
日常生活を送っていて、ふと気付くことがある。
――この事件、絶望先生のネタでやってたなぁ……。
ニュースで見かける様々な事件と、その周辺で起きるかびますしい意見・批評の数々。その過程を追いかけていくと、現実の事件が絶望先生のネタをなぞっていることに気付く。
「九条死守!」「憲法改正!」……噛み合わず、噛み合せるつもりがはじめからない対極の議論
(つい最近、終戦記念日でその実例を見たばかりだ)
「我々は~」とやたら主語のでかい主張をしたがる人。
終了を知らされて、初めてお祭り騒ぎを始める日本人の気質。
行き先不明といいつつ、予定調和のシナリオ通りに粛々と事態を進行させたがる政治やメディア。
『さよなら絶望先生』は風刺漫画である。風刺漫画であるから、実際の事件や事故をギャグ漫画として皮肉って見せているだけである。某小林よしのりのように、政治そのものを主導的に提示するという作品ではない。ただただ、日常の事件に様式的な法則を与え、そこにブラックな笑いを盛り込むのが『さよなら絶望先生』である。
社会に対して何ら影響力も持たないし、そもそも事件の後からなぞっているだけの後追い作品である。しかし、それも数を重ねていくと、違う視座が現れてくるのに気付かされる。それは、日本人の思考のモデルケースである。
日々どこかで起きる事件、あちこちで交わされる意見や批判の数々……。そんな世相と接していると、ふと『さよなら絶望先生』のネタに照らし合わせて考えている自分がいる。
「その意見、『さよなら絶望先生』のネタであったよな……」と。
『さよなら絶望先生』は、風刺漫画に過ぎない。しかしその積み重ねが、いつの間にか日本人の思考様式、行動様式そのものをなぞり、モデルケースを作り上げようとしている。
たかが12ページのオチを忘れたギャグ漫画、と思いきや、思いがけない奥深さを描き出しているのが『さよなら絶望先生』という作品である。と、書こうと思ったら、すでに『さよなら絶望先生22集』のネタに取り上げられていたから困ったものだ。どこまでいっても『さよなら絶望先生』のネタに捉われる罠である。
今回23集の表紙は小柄な音無芽留である。あらすじも、音無芽留にちなんだ内容になっている。
前巻までのあらすじ
めるちゃんがまよいこんだのは、おそろしいおそろしいでんぱのとどかない森でした。アンテナ三兄弟がそろわないと、でんわがかけられません。でも、このアンテナ三兄弟はおおげんかをして森のあちこちにバラバラになってしまったのです。「三兄弟、なかよくいっしょにくらしてください」めるちゃんはおねがいしました。そこに、あたまのはげたうさぎがあらわれて、ぼくのかいしゃのでんわにすれば3人あつめてあげるよ、と言ってきました。だまされちゃだめだ。いちどそのかいしゃにすると、なんねんもかえられな……
211話 知りすぎて普通の男

ある朝、目が覚めると小石川町全域が大雪に埋没してしまっていた。あまりにもすごい雪で、民家の屋根もことごとく雪の下に沈む有様である。
そんな状況を見て、風浦可符香がポジティブにこう発言する。
「これは――凄すぎて、平気!!」
大事より小事のほうが大変。そう思える瞬間がしばしばある。
例えば、中途半端に雪混じりの雨だとぐしょぐしょになって大変だが、町が沈むくらいの大雪になるとかえって平気、と思えてしまう。
中途半端に高いビルだと怖くて足がすくむけど、飛行機くらいあまりにも高いと、何とも思わなくなる。
中途半端な額の借金だと大変だと思うけど、「100億円の借金」とかまでいくと、訳がわからなくなってむしろ平気。というか自慢の種になってしまう。
そう。世の中、凄すぎるとかえって何とも思わなくなる瞬間があるのだ。
212話 悦子立場逆転

2月14日。今年もバレンタインがやってきた。
「受け取って下さい!」
女子生徒に人気の糸色望もとに、いくつものチョコが集ってくる。
しかし、そんなやりとりを見ていた木津千里が疑問を呈する。
「その言い方はおかしい。何で、あげる側が下出に出ないといけないのでしょうか? どこぞの進駐軍が、『チョコレートもらって下さい。』なんて言いますか?」
チョコはともかく、もらう側のほうが何故か態度が大きい、という事例はいくつも見られる。
例えばODA。日本は援助する側だが、援助される側は「もっと出せ!」と当り前の権利のように要求してくる。
道を知らないタクシー運転手に道を教えないといけなかったり、
アシスタントのコミケ参加の都合で、漫画家がスケジュールを変更させられたり。
受け取る側のほうが立場が上、という世の中の不思議。力関係が逆転した『逆・下克上』が世間に、いや世界に広がりつつある。
213話 戸棚の奥深くのソクラテス

クラス一同で映画鑑賞。作品は3D上映で話題となっている『アバター』である。
「面白かったね。立体で」
満足気な風浦可符香。
「昔の3Dはただ飛び出してくる感じだったけど、今の3Dは奥行きが感じられるのね」
と続ける日塔奈美。
しかし、隻眼の小節あびるはいまいちだった様子。
そこに絶望先生が現れ、余計なことを語りはじめる。
「薄っぺらい者ほど、奥行きを求めるものです」
薄っぺらい人間ほど、何かにつけて奥深いと思いたがる習性を持っている。
例えば、単純な汚職での逮捕を、実は奥の深い陰謀が隠されていると思ったり
(小沢と鳩山が絡んでいたら、本気で裏があるんだとしか思えないが)、
ただ髪を切っただけなのに、深い理由があるに違いないと思ったり、
ただのギャグ漫画のネタに、
「日本人の思考のモデルケースが云々」といい始めるこのブログとか、
ぼーっとしてての見逃し三振を、奥の深い心理戦があったに違いないと解説したり――。
そのうちにも少女たちは何でもない事件に、何か奥深い陰謀や闇組織の存在を想定し始める。
214話 滑りゆく新世界

いつもの日常――。変化のない繰り返しの日々。この何ともいえない閉塞感。ルーチンワーク。そうだ、私達は変わらなければならない。
変われるさ、きっと。強い思いがあれば、成し遂げられないものはない……。
「新しいことがやりたかったんだな、ってのはわかります」
いきなり現れて、冷や水をぶっかかる新井智恵。
確かに最近、「変わらなきゃ意識」が強すぎて、逆に迷走しはじめるケースが多く見られる。
ミスユニバース日本代表の衣装。
最近の『美の巨人たち』の自由すぎる演出。
一人じゃできないネットの確定申告。
ベテラン作家に、萌まんがのフキダシ係。
無理に現状を変えてもろくなことがない。現状維持が難しいのなら、むしろゆるやかに衰退していったほうがいい……。
とそこに現れたのは、軍服姿の木津千里。
「日本は変わらなければならない! 日本人には改革が必要なのです!!」
糸色望の余計な提示によって、木津千里が決起してしまった!
学校は間もなく木津千里の赤い勢力に制圧されていき……。
215話 身代わりひな人形のラブソング

ひな祭りとはそもそも何の祭事であったのか?
元々ひな祭りとは、女の子に降りかかる災厄を、代わりにひな人形に引き受けてもらうための儀式。つまり、スケープゴートである(
Wikipedia:雛人形)。
日常の例で言うと、政治家の責任を秘書に転嫁したり、
学校でガラス割って友達のせいにしたり。
しかし災厄をひな人形だけに背負わせるのは酷ではないか? そこで、ひな人形を製作する糸色人形堂は考える。
ひな人形に小さなひな人形を与え、ひな人形が背負わされた災厄を、さらに小さなひな人形に背負わせたらどうだろう。その小さなひな人形にはさらに小さなひな人形があてがわれ……。
生け贄の保身のために、さらなる生贄を作り出す。
つまり、「家族サービスをしない」と奥さんに怒られた編集者は漫画家の原稿が遅いせいにして→漫画家は執筆の遅れをアシスタントのせいにして→アシスタントはパソコンのせいにして→パソコンは予期せぬエラーのせいにする。
どこまでもどこまでも続く責任転嫁の連鎖。そして、誰も責任を取らないのである……。
216話 ルールとミミ

今日はテストの返却日だ。
「あちゃー……」
それなりに自信があった日塔奈美。しかし、結果は15点という惨憺たる有様。落ち込んで自分の席に戻る奈美だったが――。
「ん? あれ?」
隣席の風浦可符香の答案用紙を覗き込む。たった一問正解しているだけで、なんと85点獲得。対して30問正解の自分は15点。
採点がおかしいのではないか? 奈美はそう糸色望に抗議するが――。
「テストは作る側のルール
(配点)次第で、あなた方の点数などどうにでもなるんです!」
身も蓋もない意見を言い始める糸色望であった。
挑戦者はいつも主宰者の「ルール変更」に翻弄され続ける。
水泳で世界新記録を出したら、規定を変えて日本の水着が使えなくなったり、
柔道で日本人が強すぎるから、西洋人有利のルールに変更されたり、
わざわざ禁止物質の規定を変えて、日本製品を締め出したり……。
ルールを作る側、変更する側が実はもっとも強く、挑戦者の努力はその度に徒労に変えられてしまう。
その一方で、新ルールに対応できなかった自分が悪い……そう思う者もいる。
217話 起承転結を思ひがけんとすれば

ある朝、食事をしながらテレビを見ている糸色望たち。ふと、テレビに風浦可符香が登場する。
「私の家の前にも桜の木があるんですけど、実は先日、こんなことがありました。桜の木の前を全身黒ずくめの園児の集団が通ったんですよ」
続きがあるのだろう、とじっと黙って見ている糸色望。しかし、話に続きはなく、それきり画面は変わってしまった。
「だからそれで? オチは?」
困惑する糸色望。
それは『起承庁』の報告であった。起承転結の『起承』。『転結』がない。だから、話にもオチがない。
納得行かない糸色望は、風浦可符香本人に合ってオチを問いただそうとする。だが風浦可符香は、頑なにオチはない、と答える。なぜならば、「『転結』を知らないほうが希望に満ち溢れているから」。だから、話のさわりだけを発表するのだ、と。
納得しかける望だったが、そこに対抗勢力の木津千里が現れる。
「そうはいきません。『転結』はきっりちとつけないと!」
木津千里は《転結手帳》を手に、あらゆるものにオチをつけようとする……。
218話 オンリー・ハル・キラー

学校帰りに絶望少女たちが近くの神社を寄り道していた。長い階段を昇ると、街を眼下に見下ろせる神社が現れる。温もりのある風が、桃色の花びらを混じらせながら心地よく吹き抜けていた。
春一番だ。
「いい風……」
木津千里がうっとりした表情で、風を全身に浴びていた。
と、そんな場面に風浦可符香が振り返り、こう言う。
「ナンバーワンより、オンリーワンだよ。春一番より、春オンリーワンのほうが尊いんです!」
世の中、何でもナンバーワンよりオンリーワンを尊ぶ風潮がある。そして、春になると確実に増えるのが危ないオンリーワンの人々。
全裸にネクタイしている、オンリーワンなファッションの人とか
(大宙さん、出番です)、
職質されたら宇宙海賊と答える、オンリーワンの職業の人とか、
見えない嫁を貰っている、オンリーワンの婚活の人とか。
しかし、そんな風潮に糸色望が異議を唱える。
「意外とたくさんいるものですよ。あなたの言うオンリーワンと思しき人は。それが本当にオンリーワンと証明できますか? 世界中どこにも他にいないことを、証明できますか!」
絶対証明できない検証を『悪魔の証明』という(
Wikipedia:悪魔の証明)。本当にオンリーワンであると主張するならば、世界中のなにもかもを調べて証明しなければならない。しかし、それは絶対にできない検証である。
そんな証明を迫られる事例が、現実世界のあちこちで起きている。
「浮気していないって証明しなさいよ!」
「NHKの集金でーす。NHKを見てない? 見てないことを証明して下さい!」
「いくら掘っても何も出ませんよ?」「埋蔵金が絶対出ないことを証明しろ! 俺はマントルまで掘るぞ!」
それでも世の中は、不可能な証明と検証を要求する。
219話 たわむれにリスクを背負いて

「春だから、何か始めてみませんか?」
桜の並木通りを歩きながら、風浦可符香が明るく提案する。
「私はツイッターを始めたよ」
日塔奈美がソフトバンクのアレを引っ張り出し、答える。
そんな様子を、糸色望が冷ややかに見詰めていた。
「何でそう、わざわざリスクを増やすのですか?」
『ダモクレスの剣』というものがある(
Wikipedia:ダモクレスの剣)。
昔、ダモクレスという男が王様の生活を羨んだので、王様は、ならばとダモクレスを玉座に座らせた。するとその玉座の上には、髪の毛一本ほどの細い糸で吊るされた剣があった。
王はただ富に囲まれて、権力を振りかざせるというだけではない。常に危険にさらされているのだ、という教訓を物語にしたものである。
興味半分でブログやツイッターなどを始めてみても、どこかで迂闊な表現を書いてしまったり、何でもない行為のつもりが犯罪であると指摘されて炎上を引き起こしてしまったり、何でもない発言のつもりがやっぱりある人たちには問題と指摘されて炎上を引き起こしたり、書いたら炎上、書かなくても炎上、はっきりいって、ブログもツイッターも無用なリスクを背負い込むだけで何ら利益を得るところはない。1年ブログ書いた私が言うのだから間違いありません。ブログなんてものは書く側はリスクだらけで、なんら利益のない仕事です。
世の中、背負う必要のないのに、わざわざリスクを背負い込んでしまう人がたくさんいる。そう、例えば……。
220話 繋がれた毎日

人気アイドルユニットAKB
(アカバネ)84。その舞台裏で、密かな会談が行われていた。
「さーて、次はどうやって搾取してやろうかな?」
根津美子がコンサート後の涼しげな汗を浮かべながら、その日の議題を口にする。
「穴コンサートってどうかな?」
丸内翔子が提案する。
「CD買ってくれた分の大きさだけ、幕に穴が開いてコンサートが観れるの。ちなみに幕は五重くらいで」
あまりにもお行儀のよろしくない商売。それは商人としての信義に反するのではないだろうか?
否。ファンというものは自分がどれだけ搾取されているかを自慢しあうものである。だから、自分たちはファンのために搾取してあげているのだ、と丸内翔子と根津美子は語る。
それはつまり『奴隷の鎖自慢』である。
囚人が監獄の中で「俺は前科6犯だ」「俺なんて前科10犯だぞ」と自分についた鎖の太さと重さを自慢し合うアレである。
アイドルとファンの関係もそれに近いものがある。だからこそ、ファンの首についた鎖を太く重くしてあげるために、運営者はありとあらゆるグッズを用意してあげているのである。
それは少しも特殊ではなく、実は日本人の性格のひとつを言い当てている。鎖と足枷に安らぎを見出そうとする日本人の特質を指摘する一篇である。
さよなら絶望先生《本家》 目次ページへ
読書記事一覧
漫画・著作:久米田康治
編集・出版:講談社
連載:週刊少年マガジン《2010年発行 第10号~第21号(第17号・第19号休載)》