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■2009/08/20 (Thu)
映画:日本映画■
舞台は、島根県の、全校生徒6人の小さな学校だ。
そのうち中学生はたったの3人。右田そよは、一人きりの中学3年生だった。
その夏、東京から、男の子が転校してきた。
大沢広海。右田そよと同じ、中学3年生だ。
右田そよは、初めて接する同世代の男の子に戸惑い、やがて恋心に目覚める。



物語は、夏の場面から始まる。
カット全体に、青々とした色彩が広がり、建物も人間も、自然の風景に抱かれている。
風景は美しく、時間の流れはゆるやかで、人々の生活は穏やかに静止しているようだ。
桃源郷世界のように描かれた田舎。だが、実際の田舎は、映画で描かれるような楽園ではない。あくまでも映画の中の虚構、バーチャル的なものと受け止めたほうがいい。本当に田舎で過ごした人間から見るとあまりにもファンタジックだ。実際的な風景ではなく、都会人が抱きがちな幻想や理想を描いた作品であると受け取るべきだろう。
海への道を歩く子供たちが、自然の風の音に耳を澄ませる。
セミやふくろうの鳴き声に混じって、ごうごうと風の音が鳴る。
おおらかな風景と、風の音に包まれ、次第に物語の風景に抱かれるような、そんな錯覚を覚える。
都市に暮らす人にとって『天然コケッコー』の映像体験は、バーチャルな感覚をもたらしただろう。
主演の夏帆は、今時の少女としては素晴らしく清楚な印象がある。桃源郷世界の中心に立つ女神にふさわしい美しさだ。
そんな終わりも始まりもないと思える時間の流れは、どこかで変化を迎える。
右田そよの、恋の予感だ。
主演を演じた夏帆は、演技力というより、もっと自然な感性で右田そよという人格を体現した。
この年齢でしか持てない瑞々しさが、フィルム一杯にあふれていた。
修学旅行で東京に行く場面。田舎の穏やかさとわかりやすい対比を描いている。田舎者が都会に行くと、実際に映画で描かれているようなカルチャーギャップを体験する。
右田そよは、間もなく中学校を卒業して去っていく。
それは、ただ学校を去っていくというのではなく、子供時代との別離だ。
子供時代の奔放さを捨てて、もう一段階の成長。
恋の始まりは、恋愛の予兆ではない。
少女の成長を促し、性的な意識を覚醒させる、一つの段階でしかない。
少年の役割は、少女の成長を促し、異界へ誘うための使者だ。
青春の物語はいつか終る。もっとも、青春の輝きは、その当人で自覚できない。青春という情緒を表現し、留めておけるのはフィルムの中だけだ。
いつか、右田そよが学校に戻ってくる日が来るかもしれない。
でもそのときは、あの時と、きっと目線の高さが違っているはずだ。
だからといって、完全な大人になるわけではない。
ほんのちょっと、一歩だけ成長する物語だ。
映画記事一覧
作品データ
監督:山下敦弘 原作:くらもちふさこ
音楽:レイ・ハラカミ 脚本:渡辺あや
出演:夏帆 岡田将生 夏川結衣 佐藤浩市
柳英里沙 藤村聖子 森下翔梧 本間るい
そのうち中学生はたったの3人。右田そよは、一人きりの中学3年生だった。
その夏、東京から、男の子が転校してきた。
大沢広海。右田そよと同じ、中学3年生だ。
右田そよは、初めて接する同世代の男の子に戸惑い、やがて恋心に目覚める。
物語は、夏の場面から始まる。
カット全体に、青々とした色彩が広がり、建物も人間も、自然の風景に抱かれている。
風景は美しく、時間の流れはゆるやかで、人々の生活は穏やかに静止しているようだ。
セミやふくろうの鳴き声に混じって、ごうごうと風の音が鳴る。
おおらかな風景と、風の音に包まれ、次第に物語の風景に抱かれるような、そんな錯覚を覚える。
都市に暮らす人にとって『天然コケッコー』の映像体験は、バーチャルな感覚をもたらしただろう。
右田そよの、恋の予感だ。
主演を演じた夏帆は、演技力というより、もっと自然な感性で右田そよという人格を体現した。
この年齢でしか持てない瑞々しさが、フィルム一杯にあふれていた。
右田そよは、間もなく中学校を卒業して去っていく。
子供時代の奔放さを捨てて、もう一段階の成長。
恋の始まりは、恋愛の予兆ではない。
少女の成長を促し、性的な意識を覚醒させる、一つの段階でしかない。
少年の役割は、少女の成長を促し、異界へ誘うための使者だ。
いつか、右田そよが学校に戻ってくる日が来るかもしれない。
でもそのときは、あの時と、きっと目線の高さが違っているはずだ。
だからといって、完全な大人になるわけではない。
ほんのちょっと、一歩だけ成長する物語だ。
映画記事一覧
作品データ
監督:山下敦弘 原作:くらもちふさこ
音楽:レイ・ハラカミ 脚本:渡辺あや
出演:夏帆 岡田将生 夏川結衣 佐藤浩市
柳英里沙 藤村聖子 森下翔梧 本間るい
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■2009/08/15 (Sat)
映画:日本映画■
春が巡ってきた。
ある晴れた日。青い空を、一機の航空機が横切る。
「来た」
季節が巡るように、サクラさんはやってくる。

季節が巡るようにサクラさんはやってくる。
長回しの多い映画だが、編集速度は一定間隔のリズムを持っている。このカットスピードが『めがね』という映画が持つ秘密だろう。
後を追うように、もう一人、島にやって来た。
タエコだ。
旅は何となく、思いつきで始まり、思いつきの方向に進む。
タエコも、特別な理由もなく、島にやって来た。
島には、島にしかない独自の空気と、時間が流れている。
タエコは、初めは島の空気に馴染めなかった。
だがやがて、のんびりと風景を眺め、
のんびりと時を過ごすようになる。
ここでは、なにもかも、のたり、のたり。
画面のあちこちに登場するワンコロのコージがいい感じだ。のんびりしているようだが、手入れは隅々まで行き届いている。心地よい清潔感が全体にある。映画はむしろ“汚し”で存在感やリアリティを演出しようとするから、その逆をいく映画だ。
『めがね』には全体を通して、独自の空気が流れている。
言葉の数は少なく、画面のディティールはすっきりと整理されている。
台詞の一つ一つは、なんらかのドラマを予感させず、解説もされない。
ただ、その場の気分だけを描き出している。
なのに、不思議と退屈はしない。
むしろ、気持ちのいい朝の目覚めのように充実した気分になる。

荻上直子監督作品『かもめ食堂』と同じく、『めがね』でも食事シーンは素晴らしい。献立がクローズアップされるカットは少ないが、どれも強烈に食欲がそそられる。見終わった後には、自然と「ご飯でも食べよう」という気分になる。
映画には、やかましいものがない。
言葉の一つ一つは、充分で居心地のよい間合いを作っている。
すっきりとした青い空が広がり、砂浜に波が打ち寄せている。
この映画に描かれているのは、静かな余白だ。
心の汚濁を浄化するような、静寂と静謐で満たされている。
のんびりと、静かにそこに佇む映画。映画とは無関係だが、『どうぶつの森を』連想してしまった。もしかしたら、発想が近いのかもしれない。
“休憩のための映画”
それも、エンターティメントの種類としてあり得るだろう。
くつろぐために鑑賞する映画。
見る者は、映画が紡ぎだす時間に、逆らわずゆったりと身を委ねればいい。
だが、そんなくつろぎの時間も、いつか終わる。
休憩は永遠には続かない。映画の魔術は、いつも2時間で終わる。
『めがね』は決して押し付けがましくなく、拒絶もせず、ただ静かに佇んでいる。
誰かがふらりとやってきて、同居するのを決して拒まない。
そんな時間もやがて過ぎ去って、いつか現実に戻らねばならないときがやってくる。
『めがね』は我々を静かに、優しく現実に引き戻してくれる。
『かもめ食堂』の記事もあります。
映画記事一覧
作品データ
監督・脚本:荻上直子
音楽:金子隆博 主題歌:大貫妙子
撮影:谷峰登 編集:普嶋信一
出演:小林聡美 市川実日子 加瀬亮 光石研
もたいまさこ 橘ユキコ 中武吉 荒井春代
吉永賢 里見真利奈 薬師丸ひろ子 ケン
ある晴れた日。青い空を、一機の航空機が横切る。
「来た」
季節が巡るように、サクラさんはやってくる。
長回しの多い映画だが、編集速度は一定間隔のリズムを持っている。このカットスピードが『めがね』という映画が持つ秘密だろう。
後を追うように、もう一人、島にやって来た。
タエコだ。
旅は何となく、思いつきで始まり、思いつきの方向に進む。
タエコも、特別な理由もなく、島にやって来た。
島には、島にしかない独自の空気と、時間が流れている。
タエコは、初めは島の空気に馴染めなかった。
だがやがて、のんびりと風景を眺め、
のんびりと時を過ごすようになる。
ここでは、なにもかも、のたり、のたり。
『めがね』には全体を通して、独自の空気が流れている。
台詞の一つ一つは、なんらかのドラマを予感させず、解説もされない。
ただ、その場の気分だけを描き出している。
なのに、不思議と退屈はしない。
むしろ、気持ちのいい朝の目覚めのように充実した気分になる。
映画には、やかましいものがない。
言葉の一つ一つは、充分で居心地のよい間合いを作っている。
すっきりとした青い空が広がり、砂浜に波が打ち寄せている。
この映画に描かれているのは、静かな余白だ。
心の汚濁を浄化するような、静寂と静謐で満たされている。
“休憩のための映画”
それも、エンターティメントの種類としてあり得るだろう。
くつろぐために鑑賞する映画。
見る者は、映画が紡ぎだす時間に、逆らわずゆったりと身を委ねればいい。
だが、そんなくつろぎの時間も、いつか終わる。
『めがね』は決して押し付けがましくなく、拒絶もせず、ただ静かに佇んでいる。
誰かがふらりとやってきて、同居するのを決して拒まない。
そんな時間もやがて過ぎ去って、いつか現実に戻らねばならないときがやってくる。
『めがね』は我々を静かに、優しく現実に引き戻してくれる。
『かもめ食堂』の記事もあります。
映画記事一覧
作品データ
監督・脚本:荻上直子
音楽:金子隆博 主題歌:大貫妙子
撮影:谷峰登 編集:普嶋信一
出演:小林聡美 市川実日子 加瀬亮 光石研
もたいまさこ 橘ユキコ 中武吉 荒井春代
吉永賢 里見真利奈 薬師丸ひろ子 ケン
■2009/08/15 (Sat)
映画:日本映画■
丸々太った体で港をのしのしと歩く姿を見ると、小学生の頃に飼っていたナナオを思い出す。
ナナオは体重が10.2キロもある巨漢三毛猫だった。
誰にもなつかず、近所の猫にはすぐ暴力をふるい、みんなの嫌われ者だった。
でも、なぜか私にだけはそのでかい腹を触らせてくれ、喉をごろごろいわせ。
私はそんなナナオが可愛かったので、母に内緒で餌をたくさん与えていたら、どんどん太って、そして、死んだ。
ナナオが死んだ次の年、トラックにはねられて母が死んだ。
母のことは大好きだったが、なぜか、ナナオが死んだときよりも涙の量は少なかった。
それは武道家の父に、人前では泣くな、といつも言われていたからではない気がする。
私は太った生き物に弱いのだ。おいしそうにご飯を食べる太った生き物に、とても弱いのだ。
お客は一人もやってこない。時々、覗き込んでくるおばさんたちはいるけど、あえてかもめ食堂に入ってこようという人はいない。
私は毎日、退屈な時間をコップを磨いて過ごしていた。
そんなある日、かもめ食堂にフィンランド人の若者が入ってきた。にゃろめシャツの若者だった。
「かもめ。……あ、いらっしゃい」
お客さんだ。突然やってきたお客さんに、私はすぐに応じられなかった。
にゃろめシャツの若者は、かもめ食堂の奥のテーブルに座った。私はコーヒーを入れて、若者のテーブルまで運んだ。
「ありがとう」
若者は笑顔と日本語で応じてくれた。
「日本語お上手ですね。にゃろめ、ですね」
「好きですか?」
若者はシャツを引っ張って、私ににゃろめを見せた。きっと、日本の漫画が好きな人なんだ、と私は察した。
「はい、好きですよ」
私は機嫌よく答えを返した。実際、にゃろめは大好きなキャラクターだった。
「だれだ、だれだ、だれだ……ガッチャマンは好きですか?」
「ガッチャマン? ああ、“誰だ”じゃないですか。誰だ、誰だ、誰だ」
すると若者は、スケッチブックを引っ張り出した。
「全部ご存知?」
「全部? ちょっと待っててくださいね。誰だ、誰だ、誰だ……誰だ?」
メロディは知っているのに、出てこない。なんだか、もどかしい。
『かもめ食堂』には何となく静かで、伸びやかな空気が漂っている。
『かもめ食堂』の風景にはいつも手入れが行き届いていて、清潔感がある。
淡い色彩が重ねられ、光の感触も淡く、それが独特の穏やかさとぬくもりを与えている。
どこか、現実的ではない。日常的な食堂の風景だが、どこか桃源郷的な静謐が全体に漂っている作品だ。
『
登場人物は、それぞれなんらかの役割を担って、機能的に役割を演じている。
だからといって、理屈っぽく構築される物語ではなく、すっきりとした手触りを残すストーリーだ。
一応、閑古鳥の鳴くかもめ食堂が繁盛するまでの物語と読み取ってもいい。
地域の人々との交流の物語と読み取ってもいい。
だが、『かもめ食堂』は目標に向かって邁進する映画ではない。
ただ、かもめ食堂に訪れて、伸びやかな時間をすごし、静かに食事をするひとときを過ごす映画だ。
何となくそこにいて、何となく静かにたたずんでいる映画。
美しさや良心を強く主張するわけでもなく、ドラマチックな何かが待ち受けている映画でもない。
ただ静かにそこにいて、静かなひとときを過ごす映画。
ゆるやかにかもめ食堂を訪ねて、空腹を満たす映画。あるいは、“癒し”のひとときに心の空腹を満たす映画だろう。
『めがね』の記事もあります。
映画記事一覧
作品データ
監督・脚本:荻上直子 原作:群ようこ 音楽:近藤達郎
出演:小林聡美 片桐はいり もたいまさこ
ヤルッコ・ニエミ タリア・マルクス マルック・ペルトラ
■2009/08/15 (Sat)
映画:日本映画■
間宮兄弟の弟、徹信は小学校の用務員。
間宮兄弟の兄、明信はビール会社の商品開発研究員。
二人はいつも仲良しで、一緒に暮らしている。
もういい大人だだけど、いつまでも子供みたい。
この映画をどう捉えるべきか。「ただの癒し映画」と見るのもいいだろう。そういう楽しみ方は間違いではない。しかし、それでは簡単すぎるし、映画監督が題材として選ぶ根拠になりえない。
ある日、弟の徹信がぽつりと提案する。
「この部屋で、カレーパーティをやろうか。先生にも、誰か女の友達連れてきてもらって」
「うん。まず、自分の住んでいるところを見てもらうのが大切だからな」
と兄の信明もすぐに同意して頷く。
でも、他に誰をパーティーに誘うおうか?
「そうだ。あの、直美ちゃんを呼ぼう」
間宮兄弟がいつも行っているビデオショップの店員。僕らに微笑みかけてくれる、最年少の女の人。本間直美ちゃん。
「ビデオショップの? まあ、呼べたら、すごいけど。……安全と思うかな。僕たちを」
徹信は頷きながら首を捻った。
こんな調子で、間宮兄弟の部屋でカレーパーティが開かれることが決まる。
いつも間宮兄弟二人きりの部屋に、女の人がやってくる。
綺麗に整理され、見た目にも美しいコレクション。現代ではこの種の集収癖を「無駄」や、「オタク」といった蔑称が与えられる(まあテレビが悪い)。かつての「趣味人」といった趣で語られなくなった。将来的は、文化の伝達、継承を担う立場になるはずなのだが。
『間宮兄弟』は独特のぬくもりを持った映画だ。
主人公の間宮兄弟は、のっぽとちび。
漫画ならありそうなキャラクターだし、主役を演じる二人の俳優は、漫画的なキャラクターを見事に体現している。
そんな間宮兄弟が暮らす部屋は、小さいけど色んなものが詰まっている。
ふと、子供のおもちゃ箱を連想する。
色んなものが一杯詰まっていて、それでいて小ぎれいに整理されている。きちんと大人になった人間の子供部屋、という感じだ。
この部屋の空気感が映画全体の色調を決定的にしている。
内の世界、外の世界とまったく別種の空気感で描かれている。右は徹信の学校の教室。黒板に登校拒否児童の書いた落書き。“みんなに迷惑かけないようにひとりぼっちになったほうがいい…”作品のテーマの核心を描く場面だ。
しかし、間宮兄弟の部屋の外は、現実の社会だ。
みんな複雑なものを抱えて、精神的な迷いを抱えて、悩んでいる。
うまく行かない人間関係。憎みあったり、喧嘩したり。好きなのに離れたり、嫌いなのに離れられなかったり。
どうしていいのわからなくて、みんな悩んでいる。
間宮兄弟が、自分たちが周辺の社会意識とずれていると気付いている。周りの同世代に合わせて、同様に振る舞ったほうがいいのか?
実は、間宮兄弟にとって、外の世界は憧れの世界だった。
外の世界では、みんな自由で恋をして、大人の世界を生きている。
なのに、自分たちはいつまでも子供のまま。
ちょっと現実の世界に出てみようか。
恋もしてみたいし。
『間宮兄弟』で描かれた“世界”と現代社会が持っている空気の差。人間関係を含めて、何もかもに刺激を求める現代。屈折しているのは、間宮兄弟でなく、現代の社会認識のほうかもしれない。
悩んでも傷ついても、間宮兄弟の部屋に戻ると、二人が温かく迎えてくれる。
どことなく、母親の胎内に戻るような、そんなぬくもりに満ちている。
そんな場所だから、ちょっと皆で集まろうか、なんて気分になる。
ちょっと集ってカレーパーティーでも。
そんな気軽さで見たい映画だ。
映画記事一覧
作品データ
監督・脚本:森田芳光
原作:江國香織 音楽:大島ミチル
出演:佐々木蔵之介 塚地武雅 常盤貴子 沢尻エリカ
北川景子 戸田菜穂 岩崎ひろみ 佐藤隆太
横田鉄平 佐藤恒治 桂憲一 広田レオナ
加藤治子 鈴木拓 高嶋政宏 中島みゆき
間宮兄弟の兄、明信はビール会社の商品開発研究員。
二人はいつも仲良しで、一緒に暮らしている。
もういい大人だだけど、いつまでも子供みたい。
ある日、弟の徹信がぽつりと提案する。
「うん。まず、自分の住んでいるところを見てもらうのが大切だからな」
と兄の信明もすぐに同意して頷く。
でも、他に誰をパーティーに誘うおうか?
間宮兄弟がいつも行っているビデオショップの店員。僕らに微笑みかけてくれる、最年少の女の人。本間直美ちゃん。
「ビデオショップの? まあ、呼べたら、すごいけど。……安全と思うかな。僕たちを」
徹信は頷きながら首を捻った。
こんな調子で、間宮兄弟の部屋でカレーパーティが開かれることが決まる。
いつも間宮兄弟二人きりの部屋に、女の人がやってくる。
『間宮兄弟』は独特のぬくもりを持った映画だ。
漫画ならありそうなキャラクターだし、主役を演じる二人の俳優は、漫画的なキャラクターを見事に体現している。
そんな間宮兄弟が暮らす部屋は、小さいけど色んなものが詰まっている。
ふと、子供のおもちゃ箱を連想する。
色んなものが一杯詰まっていて、それでいて小ぎれいに整理されている。きちんと大人になった人間の子供部屋、という感じだ。
この部屋の空気感が映画全体の色調を決定的にしている。
みんな複雑なものを抱えて、精神的な迷いを抱えて、悩んでいる。
うまく行かない人間関係。憎みあったり、喧嘩したり。好きなのに離れたり、嫌いなのに離れられなかったり。
どうしていいのわからなくて、みんな悩んでいる。
実は、間宮兄弟にとって、外の世界は憧れの世界だった。
外の世界では、みんな自由で恋をして、大人の世界を生きている。
なのに、自分たちはいつまでも子供のまま。
ちょっと現実の世界に出てみようか。
恋もしてみたいし。
どことなく、母親の胎内に戻るような、そんなぬくもりに満ちている。
そんな場所だから、ちょっと皆で集まろうか、なんて気分になる。
ちょっと集ってカレーパーティーでも。
そんな気軽さで見たい映画だ。
映画記事一覧
作品データ
監督・脚本:森田芳光
原作:江國香織 音楽:大島ミチル
出演:佐々木蔵之介 塚地武雅 常盤貴子 沢尻エリカ
北川景子 戸田菜穂 岩崎ひろみ 佐藤隆太
横田鉄平 佐藤恒治 桂憲一 広田レオナ
加藤治子 鈴木拓 高嶋政宏 中島みゆき
■2009/06/28 (Sun)
映画:日本映画■
古典落語を復活させた名師匠、笑満亭橋鶴も臨終の時を迎えようとしていた。
「師匠、なんか、心残りおまへんか。わしら、なんでも、なあ」
一番弟子の笑満亭橋次が、橋鶴師匠の死を察しながら、明るい声をあげる。
すると、橋鶴師匠は呻き声のように言葉を発し始めた。橋次は、橋鶴師匠のそばへ行き、耳を傾ける。
「あ…あ……。そぉ……そぉ、見たい」
橋次は一度、茫然とした表情を見せるが、すぐに「たいしたもんや」と首を捻った。
「なんですの?」
橋次の周りに、笑満亭一門の弟子たちが集合した。
「女性のあれや。あれ見たいって、師匠いうてはるわ」


さっそく笑満亭橋太が家に飛んで帰り、妻の茂子を連れて病室に戻ってきた。
「ほな師匠、いかせてもらいます」
茂子はベッドの上に登り、橋鶴師匠の顔をまたいで立ち、思い切ってスカートを捲り上げた。
橋鶴師匠は、目をかっと見開いて、茂子のスカートの中を凝視していた。
誰もが、良かった、涙をぽろぽろ落としながら頷いていた。
「師匠。どうでした。見せましたよ」
茂子がベッドから降りると、橋次が橋鶴師匠のご機嫌を伺いに進んだ。
「……外、見たい言うたんや、あほ!」
橋鶴師匠が死んだのは、その3分後のことであった。
“笑い”は難しい。特に映画と小説野中での”笑い”は難しい。日本人は映画や小説に厳粛さを求める傾向が強いので、“笑い“を持ち込むのは不謹慎であると感じてしまう。「日本人は演歌気質だから」とはよく聞く理由だ。だから映画でこっメディを作るにしても、やや特殊な切り口が必要になってくる。アメリカ式のどたばたコメディとは違った方向性を探らねばらない。
というくだりで始まる『寝ずの番』は、ほとんどが通夜の晩を舞台としている。
ほとんど何の解説もないまま始まる映画だが、故人の親しい人たちが集り、思い出話によって物語の背景が解説される。
中心的な舞台は、通夜の晩から動かないが、語り手によって物語がうまく展開され、人間のドラマが掘り下げられていく。
《R-15》指定となっているが、下ネタがあまりにも多いのが理由であるらしい。確かに3分おきに下ネタが出てくる映画だ。下ネタの多さで映画倫理基準に引っ掛かる映画なんて、そうそうないだろう。
通夜の晩に語られる無礼講の物語だ。
エピソードの一つ一つは短いが、少しずつ折り重なって、映画らしい厚みのあるドラマへと昇華していく。
故人がどんな人間か、故人がかつてどんな仕事を経てきたのか。
一見すると、噺家の通夜の一幕を、ただ区切り取った
だけのように見える。
だが物語の構成は周到で、点々と語られた物語が、綴られていくうちに大きなドラマへと発展していく。
はじめに笑いがあり、次に意外な事実が明かされ、涙のドラマへと進んでいく。
主人公が落語家という設定なので、その方面から多くのゲストが登場する。ほとんどが顔見せ程度だが、こういうちょっと変わった趣向の映画だから、注目だ。
『寝ずの番』の物語は、“死”から始まる。
不幸だから笑えるのか、不幸だから笑おうとするのか。
普通なら笑いなど起きそうもない場所での物語だ。
だが、そんな場所だから落語家の人生が現れてくるのかもしれない。
映画記事一覧
作品データ
監督:マキノ雅彦 原作:中島らも
音楽:大谷幸 脚本:大森寿美男
出演:長門裕之 中井貴一 笹野高史 岸部一徳
木下ほうか 田中章 木村佳乃 土屋久美子
富司純子 石田太郎 蛭子能収 堺正章
「師匠、なんか、心残りおまへんか。わしら、なんでも、なあ」
一番弟子の笑満亭橋次が、橋鶴師匠の死を察しながら、明るい声をあげる。
すると、橋鶴師匠は呻き声のように言葉を発し始めた。橋次は、橋鶴師匠のそばへ行き、耳を傾ける。
橋次は一度、茫然とした表情を見せるが、すぐに「たいしたもんや」と首を捻った。
「なんですの?」
橋次の周りに、笑満亭一門の弟子たちが集合した。
「女性のあれや。あれ見たいって、師匠いうてはるわ」
さっそく笑満亭橋太が家に飛んで帰り、妻の茂子を連れて病室に戻ってきた。
「ほな師匠、いかせてもらいます」
橋鶴師匠は、目をかっと見開いて、茂子のスカートの中を凝視していた。
誰もが、良かった、涙をぽろぽろ落としながら頷いていた。
「師匠。どうでした。見せましたよ」
茂子がベッドから降りると、橋次が橋鶴師匠のご機嫌を伺いに進んだ。
「……外、見たい言うたんや、あほ!」
橋鶴師匠が死んだのは、その3分後のことであった。
というくだりで始まる『寝ずの番』は、ほとんどが通夜の晩を舞台としている。
ほとんど何の解説もないまま始まる映画だが、故人の親しい人たちが集り、思い出話によって物語の背景が解説される。
中心的な舞台は、通夜の晩から動かないが、語り手によって物語がうまく展開され、人間のドラマが掘り下げられていく。
エピソードの一つ一つは短いが、少しずつ折り重なって、映画らしい厚みのあるドラマへと昇華していく。
故人がどんな人間か、故人がかつてどんな仕事を経てきたのか。
一見すると、噺家の通夜の一幕を、ただ区切り取った
だが物語の構成は周到で、点々と語られた物語が、綴られていくうちに大きなドラマへと発展していく。
はじめに笑いがあり、次に意外な事実が明かされ、涙のドラマへと進んでいく。
『寝ずの番』の物語は、“死”から始まる。
不幸だから笑えるのか、不幸だから笑おうとするのか。
普通なら笑いなど起きそうもない場所での物語だ。
だが、そんな場所だから落語家の人生が現れてくるのかもしれない。
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作品データ
監督:マキノ雅彦 原作:中島らも
音楽:大谷幸 脚本:大森寿美男
出演:長門裕之 中井貴一 笹野高史 岸部一徳
木下ほうか 田中章 木村佳乃 土屋久美子
富司純子 石田太郎 蛭子能収 堺正章