屈しのぎになる本はないかな、と探した。
美術の図版や研究書は、すでにぜんぶ読んでしまっていた。2度3度繰り返し読んだ本もある。ここで未読の本といえば、教科書だけだった。教科書だけは、退屈してても読みたいとは思わない。
ツグミは、とりあえず目についた本を引っ張り出した。『フリードリヒ・崇高のアリア』だ。
「ルリお姉ちゃん、なに……」
ツグミはコルリの机の側にやってきて、モニターを覗き込もうとした。が、
「ああ、駄目! 見ないで! ごめんだけど。後でゆっくり見せるから」
コルリは大慌てでモニターを体で隠した。
「あっ、ごめん」
ツグミは気まずくなって謝った。
ツグミは自分の席に座り、本を開いた。コルリが作業を再開したらしく、マウスをかちかちさせはじめた。
本を開いて文字を目で追うけど、ツグミの気持は上の空だった。コルリは何の作業をしているのだろう。振り返れば見える場所で秘密の作業をされると、気になって仕方がない。
それに、かな恵に聞いた話がまだ頭の中に留まっていた。かな恵に絵を売った、という話まではしたけど、神戸西洋美術館に関するあの噂はまだ話してなかった。
ルリお姉ちゃんに、ちゃんと話をしないと……。
でも「見ないで!」と拒絶されたせいで、何となくそういう空気ではなくなってしまった。
ツグミはぺらぺらとページをめくり、挿絵だけを見た。挿絵はカスパル・ダーヴィト・フリードリヒ(※)の絵を白黒にして、小さく本の中に収めていた。
ふとツグミは、『雲海を見下ろすさすらい人』の絵の前で、ページをめくる手を止めた。
険しい岩山の頂に、その時代でも古風な衣装を身にまとった男が、一人きりでたたずんでいる。雲海が、ぎざぎざに切り取られた峻厳なる峰々を、白く溶かし込んでいた。男はただ一人でそこに立ちつくし、周囲で渦を巻く冷たい風を体に浴びていた。
ツグミは何故だがこの絵に惹き付けられて、じっと眺めてしまっていた。この絵を見ていると、胸が切なく、苦しくなる一方で、うっとりと心が浮き立つような、不思議な充足感に満たされる気がした。
※ カスパル・ダーヴィト・フリードリヒ 1774~1840年。ドイツのロマン主義を代表する画家。廃墟や大自然と向きあう背中を多く描き、自然との対比、峻厳な宗教的崇高さをメインテーマに据えた。
次回を読む
目次
※ 物語中に登場する美術家、美術作品、美術用語はすべて空想のものです。
第4章 美術市場の闇
前回を読む
16
ツグミは入浴を終えて、かつて太一の書斎だった部屋に入った。書斎は階段と、ツグミとコルリが2人で兼用している寝室に挟まれた細く長い部屋だった。部屋の両側の壁が作り付けの本棚になっていて、かつては画集や美術研究書で一杯だった。今は徐々に漫画や学校の教科書に置き換えられつつある。
書斎の奥に、机が2つ、背中合わせに並んでいた。細長い部屋に無理に机を突っ込んだ格好になっているので、椅子の位置を互い違いにずらして置かないと、入らないくらいだった。手前がツグミで、奥がコルリだ。
書斎の中は深く影が落ちていて、コルリの机のライトだけが真っ白に浮かび上がっていた。コルリはパソコンモニターに向かい、今日撮影してきたらしい写真の整理をしているみたいだった。
ツグミは、寒いけど、ちょっとドアを開けたままの状態にしておいた。本棚に向かい、何か退屈しのぎになる本はないかな、と探した。
美術の図版や研究書は、すでにぜんぶ読んでしまっていた。2度3度繰り返し読んだ本もある。ここで未読の本といえば、教科書だけだった。教科書だけは、退屈してても読みたいとは思わない。
ツグミは、とりあえず目についた本を引っ張り出した。『フリードリヒ・崇高のアリア』だ。
「ルリお姉ちゃん、なに……」
ツグミはコルリの机の側にやってきて、モニターを覗き込もうとした。が、
「ああ、駄目! 見ないで! ごめんだけど。後でゆっくり見せるから」
コルリは大慌てでモニターを体で隠した。
「あっ、ごめん」
ツグミは気まずくなって謝った。
ツグミは自分の席に座り、本を開いた。コルリが作業を再開したらしく、マウスをかちかちさせはじめた。
本を開いて文字を目で追うけど、ツグミの気持は上の空だった。コルリは何の作業をしているのだろう。振り返れば見える場所で秘密の作業をされると、気になって仕方がない。
それに、かな恵に聞いた話がまだ頭の中に留まっていた。かな恵に絵を売った、という話まではしたけど、神戸西洋美術館に関するあの噂はまだ話してなかった。
ルリお姉ちゃんに、ちゃんと話をしないと……。
でも「見ないで!」と拒絶されたせいで、何となくそういう空気ではなくなってしまった。
ツグミはぺらぺらとページをめくり、挿絵だけを見た。挿絵はカスパル・ダーヴィト・フリードリヒ(※)の絵を白黒にして、小さく本の中に収めていた。
ふとツグミは、『雲海を見下ろすさすらい人』の絵の前で、ページをめくる手を止めた。
険しい岩山の頂に、その時代でも古風な衣装を身にまとった男が、一人きりでたたずんでいる。雲海が、ぎざぎざに切り取られた峻厳なる峰々を、白く溶かし込んでいた。男はただ一人でそこに立ちつくし、周囲で渦を巻く冷たい風を体に浴びていた。
ツグミは何故だがこの絵に惹き付けられて、じっと眺めてしまっていた。この絵を見ていると、胸が切なく、苦しくなる一方で、うっとりと心が浮き立つような、不思議な充足感に満たされる気がした。
※ カスパル・ダーヴィト・フリードリヒ 1774~1840年。ドイツのロマン主義を代表する画家。廃墟や大自然と向きあう背中を多く描き、自然との対比、峻厳な宗教的崇高さをメインテーマに据えた。
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※ 物語中に登場する美術家、美術作品、美術用語はすべて空想のものです。
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