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■2011/07/26 (Tue)
絶望先生26集 (1)「アニメ四期の代わりと言ってはなんですが・・・・」
と勿体つけたように書かれた帯の裏には、次なる27集において、《ドラマCD付き限定版》が発売することが発表されている。アニメ第4期への望みは以前薄いままではあるが、もしかしたら可能性に繋がるかもしれないので、必ず手に入れたいところである(ラジオ版『さよなら絶望放送』でもたまにゲスト声優が迎えられるが、みんなキャラを忘れがちなところが心配である)
さて、26集表紙には藤吉晴美が和装姿で描かれている。体を横に向けて、いつもの少しポイントのずれた元気さはなく、どこか憂鬱そうに視線を落としている。指を口元に当てている、ということは、物欲しそうに見ている仕草、とも解釈できる。右手には和服と同じ色のカート。描かれていないものの、うつむいた藤吉の視線にあるべきものに想像を巡らせてしまう。何かに迷うように視線を落とす藤吉が見ているであろうものといえば……?
和紙の表紙をめくったところには、おそらくコミケ会場と思われる藤吉の姿が描かれている。目の前で自作のBL本をご開帳されて、恥ずかしがる藤吉の姿が描かれている。堂々と大量に印刷して販売しておきながら、それでも現実的な読者の存在を目の前にすると青ざめてしまう藤吉が少し可愛らしい。
恒例の前巻までのあらすじだが、今回は(巻末の「絶望名画座」も)やや短めである。

前巻までのあらすじ
ねえ・・聞いた事ある? 読むと死んじゃう同人誌があるんだって。そこには、決して描いてはいけないカップリングが載っているの。ま・・・・カップリングって、リングってつくくらいですから呪いもありますとも。ええ、必ず萌え死にしちゃうカップリングですよ。私が描きました。千里眼を持つ友人にそれを見せたら、世にも恐ろしい形相で私を罵倒するの。やっぱ呪いかしら。

絶望先生26集 (2)第251話 生まれ出づる難民
マリアが裸の足でぺたぺたと街中を歩いていた。振り向くと、憂鬱そうに視線を落とす若者の姿が、いくつも並んで見えた。
彼らは自分の国にいながら、その社会における手厚い保護を受けられず、なぜか“難民”になってしまった人たちである。
曰く《就職難民》《ネットカフェ難民》《婚活難民》などである。
マリアはそんな難民たちを一言でばっさりと切り捨てる。
「ナンミン舐めるなよ」
自分の国にいながら、なぜか難民としての扱いを受け、自身も難民としての自覚を持つ現代の若者。若者たちはその社会の一員として生を受けながら、その社会の一員としての意識(結束力)が弱く、しかも常にその社会から無慈悲に振り落とされ排除される不安と恐怖に囚われ、将来のための活動をほんの一時でも休めることができない(まあ、その不安と恐怖の背景にあるものこそ、現代社会の実像なわけだが)
だがマリアに言わせればこうである。
「ナンミン舐めるなよ」
マリアは難民気取りの若者を筏に乗せて、問答無用に海に放り出す。海を漂流してこそ難民だからだ。
海に放り出された難民気取りの若者たちは、やがてとある島に流れ着き……。

絶望先生26集 (4)第252話 蒲団に入ると気持ちいい
「義理なのか、本命なのか……?」
その日はバレンタイン。芳賀はクラスメイトから受け取ったチョコレートを前に煩悶としていた。
「義理だろ」
「本命じゃない?」
クラスの仲間たちはチョコレートを前に推測と議論を交わす。
義理というにはやや豪勢。本命というには少し華が足りない。義理――本命。果たして少女の想いはどちらにあるのか。確実にどちらかと断言できず、どちらでも相応しいように思えるチョコレート。
「バーナム効果的なものを狙ったんじゃないですか?」
糸色望が可能性を示す。
『バーナム効果』とは、何にでも当てはまる、曖昧な表現のことである。例えば占いなので、誰にでも当てはまるようなことを言って、当たったと信じ込ませる方法のことである。(Wikipedia:バーナム効果
「おはよー」
と眠たげなあくびをもらしながら、日塔奈美が教室に入ってくる。
「ちょうどいい。やってみましょう」
糸色望は日塔奈美を席に座らせ、ごくごく当り前の話をいかにも勿体つけたように話す。すると日塔奈美は、
「すごーい! 何でわかるんですか! 確かにそうです。うそー! 当たりー!」
と大騒ぎである。
「バーナム効果」の説明と、ちょっとした悪戯で始めた「占い」だったが、クラスの少女たちはすっかり信じ込んで大騒ぎ。しまいには糸色望のインチキ占いを「予言だ」と祭り上げる始末。

絶望先生26集 (6)第253話 『いきすぎ』の構造
久藤准は天才的なストーリーテラーである。久藤准の口から語られる物語はいつも人を惹きつけ、無条件に心を開かせ涙を浮かばせる。
そんな久藤准が突然誘拐された!
クラスの少女たちが誘拐犯を追いかけていくと、そこは東京地検。内部に侵入すると、意外にも久藤准に頭を下げる検察官たちが。
そう「検察はまず、事件のストーリーを描く」。被疑者にはこれこれこういった事情があり、結果としてそれが動機になって事件は起きた……というストーリーである。で、そのストーリーから外れる証言や証拠品の存在を決して認めない。ストーリーを完成させるためのパズルを見つける作業こそが検察の主たる仕事である。
しかし証拠の改竄や証言の強要が明るみになり、社会問題に発展した。だから検察自身も反省したのである。
「我々も散々世間に叩かれ、反省したのです。ストーリーが、イマイチだったのではないかと! もっと感動的なストーリーだったら、世間も納得してくれたはず!」
だから天才的なストーリーテラーである久藤准を強引に招致し、感動的な事件のストーリーを描いてもらおうというのだった。
「目指すは泣ける検察!」
というわけで、今回の事件。BとCが不倫関係で、Bの夫であったAが邪魔になってBとCが共謀してAを殺害した。これを意外性を持った感動的なストーリーに作り変えるとしたら……。

絶望先生26集 (8)第254話 壁木灘
「何ですか! このカベ新聞は!」
糸色望は校内の掲示板に貼り付けられた新聞を前に憤慨していた。新聞には先のコンテストで、糸色望の小説がまたしても落選したことが書かれていた。新聞記事は「落選」を強調し、「2次審査のカベ突破ならず」の文言を挑発的で扇情に書き立てていた。
「先生のカベでしょう」
常月まといが冷静に記事を分析する。カベ新聞……すなわち、その人間が越えられないカベが書かれている新聞である。
「ちょっと何このカベ新聞!」
今度は日塔奈美が憤慨した声を上げた。カベ新聞には「ダイエット失敗 ○4キロのカベ ウエスト60センチのカベ越えられず」とやはり強調的に言葉を並べていた。
「日塔さんのカベでしょう」
「確かにこのカベは厚いけど!」
カベ新聞に書かれているカベは確かにその個人が越えられないカベだけど、あからさまに書かれると心情的におだやかでいられない。
最近校内で、様々な人のカベが書かれたカベ新聞が次々と貼られる事件が続発していた。
宅浪生の偏差値48のカベ。
渋谷の若者、異性と付き合う期間1ヶ月のカベ。
不登校児の家から半径100メートルのカベ。
それから藤吉晴美に当て付けた、「2次元と3次元のカベ!」。実に難攻不落のカベの数々である。
しかしそんなカベ新聞を、いったい誰が書いているのだろう。興味を持った糸色望たちは、新聞部を訪ねる。

第255話 親譲りの無鉄砲で子供の時からゾロ目ばかり見てゐる
絶望先生26集 (11)3月3日。ひな祭り。
2のへ組の少女たちは艶やかな和装姿で7段に積み上げられた雛人形の前に集まる。
とそんな祝福の日に、日塔奈美がなにやら難しい顔をして日めくりカレンダーを睨みつけていた。
「3月3日。ゾロ目!」
「どうかした?」
木津千里が訪ねる。
「いや私さ、よく4時44分を見るのよ」
ふと時計を見ると、いつも4時44分。何かゾロ目に囚われているみたいで怖い。しかし糸色望は冷静に、
「お言葉ですが、普通です」
とあっさり切り捨てる。
人は案外無意識のうちに時計を見ているものである。他の時間もほとんど同じ頻度で時計を見ているはず。そのなかで、たまたま見た4時44分という数字が強く印象に残り、あたかも頻繁に目にしているような気分になるのである。
「じゃあ私が夏休みに、いつも同じ回のタッチの再放送を観てしまうのはなぜ?」
小節あびるが尋ねる。
これも意識せず何となくテレビが点いていて、その回が印象深かったから、というだけである。一度気になって意識しはじめると、次もまた意識してしまう……。だから何度も同じ回だけを見ているような気分になるのである。
ところで、ちょうどそんなテーマを取り上げた絵画展が催されているようである。そこでは、何となくよく見かける妙に印象深い日常風景の数々が展示されていた。

絶望先生26集 (12)第256話 出でよ、オツベルと象!
“涙の”第46回卒業式。桜の花が満開の季節を向かえ、桜色の花びらが視界一杯に乱舞していた。
そんな祝うべき日だというのに、糸色望は自分を抱くようにして震えながら校舎裏への道を歩いていた。
「どうしたんですか?」
風浦可符香が糸色望の姿を見つけ、尋ねる。
「呼び出されたのです! きっとお礼参りです!」
声を引きつらせながら、素晴らしい美声で返事をする。
しかし校舎裏の深い影の中へ入っていくと、待ち受けていたのは幼い少年であった。
「あの、あなたですか? 私を呼び出したのは」
糸色望は困惑しながら、少年に尋ねた。
「呼び出して来たということは、オマエ召喚獣だな!」
少年は活き活きとした声で糸色望を指差した。
呼び出されたのは糸色望だけではない。日塔奈美や木津千里たちも子供たちに呼び出されて校舎裏にやってきていた。それでやはり、
「呼び出して来たということは、オマエ召喚獣だな!」
と召喚獣扱いである。
どうも子供たちの間で妙に遊びが流行っているようだ。しかも呼び出した召喚獣同士を対決させようというのである。
しかし、少年が呼び出した召喚獣糸色望は絶望的なまでに弱い。ひょっとして戦う意志がないのではないか、と疑うくらいである。
少年は糸色望の戦力にがっかりし、さらに強い召喚獣を探して街へと出かける。

絶望先生26集 (13)第257話 よだかは実に柄にも無いことを言いました
公園に見事な桜が咲いた。糸色望は大きな腕を広げて堂々と咲き誇る桃色ガブリエル桜の木に感銘を受け、その前にイーゼルを置きキャンパスを掛け、桜の木を描き始めた。
と、そんな様子を見た2のへの一同は、
「先生……、文才が無いからって、今度は絵を描き始めたんですか?」
小節あびるが冷淡な声で、容赦のない指摘をする。
「絵の才能も無いみたいだけどね」
日塔奈美がさらに重ねる。
「文才無いとか言うなぁ! 大体桜に失礼ですよ。この美しい桜を見ていると、生きているって素晴らしいんだなって思います」
糸色望は声の調子を落とし、感傷的な顔で桃色の花びらを散らす桜の木を見上げた。
そんな言葉が先生の口から出てくるなんて……。
「これは真性異言(ゼノグロッシア)
常月まといが知ったふうに分析を下した。
『真性異言』――ゼノグロッシアとは、知らないはずの、行ったことも学んだこともない国の言語を突然話しだすような現象を言う。(Wikipedia:真性異言
このゼノグロッシアは小さなものなら日常のいろんなところで目にする機会がある。例えば突如きれいな発言をする糸色望は、ゼノグロッシアの典型的な実例である。
「ゼノグロシーってゼノグロッシアのことかぁ……。超心理学にカテゴライズされる。事例として、前世療法の最中に現れるのよね」
今度は日塔奈美が普段絶対に言わないような難しい用語を並べて饒舌に語り始めた。これもゼノグロッシアの実例に違いない!
そんな普段は絶対言わないはずの言葉を口にする人々は世の中にたくさんいるのではないか。その実例を求めて、糸色望たちは街に繰り出す。

絶望先生26集 (15)第258話 大ら鏡
教室は真っ暗な影に沈んでいた。
パッとスポットライトの照明が落ちて、風浦可符香の姿が浮かび上がる。
「おはようございます」
その一言だけで風浦可符香は暗闇に戻り、スポットライトは別の少女を浮かび上がらせた。
「おはよう」
現れたのは木津千里である。
「おはよう」
今度は小節あびるだ。スポットライトの照明は木津千里から小節あびるへ移る。
「なんですか、これ?」
暗闇の中から日塔奈美が声を上げる。
「輪番停電じゃないですか。話している人の所だけ点く」
教壇に立つ糸色望の姿にスポットライトが当てられた。
不安に囚われる毎日である。永遠に繰り返される日常の連続は終わった。今は非日常であり有事を前にしている……はずなのである。
ふと糸色望は、教壇の上に置かれたグラスに驚く。グラスには、水がちょうど半分入っていた。
「大変だ! もうコップに水が半分しかない! もうお終いだー!」
糸色望が絶叫した。
が、大浦可奈子がおだやかそうな顔でグラスを覗き込んだ。
「良かったぁ。まだコップに半分も水がある」
大浦可奈子は間延びするようなのんびりした声で、おだやかな微笑を浮かべた。
同じ半分の水で2つの異なった見解。考え方次第で、状況はいくらでも変わるものなのである。
「ぜん…ぜん……。だい……じょーぶです…よ」
大浦可奈子は少しも慌てず、穏やかな調子を崩さず答えた。
度外れておっとりしているが、大浦可奈子はクラスで最も成績優秀な部類に入る。その大浦可奈子が「大丈夫」と断言するのだから、たぶん大丈夫なのだろう。
どんな状況でもどんな事態でも2つの見方がある。ネガティブに捉えるか、ポジティブに捉えるか。大浦可奈子は色んな事象を前に、穏やかに「だいじょーぶですよ……」と答えていく。

絶望先生26集 (16)第259話 アウェイなる一族
「みんな。噂が聴いたかい?」
風浦可符香がクラスの一同を振り返る。
「相当ヤバイ奴らしいね」
小節あびるが答える。
「ヤバイとかウケるう!」
日塔奈美が楽しげに続けた。
とそこに、廊下をごつごつとした白銀を輝かせたハーレーダビッドソンが駆け抜ける。そのシートにまたがるのは糸色望その人であった!
しかし2のへの一同の反応は……、
「ムリがある」
と残念そうな日塔奈美。
「ムリがある」
小節あびるがえぐるような指摘をする。
「……だって、舐められたくなかったんだよおお! マガジンってこういうワルっぽいの期待されていると思って!」
一応解説しておくと、今回の話はサンデーとマガジン、連載作品を交換する話である。サンデーに『さよなら絶望先生』が掲載され、マガジンに『かってに改造』がそれぞれ出張して掲載されたというわけである。
原作者久米田康治にとって、サンデーはかつて活動の拠点としていた場所であり、ホームであるはずの場所である。しかしいざかつてホームであった場所に戻ってみると、ホームというよりアウェイになっている場合が多々ある。
国立でのホームゲームなのに、相手のレッズサポばかりだったり、
病気が治って番組に復帰したら、新メンバーばかりだったり、
メイド喫茶に行ったら、メイドさんがアニメ漫画に一切興味のない普通のギャルちゃんだったり。
わかりやすく説明すると、久し振りに実家に帰ったら、親と妹夫婦が幸せそうに同居していて、自分の居場所がそこにない……。実家なのにアウェイ。
ところで、いつもの「絶望した!」の台詞は、不謹慎だということで今は使えない状況である。でも「希望した!」というのは変だし……。そうだ「ご期待下さい!」ならどうだろう。そう例えば、
「畑先生の次回作に、ご期待下さい!」
糸色望は最近にない嬉々とした表情で叫んだ。

絶望先生26集 (18)第260話 角度ならないこともない
その日、2のへ組一同は糸色望を加えてピクニックに来ていた。目指すは浅間山。地図上ではそろそろ浅間山が見えるはずだけど、それらしい影はなぜか見えない。
「ここからだと、あの山に隠れて見えないんです」
糸色望は地図を指し示した。浅間山の前に、浅間隠山と呼ばれる山があった。
「ある地点に立つと、浅間山をすっぽり隠してしまうことからついた山の名前です」(Wikipedia:浅間隠山
そんな見たいものが何かに被さって肝心のものが見えない。そういうものは日常のあちこちに見かける。
例えば横を通り過ぎた女性が美人かどうか確かめたいのに、ちょうど障害物が横切って顔だけが見えない。
と話しているうちに、一同はとある牧場にたどり着いた。糸色家が所有する牧場である“穴畑牧場”。そこでは都合の悪い角度を隠してくれる馬たちが調教されていた。
「あ、滝川クリステルがいる! その美しい顔を正面から見たい!」
日塔奈美が滝川クリステルの正面に回りこもうとする。が、そこに馬の首がぬっと割り込んでくる。名馬「ナナメダケクリステル」。滝川クリステルの斜め45度以外の角度を隠す馬である。
その他、安い液晶テレビを斜めから見ようとするのを阻止する馬、
スネオヘアーを正面から見るのを阻止する馬、
エグザイルダンスを横から見るのを阻止する馬。
肝心なところだけを隠す馬たち。すでにあらゆる方面で目覚しい活躍をしているようである。


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漫画・著作:久米田康治
出版・編集:講談社
連載・掲載:週刊少年マガジン
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■2011/06/21 (Tue)
巨人の進撃 1巻(1)――その日、人類は思い出した。
奴らに支配されていた恐怖を。鳥籠に囚われていた屈辱を……。

巨人は突然現れた。その脅威に人類の大半が死に、文明は後退し、残った人々は巨人から逃れるために高さ50メートルの壁で街を囲み、その中に隠れ潜むように暮らした。
それからおよそ107年……。人類は壁の外の恐怖に怯えながらも、とりあえずの平和と安穏さを手に入れることができた。巨人は大型のものでも15メートル。高さ50メートルの壁は絶対に越えられないし、巨人のどんな攻撃でもひび一つつけさせない強度を持っていた。
しかし、あいつは突然に現れた。
超大型巨人の出現である。超大型巨人は高さ50メートルを越え、しかもその脚力は一撃で門を木っ端微塵にする力だった。
長く続いた穏やかな平和。紙一重に繋がっていた秩序。しかしそれはあまりにも脆く、人類の平和は、平和という幻想に弱々しく縋り付いているだけのものに過ぎなかった。高さ50メートルの壁は、自分たちが作り出した鳥篭に過ぎなかったのだ。
ウォールマリアが破られ、7メートル級の巨人が次々と街へとなだれ込んでくる。巨人たちは逃げ惑う人々を掴み、握りつぶし、引き裂き、口の中に放り込んで喰った。
巨人の唯一の行動原理は人間を喰らうことである。知能はおそらく存在せず、生殖器官もないため、どうやって繁殖しているのか不明である。それから人間以外の動物には一切なんの関心を示さない。巨人が唯一興味を示し、行動を移そうとするとき、それは人間を喰うときだけである。
エレン、ミカサ、アルミンの3人は、超大型巨人がウォールマリアの門を破壊し、暮らしてきた街が破壊され、陵辱される瞬間を目撃する。大勢の人が死に、友人が死に、親が死ぬ……。しかしまだ少年と少女でしかなかった3人には、逃げることしかできなかった。涙を浮かべながら、悔しさを胸に力強く留めながら。

それから5年の歳月が過ぎた。成長したエレン、ミカサ、アルミンの3人は訓練兵団に加わり、成績上位で卒業する。訓練兵団卒業後は3つの選択肢がある。壁の強化を努め、各街を守備する「駐屯兵団」。犠牲を覚悟で壁外の巨人領域に挑む「調査兵団」。王の元で民を統率し秩序を守る「憲兵団」。
エレン、ミカサ、アルミンの3人は迷わず調査兵団に志願する。壁の外に出て、巨人たちに復讐するために……。

■ ■ ■ ■

巨人の進撃 1巻(2)いま漫画出版界において、最大級の話題を誇る作品。それが『進撃の巨人』である。
突然現れた巨人。それによって人類の大半は死滅し、後退し、残り僅かになりながらも抵抗の戦いを続ける物語だ。
一見するとかなり特殊な世界設計に、独創的な物語が描かれている。しかし感情の流れは直線的で、率直な力を持って読者に訴えかけてくる。一風変わった作品に思えるが、伝統的な少年漫画の精神性を持った作品であるとわかる。
ただ、その絵の構築は惨憺たるものである。デッサンがまともに描かれているコマは僅少で、ほとんどの場面で人体構造はいびつに歪み、縮尺は狂い、手指の描写にはまるで力がこもっていない。線の引き方にも未熟さが浮かび上がり、キャラクターの描写は無残にも崩れ、噴出しの枠線や集中線すら一貫した線が引けていない。背景書きのアシスタントのほうがまだ見るべき絵を描いている。キャラクターの書き分けの能力も不充分のため、漫画を読んでいるといったい誰なのかわからなくなり、ページを戻ることがしばしばある。おまけにトンボを無視してコマを構成しているので、全ページにわたってページ番号が抜け落ちてしまっている。作者がデッサンの基礎教育を受けていないだけではなく、漫画を描くための基本的な教養すらないことがよくわかる。

だがしかし――『進撃の巨人』は抜群に面白いのだ!
巨人の進撃 1巻(3)誰も見たことのない設定、ストーリー。次の一手がまったく読めない意外性のある展開。キャラクターの描写。次々から迫ってくる状況。それに、やはり少年漫画なのだ。登場人物たちの、怒り、悲しみ、絶望と希望の移り変わりが危ういせめぎ合いの中でひりひりと伝わってくる。作者の画力不足でキャラクターの書き分けが不充分と書いたものの、実際のキャラクター設定はしっかり構築されていて、絵の未熟さを抜きにすれば抜群に個性的である。「なんだこの絵は」と茫然させたのは最初の数ページだけで、その後は恐るべき吸引力で漫画に没頭させる力を持っている。
『進撃の巨人』の核となっているのは、間違いなくその独創的な設定、世界観の構築にあるだろう。唐突に現れた巨人と、人類との対立の歴史を描いた作品であるが、その状況を構築する世界設計は徹底した詳細さを極めている。人類の領域はどのくらいで、人はどれだけいて、どんな社会構造が構築されているか――。巨人たちの戦いが中心に描かれているため、詳細さのほとんどは兵士たちの戦いや武器について、それから敵対すべき相手である巨人に集中している。
もっとも注目すべきは《立体機動》と呼ばれる戦い方である。詳細は省くが、《立体機動》とは、人間をワイヤーで吊り上げ、圧倒的な対格差を持つ巨人に一気に肉薄し、その弱点であるうなじを狙う戦術である。鍛え上げられた兵士たちが地上の重力から解放され、空中を滑走し、巨人に接近する。『進撃の巨人』のアクションにおけるカタルシスは、この《立体機動》によって瞬発的に最大値まで引き上げられ、おそらく他作品では得られないであろう魅力を提供させている。超高速で空中を滑走し、巨人と交差する描写の瞬間、作者の画力不足を完全に忘れさせ、作品をそれ以上の痛快活劇に引き上げさせてしまっている。《立体機動》と巨人との戦い、この2つのアイデアを思い至ったその時点で、『進撃の巨人』の評価はすでに絶対的で、作者諌山創の大勝利であると言える。
またストーリーテラーとしての才能にも注目したい。意外性のある世界設定、物語展開にも充分惹きつけられる力を持っているが、それ以上に魅力的であるのは、直線的に訴えかけてくる人々の感情である。巨人と相対した瞬間、どんな感情を抱くのか……。動揺、恐怖、絶望……それからかすかに浮かび上がってくる勇気とプライド。その感情の一つ一つを一コマ一コマ、強烈な力強さで迫り、読む者の感情を飲み込んでいく。物語の展開も間違いなく魅力の一つだが、各キャラクターの感情の積み重ねの上に物語があるからこそ、『進撃の巨人』は人を惹きつける魅力を得ているのだ。

『進撃の巨人』は遠からず映像化されるだろう。アニメになるか実写になるか、それはまだわからない。私個人的な希望を書けば、(アニメ/実写いずれの場合でも)できるかぎり大きなバジェットで、この作品が持っている魅力や世界観の精密さを徹底的に描いて欲しい。作品の土台は漫画によってしっかり構築できている。あとはどれだけ詳細さを描けるか、映像に美意識を刻印できるか、あるいはアクションの荒々しさを描くか。作者が描けていない作品本来持っている魅力(あるいは読者が脳内で補完しているエネルギー)を、映像の上で再現できるかどうか、が映像作家の腕の見せ所である。
映像作家として『進撃の巨人』という作品を考えると、モチーフとして魅力的である半面、絶対に失敗できない圧力を感じる。これだけ魅力的な原作を映像化して失敗したら、あるいはそこそこの評価しか得られなかったら、その時点で映像作家失格で業界から立場を失う。もし『進撃の巨人』が映像化されたら、そのときは「お手並み拝見」といったところだ。
『進撃の巨人』はまだ4巻までしか進行していない。物語全体を通してみてもまだ序盤といったところだ。この段階でもすでに驚きべき展開が多く、登場人物一人一人の生い立ちやドラマはしっかりと描けている。おそらくここからが『本編』といったところだろう。だが、物語の背景には不明なところのほうが多く、結末となると想像もつかない。『進撃の巨人』でハラハラさせられる幸福さは、まだまだ続きそうである。

巨人の進撃 1巻(4)ところで、『進撃の巨人』という作品は出版界において、あるいはそれ以外の多くの業界においてある一つの希望を与えている。
それは、「面白い作品は確実に売れる」という事実である。あるいは、「面白い作品は確実に注目される」。
かつては、どんなに素晴らしい作品を作っても、決して売れるというわけではなかった。むしろ埋没することが多く、一部のマニアックな層によって辛うじて支えられ、時代の移り変わるその時にほんのちょっと引き上げられ、その後忘れられるだけであった。結局は、いかに宣伝して多くの人に作品が伝わるか。しかも宣伝の多くが伝えられるのはせいぜいワンフレーズ程度でしかなく、それにつられて作品もどこかワンフレーズで片付けられる安易なものばかりになってしまった。宣伝で時代の波を作り、それで人を巻き込んでいるだけであって、作品についてきちんと語られることは少なく、むしろ使い捨ての消耗品のようにポイッと放り投げられることのほうが多かった。
面白いから売れるというわけではない。良いからといって賞賛されるわけではない。なぜあんな出来の悪い大衆に媚びた商業作品ばかり売れるのか! 面白い作品がちゃんと注目され、売れるようになれば、どんなにいいだろう……作り手ならば、誰もがそう思い、苦悩するだろう。というか、創作の歴史とはその苦悩と怨嗟の歴史でもある。
だが、どうやら今が時代の移り変わりのようである。従来のような広告会社主導の時代から、ネットの時代へ、ふとするとささやかに聞こえる人々のざわめきの集積が、時代の波を作り出す時代である。かつてなら埋もれ忘れられるであろう作品であっても、人伝えで広がり、拾い上げられる時代である。もちろん広告会社主導の時代ほど大規模ではないし、その声の広がりも小さなコミュニティだけで終息して、やっぱり忘れられることのほうが多い。
『進撃の巨人』はむしろ、忘れられるほうの作品だっただろう。物語に素晴らしい魅力を持った作品であるが、この物語の魅力を理解するためにはある程度漫画を読み続けねばならない。そうすると、ある程度時間をかけて漫画を読まねばならなくなる。ワンフレーズだけの広告会社の力では、『進撃の巨人』の魅力はどうやっても伝え切れなかっただろう。だが、ネットという媒体を通して広がった場合、広告会社の方法論とは違ったディティールを持って人々の声や評価が広がっていく。『進撃の巨人』は自力でその波を作り出し、そして商業的な成功を得た漫画なのである。
面白いからといって、売れるわけではない……いや、「面白いからこそ売れる」時代がやってきたのだ。広告会社や、視聴率の数字が全てではない。広告会社の時代は、売り上げは高かったのに評論が抜け殻のようだったり、数年後には完全に名前すら忘れられていたりした。だが、今はそういう時代ではない。今こそ、本当に面白い作品とは、パーソナルな魅力を持った作品とはどんな作品なのか、これを考えて作品を描くべき時代なのだ。

漫画・出版:諌山創
出版・編集:講談社
連載・掲載:別冊少年マガジン
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■2011/04/25 (Mon)
前巻からわずか一ヶ月だが早くも絶望先生25集 (1)新刊である。まず「表紙がちゃんと日塔奈美である」ということを取り上げるべきであろう。16巻まで表紙は主人公である糸色望が務め、17巻以降、ヒロインである絶望少女たちが順番に表紙を飾るようになった。この表紙に取り上げられる順番だが、1巻から16巻までの背表紙と同じ順番である。風浦可符香に始まり、小森霧、常月まとい、小節あびる、木村カエレ、音無芽留、木津千里、関内・マリア・太郎。そして日塔奈美である。
しかし絶望放送において、一つの不安が語られるようになった。「本当に日塔奈美が表紙に載るのだろうか」「ひょっとして、日塔奈美だけ飛ばされるのではないだろうか」「いや、普通だから、表紙が和紙から普通紙に変わるのではないか」。熱心な絶望先生読者であれば、この作品における日塔奈美のポジションはよく知っているはずである。ギャグのネタとして弄られやすいキャラクターであり、最近ではエピソードにオチをつける役割を与えられるようになった。そんなキャラであるから――ネタとして――日塔奈美だけ飛ばされるのではないか……。そんな杞憂を払いのけるように、特に何かの笑いのネタにされることなく、日塔奈美は堂々と、それでいて普通に表紙を飾った。絶望先生読者の間にささやかな動揺と期待を与え続けていた懸念は、特に何の問題もなく、普通に去っていったようである。
さて、日塔奈美の表紙であるが――特にコメントすべき特徴が見つからない。いたって普通である。普通の女の子が、普通の袴姿で、これといって個性があるわけでもない普通のポーズを取っている。カチューシャに付属したバラの飾りと、バッグのバラの模様がワンポイントとして衣装に連続性を与えているが、これは日塔奈美のキャラクターとしての個性ではない。ある意味、見事と評すべきの普通さである。艶やかに着飾っても、滲み出てくるどうにもならない普通さ――これを絵画として体現させられる久米田康治の力量に脱帽である。
さて、例によって前巻までのあらすじである。徹底した普通さの中に混じる(見落としがちな)狂気が恐ろしい。あと、最後の一文はセクハラだと思う。

前巻までのあらすじ
つい間違えて乗ってしまった普通列車で、「府中駅」で降りたつもりが「普通駅」。「普通」という名に反して街は異常な事ばかり。普通預金で金利が0.02%だったり、普通高校が無償化されていたり、普通免許とるのに30万円かかったりと、異常すぎる普通のオンパレード。「こんなの普通じゃない」「日本はもっと普通の国になった方がいい」と唱えると、どこからともなく国士様、国士様と持ち上げられて、都知事選に立候補するはめに。そんなおり、前都知事から破いてみろと障子が送られてくる。

第241話 蔓延元年のハロウィン
絶望先生25集 (2)《近所のパーティ会場で爆発事故発生。怪我人多数との情報》
街の大病院でも収容しきれない規模の大きな事故だったらしい。患者が糸色医院にも運ばれてくる。糸色命は緊急体制でこれに応対したのだが――運ばれてくるのは珍妙なコスプレ衣装の患者ばかり。どうやらハロウィン会場での事故だったらしい。魔女や妖怪や髑髏男といった衣装で、体にはたっぷり塗られた血糊、意味もなく巻かれた包帯、突き刺さったナイフの被り物。
「どこまでが怪我でどこまでがコスプレ!」
「いやあ、自分でもよくわからないんですよ」
というわけで心の折れた糸色命は、治療をセルフサービスに切り替えることにした。
「みなさん自分で怪我したところに赤チンでも塗っておいてくださいね」
悪貨は良貨を駆逐する……。
ニセモノがあまりにも多く広まり、市民権を得てしまうと、誰もホンモノに関心を持たなくなる。
安いコピーソフトが出回ると、ホンモノのソフトが売れなくなり、
ガラの悪い客が増えると、良客が店から遠ざかってしまい、
ニュースショーが蔓延して普通のニュースが放送されなくなる。
病院にやたらクレームをつけて大騒ぎすると、医者になろうと考える人も少なくなるかも知れず、そうしたら巡り巡って自分に危難が降りかかるかもしれない。
手に入ればどんなニセモノ、粗悪品でもいい、という考え方が結果として「貧乏街の銭失い」という結果に至るかもしれない。
自身が粗悪品になってはいけないし、一時的な満足でニセモノに手を出すべきでもない。ものの価値について、考えさせられる一遍である。

第242話 安定期というには若すぎる
絶望先生25集 (3)下校途中にある大きな神社が親子連れで一杯になっていた。今日は七五三だ(Wikipedia:七五三)。
ふらりと寄り道した風浦可符香と日塔奈美は、販売所のちとせ飴を買う。が、そのちとせ飴が異様に短く太いことに日塔奈美が不満を漏らす。
「ちょっとちとせ飴ってこんなんでしょう? 細くて長い」
「そういう生き方もあるってことで。本来、長寿を願って細く長く作られていたのですが、「男なら太く短くだろ!」というニーズが例年ありまして、宮司がしぶしぶ商品化しました」
それはそれとして、七五三とは、昔の子供の死亡率が高く、7歳まで生きられないケースがあまりにも多かったため、7歳になったことでようやく生命として安定したと見做されて、神様にお礼をいうための儀式である。
だがここ最近、どうもそれとは別で、とにかく何でも安定したと見做されたものを勝手に神社に持ち込み、一方的に神様にお礼を言い残していくケースが増えているようである。
とそこに現れるのは藤吉晴美。大事そうに胸に抱えているのは贔屓にしている漫画のようである。
「好きな連載が10週こえたので、とりあえず一安心かと」
他にも仕事を始めて一ヶ月経ったから、仕事が安定したと見做して子供を連れてくる親。
知人からの借金の催促が1年こないから、そろそろ大丈夫。
二重に整形したまぶたが1ヶ月たっても戻らないので、とりあえず一安心。
しかし現実問題として、絶対に安心などそうそうあるものではない。安心と信じられ、安心を宣言されていたはずのものが、ある日あっけなく崩壊する可能性と危険は常にあるのである。それこそが『逆七五三』。今まさに、安全だったものが次々に崩壊しようとしている。

第243話 いろいろと飛ぶ教室
絶望先生25集 (6)公園の風景は紅葉に彩られ、並木通りは落ち葉で埋め尽くされていた。そんな光景を前にして、3人の少年たちがセンチメンタルな思いに捉われていた。
「失恋が――したいのです」
まだ恋はしていない。恋をするのは面倒くさいし、ちょっと怖い。でもセンチメンタルな気分だから、失恋のほろ苦さだけは味わってみたい。
恋はしてみたいと思わないけど、失恋はしてみたい。そう、それは「恋の飛び級」と呼ばれている。
アメリカ人などは飛び級を好む性格で知られている。例えば――恋愛しているわけでもないのに、チューをする。これも恋の飛び級である。
この“飛び級”は、恋に限らず様々な場面で見られる。
買いもしないのに新製品に文句をいったり、
まだ疲れてもいないのに、おいしいからとオロナミンCを飲んだり、
国民の声を聞く前に、ビデオ(尖閣)を流出させた犯人を捜したり、
いやいや、実は日本人の多くが次のような“飛び級”を経験し、実践しているのである。
――投票にも行かないくせに政治に文句を言う

第244話 五位は五六年前から焼き芋と云ふ物に異常な執着を持ってゐる
絶望先生25集 (10)やーきーいーもー
街のどこかで安っぽい拡声器の音が聞こえた。甘く焼けた独特の香りと、リヤカーに乗せた屋台の存在感が横切っていく。
どこだろう?
なんともいえない食欲に捉われて、糸色望は声と香りの主を求めて、向うの角を曲がった。しかし、そこに求めていたリヤカーの影はなかった。それでも拡声器の声と気配はどこからともなく聞こえてくる。糸色望は次の通りへ、次の通りへと声の主を探していく。しかし、どんなに探しても、声の主は砂漠で見る湖の幻のように別の通りへと移ってしまう。
「声と匂いはすれど姿は見えず……」
望は苛立ちと不審さを感じて呟いた。
とそこに、日塔奈美が望に声をかける。
「先生。ひとつ食べます?」
振り向く望。見ると新聞紙にくるまれた焼き芋が一山、日塔奈美の腕に抱かれていた。望が焼き芋を凝視していると、奈美が気を利かせて、笑顔で焼き芋をひとつ差し出した。
が、
「止めなよ。」
と止めたのは木津千里だった。
「先生のように育ちのいい人が焼き芋なんて食べないでしょ。」
それもそうだ。焼き芋といえば庶民の食べ物の代表。間違っても望のような名家の者が口にするようなものではないし、差し出せばむしろ失礼に当たる。
でも望の本音は焼き芋を食べたい。だというのに、誰も「両家の坊ちゃんだから」と与えてくれない。これはそう、「逆差別」である!
逆差別――優位とされている部分が逆に差別されることである。
例えば、東大卒がバイトの面接に行ったら、東大生はこんな仕事しないでしょ、と断られたり、
いい人すぎて付き合えないとか言われたり、
アイドルに憧れていたけど、美人すぎてアイドルになれなかったり。
ふと振り返ると、そこには焼き芋を抱えた常月まといが立っていた。
「食べます?」
まといの問いに、望はごくりと生唾を飲み込みながら頷いた。
「デートに付き合ってくれたら、あげますよ」

第245話 人間悪平等起源論
絶望先生25集 (11)なにやら街が慌しい。通りは白黒パトカーで埋め尽くされ、制服警官が通り行く車を一台一台検問している。
どうやらサミットで外国の要人が来日しているらしい。その警備で街全体が不穏な緊張状態に包まれていた。
ふと街頭テレビの緊急ニュースの声が聞こえてきた。
「臨時ニュースです。現在来日されているハルンケア国王の娘、ポラギノール王女が行方不明です」
街頭テレビの映像は、王女の顔写真に切り替わる。その顔を見て、糸色望と絶望少女たちは絶句する。王女の姿が、マリアにそっくりなのだ。
ひょっとすると、これは……。アレである。ヒロインとどこぞの国の王女が瓜二つ――間違えられて追い掛け回されうんたらかんたらっていう展開に違いない。
しかし、この展開に異を唱えるヒロインがここに一人。
「ちょっと、マリアちゃんがヒロインなんですか? なんか不満ですぶーぶー」
膨れっ面を浮かべるのは日塔奈美であった。
緊急ニュースはまだ続くようだ。
「来日しているデリクァ国王の娘、タムチン王女が行方不明……(以下略)
とテレビの映像は、タムチン王女の顔写真に切り替わる。驚くことに、その顔は日塔奈美にそっくり……。
緊急ニュースはまだまだ続くようである。
「新しい行方不明者が出たようです。これが行方不明のリアッピ王女です。さらに別の王女も行方不明で……」
テレビには次々と王女の顔写真がスライドショーされる。そしてその顔写真は、どれも絶望少女たちにそっくり。まさかの全員がプリンセス。これはもはや、クラス演劇で全員がシンデレラの役をやる、最近の平等教育のそれである。
糸色望はこの状況を「悪平等」と看破する。
運動会で手を繋いで一緒にゴールさせ、全員1位とか!
全員が合格点を取れるように、ぬるい問題しか出さなかったりとか!
オレの嫁を出せという意見を平等に聞いてアニメのストーリーがガタガタに壊れたり!
現実的な問題として、平等主義を徹底させようとしたら、もっとも低いレベルに全員が合わせなければならないのだ。

第246話 さ部
絶望先生25集 (13)「こたつは大好き」
と糸色望。
「こたつは大好き」
と小森霧。
2人はこたつに潜り、ぬっくぬくとくつろいでいた。
「しかし、さっきからコレは何ですかね?」
糸色望が体を傾けて左側面を覗き込む。誰も入っていないそこに、“こたつ部”の札が立てかけられていた。
「知らないんですか?」
と入ってきたのは木津千里。
「2名以上の同好の士がいた場合、強制的に部活と断定される決まりになったんです!」
それはあまりにも部活に入らない生徒が多いために、校長が独断で決定したことであった。というわけで小森霧はこたつ部部長、糸色望はこたつ部顧問、それから何の脈絡もなくこの場面に入ってきた日塔奈美が強制的にこたつ部副部長の役割が与えられ、こたつ部は正式な部として成立した。
「日本の憲法では、集会、結社の自由が認められていますから。」
「結社しない自由もあるんです!」
この調子で、木津千里は学校内に様々な部を強制的に結成させていく。

第247話 ハラの立ちたることもなしと思えば
絶望先生25集 (24)クリスマス・イブの夜。宿直室には2のへ組少女たちが集まり、クリスマスツリーの飾り付けを始めていた。しかし宿直室の主役たる糸色望は、部屋の隅っこで無関心そうにテレビとだけ向き合っている。
「先生、参加しないんですか?」
日塔奈美が飾り付けをする手を止めて、糸色望を振り返る。
「クリスマスに浮かれるのは、ちょっと……」
望は曖昧に言葉を濁す。
「ほら、先生クリスマスチルドレンとの噂だから」
あびるがクリスマスツリーの向こう側から顔を出す。
クリスマスチルドレン……誕生日から逆算して、クリスマスに仕込まれたではないかという疑いのある人のことである。糸色望は、その事実を知って以来、正直にクリスマスを楽しめなくなっていた。
とそこにポジティブ女王が暖かな微笑みと共に提案。
「クリスマスだと思うから楽しめないんです。お正月の前祝とでも思えばいいんです」
そう、今日のパーティーはたまたま24日に催されているだけで、飽くまでもクリスマスとは無関係の集まり。
「ただのお正月の前祝なんですね。じゃあ私も心置きなく宴に参加できます」
と喜んでクリスマス……もといお正月の前祝という建前であるパーティーに参加するのであった。
とはいうものの、世間はクリスマスカラー一色。女とイチャイチャ、男とベタベタのリア充に嫉妬の炎を燃やす男/女の怨嗟で街はどろどろとした怨念に包まれていた。
しかし、ポジティブ女王はさわやかな微笑とともに残念な(主に顔が)男性たちに祝福の言葉を与えていく。
クリスマスだと思わなければいいんです。
サンタだと思わなければいいんです。
べたべたしているアベックは、ただの寒がりで、寒さに耐え切れず2人でおしくらまんじゅうしているだけ。
あのプレゼントの箱は、中に入っているのはウィキリークスが流出させた、鳩山家のシチューのレシピが入っているだけ。
あれもこれも、○○と思わなければ何とも思わない。要は考え方、心の持ちよう次第である。

第248話 七草物語
絶望先生25集 (22)「七草かゆだよ」
小森霧が料理を入れた土鍋をこたつテーブルの上に置く。せり、なずな、ごぎょう、はらべら、ほとけのざ、すずな、すずしろ。季節の縁起物がおかゆの中、ふんだんに放り込まれていた。
Wikipedia:七草)(Wikipedia:七草かゆ
しかし七草かゆに不満なのは糸色交。
「こんな草ばっか食べられないよ。こんなに草ばっか食べたら、草食動物になっちゃうよ」
「ならない!」
霧がびしっと叱り付ける。
「わからないですよ」
と食事を続ける望の背中から顔を出すのは常月まとい。
「以前食事情でお肉を食べられない時期があって、葉野菜ばかり食べていたんです。一週間も続けていると、何かこう感覚が研ぎ澄まされたようになって、遠くの物がよく見えるようになったり、小さな物音に敏感になったり。まるで肉食動物に怯える草食動物のように」
なんて説明を聞き流して食事を続ける糸色望。ふと顔をあげると、なぜか宿直室は植物であふれかえっていた。しかも葉っぱは意志があるように動き、喋り、喧嘩まで始める始末。
解説すると、こういうことである。草食化した糸色望は、感覚が鋭くなりすぎて、普段見えるはずのないものが見えるようになったのだ。
そこに現れたのはどこぞの誰かにそっくりな少女、芹の精である「せり」。続いて「なずな」「ごぎょう」「さらべこ」「ほとけのざ」「すずな」「すずしろ」。全員合わせて『無病息災少女《なな☆くさ》』。草なので正真正銘の萌えキャラである。
というわけで急遽、絶望先生内で萌え漫画『なな☆くさ』が始まることになった。

第249話 イワンのなかば
絶望先生25集 (18)年を越えて最初の授業が始まった。糸色望は教壇に立つなり、挨拶もなしにこう切り出す。
「えー、皆さん今年何か新しいことを始めましたか? そしてもう、何をやめましたか」
妙にツヤツヤした顔で望は“やめましたか”とクラスの一同に問う。
茫然と沈黙するクラス一同。
「ちょ、やめたの前提ですか!」
最初に異議の声を上げたのは木津千里だった。
が、
「はい」
風浦可符香が爽やかな声と共に手を挙げる。
「私は早くも日記をつけるのを諦めました」
続いて日塔奈美が手を挙げる。
「私は早くもダイエットを諦めました」
次は大草麻菜実。
「私は早くも計画的なご利用を諦めました」
生徒たちが次々と断念した計画をカミングアウトしていく。しかし糸色望はそれを非難しようとはしない。「石の上には三日が限界」。損切りは早めに決断すべきである、というのが望の主張だった。
うっかり目標を2月まで継続させてしまったら、取り返しがつかなくなるかもしれない。目標の損切りは早めに!
部活は仮入部でやめておけば、優しい先輩のままで終わったはずだった!
成田でやめておけば、熟年離婚で苦しまなくていい!
ケータイゲームも無料のうちにやめておけば、アイテム課金地獄に陥らずに済んだはず!
《ツァイガルニク効果》――人間、成し遂げた物事より、途中で断念してしまった物事のほうが強く印象に残るもの。達成した記録より、中断した記憶のほうがより強い意義(意義?)を持つのだ。だから、むしろ途中でやめたほうがいいのである。(Wikipedia:ツァイガルニク効果
漫画なども半ばで打ち切りになった方が強く印象が残るはず。
成就した恋よりも、半ばで打ち切られた恋のほうが美しい思い出になるはず。
「道半ば」……。そう人間、道半ばであったほうがいつまでも強く、美しく記憶されていくものなのだ。(……道半ばは嫌だ)

第250話 一杯のエスプレッソ分
絶望先生25集 (20)その日、日塔奈美はいつもよりほんの少しオシャレをして、ほんの少し料金の高いお店でランチを食べていた。
ふと隣の席を見ると、
「これでお願いします」
と差し出したのは50%オフのクーポン券。
納得がいかない。こっちは正規料金なのに、あっちは半額。
「あんな店、もう二度と行かない!」
奈美は残念気分でお店を飛び出していった。
そこに糸色望と鉢合わせになる。興奮収まらない奈美は、店でのできごとを望に説明する。
「ふむ。それは今流行の共同購入クーポンってやつですね。逆に考えるんです。自分が正規料金で食べられたからこそ、彼女らが安く食べられたのです。カフェ・ソスペーゾです」
カフェ・ソスペーゾ。それはナポリにおける古い慣習――“粋”である。その昔、ナポリでは裕福な人が1杯のエスプレッソに2杯分の代金を置いていった。それによりカフェにストックされたお金が増え、懐の寂しい人たちに無料でエスプレッソを提供することができた。
それでもやっぱり不満な日塔奈美である。
「でも! あの人たちぜんぜん貧しそうに見えなかった! 小金溜め込んでいそうだし。むしろ正規料金払った私を、情報貧乏としてバカにしている感じ!」
望が負けじとまくし立てる。
「いいやカフェ・ソスペーゾです! 私が定価で買うから、誰かが半額で買えるのです! そう思わないと理不尽でならない!」
本音が出たようである。
やたらめったら割り引きが可能ってことは、「割引価格が適正価格」っていうことではないだろうか。宣伝のためと言われているが、50%オフで来た客が、正規料金でリピーターになるものだろうか。別の50%オフの店に行くだけではないだろうか。
「そこでカフェ・ソスペーゾの精神ですよ。正規料金を支払った誰かがいるからこそ、安く購入できる人たちを支えることができるのです」
例えば、大人がちゃんとした値段で食べているから、お子様ランチが安く提供できる。
ビジネスクラスに正規料金で乗る人がいるから、格安のエコノミーでそれなりのサービスを受けることができる。
高いロースを買ってくれる人がいるから、安いばら肉が食べられるのだ。
ただ、DVDを買ってくれた人が少ないから、第4期はなかったようである。
Wikipedia:フラッシュマーケティング

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漫画・著作:久米田康治
出版・編集:講談社
連載・掲載:週刊少年マガジン
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■2011/03/22 (Tue)
絶望先生24集 (1)「我、絶望の数を数えんとするが、その数は砂粒より多し」
というミルトンによる言葉が……何か違ったかな? 何にせよ、絶望は人の数だけ、人生の数だけあるという意味である。絶望先生は一生の間にいくつもの絶望を数え、その一つ一つを拾い上げていきつつ、自身はといえば意外と希望に満ちた暮らしを続けている。絶望があるから、希望がある。絶望から逃れるためには、絶望を知らなければならないのだ。糸色望はコレクションするように絶望を集めているが、そもそもからいって何も絶望していないし、絶望すらするつもりはなかったのである。ただ絶望の向うにあるのは、近代的な虚飾を取り除いた理性的な事象の集合であり、その地平には希望も絶望も存在しない。
第24集の表紙は国籍不明少女マリア。和装姿にエプロン、カチューシャをまとい、両手と頭にビール瓶を載せた盆を置いている。マリアらしいかわいらしいデザイン、色彩である。ビールのラベルにも遊び心があって楽しい。
カバーを外すと、意外な人物が表紙を飾っている。小森霧による「開けないでよ」はいつになったら復活するのだろうか? ちなみにセーラー服がなぜかリボンスタイルだ。次の冬服では再び採用されるのだろうか。
恒例の前巻までのあらすじだが、今回は「特にここは」と思ったところを太字にしてみた。特にコメントしないが、それぞれの感想を持って見ていただきたい。

前巻までのあらすじ
私の名前は関内・マリア・太郎。れっきとしたニホンジンダヨ。なのに入国管ロリ局なる謎の組織に狙われる日々。ある時うっかり捕まってしまい、マリアパスポート見セタよ。デモニセモノだろって言いがかり。だからマリア言ってやったよ。ニセモノって証拠あるのか? 証拠ダセ「論より証拠ダロ」って・・・・。そしたらヤツら「ロリより小五」って返してきた。ワケワカンナイ。ドッチモロリダロ。結局捕まって、少女を集めた特区ロリ出島に監禁されたよ。すると穴の空いた障子の向うから、ロリンピック招致に失敗した黒幕が、ランドセル持って現れた。「穴埋めだー」「穴埋めだー」

第231話 ニャン京の基督
絶望先生24集 (2)♪ほんの少しだけ違ったのならー世界は平和ー
例えば「ナン」が「ニャン」になる。
「ライスとニャン、どちらにします?」「ニャンで」
たった一文字変わっただけで、物事はがらりと印象を変える。「ナン」が「ニャン」。それだけで気持ちはほのぼのとする。
例えば「コロンボ大会」。
何の問題はありません。ちびっ子も大会に参加しましょう。
社会で難しく語られれているあの問題もこの問題も、たった一文字変えるだけで何となく平和的に思えてくる。
通り魔→トリマー
ニート→乳頭
言葉だけでなく事象についても同様に、たった一つ違っただけで世の中平和になる。例えば――
チャンネルの1と3がなければ日本は平和

第232話 半七見世物帳
絶望先生24集 (3)縁日だ。絶望少女たちが着物を着て、出店が並ぶ賑やかな界隈を歩いている。
「先生、見て下さい」
ふと風浦可符香が何かを指差す。
「ほう、今時珍しい」
糸色望は振り向き、感心したように声を上げた。
出店が並ぶ一角に、大きなテントが張られていた。テントの入り口には『見せもの小屋』の看板が掲げられている。『見せもの小屋』といえば、ヘビ女とか人魚のミイラとか、そういう胡散臭いものを陳列する場所である。
いかがわしい場所なのは間違いないが、好奇心は抑えられない。面白そうだからと一同はテントの中へと入っていく。
中に入ると、真っ暗なステージに一筋の光が差し込む。その光の中に、燕尾服風の水着姿の女が現れた。
「紳士淑女の皆様、ようこそ!」
女が朗々とした声で口上を始める。
「最初にご覧いただくは、上野の杜より連れてきました。恐怖の「カップル」」
紹介が終わると奥の幕がすっと開く。その向うに、背を向けたベンチが一つ現れた。ベンチには寄り添う男と女が一組。
客席の一同は、茫然としつつ、寄り添う男女を見ていた。
ふと男が振り返り、客席を睨み返す。
「見せもんじゃねーよ!」
幕が閉じる。
そうここは、『見せもんじゃねーよ小屋』。世の中の『見せもんじゃねーよ』というものをわざわざ引っ張り出し、舞台上で公開し、そのうえで「見せもんじゃねーよ」と言わせる場所なのである。
とは言うものの、世の中、明らかにそっちから見せているのに、「見せもんじゃねーよ」って態度を取られるケースが実に多い。
どうやっても見えちゃうのに、見てんじゃねーよって態度取られたり、
世界に向けてブログを公開しているのに、「ブログ見たよ」と言うと露骨に嫌がられたり(『絶望放送』などはその最たるものである)
国費で大々的に招待しておいて、マスコミに撮るなという態度を取ったり……。

第233話 四十日と四十夜のアリバイ
絶望先生24集 (6)ある夏休みの昼。暑い日差しが射し込み、セミの騒音が辺りを満たしている。風浦可符香、小節あびる三珠真夜の3人が駄菓子屋の前に置かれているベンチに並んで座り、アイスをかじっていた。
「アイスおいしいね」
可符香が唇についたミルクをぺろりと舐めつつ言った。
「ところで、学校の先生って夏休みは夏休みなのかな」
ふとあびるが疑問を口にする。
「授業ないから、夏休みは夏休みなんじゃないかな」
可符香は微笑みながらあびるを振り返った。
というそこに、糸色望がパナマハットを被り、旅行ケースを片手に現れる。「夏休みの教師」と表紙に掲げられた本から目を離せない様子で、それでいてせかせかとした調子でその場を通り過ぎようとしていた。
「先生ー!」
可符香が手を振って望を呼び止めた。
「夏休みって、先生も夏休みなんですか?」
あびるがさっきの疑問を望自身に尋ねる。
すると――
「とんでもない!」
物凄い迫力で言葉が返ってきた。あまりの勢いに、あびると真夜を乗せたベンチが派手にひっくり返り、アイスが砕けて飛び散る。可符香だけはいつの間にかベンチの横に逃れていた。
「教師という仕事は、夏休みこそ忙しいのです! 研修やレポートまとめたり、2学期の準備をしたり!! とにかく忙しいのでまた後で!」
望はまくし立てるように言葉を一気呵成に並べると、「忙しい忙しい」と呟きながらその場を去っていった。
……怪しい。
そう察したあびるは望の素行調査を始める。すぐにでも、望の「忙しい」は「無理して忙しいアピール」であると判明する。
誰だって、時に保身のために、「何かやっているぞ」というポーズをとらねばならないことがある。
天下り法人は、誰も読まない冊子出して仕事してるアピール。
使えない2代目社長が、やたら無駄な会議を開いてやっているアピール。
被災現場近くに行っただけで、仕事しましたアピール。
そう、先生の夏休みとは、「漫画家のお休みのときの取材くらい」仕事しているのだ。

第234話 放射後のロックンロール・パーティ
絶望先生24集 (8)真夏の夜――であるはずなのに妙に冷え込む。
「昼あんなに暑かったのに」
交が不満を口にする。
「ああ、これは、放射冷却です」
暑い日射しによって暖められた地表が、夜になると熱を放射し、一転して寒くなる現象である。砂漠地帯の夜が氷点下に達するほど冷え込むのも、この理屈である。
さてこの放射冷却。自然現象だけならいい。世の中には、あってはならない放射冷却があちこちで観察される。
例えばAkaBane84ファンのとある男性。
「……男。男と喋ってる! 騙されたもうファンやめる!」
そう人間放射冷却。普通のファンならファンをやめて終わりだけど、普通ではないファンは熱かったぶん放射冷却で冷め過ぎて、瞬く間にアンチに変わってしまう。
この一例だけではない。
極端な左翼思想の人が論破されて、極端に右寄りの思想に変わったり、
悪の限りを尽くしたヤンキーが教師を目指したり、
最先端のデジタルライフを謳歌した反動で、何もない田舎暮らしを始めてみたり。
単純にやめればいいだけなのに、傍迷惑にも放射冷却をはじめる人々。しかもそんな人たちは、放射冷却とともに電(磁)波も出してしまう。

第235話 初手に告げるなかれ
絶望先生24集 (10)新学期が始まった最初の日。教壇に登った糸色望はさっそくその日の社会の授業を始める。
「新学期初日。最初から間違えないように」
というわけで、生徒たちが初手を間違えないように、「初手竜王」が招かれた。――一旧さんである。
「ご紹介にあずかった一旧です。囲碁(以後)よろしく」
これは挨拶という初手を間違えた例である。ちなみに肩書きである「竜王」も、将棋の位であって囲碁の位ではない。挨拶と肩書き同時に間違えるという、初手のミスとしては極めて高度なテクニックである。
そんな初手のミスは日常のあらゆるところで頻繁に観察される。
初デートでジブリ以外のアニメ映画を観に行ったりどうしていけないんだ?
初対面なのにファーストネームで呼び捨てにしたり、
国営放送9時のトップニュースが異国(韓国)のアイドルだったり、
この先、何年も使うかもしれないのに珍名をつけてしまう新人漫画家。
とそんな初手の間違いを羅列していく中、ポジティブ女王が笑顔で反論する。
「とんでもないボールから入るのも手ですよ」
お寿司は好きな物から食べればいい。1番真弓の時の阪神は弱かったか?1番彦野の時の中日は弱かったか? むしろ強かったはず。一見してミスを思われる選択が、実は正解だったという例だっていくらでもあるのだ。

第236話 遅き・琴・菊
絶望先生24集 (12)そこは一面菊だらけの花園。9月9日、旧暦においては菊が一斉に咲くとされていた重陽の節句。あるいは菊の節句と呼ばれる日であった。(Wikipedia:重陽
が、実は今日、重陽の節句から一日外れた10日だ。十日の菊、あるいは六日の菖蒲(語源由来時点:六日の菖蒲)。9月9日が重陽の節句で菊が必要なのに、10日に持ってこられても価値がなくなるという意味の例えである。
ビジネスでいうところの「機会の損失」。昨日までだったら100円で売れたはずのものが、今日だと50円になってしまう状況。
26日のクリスマスケーキ、あるいは一日遅れのパン祭り。
ほんのちょっとの差で価値を失ってしまう様々なもの。日常においては様々なところで遭遇したり目撃したりする。
食べ終わった後に出される薬味とか、
お会計した後に持っていることに気付く割引券とか、
DVD借りた日にテレビ放送される20世紀少年とか、
確定申告終わった後に渡される領収書とか、
しかし世の中には、そんな重い機会の損失だけではない。もっとどうでもよく、下らない機会の損失のほうがはるかにたくさんあるのだ。

第237話 見られようが見られまいが我間接
絶望先生24集 (13)お月見の夜。絶望少女たちが団子をほおばりながら、夜空に現れる月を静かに眺めていた。
ところが加賀愛だけ、桶に移った月をうつむくように見ていた。
「何しているの加賀ちゃん」
日塔奈美が団子を飲み込みつつ愛に尋ねる。
「いや、あの……。直接お月様を見るのは、申し訳ないと思いまして」
その通り。お月様を直接見るのはマナー違反である。平安貴族は池や杯に月を映し、月見を楽しんでいた。昔は上を見上げるのは下品とされていたのである。
「でも何で上を向くのが下品なのかな」
奈美が疑問を漏らしつつ、思い切り胸をそらして月を見上げた。
それを一同が注目する。
「鼻の穴が見えるからじゃない?」
あびるの指摘。
「ちょ、ちょっと今、私を見て具体論?」
奈美が動揺しながら尋ねる。まあ、そうだけど。
月見に限らず、日本人は直接的なものよりは間接的なものを好む傾向がある。
間接キッスで大騒ぎしたり、
間接税の大幅アップを容認したり、
間接支配(院生)で日本の歴史は作られて(で、今においても半ば院生)きた。
一方で間接的なメッセージは受け取る側にも相応のスキルが必要であったりもする。
例えば引きこもりの間接的メッセージは、
月曜日に少しだけドアを開けていると、ジャンプ買って来い、
くつした片方だけ脱ぎ捨ててあったら、風呂に入るから家を開けろ、
しましまのシャツが出ていたら、宅配便が来るから受け取れ……等々。
この国では発信するのも受け取るのも、何もかも間接的表現で行われるのである。

第238話 この道はいつも通らない道
絶望先生24集 (15)糸色望が一人で通りを歩いていると、向こうの細路地に気になる姿が通り過ぎるのに気付いた。振り返ると、加賀愛のようだ。立ち止まって見ていると、加賀愛は細路地から細路地へ、何かを確かめるように歩いているな様子だった。
「どうしました?」
愛が近くまで来たところで、望が声をかける。
「あ、先生!」
愛が驚いた声を上げる。うつむいて歩いていたから、望の存在にも視線にも気付かなかったのだ。
「いや、この道、通るの初めてだなって思って……」
愛はいつもの少し沈んだ調子で、ぽつぽつと理由を語り始めた。
一生の間に決して通らない道がある。そう思うと、何だか切ない。だから道の一つ一つを確かめるように歩いていた――愛はそう語った。
世界には信じられないくらいたくさんの道がある。しかし多くの人はその道を歩かず、存在すら気付かず、意識すらしないまま、過ぎ去ってしまう。でも、ふとそんな道の存在に気付くと、歩かずにはいられない。
そんな心境はあらゆるものに対して起こりうる感情なのである。
例えば、一生読まないかもしれない本がある。
携帯電話で一生使わない機能がある。
十徳ナイフの中に一生使わないパーツがある。
いつも行く食堂なのに、一生頼まないメニューがある。
身近で手に届く場所にあるはずなのに、一生自分とは関わらないものはたくさんある。そう思いながら手に触れずにいるのは、何だかあまりにも物悲しい。できるならば、今のうちに触れたいと思うものである。

第239話 団結は手抜きなり
絶望先生24集 (18)綱引きだ。2のへクラス女子が負けまいと綱を引っ張っている。が、明らかにその人数が少ない。劣勢でありながら、際どく拮抗を守っていた。
そこに、
「遅くなりました! 加勢します!」
風浦可符香と加賀愛その他大勢が参戦する。これで人数が倍になったから、あっという間に勝てるはず。
……なのに2のへ組の勢いは急速に弱まっていき、あっという間に綱を引っ張られて敗北してしまった。
「なぜ?」
愕然としながら、日塔奈美が疑問を漏らす。
「リンゲルマン効果です」(リンゲルマン効果とは?
例えば大勢で作業すると、一人当たりの出す力が減ってしまう現象である。2人で作業していたものが4人で作業しても、なぜか2倍の仕事量にならない現象だ。スタッフを増やしても作業が早くならない漫画家の仕事も、リンゲルマン効果の一例である。
人を増やせば増やすほど、一人当たりの仕事の活力は減っていく。これを「社会的手抜き」と呼ぶ。
そんなリンゲルマン効果は日常の色んなものの中に観測できる。
例えば、アイドルグループは人数が増えれば増えるほど、一人当たりの可愛さに手を抜いているように見えたり、
戦隊物のヒーローは、人数が増えると一人当たりの技とか武器がテキトーになっていく、
ハートキャッチプリキュアにおいては、サンシャインが加入によってマリンが手を抜くようになったり(今はスイートプリキュアだけど)
チャンネル数が増えて一本あたりの番組制作費が減ったり、
福沢諭吉が増えすぎるとなんとなく一枚あたりの価値が9800円くらいに思えてきたり、
お笑い芸人一杯集めてもあまり面白くなかったり。
いや、リンゲルマン効果は逆に考えるべきかもしれない。増えれば一人当たりの力が減るのであれば、人数を減らすことで一人当たりの力が増大するのでは? 例えばサッカーで一人退場になった後、10人になったほうが動きがよくなることが多くある。
では、あの100人乗っても大丈夫なあの物置は、80人だと……。

第240話 ぐりとぐだぐだのおおおかさばき
絶望先生24集 (20)綱引きだ。2のへの女子たちが負けまいと全力で綱を引いていた。で、相手クラスと綱の中心にあるのは――糸色望である。
「ギャー痛い痛い!」
悲痛に叫ぶ糸色望。身体が千切れちゃうかもしれない。そう思った木津千里は、とっさに綱を離してしまう。
「大岡裁き」である。
大岡裁きに「子争い」というエピソードがある。ある2人の女が、「私こそは本当の母親」と一人の子供を主張するのである。解決の糸口が見つからないから、大岡越前は2人の女に子供を両手から引っ張ってみせよ、と命じる。当然、子供は引っ張られて「痛い痛い!」と叫ぶ。そこで痛がる子供を見て、一方の女が手を離す。
「痛がる我が子を見て放さない者が本当の母親であるわけがない。だから手を放したほうが本当の母親である」
手を放したことによって大切なものが得られるという、素晴らしいエピソードである。
「ああ、それなら私にも似たようなことが」
と話に加わってくるのは藤吉晴美。
とある同人誌専門店で、ある本を買おうと手にした。が同時に別の女が同じ本を手にする。
「私が先に取ったの!」
「私が買うの!」
と引っ張り合いになるが、
……破れちゃう。
そう思い、晴美は本を手放してしまった。
放したほうが本当のファン。作品を愛しているという証拠である。しかし、実際に本を手に入れたのは奪っていった方である。
そう、今の世の中、譲った方が得るなんて決してない。手を引いたほうが損をする。力ずくで奪い取ったほうが何でも手に入れられる時代である。
例えば日本の領土。どうぞどうぞとやっているちに、北はロシア、南は中国に奪われてしまった。
世の中にはそもそも審判がダメなダメ大岡裁きが横行している。
明らかに一方的なイジメなのに、喧嘩両成敗と双方に罰を与えたり、
微妙なファウルだけど、さっきあっちにPK与えたからこっちにもPKを与えたり、
打ち切るか長い目で新人を育てるか、延々議論した結果、続きはWebで!
犯罪者に悪いからといってあのビデオ(尖閣ビデオ)を非公開にしたり、
明らかな犯罪だけど、人権を気にして通名(韓国人)で報道したり。
いや、そもそも少年漫画こそダメ大岡裁きが蔓延する場所なのだ。

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漫画・著作:久米田康治
出版・編集:講談社
連載・掲載:週刊少年マガジン《2010年発行 第35号~47号掲載(第43・45号休載)》

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■  ネタ解説
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■2011/01/17 (Mon)
じょしらく 2巻 (1)久米田康治、ヤスという新しいコンビによる作品『じょしらく』第2巻がいよいよ登場だ。第2巻では改めてキャラクターが取り上げられ、詳しく掘り下げられ、「この漫画は女の子のかわいらしさをお楽しみいただくために……」と前置きしながら、“ゆるさ”はなく、ギャグ漫画としてより勢いを強めている。舞台はいまだに楽屋という場所から一歩も外へ踏み出していないし、踏み出そうとすらしないし、楽屋外の事件やできごとや台詞と回想のみで語られるのみだが閉塞感はまったくない。わずか12畳の舞台ながら、物語は想像以上に豊かで、キャラクターの実に生き生きと活躍している。
漫画の構造は3段4段ぶち抜き構図の多用や、社会風刺といった久米田康治のスタイルを原型にしているが、『さよなら絶望先生』シリーズとは違う『じょしらく』らしい設置点を見出している。むしろヤスが作画することで、『さよなら絶望先生』よりも漫画にスピード感が与えられたように思える。
絵も描けるプロの漫画家がネームに徹して別の作家のために新しい作品を作る。そうした試みは、希望的な形で成功しているのかもしれない。

じょしらく 2巻 (2)十日目 もうやんだか
春らしい琴のメロディがゆったりと流れている。楽屋にいる女の子たちは、暖かに感じる陽気に、のんびりくつろいでいた。
「4月だねぇー」
「4月だねー」
マリーと丸京がわざわざ4月であるということを強調するように言葉を交わす。
とそこに、木胡桃が楽屋に入ってくる。
「なに言ってんの? もう5……」
丸京が木胡桃の口を塞ぐ。
「空気を読めコラ!」
さらに、囁く声で叱咤する。
楽屋の奥を振り向くと、まるで顔にスクリーントーンを張ったかのような苦来が、暗澹と座っている。
5月――。5月がやってくると同時に5月病もやってくる。もしそうなったら、普段から欝気味の苦来の精神がどんな変調きたすものかわかったものではない。
だから、今日は――4月40日であるのだ。
しかし本人にしてみれば――。
《また私、5月病を期待されている……。つらい……。5月病を期待されるのがつらい……》
そんな苦来の気持ちを通り越して暴走気味のマリーたちは、苦来のために苦しみを分担しようと提案しはじめる。

じょしらく 2巻 (3)十一日目 眼鏡小娘
梅雨の季節。窓の外で雨音が小波のように続いている。丸京は楽屋に一人きりでくつろいでいた。丸テーブルの傍らに座り、ぼんやりと頬杖をついて退屈な時間が通り過ぎていくのを待っている。
とそこに、手寅が襖を開けて入ってきた。
「あー、よく降るね。メガネ曇って大変ね」
手寅は丸京に、同情気味に微笑む。
「……曇らないけど」
何か引っかかるものを感じながら、一言で返す丸京。
それきり会話もなく、2人で丸テーブルに座ってぼんやり過していた。
とそこに、苦来が襖を開けて入ってくる。
「いやー、よく降るね。メガネ曇って大変ね」
「曇らない!」
近距離デジャビュを強く感じながら、丸京は言い返した。
それから間もなく、マリーが襖を開けて入ってくる。
「いやー降るねぇー。メガネ曇って大変だな」
「曇らない!」
ついに丸京の鉄拳。マリーは頬に食らい、畳の上に崩れ落ちた。
さらに木胡桃が襖を開けて入ってくる。
「いやー、こうも降ると、メガネ曇って大変だね」
丸京はマリーをもう一度殴った。
「今のはキグだろ! なんで私を殴る! これはお返しだ……」
向き合い、構えるマリーと丸京。しかしマリーの拳は丸京に届かず、逆に返り討ちにされてしまう。
メガネなのに意外なバイオレンスを発動する丸京。しかし丸京は語る。メガネこそ最強なのだと。なぜならば――、
人はメガネの人間を殴る時、一瞬躊躇する!
人はメガネと接するとき、様々な葛藤を走馬灯の速度で体験する。メガネを割ったら大怪我するかも。手に怪我するかも。弁償させられたら高いかも。いやそれ以前に、人としてどうなんだろう……etc。(参考→ティム・バートン監督『バットマン』ジョーカーが死ぬシーン)
丸京や手寅によって、メガネの意外な事実とこだわりが語られていく。

じょしらく 2巻 (4)十二日目 真田小ZOO
楽屋の中を、羽の音が飛び交っている。誰かが窓を開けっぱなしにしていたせいで、蚊が入り込んだらしい。
ベッ!
丸京がマリーの頬を叩いた。
「何すんだいいきなり!」
マリーが頬を押さえて丸京に抗議する。
「蚊」
丸京はしれっと掌の中で潰れている蚊を見せた。
「蚊が何か知らないけど、私の頬をはたいてタダでお家に帰れた奴はいないよ!」
戦いが始まった。狭い楽屋の中心で、マリーと丸京が緊張して睨み合う。そんな只中を、羽の音がぷ~んと通り過ぎていく。
「……かゆい! かゆいい!」
睨み合っているうちに全身蚊にやられてしまった。そうなるともう殴り合いどころではなく、マリーと丸京は自分の体を必死にかきむしる。楽屋の隅っこで寝ていた木胡桃も、体の痒みに気付いて泣きながら目を覚ました。
そんな皆が「かゆい! かゆい!」と騒ぎあっている中、たった一人、けろっと座っている女の子がいた。手寅だ。
「何で一人だけ刺されていない……?」
「ん? なんでだろ」
と手寅は涼しげな微笑を浮かべた。
世の中には、幸運の神に祝福され、あらゆる災厄、災害を回避できる人間がいる。それが手寅だ。周囲の人間がどんな不幸や悲劇に見舞われていても、手寅だけはいつもその一歩手前で難を逃れている。そうして、いつも涼しげな微笑を浮かべているのだ。
それは納得が……いや、何か秘密があるに違いない。手寅の幸運を見習おうと、マリーたちは手寅の秘密を探り、自分たちも幸運を得ようとするが……。

じょしらく 2巻 (5)十三日目 しりとてちん
高座から戻ってきた木胡桃が、どんよりと暗い顔を浮かべていた。
「私は危機を感じている。夏休みだというのに、寄席に子供の数が少ない」
問題提起。落語を見に来る子供が少ない。
「どこの娯楽施設も観光地も、人気の場所は子供で一杯! 私たちも子供をひきつけるサービスを展開しないと思う」
珍しく木胡桃が危惧しているし、その危機感はしごく真っ当なものであるとマリーたちは了解する。
「ハッピーセット的な?」
苦来の提案。確かに子供はハッピーセットが大好きだ。
落語にハッピーセット的なものを取り入れるとしたら、入場券におまけを付ければいいのだろうか。では何を?
「子供って丸っこいキャラクターが好きよね」
手寅の提案。子供に好かれるように、皆も衣装や装飾品に丸いものを配置したらどうだろうか。
「んー、じゃあ私は、本格的に丸くなる」
さらに手寅の提言。お菓子を大量に引っ張り出し、もぐもぐと頬張りはじめる。
いやいや、一人で太るのはさすがに体を張りすぎ。皆でお菓子を分担してぽりぽりぱりぱりとやりはじめた。が、
「は! 騙されるなみんな! こいつは一人だけいくら食っても太らない体質なんだ!」
ようやく気付いたマリーが声を上げる。手寅は皆が太っている中、自分一人だけスリムでいるつもりだったのだ。
おまけもダメ、丸っこい衣装も微妙、太って丸くなるのもダメ。ではどうすれば……。
悩む一同の前に、都合よく謎の怪文書が流れてくる。
「マリーさんの×××には……」

じょしらく 2巻 (6)十四日目 兎の目
真っ暗な空間の中に、満月の輝きがぽっかりと浮かんでいた。
「キレイ……」
マリーたち4人がうっとりと月の輝きを眺めていた。……月の映像を投影しているプロジェクターの光を。
「なんでわざわざ楽屋でお月見?」
木胡桃が不服そうにその場にいる誰かに問いかけた。今夜はお月見だけど、曇って月なんて見えない。だから仕方ないので楽屋でスクリーンとプロジェクターを持ち込んで、月の映像を投影していたのだ。
まあ、それはそれとして――。
「ウサギに見えない。こんなの、ウサちゃんじゃない!」
月を眺めていた木胡桃が、不服の声を上げた。
「確かにウサギには見えないね。ウサギってこんなんだからな」
マリーさんが紙にさっとウサギを書きなぐって木胡桃に見せる。
「怖い! そんなのどっちもウサギじゃない」
木胡桃が半分涙目で不満を訴えた。
それは置いとくとして、確かに月のモザイクはウサギと呼ぶには少し無理がある。実際、ウサギに見えるのは日本だけの傾向で、外国では、「カナダの先住民→バケツを運ぶ女」「ドイツ→薪をかつぐ男」「北ヨーロッパ→本を読むおばあさん」「南ヨーロッパ→大きなハサミのカニ」というように、国や文化によって月から受け取る印象は様々だ。
ちなみに苦来の場合、
「私は、お母さんにジャンプを買ってきてもらう引きこもりに見える」
一方丸京は、
「私は、無理な体勢でおしりの匂いをかぐ変態に見える」
やっぱり人によっては様々だし、「そう見よう」と思えばそう見えてくるものだったりする。
とそんなタイミングを見計らって、楽屋に一本の不審な電話が舞い込んでくる。

じょしらく 2巻 (7)十五日目 唐茄子屋楽団
今日はハロウィン。
「トリック・オア・トリート!」
吸血鬼スタイルのマリーが両手に一杯のお菓子を抱えて楽屋に入ってきた。
「いっぱいもらったね、マリーさん」
手寅が上機嫌で迎える。
マリーはスルメイカを一本口にくわえた。
「うん。……って、なんか違う!」
マリーが逆上して持っているお菓子を畳に叩き付けた。
マリーがもらってきたお菓子は、さきイカ、柿ピー、スルメ等々。どれもこれも、お菓子というにはあまりにも渋い、いやオッサンくさいチョイスだった。
「バスが臭くなるだろ! 私はオッサンか。大体甘いものがないじゃないか!」
不満を訴えるマリー。そんなマリーに、苦来がお菓子の袋を一つつまんで見せる。
「あるじゃん」
「“甘納豆”じゃなくて! なんかこう、キャンディー的なもので!」
「あるじゃん」
今度は手寅がお菓子の袋を手に取る。
「仁丹じゃなくて!」
さきイカとか柿ピーとか、そういうのって何となく日本的すぎてハロウィンっぽくない。そもそも「トリック・オア・トリート(おかしをくれないとイタズラするぞ)」という切り出しも日本的ではない。だってそれって、
「大国のエゴというか、恫喝そのものじゃない」
意訳:領土をよこさないと嫌がらせするぞ。
確かにハロウィンは日本の行事には少し馴染まないかもしれない。ではどうすればハロウィンが日本的になり、日本人に受け入れやすい形になるのか。マリーたちはあれだこれだと議論を始める。

じょしらく 2巻 (8)十六日目 楽屋調べ
苦来がどんより沈んだ顔で楽屋に入ってきた。
「席亭にすごく怒られた。今月の楽屋の電気代が、異常に高いって」
いつもよりさらに暗く落ち込んだ声で、事の次第を説明した。
しかし――わずか12畳の小さな楽屋である。あるものといえば、箪笥にテレビにラジカセに……電力を消費しそうな道具といえば、その程度しかいない。
「この部屋に、そんなに電気を食う電化製品あるかね」
マリーさんがきょとんとして一同の顔を見回す。答えられる誰かはいない。みんな首を傾げるばかりだった。
「あるにはあるけど、今月だけ突出して高いって理由がわからない」
丸京もぽかんと疑問顔で答える。
「電気の無駄遣いは許しません! 地球にやさしくありません! 徹底して原因を究明します!」
木胡桃がエプロン姿で珍しく熱心なやる気を見せる。皆は気遅れしつつも、確かにその通りと了解する。しかし、電気を食いそうな何かって?
「思ったんだけど、床。何か人肌程度に暖かくない?」
手寅が畳に手を載せて皆に同意を求める。確かにそう言われれば、何となくじわりと熱を持っているような気がする。もしかしたら、床暖房なのかもしれない。畳なのに。床暖房の点けっぱなしはよくない! というわけで畳をひっぺ返してみると……。

じょしらく 2巻 (9)特別編 じだん問答
「おあとがよろしいようで」
高座を終えた手寅が、顔に一杯の汗を浮かべて楽屋に戻ってきた。
「今日はやたらお客が多いね」
一仕事を終えた溜め息を漏らしながら、皆に同意を求める。
「こんな大きなハコでやったことないものね」
木胡桃が不思議なものを見てきたような顔でうなずいた。
「すごいたくさんの人に見られている感じ」
苦来はいつもどおりの沈んだ声で答えた。
「まあ、これでもだいぶお客減ったらしいよ」
マリーが暑苦しそうにする一同に、やんわりと反対意見を告げた。
どこも厳しいらしい。ここいら辺はともかく、人の多いはずの神田もずいぶん人が減ったらしい。
そう、今日は舞台とお客さんがいつもと違う。マリーたちはいつもと勝手が違うもどかしさを感じながら、楽屋裏での雑談を始めるのだった。
マリーが改まったような咳払いを一つする。
「コホン……。つ、つ、つまんねーこと聞くなよ!」
やや引っかかりつつも、いつもの台詞を口にする。
が、皆はぽかんと、哀れみをこめた目でマリーを注目する。
「なぜそこで急に?」
「い、いつも通りのキメ台詞いっただけだろ」
マリーが動揺しながら言い訳をする。
「そうそう。普段どおりやろうよ」
「丸京ちゃん、化粧濃い」
普段どおりにするって、意外と難しい。しかも、どうやら今回は舞台が違うし、見られているお客さんの数も圧倒的に違う。それを何となく意識してしまい、皆はちょっとした言葉にもつっかえつっかえやりとりするのだった。
とそこに、苦来が何かの紙を手にやってくる。
「みんなにパーティーの招待状が来てるよ」
一同はほうほうとパーティーの招待状を覗き込む。すると招待状の中には、次のような一文がそっと何気なく、当たり前の文句のように書き添えられていた。
《普段着でおこし下さい》
――普段着ってどういう意味の普段着だろう? この一文の解釈のために、いったいどれだけの漫画家が恥を掻いたか――。「普段着でおこし下さい」と書いてあるのに、実は普段着では行ってはいけないパーティーがあり、その一方で本当に普段着で行くべきパーティーもあり……。というかそもそも普段着の定義とは何だろう。普段着ている、その一日のうちで一番長く着ている服、という意味で捉えると、仕事している人にとって仕事着とか作業着とかが普段着になるし、学生は学生服が普段着という解釈になる。
つまり、
「パーティーに普段着でおこし下さいってのは、コスプレパーティー開催の隠語ってことかい! ……なんかやらしいな、おい」
「いや、違うと思う」

原作:久米田康治
作画:ヤス
出版・発行:講談社
掲載・連載:別冊少年マガジン6月号~12月号 週刊少年マガジン2010年24月号

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