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■2015/08/25 (Tue)
創作小説■
第2章 贋作疑惑
前回を読む
10
「たっだいま~」コルリがガラス戸を開けて、疲れた声で誰となしに挨拶をする。ツグミもコルリに続いて画廊に入ると、壁の時計を確かめた。もう6時を過ぎていた。
曇りの日は夜が早く訪れる。画廊の中は薄く闇が漂い、冷たい夜の沈黙に満たされていた。
ツグミとコルリは、画廊の明かりを点けず、円テーブルの椅子に座った。ツグミはぐたっと円テーブルに突っ伏して、溜め息をこぼした。コルリは「うわぁ」と大袈裟な溜め息を漏らしつつ、背もたれに体を預ける。
さんざん探して収穫なし。電話番号だけではなく、住所も実在しない場所だった。
ツグミは自分の腕を枕にして、首を傾け川村の絵を見詰めた。
川村の絵は暗い。暗くなりかけた部屋の中で見ると、絵の中の闇はより影を濃くする。その一方で、窓から射し込む光は、本当の陽光のように際立って輝いた。
「これ、私が買ったら、あかんかな?」
そう口にしたときには、ツグミは半ば決心していた。
コルリが振り返ってツグミを見た。大袈裟な溜め息を吐く。それが、「呆れた」と言っているように聞こえた。
「あかんで、ツグミ」
完全な否定だった。
「何で」
ツグミもコルリを振り返った。喧嘩になりそうな雰囲気だった。
コルリはツグミの前に椅子を寄せて、顔をできるかぎり近付けてきた。
「いいか、ツグミ。画商が絵描きに金払うのは仁義や。画商はできるだけ多くの人に絵描きの存在を知らせる役目がある。それを自分の満足だけに描かせたり、所有したりしたらあかんのや。絵に淫するな、画家ために力を尽くせ。お父さん、いつも言っとったやろ」
コルリは静かな口調の中に、厳しさを込めていた。
正論だった。それをまっすぐ目を見て言われ、ツグミはうなだれた。自分の言葉が恥ずかしくなって、泣いてしまいそうだった。
コルリはそんなツグミに、優しく肩を叩いた。ツグミはうなだれたまま、小さく頷いた。
それからコルリは、気分を変えるように立ち上がった。
「さっ、この絵は片付けようか。絵描きの連絡先がわからんまま売ったら、問題になるわ。ツグミ」
コルリの声にさっきまでの深刻なものはなく、さっぱりと明るいものに変わっていた。
ツグミはまだ落ち込む気持ちを引き摺るようにして、立ち上がった。
川村の絵は黒いファスナー・ケースに入れられ、2階の物置に運ばれた。物置はもともと美術品の保管庫だった場所で、照明は100ルクスまで、備え付けの除湿機で湿度が50から60パーセントの間に調整されるようになっていた。
物置の入口には南京錠。どこにでもある品だけど、防犯アイテムとしては今でも有効だった。
今は思い出の品や、季節物の衣類で雑然としてしまっているが、本来の保管庫としての機能は失われていなかった。
ツグミは物置に絵をしまう前に、名残惜しく川村の絵をファスナー・ケースの上から撫でてみた。当り前だけど、ぬくもりなど一切ない。合成繊維のつるりとした無機質の感触だけだった。
「すぐに表に出せるよね」
ツグミは悲しい声で別れを告げると、物置を後にした。
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目次
※ 物語中に登場する美術家、美術作品、美術用語はすべて空想のものです。
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■2015/08/24 (Mon)
創作小説■
第2章 聖なる乙女
前回を読む
11
翌朝。街道の外れで、オークとソフィーが2人きりで向き合っていた。オークは旅装束に身を包み、パンテオンのしるしの入った上着を身につけていた。
ソフィー
「本当に名残惜しいです。お会いできてほんの数日だというのに」
オーク
「そうですね。私もあなたには親しみを感じます。他人である気がしません」
ソフィー
「急いでいるのはわかります。でも、もう1日くらい……。お体の疲れもまだ取れていないというのに」
オーク
「急ぐのです。里に多くの人を待たせていますから。寄り道もしましたし」
ソフィー
「私のせい?」
オーク
「いいえ、まさか」
2人は笑った。
オーク
「あなたには感謝しています。あなたは私に素晴らしい名前を与えてくれました。新しい名前は、まるで母から授かった名前のように、この身に結びついているように感じられます」
ソフィー
「そうですか。気持ちを込めましたから。私からあなたに贈れる、唯一のものです」
オーク
「ありがたく頂戴します。……最後に教えていただけませんか。あなたは本当にコリオソリテース族の里を訪ねたのですか? いったいどこで子供の名前を知ったのですか」
ソフィー
「それはいつか再び逢えた時にお話ししましょう。その時に、きっと……」
オーク
「そうですね。必ず逢いましょう。それでは行って参ります」
ソフィー
「行ってらっしゃい」
オークはソフィーと別れた。果てなき草原を、1人で歩いて行く。
ソフィーは、オークの背中を見ながら、密かな涙を浮かべた。しかし悟られぬように、涙に濡れる頬を隠し、オークを見送る。その背中が地平線のはるか向こうに消えて見えなくなっても、ソフィーはずっと見詰め続けていた。
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■2015/08/23 (Sun)
創作小説■
第2章 贋作疑惑
前回を読む
9
その後もしばらく歩くが、住所に書いている場所はどうしても見つけられなかった。気付けば、同じ場所をぐるぐる回り始めていた。ツグミは途方に暮れる気持で足を止めて、メモに書いた住所を確かめた。コルリは何か探すように辺りの建物を見回していた。地図と住所を確認すると、近くまで来たという実感はあるのだけど、探している番地はどうしても見付からなかったし、《川村》の表札も見付からなかった。
「あかん。見つからへんわ」
ツグミは疲労を滲ませながら辺りを見回した。
四つ辻だった。どの方向も一度は通ったはずだった。いずれの方向もハズレだった。
ふと、手前の家からおばさんが出てきた。50に近いくらいの年齢で、薄くなりかけた髪にパーマを当てて紫に染めていた。厚手のコートを羽織、トートバックを肩に提げていた。
コルリはすぐにおばさんのところに駆け寄った。
「おばさん、ちょっとすみません。住所を聞きたいんですけど」
コルリがおばさんを引き止めて、ツグミを手招きした。ツグミは急いでコルリの側に進み、住所を書いたメモを見せた。
「知らないわねえ。こんな番地、あるんやろうか?」
おばさんは、難しく考えるふうにして首をかしげた。
ツグミはコルリと顔を見合わせた。コルリの顔に、「まさか」という思いが浮かんでいた。
「じゃあ、この、こういう人は知りませんか?」
コルリはベストのポケットから写真をすっと1枚引っ張り出し、おばさんの前に差し出した。
おばさんは目が悪いらしく、体を折り曲げて写真をじっと覗き込むようにした。
ツグミもえっと写真に喰い付き、写真とコルリを交互に見た。
川村の写真だった。画廊を訪ねた時のやつだ、と即座に気付いた。カメラに気付き、振り向く瞬間。しかしその顔に動揺はなく、カメラを真直ぐに見詰め返していた。あたかも、ちゃんとしつらえたスタジオで撮影されたみたいだった。写真はナダール(※)の肖像写真風に色が抜かれ、デジタル上で拡大と切抜きを行ったせいか、ちょっと粒子が荒い感じになっていた。
「知らないわねえ。見たことないわ」
やはりおばさんは首を振った。ツグミとコルリは、おばさんにお礼を告げて別れた。
「あかんわ。帰ろうっか、ツグミ」
コルリは川村の写真をポケットに戻そうとした。ツグミはその手を、がっと掴んだ。
「それ、いつ作ったん?」
じっとコルリを見詰めて、できもしないけど声にドスを利かせてみた。
「昨日。……欲しいでしょ?」
コルリがにやっといやらしく微笑んだ。
何だか見透かされているようで恥ずかしかったけど、こくっと頷いた。
※ ガスパール=フェリックス・トゥールナション 1820~1920年。フランスの写真家。「ナダール」は通り名。肖像写真家として非常に有名で、この時代のよく取り上げられる有名人写真はほとんどがこの人の作品。
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※ 物語中に登場する美術家、美術作品、美術用語はすべて空想のものです。
■2015/08/22 (Sat)
創作小説■
第2章 聖なる乙女
前回を読む
10
日が暮れて、夜の空に月が浮かぶ。パンテオンの寺院もその頃になると、誰もが寝静まって、辺りにはしんとした静寂が包んだ。ゆるやかな風に、木の葉がひそやかに囁くだけである。そんな静けさの中に、ソフィーはひとりきりで山中の参道に佇み、月の明かりを浴びていた。
そこに誰かが現れた。ソフィーが振り返る。
ソフィー
「――老師様」
老師
「何をしておる。夜風は身体によくない。パンテオンにも悪い妖精が現れる時刻だ」
ソフィー
「…………」
老師
「今日のこと、わけを話してくれるかな。あの旅人のことも」
ソフィー
「はい。でも私自身、よくわからないのです。あれがいったいどんな意味を持っているのか……」
老師
「物事にはどんなものにも意味がある。そなたは正しいと思う選択を選んだのであろう」
ソフィー
「はい。しかし断片は見えても、真実を見通せるわけでありません。もしも悪い囁きに唆されているのだとすれば、私はどうすれば……」
老師
「物事は簡単ではない。悪いことばかり続くように思えても、結果がよくなることはあるし、良いできごとが悪い結果を生み出すこともある。些事に捕らわれていては大事は決められん。それに、わしにはあの若者が悪をなすようには見えんよ」
ソフィー
「私に未来を見通す力はありません。もし見通せても、運命をとどめる力はやはり私にはありません。でもあの人に感じているのは、今までに経験のない運命の力です。とても不思議で、胸が痛めつけられるような、苦しい感覚なのです」
老師
「ソフィー……お前、あの若者に惹かれておるのか……?」
ソフィー
「そそんな老師様! 私は……」
老師
「良いんだよ。ドルイドは恋を禁じていない。それも人の道だ。そなたが正しいと思う道を進みなさい。そなたの心が思うままに」
ソフィー
「……老師様。……私、恐いです」
ソフィーは不安を顔に浮かべて、幼い女の子のように老師の身体に縋り付いた。老師は優しくその背に手を回す。
老師
「ソフィー、娘のように想っているよ」
ソフィー
「はい。老師様」
風が密やかに囁き、草や木が静かに語り出す夜。妖精達に見守られるのは不安に怯える子供であり、恋にときめかす乙女の不安であった。
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■2015/08/21 (Fri)
創作小説■
第2章 贋作疑惑
前回を読む
8
ツグミとコルリは電車に乗って、契約書の住所に近い駅で降りた。降りた場所は海岸に近い街で、風に潮の香りが混じった。道はきちんと整備されて、背の高い集合住宅が視界の広がりを遮っていた。今日は天気が悪いせいか、住宅街に人影は少なかった。風の唸りは、次第に力を強めていく。雨が降りそうな雰囲気だった。コルリはそんな風景も面白いらしく、何か見つけるたびにアジェしながら(※)歩いていた。
ツグミは地図と住所を写したメモを片手に、川村の住いを探した。電柱に貼られている住所プレートを見る限り、近くまで来たという感じはあるけど、なかなか住所の場所を見つけられなかった。
そろそろ画廊を出てから1時間が過ぎようとしている。始めは期待で胸をドキドキさせていたけど、今はすっかり気持ちが落ち着き、冷静になって目的の場所を探そうとしていた。
「ツグミ。そこを歩きながら、見上げてくれる?」
コルリがちょっと後ろのほうで指示を出した。何か意欲が湧いたらしい。ツグミは溜め息をつきながら、適当な窓を見上げた。
次第に、気持が沈み始めてきた。川村さんにはもう会えない……心の中で、そう決め付けかけていた。
コルリが走り寄ってきた。ツグミは歩きながら、コルリがやってくるのを待った。コルリは長袖のシャツに、黒のベストを着ている。ポケットがたくさんあって便利だから、と男性用を好んで着ていた。ジーンズはもともと青だったが、穿き古して黒くなりかけている。
コルリはオシャレにまったくの無頓着だった。しかし、コルリに野暮ったい感じはなく、むしろ快活な印象があった。ふとすると、それが個性的なファッションとさえ思えてしまう不思議さがあった。
コルリ自身のセンスの良さか、それともズボラの下に隠れた美貌ゆえか……。
美貌、といえば、ちょっと思い当たる事件があった。
1年ほど前、親戚の結婚式で妻鳥家3姉妹が招待を受けた。その時、ヒナの指示でツグミとコルリは、初めて見るようなドレスで身を包み、プロにメイクしてもらった。
その時のコルリの変身ぶりは、驚くべきものがあった。変身ヒロインのドレスアップすら手ぬるい、そう思えるくらいの変わりようだった。式場に入った途端、誰もがコルリを振り向き、溜め息を漏らした。
花嫁にスポットライトが当たらねば、出席者全員がコルリを結婚式の主役だと勘違いしてしまっただろう。それほどにコルリは美しかった。
その後、妻鳥画廊にはかなりの量のラブレターが届いた。しかしコルリ本人は、まるで気にする様子もなく、カメラに夢中な日々を続けている。
とそんなふうに考え、ツグミは自分自身に考えを向けた。そういう自分も、オシャレとは程遠い格好をしていた。これから男の人の家を訪ねるのに、セーラー服なんて……。
「ねえ、ルリお姉ちゃん。私、こんな格好でよかったかのかな?」
コルリが側に来たところで、ツグミは声に不安を滲ませながら尋ねた。
「うん? うんうん、それでええんよ。むしろ、それでいい。いいか、ツグミ。17歳の女の子にとって、セーラー服は最強の武器なんやで」
コルリは元気付けるように明るく言うと、前方を進み始めた。
「え? どういうこと?」
ツグミは釈然としないなと思いつつ、コルリに従いて歩いた。
※ アジェする 「アジェ」とはウジェーヌ・アジェのこと。フランスの写真家で、優れた風景写真を多く残し、「近代写真の父」と賞賛されている。ただし、アジェ自身は画家のための資料写真を撮っているつもりだった。現代でも、アジェふうの風景写真を撮ることを「アジェする」と呼ぶ場合があるらしい。
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※ 物語中に登場する美術家、美術作品、美術用語はすべて空想のものです。