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■2009/09/19 (Sat)
創作小説■
この小説は、『さよなら絶望先生』を題材にした2次創作小説です。2次創作に関する法的問題については、こちらをご覧下さい。【著作物】【二次創作物】【パロディ】【パロディ裁判】
17
藤吉が振り返った。そこにあったのは厳しい戦士の顔ではなく、緊張から解放されて微笑む同世代の女の子の顔だった。
「助かりました。でも藤吉さん、格闘技でもやっていたのですか」
糸色先生が千里とまといに助けられて体を起こした。その腹に、バタフライナイフが突き刺さったままだった。
藤吉は朗らかな顔で首を振った。
「ううん。格ゲーで。でも、リアルファイトも結構いいもんね。ねえ、千里。今度二人でジムとか行かない?」
藤吉は気持ち良さそうな背伸びをして、千里に微笑みかけた。
「こんなときにおかしな冗談はいわないで。それに、晴美と一緒は嫌よ。」
千里が放り出されたままの眼鏡を拾い、藤吉に差し出した。その瞬間、二人は親密そうに目線を交わした。互いを気遣うような気配が漂い、藤吉は眼鏡を受け取りながら、こくりと頷いた。
私たちは、再び出口を目指して進み始めた。だけど、糸色先生は負傷して、思うように走れないようだった。まといに支えられ、千里に手を引かれながら、なんとか早足に進む。
ホールを離れてしばらく進むと、下に降りる階段が現れた。そこまでくると、『ジュリアーノ・デ・メディチ』の後ろ姿が見えた。『ジュリアーノ・デ・メディチ』の向うから、月の光が射しこんでくるのが見えた。出口は、すぐそこだった。
だが、背後からモーター音が聞こえた。私たちははっとして振り返った。暗闇の中から、チェーンソーを手に微笑を浮かべる可符香が現れた。
「みんな先に逃げて!」
藤吉が可符香と向きあって、低く身構えた。
「できません!」
糸色先生が藤吉を振り向こうとした。しかし、千里が糸色先生の手を強く引っ張った。
「大丈夫、晴美を信じて!」
千里は糸色先生に声をかけて、階段に向かった。
私たちは階段を駆け下りていった。私は一番に階段を下りて、振り返った。階段の上のほうで、千里が踏みとどまっていた。戦いの音が、その向うから聞こえてきた。千里は間もなく階段を降りて、私たちを追いかけてきた。
私たちはついに、屋敷の門から外に飛び出した。星ぽつぽつと瞬くのが見えた。新鮮な空気が辺りを巡るのを感じた。まだ屋敷の敷地内だけど、私はほっとした気分になって足を止めてしまった。千里もまといも足を止めて、はあはあと息を吸い込んでいた。あびるは今にも崩れそうになって、膝に掌を置いていた。
その時、いきなり窓が砕けた。門の右手の窓だった。破片が飛び散って、少女が飛び出してきた。藤吉だった。
「走って!」
藤吉は受け身を取って鮮やかに立ち上がると、警告しながら走った。
私たちは再び走った。煉瓦敷きの通りを突っ切り、目の前に門が現れた。私たちは順番に、噛み合わずずれたところから体を押し込んで外に出た。最初に私、あびると続き、負傷した糸色先生とまといが一緒に出ようとする。
背後の闇から、モーター音と共に軽やかな足音が迫ってきた。振り向くと、煉瓦敷きの通りを、可符香がチェーンソーを手に走ってくるのが見えた。
「急いで!」
私とあびるで、糸色先生の脱出を手伝った。後ろから千里が糸色先生を押した。やっと糸色先生の体が外に出た。
最後の千里と藤吉が門の外に脱出した。
可符香の走る勢いが落ちた。門の前に来る頃には、可符香は完全に足を止め、チェーンソーを止めて放り出してしまった。そうして、鉄柵越しに私たちを赤い瞳でじっと見詰めた。
「どうして来ないの?」
千里が戸惑う表情で可符香を振り返った。
「我々が屋敷の外に出たからでしょう。ここで殺人を犯せば、男爵に言い逃れのできない容疑がかかってしまいます。屋敷の中ならば、男爵の自由が許されますが、ここでは目撃者の怖れがあります。だからでしょう」
糸色先生は苦しそうな声で解説した。着物に広がった赤い染みがじわりと広がりつつあった。
「藤吉さん、血、出てる」
私は藤吉の右腕から出血しているのに気付いて声をあげた。
「やられたの?」
あびるが気遣うように藤吉を覗き込んだ。
「ううん、ガラスで切っただけ。脱出するときに」
藤吉は何でもない、というふうに微笑むと、傷を隠すように掌で抑えた。
「先生、警察を呼びましょう。」
千里が厳しい顔で糸色先生を振り返った。
「駄目です。そんなことをしたら、私がマスコミの前で謝罪しなくちゃいけなくなったり、大変じゃないですか」
「先生、こんなときに何言っているんですか」
私は思わず呆れた声をあげてしまった。でも糸色先生は、私たちを手で制した。
「それに、あの子は私の生徒です。私は自分の生徒を、警察に突き出すような真似をしたくありません。いいですか。警察を動かすのは、最後の一手。男爵を確実に封じられるその時だけです。いいですね」
糸色先生はじっと可符香に似た少女を見詰め、それから私たちに引き攣る声で念を押した。
私たちも真剣な顔で頷いた。
糸色先生の体が崩れかけた。まといが慌てて糸色先生の体を支える。糸色先生は顔中に汗を浮かべ、はあはあと息を喘がせていた。
「……それでは、申し訳ありませんが、兄の医院まで引っ張ってくれませんか。あそこなら安全なはずです」
糸色先生が私たちに手を伸ばした。私たちみんなで、糸色先生の手を握った。
次回 P060 第6章 異端の少女1 を読む
小説『さよなら絶望先生~赤い瞳の少女~』目次
P059 第5章 ドラコニアの屋敷
17
藤吉が振り返った。そこにあったのは厳しい戦士の顔ではなく、緊張から解放されて微笑む同世代の女の子の顔だった。
「助かりました。でも藤吉さん、格闘技でもやっていたのですか」
糸色先生が千里とまといに助けられて体を起こした。その腹に、バタフライナイフが突き刺さったままだった。
藤吉は朗らかな顔で首を振った。
「ううん。格ゲーで。でも、リアルファイトも結構いいもんね。ねえ、千里。今度二人でジムとか行かない?」
藤吉は気持ち良さそうな背伸びをして、千里に微笑みかけた。
「こんなときにおかしな冗談はいわないで。それに、晴美と一緒は嫌よ。」
千里が放り出されたままの眼鏡を拾い、藤吉に差し出した。その瞬間、二人は親密そうに目線を交わした。互いを気遣うような気配が漂い、藤吉は眼鏡を受け取りながら、こくりと頷いた。
私たちは、再び出口を目指して進み始めた。だけど、糸色先生は負傷して、思うように走れないようだった。まといに支えられ、千里に手を引かれながら、なんとか早足に進む。
ホールを離れてしばらく進むと、下に降りる階段が現れた。そこまでくると、『ジュリアーノ・デ・メディチ』の後ろ姿が見えた。『ジュリアーノ・デ・メディチ』の向うから、月の光が射しこんでくるのが見えた。出口は、すぐそこだった。
だが、背後からモーター音が聞こえた。私たちははっとして振り返った。暗闇の中から、チェーンソーを手に微笑を浮かべる可符香が現れた。
「みんな先に逃げて!」
藤吉が可符香と向きあって、低く身構えた。
「できません!」
糸色先生が藤吉を振り向こうとした。しかし、千里が糸色先生の手を強く引っ張った。
「大丈夫、晴美を信じて!」
千里は糸色先生に声をかけて、階段に向かった。
私たちは階段を駆け下りていった。私は一番に階段を下りて、振り返った。階段の上のほうで、千里が踏みとどまっていた。戦いの音が、その向うから聞こえてきた。千里は間もなく階段を降りて、私たちを追いかけてきた。
私たちはついに、屋敷の門から外に飛び出した。星ぽつぽつと瞬くのが見えた。新鮮な空気が辺りを巡るのを感じた。まだ屋敷の敷地内だけど、私はほっとした気分になって足を止めてしまった。千里もまといも足を止めて、はあはあと息を吸い込んでいた。あびるは今にも崩れそうになって、膝に掌を置いていた。
その時、いきなり窓が砕けた。門の右手の窓だった。破片が飛び散って、少女が飛び出してきた。藤吉だった。
「走って!」
藤吉は受け身を取って鮮やかに立ち上がると、警告しながら走った。
私たちは再び走った。煉瓦敷きの通りを突っ切り、目の前に門が現れた。私たちは順番に、噛み合わずずれたところから体を押し込んで外に出た。最初に私、あびると続き、負傷した糸色先生とまといが一緒に出ようとする。
背後の闇から、モーター音と共に軽やかな足音が迫ってきた。振り向くと、煉瓦敷きの通りを、可符香がチェーンソーを手に走ってくるのが見えた。
「急いで!」
私とあびるで、糸色先生の脱出を手伝った。後ろから千里が糸色先生を押した。やっと糸色先生の体が外に出た。
最後の千里と藤吉が門の外に脱出した。
可符香の走る勢いが落ちた。門の前に来る頃には、可符香は完全に足を止め、チェーンソーを止めて放り出してしまった。そうして、鉄柵越しに私たちを赤い瞳でじっと見詰めた。
「どうして来ないの?」
千里が戸惑う表情で可符香を振り返った。
「我々が屋敷の外に出たからでしょう。ここで殺人を犯せば、男爵に言い逃れのできない容疑がかかってしまいます。屋敷の中ならば、男爵の自由が許されますが、ここでは目撃者の怖れがあります。だからでしょう」
糸色先生は苦しそうな声で解説した。着物に広がった赤い染みがじわりと広がりつつあった。
「藤吉さん、血、出てる」
私は藤吉の右腕から出血しているのに気付いて声をあげた。
「やられたの?」
あびるが気遣うように藤吉を覗き込んだ。
「ううん、ガラスで切っただけ。脱出するときに」
藤吉は何でもない、というふうに微笑むと、傷を隠すように掌で抑えた。
「先生、警察を呼びましょう。」
千里が厳しい顔で糸色先生を振り返った。
「駄目です。そんなことをしたら、私がマスコミの前で謝罪しなくちゃいけなくなったり、大変じゃないですか」
「先生、こんなときに何言っているんですか」
私は思わず呆れた声をあげてしまった。でも糸色先生は、私たちを手で制した。
「それに、あの子は私の生徒です。私は自分の生徒を、警察に突き出すような真似をしたくありません。いいですか。警察を動かすのは、最後の一手。男爵を確実に封じられるその時だけです。いいですね」
糸色先生はじっと可符香に似た少女を見詰め、それから私たちに引き攣る声で念を押した。
私たちも真剣な顔で頷いた。
糸色先生の体が崩れかけた。まといが慌てて糸色先生の体を支える。糸色先生は顔中に汗を浮かべ、はあはあと息を喘がせていた。
「……それでは、申し訳ありませんが、兄の医院まで引っ張ってくれませんか。あそこなら安全なはずです」
糸色先生が私たちに手を伸ばした。私たちみんなで、糸色先生の手を握った。
次回 P060 第6章 異端の少女1 を読む
小説『さよなら絶望先生~赤い瞳の少女~』目次
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■2009/09/17 (Thu)
創作小説■
この小説は、『さよなら絶望先生』を題材にした2次創作小説です。2次創作に関する法的問題については、こちらをご覧下さい。【著作物】【二次創作物】【パロディ】【パロディ裁判】
16
まといが先頭に立って走り始めた。
「こっちです! 早く脱出しましょう!」
私たちはまといに続いて、廊下を走った。
廊下は細く、複雑に折れ曲がり、何度も分岐していた。大広間を突っ切り、階段をいくつも駆け上った。どこを見ても照明は暗く、床にも壁にも飾りはなかった。同じ場所を走っているような錯覚に陥るような気がした。
でも次の階段を登ると、市松模様の床が現れた。折り返すと、長く続く廊下があった。そこは、ちょうど階段の裏の陰に隠れた場所になっていた。
私たちは尚も走った。走りながら、私は廊下に並ぶ窓に目を向けた。窓の外は月明かりで暗く、針葉樹林が眼下に見えた。ここは2階なのだ。
廊下が正面と左の二手に分かれた。まといは迷いなく左に曲がった。私たちもまといに続いて左に曲がった。
するとそこは、広い円形のホールになっていた。中央が少し落ち窪んで、円を重ねるような階段と繋がっていた。天井は高く、ドーム状になって月の光が広場の中央に落ちていた。その光の中に、セーラー服姿の可符香が立っていた。
私たちは、可符香に気付いて足を止めた。
「よかった。風浦さん、あなただけ見つからなかったんですよ。さあ、こちらへ」
糸色先生が安堵の息をついて、階段を降りて可符香の前に進もうとした。
可符香はふわりと微笑み、スキップするような軽やかさで糸色先生の元に向かった。
私はわかっているのに、すぐに言葉にできなかった。姿形はそっくりだけど、あれは可符香じゃない。瞳は強い赤で輝いていたし、髪型は可符香そっくりに整えられていたけど髪留めを右につけている。
あれは、あれは……。
「先生、違う! あの子は可符香ちゃんじゃない!」
私はやっと頭の配線が繋がって、叫ぶような声をあげた。
でも遅かった。可符香が糸色先生の胸に飛び込んだ。糸色先生の体がくの形に折れて崩れかけた。
「風浦さん……」
糸色先生の顔が驚愕に凍り付いていた。可符香に屈服するように、膝をついた。その腹に、銀色に輝くナイフの柄が見えた。
可符香が糸色先生から一歩離れた。可符香とは明らかに違う、冷たく、それでいて恍惚の混じった微笑を浮かべて糸色先生を見下ろしていた。
「ちょっと、風浦さん何をしているの。」
千里が可符香の前に進み出て、その肩をつかもうとした。
可符香が振り返った。いきなり踏み込み、千里の肩を突き飛ばした。千里が尻をついた。
可符香は素早く背中に手を回した。掌で、きらりと輝くものが踊った。バタフライナイフだ。
可符香がナイフを振り上げた。千里があっと驚きを浮かべた。
しかし、ナイフは落ちなかった。その手前に、分厚い本が遮っていた。私は改めて、何が起きたのか確かめた。
可符香の前に、藤吉が立ち塞がっていた。可符香のナイフは、コミックマーケット案内本に突き刺さって塞がれていた。
可符香が表情を歪ませて、ナイフを持つ手に力を込めていた。だけど藤吉も、全身で踏ん張って押し返そうとしていた。ナイフの刃が、分厚い本をえぐる。可符香はじりじりとその刃先を藤吉の顔に近づけようとしていた。
いきなり可符香が踏み込んだ。藤吉の腹に膝蹴り。藤吉は体をつんのめさせて手からコミックマーケット案内本を落とした。
さらに可符香が踏み込んだ。鋭い爪が襲い掛かる。藤吉の顔がのけぞり、眼鏡が吹っ飛んだ。
「危ない! 藤吉さん逃げて!」
私は千里を抱き起こしながら、警告の声をあげた。
「いいえ、いいのよ。晴美は本来、視力が良すぎるの。あれは、視力を抑えるための眼鏡よ」
「もしかして、漫画を読むために?」
冷静に解説する千里に、私は驚いて振り返った。
可符香が背中に手を回した。3本目のバタフライナイフが可符香の掌で踊った。
先に藤吉が踏み込んだ。可符香の手から、バタフライナイフが落ちた。
可符香が一歩下がった。藤吉は追いかけるように踏み込み、拳を繰り出した。可符香は藤吉の攻撃を流して、間合いに飛び込んだ。藤吉はとっさにガードする。可符香は、藤吉のガードを崩し、顔に肘鉄を食らわした。
藤吉の足元がふらつく。可符香は拳を振り上げた。だが藤吉は踏み込んで、足を払った。可符香がバランスを崩す。瞬間、藤吉が勢いよく地面を踏んだ。強烈な一撃に、可符香が腹を押えてぺたりと座り込んでしまった。掌抵の一撃だった。
藤吉が、ふっと緊張を解いた。可符香がはっと顔を上げた。掴みかかろうと、飛びついた。
これまでにない音が、空間一杯に響いた。藤吉が地面を蹴り、肩をぶつけたのだ。可符香の体が数メートル吹っ飛び、地面に叩きつけられた。今度はすぐには起き上がれないらしく、可符香は苦しそうに咳き込んで体をひくひくとさせていた。
藤吉が、悠然とした足取りで可符香の前に進んだ。
「顔、殴られたくなかったら、走って逃げなさい」
藤吉が凛とした強い言葉で、可符香を見下ろした。
可符香の顔に、強烈な屈辱が浮かんだ。しかし可符香は攻撃に移らなかった。ふらふらする足で立ち上がると、ホールから逃げ出し、側の部屋に飛び込んでいった。
次回 P059 第5章 ドラコニアの屋敷17 を読む
小説『さよなら絶望先生~赤い瞳の少女~』目次
P058 第5章 ドラコニアの屋敷
16
まといが先頭に立って走り始めた。
「こっちです! 早く脱出しましょう!」
私たちはまといに続いて、廊下を走った。
廊下は細く、複雑に折れ曲がり、何度も分岐していた。大広間を突っ切り、階段をいくつも駆け上った。どこを見ても照明は暗く、床にも壁にも飾りはなかった。同じ場所を走っているような錯覚に陥るような気がした。
でも次の階段を登ると、市松模様の床が現れた。折り返すと、長く続く廊下があった。そこは、ちょうど階段の裏の陰に隠れた場所になっていた。
私たちは尚も走った。走りながら、私は廊下に並ぶ窓に目を向けた。窓の外は月明かりで暗く、針葉樹林が眼下に見えた。ここは2階なのだ。
廊下が正面と左の二手に分かれた。まといは迷いなく左に曲がった。私たちもまといに続いて左に曲がった。
するとそこは、広い円形のホールになっていた。中央が少し落ち窪んで、円を重ねるような階段と繋がっていた。天井は高く、ドーム状になって月の光が広場の中央に落ちていた。その光の中に、セーラー服姿の可符香が立っていた。
私たちは、可符香に気付いて足を止めた。
「よかった。風浦さん、あなただけ見つからなかったんですよ。さあ、こちらへ」
糸色先生が安堵の息をついて、階段を降りて可符香の前に進もうとした。
可符香はふわりと微笑み、スキップするような軽やかさで糸色先生の元に向かった。
私はわかっているのに、すぐに言葉にできなかった。姿形はそっくりだけど、あれは可符香じゃない。瞳は強い赤で輝いていたし、髪型は可符香そっくりに整えられていたけど髪留めを右につけている。
あれは、あれは……。
「先生、違う! あの子は可符香ちゃんじゃない!」
私はやっと頭の配線が繋がって、叫ぶような声をあげた。
でも遅かった。可符香が糸色先生の胸に飛び込んだ。糸色先生の体がくの形に折れて崩れかけた。
「風浦さん……」
糸色先生の顔が驚愕に凍り付いていた。可符香に屈服するように、膝をついた。その腹に、銀色に輝くナイフの柄が見えた。
可符香が糸色先生から一歩離れた。可符香とは明らかに違う、冷たく、それでいて恍惚の混じった微笑を浮かべて糸色先生を見下ろしていた。
「ちょっと、風浦さん何をしているの。」
千里が可符香の前に進み出て、その肩をつかもうとした。
可符香が振り返った。いきなり踏み込み、千里の肩を突き飛ばした。千里が尻をついた。
可符香は素早く背中に手を回した。掌で、きらりと輝くものが踊った。バタフライナイフだ。
可符香がナイフを振り上げた。千里があっと驚きを浮かべた。
しかし、ナイフは落ちなかった。その手前に、分厚い本が遮っていた。私は改めて、何が起きたのか確かめた。
可符香の前に、藤吉が立ち塞がっていた。可符香のナイフは、コミックマーケット案内本に突き刺さって塞がれていた。
可符香が表情を歪ませて、ナイフを持つ手に力を込めていた。だけど藤吉も、全身で踏ん張って押し返そうとしていた。ナイフの刃が、分厚い本をえぐる。可符香はじりじりとその刃先を藤吉の顔に近づけようとしていた。
いきなり可符香が踏み込んだ。藤吉の腹に膝蹴り。藤吉は体をつんのめさせて手からコミックマーケット案内本を落とした。
さらに可符香が踏み込んだ。鋭い爪が襲い掛かる。藤吉の顔がのけぞり、眼鏡が吹っ飛んだ。
「危ない! 藤吉さん逃げて!」
私は千里を抱き起こしながら、警告の声をあげた。
「いいえ、いいのよ。晴美は本来、視力が良すぎるの。あれは、視力を抑えるための眼鏡よ」
「もしかして、漫画を読むために?」
冷静に解説する千里に、私は驚いて振り返った。
可符香が背中に手を回した。3本目のバタフライナイフが可符香の掌で踊った。
先に藤吉が踏み込んだ。可符香の手から、バタフライナイフが落ちた。
可符香が一歩下がった。藤吉は追いかけるように踏み込み、拳を繰り出した。可符香は藤吉の攻撃を流して、間合いに飛び込んだ。藤吉はとっさにガードする。可符香は、藤吉のガードを崩し、顔に肘鉄を食らわした。
藤吉の足元がふらつく。可符香は拳を振り上げた。だが藤吉は踏み込んで、足を払った。可符香がバランスを崩す。瞬間、藤吉が勢いよく地面を踏んだ。強烈な一撃に、可符香が腹を押えてぺたりと座り込んでしまった。掌抵の一撃だった。
藤吉が、ふっと緊張を解いた。可符香がはっと顔を上げた。掴みかかろうと、飛びついた。
これまでにない音が、空間一杯に響いた。藤吉が地面を蹴り、肩をぶつけたのだ。可符香の体が数メートル吹っ飛び、地面に叩きつけられた。今度はすぐには起き上がれないらしく、可符香は苦しそうに咳き込んで体をひくひくとさせていた。
藤吉が、悠然とした足取りで可符香の前に進んだ。
「顔、殴られたくなかったら、走って逃げなさい」
藤吉が凛とした強い言葉で、可符香を見下ろした。
可符香の顔に、強烈な屈辱が浮かんだ。しかし可符香は攻撃に移らなかった。ふらふらする足で立ち上がると、ホールから逃げ出し、側の部屋に飛び込んでいった。
次回 P059 第5章 ドラコニアの屋敷17 を読む
小説『さよなら絶望先生~赤い瞳の少女~』目次
■2009/09/17 (Thu)
創作小説■
この小説は、『さよなら絶望先生』を題材にした2次創作小説です。2次創作に関する法的問題については、こちらをご覧下さい。【著作物】【二次創作物】【パロディ】【パロディ裁判】
15
突然、私は解放された。私は地面に崩れ落ちて、夢中になって空気を吸い込んでいた。体に空気が流れていく感触を、はじめて感じていた。両掌を縛っていたロープも解放されていて、いつのまにか自由が与えられていた。
私の前に、金属音が落ちて跳ね上がった。顔を上げると、目の前にナイフが放り出されていた。
顔を上げた。男爵がにやにやした微笑を浮かべて、私を見下ろしていた。
私は体内に、火が点いたような衝動を感じた。ナイフを握り、男爵に飛びついた。
ナイフの切っ先が、男爵の体に飲み込まれた。肉を深くえぐる感触を掌に感じていた。
「おめでとう、こっちの世界へ」
男爵は悪魔の微笑を浮かべて、輝く目で私を見ていた。
私は突然に我に返った。手が生暖かいもので濡れるのを感じた。私は意識が真っ白になるのを感じて、ナイフを放り出し、ふらふらと後ろに下がった。
「どうしたのかね。さあ、もっとナイフでえぐりたまえ。一度目は躊躇う。刷り込みと衝動が対立するからだ。だが、二度目には何の感情も起きなくなる。三度目には作業になる。四度目には情欲が欲するようになる。さあ、二度目を行いたまえ。二度目は一度目に感じた躊躇いと怖れなど感じなくなるはずだ」
男爵は今までにないくらい目を生き生きと輝かせて、私に囁きかけてきた。
男爵の言葉が、私の無防備になった意識に流れ込んでくるのを感じた。だけど私は男爵の操り人形にすらなれなかった。私はふらふらと後ろに下がり、足をもつれさせて尻をついてしまった。
「残念だよ。君には才能がない。私の弟子になる資格はなさそうだ」
男爵が落胆したように視線を落とした。腹に刺さったままだったナイフを引き抜いて、私の前に放り出す。私は「ひっ」とナイフを蹴って後ろに下がった。男爵の腹から、ぴゅっと赤い血が噴き出していた。
「日塔さん、こっちです。私の声が聞こえるほうへ、走ってください」
糸色先生の優しい声が聞こえた。
私は今にももつれそうな足で立ち上がった。意識はまだ真っ白で、目に映る光と色彩がなんであるか識別できなくなっていた。でも私は、私にかけてくる声に優しさとぬくもりを感じて、その方向に這い進むように歩いた。
富士額の少女が飛び出してきて、私の手を握った。私は本能的な反射で少女の手を握り返していた。
「私、どうしてここにいるの? 何が起きたの?」
私は混乱しながら、誰かに答えを求めようとしていた。
「大丈夫。助かったんだよ。助かったんだから。」
少女が宥めるように私を抱きしめて、背中をなでた。
急に私は、視界に色とぬくもりが戻るのを感じた。私を抱きしめているのは千里だった。千里の肩越しに、まといと藤吉とあびるが私を見詰めていた。そうして私は、「そうだ、助かったんだ」と理解した。
次回 P058 第5章 ドラコニアの屋敷16 を読む
小説『さよなら絶望先生~赤い瞳の少女~』目次
P057 第5章 ドラコニアの屋敷
15
突然、私は解放された。私は地面に崩れ落ちて、夢中になって空気を吸い込んでいた。体に空気が流れていく感触を、はじめて感じていた。両掌を縛っていたロープも解放されていて、いつのまにか自由が与えられていた。
私の前に、金属音が落ちて跳ね上がった。顔を上げると、目の前にナイフが放り出されていた。
顔を上げた。男爵がにやにやした微笑を浮かべて、私を見下ろしていた。
私は体内に、火が点いたような衝動を感じた。ナイフを握り、男爵に飛びついた。
ナイフの切っ先が、男爵の体に飲み込まれた。肉を深くえぐる感触を掌に感じていた。
「おめでとう、こっちの世界へ」
男爵は悪魔の微笑を浮かべて、輝く目で私を見ていた。
私は突然に我に返った。手が生暖かいもので濡れるのを感じた。私は意識が真っ白になるのを感じて、ナイフを放り出し、ふらふらと後ろに下がった。
「どうしたのかね。さあ、もっとナイフでえぐりたまえ。一度目は躊躇う。刷り込みと衝動が対立するからだ。だが、二度目には何の感情も起きなくなる。三度目には作業になる。四度目には情欲が欲するようになる。さあ、二度目を行いたまえ。二度目は一度目に感じた躊躇いと怖れなど感じなくなるはずだ」
男爵は今までにないくらい目を生き生きと輝かせて、私に囁きかけてきた。
男爵の言葉が、私の無防備になった意識に流れ込んでくるのを感じた。だけど私は男爵の操り人形にすらなれなかった。私はふらふらと後ろに下がり、足をもつれさせて尻をついてしまった。
「残念だよ。君には才能がない。私の弟子になる資格はなさそうだ」
男爵が落胆したように視線を落とした。腹に刺さったままだったナイフを引き抜いて、私の前に放り出す。私は「ひっ」とナイフを蹴って後ろに下がった。男爵の腹から、ぴゅっと赤い血が噴き出していた。
「日塔さん、こっちです。私の声が聞こえるほうへ、走ってください」
糸色先生の優しい声が聞こえた。
私は今にももつれそうな足で立ち上がった。意識はまだ真っ白で、目に映る光と色彩がなんであるか識別できなくなっていた。でも私は、私にかけてくる声に優しさとぬくもりを感じて、その方向に這い進むように歩いた。
富士額の少女が飛び出してきて、私の手を握った。私は本能的な反射で少女の手を握り返していた。
「私、どうしてここにいるの? 何が起きたの?」
私は混乱しながら、誰かに答えを求めようとしていた。
「大丈夫。助かったんだよ。助かったんだから。」
少女が宥めるように私を抱きしめて、背中をなでた。
急に私は、視界に色とぬくもりが戻るのを感じた。私を抱きしめているのは千里だった。千里の肩越しに、まといと藤吉とあびるが私を見詰めていた。そうして私は、「そうだ、助かったんだ」と理解した。
次回 P058 第5章 ドラコニアの屋敷16 を読む
小説『さよなら絶望先生~赤い瞳の少女~』目次
■2009/09/16 (Wed)
創作小説■
この小説は、『さよなら絶望先生』を題材にした2次創作小説です。2次創作に関する法的問題については、こちらをご覧下さい。【著作物】【二次創作物】【パロディ】【パロディ裁判】
14
「そこまでです!」
大袈裟なようだけど、その声は天上から響くラッパのように聞こえた。私は涙で滲みかけた目で、声がした方向を振り返った。
振り向いたその方向に、通路が見えた。通路を前に、糸色先生が立っていた。糸色先生の背後に、まといがぴったり寄り添っている。さらに千里、藤吉、それからあびるの三人が通路を走ってくるのが見えた。
「これはこれは。脱獄でもしたのかね? なぜ検察は起訴状を出さなかった?」
男爵は驚きというより、愉快そうに声のトーンを上げた。
「48時間の拘束時間中に容疑を確定できるような証拠が発見されなかったので釈放されたのです」
糸色先生は乱れた呼吸を整えながら毅然と答えた。全力で走ってきたらしく、額に汗が浮かんでいた。
「警察の質も落ちたものだな。昔なら、24時間以内に自白を強要し、逮捕状を出せたのに。詰まらん時代だ。我々のような悪党が自由に振る舞える時代はどこへいったのか」
男爵は芝居がかった身振りで、大袈裟な声を張り上げた。
「あなたが現役だった時代より、治安がよくなったのですよ。ご存知ですか? 間もなく取り調べも可視化されるのですよ」
糸色先生は男爵を真直ぐに見て、挑発的に言葉を返した。
「なるほど。では、どうやってこの部屋を突き止めたのかね? この地下世界は複雑な迷宮になっている。悲鳴でもたどってきたのかね」
男爵は両手を後ろに回して、次なる疑問を投げかけた。
「これよ!」
まといが答え、発信機を引っ張り出した。
私はあっとなった。糸色家の客間で、私の襟口に発信機を取り付けたのだった。そういえば、あれから外していなかった。
「これはしまった。もっとしっかり身体検査をするべきだったな。楽しみは後で、なんて考えたのがいけなかった」
しかし男爵は、失敗したという様子は見せず、軽く首を振って肩をすくめただけだった。
「男爵。私の生徒を返してもらいます!」
糸色先生が勢いよく男爵を指さした。よく通るスイートな声が、空間一杯に満たされるようだった。
私を捉えていたロープに、急に緊張が失われた。私は僅かな自由が与えられ、体が床に投げ出された。
しかし、両掌はまだ背中で合わせたままだった。その体勢でも、私は体を起こして、糸色先生のもとに向かおうとした。
だけど、首に輪になったロープが絡みついた。あっというまもなく、強引な力で、私は引き上げられたしまった。
「動かぬほうがいいな。手に戻らなくなる」
男爵は手のロープを器用に操りながら、にやりと口元を歪ませた。
私の首に、輪になったロープが引っ掛けられていた。その体勢で、私は身長のぎりぎりのところまで引き上げられていた。私は爪先立ちになって、際どく自分の体を支えていた。
糸色先生が戸惑いを浮かべて足をとどめた。集ってきた女の子たちが、息を飲み込むのが聞こえた。
「人の首は非常に脆い。このロープをあと数センチ引けば、この少女の首は折れて、脊髄が損傷する。死にはしないが、後遺症が残るだろう」
男爵の言葉に邪悪な歓喜が混じるような気がした。
私は全身をピンッと張り詰めさせていた。喉元を絞められて、浅くしか呼吸できなかった。少しでも空気を取り入れようと、喘ぐように胸を上下させていた。
男爵は悪魔の微笑を浮かべながら、じわりじわりとロープを左右にずらしていた。私の首に、ロープの粗い目が食い込んでくる。その度に激しい痛みが襲い、呼吸が乱れたけど、悲鳴すら上げられなかった。数秒おきに失神しかけて、視界が白く霞むのを感じた。
「男爵。これが10年前の事件に対する、復讐ですか」
糸色先生は慎重な言葉で問いかけた。
男爵は首を振った。
「復讐ではない。挑戦だよ。10年前、私が君に挑戦したように、今度は私が君に挑戦する。これはただのゲームだよ」
男爵は宣言するように手を広げて、糸色先生に微笑みかけた。
「あなたのそういう快楽主義の性格は変わっていませんね。もっとも、刑務所の生活で枯れるとは思っていませんでしたが」
糸色先生の声は低く、鋭いものがまとい始めるのを感じた。いつもの穏やかさと頼りなげな弱さはそこにはなかった。
「そうだ、その目だ。お前が腰抜けになる以前の、その目を待っていた。そういえば教職に就いたそうだが、一つ教えてくれないかね。美徳はいつも人間を無気力にさせてきた。美徳に塗り固められた学校教育が望んでいるのは知的な教養や有意義な哲学のためではない。教育は人間としての力強さを奪い、美への感性を鈍らせているだけだ。世界を見たまえ。どこに秩序がある。どこに美がある。世界にあるのは、ただ通俗なだけで、思考の力を失った退廃だけだ。これが君のような理想家が願い、作り出した世界だ。君は何を望んで教職に就いたのかね? 理想? それとも、未成年の性的欲求? 君は教師という職分をもって、何を目指すつもりなのかね」
男爵は説教でもするように糸色先生に問いかけた。
私の体に、力が失われていくのを感じた。もう爪先の感覚は痺れてしまっている。空気を感じなくなって、私は舌を突き出して、意識を留められなくなるのを感じていた。
「あなたのサド論は結構です。私が教職に就いたのは、教職免許が簡単に取得できるからですし、私はただ文部省に指示されたことを授業でやっているだけです。教師などただのサラリーマン。教育の意義や効果など、そーいうのは国や偉い人が考えるものであって、現場の教師の考えなんて、誰も求めていません!」
糸色先生は勢いよく言葉を返した。
「先生、こんなところで、ぶっちゃけないでください!」
すかさず千里が嗜めた。
「よろしい。実に正直だ。理想も理念も感じないカオスを感じるよ。ならば、私が教師の代わりになってもよい、というわけだな」
男爵の声が、低く歪んでいくのを感じた。
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小説『さよなら絶望先生~赤い瞳の少女~』目次
P056 第5章 ドラコニアの屋敷
14
「そこまでです!」
大袈裟なようだけど、その声は天上から響くラッパのように聞こえた。私は涙で滲みかけた目で、声がした方向を振り返った。
振り向いたその方向に、通路が見えた。通路を前に、糸色先生が立っていた。糸色先生の背後に、まといがぴったり寄り添っている。さらに千里、藤吉、それからあびるの三人が通路を走ってくるのが見えた。
「これはこれは。脱獄でもしたのかね? なぜ検察は起訴状を出さなかった?」
男爵は驚きというより、愉快そうに声のトーンを上げた。
「48時間の拘束時間中に容疑を確定できるような証拠が発見されなかったので釈放されたのです」
糸色先生は乱れた呼吸を整えながら毅然と答えた。全力で走ってきたらしく、額に汗が浮かんでいた。
「警察の質も落ちたものだな。昔なら、24時間以内に自白を強要し、逮捕状を出せたのに。詰まらん時代だ。我々のような悪党が自由に振る舞える時代はどこへいったのか」
男爵は芝居がかった身振りで、大袈裟な声を張り上げた。
「あなたが現役だった時代より、治安がよくなったのですよ。ご存知ですか? 間もなく取り調べも可視化されるのですよ」
糸色先生は男爵を真直ぐに見て、挑発的に言葉を返した。
「なるほど。では、どうやってこの部屋を突き止めたのかね? この地下世界は複雑な迷宮になっている。悲鳴でもたどってきたのかね」
男爵は両手を後ろに回して、次なる疑問を投げかけた。
「これよ!」
まといが答え、発信機を引っ張り出した。
私はあっとなった。糸色家の客間で、私の襟口に発信機を取り付けたのだった。そういえば、あれから外していなかった。
「これはしまった。もっとしっかり身体検査をするべきだったな。楽しみは後で、なんて考えたのがいけなかった」
しかし男爵は、失敗したという様子は見せず、軽く首を振って肩をすくめただけだった。
「男爵。私の生徒を返してもらいます!」
糸色先生が勢いよく男爵を指さした。よく通るスイートな声が、空間一杯に満たされるようだった。
私を捉えていたロープに、急に緊張が失われた。私は僅かな自由が与えられ、体が床に投げ出された。
しかし、両掌はまだ背中で合わせたままだった。その体勢でも、私は体を起こして、糸色先生のもとに向かおうとした。
だけど、首に輪になったロープが絡みついた。あっというまもなく、強引な力で、私は引き上げられたしまった。
「動かぬほうがいいな。手に戻らなくなる」
男爵は手のロープを器用に操りながら、にやりと口元を歪ませた。
私の首に、輪になったロープが引っ掛けられていた。その体勢で、私は身長のぎりぎりのところまで引き上げられていた。私は爪先立ちになって、際どく自分の体を支えていた。
糸色先生が戸惑いを浮かべて足をとどめた。集ってきた女の子たちが、息を飲み込むのが聞こえた。
「人の首は非常に脆い。このロープをあと数センチ引けば、この少女の首は折れて、脊髄が損傷する。死にはしないが、後遺症が残るだろう」
男爵の言葉に邪悪な歓喜が混じるような気がした。
私は全身をピンッと張り詰めさせていた。喉元を絞められて、浅くしか呼吸できなかった。少しでも空気を取り入れようと、喘ぐように胸を上下させていた。
男爵は悪魔の微笑を浮かべながら、じわりじわりとロープを左右にずらしていた。私の首に、ロープの粗い目が食い込んでくる。その度に激しい痛みが襲い、呼吸が乱れたけど、悲鳴すら上げられなかった。数秒おきに失神しかけて、視界が白く霞むのを感じた。
「男爵。これが10年前の事件に対する、復讐ですか」
糸色先生は慎重な言葉で問いかけた。
男爵は首を振った。
「復讐ではない。挑戦だよ。10年前、私が君に挑戦したように、今度は私が君に挑戦する。これはただのゲームだよ」
男爵は宣言するように手を広げて、糸色先生に微笑みかけた。
「あなたのそういう快楽主義の性格は変わっていませんね。もっとも、刑務所の生活で枯れるとは思っていませんでしたが」
糸色先生の声は低く、鋭いものがまとい始めるのを感じた。いつもの穏やかさと頼りなげな弱さはそこにはなかった。
「そうだ、その目だ。お前が腰抜けになる以前の、その目を待っていた。そういえば教職に就いたそうだが、一つ教えてくれないかね。美徳はいつも人間を無気力にさせてきた。美徳に塗り固められた学校教育が望んでいるのは知的な教養や有意義な哲学のためではない。教育は人間としての力強さを奪い、美への感性を鈍らせているだけだ。世界を見たまえ。どこに秩序がある。どこに美がある。世界にあるのは、ただ通俗なだけで、思考の力を失った退廃だけだ。これが君のような理想家が願い、作り出した世界だ。君は何を望んで教職に就いたのかね? 理想? それとも、未成年の性的欲求? 君は教師という職分をもって、何を目指すつもりなのかね」
男爵は説教でもするように糸色先生に問いかけた。
私の体に、力が失われていくのを感じた。もう爪先の感覚は痺れてしまっている。空気を感じなくなって、私は舌を突き出して、意識を留められなくなるのを感じていた。
「あなたのサド論は結構です。私が教職に就いたのは、教職免許が簡単に取得できるからですし、私はただ文部省に指示されたことを授業でやっているだけです。教師などただのサラリーマン。教育の意義や効果など、そーいうのは国や偉い人が考えるものであって、現場の教師の考えなんて、誰も求めていません!」
糸色先生は勢いよく言葉を返した。
「先生、こんなところで、ぶっちゃけないでください!」
すかさず千里が嗜めた。
「よろしい。実に正直だ。理想も理念も感じないカオスを感じるよ。ならば、私が教師の代わりになってもよい、というわけだな」
男爵の声が、低く歪んでいくのを感じた。
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小説『さよなら絶望先生~赤い瞳の少女~』目次
■2009/09/14 (Mon)
創作小説■
この小説は、『さよなら絶望先生』を題材にした2次創作小説です。2次創作に関する法的問題については、こちらをご覧下さい。【著作物】【二次創作物】【パロディ】【パロディ裁判】
13
男爵は散歩でもするかのように、軽やかに私の側に歩み寄ってきた。
「自然に帰りたまえ。神は人間の考える善や悪など、何とも思っていない。むしろ罪悪に没頭しない者の頭に雷を落とそうとする。その度に不当に扱われ、反省するのは愚かな善人の習性だ。身の内から聞こえる自然の声に耳を傾けたまえ。さあ、君は、何がしたい? その欲求が満たされたとき、人は真の幸福を得ることができる」
男爵の声は、今までにない静けさで私に語りかけるようだった。
私の内面に、引き裂かれるような葛藤を感じた。男爵の言葉に引き摺られる私と、善と道徳を信じる古い私の二人が対立し、私を危うく引き裂くようだった。
「もうやめて。お願い」
私は耳を塞いで、思考を停止させるように頭を振った。
「そいつは詰まらない。目玉をくり貫かれたフォンタンジュのようになりたいかね?」
男爵が私の前で足を止めた。その声に、今までにない脅しの色が込められていた。
私は「え?」と頭を上げた。突然、視界が反転した。私の体は宙に持ち上げられていた。いつの間にか私の足に、ロープが絡みつき吊り上げていた。
「君に改めて教育を施そう。下らない美徳など、尻から捻り出る汚物のように排出され、正直な衝動に身を任せられるように。そのためには、まず心のロックを一つ一つ解除せねばならん。なあに、安心したまえ。私を信頼し、身も心もすべて預けてくれればいいのだよ」
男爵は何かの指導のように私に忠告した。
私は逆さまになりながら、天井に目を向けた。幾何学模様のように梁が横切るのが見えた。そこからロープが伸び、私の足に絡み付いていた。ロープのもう一端は、男爵の手に握られていた。
私は頭から地面に落ちた。目の前がちかちかと暗転して、頭がくらくらした。だが再び体が持ち上げられた。気付けば体中にロープが絡み付いていた。ロープは一つ一つが意思を持っているように動き、絡みつき、私を操り人形のように翻弄した。
私は体を吊り上げられたまま、両腕を後ろに引っ張られ、信じられないような方向に捻って、背中で掌を合わせた。その体勢で、ようやくロープが動きを止めた。
「うむ。一目見たときから、君には『背面合掌縛り』が似合うと思っていた。実に美しい。ロープの具合はどうかね」
男爵は畑の実りでも尋ねるように、私に体の具合を聞いた。
「痛いです」
私は泣き出しそうな声で答えた。痛いし、それに恥ずかしかった。ロープが私の体を取り巻き、胸のふくらみを強調するように食い込んでいた。そんな体勢で、私は身動きとれず、男爵の視線に晒されていた。
「当然だ。一般的な縛りに使用するロープはジュード縄を使用する。だが私は、あえて目が荒く、使い古したロープを愛用している。そのほうが、相手により苦痛が与えられるし、気持ちのいい悲鳴を上げてくれるからね。それにいつ千切れて落ちるかという危機感がいい。おっと、腕は動かさないほうがいいな。下手に動かすと腱が切れて使い物にならなくなる」
男爵は操り師のように両手にロープを持ちながら、私を見上げていた。私の体は、男爵の前で全身を晒すようにゆっくりと回転していた。
男爵が、ロープの一つをピンッと指で弾いた。衝撃がロープを伝い、梁をまたいで私の体に落ちてきた。
「痛い! ……お願い、もうやめて。……もうやめて」
私はプライドがボロボロになって、自制心をなくすのを感じた。目から涙が溢れ出て、今までしたことのないような懇願をしていた。
「この世には2種類の人間しかいない。快楽を望む人間と、苦痛を望む人間だ。修行僧は悟りのために苦痛を選択するが、私は同じ理由で快楽を選択した。君もやはり苦痛を選択した。だから私は、君が望むとおりに苦痛を与えている」
男爵は教育者のような穏やかさと厳しさを交えながら私に語りかけた。
「わかった! 苦しいのは、もう嫌。だから、お願い……」
私の言葉は涙で滲んでしまった。私は目を開けていられず、世界のすべてを否定するように固く目を閉じた。
「それでいい。しかし、こうは思わんかね? 苦痛も快楽も、どちらも行為の原型を失うと、ただの刺激に過ぎん、と。人によっては苦痛の中に快楽を見出す。日本人は遺伝子レベルで、この性質を温存しているという。君の場合はどうかね。いま感じている刺激を、どうして快楽と認識できないのかね。私のような意識の高い人間には理解しかねるが、世間の美意識のない人間の習慣には、言動及び行動にしばしば快楽と苦痛が分離せず、渾沌としたまま同居している。君はもちろん生涯の中で、その実例に何度も遭遇したはずだ。その都度、君は考えなかったのかね。自分の身体で感じているその刺激が何であるのか。どのように分類され、思考を示すべきか。君自身に思考はなく、操り人形のように与えられた反応だけで生きる、下らない動物なのかね」
男爵は言葉の調子を変えず、手に持ったロープを自分の身体の一部のように操った。私の体が傾き始め、右脚に絡みついたロープが持ち上がった。私は自分の体を引き裂くように、両脚を広げ始めていた。
「お願いです。わかりません。わからないです。だから、もう、こんなのは……」
私は息を喘がすように男爵に訴えた。
男爵は、期待はずれだ、というふうに、うつむいて首を振った。
私は頭から地面に落ちた。私の体勢は、いつの間にか男爵に差し出すように両脚をM字の形に開いていた。
「下らん。言葉に美意識の欠片も感じぬ。さて、どうするべきか。下らない人間は一種の公害だ。殺すに限る。だが、若くて美しい肌の持ち主には、楽しむ価値がある。私は手に入れた玩具は、飽きるまで遊びつくす主義だ。君はどうかね」
男爵が床に落としたままだったナイフを手に取った。私はその切っ先が白く輝くのに、ぞっと戦慄を感じた。
男爵がかつかつと靴音を鳴らして近付いてきた。そのナイフの切っ先を、私の太ももに押し当てた。冷たく鋭い感触を感じて、私は全身を固くさせた。鋭利な感触は、私の太ももをゆっくりなぞり、間もなくショートパンツに包まれた股間のふくらみに達した。
あまりにも冷たく感じる緊張だった。今まで経験のない感触に、私の心理はぞくぞくと興奮するような昂ぶりを見せていた。まるで、男爵の審判が下されるのを、期待して待っているみたいだった。
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小説『さよなら絶望先生~赤い瞳の少女~』目次
P055 第5章 ドラコニアの屋敷
13
男爵は散歩でもするかのように、軽やかに私の側に歩み寄ってきた。
「自然に帰りたまえ。神は人間の考える善や悪など、何とも思っていない。むしろ罪悪に没頭しない者の頭に雷を落とそうとする。その度に不当に扱われ、反省するのは愚かな善人の習性だ。身の内から聞こえる自然の声に耳を傾けたまえ。さあ、君は、何がしたい? その欲求が満たされたとき、人は真の幸福を得ることができる」
男爵の声は、今までにない静けさで私に語りかけるようだった。
私の内面に、引き裂かれるような葛藤を感じた。男爵の言葉に引き摺られる私と、善と道徳を信じる古い私の二人が対立し、私を危うく引き裂くようだった。
「もうやめて。お願い」
私は耳を塞いで、思考を停止させるように頭を振った。
「そいつは詰まらない。目玉をくり貫かれたフォンタンジュのようになりたいかね?」
男爵が私の前で足を止めた。その声に、今までにない脅しの色が込められていた。
私は「え?」と頭を上げた。突然、視界が反転した。私の体は宙に持ち上げられていた。いつの間にか私の足に、ロープが絡みつき吊り上げていた。
「君に改めて教育を施そう。下らない美徳など、尻から捻り出る汚物のように排出され、正直な衝動に身を任せられるように。そのためには、まず心のロックを一つ一つ解除せねばならん。なあに、安心したまえ。私を信頼し、身も心もすべて預けてくれればいいのだよ」
男爵は何かの指導のように私に忠告した。
私は逆さまになりながら、天井に目を向けた。幾何学模様のように梁が横切るのが見えた。そこからロープが伸び、私の足に絡み付いていた。ロープのもう一端は、男爵の手に握られていた。
私は頭から地面に落ちた。目の前がちかちかと暗転して、頭がくらくらした。だが再び体が持ち上げられた。気付けば体中にロープが絡み付いていた。ロープは一つ一つが意思を持っているように動き、絡みつき、私を操り人形のように翻弄した。
私は体を吊り上げられたまま、両腕を後ろに引っ張られ、信じられないような方向に捻って、背中で掌を合わせた。その体勢で、ようやくロープが動きを止めた。
「うむ。一目見たときから、君には『背面合掌縛り』が似合うと思っていた。実に美しい。ロープの具合はどうかね」
男爵は畑の実りでも尋ねるように、私に体の具合を聞いた。
「痛いです」
私は泣き出しそうな声で答えた。痛いし、それに恥ずかしかった。ロープが私の体を取り巻き、胸のふくらみを強調するように食い込んでいた。そんな体勢で、私は身動きとれず、男爵の視線に晒されていた。
「当然だ。一般的な縛りに使用するロープはジュード縄を使用する。だが私は、あえて目が荒く、使い古したロープを愛用している。そのほうが、相手により苦痛が与えられるし、気持ちのいい悲鳴を上げてくれるからね。それにいつ千切れて落ちるかという危機感がいい。おっと、腕は動かさないほうがいいな。下手に動かすと腱が切れて使い物にならなくなる」
男爵は操り師のように両手にロープを持ちながら、私を見上げていた。私の体は、男爵の前で全身を晒すようにゆっくりと回転していた。
男爵が、ロープの一つをピンッと指で弾いた。衝撃がロープを伝い、梁をまたいで私の体に落ちてきた。
「痛い! ……お願い、もうやめて。……もうやめて」
私はプライドがボロボロになって、自制心をなくすのを感じた。目から涙が溢れ出て、今までしたことのないような懇願をしていた。
「この世には2種類の人間しかいない。快楽を望む人間と、苦痛を望む人間だ。修行僧は悟りのために苦痛を選択するが、私は同じ理由で快楽を選択した。君もやはり苦痛を選択した。だから私は、君が望むとおりに苦痛を与えている」
男爵は教育者のような穏やかさと厳しさを交えながら私に語りかけた。
「わかった! 苦しいのは、もう嫌。だから、お願い……」
私の言葉は涙で滲んでしまった。私は目を開けていられず、世界のすべてを否定するように固く目を閉じた。
「それでいい。しかし、こうは思わんかね? 苦痛も快楽も、どちらも行為の原型を失うと、ただの刺激に過ぎん、と。人によっては苦痛の中に快楽を見出す。日本人は遺伝子レベルで、この性質を温存しているという。君の場合はどうかね。いま感じている刺激を、どうして快楽と認識できないのかね。私のような意識の高い人間には理解しかねるが、世間の美意識のない人間の習慣には、言動及び行動にしばしば快楽と苦痛が分離せず、渾沌としたまま同居している。君はもちろん生涯の中で、その実例に何度も遭遇したはずだ。その都度、君は考えなかったのかね。自分の身体で感じているその刺激が何であるのか。どのように分類され、思考を示すべきか。君自身に思考はなく、操り人形のように与えられた反応だけで生きる、下らない動物なのかね」
男爵は言葉の調子を変えず、手に持ったロープを自分の身体の一部のように操った。私の体が傾き始め、右脚に絡みついたロープが持ち上がった。私は自分の体を引き裂くように、両脚を広げ始めていた。
「お願いです。わかりません。わからないです。だから、もう、こんなのは……」
私は息を喘がすように男爵に訴えた。
男爵は、期待はずれだ、というふうに、うつむいて首を振った。
私は頭から地面に落ちた。私の体勢は、いつの間にか男爵に差し出すように両脚をM字の形に開いていた。
「下らん。言葉に美意識の欠片も感じぬ。さて、どうするべきか。下らない人間は一種の公害だ。殺すに限る。だが、若くて美しい肌の持ち主には、楽しむ価値がある。私は手に入れた玩具は、飽きるまで遊びつくす主義だ。君はどうかね」
男爵が床に落としたままだったナイフを手に取った。私はその切っ先が白く輝くのに、ぞっと戦慄を感じた。
男爵がかつかつと靴音を鳴らして近付いてきた。そのナイフの切っ先を、私の太ももに押し当てた。冷たく鋭い感触を感じて、私は全身を固くさせた。鋭利な感触は、私の太ももをゆっくりなぞり、間もなくショートパンツに包まれた股間のふくらみに達した。
あまりにも冷たく感じる緊張だった。今まで経験のない感触に、私の心理はぞくぞくと興奮するような昂ぶりを見せていた。まるで、男爵の審判が下されるのを、期待して待っているみたいだった。
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