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■2015/08/05 (Wed)
創作小説■
第1章 隻脚の美術鑑定士
前回を読む
11
アニメも半ばになった頃、ハンバーグができあがった。ツグミが茶碗や皿を3人分用意して、コルリが料理を盛りつける。ご飯にじゃがいもを煮込んだ味噌汁。皿にはハンバーグとゆで卵、キャベツを添えた。
それからツグミとコルリは向き合って「いただきます」をした。3人目の茶碗には何も入れず、テーブルの上に空のまま伏せておいた。
「ヒナお姉ちゃん、今どうしてるかな」
ツグミはご飯を口に入れながら、何となく話題にした。
「向こうではいま昼頃やろ。朝ご飯かな? でもヒナ姉、仕事がない日はずっと寝とおからな」
コルリはちょっと想像するように宙を見上げた。
妻鳥家はもう1人いる。長女のヒナだ。「ヒナお姉ちゃん」や「ヒナ姉」はヒナの愛称だ。
年齢はツグミやコルリからちょっと離れていて、《神戸西洋美術館(※)》の学芸員を勤めている。書類上では、妻鳥画廊の経営責任者となっている。
もっとも、実際の経営と管理はツグミとコルリが共同で請け負っていた。画廊の仕事だけでは生活できないから、ヒナが美術館に勤め、その収入を妻鳥家の主な財源としていた。
そのヒナだが、今はフランスにいる。もちろん仕事のためだ。世界中の美術館や美術品を持っている富豪が催すイベントやパーティに出席するのもヒナの仕事だった。ヒナはそういった出張に駆り出される確率が異様に高かった。それだけに、ヒナは美人で語学に長けているというわけだった。
ヒナがいない日でも、食器を3人分用意しておくのが習慣になっていた。遠い国でも無事でいられますように、という願掛けのつもりだった。
「パリかぁ。ええなあ、ヒナ姉は。仕事で色んな国に行けて、美術館に招待されて……。私も1度ルーブルに行ったみたいわ」
コルリが顔にうっとり憧れを浮かべた。
「仕事なんやから。でも、今回の出張は個人コレクターのところって言ってなかった?」
ツグミは記憶を辿りながら訂正した。でも、どんなところだろう、と空想する。フランスのコレクターといったら、お城住いくらい普通だ。
その時、電話が鳴った。噂をすれば何とかだ。ツグミとコルリが、あっと顔を合わせた。
「私が出る」
ツグミが室内用の杖を手に取った。電話は画廊に1台きりしかない。
「ツグミは座っとき。あたしが出る」
コルリは席を立とうとするが、口をもごもごと押える。ちょうどハンバーグとご飯を口に入れたところだった。
「ほらルリお姉ちゃん、こぼれとお」
ツグミは1度コルリを振り返って、口元を指した。コルリは口元を押えて席に戻り、コップの牛乳をごくっと飲んだ。
台所を出ると、細長い廊下が画廊と挟まれるように横に伸びていた。廊下の隅っこに、新聞紙が敷かれ、靴が並べて置かれている。その次の引き戸を開けると、そこが画廊だった。画廊側から見ると、引き戸は壁と同じ白に統一されて、ちょっと目立たないようになっていた。
電話棚は廊下のすぐ側にあった。ツグミは廊下から足を投げ出すように腰を下ろし、受話器に手を伸ばした。廊下のところが上がり口になっていて、そこが画廊と居住空間の境目だった。
「妻鳥です」
営業時間を過ぎると、「画廊」の2文字は外す。今はプライベートな時間だった。
「お、ツグミやね。オハヨウゴザイマス。お姉さんやで」
電話の声は妙に遠かったが、ヒナの声は明るかった。なぜか「オハヨウゴザイマス」がフランス語発音だった。
「ヒナお姉ちゃん。ルリお姉ちゃん、ヒナお姉ちゃんやで」
ツグミは受話器から口を外し、台所を振り返って声を上げた。コルリが牛乳髭を拭いながらツグミの側にやってきて、上り口に座り、受話器に反対側から耳を当てた。
「今どうしとった?」
ヒナは周囲が騒がしいらしく、声を張り上げた。
「今、ご飯食べてたところ。今日はハンバーグやで」
ツグミは気分が舞い上がって、声のトーンを高くした。
「ええ! 私の分、ないん?」
ヒナが残念そうな声を上げた。
「ないよ。それで、ヒナお姉ちゃん、どうしたん?」
ツグミは笑いを堪えて肩を揺らした。そうしながら、話題を切り替える。
「ああ、そうそう。いま空港やねん。これから飛行機乗るところ。そっちの時間で、明日の朝、日本到着や」
電話の声が明るかった。気の張った仕事が終わり、もう少しで一息つける、という時の声だった。
「本当。ルリお姉ちゃん、聞いとった?」
ツグミは受話器を外してコルリに訊ねた。コルリは「聞いてた、聞いてた」と頷く。
「じゃあ、お迎えのほう、よろしく」
「は~い、待ってるよ」
ヒナがちょっとビシッとした調子で言った。ツグミとコルリは、ぴったり声を合わせて返事をした。
※ 神戸西洋美術館 実在しない架空の美術館。物語中の創作。
次回を読む
目次
※ 物語中に登場する美術家、美術作品、美術用語はすべて空想のものです。
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■2015/08/04 (Tue)
創作小説■
第2章 聖なる乙女
前回を読む
1
若者はゆっくりと目を覚ました。視界はぼんやり霞んでいたが、光が辺りを漂うのを感じた。しかしそこが安全な場所という確信があった。ぬくもりは穏やかで、馴染みのある空気が辺りを包んでいた。我が家だ。老ドルイド僧
「目覚めたか」
×××
「ここは?」
老ドルイド僧
「お前さんの家じゃ」
×××
「何日目ですか」
老ドルイド僧
「4日だ。よくぞ戻ってきた。死神が側をうろつくのを2度見たぞ」
×××
「あなたも無事でしたか」
老ドルイド僧
「わしもバン・シーの女に助けられたのじゃ。助けられたのはわしとお前さんだけじゃ。おかげで、こうして生き恥をさらしておる」
×××
「バン・シーはどこに?」
老ドルイド僧
「もう去った。今は眠れ。お前の傷は深い」
×××
「…………」
若者は言われるままに目を閉じた。
さらに3日ほど過ぎて、若者は体を起こすようになった。まだ全身の傷は生々しく残っている。しかし眠っているわけにはいかなかった。それに完全ではないものの、すでに体には活力が戻っていた。
族長の屋敷には、親族の者達が集まってきていた。若者は広間の椅子に座る。若者の前に、老ドルイド僧が杖に寄りかかるように立ち、呪文を唱えている。
やがて老ドルイド僧の呪文が終わった。
老ドルイド僧
「やはり、そなたの体内から名前が失われておる。どんなに深く探っても、名前が見付からない。魔物に奪われたのじゃ」
老ドルイド僧が、ふらりと崩れるように椅子に座る。足を負傷しているのだ。
×××
「取り返すことはできますか」
老ドルイド僧
「一度奪われた名前は永久に取り戻せん。名前を奪った魔物を倒しても、その名前はすでにお前のものじゃない。それにあの魔物は強力じゃ。名前のないお前が同じように戦いを臨んでも、無様に破れるだけじゃ。……お前は、まだ自分の名前を覚えておるか?」
×××
「……おぼろげながら」
老ドルイド僧
「そうじゃろう。だが“もはや自分のものではない”という感じじゃ。そのうち忘れてしまうじゃろう。間もなくこの村の者達も、お前を忘れてしまうじゃろう。お前自身も自分が何者かわからなくなり、やがて流浪の者となって人里を離れ、幽鬼と成り果てるのじゃ。大パンテオンを目指すがよい。そこで新しい名前を授かるのじゃ」
×××
「村を守る使命は、道半ばでした。こんなところで終わるなんて……」
老ドルイド僧
「お前が支払った苦労は無駄じゃない。村に大きな礎を残した。後を継ぐ者がおるじゃろう。わしはお前の共として従いていってやりたいが、この脚じゃ。ここから動けぬ」
×××
「○○○、おりますか」
ミルディの従兄弟
「ここにおります」
×××
「私はすでにこの村の者ではありません。旅立ちます。長の役目はあなたが引き継いでください」
ミルディの従兄弟
「旅立ちはいつ?」
×××
「明日。明日の朝、この村を去ります」
ミルディの従兄弟
「どうかご無事で。かつてと同じ者として戻ってくるのを待っております」
次回を読む
目次
■2015/08/03 (Mon)
創作小説■
第1章 隻脚の美術鑑定士
前回を読む
10
確かに妻鳥画廊では売れない。川村の絵は、光太の絵のついでにするような値段にはできない。そんな売り方をすると絵に失礼とすら思えてしまう。妻鳥画廊もそこそこに歴史が長いから、神戸市内の美術商や骨董商といった人たちと繋がりはあった。それに、店を持たない『ふろしき画商』といった人たちもいる。そういう人たちに預けるほうが賢い選択かもしれない。
「そうやねぇ……」
ツグミは溜息でも吐くように、ぼんやり言った。
正直なところ、あの絵は他人任せにしたくなかった。売れてほしいけど、自分の目が届かないところで、知らない誰かの手に渡るのが嫌という気がしていた。
もっといえば……自分で所有したいという欲望が心のどこかで芽生えつつあった。いっそ売れたと嘘をついて、川村に次々と絵を描かせて、それを全部自分がコレクションしてしまえば……。
ツグミは自分の考えを否定した。それは良心に反するし、そもそもそんな財力はない。
じゃあ、どうすれば……。美術鑑定を依頼してくれるお金持ちのおじさん達の顔が浮かんだ。でも、あの人たちは買ってくれないだろう。金持ちが欲しいのは「いい絵」ではなく「有名で高額な絵」だからだ。
ツグミは答えのない考えから逃れようと、テレビに目を向けた。契約書類と食器棚に挟まれた部屋の角に、年代物のブラウン管が光を放っていた。書類整理の邪魔になるから音量を絞っていた。
テレビは面白くとも何ともないニュースが流れていた。そろそろ6時半のアニメが始まる時間だ。チャンネルを変えようかな。
と手を伸ばしかけところで、ふと目がつくものがあった。
どこかの豪邸に、特捜部が家宅捜索に入った場面が映し出されていた。黒い服を来た人たちが次々と箱を持って出てくる。まるで突然の引越しでも始めるみたいな様子だった。
ツグミが気になったのは、積み出し品の中にある、黒いファスナー・ケースに包まれた板状のものだった。
「ねえ、ルリお姉ちゃん。あれ、絵ちゃう?」
ツグミはブラウン管の映像を指さした。ちょうどコルリは、フライパンにハンバーグを入れて、椅子に座って一息つこうとしたところだった。
「ん? そおやね。うん、絵やな。大きさは、100号。イルカのラッセンかな?(※1)」
コルリは疲れたように椅子に深く座りつつ、ちらと映ったファスナー・ケースを目測した。
コルリは大阪の学校へ通い、授業が終わればバイトか、撮影で遠出したりしていた。体力はかなりあるほうだけど、この時間はさすがに疲れた顔をする。
家宅捜索の場面は数秒で終わり、別のニュースに変わってしまった。
「6時半や。アニメ見よ」
コルリがもう興味をなくしたみたいに言った。
「うん」
ツグミが手を伸ばし、画面下のボタンをパチッと押した。リモコンは狭い部屋で使う機会がなく、テレビの上で薄く埃を被りつつあった。
ちょうど6時半。竹内順子(※2)の凛々しい声が聞こえてきた。
※1 クリスチャン・ラッセン 1956年生まれ。アメリカ出身。海を題材にすることが多く、日本では手に入りやすいシルクスクリーンで有名。
※2 竹内順子 1972年生まれ。少女役、少年役と演技幅は広い。ちなみにこのシーンに登場したアニメは、《スタジオひえろ》というアニメーション会社が制作した作品で、忍者の長を目指す少年が、悪の忍者軍団と戦うというストーリーだ。ただし『NARUTO』ではない空想の作品。
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※ 物語中に登場する美術家、美術作品、美術用語はすべて空想のものです。
■2015/08/02 (Sun)
創作小説■
第1章 最果ての国
前回を読む
9
ミルディを奇妙な心地が包んでいた。猛烈な気怠さに屈してしまいそうだったけど、ミルディは薄く目を開けた。
視界が暗く閉ざされていた。寒々とした冷気が、辺りで渦を巻いていた。おどろおどろしい陰気さが包んでいた。
耳の側に、カチャ、カチャと軽い音が近付くのを感じた。
ミルディが顔を上げる。そこにいたのは、古いローブを身にまとった何者かだった。その者の体を、ずっと視線で追っていくと、髑髏の頭に辿り着いた。
いうまでもなく、地獄の死者、死の御使いだった。
ミルディ
「己を迎えに来たのか……」
死の御使いはミルディの前で足を止めて、じっと見下ろした。眼球を失った髑髏の穴が、じっとミルディを見詰めていた。体がひどく冷たく感じた。
死神
「お前じゃない。イーヴォール……イーヴォール……どこだ? イーヴォール……」
死の御使いは、女の名前を呼びながら、ミルディの側を通り抜けていった。
ミルディはふっと安堵に包まれた。
すると、体が何者かに掴み上げられた感覚があった。奇妙な浮遊感がしばし体を包んでいた。
唐突に、世界は色彩を帯び始めた。草原がゆるやかに波を打ち、黄昏が落ちる様がくっきりと浮かんだ。
体が不安定に揺れていた。太陽のぬくもりを感じた。
馬に乗っているのだ。誰かに馬の背に乗せられて、草原を進んでいるのだ。
バン・シー
「眠っていろ。まだ休息が必要だ」
あの洞窟で見た、女の顔だった。
どうやらこの者が闇の世界に連れて行くつもりらしい。ミルディはかすかに微笑みを浮かべて、意識が暗転するのに身を委ねた。
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目次
■2015/08/01 (Sat)
創作小説■
第1章 隻脚の美術鑑定士
前回を読む
9
6時になって、夕食の準備が始まった。コルリが台所に立ち、フライパンで刻んだ玉葱を炒める。テーブルには挽肉が用意されていた。今夜はハンバーグだ。ツグミはテーブルに着いて、契約書をファイルに収め、家計簿をつけていた。
今日の収入11万円。それに、コルリが夕食のために買ってきた食材を書き込む。厳しいのは相変わらずだけど、11万円の臨時収入のお蔭で、今月はある程度の余裕が出そうだった。
ツグミが台所に立つ機会は滅多にない。片足ではできる仕事も限られているから、料理はいつもコルリに任せ切りだった。そのせいでツグミは料理が不得手で、1人きりの時はパンとかお茶漬けとかで済ませてしまう。家庭でのツグミの仕事は、専らお金の管理だった。
台所は画廊の奥、廊下を挟んだ向こう側にある。調理場から湿気が少しでも画廊に漏れてはいけないから、画廊と台所にはそれぞれ引き戸が設置され、料理中から食事が終わるまで、換気扇と除湿機を稼動し続ける。
そもそも敷地面積が狭い上に、画廊にスペースを割いているから、台所はすこぶる狭い。4人掛けテーブルを置いただけで一杯一杯の空間で、椅子を引かないと、その後ろを通行する余地すらない。
それに、食器や鍋ばかりでもなく、事務所も兼ねているので廊下側の壁には契約書類他を満載にした棚があった。全ての壁が棚に覆われて、ひどく閉塞感のある部屋だった。
ツグミは家計簿を書き終え、ファイルを開き川村の書いた契約書を見た。1つ前の契約書の日付を見ると、2年以上前だった。まだ中学生で、ミスばっかりしてたな……とぼんやりと思い出した。
絵を置いて欲しい、という人はごく稀だが、たまにやってくる。しかし、無名の絵描きの作品が売れる可能性は絶望的に低い。そもそも、週に数人のお客さんがやっとという妻鳥画廊で、絵が売れること自体が奇跡みたいな話だった。
光太の絵を目当てにやってくるお客さんに、“ついで”みたいにお勧めしたら時々、買ってくれる人がいるみたいな具合だった。
そういえば、とツグミは思った。この頃は特に絵を見るわけでもないのに、ふらっとやってきて話だけをして帰る男性のお客さんがぽつぽつと増えたような気がする。あれはいったい何なんだろう? どうせ暇な画廊だし、お客さんを無下にするわけには行かないからお茶を出して応対するのだけど、あの人たちの目的は何なのだろう。もっとも、川村もそんな男性客の1人だったのだけど。
ツグミは頬杖をして、ぽかんと宙を見上げた。連想が川村に及ぶと、それまでの思考は消えて頭の中が川村に占領されてしまった。川村の顔や声が、何度も頭の中でリピートされる。
「川村さんのこと、思い出しとん?」
唐突にコルリが声を掛けてきた。
振り向くと、コルリがボウルに手を突っ込み、挽肉と玉葱を混ぜて捏ねているところだった。
「違うよ! ルリお姉ちゃん、からかわんといて」
ツグミは図星を突かれた動揺をごまかすように、声を高くした。
コルリがちょっと顔を上げて、軽く微笑み、また視線をボウルに戻した。
「そんな恥ずかしがらんでええんやで。ツグミだって男の子のことが気になる年頃やろ。それに、川村さんやったら、私はOKやで。男前やし、静かで誠実そうやし、腕もいいし……」
コルリからからかい調子が消えて、穏やかに諭すような感じになった。
「ルリお姉ちゃんが何度もからかうからやん」
ツグミは頬杖をつきながら、拗ねた子供のように頬を膨らませた。
「ごめんな、ツグミ。で、あの絵、どうするん? 知り合いの画商さんに預ける? ここに置いとっても埋れるだけやで。あれだけの絵、ここで腐らせたらあかんやろ」
コルリは捏ねた挽肉の形を整え、種を作った。コルリの話は真面目なものに移ろうとしていた。
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※ 物語中に登場する美術家、美術作品、美術用語はすべて空想のものです。