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■2009/12/03 (Thu)
書籍006絶望先生 (7)絶望先生シリーズも重ねることすでに16冊目だ。今回は限定版に限り、オリジナル・アニメーション・DVDが付属される。
附属DVD『獄・さよなら絶望先生・下』の記事へ
漫画もギャグも、絶好調にさえわたる一冊だ。
まずは、各エピソードを俯瞰して見ていこう。


151話 尾州鎮撫隊
始まりは、いつも終わりを切っ掛けにする。
確かに“終わり”の時を迎えて、はじめて知る事実は意外と多い。離婚報道を見てはじめて結婚していたと知り、逮捕されてはじめて犯罪だったと知る。
よく考えれば、確かにそんな切っ掛けは多い。そんな日常によくある話題に改めて光を当てて、驚きと笑いにともに漫画を構築する。


152話 黙認の行方は誰も知らない
世の中には、“公式”に“認定”された資格や団体がいくつも存在する。だが、糸色望は鋭く切り込む。「その認定は、いったい誰が下しているのか?」
我々は“公式”という言葉の魔術に騙されがちだ。“公式”に“認定”されたと聞けば、深く考えず安全な企業や団体であると思い込み、誰が“認定”を下しているかまでは、なかなか考えが及ばない。よくよく考えると、誰が認定したか不明な“公式”は世の中にたくさんある。絶望先生は鋭い視線で、“公式”の胡散臭さに切り込んでいく。


153話 ああサプライズだよ、と私は虚ろに呟くのであった
6aa9ec6d.jpg我が国は、あまりにもサプライズが多すぎる。驚きや衝撃を売り文句にしたビジネスモデル。だが、あまりに過剰なサプライズまみれな日常は、もはやサプライズではない。ならば、と絶望先生は何がサプライズなのかを模索する。

154話 持つ女
二つ目の才能を持つ人は多い(私やあなたの話ではなさそうだ)。だが、我々の社会は、常に一つの才能だけを求める。
それでも、あえて“もしも”と疑問をぶつける。もしもあの著名人が、もう一つの才能を選択していたら、どんな将来が待ち受けていたか?
そんな“もしも”をシュミレートするために、糸色望は絶望少女たちを引き連れて“才能のツインタワー”を目指す。

b4616113.jpg155話 うもれすく
解放! 自由!
どちらも実に魅力的なキーワードだ。解放や自由といった言葉は、なにか根拠のない希望を与えてくれそうな気がする。だが、現実に解放され、自由が与えられるとどんな事態を招くのか。「解放=タガ」である。
解放と自由を主張する扇動者は、それがいかに素晴らしいかを説く。あるいは、独占の忌まわしさを力説する。思えば、何でもかんでも解放し、自由にしすぎたのではないだろうか。解放と自由が、むしろ締りのない荒廃を招いたのではないか。
155話は現代の荒廃のモデルを、ギャグマンガらしいユーモアに包んで指弾する。


156話 君よ知るや隣の国
日常には、ごく些細なやり取りで苛立たされるケースが多い。ふと、考えをめぐらす。あれは、わざとではないか。いや、あれはどこか某国のスパイなのであって、なんらかの目論見を持って、実践しているのではいか。
極めてどうでもよい妄想を、どこまでも逞しく暴走させる。いかにもギャグマンガらしい脱線と逸脱が面白い。

157話 夜の多角形
角が立つと、世の中は厳しくなる一方だ。出る杭は打たれる。
いっそ、あえて角を増やし、円に近付けば世間は容認してくれるのではないか……。
思わず、なるほど、と頷いてしまう。だが実際に角をどこまでも増やし、円に近付くとどうなるのか。漫画はギャグマンガらしい顛末を描く。

158話 アンドロイドは機械の花嫁の夢を見るか
554624e8.jpg漫画の内容は「損して設ける」一つの商法についてだ。
だが正直のところ、今回に限りそんなものはどうでもよいではないだろうか。このエピソードにおいて重要で、核となる部分は、もはや主題にはない。
最重要なのは、小森霧の「チューしなさい」の一言に集約されるのではないか。私はそう断言する。糸色望を演じる神谷浩志すら狂喜させた一言だ。この台詞は、是非とも実際のアニメーションで確認して欲しい。
ところで、漫画の内容を憶えているだろうか? 新キャラクターがいたような気がするが、まあ、どうでもいいや。

159話 学者アゲアシトリの見た着物
体育祭。絶望少女たちがチアリーダーに扮して、元気に足を“揚”げている。そんな女生徒を見ていた糸色望。「今の世の中、なんと揚げ足取りの多いことか!」と絶望する。
今の世の中、確かに些細な発言や事件に過剰に反応し、揚げ足取りする例が多い。一方で、揚げ足取りを狙って人気稼ぎする者もいる。情報化の時代。何でもかんでも過敏になりすぎる我々を、軽く諌めるようなエピソードだ。

160話 最後の、そして始まりのエノデン
160話は、冒頭からいきなり異世界に没入する。行き先不明な列車。だが糸色望は、ただちに「すでに行き先は決まっている」と看過する。
初めから答は決まっている。そのくせに、優柔不断に迷っている振りを見せ、思考の過程を他人になぞらせ、その上にいかにも「やっと答を見つけた」なんて素振りを見せる。この頃の世間には、そんな例がごろごろとある。絶望先生は、現代の個人の意思決定能力のなさを目一杯に叩きのめす。
さよなら絶望先生《本家》 目次ページへ

読書記事一覧

作品データ
漫画:久米田康治
編集:週刊少年マガジン
出版:講談社





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ところで、本作には最近の傾向としては異例の、四人の新キャラクターが登場する。
その名前を列挙していこう。
本能井駿
大浦可奈子
根津美子
丸内翔子
e1846b61.jpgここまで地盤の安定した漫画で、新キャラクターが導入される例は珍しい。だが四人のキャラクターは残念なくらい影が薄い。単独エピソードは用意されるが、中心的な活躍は見せず、単に物語の切っ掛けを作るだけである。新しいキャラクターたちが別のエピソードに登場し、作品の厚みを作るといった活躍もない。ただ登場してきただけ、という緩い印象しかもてない。
まず、151話に登場する本能井駿(“ほんの一瞬”)。おそらくマガジンの連載で読んだ者は、本能井がどんな姿をしていたか、知らないだろう。漫画本編に登場しないからだ。コミックスで追加作画されたページを目にして、はじめてルックスまで設定されていたと明かされるキャラクターだ。名前が出たと同時に転校してしまったキャラクー。再登場の見込みは薄いだろう。
1fb4333f.jpg大浦可奈子は、背表紙、背表紙をめくった内側の背表紙にも登場するキャラクターだ。きっとなんらかの活躍、展開を見せてくるだろうと期待するが、大浦可奈子は何もしない。ただ登場してきただけで、特別な活動は何もしない。ルックスや、キャラクターとしての性格は設定されている。だが、大浦可奈子は“何もしない”キャラクターなのだ。だから他のキャラクターとも絡まないし、漫画を発展してくれない。
2ac45641.jpg最後の二人、根津美子と丸内翔子はコンビとして登場する。単独エピソードが用意されて、アクティブな活動を見せる。しかしキャラクターとしての印象は薄いように思える。ルックスにしても、絶望先生らしい個性が希薄だ。
だが、絶望先生の主要キャラクターのほとんどが、モブキャラクターから始まり、ゆるやかに形成して、結果的に主要キャラクターまで出世していったケースが多い。となると、根津美子と丸内翔子の二人も今後キャラクターとして洗練していき、そのうちにも主要キャラクターとしての重要な絡み方をするかもしれない。今後、しばらく見守っていく必要があるだろう。

前作の第15集はネタ切れを題材にし、ネタの焼き直し、絵柄の大きな変動を前にして我々を随分はらはらさせてくれた。だが、『さよなら絶望先生 第16集』はむしろ絶好調である。
ネタはどれも前例のない新鮮な作品を創作しているし、10集以降、急激に太さをもちはじめた線は、16集に入って安定したようにも思える。
16集は絶望先生らしい歯切れのよさを取り戻し、実に心地よい読書を提供してくれた。
絶望先生の一つの本質は“言葉”である。“言葉”こそが我々の理念。行動の源泉であって、“言葉”で規定されないものを我々は認識できない。
だが、その“言葉”が脱線と逸脱をしはじめている。特に中心的社会ほど、軸が折れて暴走し、炎上の火の粉を周囲に撒き散らそうとしている。絶望先生はその“言葉”に対して、やんわりと指摘し、笑いに変換する。
絶望先生は社会風刺を主題にしていると評されるが、しかし啓発的な要素は希薄だ。作者は『さよなら絶望先生』という作品を通じて、社会そのものを扇動しようなどと考えていない。
「ただのギャグマンガですから」
と謙虚な構えで漫画を構築している。絶望先生が描くのは、どれも現代社会がかびますしく叫ぶ事件ばかりだ。だが絶望先生は、むしろ毒を混ぜることで本質に込められた毒を薄め、ユーモラスな笑いを楽しみとして提供する。
結局、いま最も軸がぶれていないのは『さよなら絶望先生』なのである。今後も、まだまだ読み続けたい作品だ。

さよなら絶望先生《本家》 目次ページへ

作品データ
漫画:久米田康治
編集:週刊少年マガジン
出版:講談社





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