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■2015/07/31 (Fri)
創作小説■
第1章 最果ての国
前回を読む
8
ミルディたちは洞窟を脱出した。剣を手にして、慎重に外の風景に目を凝らす。入口と違う場所だったが、森の中だ。夜が深くなった頃で、辺りは真っ暗だった。獣の声が遠くに聞こえるが、近くにネフィリムの気配はない。ミルディは洞窟の外に出て、森の様子を見回す。
ミルディ
「無事脱出できたようです」
ミルディは安堵の息を漏らして、剣を鞘にしまった。
村人
「でも、ここはどこだ? 知らないところに出ちまったぞ」
ミルディ
「わかりません。とにかく、ここは危険です。早く移動しましょう」
ミルディたちは再び松明に火を灯し、森の闇を進んでいく。
ゆるやかな風が枝の先に小波を立てている。獣の声は、絶えず周囲を取り巻いている。ミルディは時々、誰かに見張られているような錯覚を覚えて、周囲を見回す。しかし人を避けているように、獣は姿を見せない。
不意に、小さく悲鳴が漏れた。
ミルディがはっと辺りを松明で照らす。すぐに、旅の一行に欠員があるのに気付いた。
ミルディ
「ドルイド様はどこです!」
ミルディたちが辺りを見回した。2人の村人も辺りを見回す。ミルディたちは、2度、大声で老ドルイド僧を呼びかけた。しかし、気配すら返ってこない。
村人
「どうしよう」
ミルディ
「ここは危険な森の中。長居すれば、我々も魔性に囚われる恐れがあります。無事を祈りましょう」
ミルディはまだ気になるように後方の闇を眺め、それから前へと進み始めた。
間もなく森の深いところを脱出した。月の光が射し込んで、下草が淡く浮かび始める。夜はまだ深いが、ほっと安堵を感じるものがあった。
ミルディ
「もう少し進みましょう。せめて人のいるところを……」
ミルディはまだ警戒を解かず、松明を手に森を進んだ。
森はどこまでもどこまでも続いている。妙に静かだった。村人の2人は、怯える目つきで辺りを見回していた。ミルディ自身、森の暗部を脱出したのに、なぜかくつろぐ気分になれず、不穏なものを胸に感じていた。
急に霧が立ちこめ始めた。森の闇が、淡く霞みはじめる。
すると森が開けて、異様に高く茂った草ばかりの空間が現れた。草むらの中に細い柱が一本立っていて、柱にはランタンが吊されていた。それが暗闇の中、孤独に燃えていた。
ミルディは何か予感めいたものを感じて、草に体を潜めながら、ゆっくりと這い進んだ。
村人
「ミルディ。あれ……」
村人が指さす。
草ばかりの広場がずっと続き、その向こうに屋敷が建っていた。2階建てで、瓦屋根の立派な屋敷だった。
村人
「良かった。あそこに泊めてもらおう」
村人が安堵の息を漏らした。
ミルディたちは屋敷へ向かう。
扉を叩く。
しばらく間があって、屋敷の中に明かりが浮かんだ。扉がすっと開く。
女
「誰ですか」
ミルディ
「旅の者です。どうか一晩の宿を」
女
「あなたのお名前は?」
ミルディ
「……旅の者です」
女は、扉を大きく開き、奥へと引っ込んでいく。ミルディたちが入っていく。
女は屋敷のあちこちに置かれた蝋燭に、火を入れていく。屋敷の内部が、暗く浮かび始めた。
女
「どうぞ」
女がミルディを屋敷の奥へと案内する。暗い廊下を潜り抜け、食堂へ入っていった。
食堂には大きなテーブルが1つ置かれ、テーブルの中央で蝋燭の明かりが煌めいていた。テーブルには、屋敷の主と思わしき男が、すでに座っていた。大男で、肌が岩のように硬く、肉をむしゃむしゃと貪っていた。
食堂の床は土や藁で汚れ、天井にはいくつも蜘蛛が巣を作っている。暗がりの中とはいえ、ひどく陰気だった。
女
「どうぞ。食事の用意はできています」
テーブルには、人数分の皿がすでに用意されていた。村人らは、大喜びでテーブルに着く。女が皿にスープを注ぐ。合図を待たず、村人たちがスープをすすり始める。
ミルディもテーブルに着く。主人を向かい合う席に座った。ミルディに用意された皿に、スープが注がれる。
主人
「待ちな。名前も名乗らない奴に食わせてやるものはない」
ミルディ
「旅の者です。名乗る名前はありません。あなたは?」
主人
「俺か? 俺はあんたの名前を欲しがっているものだ」
主人がにやりと顔を歪めた。口が大きく裂け、頬が不気味に釣り上がる。
不意に、村人の1人ががくりと崩れた。テーブルのスープをひっくり返す。もう1人の村人も、ぐったりと椅子の背に体を預けた。
ミルディ
「おのれ化生の者め! 名を名乗れ!」
ミルディは飛び上がって剣を抜いた。
食堂の影から何者かがすーっと現れた。みんな麻の布を頭から被り、全身を隠していた。魔性の手下どもは剣を抜き、ミルディを取り囲む。数は5人。テーブルを完全に囲む形になった。
ミルディは全員に警戒を向ける。
主人
「名乗るのはおめえさんだ。なあ、教えてくれ。この男は、なんという名前なんだ?」
村人
「……この人? ……ミルディだよ。ドル族の長、ミルディだよ」
村人が眠りながら譫言のように答えた。
主人
「ミルディ! その名前、もらったぞ!」
男の体が崩れた。真っ黒な霧となってミルディに飛びつく。ミルディは悲鳴を上げて尻を付いた。霧から逃れようともがいた。
テーブルを取り囲んでいた手下が剣を手に集まってきた。刃の切っ先をミルディに向け、ゆっくりと振り上げる。
ミルディが跳ね起きた。同時に剣を払った。手下どもが驚きを浮かべた。ミルディは手下の1人に体当たりを喰らわせる。向こうの壁が崩れ落ちた。埃が派手に噴き上がった。
壁の向こうに現れたのは廃墟だった。崩れた家具に埃が厚く被さっている。蜘蛛の巣があちこちに張り付いていた。ボロをまとった人骨が転がっていた。
手下どもが迫る。5つの刃が一斉に飛びつく。ミルディは刃を振り払う。しかし敵の攻撃は圧倒的だった。ミルディは刻まれ、突き倒されてしまう。
ボロボロになった家具にぶつかり、倒れた。家具が壁や柱とともに崩れる。埃が視界を覆う。ざらついた感触が体を包んだ。敵の攻撃が次々に迫る。
主人
「アハハハハ……。無駄だ。お前の名前はもうもらった! お前の名前はもうもらった! お前は逃げられんぞ!」
主人の笑い声が、屋敷全体に響き渡る。
ミルディは屋敷から脱出しようともがいた。しかし出口はどこにも見当たらない。すぐそこだったはずの玄関扉は、いくら進んでも見付からず、まるで迷路のようにミルディを翻弄した。
敵がミルディを追跡して、刃を振り下ろす。ミルディは反撃を試みる。敵に肉薄し、全身を覆う麻布ごと斬り伏せる。
が、手応えはなかった。一度ふわりと体が崩れた後、ぬっと人の形を取り戻して、再び襲ってきた。
ミルディは脱出に集中した。壁を崩し、部屋から部屋へと移る。ようやく、廊下の向こうに玄関扉を見付けた。
玄関扉を目指してミルディが走る。敵が追跡した。刃が背中を捉える。切っ先がざっくりと背中の肉をえぐり取った。
ミルディの膝が崩れる。剣で追跡者を振り払う。しかし敵の攻撃が、ミルディの剣をはたき落とした。
ミルディの体から、急速に体力が失われていった。這いつくばりながら、玄関扉を目指す。闇の手先が、ミルディを取り囲んだ。刃の切っ先をミルディに向ける。
ついにミルディは力尽きて、倒れてしまった。かすかに残った意識で、周囲に目を向ける。魔性の刃がずらりとミルディを取り囲んでいた。
突然、玄関扉が吹っ飛んだ。烈風が走り抜ける。闇の手先たちが驚いて顔を上げる。続いて、真っ白な輝きが塊になって飛びついた。
ミルディは玄関扉に目を向けた。まばゆい光が去った後に、女が1人、そこに立っているのに気付いた。
次回を読む
目次
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■2015/07/30 (Thu)
創作小説■
第1章 隻脚の美術鑑定士
前回を読む
8
突然、画廊が白く瞬いた。驚いて振り向く。するとカメラを手にした女が、暖簾を掻き上げて立っていた。
「ルリお姉ちゃん、何すんの!」
ツグミは思わず感情的になって叫んでしまった。
「うん? 記念写真」
「ルリお姉ちゃん」と呼ばれた女は、悪びれたふうもなくディスプレイに映った画像をチェックしていた。
彼女の名前は妻鳥コルリ。ツグミより3つ上のお姉さんで、現在は大阪の写真専門学校に在籍している。愛用機はキャノンのEOSだ。
「やめて! もう、恥ずかしいやんか」
ツグミはコルリに迫り、カメラを奪い取ろうと手を伸ばした。といっても、カメラを奪ってもどうこうするつもりはなかった。恥ずかしさと動転で、自分で何をしようとしているかわからなかった。
コルリはツグミをひらっとかわすと、ささっと川村の前に進み出て笑顔で頭を下げた。
「川村さんですね。妹から話は聞いています。この度は家に絵を預けてくださってありがとうございます」
さっきまでの調子から一転、コルリは丁寧な挨拶でお辞儀した。ツグミはコルリに手を伸ばしたきり、どうしていいかわからず、何となくコルリと一緒に頭を下げてしまった。
コルリは見た目を気にしない性格で、髪は手入れせず伸ばしたままで、顔にかかりそうなのをさっと左右に分けているだけだった。丸いフレームの眼鏡をかけている。着る物にも頓着しない性格で、シャツは一番安いもの、ズボンはいつも同じものを穿くから、すっかり汚れてしまっていた。
それでも、コルリに不潔な感じはまったくなかった。一見するとみすぼらしい格好だけど、不思議なくらい色彩感覚に優れ、むしろ感性の強さが際立ってくるように思えた。無頓着に放り出した格好だけど、目はパッチリとしていて瞳は大きく、小さな顔の中にきちんと整っていた。どこかで正装する機会があったら、誰もが振り向かずにはいられない美少女に変わるだろう。
「妻鳥さんとは縁があるからね」
川村はコルリに軽く会釈して微笑みかけると、壁に掛けられた絵に目を向けた。
ツグミは「光太さんと知り合いなんやって」とコルリに耳打ちした。コルリが意外そうな顔で「へえ」と漏らした。
「それじゃ、僕はそろそろ帰るよ。用事は済んだしね。君たちもそろそろ夕食の時間だろ」
川村はツグミに言うと、画廊の入口のほうへ向った。
「え……。そうですか。それじゃ、その、今日はありがとうございました。あ、それから待たせてしまってすみませんでした。また機会があったら……」
ツグミは急に気持が萎れるのを感じて、言葉も釣られるように落ち込ませてしまった。
川村は、暖簾を掻き上げたところで一度足を止めて振り返り、ツグミを慰めるように微笑みかけた。
「うん、また会えるといいね」
川村が画廊の外に出て行った。ツグミは川村を追いかけて、画廊の外に出た。
街にもう夕日の光はなく、しかしまだ夜ではなくぼんやりとした青い暗闇が街を覆っていた。街灯がぽつぽつと暗くなりかける通りに浮かんでいる。街はこれ以上ないくらいひっそりと声を沈め、風に耳を澄ませると遠くで川のせせらぐのが聞こえた。
ツグミは川村が通りを歩いて行くのをずっと見詰めた。川村は野道を歩く人のようにしっかりとした足取りだった。
その後ろ姿が少しずつ小さくなっていくのを見守るうちに、ツグミは胸が苦しくなってしまった。せつなくて、川村の側に駆け寄り、その背中に抱きつきたい衝動に捉われてしまった。声をかけようかと何度も迷った。
そうやってもやもやしているうちに、川村はずっと向うの角を曲がってしまった。
それから、コルリが肘でツグミを突いた。
「いい男やん」
「もうルリお姉ちゃん!」
からかうコルリに、ツグミは自分でも意外なくらい強く声を返した。
次回を読む
目次
※ 物語中に登場する美術家、美術作品、美術用語はすべて空想のものです。
■2015/07/29 (Wed)
創作小説■
第1章 最果ての国
前回を読む
7
洞窟は、しばらく真下に続いた。頭上から射してくる太陽の光は、間もなく影に吸い取られるように萎んでいく。やがて洞窟の底に足が付いた。そこからは横穴が奥へと続いているようだ。太陽の光は、もうかすかに頭上に残されているだけだった。ミルディたちは松明に火を点ける。さらにドルイド僧が魔法の光を頭上に掲げた。魔法の光によって、洞窟の空間が明るく照らされる。横穴は意外と広い。徒党を組んで出るには、充分な広さだった。
老ドルイド僧
「魔法の明かりは確実なものじゃないからの。信頼しすぎず、松明を絶やすではないぞ」
洞窟の奥へと進んでいく。内部は険しく、複雑に入り組んでいた。這いつくばって潜り込まなければならないところがいくつもあった。ネフィリムの影は、まったく感じなかった。
開けた場所に出た。松明の頼りなげな明るさでは全容が見えないが、かなりの容積を予感させる広がりがあった。
老ドルイド僧
「ここは……。少し危険だが、全体を確認してみよう」
老ドルイド僧が魔法の明かりを頭上に跳ね上げた。
空間が仄暗く浮かんだ。円形のドームだった。洞窟の壁面が綺麗に削り取られて、明らかに人工のものを感じさせた。ドームの下部分は、アーチ状の穴がいくつも開けられ、その向こうへと道が通じているようだった。
ミルディ
「これがネフィリムの根城……」
村人
「ミルディ、あれを……」
ミルディが松明でその向こうを示す。前方の壁面に、白い影が映った。白い線だ。その線は2本、真ん中で混じり合って十字の形になっていた。明らかに人の手による、白漆喰の白だった。中央に大きな十字が描かれ、それに沿うように、落書きのように無数の十字が刻まれていた。
その十字の下には、祭壇のような台座が作られていた。ミルディは台座の側に近付き、松明の明かりを近付ける。祭壇は黒く染まり、異臭がこびりついていた。
ミルディ
「おそらく、人の血です」
村人
「ミルディ。もういいだろう。帰ろう!」
ミルディ
「ええ」
その時だ。洞窟の奥から、物音が響いた。金属の音で、キンキンカンンカンとけたたましく鳴り響く。金属音は周囲にしつこく反響して、どこから発せられているのか見当も付けられなかった。
ミルディ
「囲まれた! 剣を抜け!」
村人一同が剣を抜く。
音は尚も続いた。まるで闇の者が闘気を鼓舞するように、音は次第にリズムを早めていく。怪物の唸り声も混じり始めた。
遂にネフィリムどもが闇から飛び出してきた。ネフィリムたちは間を置かずミルディたちに飛びかかってきた。
老ドルイド僧が魔法の光を怪物にぶつける。怪物たちが悲鳴を上げた。ミルディたちがそれを突破口にする。ネフィリムたちを斬り付け、奥へと進む。
ネフィリムの数は膨大で、早くも前後左右全ての通路が塞がれてしまった。広間はあっという間にネフィリムで溢れ返る。ミルディたちがいかに斬り伏せようとも、闇が魔物の母胎であるかのように、数を尽きさせることなく次々に現れた。
そんな最中でありながら、ミルディは冷静に状況を判じ、闇の軍勢の中に一筋の突破口を見出した。
ミルディ
「こっちです! 急いで!」
ミルディは松明を手に自ら先頭を走る。
ネフィリムが行かせまいと殺到する。ミルディは次々と迫る敵を斬り伏せる。
しかし、村人の1人が逃げ遅れた。村人はネフィリムに掴まれ、闇の奥へと引きずり込まれていく。悲鳴だけが取り残された。
ミルディが助けようと飛び込む。だが、ネフィリムの勢いは凄まじい。無数の刃が頭上に煌めく。ミルディはネフィリムの刃をはじき返し、松明の炎をぶつけた。
仲間を諦めて、ミルディは洞窟の奥へ奥へと突き進んでいく。
突然、光が瞬いた。今まで以上の光だ。あまりにの眩しさに、ミルディは視界を奪われ、転がってしまった。
ミルディたちを追いかけていた獣たちは、あまりの強い光に、恐れをなして逃げていく。
バン・シー
「不用心な連中だ。お宝目当てのならず者か」
女の声だ。
ミルディが驚いて顔を上げた。長い黒髪の女だった。厚手の服の上に、質素な胸当てとブーツといった装備だ。容姿は美しいが厳しく強張り、どこか所在も年齢も窺い知れぬものを漂わせていた。
女の周囲に、光の粒がいくつも取り巻いていた。それが女を守り、女の姿を浮かび上がらせていた。
村人
「お前こそ何者だ!」
村人
「怪物の仲間に違いねぇ! 殺してやる!」
村人が飛びついた。瞬間、光が閃く。村人が吹っ飛んだ。
バン・シー
「度胸はあるようだが、知恵は浅いようだな。誰を相手にしているつもりだ」
女は倒れたままの村人の前までやってきて、細身の剣を抜いた。
ミルディがかばうように村人の前に立った。
ミルディ
「無礼を。しかしあなたは何者です」
バン・シー
「ネフィリムと敵対する者だ。剣を収めろとは言わぬが、対峙するつもりはない」
村人
「あの人、幽霊か。バン・シーか?」
ミルディ
「かもな。警戒を怠るな」
バン・シー
「そうだ。バン・シーと呼ぶがいい。古くからそう呼ばれている。そちらの者は知っておるだろう」
老ドルイド僧
「こんなところで会おうとは思いませんでした」
老ドルイド僧が深く頭を下げる。
バン・シー
「不用心だな。たった4人という小勢でネフィリムの巣穴に挑戦など。出世欲に囚われて、何も知らぬ田舎者を唆したか」
老ドルイド僧
「本部からの指令でございます」
バン・シー
「フンッ」
ミルディ
「あなたは何者です。なぜここにたった1人で?」
バン・シー
「見るがいい」
バン・シーは手を前に突き出した。掌に光が現れる。光はバン・シーの掌の上を優雅に転がり、そのまま地面へと落ちた。
ミルディは光が落ちた先を覗き込む。突然に、光が勢いを増した。周囲の光景をくっきりと浮かび上がらせる。
はるか底の奈落に、明かに人工のものである都市の形が浮かんだ。無数の階段が、岩肌に沿って地底へと潜り込んでいく。地の底で、作業をしている異形の小人らしき姿が浮かんだ。
光はすっと地面に吸い込まれて消えてしまった。
ミルディ
「これはいったい……。誰があんなものを作っている」
バン・シー
「奴らさ。ネフィリムどもが地底を掘り進め、地下都市を建設しているのだ」
ミルディ
「馬鹿な。奴らは人を襲うだけで、知恵はない。これは人間の手によるものだ」
バン・シー
「それも然りだ。途中までは間違いなく人間の手によるものだ。しかしネフィリムたちがその続きを作っている。奴らを見くびるな。奴らは人から知恵を盗み、人から仕事を奪う。奴らはただ人を襲うだけの魔物ではない。人が変われば獣もその姿を変える。人よ、驕るなかれ。今やお前たちが、この地上で唯一知恵を持つものではない」
ミルディ
「そなたがその知恵を与えたのではないという証拠は?」
バン・シー
「ハハハ……。言葉に気をつけろ、愚か者。人同士の争いは、奴らの勢力を増大させるだけだぞ」
ミルディ
「……失礼を申しました」
バン・シー
「そなたらはもう村に帰るがいい。この先に道はない。探検はおしまいだ」
ミルディ
「そのようですね。助言、感謝します。バン・シーの女よ。最後に名前を聞きたい」
バン・シー
「バン・シーだ。今もそう呼ばれている」
ミルディ
「そうか。私はドル族の長、ミルディ。さらばだ。また会おう」
ミルディはバン・シーに頭を下げてそこから立ち去った。
バン・シーは立ち去ろうとするミルディの後ろ姿を振り返る。
バン・シー
「……ミルディ、か」
※ バン・シー 一般的には「泣き女」の亡霊を指す。伝承によってその実像は様々で、占い師であったり、魔女であったり、美しい娘であったりする。この物語中では、「素性の知れない魔法使い」というような意味で使われている。
次回を読む
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■2015/07/28 (Tue)
創作小説■
第1章 隻脚の美術鑑定士
前回を読む
7
「感想を聞きたいな」川村がツグミの側にそっと耳を寄せて囁いた。
ツグミは思わず悲鳴を漏らして川村を振り向いた。それから、みっともなさを取り繕うようにうつむいた。
「あの、ごめんなさい。えっと、これはチェンバロ?」
動転してしまったのか、絵を指さしながらどうでもいいことを訊ねてしまっていた。
「うん、そうだよ」
川村は軽く微笑んで、杖を拾ってツグミに差し出した。
絵の左隅のほう、影に覆われた部分に、絨毯が被せられ、本が大量に積み上げられた何かが置かれていた。ツグミはちらと僅かに見えた脚で、チェンバロだと気付いたのだ。
「それじゃ、その、ぜひ家で取り扱わせてください。いま契約書を持ってきますね」
ツグミは川村から杖を受け取り、恥ずかしい気持ちをごまかすように早口に言った。
胸のドキドキがどうしようもなく高鳴っていた。きっと顔を真っ赤にしているに違いない、と思うと川村を真直ぐに見られなかった。
ツグミは逃げ出すような気持で電話棚に向かい、引き出しから契約書を1枚引っ張り出した。契約書とは名ばかりで、単に氏名、住所、電話番号の書く欄のある事務伝票だった。
川村にテーブルに着くように勧めて、自分も椅子に座り契約書とボールペンを差し出した。川村がさらさらと契約書に文字を書き始める。
『氏名=川村修治 住所=神戸市垂水区…… 電話番号=6092―7824』
ツグミは川村の手の動きをじっと眺めた。そうか、修治さんって言うんや……。川村はなかなかの達筆だった。
川村はすぐに契約書を書き終えて、ツグミに差し出した。ツグミは日付と担当者名を書き込み、それから、おや、と気付いた。
「電話番号、ちょっと短いですよ」
電話番号は8桁までしか書かれていなかった。
「本当に? そうだな、じゃあ、零を2つ……」
川村は契約書を引き戻し、電話番号の後ろに零を2つ書き足した。
それからツグミは「ちょっと待っとってくださいね」と席を立ち、再び棚に向かった。
下から2番目の抽斗。そこに、小さなダイヤル式の金庫が収まっていた。レジはないから、この金庫に金を入れていた。ダイヤルを回し、金庫を開ける。中を覗きこんでみて、あっとなった。たったの2000円しか入ってなかった。
どうしよう。と思ったその時、ポケットに入れられた11万円を思い出した。ツグミは川村に気取られないように、ポケットの中の封筒をそっと引っ張り出した。中のお札を抜き取り、《妻鳥画廊》の印の入った封筒に移し変える。
その作業が終わると、ツグミは何でもない微笑みを取り繕って、川村の前に進んだ。川村は席を立って、ツグミを待っていた。
「ありがとうございます。これが絵の買い取り料です。絵が売れたら、半分が川村さんの分になります。ちょっと少ないと思うけど、どうぞ」
ツグミは丁寧に言って、封筒を差し出した。
しかし川村は封筒を受け取らなかった。ツグミの掌を優しく包み込み、封筒を引き戻した。
「あ、あの……」
ツグミは困惑して川村を見上げた。
「これは君のポケットに入っていたお金だろ。いいよ。お金は絵が売れてからでいい」
静かに諭すようだった。
川村の優しさが返ってつらくて、ツグミは憂鬱な気持ちになって目を封筒に落とした。
「……家でいいんですか。こんな立派な絵、本当に家なんかでいいんですか?」
ツグミは思い切って口にしてみた。川村の絵があまりにも素晴らしくて、後ろめたく思ってしまった。不相応。自分の胸の中で、自分ではない誰かが非難するように思えた。
川村は迷いなく頷いた。
「ここだからいいんだよ。君を信じてるから」
川村の言葉が、すっとツグミの気持に流れ込んでくるようだった。ツグミはこれまでになく胸が熱くなって、川村の顔をただただじっと見詰めてしまっていた。恥ずかしいという気持も、今のツグミの胸には入る余地がなかった。
次回を読む
目次
※ 物語中に登場する美術家、美術作品、美術用語はすべて空想のものです。
■2015/07/27 (Mon)
創作小説■
第1章 最果ての国
前回を読む
6
翌日の朝、早い時間に女の家を後にした。老ドルイド僧は、パンテオンに旅立つ女のために、いくつかの言付けを残した。ミルディたちの旅は、いよいよ森の中の、深い闇へと足を踏み入れていく。奥地へと入り込んでいくと、空気が冷たく凍てつき、魔性の気配が強く迫った。昼にも関わらず、森は暗く影を落とした。不快な臭いを放つ沼があちこちに現れ、茨を混じえた藪が進路を阻んだ。ミルディたちは気配を殺しながら、ゆっくりと森の中を進んでいく。
森が少し開けて、巨石が行く手に現れた。ミルディは巨石を避けて、向こう側へと進もうとする。
が、唸り声が辺りに轟いた。
ミルディたちが顔を上げる。巨石の上にネフィリムが立っていた。1匹だ。ネフィリムはミルディたちを睨み付けて、獣の唸り声を上げる。昼の光の中に立っていたけど、毛むくじゃらの全身は真っ黒で、赤い瞳だけを陰気に輝かせていた。鎧はなく、古びた山刀を手にしていた。
ネフィリムが飛びついてきた。山刀を振り下ろす。ミルディは攻撃をかわし、剣を振り払う。切っ先がネフィリムの胸を捉えた。
しかしネフィリムは怯まなかった。むしろ闘士に怒りを混ぜて、叫びながら飛びついてきた。
山刀の剣戟が3回。ミルディは刃を捉え、打ち返す。
村人が横からネフィリムを斬り付けた。ネフィリムの右腕が深く刻まれる。ネフィリムが悲鳴を上げた。
ミルディが接近した。ネフィリムの頭に剣を叩き落とす。ネフィリムの頭が砕けた。真っ黒な血が噴水のように噴き上げた。ネフィリムの断末魔が辺りに響き、森の中に木霊する。
断末魔の返答のように、森の中にいくつも獣の声が上がった。
村人
「まずいぞ……」
ミルディ
「急ぎましょう」
ミルディは倒れているネフィリムの頭から、剣を引き抜いた。砕けた頭から、真っ黒な液体がどろりとこぼれる。粘性を持った、黒い血だった。
ミルディたちは巨石の陰に身を潜めた。魔性の気配はくっきりと存在感を持って、迫ってきた。ミルディは息を潜めて、様子を見守った。
巨石の前の広場に、ネフィリムたちがやってきた。ネフィリムたちは草むらを真っ黒に染めて倒れている同胞をしばらく眺めていた。しかしネフィリムたちに悲しみはなく、死体を突いたり、蹴ったりして、しまいには興奮状態になってその体をバラバラに引き裂き、腕や頭や内臓を手に掲げて狂い始めた。広場に真っ黒な血が広がり、獣の唸り声で満たされた。
ミルディ
「行きましょう」
ネフィリムたちの注意が、完全に侵入者から外れたのを確認して、ミルディたちは探検を再開した。
老ドルイド僧が一行の先頭に立ち、道案内を始めた。老ドルイド僧が潜入し、開拓した道だ。
しかしネフィリムの気配はさっきより濃厚になった。ネフィリムたちが徒党を組んで歩くのを、何度も目撃した。その度に、ミルディたちは森の影に身を潜め、ゆっくり進んだ。
やがて森の木々が途切れたところに、岩場が現れた。岩場は地面を裂いて、その下から突き出たようになっていた。全体の姿は、開きかけの蕾のように見える。大地がぱっくりと裂け目を作り、奈落への道筋を作っているようだった。
ミルディたちが、洞窟の入口を覗き込む。
村人
「……もう充分だ。帰ろう。危険すぎる」
ミルディ
「いいえ。私たちの使命はネフィリムの巣穴を叩くことです。それに、きっと深い洞窟ではありません」
村人
「ネフィリムがうじゃうじゃいるかも知れないんだぞ」
ミルディ
「子供の頃、よくこんな洞窟の中を探検しました。行きましょう。レプラコーンの財宝が見付かるかも知れませんよ」
ミルディが先頭に立ち、洞窟の中へと飛び込んでいった。仲間たちもその後に続いていく。
※ レプラコーン アイルランドの妖精。緑のフロックコートを着て、靴直しの仕事をしている。財宝のありかを知っているので、欲深い人間を警戒している。
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