■ 最新記事
(08/15)
(08/14)
(08/13)
(08/12)
(08/11)
(08/10)
(08/09)
(08/08)
(08/07)
(08/06)
■ カテゴリー
お探し記事は【記事一覧 索引】が便利です。
■2009/10/04 (Sun)
映画:外国映画■
物語の前夜、大きな台風が町を通り過ぎる。主人公のデヴィッドの家では古い木が倒れこむ大惨事だった。仕事場は全壊し、電気も通らなくなった。どうやら緊急のため、食糧を買い込む必要がありそうだ。
デヴィッドは息子のビリー、隣人のノートンと一緒に街のスーパーに向かった。
スーパーでは同じ目的で緊急の食糧を買い込む人でごった返していた。街の人たちはにわかにそわそわし始めていたが、まだ平和な風景だった。
しかし突然に血まみれの男がスーパーに飛び込んだ。
「霧の中に“何か”がいる!」
――霧?
霧とは何のことだ?
困惑している間に、霧が瞬く間に漂ってスーパーを覆ってしまう。霧は異様に濃く、視界のすべてを覆ってしまう。確かに普通の霧ではない、何かの事件を予感させていた。
霧の中に何かがいる。
しかしそれがなんなのかわからない。とにかく、危険な何かがいる。
霧が街全体を覆い、人々はそのままスーパーに篭城する。霧や怪物などはCGなどで描かれる。デジタルの精度にはさほどのこだわりを感じないが、映画のテーマはそこが中心ではないから問題ではないだろう。
この映画には、派手な音楽もエフェクトもない。あまりにも静かに、人間が閉鎖空間の中で変質し、狂信的に狂っていく様が描かれる。
怪物映画だが、怪物の登場は控えめだ。要所要所に登場し、少し見る者を脅かす程度だ。怪物の造形は今時の映画ではよくありがちなもので驚きはない。物語やシチュエーションも、過去映画において何度も繰り返された形式だから、取り立てて新しいと思えるビジョンはない。
よくある状況によくある人間模様。怪物映画の定番シーンは全て網羅している、と言っていい。
しかしあえて取り上げるならば、人間の描写である。映画『ミスト』は怪物の恐ろしさを取り上げた映画ではない。人間の心理こそを映画のテーマにしている。
スーパーという閉鎖空間。スーパーの外は霧でほとんど視界が遮られ、恐ろしい“何か”がいる。その“何か”が何なのか具体的にわからない。だからスーパーに集った人々は、そこから一歩も出ることができない。
スーパーという日常空間は、恐怖に捉われることによって次第に異常空間に変貌する。人間の理性が次第に剥がれ落ち、蛮性をむき出しにさせ、原始宗教に傾倒しはじめる。文明化されたはずの人間の精神が、いかに脆いかを描き出す。映画のカメラは、人間の文明的な精神がいかに崩壊していくかを、淡々と静かに捉え、描いていく。
フランク・ダラボンは脚本家時代には、意外にも『エルムガイの悪夢3』や『ザ・フライ2』などを手がけていた。だから恐怖映画はフランク・ダラボンにとってホームなのだ。他に、脚本作品に『プライベート・ライアン』などがある。
監督であるフランク・ダラボンは『ショーシャンクの空に』と『グリーンマイル』のたった2作で巨匠と呼ばれるようになった人物だ。そのフランク・ダラボンが通俗的な怪物映画と制作する。
大丈夫か、と思ったのは最初の5分だけだ。人間の心理描写は、どの映画よりも繊細で深い。怪物の登場という異常状況が、むしろフランク・ダラボンの個性を強烈にしている。
このジャンルの多くは、主人公のみが冷静な理性として描かれる。しかし映画『ミスト』の視点はもって冷徹だ。主人公は超人ではないし、予見者でもない。主人公ですら、大きな状況の一つに過ぎず、ただ大きな状況に飲まれるだけだ。
人間の理性は危うく、信用が置けない。主人公はスーパーの人々とは違って特別な理性を保っているように思えたが、実際にはある程度の個人的自立性を維持していただけに過ぎない。
ここでは多くを語れない。
映画がどんな経過をたどり、どんな結末を迎えるか。それは自身の目で確かめるべきだろう。
映画記事一覧
作品データ
監督:フランク・ダラボン
音楽:マーク・アイシャム 原作:スティーヴン・キング
出演:トーマス・ジェーン マーシャ・ゲイ・ハーデン
〇〇〇ローリー・ホールデン アンドレ・ブラウアー
〇〇〇トビー・ジョーンズ ウィリアム・サドラー
〇〇〇ジェフリー・デマン アレクサ・ダヴァロス
デヴィッドは息子のビリー、隣人のノートンと一緒に街のスーパーに向かった。
スーパーでは同じ目的で緊急の食糧を買い込む人でごった返していた。街の人たちはにわかにそわそわし始めていたが、まだ平和な風景だった。
しかし突然に血まみれの男がスーパーに飛び込んだ。
「霧の中に“何か”がいる!」
――霧?
霧とは何のことだ?
困惑している間に、霧が瞬く間に漂ってスーパーを覆ってしまう。霧は異様に濃く、視界のすべてを覆ってしまう。確かに普通の霧ではない、何かの事件を予感させていた。
霧の中に何かがいる。
しかしそれがなんなのかわからない。とにかく、危険な何かがいる。
霧が街全体を覆い、人々はそのままスーパーに篭城する。霧や怪物などはCGなどで描かれる。デジタルの精度にはさほどのこだわりを感じないが、映画のテーマはそこが中心ではないから問題ではないだろう。
この映画には、派手な音楽もエフェクトもない。あまりにも静かに、人間が閉鎖空間の中で変質し、狂信的に狂っていく様が描かれる。
怪物映画だが、怪物の登場は控えめだ。要所要所に登場し、少し見る者を脅かす程度だ。怪物の造形は今時の映画ではよくありがちなもので驚きはない。物語やシチュエーションも、過去映画において何度も繰り返された形式だから、取り立てて新しいと思えるビジョンはない。
よくある状況によくある人間模様。怪物映画の定番シーンは全て網羅している、と言っていい。
しかしあえて取り上げるならば、人間の描写である。映画『ミスト』は怪物の恐ろしさを取り上げた映画ではない。人間の心理こそを映画のテーマにしている。
スーパーという閉鎖空間。スーパーの外は霧でほとんど視界が遮られ、恐ろしい“何か”がいる。その“何か”が何なのか具体的にわからない。だからスーパーに集った人々は、そこから一歩も出ることができない。
スーパーという日常空間は、恐怖に捉われることによって次第に異常空間に変貌する。人間の理性が次第に剥がれ落ち、蛮性をむき出しにさせ、原始宗教に傾倒しはじめる。文明化されたはずの人間の精神が、いかに脆いかを描き出す。映画のカメラは、人間の文明的な精神がいかに崩壊していくかを、淡々と静かに捉え、描いていく。
フランク・ダラボンは脚本家時代には、意外にも『エルムガイの悪夢3』や『ザ・フライ2』などを手がけていた。だから恐怖映画はフランク・ダラボンにとってホームなのだ。他に、脚本作品に『プライベート・ライアン』などがある。
監督であるフランク・ダラボンは『ショーシャンクの空に』と『グリーンマイル』のたった2作で巨匠と呼ばれるようになった人物だ。そのフランク・ダラボンが通俗的な怪物映画と制作する。
大丈夫か、と思ったのは最初の5分だけだ。人間の心理描写は、どの映画よりも繊細で深い。怪物の登場という異常状況が、むしろフランク・ダラボンの個性を強烈にしている。
このジャンルの多くは、主人公のみが冷静な理性として描かれる。しかし映画『ミスト』の視点はもって冷徹だ。主人公は超人ではないし、予見者でもない。主人公ですら、大きな状況の一つに過ぎず、ただ大きな状況に飲まれるだけだ。
人間の理性は危うく、信用が置けない。主人公はスーパーの人々とは違って特別な理性を保っているように思えたが、実際にはある程度の個人的自立性を維持していただけに過ぎない。
ここでは多くを語れない。
映画がどんな経過をたどり、どんな結末を迎えるか。それは自身の目で確かめるべきだろう。
映画記事一覧
作品データ
監督:フランク・ダラボン
音楽:マーク・アイシャム 原作:スティーヴン・キング
出演:トーマス・ジェーン マーシャ・ゲイ・ハーデン
〇〇〇ローリー・ホールデン アンドレ・ブラウアー
〇〇〇トビー・ジョーンズ ウィリアム・サドラー
〇〇〇ジェフリー・デマン アレクサ・ダヴァロス
PR