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■2011/04/25 (Mon)
前巻からわずか一ヶ月だが早くも絶望先生25集 (1)新刊である。まず「表紙がちゃんと日塔奈美である」ということを取り上げるべきであろう。16巻まで表紙は主人公である糸色望が務め、17巻以降、ヒロインである絶望少女たちが順番に表紙を飾るようになった。この表紙に取り上げられる順番だが、1巻から16巻までの背表紙と同じ順番である。風浦可符香に始まり、小森霧、常月まとい、小節あびる、木村カエレ、音無芽留、木津千里、関内・マリア・太郎。そして日塔奈美である。
しかし絶望放送において、一つの不安が語られるようになった。「本当に日塔奈美が表紙に載るのだろうか」「ひょっとして、日塔奈美だけ飛ばされるのではないだろうか」「いや、普通だから、表紙が和紙から普通紙に変わるのではないか」。熱心な絶望先生読者であれば、この作品における日塔奈美のポジションはよく知っているはずである。ギャグのネタとして弄られやすいキャラクターであり、最近ではエピソードにオチをつける役割を与えられるようになった。そんなキャラであるから――ネタとして――日塔奈美だけ飛ばされるのではないか……。そんな杞憂を払いのけるように、特に何かの笑いのネタにされることなく、日塔奈美は堂々と、それでいて普通に表紙を飾った。絶望先生読者の間にささやかな動揺と期待を与え続けていた懸念は、特に何の問題もなく、普通に去っていったようである。
さて、日塔奈美の表紙であるが――特にコメントすべき特徴が見つからない。いたって普通である。普通の女の子が、普通の袴姿で、これといって個性があるわけでもない普通のポーズを取っている。カチューシャに付属したバラの飾りと、バッグのバラの模様がワンポイントとして衣装に連続性を与えているが、これは日塔奈美のキャラクターとしての個性ではない。ある意味、見事と評すべきの普通さである。艶やかに着飾っても、滲み出てくるどうにもならない普通さ――これを絵画として体現させられる久米田康治の力量に脱帽である。
さて、例によって前巻までのあらすじである。徹底した普通さの中に混じる(見落としがちな)狂気が恐ろしい。あと、最後の一文はセクハラだと思う。

前巻までのあらすじ
つい間違えて乗ってしまった普通列車で、「府中駅」で降りたつもりが「普通駅」。「普通」という名に反して街は異常な事ばかり。普通預金で金利が0.02%だったり、普通高校が無償化されていたり、普通免許とるのに30万円かかったりと、異常すぎる普通のオンパレード。「こんなの普通じゃない」「日本はもっと普通の国になった方がいい」と唱えると、どこからともなく国士様、国士様と持ち上げられて、都知事選に立候補するはめに。そんなおり、前都知事から破いてみろと障子が送られてくる。

第241話 蔓延元年のハロウィン
絶望先生25集 (2)《近所のパーティ会場で爆発事故発生。怪我人多数との情報》
街の大病院でも収容しきれない規模の大きな事故だったらしい。患者が糸色医院にも運ばれてくる。糸色命は緊急体制でこれに応対したのだが――運ばれてくるのは珍妙なコスプレ衣装の患者ばかり。どうやらハロウィン会場での事故だったらしい。魔女や妖怪や髑髏男といった衣装で、体にはたっぷり塗られた血糊、意味もなく巻かれた包帯、突き刺さったナイフの被り物。
「どこまでが怪我でどこまでがコスプレ!」
「いやあ、自分でもよくわからないんですよ」
というわけで心の折れた糸色命は、治療をセルフサービスに切り替えることにした。
「みなさん自分で怪我したところに赤チンでも塗っておいてくださいね」
悪貨は良貨を駆逐する……。
ニセモノがあまりにも多く広まり、市民権を得てしまうと、誰もホンモノに関心を持たなくなる。
安いコピーソフトが出回ると、ホンモノのソフトが売れなくなり、
ガラの悪い客が増えると、良客が店から遠ざかってしまい、
ニュースショーが蔓延して普通のニュースが放送されなくなる。
病院にやたらクレームをつけて大騒ぎすると、医者になろうと考える人も少なくなるかも知れず、そうしたら巡り巡って自分に危難が降りかかるかもしれない。
手に入ればどんなニセモノ、粗悪品でもいい、という考え方が結果として「貧乏街の銭失い」という結果に至るかもしれない。
自身が粗悪品になってはいけないし、一時的な満足でニセモノに手を出すべきでもない。ものの価値について、考えさせられる一遍である。

第242話 安定期というには若すぎる
絶望先生25集 (3)下校途中にある大きな神社が親子連れで一杯になっていた。今日は七五三だ(Wikipedia:七五三)。
ふらりと寄り道した風浦可符香と日塔奈美は、販売所のちとせ飴を買う。が、そのちとせ飴が異様に短く太いことに日塔奈美が不満を漏らす。
「ちょっとちとせ飴ってこんなんでしょう? 細くて長い」
「そういう生き方もあるってことで。本来、長寿を願って細く長く作られていたのですが、「男なら太く短くだろ!」というニーズが例年ありまして、宮司がしぶしぶ商品化しました」
それはそれとして、七五三とは、昔の子供の死亡率が高く、7歳まで生きられないケースがあまりにも多かったため、7歳になったことでようやく生命として安定したと見做されて、神様にお礼をいうための儀式である。
だがここ最近、どうもそれとは別で、とにかく何でも安定したと見做されたものを勝手に神社に持ち込み、一方的に神様にお礼を言い残していくケースが増えているようである。
とそこに現れるのは藤吉晴美。大事そうに胸に抱えているのは贔屓にしている漫画のようである。
「好きな連載が10週こえたので、とりあえず一安心かと」
他にも仕事を始めて一ヶ月経ったから、仕事が安定したと見做して子供を連れてくる親。
知人からの借金の催促が1年こないから、そろそろ大丈夫。
二重に整形したまぶたが1ヶ月たっても戻らないので、とりあえず一安心。
しかし現実問題として、絶対に安心などそうそうあるものではない。安心と信じられ、安心を宣言されていたはずのものが、ある日あっけなく崩壊する可能性と危険は常にあるのである。それこそが『逆七五三』。今まさに、安全だったものが次々に崩壊しようとしている。

第243話 いろいろと飛ぶ教室
絶望先生25集 (6)公園の風景は紅葉に彩られ、並木通りは落ち葉で埋め尽くされていた。そんな光景を前にして、3人の少年たちがセンチメンタルな思いに捉われていた。
「失恋が――したいのです」
まだ恋はしていない。恋をするのは面倒くさいし、ちょっと怖い。でもセンチメンタルな気分だから、失恋のほろ苦さだけは味わってみたい。
恋はしてみたいと思わないけど、失恋はしてみたい。そう、それは「恋の飛び級」と呼ばれている。
アメリカ人などは飛び級を好む性格で知られている。例えば――恋愛しているわけでもないのに、チューをする。これも恋の飛び級である。
この“飛び級”は、恋に限らず様々な場面で見られる。
買いもしないのに新製品に文句をいったり、
まだ疲れてもいないのに、おいしいからとオロナミンCを飲んだり、
国民の声を聞く前に、ビデオ(尖閣)を流出させた犯人を捜したり、
いやいや、実は日本人の多くが次のような“飛び級”を経験し、実践しているのである。
――投票にも行かないくせに政治に文句を言う

第244話 五位は五六年前から焼き芋と云ふ物に異常な執着を持ってゐる
絶望先生25集 (10)やーきーいーもー
街のどこかで安っぽい拡声器の音が聞こえた。甘く焼けた独特の香りと、リヤカーに乗せた屋台の存在感が横切っていく。
どこだろう?
なんともいえない食欲に捉われて、糸色望は声と香りの主を求めて、向うの角を曲がった。しかし、そこに求めていたリヤカーの影はなかった。それでも拡声器の声と気配はどこからともなく聞こえてくる。糸色望は次の通りへ、次の通りへと声の主を探していく。しかし、どんなに探しても、声の主は砂漠で見る湖の幻のように別の通りへと移ってしまう。
「声と匂いはすれど姿は見えず……」
望は苛立ちと不審さを感じて呟いた。
とそこに、日塔奈美が望に声をかける。
「先生。ひとつ食べます?」
振り向く望。見ると新聞紙にくるまれた焼き芋が一山、日塔奈美の腕に抱かれていた。望が焼き芋を凝視していると、奈美が気を利かせて、笑顔で焼き芋をひとつ差し出した。
が、
「止めなよ。」
と止めたのは木津千里だった。
「先生のように育ちのいい人が焼き芋なんて食べないでしょ。」
それもそうだ。焼き芋といえば庶民の食べ物の代表。間違っても望のような名家の者が口にするようなものではないし、差し出せばむしろ失礼に当たる。
でも望の本音は焼き芋を食べたい。だというのに、誰も「両家の坊ちゃんだから」と与えてくれない。これはそう、「逆差別」である!
逆差別――優位とされている部分が逆に差別されることである。
例えば、東大卒がバイトの面接に行ったら、東大生はこんな仕事しないでしょ、と断られたり、
いい人すぎて付き合えないとか言われたり、
アイドルに憧れていたけど、美人すぎてアイドルになれなかったり。
ふと振り返ると、そこには焼き芋を抱えた常月まといが立っていた。
「食べます?」
まといの問いに、望はごくりと生唾を飲み込みながら頷いた。
「デートに付き合ってくれたら、あげますよ」

第245話 人間悪平等起源論
絶望先生25集 (11)なにやら街が慌しい。通りは白黒パトカーで埋め尽くされ、制服警官が通り行く車を一台一台検問している。
どうやらサミットで外国の要人が来日しているらしい。その警備で街全体が不穏な緊張状態に包まれていた。
ふと街頭テレビの緊急ニュースの声が聞こえてきた。
「臨時ニュースです。現在来日されているハルンケア国王の娘、ポラギノール王女が行方不明です」
街頭テレビの映像は、王女の顔写真に切り替わる。その顔を見て、糸色望と絶望少女たちは絶句する。王女の姿が、マリアにそっくりなのだ。
ひょっとすると、これは……。アレである。ヒロインとどこぞの国の王女が瓜二つ――間違えられて追い掛け回されうんたらかんたらっていう展開に違いない。
しかし、この展開に異を唱えるヒロインがここに一人。
「ちょっと、マリアちゃんがヒロインなんですか? なんか不満ですぶーぶー」
膨れっ面を浮かべるのは日塔奈美であった。
緊急ニュースはまだ続くようだ。
「来日しているデリクァ国王の娘、タムチン王女が行方不明……(以下略)
とテレビの映像は、タムチン王女の顔写真に切り替わる。驚くことに、その顔は日塔奈美にそっくり……。
緊急ニュースはまだまだ続くようである。
「新しい行方不明者が出たようです。これが行方不明のリアッピ王女です。さらに別の王女も行方不明で……」
テレビには次々と王女の顔写真がスライドショーされる。そしてその顔写真は、どれも絶望少女たちにそっくり。まさかの全員がプリンセス。これはもはや、クラス演劇で全員がシンデレラの役をやる、最近の平等教育のそれである。
糸色望はこの状況を「悪平等」と看破する。
運動会で手を繋いで一緒にゴールさせ、全員1位とか!
全員が合格点を取れるように、ぬるい問題しか出さなかったりとか!
オレの嫁を出せという意見を平等に聞いてアニメのストーリーがガタガタに壊れたり!
現実的な問題として、平等主義を徹底させようとしたら、もっとも低いレベルに全員が合わせなければならないのだ。

第246話 さ部
絶望先生25集 (13)「こたつは大好き」
と糸色望。
「こたつは大好き」
と小森霧。
2人はこたつに潜り、ぬっくぬくとくつろいでいた。
「しかし、さっきからコレは何ですかね?」
糸色望が体を傾けて左側面を覗き込む。誰も入っていないそこに、“こたつ部”の札が立てかけられていた。
「知らないんですか?」
と入ってきたのは木津千里。
「2名以上の同好の士がいた場合、強制的に部活と断定される決まりになったんです!」
それはあまりにも部活に入らない生徒が多いために、校長が独断で決定したことであった。というわけで小森霧はこたつ部部長、糸色望はこたつ部顧問、それから何の脈絡もなくこの場面に入ってきた日塔奈美が強制的にこたつ部副部長の役割が与えられ、こたつ部は正式な部として成立した。
「日本の憲法では、集会、結社の自由が認められていますから。」
「結社しない自由もあるんです!」
この調子で、木津千里は学校内に様々な部を強制的に結成させていく。

第247話 ハラの立ちたることもなしと思えば
絶望先生25集 (24)クリスマス・イブの夜。宿直室には2のへ組少女たちが集まり、クリスマスツリーの飾り付けを始めていた。しかし宿直室の主役たる糸色望は、部屋の隅っこで無関心そうにテレビとだけ向き合っている。
「先生、参加しないんですか?」
日塔奈美が飾り付けをする手を止めて、糸色望を振り返る。
「クリスマスに浮かれるのは、ちょっと……」
望は曖昧に言葉を濁す。
「ほら、先生クリスマスチルドレンとの噂だから」
あびるがクリスマスツリーの向こう側から顔を出す。
クリスマスチルドレン……誕生日から逆算して、クリスマスに仕込まれたではないかという疑いのある人のことである。糸色望は、その事実を知って以来、正直にクリスマスを楽しめなくなっていた。
とそこにポジティブ女王が暖かな微笑みと共に提案。
「クリスマスだと思うから楽しめないんです。お正月の前祝とでも思えばいいんです」
そう、今日のパーティーはたまたま24日に催されているだけで、飽くまでもクリスマスとは無関係の集まり。
「ただのお正月の前祝なんですね。じゃあ私も心置きなく宴に参加できます」
と喜んでクリスマス……もといお正月の前祝という建前であるパーティーに参加するのであった。
とはいうものの、世間はクリスマスカラー一色。女とイチャイチャ、男とベタベタのリア充に嫉妬の炎を燃やす男/女の怨嗟で街はどろどろとした怨念に包まれていた。
しかし、ポジティブ女王はさわやかな微笑とともに残念な(主に顔が)男性たちに祝福の言葉を与えていく。
クリスマスだと思わなければいいんです。
サンタだと思わなければいいんです。
べたべたしているアベックは、ただの寒がりで、寒さに耐え切れず2人でおしくらまんじゅうしているだけ。
あのプレゼントの箱は、中に入っているのはウィキリークスが流出させた、鳩山家のシチューのレシピが入っているだけ。
あれもこれも、○○と思わなければ何とも思わない。要は考え方、心の持ちよう次第である。

第248話 七草物語
絶望先生25集 (22)「七草かゆだよ」
小森霧が料理を入れた土鍋をこたつテーブルの上に置く。せり、なずな、ごぎょう、はらべら、ほとけのざ、すずな、すずしろ。季節の縁起物がおかゆの中、ふんだんに放り込まれていた。
Wikipedia:七草)(Wikipedia:七草かゆ
しかし七草かゆに不満なのは糸色交。
「こんな草ばっか食べられないよ。こんなに草ばっか食べたら、草食動物になっちゃうよ」
「ならない!」
霧がびしっと叱り付ける。
「わからないですよ」
と食事を続ける望の背中から顔を出すのは常月まとい。
「以前食事情でお肉を食べられない時期があって、葉野菜ばかり食べていたんです。一週間も続けていると、何かこう感覚が研ぎ澄まされたようになって、遠くの物がよく見えるようになったり、小さな物音に敏感になったり。まるで肉食動物に怯える草食動物のように」
なんて説明を聞き流して食事を続ける糸色望。ふと顔をあげると、なぜか宿直室は植物であふれかえっていた。しかも葉っぱは意志があるように動き、喋り、喧嘩まで始める始末。
解説すると、こういうことである。草食化した糸色望は、感覚が鋭くなりすぎて、普段見えるはずのないものが見えるようになったのだ。
そこに現れたのはどこぞの誰かにそっくりな少女、芹の精である「せり」。続いて「なずな」「ごぎょう」「さらべこ」「ほとけのざ」「すずな」「すずしろ」。全員合わせて『無病息災少女《なな☆くさ》』。草なので正真正銘の萌えキャラである。
というわけで急遽、絶望先生内で萌え漫画『なな☆くさ』が始まることになった。

第249話 イワンのなかば
絶望先生25集 (18)年を越えて最初の授業が始まった。糸色望は教壇に立つなり、挨拶もなしにこう切り出す。
「えー、皆さん今年何か新しいことを始めましたか? そしてもう、何をやめましたか」
妙にツヤツヤした顔で望は“やめましたか”とクラスの一同に問う。
茫然と沈黙するクラス一同。
「ちょ、やめたの前提ですか!」
最初に異議の声を上げたのは木津千里だった。
が、
「はい」
風浦可符香が爽やかな声と共に手を挙げる。
「私は早くも日記をつけるのを諦めました」
続いて日塔奈美が手を挙げる。
「私は早くもダイエットを諦めました」
次は大草麻菜実。
「私は早くも計画的なご利用を諦めました」
生徒たちが次々と断念した計画をカミングアウトしていく。しかし糸色望はそれを非難しようとはしない。「石の上には三日が限界」。損切りは早めに決断すべきである、というのが望の主張だった。
うっかり目標を2月まで継続させてしまったら、取り返しがつかなくなるかもしれない。目標の損切りは早めに!
部活は仮入部でやめておけば、優しい先輩のままで終わったはずだった!
成田でやめておけば、熟年離婚で苦しまなくていい!
ケータイゲームも無料のうちにやめておけば、アイテム課金地獄に陥らずに済んだはず!
《ツァイガルニク効果》――人間、成し遂げた物事より、途中で断念してしまった物事のほうが強く印象に残るもの。達成した記録より、中断した記憶のほうがより強い意義(意義?)を持つのだ。だから、むしろ途中でやめたほうがいいのである。(Wikipedia:ツァイガルニク効果
漫画なども半ばで打ち切りになった方が強く印象が残るはず。
成就した恋よりも、半ばで打ち切られた恋のほうが美しい思い出になるはず。
「道半ば」……。そう人間、道半ばであったほうがいつまでも強く、美しく記憶されていくものなのだ。(……道半ばは嫌だ)

第250話 一杯のエスプレッソ分
絶望先生25集 (20)その日、日塔奈美はいつもよりほんの少しオシャレをして、ほんの少し料金の高いお店でランチを食べていた。
ふと隣の席を見ると、
「これでお願いします」
と差し出したのは50%オフのクーポン券。
納得がいかない。こっちは正規料金なのに、あっちは半額。
「あんな店、もう二度と行かない!」
奈美は残念気分でお店を飛び出していった。
そこに糸色望と鉢合わせになる。興奮収まらない奈美は、店でのできごとを望に説明する。
「ふむ。それは今流行の共同購入クーポンってやつですね。逆に考えるんです。自分が正規料金で食べられたからこそ、彼女らが安く食べられたのです。カフェ・ソスペーゾです」
カフェ・ソスペーゾ。それはナポリにおける古い慣習――“粋”である。その昔、ナポリでは裕福な人が1杯のエスプレッソに2杯分の代金を置いていった。それによりカフェにストックされたお金が増え、懐の寂しい人たちに無料でエスプレッソを提供することができた。
それでもやっぱり不満な日塔奈美である。
「でも! あの人たちぜんぜん貧しそうに見えなかった! 小金溜め込んでいそうだし。むしろ正規料金払った私を、情報貧乏としてバカにしている感じ!」
望が負けじとまくし立てる。
「いいやカフェ・ソスペーゾです! 私が定価で買うから、誰かが半額で買えるのです! そう思わないと理不尽でならない!」
本音が出たようである。
やたらめったら割り引きが可能ってことは、「割引価格が適正価格」っていうことではないだろうか。宣伝のためと言われているが、50%オフで来た客が、正規料金でリピーターになるものだろうか。別の50%オフの店に行くだけではないだろうか。
「そこでカフェ・ソスペーゾの精神ですよ。正規料金を支払った誰かがいるからこそ、安く購入できる人たちを支えることができるのです」
例えば、大人がちゃんとした値段で食べているから、お子様ランチが安く提供できる。
ビジネスクラスに正規料金で乗る人がいるから、格安のエコノミーでそれなりのサービスを受けることができる。
高いロースを買ってくれる人がいるから、安いばら肉が食べられるのだ。
ただ、DVDを買ってくれた人が少ないから、第4期はなかったようである。
Wikipedia:フラッシュマーケティング

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漫画・著作:久米田康治
出版・編集:講談社
連載・掲載:週刊少年マガジン
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ネタ解説



『第241話 蔓延元年のハロウィンのおまけ漫画』より、久藤くんのちゃんといい話
ニセモノしか売っていないので、うそつき島の人も自分の島では買い物をしません。わざわざ正直島まで買いに行きます。でも、うそつき島の人のお金はニセモノなので、売ってもらえません。
うそつき島の人は何も売れなくなり、何も買えなくなり、どんどん貧しくなり、どんどん死んでいきました。
その時になってようやく気付きました。信用という最も大切な品を捨ててしまっていたことに。信用はいくらお金を出しても買えません。でも何年も何十年もかけて作り出すしかありませんでした。

素晴らしい寓話である。


絶望先生25集 (4)『第242話 安定期というには若すぎる』より
加賀愛の巫女服に千早を羽織った姿である。248話でも巫女服姿は登場するが、こちらは鶴の模様を散らした丁寧な描写である。
……ちょっとピロシ17歳になってもいいだろうか?

木津千里も巫女服に千早姿である。顔の角度はシャフ度と呼ばれる構図を意識されている。シャフ度とは、顔をカメラに対して左斜め上に向ける状態を保つことで、頬、顎の空間が大きく広がり、視線の持つ距離感が正面状態より長く引き伸ばされ、それによってその場面(あるいは視線が意図している情緒)が持っている冷血的、軽蔑的な情緒をより強く増幅させて見る者に緊張感が与えられるという技法である。主にシャフト制作作品のツンデレヒロインたちが多用したことによって、技法として呼称が与えられ、一般的に認知されるようになった。一部のマゾ属性を持つ人々がシャフ度に接すると、作家が意図しない種類の性的興奮を喚起させるそうだ。
ニコニコ大百科:シャフト角度/シャフ度


絶望先生25集 (7)『第243話 いろいろと飛ぶ教室』より
新キャラ……なのか? 正式な名前もないし、今回だけの登場だが、台詞付きで3ページにわたって出演。読者の再登場の声が高まれば、正式なキャラクターとして改めて設定が作られ、レギュラー出演するかもしれない。
……まあこの後、一度も登場していないってことは、そういう声もなかった、ということなのだろうけど。


絶望先生25集 (8)『第243話 いろいろと飛ぶ教室』より
ついに木津千里もパンチラ。しかも縞パンである。小節あびる、日塔奈美に続いてパンチラ解禁キャラは少しずつ増えつつあるようだ。作者久米田康治の回春が関係しているのだろうか。その一方で、どんどん日陰に追いやられているキャラクターもいるようだが。
とはいっても、絶望先生で見るパンチラは、正直にいってちっとも嬉しくない。むしろ見せないほうが良いような気がするのだが。













『第243話 いろいろと飛ぶ教室』より
絶望先生25集 (9)2羅列ネタ。注目は赤線で引いた場所。
・技術開発してないのに原発を受注
このネタはマガジン掲載時にはもうあったのだろうか? だとしたら恐るべき予言に見えてしまうのだが……。(今に始まった問題ではないのだが)

・イケメン俳優で売れた直後に文芸大賞を受賞
これはもっと大きくクローズアップさせたい。いっそ、
・大賞決まってから小説を執筆
という箇条書きを加えてもいいだろう。実力のない一人を裏口入学させるために、別の誰かが踏み台にされていることがわからないのだろうか。


絶望先生25集 (12)『第245話 人間悪平等起源論』より
行き過ぎた平等とは、実は全員が不利益をこうむる状況である。高度に発達した社会や文化は、それに相応した技術に対する理解と教養がなければ享受することはできない。だからそれを底上げするために教育があるはずなのである。
平等にすればするほど、現実には得られる対価(ご褒美)はより小さくなっていくのだ。
「もっとオレの嫁を出せ」なんて意見をいちいち聞き入れていたら、アニメのストーリーは破綻するのは当然。作り手は声の大きな狂信者(バカ)を迎合した作品を作る必要はない。
しかし現代の平等は、より体力の低く、知恵と教養のない人を基準にして合わせるべきだと解釈され、その状況に疑問を感じる人は少ない。むしろ、「もっと平等のラインを低くすべきだ!」という異議の声のほうが圧倒的に大きい。民法によるテレビ番組は、もう下げるところがないくらいまで頭のレベルを落とし、結果として大多数の視聴者を失った。社会が持っているトータルとしての力が低下するのである。
ああ、誰も疑問に思わないから、「最小不幸社会」というフレーズに疑問を持つ人も少ないのか。


『第247話 ハラの立ちたることもなしと思えば』より
絶望先生25集 (16)あのお方の登場のようである。
つい先日の話だが、あのお方の再選が決まった。あれだけの暴言失言失策をしていながら、なぜ?
とあるデータによれば、20代30代の若者層の半数は選挙に行かなかったようである。で、50代60代の圧倒的な投票率に石原支持により、再選が実現したようである(情報元を保存し忘れた)
アニメ・漫画文化に対する挑発、軽蔑侮蔑的発言、政策による表現範囲の規制と縮小。表現内容のガイドラインまで作る始末である。左翼政権による情報の検閲が本格的に始まるようだし、思考ではなく(思考の左翼化はもうほぼ完了しているとみなしていいだろう)法的な民主主義は少しずつ後退を始めている。業界そのもの、あるいは文化そのものを後退させようとしているとしか思えない。
その一方、中国韓国は日本に追い付け追い越せという勢いで国家が施設を作り研究費を投資している。「中国韓国に日本を追い越せやしないさ」と軽く見る人たちは多いが、それは「ウサギと亀」におけるウサギの態度、「アリとキリギリス」におけるキリギリスの態度だ。柔道などは研究され尽くされ、日本はメダルすら取れなくなっているのが現状だ。石原はどうやら、日本が優位的立場を持っている文化を、中国韓国に差し出したいようである。
文化とは、その国の顔である。確かに生活の役に立たないが、文化がその国の精神・性格を有り体に語らせる。日本人がなぜ漫画を書き出したのか、ディズニーの模倣だったアニメをあそこまで独自的な硬質感を持った映像芸術にまで進化させられたのか。それは日本人だからである。漫画は、日本人としての文化的な本能が描かせたのである。
漫画は西欧的な基準でいうファイン・アートではない。大衆文化=ポップカルチャーである。だがその文化が持っているポテンシャルは圧倒的で、文化領域、経済規模はとっくに日本の画壇芸術を日陰に追いやっている。アンディ・ウォーホルすら感知できない独自の文化、それが日本の漫画である。
だが結果として石原慎太郎は知事として再び権力の座に着いた。単純に石原は、この分野について、どんな発言をし、嫌悪を見せても火傷は小さいと考えたのだろう。それどころか、漫画文化に対する偏見を持つ人たち(主にテレビメディアを原因とする屈折)から支持を得られる。ネットメディアではかびますしい非難と反発の声が上がるものの、それは広い視野で見れば多数派とは言わないし、ネットメディアで発言する人のほとんどは現実世界において実際に行動を起こそうという人は少ない。ただの烏合の衆だ。
絶望先生25集 (7) のコピー「投票に行かないくせに政治には文句を言う」
はっきりとこう書くべきだろう。選挙には行け。選挙は普通の人が政治に対する賛成反対の意志を示す場であり、しかも具体的な影響力を持てる唯一のチャンスである。
ネットでいくら大騒ぎしても、それは何一つ現実的な力を持つことはない。特に政治の世界にいる人たちはコンピューターというものをよく理解できていないらしく(しかもそれを使用・操作することに偏見すらもっているようだ)(アップロードしたほうではなく、ダウンロードしたほうを逮捕しちゃうくらいだし)、ネット世論がいくら盛り上がろうとも、それが現実の政治に取り上げられることはまずない(テレビで大騒ぎしている事案が国会に取り上げれるケースはいくらでもある。つまり政治は大衆=テレビと認識し、それ以外は大衆ではないと考えてい
る)
。ネットでいくら非難されても、痛くも痒くもないわけだ。(例えば毎日新聞の朝比奈豊は国会で証人喚問されてもおかしくないくらいの大問題を起こした人物なのに無罪放免。ネット=大衆ではないのだ)Wikipedia:WaiWai問題
だから、もう一度書いておく。選挙には行け。選挙に行かなければ、現実は動かない。



『第249話 イワンのなかば』より
絶望先生25集 (19)「諦めたら、そこで一生の思い出ですよ!」
確かにその通り。
「夢を叶える」というのは、あまりにも綺麗な言い方だ、とずっと思っていた。思いを実現する。それはその感情を、欲望を完了させることだ、と私は考えている。
人は欲望の本質を求めて人生を迷い続ける。男性は恋焦がれた相手と結ばれ、性的な結合を果たせば、恋心が見せていた幻想を失うのである。怨霊は呪った相手を殺せば浄化されるのである。
だから「夢」ではなく「怨念」が本来の表現ではないだろうか。怨念が果たされないから、一生思い続け、呪い続けるのである。その怨念が果たされないまま断念したり死亡したりするから、怨念はより強い力を持って残留し続けるのである。そんなあまりにも強い怨念を解消させるために、人間に長い寿命が与えられているのではないか……個人的な感慨だけど。いつか怨念が果たされるという希望が少しでもなければ、これ以上生きていようという気持ちにすらなれない。
私自身を捉えている怨念は、いつ解消されるのだろう……。
そういえば、ヒッチコックの『めまい』って、トラウマになった事件を忘れるために事件を再現するっていう映画だったっけ。

ああ、そうそう。通算250回おめでとうございます。

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