■ 最新記事
(08/15)
(08/14)
(08/13)
(08/12)
(08/11)
(08/10)
(08/09)
(08/08)
(08/07)
(08/06)
■ カテゴリー
お探し記事は【記事一覧 索引】が便利です。
■2009/09/29 (Tue)
創作小説■
この小説は、『さよなら絶望先生』を題材にした2次創作小説です。2次創作に関する法的問題については、こちらをご覧下さい。【著作物】【二次創作物】【パロディ】【パロディ裁判】
10
都営バスで移動して白山で降りた。細くつづまった道を少し進めば、東大附属植物園だ。
一般的には小石川植物園と呼ばれているそこは、東大の施設だし研究所だけど、入園料を取って一般に公開されている。休日には家族連れやデート目的の若い人がぽつぽつとやってくる。私も地元だから、何度か行った経験があった。
ちなみに小石川植物園の入園料は、糸色先生が全員分払ってくれた。いつかお返ししなくちゃね。
簡素なゲートを潜り抜けると、幅の広い通りが、うねうねと奥まで続いていた。通りの両側には、大学の研究施設らしい珍しい植物が一杯に見られた。夏だけに、どの植物も鮮やかな緑色を浮かべる。風がゆるやかに通り過ぎて、夏の暑さが少しやわらぐような気がした。
小石川植物園を西方向に進んでいくと、緑の芝生に囲まれた洋館が姿を現した。シンプルな直線で構成され、1階は白、2階をピンクに塗り分けられた大きな洋館だった。その洋館は明治9年の建造物で、モダニズムを取り入れ始めた初期の様式を克明に現していた。
洋館の中へ入っていく。廊下は天井が高く、梁がアーチの形に曲線を描いていた。年代を感じさせる淡いセピアの壁紙に木の質感が加えられ、落ち着いた雰囲気があった。
糸色先生は研究室のプレートを見ながら、廊下を進んだ。間もなく目的の部屋を見つけて、軽くノックした。
「どうぞ」
部屋の中から返事が返ってきた。落ち着いた男性の声だった。
糸色先生は「失礼します」とドアを開けてパナマハットを外した。
研究室は狭く、だいたい6畳くらいの空間だった。両側の壁は天井までの本棚になっていて、難しそうな本で一杯だった。部屋の中央辺りに応接用テーブルとソファが置かれ、奥の窓を背に机が置かれ、老人が一人座っていた。
研究室はあまり整理されている雰囲気はなかった。本はあちこちに放り出したまま積みあがっている。研究資料らしき紙の束も、あちこちで吊り下げられたり、広げたままになったり、本と一緒に積まれたりしていた。そういったものが太陽の光線を浴びて、茶色に焦げつつあった。奥の窓から射し込む緑の光が美しく、それが研究室の雑然とした印象を少しだけやわらげていた。
「これはこれは、随分賑やかですな。糸色さんですな。一人で来ると思ったのですが」
老人は人の良さそうな微笑で席を立ち、私たちの前まで進んだ。老人は白い髪を短く刈り込み、気楽そうなシャツにスラックス姿だった。顔は皺だらけだったけど、聡明な印象があり、老研究家というイメージどおりの老人だった。
「櫂陽一さんですね。糸色望といいます。こちらは私のクラスの生徒たちです。私一人で来る予定だったのですが、申し訳ありません。皆さん、大学進学に興味があるらしく、大学施設の研究室を見てみたいと、急遽ついてきてしまったのです」
糸色先生は櫂先生に頭を下げて、丁寧な挨拶をした。私たちもみんなでしおらしいお辞儀をした。
「構いませんよ。むしろ目の保養になります。えっと1人2人……6人ですか。椅子がなくて申し訳ないんですが……」
櫂先生は私たちを見て、人当たりの良さそうな微笑を浮かべた。その微笑にいやらしさはなく、私は好印象を感じた。
「いえ、お構いなく。私たち、立って話を聞いていますから。」
千里がTPOに合わせた慎ましやかな返事を返した。
「そうですか。では、こちらも気にせず。糸色先生、さあ、座ってください」
櫂先生が白いふっくらとしたソファに座り、糸色先生にも座るように促した。
「それでは皆さん、静かにしているんですよ」
糸色先生は私たちに軽い注意をした。まあ、人前での作法みたいなものだった。私たちは大人しい声で「はい」と返事を返した。
この場面に登場する『東大付属植物園』あるいは『小石川植物園』は、実在する『東京大学大学院理学系研究科附属植物園』とは一切関係ありません。
正しい情報は、公式ホームページとウェキペディアの記事を参考にしてください。
P070 第6章 異端の少女11 を読む
小説『さよなら絶望先生~赤い瞳の少女~』目次
P069 第6章 異端の少女
10
都営バスで移動して白山で降りた。細くつづまった道を少し進めば、東大附属植物園だ。
一般的には小石川植物園と呼ばれているそこは、東大の施設だし研究所だけど、入園料を取って一般に公開されている。休日には家族連れやデート目的の若い人がぽつぽつとやってくる。私も地元だから、何度か行った経験があった。
ちなみに小石川植物園の入園料は、糸色先生が全員分払ってくれた。いつかお返ししなくちゃね。
簡素なゲートを潜り抜けると、幅の広い通りが、うねうねと奥まで続いていた。通りの両側には、大学の研究施設らしい珍しい植物が一杯に見られた。夏だけに、どの植物も鮮やかな緑色を浮かべる。風がゆるやかに通り過ぎて、夏の暑さが少しやわらぐような気がした。
小石川植物園を西方向に進んでいくと、緑の芝生に囲まれた洋館が姿を現した。シンプルな直線で構成され、1階は白、2階をピンクに塗り分けられた大きな洋館だった。その洋館は明治9年の建造物で、モダニズムを取り入れ始めた初期の様式を克明に現していた。
洋館の中へ入っていく。廊下は天井が高く、梁がアーチの形に曲線を描いていた。年代を感じさせる淡いセピアの壁紙に木の質感が加えられ、落ち着いた雰囲気があった。
糸色先生は研究室のプレートを見ながら、廊下を進んだ。間もなく目的の部屋を見つけて、軽くノックした。
「どうぞ」
部屋の中から返事が返ってきた。落ち着いた男性の声だった。
糸色先生は「失礼します」とドアを開けてパナマハットを外した。
研究室は狭く、だいたい6畳くらいの空間だった。両側の壁は天井までの本棚になっていて、難しそうな本で一杯だった。部屋の中央辺りに応接用テーブルとソファが置かれ、奥の窓を背に机が置かれ、老人が一人座っていた。
研究室はあまり整理されている雰囲気はなかった。本はあちこちに放り出したまま積みあがっている。研究資料らしき紙の束も、あちこちで吊り下げられたり、広げたままになったり、本と一緒に積まれたりしていた。そういったものが太陽の光線を浴びて、茶色に焦げつつあった。奥の窓から射し込む緑の光が美しく、それが研究室の雑然とした印象を少しだけやわらげていた。
「これはこれは、随分賑やかですな。糸色さんですな。一人で来ると思ったのですが」
老人は人の良さそうな微笑で席を立ち、私たちの前まで進んだ。老人は白い髪を短く刈り込み、気楽そうなシャツにスラックス姿だった。顔は皺だらけだったけど、聡明な印象があり、老研究家というイメージどおりの老人だった。
「櫂陽一さんですね。糸色望といいます。こちらは私のクラスの生徒たちです。私一人で来る予定だったのですが、申し訳ありません。皆さん、大学進学に興味があるらしく、大学施設の研究室を見てみたいと、急遽ついてきてしまったのです」
糸色先生は櫂先生に頭を下げて、丁寧な挨拶をした。私たちもみんなでしおらしいお辞儀をした。
「構いませんよ。むしろ目の保養になります。えっと1人2人……6人ですか。椅子がなくて申し訳ないんですが……」
櫂先生は私たちを見て、人当たりの良さそうな微笑を浮かべた。その微笑にいやらしさはなく、私は好印象を感じた。
「いえ、お構いなく。私たち、立って話を聞いていますから。」
千里がTPOに合わせた慎ましやかな返事を返した。
「そうですか。では、こちらも気にせず。糸色先生、さあ、座ってください」
櫂先生が白いふっくらとしたソファに座り、糸色先生にも座るように促した。
「それでは皆さん、静かにしているんですよ」
糸色先生は私たちに軽い注意をした。まあ、人前での作法みたいなものだった。私たちは大人しい声で「はい」と返事を返した。
この場面に登場する『東大付属植物園』あるいは『小石川植物園』は、実在する『東京大学大学院理学系研究科附属植物園』とは一切関係ありません。
正しい情報は、公式ホームページとウェキペディアの記事を参考にしてください。
P070 第6章 異端の少女11 を読む
小説『さよなら絶望先生~赤い瞳の少女~』目次
PR
■2009/09/28 (Mon)
創作小説■
この小説は、『さよなら絶望先生』を題材にした2次創作小説です。2次創作に関する法的問題については、こちらをご覧下さい。【著作物】【二次創作物】【パロディ】【パロディ裁判】
9
食事を終えて茶碗を洗うと、本当にすることがなくなってしまった。私は足を投げ出して座り、ぼんやりと天井を眺めた。時々、霧の後ろからテレビを覗き込んだ。でも、そんなもので気が紛れるとは思えない。霧もテレビを見ないで、どちらかといえばテレビの後ろの窓を見ていた。
時計はそろそろ12時を回ろうとしている。
私は退屈のあまり、溜め息を落とした。事件が終らない限り、ここから出られない。もどかしかった。
私と同じタイミングで、藤吉も溜め息をついた。振り向くと、藤吉は私の視線に気付いてちょっと微笑んだ。でも藤吉の溜息は、描きかけの漫画を没収された落胆だろう。
そんな時、急に家の電話が音を鳴らした。障子の隣に置かれた。黒塗りのダイヤル式電話だった。私たちは一斉に電話を振り返った。
「どうしよう。出る?」
私は皆を見回して意見を求めた。皆の顔に、どうしようという困惑が浮かんでいた。
「私が出るわ。」
千里が電話の前に進み出た。深呼吸ひとつして、受話器を手に取る。
「はい、もしもし。……常月さん?」
千里の声が意外そうにトーンを上げた。
私たちは飛びつくように千里に近付き、受話器に耳を近づけた。
「どうしているの、常月さん?」
千里が訊ねた。そういえば、家の中にまといの姿がなかった。
「もちろん先生と一緒よ。ねえ、木津さん、いいの? 私一人で先生を独り占めして。そこでじっとして、ただ待っているつもり?」
電話の向うで、まといの挑発的な声が聞こえてきた。
千里が険しい表情で顔を上げた。
「もちろん行くわよ! 今どこにいるの? 先生の居場所をきちんと正確に教えて。」
千里はまといの挑発を押し返すように強い言葉で言った。
「小石川の裁判所よ。今、書類の申請で待っているところ。来るなら今よ。走ってきなさい」
まといが短く現在の居場所を伝えた。
「わかったわ。いい? そこで待っているのよ。必ず行くから!」
千里はまといの返事を待たず、勢いよく受話器を置いた。
私たちはすぐにでも玄関に飛び出した。皆それぞれで靴を履く。霧も廊下にやってきたけど、私たちを戸惑うように見送っていた。
「霧ちゃん、行ってくるね!」
私は靴に足を押し込みながら、霧に微笑みかけた。
「行ってらっしゃい」
霧は一つ頷いて、私に微笑で返した。
格子戸を開けて、私たちは一斉に駆け出した。借家の前に、スーツ姿の護衛が立っていた。護衛はいきなり飛び出してくる私たちを押し留めようとした。でも二兎追う者はなんとかで、護衛は私たちを一人も捕まえられず見逃してしまった。
私たちは全力で道を走った。信号がもどかしかった。間もなく住宅街の風景が遠ざかって、背の高いビルが現れ始めた。整備された道路に車が走っている。そんな風景の向うに、古ぼけたレンガ造りの建物が見えてきた。小石川地方裁判所だ。
私たちは、裁判所の入口ゲートに立った。ちょうど糸色先生が裁判所から出てくるところだった。白のパナマハットを被り、いつもの旅行ケースを持っていた。手になにやら書類を持っていて、歩きながら旅行ケースに収めようとしていた。私たちは荒い呼吸を整えながら、糸色先生を迎えた。
「先生!」
私たちは糸色先生の前に集って、皆で呼びかけた。
「わ! 皆さん、いたんですか!」
糸色先生はびっくりした顔で私たちを振り返った。
「ええ、ずっと!」
私たちは声を合わせた。
糸色先生は、笑顔にあきれたようなものを混じらせた。
「やれやれ。ここまで従いてきてしまったんですから、しょうがないですね。こうなったら集団自衛権です。みんなで行きましょう」
糸色先生は私たちを見回しながら、穏やかな声で呼びかけた。
私たちは「やった!」と声を合わせて、側にいる女の子と手を握り合った。
「先生、どこに行ってたんですか?」
糸色先生が歩き始めると、千里がこれまでの動向を探ろうと訊ねた。
「○○○幼稚園と、それから裁判所ですね。これから東大付属植物園へ向かうところです」
糸色先生は千里を振り返って簡単に説明した。
「私が通った幼稚園ですか? どうしてですか?」
私は首をかしげて糸色先生に尋ねた。どうしてそんなところに行く必要があったのだろう。
「まあ、のちのち話しますよ。まだ全てが繋がったわけではありませんから。とにかく行って、情報を聞き出しましょう」
糸色先生はごまかすように笑った。私は何となく歯切れの悪いものを感じながら、糸色先生に従いて行った。
P069 次回 第6章 異端の少女10 を読む
小説『さよなら絶望先生~赤い瞳の少女~』目次
P068 第6章 異端の少女
9
食事を終えて茶碗を洗うと、本当にすることがなくなってしまった。私は足を投げ出して座り、ぼんやりと天井を眺めた。時々、霧の後ろからテレビを覗き込んだ。でも、そんなもので気が紛れるとは思えない。霧もテレビを見ないで、どちらかといえばテレビの後ろの窓を見ていた。
時計はそろそろ12時を回ろうとしている。
私は退屈のあまり、溜め息を落とした。事件が終らない限り、ここから出られない。もどかしかった。
私と同じタイミングで、藤吉も溜め息をついた。振り向くと、藤吉は私の視線に気付いてちょっと微笑んだ。でも藤吉の溜息は、描きかけの漫画を没収された落胆だろう。
そんな時、急に家の電話が音を鳴らした。障子の隣に置かれた。黒塗りのダイヤル式電話だった。私たちは一斉に電話を振り返った。
「どうしよう。出る?」
私は皆を見回して意見を求めた。皆の顔に、どうしようという困惑が浮かんでいた。
「私が出るわ。」
千里が電話の前に進み出た。深呼吸ひとつして、受話器を手に取る。
「はい、もしもし。……常月さん?」
千里の声が意外そうにトーンを上げた。
私たちは飛びつくように千里に近付き、受話器に耳を近づけた。
「どうしているの、常月さん?」
千里が訊ねた。そういえば、家の中にまといの姿がなかった。
「もちろん先生と一緒よ。ねえ、木津さん、いいの? 私一人で先生を独り占めして。そこでじっとして、ただ待っているつもり?」
電話の向うで、まといの挑発的な声が聞こえてきた。
千里が険しい表情で顔を上げた。
「もちろん行くわよ! 今どこにいるの? 先生の居場所をきちんと正確に教えて。」
千里はまといの挑発を押し返すように強い言葉で言った。
「小石川の裁判所よ。今、書類の申請で待っているところ。来るなら今よ。走ってきなさい」
まといが短く現在の居場所を伝えた。
「わかったわ。いい? そこで待っているのよ。必ず行くから!」
千里はまといの返事を待たず、勢いよく受話器を置いた。
私たちはすぐにでも玄関に飛び出した。皆それぞれで靴を履く。霧も廊下にやってきたけど、私たちを戸惑うように見送っていた。
「霧ちゃん、行ってくるね!」
私は靴に足を押し込みながら、霧に微笑みかけた。
「行ってらっしゃい」
霧は一つ頷いて、私に微笑で返した。
格子戸を開けて、私たちは一斉に駆け出した。借家の前に、スーツ姿の護衛が立っていた。護衛はいきなり飛び出してくる私たちを押し留めようとした。でも二兎追う者はなんとかで、護衛は私たちを一人も捕まえられず見逃してしまった。
私たちは全力で道を走った。信号がもどかしかった。間もなく住宅街の風景が遠ざかって、背の高いビルが現れ始めた。整備された道路に車が走っている。そんな風景の向うに、古ぼけたレンガ造りの建物が見えてきた。小石川地方裁判所だ。
私たちは、裁判所の入口ゲートに立った。ちょうど糸色先生が裁判所から出てくるところだった。白のパナマハットを被り、いつもの旅行ケースを持っていた。手になにやら書類を持っていて、歩きながら旅行ケースに収めようとしていた。私たちは荒い呼吸を整えながら、糸色先生を迎えた。
「先生!」
私たちは糸色先生の前に集って、皆で呼びかけた。
「わ! 皆さん、いたんですか!」
糸色先生はびっくりした顔で私たちを振り返った。
「ええ、ずっと!」
私たちは声を合わせた。
糸色先生は、笑顔にあきれたようなものを混じらせた。
「やれやれ。ここまで従いてきてしまったんですから、しょうがないですね。こうなったら集団自衛権です。みんなで行きましょう」
糸色先生は私たちを見回しながら、穏やかな声で呼びかけた。
私たちは「やった!」と声を合わせて、側にいる女の子と手を握り合った。
「先生、どこに行ってたんですか?」
糸色先生が歩き始めると、千里がこれまでの動向を探ろうと訊ねた。
「○○○幼稚園と、それから裁判所ですね。これから東大付属植物園へ向かうところです」
糸色先生は千里を振り返って簡単に説明した。
「私が通った幼稚園ですか? どうしてですか?」
私は首をかしげて糸色先生に尋ねた。どうしてそんなところに行く必要があったのだろう。
「まあ、のちのち話しますよ。まだ全てが繋がったわけではありませんから。とにかく行って、情報を聞き出しましょう」
糸色先生はごまかすように笑った。私は何となく歯切れの悪いものを感じながら、糸色先生に従いて行った。
P069 次回 第6章 異端の少女10 を読む
小説『さよなら絶望先生~赤い瞳の少女~』目次
■2009/09/26 (Sat)
創作小説■
この小説は、『さよなら絶望先生』を題材にした2次創作小説です。2次創作に関する法的問題については、こちらをご覧下さい。【著作物】【二次創作物】【パロディ】【パロディ裁判】
8
暖かなまどろみから、急に突き落とされてしまった。
「日塔さん、いつまで寝ているの。お布団片付けられないでしょ。」
目覚まし時計より強烈な千里の怒鳴り声だった。
もう少し、と言いたかったけど、私は布団から転げ落ちてしまった。誰かが布団をひっくり返したのだ。
目を開けると、眩しい昼の光が飛び込んできた。けたたましいセミの声が聞こえる。身を起こしながら目をこする。辺りを見回すと、女の子たちはみんな普段着に着替えて、それぞれで活動を始めていた。
「みんなおはよう~」
「あれ? 先生は?」
私は今の状況がつかめず、きょとんとして千里に訊ねた。
「もう、行っちゃったわよ。一人で行っちゃった。」
「え?」
千里は布団をたたみながら私に説明した。その言葉が少し寂しげに聞こえた。私は余計に混乱を感じて、思わず聞き返していた。
千里が私を振り返った。何となく気遣わしげな表情に思えた。
「とにかく、早く起きなさい。朝ご飯の用意できてるから。シャワー浴びてきなさい。」
千里は布団を抱えて、いそいそと押入れに向かって歩き始めた。
私は、いろんな物から置き去りにされた気分だった。私の体内から、大切なものが滑り落ちてしまった感じだった。
私は浴室へ行き、シャワーを浴びて、寝ている間にかいた汗を流した。普段着に着替えて卓袱台に着くと、一人きりで朝食をとった。朝食はご飯と味噌汁。それからたくあんが添えられていた。
私はご飯を口に入れながら、周りを見回した。時計を見ると、すでに11時だった。あれから私は熟睡したらしかった。
私の手前で、藤吉が片膝を立てながら物凄い勢いで紙に絵を描いていた。どうやら新しい漫画らしい。霧は音量を絞ったテレビの前で、姿勢を崩して座っている。あびるは退屈そうに縁側に座り、足を投げ出して庭を眺めていた。千里が腕組をして、落ち着きなく家の中をうろうろと歩いていた。
「先生が出て行って、どれくらい経つの?」
私は歩き回っている千里に声をかけた。
「3時間くらい前かしらね。一緒に行くって言ったけど、でも私たちを危険に遭わせるわけには行かないって……。あんなに厳しい先生、初めてだった。」
千里は私の側で、ちょっと足を止めた。言葉も表情も寂しそうだった。
私は、「そう」と返して、味噌汁をずずずと啜った。
ふと、目の前で漫画を描いている藤吉を振り向いた。藤吉は夢中になっているらしく、あたりに紙が散乱していた。絵はまだ大雑把なラフ画の段階だった。
「ねえ、皆はもう、夏休みの宿題終った?」
私は藤吉の描いている姿に、なんとなく連想をして皆に訊ねた。
「はあ? 日塔さん、まだ終らせてなかったの?」
再び歩き始めた千里が、私を振り返って呆れたような声をあげた。
「ええ、もしかして皆……?」
私は焦りを感じて、みんなを振り返った。
「夏休みの宿題というのは、毎日決められた枚数を、計画的にきちんと進めるものです。だいたい終ってるわよ。」
千里は胸をそらして、なんだか小言みたいだった。
「私はぜんぶ終ってるよ。暇で他にすることがないから」
霧が私を振り返って、かすれるような声で報告した。
「私は三日で」
あびるが体をそらして私を振り向き、クールな声で告げた。
「私も終らせてるよ。コミケに響くから」
藤吉は漫画に集中しながら私に答えた。
「そんな。もしかして私だけ? まだ大丈夫だと思ったのに」
私は愕然として視線を落とした。
「見せてあげてもいいわよ」
「ありがとう、あびるちゃん!」
あびるがクールに助け舟を出した。私は感激して、あびるに拝むように両掌を合わせた。
千里が何かに気付いたように、藤吉の描いている漫画を覗き込んだ。
「……て、こんな時に、お前は何を描いている!」
「え、だって、思いついたから……」
千里は唐突に怒鳴り声を上げて、藤吉から紙を取り上げた。千里の突然の没収に、藤吉も驚いた様子だった。
「だからって、本当にネタにする奴があるか!」
「返してよ、千里! 私の生きがいを返して!」
「生きがいって、お前、年いくつだ!」
藤吉が奪い返そうと千里にすがりついて手を伸ばす。しかし千里は、藤吉を押しのけて、卓袱台の周囲に散った紙を拾い集めはじめた。
私はなんだろう、と紙の一つを手に取った。ああ、なるほど、と思った。あえて描写はすまい。
次回 P068 第6章 異端の少女9 を読む
小説『さよなら絶望先生~赤い瞳の少女~』目次
P067 第6章 異端の少女
8
暖かなまどろみから、急に突き落とされてしまった。
「日塔さん、いつまで寝ているの。お布団片付けられないでしょ。」
目覚まし時計より強烈な千里の怒鳴り声だった。
もう少し、と言いたかったけど、私は布団から転げ落ちてしまった。誰かが布団をひっくり返したのだ。
目を開けると、眩しい昼の光が飛び込んできた。けたたましいセミの声が聞こえる。身を起こしながら目をこする。辺りを見回すと、女の子たちはみんな普段着に着替えて、それぞれで活動を始めていた。
「みんなおはよう~」
「あれ? 先生は?」
私は今の状況がつかめず、きょとんとして千里に訊ねた。
「もう、行っちゃったわよ。一人で行っちゃった。」
「え?」
千里は布団をたたみながら私に説明した。その言葉が少し寂しげに聞こえた。私は余計に混乱を感じて、思わず聞き返していた。
千里が私を振り返った。何となく気遣わしげな表情に思えた。
「とにかく、早く起きなさい。朝ご飯の用意できてるから。シャワー浴びてきなさい。」
千里は布団を抱えて、いそいそと押入れに向かって歩き始めた。
私は、いろんな物から置き去りにされた気分だった。私の体内から、大切なものが滑り落ちてしまった感じだった。
私は浴室へ行き、シャワーを浴びて、寝ている間にかいた汗を流した。普段着に着替えて卓袱台に着くと、一人きりで朝食をとった。朝食はご飯と味噌汁。それからたくあんが添えられていた。
私はご飯を口に入れながら、周りを見回した。時計を見ると、すでに11時だった。あれから私は熟睡したらしかった。
私の手前で、藤吉が片膝を立てながら物凄い勢いで紙に絵を描いていた。どうやら新しい漫画らしい。霧は音量を絞ったテレビの前で、姿勢を崩して座っている。あびるは退屈そうに縁側に座り、足を投げ出して庭を眺めていた。千里が腕組をして、落ち着きなく家の中をうろうろと歩いていた。
「先生が出て行って、どれくらい経つの?」
私は歩き回っている千里に声をかけた。
「3時間くらい前かしらね。一緒に行くって言ったけど、でも私たちを危険に遭わせるわけには行かないって……。あんなに厳しい先生、初めてだった。」
千里は私の側で、ちょっと足を止めた。言葉も表情も寂しそうだった。
私は、「そう」と返して、味噌汁をずずずと啜った。
ふと、目の前で漫画を描いている藤吉を振り向いた。藤吉は夢中になっているらしく、あたりに紙が散乱していた。絵はまだ大雑把なラフ画の段階だった。
「ねえ、皆はもう、夏休みの宿題終った?」
私は藤吉の描いている姿に、なんとなく連想をして皆に訊ねた。
「はあ? 日塔さん、まだ終らせてなかったの?」
再び歩き始めた千里が、私を振り返って呆れたような声をあげた。
「ええ、もしかして皆……?」
私は焦りを感じて、みんなを振り返った。
「夏休みの宿題というのは、毎日決められた枚数を、計画的にきちんと進めるものです。だいたい終ってるわよ。」
千里は胸をそらして、なんだか小言みたいだった。
「私はぜんぶ終ってるよ。暇で他にすることがないから」
霧が私を振り返って、かすれるような声で報告した。
「私は三日で」
あびるが体をそらして私を振り向き、クールな声で告げた。
「私も終らせてるよ。コミケに響くから」
藤吉は漫画に集中しながら私に答えた。
「そんな。もしかして私だけ? まだ大丈夫だと思ったのに」
私は愕然として視線を落とした。
「見せてあげてもいいわよ」
「ありがとう、あびるちゃん!」
あびるがクールに助け舟を出した。私は感激して、あびるに拝むように両掌を合わせた。
千里が何かに気付いたように、藤吉の描いている漫画を覗き込んだ。
「……て、こんな時に、お前は何を描いている!」
「え、だって、思いついたから……」
千里は唐突に怒鳴り声を上げて、藤吉から紙を取り上げた。千里の突然の没収に、藤吉も驚いた様子だった。
「だからって、本当にネタにする奴があるか!」
「返してよ、千里! 私の生きがいを返して!」
「生きがいって、お前、年いくつだ!」
藤吉が奪い返そうと千里にすがりついて手を伸ばす。しかし千里は、藤吉を押しのけて、卓袱台の周囲に散った紙を拾い集めはじめた。
私はなんだろう、と紙の一つを手に取った。ああ、なるほど、と思った。あえて描写はすまい。
次回 P068 第6章 異端の少女9 を読む
小説『さよなら絶望先生~赤い瞳の少女~』目次
■2009/09/26 (Sat)
創作小説■
この小説は、『さよなら絶望先生』を題材にした2次創作小説です。2次創作に関する法的問題については、こちらをご覧下さい。【著作物】【二次創作物】【パロディ】【パロディ裁判】
7
真っ暗だった。
暗闇がすべてを覆っていて、自分がどこに立っていて、どこを向いているのかもわからなかった。そうすると身体の感覚は失われて、ぼんやりとした闇にすーっと溶けていくようだった。
〇かーごーめー
〇〇〇かーごーめー……
女の子の歌声が聞こえた。歌声は細く伸びきって、闇に消え入りそうだった。
私は歌声の主を探した。不安が私を取り巻いていて、女の子の歌声にすがるような気持ちだった。
〇かーごのなーかのとーりはー……
女の子は、すぐ側にいた。幼稚園くらいの小さな女の子だった。
私は女の子を同じ目の高さで見ていた。つまり、私も幼稚園くらいの女の子になっていたのだ。
〇とーなーりーのばーんーにー……
私は女の子に声をかけようとしていた。でも言葉を封じられたように、どんなに頑張っても私の喉から声は出なかった。それ以前に、私は私の身体を捕まえることができなかった。
〇うしろのしょーめんだぁーれだ
女の子が振り返った。可符香の顔だった。でも可符香が見ていたのは私ではなった。私の後を、楽しげな笑顔で指をさしていた。
私は背後に、気配を感じた。背中に撫でられるような感触があって、私に振り向くように誘っているようだった。
振り向いてはいけない。
でも私は、強い好奇心に捉われていた。見てはいけないという直感とは裏腹に、私は振り向きたいという衝動をとどめられなかった。
振り向いた。そこに、高校生の風浦可符香がいた。でも可符香は逆さまだった。下の暗闇からロープが伸びて、可符香の首に絡み付いていた。
可符香は苦しげに歪んだ表情のまま凍りついていた。目は大きく開かれて瞳に生命はなく、舌は空気を求めるように突き出ている。何もかもが逆さまなのに、可符香の髪の毛と服だけが、下方向に垂れ下がっていた。
可符香の死んだ目が動いた。赤い瞳に、裸の私が映っていた。舌を突き出した口が歪み、にやりと笑うように吊り上げた。
私はそこで目を覚ました。布団をはねのけて、飛び上がるように上体を起こす。
心臓が脈打つ感覚をはっきりと感じた。息が苦しくて、ぜいぜいと空気を求めた。
目を見開いた瞬間に意識は覚醒していたけど、私の心は夢の中に置き去りにされていた。不安が私を取り巻いていた。暗闇が渦を巻いて、私に流れ込んでくる錯覚を感じた。
私は困惑しながら、意識を際立たせて、そこがどこなのか確かめようとした。糸色先生の借家だった。二間続く居間に、布団が一杯に並んでいる。私の左隣に、まといが眠っていた。右隣にはあびるが眠っていた。みんな浴衣姿だった。辺りは静かで、みんなの寝息が一杯に満たされていた。
明かりが欲しかったけど、みんなを目覚めさせてはいけない。私は胸を両掌で押さえ、目をつむった。祈りを唱えるように、自分に落ち着けと言い聞かせようとした。
ふと暗闇に気配を感じた。私は祈りを打ち切られたような思いで顔をあげた。
襖が全開にされていた。廊下の雨戸も全開にされていて、そこに月の青い光が廊下に落ちていた。その廊下に、影法師のような気配が佇んでいた。
私は一瞬、胸の鼓動が感じられなくなった。男爵だと思っていた。でもそこにいたのは、糸色先生だった。糸色先生は廊下で気楽そうに姿勢を崩して座り、夜の風を浴びていた。
「日塔さんですか。眠ったほうがいいですよ」
糸色先生が私に気付いて振り返った。表情は暗く落ちていて、輪郭線に青い光が当っていた。
「……はい」
私は返事を返すけど、憂鬱にうつむいた。
「まだ、恐いのですか?」
糸色先生が私の気持ちを探るように、少し声を抑えて訊ねた。
私は返事の代わりに、うつむいたまま小さく頷いた。
「それでは少し話でもしましょう。恐い気持ちも鎮まりますから。さあ、こちらへ」
糸色先生のシルエットが動いた。手招きしているようだった。
私は体を起こし、糸色先生の側へ向かった。足元がふらふらする感じで、眠っている女の子を踏んでしまわないように、慎重に月の明かりを探りながら進んだ。
廊下へ行くと、糸色先生の顔が淡い光に浮かぶのが見えた。眼鏡を掛けていなかった。
私は糸色先生の側へ行き、姿勢を崩して静かに座った。でも言葉を交わさなかった。夜の涼しい風を感じた。今さらだけど体が熱を持っているのに気付いた。
「夜の風が気持ちいですね」
糸色先生が心地良さそうな声で呟いた。
「先生は、何をしていたんですか?」
私は糸色先生を見上げて訊ねた。糸色先生の鋭角的に切り取られた輪郭線が見えた。いつもより柔らかく輝いているように思えた。
「これまでに聞いた情報を整理していました。まだ私の頭の中で全てが繋がったわけではありませんし、欠落している部分もたくさんあります。明日の予定も立てる必要がありますしね」
糸色先生が目を開けて、小さな庭を見詰めた。眼差しに、いつもにはない強い意思が感じられた。
「考えて、どうにかなるんですか?」
私はうつむいて、消極的な意見を示した。
「男爵は冷酷な男ですが、ゲームには絶対のフェアプレイを求めます。ゲームマスターは男爵ですから、一見すると、こちらが不利のように設定されているように見えます。ですが、必ずどこかに抵抗の手段が残されているはずです。男爵はそういう男です」
糸色先生の言葉は落ち着いていて、それでいて強い気持ちが現れていた。
でも私は、希望を見出せなかった。心をどんよりと黒いものがとぐろを巻いていて、それがあらゆる肯定的な光を飲み込んでいくような気がした。
「日塔さん、大丈夫ですか?」
糸色先生が気遣わしげな声をかけてきた。
「先生……。可符香ちゃん、帰ってきますよね」
私は顔を上げて、糸色先生の顔を見詰めた。
「ええ。必ず取り戻します。でも、私が訊ねたのはあなた自身についてです。大丈夫ですか。恐くありませんか?」
糸色先生は体ごと私に向けて、視線を返してきた。
「……先生。私、先生の側にいますよね。なんだか私、まだ体半分が男爵の側にいるような気がするんです。あの地下の部屋で、男爵に捉われているような気がするんです。ねえ、先生。私、ここにいますよね。先生の側に、いますよね」
私は引き込まれるように糸色先生の黒い瞳を見詰めていた。私の沈黙していた感情が、小波のように押し迫ってきて、気持ちが高ぶっていくのを感じた。知らない間に、私は糸色先生にすがり付こうと手を伸ばしていた。
糸色先生が私の手を掴んだ。私ははっとして、体をこわばらせていた。
「気持ちを静かに。明日、決着をつけます。風浦さんと一緒に、あなたを男爵から救い出します」
糸色先生は静かな決意を込めて言うと、私をその胸に引きこんだ。
私は糸色先生の体に自分を預けた。糸色先生の胸は意外に大きく、暖かなぬくもりがあるように思えた。糸色先生の胸があまりにも心地よくて、私はまどろみに吸い込まれていくのを感じた。
次回 P067 第6章 異端の少女8 を読む
小説『さよなら絶望先生~赤い瞳の少女~』目次
P066 第6章 異端の少女
7
真っ暗だった。
暗闇がすべてを覆っていて、自分がどこに立っていて、どこを向いているのかもわからなかった。そうすると身体の感覚は失われて、ぼんやりとした闇にすーっと溶けていくようだった。
〇かーごーめー
〇〇〇かーごーめー……
女の子の歌声が聞こえた。歌声は細く伸びきって、闇に消え入りそうだった。
私は歌声の主を探した。不安が私を取り巻いていて、女の子の歌声にすがるような気持ちだった。
〇かーごのなーかのとーりはー……
女の子は、すぐ側にいた。幼稚園くらいの小さな女の子だった。
私は女の子を同じ目の高さで見ていた。つまり、私も幼稚園くらいの女の子になっていたのだ。
〇とーなーりーのばーんーにー……
私は女の子に声をかけようとしていた。でも言葉を封じられたように、どんなに頑張っても私の喉から声は出なかった。それ以前に、私は私の身体を捕まえることができなかった。
〇うしろのしょーめんだぁーれだ
女の子が振り返った。可符香の顔だった。でも可符香が見ていたのは私ではなった。私の後を、楽しげな笑顔で指をさしていた。
私は背後に、気配を感じた。背中に撫でられるような感触があって、私に振り向くように誘っているようだった。
振り向いてはいけない。
でも私は、強い好奇心に捉われていた。見てはいけないという直感とは裏腹に、私は振り向きたいという衝動をとどめられなかった。
振り向いた。そこに、高校生の風浦可符香がいた。でも可符香は逆さまだった。下の暗闇からロープが伸びて、可符香の首に絡み付いていた。
可符香は苦しげに歪んだ表情のまま凍りついていた。目は大きく開かれて瞳に生命はなく、舌は空気を求めるように突き出ている。何もかもが逆さまなのに、可符香の髪の毛と服だけが、下方向に垂れ下がっていた。
可符香の死んだ目が動いた。赤い瞳に、裸の私が映っていた。舌を突き出した口が歪み、にやりと笑うように吊り上げた。
私はそこで目を覚ました。布団をはねのけて、飛び上がるように上体を起こす。
心臓が脈打つ感覚をはっきりと感じた。息が苦しくて、ぜいぜいと空気を求めた。
目を見開いた瞬間に意識は覚醒していたけど、私の心は夢の中に置き去りにされていた。不安が私を取り巻いていた。暗闇が渦を巻いて、私に流れ込んでくる錯覚を感じた。
私は困惑しながら、意識を際立たせて、そこがどこなのか確かめようとした。糸色先生の借家だった。二間続く居間に、布団が一杯に並んでいる。私の左隣に、まといが眠っていた。右隣にはあびるが眠っていた。みんな浴衣姿だった。辺りは静かで、みんなの寝息が一杯に満たされていた。
明かりが欲しかったけど、みんなを目覚めさせてはいけない。私は胸を両掌で押さえ、目をつむった。祈りを唱えるように、自分に落ち着けと言い聞かせようとした。
ふと暗闇に気配を感じた。私は祈りを打ち切られたような思いで顔をあげた。
襖が全開にされていた。廊下の雨戸も全開にされていて、そこに月の青い光が廊下に落ちていた。その廊下に、影法師のような気配が佇んでいた。
私は一瞬、胸の鼓動が感じられなくなった。男爵だと思っていた。でもそこにいたのは、糸色先生だった。糸色先生は廊下で気楽そうに姿勢を崩して座り、夜の風を浴びていた。
「日塔さんですか。眠ったほうがいいですよ」
糸色先生が私に気付いて振り返った。表情は暗く落ちていて、輪郭線に青い光が当っていた。
「……はい」
私は返事を返すけど、憂鬱にうつむいた。
「まだ、恐いのですか?」
糸色先生が私の気持ちを探るように、少し声を抑えて訊ねた。
私は返事の代わりに、うつむいたまま小さく頷いた。
「それでは少し話でもしましょう。恐い気持ちも鎮まりますから。さあ、こちらへ」
糸色先生のシルエットが動いた。手招きしているようだった。
私は体を起こし、糸色先生の側へ向かった。足元がふらふらする感じで、眠っている女の子を踏んでしまわないように、慎重に月の明かりを探りながら進んだ。
廊下へ行くと、糸色先生の顔が淡い光に浮かぶのが見えた。眼鏡を掛けていなかった。
私は糸色先生の側へ行き、姿勢を崩して静かに座った。でも言葉を交わさなかった。夜の涼しい風を感じた。今さらだけど体が熱を持っているのに気付いた。
「夜の風が気持ちいですね」
糸色先生が心地良さそうな声で呟いた。
「先生は、何をしていたんですか?」
私は糸色先生を見上げて訊ねた。糸色先生の鋭角的に切り取られた輪郭線が見えた。いつもより柔らかく輝いているように思えた。
「これまでに聞いた情報を整理していました。まだ私の頭の中で全てが繋がったわけではありませんし、欠落している部分もたくさんあります。明日の予定も立てる必要がありますしね」
糸色先生が目を開けて、小さな庭を見詰めた。眼差しに、いつもにはない強い意思が感じられた。
「考えて、どうにかなるんですか?」
私はうつむいて、消極的な意見を示した。
「男爵は冷酷な男ですが、ゲームには絶対のフェアプレイを求めます。ゲームマスターは男爵ですから、一見すると、こちらが不利のように設定されているように見えます。ですが、必ずどこかに抵抗の手段が残されているはずです。男爵はそういう男です」
糸色先生の言葉は落ち着いていて、それでいて強い気持ちが現れていた。
でも私は、希望を見出せなかった。心をどんよりと黒いものがとぐろを巻いていて、それがあらゆる肯定的な光を飲み込んでいくような気がした。
「日塔さん、大丈夫ですか?」
糸色先生が気遣わしげな声をかけてきた。
「先生……。可符香ちゃん、帰ってきますよね」
私は顔を上げて、糸色先生の顔を見詰めた。
「ええ。必ず取り戻します。でも、私が訊ねたのはあなた自身についてです。大丈夫ですか。恐くありませんか?」
糸色先生は体ごと私に向けて、視線を返してきた。
「……先生。私、先生の側にいますよね。なんだか私、まだ体半分が男爵の側にいるような気がするんです。あの地下の部屋で、男爵に捉われているような気がするんです。ねえ、先生。私、ここにいますよね。先生の側に、いますよね」
私は引き込まれるように糸色先生の黒い瞳を見詰めていた。私の沈黙していた感情が、小波のように押し迫ってきて、気持ちが高ぶっていくのを感じた。知らない間に、私は糸色先生にすがり付こうと手を伸ばしていた。
糸色先生が私の手を掴んだ。私ははっとして、体をこわばらせていた。
「気持ちを静かに。明日、決着をつけます。風浦さんと一緒に、あなたを男爵から救い出します」
糸色先生は静かな決意を込めて言うと、私をその胸に引きこんだ。
私は糸色先生の体に自分を預けた。糸色先生の胸は意外に大きく、暖かなぬくもりがあるように思えた。糸色先生の胸があまりにも心地よくて、私はまどろみに吸い込まれていくのを感じた。
次回 P067 第6章 異端の少女8 を読む
小説『さよなら絶望先生~赤い瞳の少女~』目次
■2009/09/25 (Fri)
創作小説■
この小説は、『さよなら絶望先生』を題材にした2次創作小説です。2次創作に関する法的問題については、こちらをご覧下さい。【著作物】【二次創作物】【パロディ】【パロディ裁判】
6
私はあの用務員室に入る直前の場面から、現在に至るまでの話をした。私の話を中心に、みんなが周辺を補足したり、訂正したりした。
糸色先生は余計な言葉を挟まず、ときどき詰まってしまう私を促しながら、話を確実に引き出していくみたいな感じだった。話は長かったし、本当に必要なのかと思う場面もあった。でも糸色先生は忍耐強く、どのエピソードも重要だという顔で聞いていてくれた。
話が終わる頃には、時計は深夜の2時を差していた。診療所の外でさざめいていた虫の声すらもう聞こえない。夜が本当に深い時間だった。
「だいたいわかりました。ご苦労様です」
糸色先生は私の話が終わると、一度だけ頷いた。でもその顔は、まだ考え中みたいに緊張していた。
「それで、思いついたことを教えてくれないんだな。どうでもいいところで探偵気取りになるな、お前は」
命先生が腕組をして、糸色先生を軽くからかった。
「いえ、まだ何もかも仮定の状態ですから。考えのまとまらない状態で喋っても、伝わらなかったり誤解を招いたりするだけです。それと兄さん、一つ頼みがあります。明日、東大付属に出向いてみたいのですが」
糸色先生は立ち上がると、命先生を振り向いて頼みごとをした。
「ああ、いいとも。知り合いの知り合いになるが、夜が明けたらすぐに電話しよう」
命先生は了解して頷いた。
「それでは皆さん、帰りましょうか。もう遅いので、私の家でお泊りです」
それから糸色先生は、私たちに向かって微笑みかけてくれた。ようやく私たちは、診察室に取り付いた緊張から解放される思いだった。
私たちはあびるを連れて診療所を後にした。外は暗く沈黙していた。夜を包む闇がいつもより重く、闇は夏とは思えないくらい冷たかった。街灯の光がぽつぽつと浮かんでいたけど、そこに置かれている距離が測れなかった。
私たちは徒歩で糸色先生の借家を目指した。体格のいいスーツ姿の護衛も一緒だった。それでも誰もが不安な顔を浮かべ、私たちは常にお互いの姿を確認したり、周囲の闇を警戒したりしていた。みんなしっかり手を繋ぎあって、誰も喋ったりする人もいなかった。
ようやく糸色先生の家が見えてきたときは、なんだか救われたという気持ちにすらなった。
「ただいま」
糸色先生が鍵を開けて玄関のガラス戸を引き開けた。
雨戸が締め切られた暗い廊下に、一筋の光が落ちていた。居間に誰かいる気配があった。
襖が開いて、誰かが廊下に顔を出した。
「あ、先生。遅いじゃない。遅くなるんだったら、ちゃんと連絡してくれなくちゃ駄目でしょ」
霧だった。霧はタオルケットを肩にかけた格好で、ゆるやかにぷんすかと怒っていた。
「すみませんね。色々と立て込んでいたもので。人数分のお布団を用意してくれますか」
糸色先生は上り口に腰を下ろし、霧の存在がさも当り前のような調子で言葉を返した。
「なんで? なんで霧ちゃんがここにいるの?」
私は状況がつかめず、ぽかんとしてしまった。
「なぜって、引きこもりですから、家にいるのは当然じゃないですか」
糸色先生は上り口に腰を下ろし、手拭いで足を洗っていた。そうしながら私を見上げて、当然みたいな感じに答えた。
「何よ、私がいちゃいけないの?」
霧は居間に戻ろうとしたところで、私をちらと睨み付けた。私は訂正しようと、慌てて両手を振った。
「いや、いいけど。でも、霧ちゃんって不下校の人じゃなかったの?」
私は困惑するように周りのみんなに意見を求めた。
「何を言ってるの。引きこもりだけど、誰も学校限定だなんて言ってないわよ。一度、自宅に帰ってたじゃない。」
千里は呆れたふうに私に目を向けて、靴を脱いで廊下に上がった。
「しっかりしてよね、奈美ちゃん」
あびるがクールな声をかけて廊下に上がった。
「日塔さん、おかしなことを言わないで。私たちがおかしいみたいじゃないの」
まといが冷ややかな目と言葉を私に浴びせかけて、廊下に上がった。
私は一人だけで玄関に取り残されてしまった。
「え? 私がおかしいの?」
私の考えって、普通……だよね?
次回 P066 第6章 異端の少女7 を読む
小説『さよなら絶望先生~赤い瞳の少女~』目次
P065 第6章 異端の少女
6
私はあの用務員室に入る直前の場面から、現在に至るまでの話をした。私の話を中心に、みんなが周辺を補足したり、訂正したりした。
糸色先生は余計な言葉を挟まず、ときどき詰まってしまう私を促しながら、話を確実に引き出していくみたいな感じだった。話は長かったし、本当に必要なのかと思う場面もあった。でも糸色先生は忍耐強く、どのエピソードも重要だという顔で聞いていてくれた。
話が終わる頃には、時計は深夜の2時を差していた。診療所の外でさざめいていた虫の声すらもう聞こえない。夜が本当に深い時間だった。
「だいたいわかりました。ご苦労様です」
糸色先生は私の話が終わると、一度だけ頷いた。でもその顔は、まだ考え中みたいに緊張していた。
「それで、思いついたことを教えてくれないんだな。どうでもいいところで探偵気取りになるな、お前は」
命先生が腕組をして、糸色先生を軽くからかった。
「いえ、まだ何もかも仮定の状態ですから。考えのまとまらない状態で喋っても、伝わらなかったり誤解を招いたりするだけです。それと兄さん、一つ頼みがあります。明日、東大付属に出向いてみたいのですが」
糸色先生は立ち上がると、命先生を振り向いて頼みごとをした。
「ああ、いいとも。知り合いの知り合いになるが、夜が明けたらすぐに電話しよう」
命先生は了解して頷いた。
「それでは皆さん、帰りましょうか。もう遅いので、私の家でお泊りです」
それから糸色先生は、私たちに向かって微笑みかけてくれた。ようやく私たちは、診察室に取り付いた緊張から解放される思いだった。
私たちはあびるを連れて診療所を後にした。外は暗く沈黙していた。夜を包む闇がいつもより重く、闇は夏とは思えないくらい冷たかった。街灯の光がぽつぽつと浮かんでいたけど、そこに置かれている距離が測れなかった。
私たちは徒歩で糸色先生の借家を目指した。体格のいいスーツ姿の護衛も一緒だった。それでも誰もが不安な顔を浮かべ、私たちは常にお互いの姿を確認したり、周囲の闇を警戒したりしていた。みんなしっかり手を繋ぎあって、誰も喋ったりする人もいなかった。
ようやく糸色先生の家が見えてきたときは、なんだか救われたという気持ちにすらなった。
「ただいま」
糸色先生が鍵を開けて玄関のガラス戸を引き開けた。
雨戸が締め切られた暗い廊下に、一筋の光が落ちていた。居間に誰かいる気配があった。
襖が開いて、誰かが廊下に顔を出した。
「あ、先生。遅いじゃない。遅くなるんだったら、ちゃんと連絡してくれなくちゃ駄目でしょ」
霧だった。霧はタオルケットを肩にかけた格好で、ゆるやかにぷんすかと怒っていた。
「すみませんね。色々と立て込んでいたもので。人数分のお布団を用意してくれますか」
糸色先生は上り口に腰を下ろし、霧の存在がさも当り前のような調子で言葉を返した。
「なんで? なんで霧ちゃんがここにいるの?」
私は状況がつかめず、ぽかんとしてしまった。
「なぜって、引きこもりですから、家にいるのは当然じゃないですか」
糸色先生は上り口に腰を下ろし、手拭いで足を洗っていた。そうしながら私を見上げて、当然みたいな感じに答えた。
「何よ、私がいちゃいけないの?」
霧は居間に戻ろうとしたところで、私をちらと睨み付けた。私は訂正しようと、慌てて両手を振った。
「いや、いいけど。でも、霧ちゃんって不下校の人じゃなかったの?」
私は困惑するように周りのみんなに意見を求めた。
「何を言ってるの。引きこもりだけど、誰も学校限定だなんて言ってないわよ。一度、自宅に帰ってたじゃない。」
千里は呆れたふうに私に目を向けて、靴を脱いで廊下に上がった。
「しっかりしてよね、奈美ちゃん」
あびるがクールな声をかけて廊下に上がった。
「日塔さん、おかしなことを言わないで。私たちがおかしいみたいじゃないの」
まといが冷ややかな目と言葉を私に浴びせかけて、廊下に上がった。
私は一人だけで玄関に取り残されてしまった。
「え? 私がおかしいの?」
私の考えって、普通……だよね?
次回 P066 第6章 異端の少女7 を読む
小説『さよなら絶望先生~赤い瞳の少女~』目次