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■2009/09/10 (Thu)
タイを中心に、謎のウィルスが発生。ウィルスに感染すると、全身から血を噴き出し死亡してしまう。
そのウィルスは自然的なものではなく、人間の手によって作られたものだった。事件の背景にあるのは、人類の増加を抑制しようとする、過激派の自然保護団体ブルーシップの陰謀だった。ブルーシップは新種のウィルスを武器に、世界の破滅を目論んでいた。
61a4d56d.jpg86af70de.jpg物語のキーを握るのは、二人の少年と少女。Lに保護され、ともに活動する。しかし物語を俯瞰してみると、あまり物語の構造に介入してこない。「設定だけで役に立っていない」キャラクターになっているのが残念だ。
タイに潜入捜査していたFは、少年を連れ、村から脱出。
少年はウィルスが蔓延する村にいながら、唯一感染しなかったのだ。しかし、ブルーシップの刺客がFを葬ろうと追跡する。
死を覚悟したFは、少年をワタリに託し、死亡する。
79860be6.jpg87170b6e.jpgライトとの戦いを終えたL。死までの23日間を、捜査資料の整理に当てようとする。


一方日本では、エルはライトと最後の決着を終らせるところだった。
エルはデスノートに書かれていたルールを利用し、ライトの犯罪を暴きだす。戦いはエルの勝利であったが、結果としてエルは23日後の死亡が確定してしまった。
エルの死亡まであと23日間。そんな最中に、タイの少年が、ワタリを頼って訪ねてくる……。
3033c80d.jpg157b6835.jpg本当の天才は常に社会に影響を与えるもの。天才に急速は与えられず、次なる挑戦が突きつけられる。Lの前に現れたのは、同じ孤児院を卒業した“天才”。Lの相手に不足はない。
人気原作をヒントに制作された、オリジナル・ストーリー作品である。
8aed11d5.jpg手抜き映画にしか見えなかった前作『デスノート』より、確実に物語の規模はスケールアップして、いくらか落ち着いて観賞できる作品となっている。
跳躍したストーリー・アイデアは相変わらずだし、それが密度の高いディティールの中で描かれ、より『デスノート』らしい風格が現れている。
58f246f2.jpg話題映画であるが、大金が注ぎ込まれた大作映画ではない。むしろ予算的には低予算映画くらいだろう。冒頭の奇病が発生するタイのシーンは致命的な安っぽさだ。冒頭シーンは観客を引きこむシーンなのに、スタート地点からやや苦しい。

b4bddea9.jpg今回のLの敵は、同じくワタリの教え子であるKのコードネームを持つ女だ。Lと同様の天才的頭脳を持ちながら、人類に失望し、世界滅亡の計画に加担する。ライトと方法は違うが、やはり新世界の創造を目的とする。
新世界の覇者を計画する女とL。
c55164d5.jpgライトとLという構図は、そのまま踏襲しつつ物語を新しい領域に突入させている。原作を再構築し、新しい展開を作り出す方法としては、実に正しい描き方をしている。

587a6baf.jpg『デスノート』の魅力は跳躍したストーリー・アイデアにある。名前を書き込んだら死亡してしまうノート。それを拾ってしまう天才少年。天才ライトは、そのノートを使って理想世界の再構築を想像する。
8bd9d1fb.jpg物語の中心となるのは、ライトとLの頭脳戦だ。物語の背景は平凡な日常だが、あらゆるものが対決の道具として利用される。テレビ・メディアやFBI(FBIは米国外での活動は認められていない)、そのうちにもミサイルなんてものも出てきた。面白ければなb4bcb337.jpgんで活用する、意外性があれば考証など必要としない。
はっきりいえば、ミステリとしては不合格だ。フィクションなど所詮、ウソの物語に過ぎないが、接している最中だけは現実に感じられなければならない。そうでなければ、読者を引き込み、一定の緊張感を与えることはできない。「ひょっとして、事実としてありえるかもしれない……けど」その緊張こそが必要なのだ。
だが『デスノート』には跳躍したアイデアが次々と飛び出す。冒頭の「デスノート」というアイテムからして、リアリズムの世界から一歩、踏み外してしまっている。しかしだからこそ、読者を未体験の領域へと引き込めたのだ。絶対にありえないが、物語のルール上ではすべてがありえる現象として描かれている。そのルールの中で、近年のスポーツ漫画にすらないギリギリまで神経をすり減らした頭脳戦に読者を読書に引きこんでいった。
その一方で、人物や背景の描写は驚くほど高精細に描かれていく。徹底した観察と完璧な描画力によって、物語が欠落している“リアリズム”を回収しようとする。
リアリズムという発想を捨てたからこそ、『デスノート』という物語のあったのであり、あの狂騒的な緊張感が描き出せたのだ。
868c485d.jpg何のために登場したのかわからないFBI役の南原清隆。テレビ出資映画だから、おそらく「テレビで有名な芸能人を出せば注目される」と判断されたのだろう。日本式スターシステム、というビジネスモデルの残像(信仰というべきか?)はまだまだ業界に根強い。
d8329f74.jpg実写版『デスノート』はおそらく、リアリズムの設計を間違えた作品なのだろう。『デスノート』は物語にはリアリズムはないが、あの重量感のある絵画があったからこそ、バランスが保てたのだ。
実写版『デスノート』は何もかもが軽々しく、緊張感などどこにもない間抜けな映画に作られてしまった。おそらく前作を担当した金子修介監督は、原作『デスノート』の読み方を間違えたのだろう。それから、読者がどんな視点で見ていたのか、それも同時に読み違えたのだ。

実写版『デスノート』の続編として描かれた『L cange the WorLd』はある程度の軌道修正として作品が再構築されている。
原作の特色をうまくすくい取り、オリジナル・ストーリーとして再構築している。跳躍したストーリー・アイデアと天才同士の対決、その周辺に描き出される少々のリアリズム。『L cange the WorLd』はちゃんと『デスノート』として描かれている。
140adcbb.jpg物語に意外性はまったくない。大人しく形に収まったという感じだ。ただ松山ケンイチは、映画史に残るユニークなキャラクターを体現した。Lとお別れするのが、少し惜しい気持ちになる映画だ。

1a666913.jpg主人公のLは、前作の攻防戦の結果、あと23日で死亡するという回避不能の宿命を背負っている。
しかし、Lは最後の瞬間まで事件を諦めない。
『デスノート』においては部屋から一歩も出なかったLが、外に飛び出し、身を削って走り、飛び、息を切らせる。ワタリなき今、Lはたった一人で最後の戦いに挑んでいく。
Lにとってこの物語は、戦いの物語である以上に、成長の物語でもあるのだ。
終わりのときまで人生を諦めず、何を残せるのか。Lは、たった23日の間に人生のすべてを凝縮させようとする。
いかにも番外編という小さな作品ではない。Lの最後にふさわしい、痛快なエンターティメントだ。

映画記事一覧

作品データ
監督:中田秀夫 原作:大場ツグミ 小畑健
音楽:川井憲次 脚本:小林弘利
出演:松山ケンイチ 工藤夕貴
〇〇〇福田麻由子 南原清隆
〇〇〇平泉成 福田響志



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■2009/08/29 (Sat)
雪は降り止む気配はなく、すでに随分な厚みを作り始めている。
谷を背にした小さな村は、雪に閉ざされ、白一色に包まれようとしている。
そんな雪の村に、薬箱を背負った男が一人、立ち入っていく。銀髪の蟲師、ギンコだ。
5c587036.jpg150fcf7d.jpg冒頭の雪山のシーンで登場する庄屋は、映画監督のりんたろうが演じている。ただし台詞なしでクローズアップのみ。表情だけだが、なかなかの存在感を放つ。大友克洋繋がりだろう。

庄屋の居間に行くと、男達が囲炉裏を囲んで談笑している声が聞こえた。
ギンコは居間に上がっていき、おずおずと男達に声をかける。
「蟲師のギンコと申します。一夜の軒下を借り受け、しのがせてもらいます」
ギンコは庄屋の主に感謝を告げて、厩に引っ込もうとした。
だが、庄屋の女将が、ギンコを奥の部屋へと誘う。
「実は、診てやってもらいたい者がおるのです」
女将は静かに、秘密を打ち明けるように、切り出した。
そこは深い谷の底の村。風もとおらぬ、静かな村だ。
村では何年かに一度、大雪が降り出すと、しんとして、物音一つしなくなる。静けさが極まると、気付けば話し声が聞こえなくなってしまうという。
昔からそれは、蟲のせいだと言われていた。
7fcaffd7.jpg60b6a92b.jpg真火は原作の設定では少年だったが、少女に変えられた。原作は女流作家らしいショタ趣味で描かれていたが、映画版は男性の監督で、しかも実写では漫画のショタは描けぬと判断されたのだろう。

庄屋の家でも、小間使いの何人かの耳が聞こえなくなっていた。
ギンコは、小間使いの耳を診断して、すぐに“吽”と呼ばれる蟲の仕業であると見抜く。
“阿吽”の“吽”。音を喰う蟲だ。
ギンコはただちに治療薬を作り、小間使いの耳から“吽”を取り除く。
ギンコの手際の良さに感心した庄屋の女将は、「実は」ともうひとつ秘密を打ち明ける。
「もう一人いるんです。それが、他の者とは、なにやら出方が違っておりまして。……両耳を病んでしまった者がおるのです」
屋敷のずっと奥に、秘密の座敷が隠されていた。
そこに、耳を塞ぐ幼い少女がいた。
少女の額には、四本の角が生えていた。
0653d202.jpgaa0aefe9.jpgSFの巨匠が日本の曖昧と言われる感性をどう表現するのか?見てみると、なるほど、原作を解体し、周辺世界をいちから組み上げている。大友克洋流のアプローチ方法を見る絶好の機会だ(大友克洋が映画に他人の原作を扱ったのは、この作品が初めて)。
『蟲師』が舞台とするのは日本だが、どこであるか不明である。
時代もいつの時代に属しているのか、特定できず判然としない。
だが『蟲師』が描いているのは、紛れもなく日本だ。
『蟲師』は、日本人がずっと深いところに感じ、決して失われない精神を描いている。
1e706744.jpgfe3f162d.jpg和の風景が大切に描かれている。光と影のくっきりとした対立。淡幽の屋敷では、常のぼんやりとした影が漂う様が描かれている。大友作品で、こういった中間色の使い方は珍しいはずだ。

『蟲師』には、映画全体に深い影が漂っている。
物語の中で“常闇”と表現される闇は、どこまでも深く、恐ろしく、それでいて静謐に満ちている。
まるで凪いだ水面のようにすべらかで、時々、ゆるやかな風に波紋を浮かべるように、『蟲師』の闇は静かな沈黙を湛えている。
“常闇”が生み出す闇はとてつもなく深いが、そこから感じるのは、恐怖がすべてではない。不思議なぬくもりであり、懐かしさであり、哀しげにさせるようなものが込められている。
それは日本人がずっと古くから、いや、日本の大地が記憶し、日本人に提供し続けてきた感性だ。
f9fd22e3.jpg物語の中心はほとんどが山や村。そういった場所に漂う影の暗さを意識して描かれている。原作は作者の感性のまま自由に世界観が構築され、物語が作り上げられていった。実写劇場版は、大友克洋らしい論理的構築で、物語の組み換えを行っている。電気が出てくる場面など、実に象徴的だ。『蟲師』で描かれた風景も、蟲も、蟲師も、いつか時代の狭間に失われていく運命を描いている。
『蟲師』は妖怪奇譚でもある。
『蟲師』に登場する“蟲”はどこにでもいて、自由に漂っている。
時々人間に取り付き、病を引き起こすが、決して人間を憎み、滅ぼそうとは考えていない。
ただそこに漂い、あるときには人間と共存するものとして描かれている。
『蟲師』が描く“蟲”は、かつて日本中に潜んでいた妖怪の姿を連想させる。
現代の妖怪は、コミックや西洋式唯物主義に毒されて、ただの商業キャラクターに成り下がってしまった。
だが『蟲師』が描いた“蟲”は、現代の風潮に正面から反逆し、日本が土着的に備えていた幽玄さと呼ぶべきものを甦らせている。
眩い白色灯の光が都市を覆い、騒がしいばかりの西洋文化が押し寄せてくる現代においても、我々の精神の底には『蟲師』に描かれたような幽玄さが、今も残っているのだ。
01614928.jpg原作の淡幽は穏やかだが芯の強い女性として描かれていた。実写劇場版を演じた蒼井優は、漫画版より幼く、可憐なイメージ。和装姿が実に美しかった。



映画『蟲師』の物語はあまりも暗く、ひっそりと沈黙している。
f4e18a80.jpgだが、『蟲師』は恐怖映画ではない。
闇が深いからこそ、ふっと射してくる光が美しく際立ってくる。
我々は、日本が土着的に備えていた闇を、通俗的な怪談物語に貶め、消費してきた。
現代人の多くは、暗黒や霊的なものに接しても、もはやテレビで見たインチキ心霊番組しか連想できなくなってしまった。
心の底からぞっとするが、穏やかで、ぬくもりのある闇。
あまりにも静かで、もの悲しげな闇。
『蟲師』の描く日本は、どこであるかわからない。だが日本人がかつて持っていた精神を、はっきりした形で描き、呼び覚まそうとする。

映画記事一覧

作品データ
監督・脚本:大友克洋 原作:漆原友紀
音楽:配島邦明 脚本:村井さだゆき
出演:オダギリジョー 蒼井優 江角マキコ 大森南朋
○○○りりィ 李麗仙 クノ真季子 守山玲愛
○○○稲田英幸 沼田爆 りんたろう



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■2009/08/27 (Thu)
a890f098.jpg荒野に、取り残されたような家が一つ。すでに荒らされて、家主が家の前に倒れていた。
家主は額を一発撃ち抜かれて死んでいた。
そんな荒んだ場所を背景にしながら、男が一人、静けさを讃えて座っ61e971cf.jpgていた。男の前には鍋が用意され、鍋は焚き火の炎に当てられていた。鍋の中の豚肉や焼き豆腐が、いよいよぐつぐつと踊り始めようとしている。
男の背後に、気配が忍び寄った。一人、二人、三人。リッチとその手下たちだ。
リッチたちは気配を隠そうとせず、堂々と拍車の音を鳴らし男歩み寄り、撃鉄をあげる音を聞かせた。
「ピリンゴ。探したぜ。お前もここで終わりだ」
リッチは今にも上擦りそうな声で、勝利を宣言した。
そのとき、砂を交えた風に、鐘の音がひっそりと混じった。
「何の音だ?」
リッチがにわかに動揺を示して、音の方角を探ろうとした。
「祇園精舎の鐘の音」
ピリンゴがようやく口を開いた。だがその眼差しは、ピリンゴを取り囲む男たちではなく、鍋の具合に注がれている。
「なに?」
e3b30e18.jpg「源氏と平家を知っているか? 遠い島国で、赤と白に分かれて戦った」
ピリンゴは淡々とした静けさを纏いながら、掌の中の卵をいじった。
「どっちが勝った。白か」
リッチはピリンゴを追い詰めるように、二歩、接近した。
「決戦の地は壇ノ浦。赤い平家は、白い源氏に破れた。その物語は、このように始まる。
 祇園精舎の鐘の声 諸行無常の響きあり
  娑羅双樹の花の色 盛者必衰の理を顕す
   奢れる者も久しからず ただ春の夜の夢の如し
    偏に風の前の塵に同じ……」
ce732b5c.jpgd839e819.jpgタイトルに『スキヤキ』の名前が入れられたのは、西部劇の通称が『マカロニ』だからだ。成程『スキヤキ』の呼称がぴったりの、ごった煮の映画だ。
宿場町“根畑(ネヴァダ)”。
そこは不法者に占拠されて、治安を失った町だった。
中心となるのは平家と源氏とよばれる二つの勢力で、毎日のように殺伐とした殺し合いを繰り広げていた。
そんな宿場町に、一人の流れ者がやってくる。男は決して名を名乗らず、宿場町の渾沌を浄化しようと立ち上がる。
『スキヤキ・ウェスタン・ジャンゴ』はそんな冒頭で始まる西部劇映画だ。
物語の骨格はダシール・ハメットの『血の収穫』をベースにしている。
かつて黒澤明監督が『用心棒』の原作に採用した作品で、いまやハードボイルド・アクションドラマのオリジナルとして掲げられている小説だ。
『スキヤキ・ウェスタン・ジャンゴ』はあまりにも奇抜な設定とシチュエーション満載で描かれるが、物語自体は、躊躇いもなく王道を突き進んだ映画だ。
aef8a31b.jpg72a85b84.jpg“静”から“動”へ、渾沌へと流れていく描写は、三池監督の特徴だ。三池監督には、かつて職業映画監督が持っていた気質を感じる。今、自在にエンターティンメントを作れる数少ない映画監督だ。
「SF映画は英語圏文化の産物であって、日本語で撮影できない」
とは某映画監督の言葉だ。
同じ理由で、西部劇も英語圏文化の産物であって、銃社会の歴史を持たない日本では、西部劇は撮影できない。
もし日本語で制作しても、奇怪なイミテーションができあがるに決まっている。
アメリカがSFという舞台を採用しなければ、チャンバラ映画『スター・ウォーズ』を製作できなかったのと、同じ理由だ。
だから『スキヤキ・ウェスタン・ジャンゴ』は、日米の文化が奇怪な感性が入り混じって作られている。
出演俳優のほとんどは日本人だが、英語で喋り、西洋の衣装を身にまとっている。
26147f54.jpg4d94bed7.jpg後半に進むほど、コメディタッチ(開き直り)の度合いが強くなる。そもそもまともでない設計の映画に、まともな展開を求めてはいけない。コメディともシリアスとも言わない、形容しづらい映画だ。
映画『スキヤキ・ウェスタン・ジャンゴ』は、あまりにも独特の感性で製作された映画だ。
舞台となる宿場町の風景は細部まで描かれて、重量感のあるリアリズムで描かれている。
だが、何かがおかしい。いや、全てがおかしい。
そもそも、日本人俳優が英語で演技している時点で、『スキヤキ・ウェスタン・ジャンゴ』は奇怪な映画として運命を宿命付けられているのだ。
だから映画制作者たちは、気持ちのいいくらい、開き直って奇怪なものを奇怪なものとして描いている。
『スキヤキ・ウェスタン・ジャンゴ』の感性は、とどめる物はなく放出され、それが見事なまでの痛快さを演出している。
『スキヤキ・ウェスタン・ジャンゴ』が本当に融合させたのは、日米の文化ではなく、映画的リアリズムと、多分、おふざけだ。

映画記事一覧

作品データ
監督・脚本:三池崇史 原作:ダシール・ハメット
音楽:遠藤浩二 脚本:NAKA雅MURA
出演:伊藤英明 佐藤浩市 伊勢谷友介 安藤政信
    堺雅人 小栗旬 田中要次 石橋貴明
    木村佳乃 内田流果 溝口琢矢 稲宮誠
    クエンティ・タランティーノ



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■2009/08/27 (Thu)
1851ef17.jpg下級武士である平松正四郎は、御勘定仕切りの監査で、城に三日間ぶっ通しで勤めていた。
そんな時、老職部屋の若い付番が、平松に声をかけた。田原様がお呼びです、という用向きだった。
正四郎が行ってみると、田原権右衛門はいきなり、
「お前の家にいるあの娘は、どういう関係の者だ」
4b71c075.jpgと、厳しく問い詰める。
実は平松は、城代家老の娘との縁談話が決まったばかりだった。
そんなところに、家に見知らぬ女がいるとなると、大問題だ。
しかし正四郎は、三日間、城に務めきりなので、なんの話なのかさっぱりわからない。
御勘定仕切りの仕事を投げ出すわけにも行かず、正四郎が家に帰ったのは、その翌日のことだった。
2b297e54.jpg謎の女は確かに家にいた。何日も旅してきたように服はボロボロで、飢えで倒れてしまう。しかも記憶喪失だ。この女は何者なのか。着ていた着物はどうやら武家のものらしい。針仕事をこなすなど、ヒントになりそうなものは多い。


正四郎が慌てて家に帰ると、確かに女はいた。
だが、女は記憶をなくしていて、何を尋ねても答えを返さない。
家扶の吉塚に尋ねるも、素性がわからず、わからないまま家にあげてしまった、と話す。
fcb5aff4.jpg「これは、誰かのいたずらか、あるいは罠に違いない……」
そう考えた正四郎は、娘を一度追い出し、その後をつけてみることにした。
ところが娘は当てもなく歩き、ついには人気のない観音堂に入っていった。
そんな場所で娘は小さく震え、おかあさま、と呟く。
しかもそこに、駕籠かきの男が二人やってきて、娘に声をかける。
これはいけない、と思った平松正四郎は、娘の前に現れ「それは私の連れだ」と引き止める。
こうして、この謎の女は、平松の家で養われることとなった。
fde63ea2.jpg山本周五郎作品には、「下級武士の下に、ある日、女が訪ねてきて……」というシチュエーションは意外と多い。どれも傑作なのでお勧めだ。(ぱっとしない少年の下に美少女が訪ねる、という展開はアニメでも多いが。何か繋がるものでもあるのだろうか)


『その木戸を通って』この作品が制作されたのは、1993年8月だ。
a205c39e.jpgだが、作品は一度BSで放送されたきり、完全に忘れられ、ビデオとして製品化すらされなかった。
皮肉にも、市川崑監督死去により、『その木戸を通って』は掘り起こされ、再び光に当てられることとなった。
制作当時の情緒や、幻想小説的な不可思議さは、まったく魔力を失われていない。
十数年の時が流れているが、そんな経過などまったく感じさせない傑作だ。
362ce7df.jpg場面によって色彩がうまくコントロールされている。雨のシーンでは特に幻想的な雰囲気が出ている。ふさを中心に描く場面には、紫の色彩がよく使われている。



『その木戸を通って』は山本周五郎の小説を原作にした作品だ。
4e5c89aa.jpg物語は、記憶喪失の女と、その女に恋心を抱く男のロマンスだ。
だが、『その木戸を通って』は解明の物語ではない。
女の失われた記憶が重要なのはもちろんだが、そのすべてがすっかり解明される物語ではない。
それゆえに、映画には幻想的な空気に満ちている。
記憶喪失という神秘を背負った女と、その周囲の人間の感情の動きを、映画は静かに描き、重ねていく。
77822a27.jpg映画版『その木戸を通って』では原作にはない、その後のエピソードが少し追加されている。2時間映画ならではの情緒を引く結末だ。小説版映画版どちらにおいても、静かな物語だが果てしないドラマを背景に予感させる作品になっている。


女はやがて“ふさ”の名前が与えられ、平松家での日常を順応していく。
それでも時々、ふさを過去の記憶が襲う。
ふさは、過去の記憶に怯えている。その記憶が、今の幸福な生活をすっかり奪い去っていくのでは、と怯えている。
幻想とは、一般に考えられているような明るいメルヘンではない。
人間精神の最も深い闇、猥雑で、おぞましい悪霊の潜む場所だ。
21ca7c83.jpgそんな場所で、子鬼達が人間の魂を戯れで秤にかけている。
映画は、時々、ふさの意識の内部へと潜り込んでいく。日常が覆いつくす現実に、幻想をひっそりと混じらせ、我々を“あちらの世界”へと引き込もうとする。
ふさは、あちらの世界の住人だ。だから幻想の景色がフレーム一杯に覆い、現実世界が失われたその時、ふさは“あちらの世界”へと去ってしまう。
“木戸”とは“ゲート”だ。
女は、やがてやってたときのように去っていく。名のなかった、謎の女だったときのように。
だが平松正四郎の心に、あるいは我々観客の心に、多くの痕跡を残していく。

映画記事一覧

作品データ
監督・脚本:市川崑 原作:山本周五郎
音楽:谷川賢作 脚本:中村努
撮影:秋場武男 編集:長田千鶴子
出演:中井貴一 浅野ゆう子 フランキー堺 神山繁
    市川比佐志 岸田今日子 石坂浩二 榎木孝明



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■2009/08/27 (Thu)
春野一は、田圃の脇の道を走っていた。
目の前の線路を、電車が駆け抜ける。
電車の中には、春野一が片思いをし続けた女の子が乗っていた。
その春、片思いだった女の子は転校してしまった。
一度も言葉を交わさないまま、春野一は失恋した。
5a929b99.jpg64d4b91b.jpg冒頭の二つのデジタルカット。この二つのシーンだけでも映画の色調を解説している。デジタルの効果についても考えさせられる。デジタルは仰々しいエフェクトが全てではなく、作家の夢想世界を具現化するのにも役立つ。
春野幸子は、大きな自分が、自分を眺めるのに悩まされていた。
大きな自分は、どこにでも現れ、気付くと自分を見下ろしている。
いったいいつになったら、あの大きな自分が消えてくれるのか、春野幸子は考えていた。
9420ef30.jpg52dfc040.jpg恐怖映画の雰囲気で語られる、入れ墨と血まみれの男。だが、その頭にはうんこ。『茶の味』は小さな断片になった物語(キャラクター?)がいくつも並んでいるイメージだ。通常の連続した物語と少し違う趣向で作られている。
ある日、幸子は、アヤノおじさんと春野一の二人が話しているのを聞く。
「あの、お前がよく行っている瓢箪池ってあるだろ。あそこさ、昔、森だったんだ。“呪いの森”って言われててさあ、俺が小学校6年生の頃、俺、あそこで初めての野糞デビューしたんだよな」
その野糞を切っ掛けに、入れ墨をした血まみれの男が、アヤノおじさんの前に現われるようになった。
血まみれの男は、アヤノおじさんが逆上がりができるようになった瞬間、姿を消した。
春野幸子は、自分も逆上がりができるようになったら、大きな自分も消えるのでは、と考えるようになる。
4d75cc74.jpgc3290f9e.jpg幸子は、誰もいない空き地に鉄棒を見つける。物語とは主人公が何かを思い立ち、達成するまでの過程と経過と位置づけるならば、“逆上がり”はキーとなる。だが、この映画の場合、本質はもう少し別のところにありそうだ。
一方、春野一の高校に、女の子が転校してきた。
鈴石アオイ。
美人で、勝気な女の子だった。それに、趣味は自分と同じ囲碁だった。
春野一に、新たな恋の予感が巡ってきた。
0d994424.jpgf6559c1c.jpg漫画家のおじいちゃんは、アニメーター美子の師匠という設定。美子の下に、時々「アニメ監督」が訪れるが、その監督がまさかの庵野秀明。動画を見ている様子は、やはり自然だ。

映画は、春野一家の周辺を、静かに、つぶさに描いていく。
大きなドラマはなく、ただ過ぎ去って行く日々をのんびりと眺めていく。
ただし、ありふれた日常の物語とは少し違う。
映画の登場人物たちは、どこか不思議な人たちばかりだ。
大きな自分に見詰められている幸子。
かつて漫画家だったおじいちゃん。
アニメーターのお母さんの美子。
そんな一家のもとに集まり、訪れる人たちはみんなどこか変わっている。
映画は、そんな人々の日常を強調的に表現するわけでもなく、ドラマを組み立てるわけでもなく、のんびりとした時間の経過を描いていく。
c8d66852.jpg加瀬亮、土屋アンナ、松山ケンイチ、轟木一騎(エヴァンゲリヲン新劇場版の監督助手)……改めて出演者を見ると、後に出世した人達がたくさん顔を並べている。そう思うと、なかなか貴重な作品だ。



一言で形容し、カテゴライズしづらい映画だ。
家族映画ではないし、青春映画ではないし、もちろんコメディ映画でもないし、恋愛映画でもなさそうだ。
“シュール”という便利な言葉はあるが、それはカテゴライズに失敗した言葉であって、何か特定の範疇を指す言葉ではない。
まず、物語の構成自体、通俗的な映画の手法とかなり違っている。
言葉はなに一つ解説せず、登場人物同士がどう連なっているのかほとんどわからない。
ドラマチックなクライマックスなども、もちろんない。
ただただ、とてつもなく不思議な景色が映画全体に溢れている。
この映画の感性を理解するのに、言葉は不十分だし、言葉の無力さを痛感せずに入られない。
とにかく自身の目で映画を見て、自身の感性で“何か”を感じるべきだろう。

映画記事一覧

作品データ
監督・原作・脚本:石井克人
音楽:リトルテンポ
出演:坂野真弥 佐藤貴広 浅野忠信 手塚理美
    我修院達也 土屋アンナ 中嶋朋子 三浦友和
    轟木一騎 加瀬亮 庵野秀明 岡田義徳
    寺島進 武田真治 森山開次 松山ケンイチ



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