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■2015/09/24 (Thu)
創作小説■
※ 物語中に登場する美術家、美術作品、美術用語はすべて空想のものです。
前回を読む
すると、闇の中からダークスーツを着た男が現れた。トヨタ・クラウンの運転手に雰囲気が似ていたが、別人だ。
突然ぬっと現れる男に、さすがのコルリも、悲鳴を上げそうになりながら一歩下がった。
男の手許には、紫のビロードに包まれた、一振りのナイフがあった。大男の掌の中で、ナイフは小さく見えたが、少なくとも刃の長さは20センチくらいあった。
「な、何?」
コルリの声が怯えで引き攣っていた。
「贋物だと思う方を切り刻め。それがルールだ」
宮川はさらっと簡単に答えた。
「……もし、間違えたら?」
コルリは宮川を振り返りながら、ごくりと息を飲み込む。コルリの背中で、ツグミも緊張しながら状況を見守っていた。
「弁償してもらう」
宮川はさも当り前というみたいだった。
「そんな! レンブラント作品は葉書サイズでも1億円するんやで。払えるわけないやん。こんなの、できへんわ!」
コルリは動揺した声で抗議した。
「なら、ミレーは返ってこない。安心しろ。ゲームを最後までやり終えたら、正解でも不正解でもミレーは返してやる。ただし間違えた分、金は払ってもらうがな。簡単なルールだろ? 間違えさえしなければ、タダでミレーが返ってくる。こんな都合のいい話、そうそう転がっているものじゃないと思うが?」
宮川の調子は軽やかだったが、どこかで脅しめいたものがあった。それが本業とする者の、肌に染み付いた「脅迫」だ。
「正気ちゃうわ! レンブラントは世界の文化遺産やで。どんな理由があっても、こんな危険なゲームには乗られへん」
コルリは一歩前に踏み出して、さらに抗議した。ツグミはコルリ引っ張られて、その背中に倒れ掛かってしまった。
「私の言葉を理解しなかったのかね? もしゲームに参加しないのなら、ミレーの真画は返ってこない。そうすればどうなる? 明日には美術館に飾られている贋物が科学鑑定に掛けられる。恥を掻くだけじゃ済まないだろうなぁ。これだけメディアを利用した大きな企画展だ。日本中が目を向けている。贋物であると判明したら、今以上の集中攻撃を喰らうだろう。確実に職を失うだろうし、精神的打撃はもっと大きいだろう。そうなるといつまで正気を保っていられるかな。メディアに攻撃された人間が、事件の後ひっそりと自殺して消えていく事例を、私はいくつも知っている」
宮川は嘲るような調子だったけど、しかしはっきりと「脅迫」の色が強くさせていた。
コルリは宮川を真直ぐに睨みつけて、全身を震わせていた。奥歯を噛んで、全身に浮かび上がった怒りが今にもその体から飛び出しそうだった。
だけどコルリは、舌打ちしただけで振り返り、ナイフの前に進んだ。
「わかった。引き受けるわ」
コルリはナイフを手にした。
『贋物には価値はない』
これが美術界における、絶対的なルールだった。
その以前に、どれだけ「素晴らしい」「傑作だ」と称賛されていても、贋物とわかった途端、専門家も一般人も、ころりと態度を変えてしまう。贋物と判定された時点で、どんな美術品も価値はゼロになるのだ。
高名な贋作師メーヘレン(※)も、作品が贋作と判明した途端、それまでの評価が一転してこう弾圧されるようになった。
『贋物だから醜い』
どんな社会においても、一円の価値がない贋物がどう扱われようと、誰も問題にしない。
しかし今は状況が違う。
片方は紛れもない『本物』だ。それも、少なくとも1億円相当の代物だった。
※ ハン・ファン・メーヘレン 1889~1947年。画家を志し、アカデミックな教育を受けたが、時代はすでにキュビスムやフォービズムへ突入していたために、作品はまったく注目されなかった。そこで美術評論家やキュレーターを見返してやろうとフェルメールの贋作を作った。発覚時は「フェルメールの偽物」として徹底的に非難されたが、現在は「メーヘレンの本物」として再評価しようという動きがある。
次回を読む
目次
※ 物語中に登場する美術家、美術作品、美術用語はすべて空想のものです。
第3章 贋作工房
前回を読む
9
宮川がもう一度、指をパチンと鳴らした。すると、闇の中からダークスーツを着た男が現れた。トヨタ・クラウンの運転手に雰囲気が似ていたが、別人だ。
突然ぬっと現れる男に、さすがのコルリも、悲鳴を上げそうになりながら一歩下がった。
男の手許には、紫のビロードに包まれた、一振りのナイフがあった。大男の掌の中で、ナイフは小さく見えたが、少なくとも刃の長さは20センチくらいあった。
「な、何?」
コルリの声が怯えで引き攣っていた。
「贋物だと思う方を切り刻め。それがルールだ」
宮川はさらっと簡単に答えた。
「……もし、間違えたら?」
コルリは宮川を振り返りながら、ごくりと息を飲み込む。コルリの背中で、ツグミも緊張しながら状況を見守っていた。
「弁償してもらう」
宮川はさも当り前というみたいだった。
「そんな! レンブラント作品は葉書サイズでも1億円するんやで。払えるわけないやん。こんなの、できへんわ!」
コルリは動揺した声で抗議した。
「なら、ミレーは返ってこない。安心しろ。ゲームを最後までやり終えたら、正解でも不正解でもミレーは返してやる。ただし間違えた分、金は払ってもらうがな。簡単なルールだろ? 間違えさえしなければ、タダでミレーが返ってくる。こんな都合のいい話、そうそう転がっているものじゃないと思うが?」
宮川の調子は軽やかだったが、どこかで脅しめいたものがあった。それが本業とする者の、肌に染み付いた「脅迫」だ。
「正気ちゃうわ! レンブラントは世界の文化遺産やで。どんな理由があっても、こんな危険なゲームには乗られへん」
コルリは一歩前に踏み出して、さらに抗議した。ツグミはコルリ引っ張られて、その背中に倒れ掛かってしまった。
「私の言葉を理解しなかったのかね? もしゲームに参加しないのなら、ミレーの真画は返ってこない。そうすればどうなる? 明日には美術館に飾られている贋物が科学鑑定に掛けられる。恥を掻くだけじゃ済まないだろうなぁ。これだけメディアを利用した大きな企画展だ。日本中が目を向けている。贋物であると判明したら、今以上の集中攻撃を喰らうだろう。確実に職を失うだろうし、精神的打撃はもっと大きいだろう。そうなるといつまで正気を保っていられるかな。メディアに攻撃された人間が、事件の後ひっそりと自殺して消えていく事例を、私はいくつも知っている」
宮川は嘲るような調子だったけど、しかしはっきりと「脅迫」の色が強くさせていた。
コルリは宮川を真直ぐに睨みつけて、全身を震わせていた。奥歯を噛んで、全身に浮かび上がった怒りが今にもその体から飛び出しそうだった。
だけどコルリは、舌打ちしただけで振り返り、ナイフの前に進んだ。
「わかった。引き受けるわ」
コルリはナイフを手にした。
『贋物には価値はない』
これが美術界における、絶対的なルールだった。
その以前に、どれだけ「素晴らしい」「傑作だ」と称賛されていても、贋物とわかった途端、専門家も一般人も、ころりと態度を変えてしまう。贋物と判定された時点で、どんな美術品も価値はゼロになるのだ。
高名な贋作師メーヘレン(※)も、作品が贋作と判明した途端、それまでの評価が一転してこう弾圧されるようになった。
『贋物だから醜い』
どんな社会においても、一円の価値がない贋物がどう扱われようと、誰も問題にしない。
しかし今は状況が違う。
片方は紛れもない『本物』だ。それも、少なくとも1億円相当の代物だった。
※ ハン・ファン・メーヘレン 1889~1947年。画家を志し、アカデミックな教育を受けたが、時代はすでにキュビスムやフォービズムへ突入していたために、作品はまったく注目されなかった。そこで美術評論家やキュレーターを見返してやろうとフェルメールの贋作を作った。発覚時は「フェルメールの偽物」として徹底的に非難されたが、現在は「メーヘレンの本物」として再評価しようという動きがある。
次回を読む
目次
※ 物語中に登場する美術家、美術作品、美術用語はすべて空想のものです。
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■2015/09/23 (Wed)
創作小説■
第4章 王の宝
前回を読む
3
一度中庭に出る。衛兵が中庭を厳重に警備していた。セシルが現れると、直立不動で敬礼する。セシルとオークは、その向こうの館へと入っていく。幼い少年がおもちゃの剣を持って飛び出してきた。
カイン
「父様!」
セシル
「よし、戻ったぞ」
少年に続いて、美しい貴婦人が姿を現す。貴婦人はセシルを見て顔を明るくするが、オークに気付くとはっとして深く頭を下げる。オークも貴婦人に頭を下げる。
セシル
「私の妻と子供だ。楽にしろ。ローザよ、私はもう少し仕事があるからな」
ローザはセシルに頭を下げて、引き下がった。
セシルは自身の書斎へと案内した。
書斎も質素な印象だった。絵画も調度品もない。机が1つ置かれているだけだった。
セシルが窓から城の様子を眺める。
セシル
「これが今の我が城の現状だ。どう思う」
オーク
「私には何も……」
セシル
「率直に言え」
オーク
「失望しております」
セシル
「ハハッ。正直な男だ。オークよ、国とはなんだと思う。この国には誰も国という意識がない。上は王を王と思う意識はなく、下では民は民だという意識がない。貴族連中は政治をゲームだと思っているし、民にとって王は、理不尽に税を取り立てる厄介な連中でしかない。自由であればこそいいと考えている。だが、自由な世界に規律はない。国や王は、1つの文化や価値意識のもとに民を統率し、守っていくものだ。誰もどこかの民という意識はない。それを統率しなければならない国家とは厄介な仕事だ。貴様はどう思う?」
オーク
「私は……名を失う以前はとある一族の長でした。そこでの務めは、民を守ることでした」
セシル
「私は王子だ。いつか王子であった、と言うようになっているかも知れない。だが今の私はこの国にある。しかし国とは何だ。領土か。民か。財か。……私にはわからんよ」
オーク
「…………」
セシル
「……オーク。貴様の名前はオークで間違いないか」
オーク
「はい」
セシルはしばらく沈黙して、何か考えるふうだった。
それから、紙を1枚取り出し、何かを書き始める。
セシル
「ならばオークよ。私に仕えよ。働きがよければ、正式に私の騎士団に加えよう」
オーク
「なぜですか」
セシル
「疑問で返せとは聞いておらん。応か否か」
オーク
「王子の命令ならば、従います」
セシル
「よし。ならば今すぐに東へ行け。そこに港がある。その守備隊として1週間守り通してみよ」
セシルは書いたものに印を押すと、オークに差し出した。
オーク
「御意」
次回を読む
目次
■2015/09/22 (Tue)
創作小説■
※ 物語中に登場する美術家、美術作品、美術用語はすべて空想のものです。
前回を読む
すると、闇の中で気配が蠢いた。誰かがいる。気配は初めて存在を示し、ちょっと向うの闇を明かりで照らした。
浮かび上がったのは2つのイーゼルと、それに掛けられた絵画だった。絵が置かれた空間だけが、ぽつんと暗闇に浮かび上がった。
ツグミは宮川に目を向けた。宮川は笑みを浮かべて、絵のほうに指をさした。
コルリが絵の前に進んだ。ツグミもコルリの背中に隠れながら一緒に前に進む。
スポットライトで浮かび上がった瞬間から、まさかと思ったけど、近付けば近付くほどに、その思いが強烈になった。
そこに置かれていたのはレンブラント(※1)の油絵だった。
描かれているのは、羽根つきターバンを頭に巻き、黒いマントを身にまとった男だ。男は堂々たる佇まいで、“レンブラント・ライト(※2)”と呼ばれる仄暗い明かりの中に立っていた。
2枚とも同じ絵だった。唯一の違いは、左の絵の足元に描かれたプードルだった。
2枚は全く同じに見えたが、実はそれぞれ呼び名が違った。右の絵は『東洋衣裳の男』と呼ばれ、左の絵は『足元にプードルを伴う東洋衣裳の画家』と呼ばれていた。
「さあ、本物はどっちかね?」
宮川はさっきの位置から動かず、2人の背中に声を掛けた。
コルリは絵の前で腕組をして、フンと鼻を鳴らした。
「簡単やん。舐められたもんやわ。右のプードルのいないほうは、レンブラント工房作品。左のプードル付きがレンブラント本人の作品。だから、贋物は右や」
レンブラントは工房を構え、多くの弟子に自分の絵を模写させていた。
17世紀当時では珍しい事例ではなかった。現在のような印刷技術がなかった当時、「同じ絵柄が欲しい」という客の希望に対して、唯一可能な量産手段が弟子による模写だった。
しかもレンブラントは、当時、随一の人気作家だ。注文数があまりにも多く、1人で捌きることができず、そのために多くの弟子を動員して仕事に当たっていた。
レンブラント工房の制作プロセスでは、まず弟子が描き、最後にレンブラントが仕上げを施す。こうして作品は「工房作品」と発表された。
これが、現代の鑑定家が「レンブラント作品か工房作品か」と悩ます大きな原因となっている。
※1 レンブラント・ファン・レイン 1606~1669年。17世紀のオランダを代表する画家。集合肖像画、宗教画、自画像で優れた傑作を多く残す。強烈なコントラストを用いたために、「光の魔術師」と称される。
※2 レンブラントが多用した光表現。現在でも斜め45度から強い光を当てる技法をレンブラントライトと呼んでいる。
次回を読む
目次
※ 物語中に登場する美術家、美術作品、美術用語はすべて空想のものです。
第3章 贋作工房
前回を読む
8
宮川は指をパチンと鳴らした。すると、闇の中で気配が蠢いた。誰かがいる。気配は初めて存在を示し、ちょっと向うの闇を明かりで照らした。
浮かび上がったのは2つのイーゼルと、それに掛けられた絵画だった。絵が置かれた空間だけが、ぽつんと暗闇に浮かび上がった。
ツグミは宮川に目を向けた。宮川は笑みを浮かべて、絵のほうに指をさした。
コルリが絵の前に進んだ。ツグミもコルリの背中に隠れながら一緒に前に進む。
スポットライトで浮かび上がった瞬間から、まさかと思ったけど、近付けば近付くほどに、その思いが強烈になった。
そこに置かれていたのはレンブラント(※1)の油絵だった。
描かれているのは、羽根つきターバンを頭に巻き、黒いマントを身にまとった男だ。男は堂々たる佇まいで、“レンブラント・ライト(※2)”と呼ばれる仄暗い明かりの中に立っていた。
2枚とも同じ絵だった。唯一の違いは、左の絵の足元に描かれたプードルだった。
2枚は全く同じに見えたが、実はそれぞれ呼び名が違った。右の絵は『東洋衣裳の男』と呼ばれ、左の絵は『足元にプードルを伴う東洋衣裳の画家』と呼ばれていた。
「さあ、本物はどっちかね?」
宮川はさっきの位置から動かず、2人の背中に声を掛けた。
コルリは絵の前で腕組をして、フンと鼻を鳴らした。
「簡単やん。舐められたもんやわ。右のプードルのいないほうは、レンブラント工房作品。左のプードル付きがレンブラント本人の作品。だから、贋物は右や」
レンブラントは工房を構え、多くの弟子に自分の絵を模写させていた。
17世紀当時では珍しい事例ではなかった。現在のような印刷技術がなかった当時、「同じ絵柄が欲しい」という客の希望に対して、唯一可能な量産手段が弟子による模写だった。
しかもレンブラントは、当時、随一の人気作家だ。注文数があまりにも多く、1人で捌きることができず、そのために多くの弟子を動員して仕事に当たっていた。
レンブラント工房の制作プロセスでは、まず弟子が描き、最後にレンブラントが仕上げを施す。こうして作品は「工房作品」と発表された。
これが、現代の鑑定家が「レンブラント作品か工房作品か」と悩ます大きな原因となっている。
※1 レンブラント・ファン・レイン 1606~1669年。17世紀のオランダを代表する画家。集合肖像画、宗教画、自画像で優れた傑作を多く残す。強烈なコントラストを用いたために、「光の魔術師」と称される。
※2 レンブラントが多用した光表現。現在でも斜め45度から強い光を当てる技法をレンブラントライトと呼んでいる。
次回を読む
目次
※ 物語中に登場する美術家、美術作品、美術用語はすべて空想のものです。
■2015/09/21 (Mon)
創作小説■
第4章 王の宝
前回を読む
2
進路は北へ。オークは馬を走らせた。空は雲が散って青く澄んだ色を浮かべていた。草原に冷たい空気が通り過ぎていく。オークはできるだけ早く馬を走らせた。草原をいくつも駆け抜け、森の側を横切り、日が暮れると短い休息を取った。道中の村で道を尋ねて向かう方向が間違いがないのを確かめると、さらに北へ北へ進んだ。
途中、草原を横切る巨大な壁を潜った。城の兵士達が務めている様子が見られた。そこを抜けると、賑わい溢れる街が見えてきた。王城は間もなくだった。
森の小道を通り抜けると、王城が見えてきた。草原の向こうに、かつてないほど背の高い城壁と、大きな門が置かれていた。王城はきつい傾斜に沿って作られていて、外から見ると、城下町と王都を横切る数層の外壁が立ち上がって見えた。その先端に、王の館が聳えている様子が見えた。その向こうは世界を隔てる海となっている。城壁は王都の外へも続き、海岸沿いをずっと取り囲み、近くの港町まで続いていた。海の側から見れば王城は絶壁の舳先に聳えている姿が見えるはずだ。海から侵入しようと思えば、この自然の要塞が立ち塞がり、別の場所から上陸して城に向かっても、今度は幾層にも重なった壁が立ち塞がるという構造になっていた。
オークは馬から下りて、大門脇に作られた、人間用の門を潜った。そこを守っている衛士にいくらかの通行料を差し出し、通過した。
王都は賑わいある街だった。大通りには人で溢れ、商人達の露天がずらりと並び、賑やかな喧噪で満たされていた。楽団が騒がしそうに楽器を弾き、流行歌を歌っている。子供たちが騒ぎながら駆け回っている。路地を覗くと、乞食たちが暗い影の中に佇んでいた。
どの家も背が高い。建築物の上に、さらに背の高いアーチが渡されていた。王都を囲む壁は、街を横切って、幾層にも連なっていた。その上を、兵士たちが歩いているのが見えた。
王都は階段とスロープで少しずつ登るようになっていて、要所要所に高い壁と門が備え付けられていた。その門をいくつも潜り抜けて、オークは城を目指す。
ようやく城下町を通り抜けて、急なスロープへと入っていった。スロープは東へと折れて、その先に門が立ち塞がり、それを抜けると今度は西側へと向かい、やはり門で塞がっていた。急なスロープは東へ、西へと何度も折れて、ようやくその先に王の館が建っているのが見えた。
オークは、その最初の門の前まで進む。
門番
「何だ貴様。ここは王の館だ。田舎者が何を間違って迷い込んだ」
オーク
「セシル王子に仕えるために参ったものです。王子から指輪を預かっています」
オークは指輪を差し出す。
門番
「こ、これは王のしるし! 貴様、盗んだな!」
オーク
「盗んではいません。預かったものです」
門番
「おのれ騙りめ! 膝をつけ! 今ここで刑を下してやる!」
セシル
「何をやっておるか馬鹿者ども!」
セシルが馬に乗って現れる。
門番が直立不動になって、セシルを迎えた。オークも膝をついて頭を下げる。
セシル
「独断で刑を執行するとは、随分えらくなったものだな。門番よ」
門番
「も、申し訳ございません」
セシル
「すまなかったな、オークよ。頭を上げろ。従いて来い」
セシルが馬を下りた。セシルは馬を配下の者に任せて、スロープを上っていく。オークがセシルの後に続いた。配下の者達がその後にぞろぞろと続く。従者が引いている荷車の上に、檻の1つあった。あの赤毛のクワンが捕らえられているのが見えた。「出せ! ここから出せ!」と喚いている。
セシル
「ずいぶん早かったな」
オーク
「村の様子を見た後、急いで駆けて参りました」
セシル
「いい判断だ。私はこの1ヶ月、城を離れ方々で戦をやってきた。ゼーラ一族の名前を知っているか」
オーク
「いいえ」
セシル
「西の山岳地帯に潜む野蛮な連中だ。奸知に長けた連中で、度々山を下りては王に刃向かっている。ここ数年、再びゼーラ一族の動きが活発になりはじめた。それで、私は捕虜を捕らえ、隠し砦の場所を吐かせて、1つ1つを叩き潰していたところだ。お前たちが戦っていた山賊連中もゼーラ一族だ」
オーク
「戦いは勝利で終わったのですか」
セシル
「いいや。ゼーラ一族は国土のあちこちに潜伏しておる。その全てを探り出し、叩くにはまだ時間が掛かる。連中が再び動き始めたのは、協力者か支援者のどちらかがいるからだ。そのいずれかはわからんが、そいつを炙りださん限りには、戦いは終わらん。それにな、敵は外だけとは限らん……」
門をいくつも潜り抜けて、王子は兵士たちと別れて城へと入っていく。
威風堂々とした王城の構え。しかし内部へ入っていくと、暗く寂れた佇まいが現れた。華やかな装飾はどこにもなく、セシルと僅かな従者を除いては足音すら聞こえてこなかった。
セシル
「城は初めてだな」
オーク
「はい」
セシル
「ならば驚いただろう。王国の暮らしは、もっと贅沢なものだと」
セシルの調子はどこか自嘲的であった。
オーク
「いえ、そんな……」
セシル
「構わん。顔に書いてある。詩人がこしらえる物語など、大半が願望と偽りだ。王国が栄華を誇った時代なぞとっくに過ぎた。長年の赤字続きで、国庫は残り僅か。かつてはデネの黄金館と肩を並べた時代もあったと聞くが、私にはそんな話はお伽話にしか思えん。質素倹約がずっと我々の合い言葉だ」
セシルが門を開いて、広間へと入っていく。
そこで迎えたのはセシル王子の忠実な部下たちではなく、質素な住まいと対立するような豪奢な装束の貴族たちであった。
ラスリン
「これはこれはセシル王子。ようやくのご帰還ですかな。いったいどこで道草を食っておられた。まさか、女子のように化粧して遅くなったわけではあるまいな」
貴族らの間で哄笑が漏れた。
貴族
「セシル王子よ、いつになったら王は姿を見せるのだ。王のいない国など、抜け殻も同然。王は我が内政ごご存知か」
セシル
「もう少しの辛抱だ。父上はそなたたちの忍耐を試しておいでだ」
貴族
「いつまで続けるおつもりか! 我が国の現状を何も知らない無能が。この城がいかに逼迫しているか理解しているのか」
貴族
「そうだ! 今は王の遊興に、王子の外遊にかまけている場合ではありますまい。王子はいい加減、国のために働いたらどうかね」
と言う貴族たちは、豪奢な服に、全身に宝石をちりばめていた。
セシル
「耐えろ! 王はいつか答えてくれる。その時まで待て!」
ラスリン
「腰抜け王子め! 旅行三昧もここまでですぞ! いい加減国政というものを……」
セシルは構わず、広間を去って行く。
オーク
「いったい何ですか、あの者たちは」
セシル
「あれでも多くの部族を束ね、財を持った者達だ。この国で政治を請け負っているのは、気の許せん連中だ。だが、ああいった連中は捨て置いて構わない。要注意なのは、あの男だ」
前方から大柄な男が現れる。長い赤毛の男だ。一目見て、偉丈夫とわかる巨漢の男だった。
ウァシオ
「セシル王子よ、よくぞ戻ってきた。方々で女の味比べをしておったそうだな。この放蕩者め」
セシル
「山賊やネフィリムの中に女がいたとしても見分けはつくまい。連中は男でも髭を生やすからな」
ウァシオ
「王子よ、お前の贅沢暮らしがいつまでも続くと思うな。お前のような民から嫌われる気狂い王子は、いつか暗殺者に首を切られるぞ。眠っている時も注意するんだな」
セシル
「忠告だけは聞いておくよ」
セシルはウァシオと離れて、廊下を進んでいく。
セシル
「あの男は、かねてからゼーラ一族の間者ではないかと噂されておる」
オーク
「真実ですか」
セシル
「噂だ。証拠はない。だが、いま城の中で絶大な勢力を持っているのがあのウァシオという男だ。貴族連中もウァシオの金で抱き込まれている。奴の莫大な財産がどこから出てくるのかわからん。私がゼーラ一族の隠し砦を叩き潰して回っていたのは、あいつの尻尾を掴むためだったが……まだ何も出てこん」
オーク
「…………」
※ 黄金館 デンマークの伝承『ベーオウルフ』に登場する館。
次回を読む
目次
■2015/09/20 (Sun)
創作小説■
第3章 贋作工房
前回を読む
7
「ツグミ、降りるで」コルリがツグミの耳元で囁き、背中を軽く叩いた。
いつまでも甘えるわけには行かない。ツグミはコルリの側から離れ、また手を繋いでエレベーターを出た。
エレベーターが閉まる。扉の向うで、作動音が聞こえた。やがて何も聞こえなくなった。
部屋は真っ暗だったが、空間の広さを感じた。どこからか入り込んだ光で、有象無象の輪郭線がぼんやりと浮かんでいた。
ツグミは暗闇に取り残されたような不安で、どうしていいかわからず、ただ茫然と立っていた。コルリも途方に暮れるように闇を見回していた。
ふと、闇に気配が現れた。静寂にやたら重い靴音が響く。
ツグミはとっさにコルリの背中に隠れた。コルリはツグミを庇うように、靴音に対して正面を向いた。
現れた男は、先の大男よりずっと低く思えた。それでも、少なくとも180センチ以上はあった。
真っ白なスーツに身を包み、体の線は細いけど、弱々しさはどこにもなかった。頭に髪はなく、骨ばった端整な顔つきだが、目は鋭く、どこか危険なものを感じさせた。年は30歳以上、45歳未満という感じで、判然としない。
「君が妻鳥ツグミかね?」
男はコルリを真直ぐに見て訊ねた。
「いいえ。いや、そうや。私が妻鳥ツグミや。要件は何? 本当にミレーの真画を返してくれるんやろうな」
コルリはずいっと前に出て、毅然とした態度で言い返した。
男はにやりと口の端を吊り上げた。凶悪そうな笑顔だった。次いで、ちらっとツグミを見る。
ツグミはうっと息を詰まらせて、コルリの背中で縮こまった。コルリの嘘はもう見抜かれてしまっている。
男はコルリの前に進み出て、懐から何かを引っ張り出した。銀の名刺ケースだ。名刺ケースを開いて、その中の1枚をコルリに差し出す。
「申し遅れた。私は、こういう者だ」
コルリは名刺を受け取り、ちらと見てツグミに渡した。
『Aカンパニー 宮川大河』
書かれていたのはそれだけだった。住所も電話番号もない。何の企業なのか、連想させるものは一切なかった。
ツグミは名刺をコートのポケットにしまい、コルリの肩越しに宮川大河を見た。
「それで、何するんや?」
コルリは腕組をして、挑発的に宮川を睨み付けた。
「これから君たちには、ちょっとしたゲームに参加してもらう。うまくクリアできたら、タダでミレーの真画を返してやろう。ミスしても、条件付きなら返してやってもいい」
男の口調は一応、社交的で紳士的に聞こえた。が、声量は大きかったし、何か得体の知れない凶暴さが孕んでいる予感がした。「切れ者」という感じだ。
コルリはさらに、ずいっと前に出て、啖呵を切った。
「何がゲームや。私ら、遊びに来たんちゃう。さっさとミレーを返さんか!」
それでも宮川の底知れぬ迫力に負けていた。
ツグミは怖くなって、コルリの服を後ろから引っ張り、小さく、コルリだけにわかる声で囁いた。
「ルリお姉ちゃん、やめて。怖い」
コルリが振り返った。我に返ったような反省が浮かび、浅く頷いた。
「心配する必要はない。今回来てもらったのは、単純なテストを受けてもらうためだよ。成功しても失敗しても、ミレーは返ってくる。私は優しい人間だからね。何も難しく考える必要はない」
宮川はコルリを見ていたが、なぜか言葉はコルリを突き通ってツグミに向けられるような気がした。
どうして? 何で私が?
ツグミは困惑して、コルリの服をしっかり掴んでさらに身を小さくした。
コルリがまたツグミを振り返った。少し心配そうな顔で、ツグミに決断の是非を求めていた。
ツグミは怯えで震えながら、それでもはっきりと頷いて返した。
「いいわ。やるわ」
コルリが宮川を振り向き、はっきりとした声で宣言した。
次回を読む
目次
※ 物語中に登場する美術家、美術作品、美術用語はすべて空想のものです。