アニメは、体育の場面から始まる。
泉こなたは、抜群の俊足を誇る。
「こんなに運動できるのに、どうして運動部に入らないの?」
「だって、ゴールデンタイムのアニメが見られないじゃん」
物語は、何の意図も、目標も持たずに、ゆるやかに日常が流れていく。
通常の脚本は、まず登場人物について解説されるが、『らき☆すた』においては、全てのキャラクターが、見る者との間で既知のものとして進行していく。
まるで、物語としての成立を目指していないようにすら見える。
しかし『らき☆すた』には、不思議な時間的感覚が流れ、ゆるやかな気分にさせるものがある。
いったい、どんな魔術が使われているのだろう。
正面と横顔。人間の顔が徹底的に記号化され、デザイナーの生理に合わせて統制されている。実に美しいフォルムだ。
『らき☆すた』は、優れたデザイン感覚に溢れた作品である。
キャラクターのシルエットは、人間の身体を、極限に記号化されている。
“いかに、かわいらしく描けるか”ただこの一点だけに、全ての努力が注がれてる。
キャラクターは、線の一本一本に至るまでデザインの感性が染み付いている。
キャラクターのシルエットや、線をどこまで引き、どこで抜くか。
『らき☆すた』は、その全てが完璧に統制され、奇跡のようなデザイン感覚を発揮している。
左。掌の中で、箸をくるっと回す柊つかさ。
右のカットは、一つの場面を二つのカメラで捉えている、実験的なシーン。アニメでこれをやると、アニメーターが反乱を起こすくらい大変。
動画の面でも、技術的な高さを、さりげなく作品の中で見せている。
例えば、第一話。柊つかさが、掌の中で、箸を回す場面。
通常のアニメでは、カットを割って、回す瞬間をごまかしただろう。
また、『らき☆すた』のように極限に2次元の線画を突き詰めたキャラクターになると、指の動きという3次元的演技は、非常に難しい。
しかし、そんな難しい作画も、日常的な平凡なカットの中で描かれている。
何もかもが、日常的な物語世界を完成させるための仕掛けでしかない、とでも言うようだ。
やわかな水彩画。何気ないが、実景を観察し、詳細に描かれている。目立たないのは、キャラクターに目がいくように配慮されているから。
シンプルな線で構成されるキャラクターだが、背景もシンプルだ。
キャラクターが対話する場面のほとんどが、奥行きを意識させない構図で描かれている。
モブも、中心となるキャラクターを決して妨害しない程度に演技する。
全てにおいてシンプルで、ほどよい密集感が、やわらかな印象を与える。
その一方で、アニメ全体の風景は、実景を参考されている。
キャラクター達の生活環境はしっかり描かれ、それが作品の日常的感覚を、過不足なく充実させている。
物語は無意味に、ゆるやかにただ進行していく。そのゆるやかさが、人気の秘訣だ。
“目的をもたない物語”も時には必要というわけだ。(尤も、それを狙ってやっても駄目だが)
『らき☆すた』は、線画のアニメの効力を、最大限に味方した作品だ。
記号的に洗練されたデザインと、3次元的な写実が、信じられない感性で融合している。
物語は、何の目標ももたず展開していくが、不思議な繋がり方をして、ひとつの作品として補完していく。
全ての技法は、物語中の穏やかな時間的感覚を実現するために機能している。
『らき☆すた』と接している間、現実的な時計の動きなど、しばらく忘れても良いだろう。
『らき☆すた 2』の記事へ
作品データ
監督:山本寛 原作:美水かがみ
総作画監督:堀口悠紀子 美術監督:田村せいき
アニメーション制作:京都アニメーション
出演:平野綾 福原香織 加藤英美里
遠藤綾 今野宏美 立木文彦