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■2015/09/04 (Fri)
物語中に登場する美術品は、すべて空想上のものです。

第2章 贋作疑惑

前回を読む

15
 その部屋は小さく、壁に設置されたオレンジのピンスポットライトで、部屋の中央に置かれた絵画に光が当てられていた。部屋には余計な装飾はなく、暗がりの中に浮かぶ孤独な光と、イーゼルに掛けられた3枚の絵画だけだった。
 幸いにして、他に人はいなかった。貸し切り状態だ。ツグミはこれ以上ないくらい胸を期待に高鳴らせて、絵画の前に向った。
 1枚目の絵は、習作『羊飼い羊の群れ』を発展的に膨らませた作品だった(※)。左手に木立があり、その木立の根元で、羊飼いの娘が居眠りをしている。
 木立の背後から夕陽の光が注ぎ込み、草原に影が落ちていた。草原には羊の群れが放牧され、主人の代わりに1匹の犬が羊たちを厳しく監視していた。
 農民の静止した日常の瞬間。絵画はその空間とともに、あまりにも静かな瞬間を留めていた。
 しかし、ツグミはその絵の前に来て、期待に膨らんだ胸が急速にしぼんでいくのを感じた。残りの2枚の絵を見ても同じだった。
 勘違いだろうか。ツグミは自分の感覚を疑って、首を捻りつつ、もっとよく絵を見ようと近付いた。
 淡く塗り重ねられた絵具。年代を思わせるひび割れ。いかにももっともらしい。もっともらしいけど、その一方でわざとらしい。掴みどころのない気持ち悪い違和感に捉われるのを感じた。
「ツグミ、ちょっと……」
 突然にヒナが声を上げて、ツグミの腕を掴んだ。
 はっと振り向いた。ヒナが顔を強張らせ、青ざめていた。コルリも異常事態といった感じにツグミを見ていた。それで、ツグミが自分でどんな顔で絵を見ていたのか理解した。
「来なさい」
 ヒナがツグミの腕を掴んだまま、歩き出した。
「待って。待ってヒナお姉ちゃん」
 ヒナの足は早く、ツグミは足がもつれそうだった。右脚と杖を使って、何とかバランスを保つ。でもヒナは少しも待ってくれなかった。

※ ここに取り上げられている作品は、実際には存在しない。物語中の創作。

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※ 物語中に登場する美術家、美術作品、美術用語はすべて空想のものです。

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■2015/09/03 (Thu)
第3章 秘密の里

前回を読む
 屋敷の広間。テーブルの上に、集落周辺の地図を広げる。テーブルの周りに、ステラとオーク、それから村の何人かが集まった。

オーク
「私が指示したのは、地図上のここからここまでです。戦になれば、全ての監視はできません。必要のない部分は切り捨てる必要があります。墓場は守る必要がありません」
ステラ
「お前は、どんな権限でそれを命じておるのだ」
オーク
「あなたに雇われている身です。しかし私の役目は村を守り、犠牲を可能な限り減らすことです。墓場は必要ありません。墓場を打ち捨ててください」
ステラ
「あそこには、この村の礎となった尊き先人たちが眠っている。お前はそれを山賊共に蹂躙されるのを、黙って見ていろと言うのか」
オーク
「やむを得ないでしょう。しかしだからといって、死者の魂が穢されたりはしません」
ステラ
「詭弁だな。闘将よ、ここでは戦だけが全てではない。この村には、守らなければならないものがある。墓場もその1つだ」
オーク
「ならばこの村の秘密を明かしていただきたい。山賊がこんな辺境の隠里を狙う理由はなんですか」
ステラ
「客人よ。軽々に秘密を探るべきではない。明かすべきではない秘密は多くある。余計な探りは入れるな。今のように生き続けたいと思うのならな」
オーク
「…………」
ステラ
「無礼は許そう。今後も戦いの指揮を続けてくれたまえ」

 ステラが一族の者達を連れて部屋を去って行く。1人取り残されるオーク……。


 オークが屋敷を出る。斜面を降りていき、仕事の様子を見ようとする。
 すると、どこからか視線を感じた。仕事を続ける村人の何人かが、オークを監視するように見ている。
 オークは再び墓場のほうへ進む。墓場全体を囲むように柵が作られている。オークは坂道を降りていき、墓場へと入っていく。すると、墓場の只中、小さく作られた木立の中に、何かがあるのに気付く。石造りの建造物だ。それが、木々に隠されるように立っている。

村人
「アンタ!」

 オークがはっと振り向く。村の男が山刀を手に立っていた。

村人
「すまないが、こっちに来てくれないか。仕事を見てもらいたいんだ」
オーク
「……ああ。行きます」

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■2015/09/02 (Wed)
物語中に登場する美術品は、すべて空想上のものです。

第2章 贋作疑惑

前回を読む

14
 美術館の二階に来ると、一転して余計な装飾品は消えて、シンプルな白い空間が現れた。部屋は広くなり、作品点数も一気に増えた。
 まず現れたのは、ミレーの信奉者であるゴッホや浅井忠、黒田清輝たちである。いずれも画家として有名だが、ミレーの物真似作品は微笑ましいと評するしかない。
 ゴッホなどは『種まく人』の模写に、日本の梅の木を描きこんでしまっている。ここまで来れば、シュールレアリスムだ。
 次の部屋はバルビゾン派画家の農民画以外の作品だ。
 ミレーが描いた肖像画やヌード画、普通の風景画といった作品だ。ミレーにしても、ある日いきなり農民画家として生まれたわけではない。その以前は通俗的な画家として長い下積みの時代があったのだ。
 ミレーの転機は、意外にも戦争だった。1848年にパリで起きた《二月革命》(※)。ミレーはこの騒乱から逃れて、バルビゾン村に疎開したのだ。
 その以前からバルビゾン村やフォンテーヌブローの森をスケッチに訪ねる画家はいたものの、絵画の中心的テーマに採り上げられた切掛けは戦争だった。こうして、《バルビゾン派》や《農民画》と呼ばれるジャンルが生まれたわけである。
 次の部屋はバルコニーに面した広い部屋だった。多くのスケッチや習作がイーゼルに掛けて飾られた。
 ここまでくると、もう人だかりはいなかった。ほとんどの人はスケッチやデッサンに興味はなく、素通りしてしまっていた。残って真剣に見ているのは、美大生っぽい若い人たちだけだった。
 実際のところ、天才のスケッチほど興味深いものはない。いわば傑作の製作過程であり、設計図に相当するものだ。完成品と同じくらいスケッチはじっくり見るべきものだ。
 広い部屋をいくつか潜り抜けて、残る部屋数はあと一つになった。
「ねえ、ヒナお姉ちゃん、次がもしかして……」
 ツグミは部屋の構成から、次に来る絵が何であるかを察した。
 ヒナが頷いた。
「最後のお楽しみやで」
 ヒナが思わせぶりに微笑して、ウィンクした。
 いよいよヒナがフランスの屋敷で手に入れた、初公開となるミレー作品だ。ツグミは期待に胸を高鳴らせて、次の部屋に向った。

※ 二月革命 1830年に即位したルイ・フィリップがブルジョワ階級寄りの政策を採ったために、労働者階級が不満を起こし、過激な政治運動が始まった。これによって1848年2月、フランスに革命が勃発し、旧体制が崩壊した。

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※ 物語中に登場する美術家、美術作品、美術用語はすべて空想のものです。

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■2015/09/01 (Tue)
第3章 秘密の里

前回を読む
 村の改造が始まった。村の男達を動員して、周辺の森から木を伐り、これで高い柵を作る。同時に、堀を作る作業も始めた。女達には盾と矢を作らせる。
 オークは手の空いた若い者に、剣や弓矢の扱い方を教える。若者達には活気があり、戦いの経験はなかったものの勘の良さがあり、ほんの数回の鍛錬で実力を身につけていった。
 村の人達は森の素材を加工する技術に長けている。小さな村で人員も少なかったが、高い組織力と運動能力を見せつけた。
 オークの村改造計画が始まってわずか3日。村は瞬く間に要塞のごとく形を変えていく。村は様相を変えながら、にわかに活気づきはじめていた。

ステラ
「順調のようだな」
オーク
「ええ。働き者ばかりです。鍬や鋤を振るっていただけとは思えない速力です。弓矢の達人も多いようですね」
ステラ
「弓術は子供の頃から習っておる者が多い。もちろん、獣を狩るだけが目的ではないぞ」
オーク
「秘密がありそうな村ですね。……戦いが始まるまでは美しい村だった。戦のたびに、美しい風景が崩される」
ステラ
「戦の爪跡は長く残る。災禍が去った後も、人の心が忘れまいと痕跡を残そうとする」
オーク
「山賊達はこの村を狙っています。こちらの動きにはすぐに気付かれるでしょう。村の備蓄は?」
ステラ
「何度も計算した。短めに見積もって2ヶ月だ」
オーク
「守る戦いは長期戦になりやすい。戦が始まれば生産は止まります。矢の数も充分ではありません。近隣の村や集落に呼びかけて、協力を要請しましょう。こういう時は連帯が大切です。山賊の被害に遭っているのはこの村だけではないはずです。呼びかければ、応じるでしょう」
ステラ
「それはならん」
オーク
「なぜ?」
ステラ
「我らがこんな辺境に潜んでおるのは、それなりの理由がある。目立つような振る舞いはできる限り抑えたい。私が所有している財産は、できるかぎり解放しよう。だが、外部の者を招き入れるのはまかりならん。お前のような自分の居場所もわかっていないような迷い人でない限りな」

 ステラが屋敷のほうへ去って行く。
 オークはステラの冷酷さに引っ掛かるものを感じて、その後ろ姿を見送る。
 オークは疑念を打ち捨てて、村の見回りを始める。村は改造計画に活気づいている。みんな休みなく働いている。オークは屋敷が置かれている斜面を登っていき、その向こうの西側を見下ろす。
 すると、墓地を囲むように柵を作っているのが見えた。

オーク
「何をやっている……」

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■2015/08/31 (Mon)
第2章 贋作疑惑

前回を読む

13
 部屋を出ると、幅の広い螺旋階段が現れた。人気がなくなったせいか、空気がすっと涼しくなった。ツグミは今さら息苦しさに気付き、口を大きく開けて、空気を入れ替えた。
「どう、楽しんどお?」
 ヒナは先頭に立ち、階段を昇りながらツグミとコルリを振り返った。
「うん、すっごい楽しい!」
 ツグミとコルリが勢いよく声を合わせた。興奮して、声が上擦ってしまっていた。
 ヒナは嬉しそうに微笑んだ。少し誇らしげに見えた。
「あの展示方法、ヒナお姉ちゃんのアイデアやろ?」
「うん。猛反発喰らったけどな。でもああいう風にすると面白いやろ?」
 ツグミの問いに、ヒナが勝ち誇るような清々しさを浮かべた。ツグミはやっぱり、と明るい気分になって頷いた。ヒナを尊敬する気持がまた少し強くなるように思えた。
「でもヒナ姉、大変やったやろ? これだけの作品、よく集められたよね」
 コルリが感心したふうに、遠ざかりつつある1階を振り返った。
 短期間のうちに日本とフランスを往復して、《ルーブル》や《オルセー》などからレンタルの許可を貰う。数は少ないものの、どれも作家の代表作と呼ばれる絵画だ。保険金だって、下手すれば億単位の額になりかねない。神戸西洋美術館の年間予算はせいぜい数千万円程度だ。どこにそんな力があったのか不思議だった。
「大変やったんやで。体を張った仕事やったわ」
 ヒナは力強く言って、二の腕を見せ付けた。
「ヒナお姉ちゃん……」
 ツグミは心配な顔でヒナを見上げた。
「大丈夫。ツグミが心配するようなことはしてないから。ちゃんと体も大事にしとおよ」
 ヒナはツグミの側にやって来ると、宥めるようにその背中を撫でた。ツグミは気持ちが晴れず、不安な思いでうつむいた。
「さっ、作品はまだまだあるんやで。ここからはプロの案内付きや。あ、でも2人には不要かもね」
 ヒナは声を明るくさせて、先頭に立って階段を昇った。ツグミは気持ちを改めて、上を見上げた。階段の先に、美術館の2階が見えてきた。

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