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■2015/10/09 (Fri)
第5章 蛮族の軍団

前回を読む
 オークは王の書斎へと入っていった。王はごく僅かな臣下を従えるのみだった。王は老いと病気で衰弱が始まっていたが、それでもその姿に威風を漂わせていた。


「そなたがオークか」
オーク
「はい」

「もっと側へ。よく顔を見せろ」
オーク
「はい」

 オークは王の側へ進み、目線を下にしつつ、顔を上げた。


「そなたの名前は旅の僧侶から授かったと聞く。違いないか」
オーク
「はい。その通りです。かつての名前は邪な者に奪われました」

「その名はなんと?」
オーク
「……恐れながら、その名前はすでに失われています。申し上げたところで、何の意味もございません」

「構わん。言え」
オーク
「ミルディ。――ドル族のミルディです」

 口にしてみると、やはり違和感があった。もはや自分の名前ではなかった。


「それが生来の名か」
オーク
「はい」

「……そうか。我が国を混乱に陥れているゼーラ一族のことは知っておるな。南部に偵察を放ったところ、ゼーラ一族の軍団を見たという報告が入った。敵はケール・イズ街道を通って、この城を目指しておる。そこでお前に使命を与える。この城の南に、建設中の城壁がある。これを完成させ、この国の盾にせよ」
オーク
「御意」

 オークは深く頭を下げて、部屋を後にした。

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■2015/10/08 (Thu)
※ 物語中に登場する美術家、美術作品、美術用語はすべて空想のものです。

第3章 贋作工房

前回を読む

16
 ツグミは2枚の絵の中間に立って、交互に絵を見始めた。コルリがすっと身を引いた。ツグミに判断を委ねるつもりだろう。
 じっくり眺めてみても、2枚の絵は同じに見えた。どこかに違いが見付からないか、ツグミは慎重に見比べる。
「ストロークを見ているのかね。だったら無駄なことだよ」
 突然に宮川が口を開いた。
 ツグミはドキッとして振り返った。図星だった。
「ゴッホの贋作で一番嘘が出やすいのがストロークだ。ゴッホは一見、勢いで線を引いているように見えて、実は違う。綿密に計算し、1本1本、驚くべき慎重さで線を引いている。1回1回、息を止めながら、自分のイメージ通りの線になるよう、神経を込めてね。もし模写を作ろうとしても、ストロークに違いが出るのは、ゴッホがその線を描いた瞬間の呼吸に違いが出るからだ」
 宮川が饒舌に解説を始めた。
「意外やね。ちゃんと絵の勉強もしてるんやね、あんた」
 コルリが腕組をして、宮川を冷たく嘲るように言った。
 宮川は口の端を吊り上げて、軽く笑った。
「ゴッホは売れるんでね。日本人はゴッホの名前を聞くだけで、絵も見ずに買ってくれる。間抜けな民族だよ、日本人は。絵そのものの価値や完成度を推し量る審美眼が全くない。なぜその絵に価値があるかすら考えない。ただ名前だけで、その絵がどんなものか考えずに買ってくれるんだ。勤勉であるが、考える力が弱いのが日本人さ。お陰で、儲けさせてもらっているがね」
 宮川は手を広げて、おどけるような調子で嘲りを浮かべた。
 それに対して、コルリがフンと鼻を鳴らした。
「あんた、日本人ちゃうな。どこの国のもんや」
 しかし、宮川はにたにたと微笑みを浮かべるだけで何も答えなかった。
 ツグミは改めて2枚の絵を確かめた。差異はあっても、どちらも本物に見える理由は、確かにそれだ。ストロークの流れに嘘が感じられないからだ。
 それに、贋作特有の、技術のなさをごまかす付け足しもない。贋作師は、正面からゴッホに取り組み、見事な精度で再現していた。
「つまり、ゴッホの呼吸感を完璧に再現できる人間がこれを描いた……」
 ツグミは宮川の続きを継ぐみたいに呟き、振り返った。宮川は満足気に頷いた。
「それに、まだある。ちょっと面白いものを見せよう」
 宮川は闇に向かって、「おい」と命じた。
 すると、暗闇から2人の大男が現れた。男の手には、それぞれインクジェットで印刷された、ゴッホの絵と同じサイズの写真用紙があった。一見すると、モノクロのデッサンが描かれているように見えた。
 ツグミは瞬時に、それが何であるか理解した。エックス線撮影された写真だ。
「おわかりかね。この絵は下書き段階から、そっくり同じに描かれた。ゴッホが描いた全ての工程を研究し、その通りに再現した。完璧な贋作だ。実に天才的ではないか。それを描いた贋作師は、ゴッホ以上の天才だった。これ以上の贋作があるかね」
 宮川の顔には満足どころか、恍惚さえも浮かんでいた。犯罪者が自分の罪を自惚れるように話す、そういうときの顔に見えた。
「贋作を売るのは犯罪やで。警察に突き出したるわ!」
 コルリがビシッと宮川を指でさした。
 しかし、宮川は不敵に冷笑した。
「売った憶えはない。贋作を作らせて、所有しただけだ。売らなければ犯罪にはならない。時々、欲しいという人がいるので譲っただけだ。どちらにしても、君達には私を警察に突き出すことはできないがね」
 端整な顔に、徐々にテレビで見るような「凶悪な容疑者」の顔が浮かび始める。
「これも、切り刻めって言うん?」
 ツグミが宮川を振り向く。胸の中で、心臓が痛いくらいに鼓動を打っていた。今は気分がハイになっているが、少しでも気を抜くと、挫けると思った。
「無論だ。それがルールだ」
 宮川はさも当り前だ、と言わんばかりだった。

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※ 物語中に登場する美術家、美術作品、美術用語はすべて空想のものです。

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■2015/10/07 (Wed)
第5章 蛮族の軍団

前回を読む
 港では、ブリテンの軍艦との戦いがまだ続いていた。
 ブリテンの軍艦は港のすぐ側まで接近して、砲弾を次々と放ってきた。停泊していた船は次々と沈められ、港の設備は壊滅状態に陥った。さらに弾幕で真っ白に閉ざされた視界に紛れて、ブリテン兵士が乗り込んでくる。
 戦いははじめから完全な劣勢だった。規律だったブリテン兵の攻撃は強力だった。オークは仲間たちを引き連れ、先頭に立って白兵戦に臨んだ。
 仲間たちは次々と命を落とした。ブリテンの攻撃は近くの住民や商人すら巻き添えにして、港は阿鼻叫喚の様相を呈した。
 戦いは長期化した。一日が過ぎても、ブリテンの攻撃は尽きなかった。終わらない砲撃に、港は灰色に沈み込み、火薬の臭いが充満した。あちこちで戦闘の声が上がり、もはやどこに仲間がいて、どこで戦闘が行われているのかわからない有様だった。
 オークも反撃に乗り出した。仲間たちを引き連れて、夜の闇に紛れて敵船に乗り込んだ。ブリテン兵の強力な攻撃に晒されたが、砲台をいくつか乗っ取り、これで他のブリテン船を沈めた。
 3隻のブリテン船のうちの1隻が沈むと、それだけで戦況は劇的に変わった。夜が明けると、セシル王子が率いる軍団が戦いに加わり、ブリテン兵を蹴散らした。
 やがてブリテン軍の弾数が尽き、兵力も底を尽き始めると、その後の展開は速く、ブリテン兵は港を離れて逃亡を始めた。
 こうして、港での戦いは終わった。
 だがその爪痕は大きい。ブリテン軍の攻撃で、港は再生不能なまでに叩き潰され、守備隊のほとんどが死亡した。住民たちは家を失ったし、商人たちは商売の場所を失った。
 硝煙は一日が過ぎる頃、ようやく散り始めたが、その後に現れたのは地獄のような瓦礫と死体の群れだった。オークは残った僅かな仲間と、住人たちと共に、生き残った者の手当を始め、さらに瓦礫の下から死体を集める作業も始めた。
 死体の中にトリンも見付かった。剣を強く握ったまま死んでいた。
 オークの側に、セシルが近付く。

セシル
「戦いは初めてか」
オーク
「いいえ。物心ついてから何度も戦いを目撃しています。父も妻も、戦いで失いました。戦の度に、こうして死体の数を数えさせられています」
セシル
「私も初めて戦に連れて行かれたのが少年の頃だった。戦になれば、必ず友を1人失う。自分はいつも無事に帰ってくるのに、一番大事だと思っている友人から失っていく」
オーク
「あなたにとって大切なものはなんですか。国と民。どちらが重いですか」
セシル
「わからん。国を喪ったことはいないからな。国を失くせばどんな気持ちになるか、見当もつかん」
オーク
「それでも守りますか。私なら国ではなく民を守ります」
セシル
「何が一番正しい判断なのか私にはわからん。――オーク。よくぞ1週間港を守り抜いた。王が呼んでいる。城に行くがよい」

 オークは厳しい顔のまま、セシルに頭を下げた。

オーク
「私は港の守備に失敗しました」

 オークはセシル王子の許を去った。

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■2015/10/06 (Tue)
※ 物語中に登場する美術家、美術作品、美術用語はすべて空想のものです。

第3章 贋作工房

前回を読む

15
 ツグミとコルリは、次なる絵の前に進んだ。
 ゴッホ(※)の油絵だった。しかし、1度も見た経験のないゴッホだった。
 一見すると、『星月夜』の雰囲気だったが、昼の光景だったし、線の流れはずっと力強く思えた。
 キャンバスには高い位置から見下ろされた田舎の道と、5本の糸杉が描かれていた。それが強い風に煽られて、幹がたわみ、枝が重なり合う。
 強い風の動きを、ゴッホの象徴とも言える、長いストロークで描かれていた。ストロークの終着点で、赤い渦を巻いているのが太陽だ。見方を変えると、太陽が四方に風を振り撒いているように見えた。
 ツグミは2枚のゴッホの絵と向き合った。じっと見るけど、違いが見つけられなかった。
「これは両方とも本物? 両方とも贋物なんてこと、ないやろうな?」
 コルリが宮川を振り向き、挑発的に訊ねた。
 ゴッホは生前、絵を売ることをまるで考えなかった。方々で絵を描き、方々で放ったらかしにした。だから、未発見のゴッホがどこかの倉庫で突然、発見される事件は珍しい話ではない。
 ゴッホの絵が弟テオによって管理されるようになったのは、1889年1月の『耳削ぎ事件』以降だ。それ以後の未発見作品は存在しないとされている。
「だったら、両方とも刻めばいい。間違えれば、何億円かの請求書が届く。それだけの話だ」
 宮川は他人事のように言い放った。
 ツグミは宮川を振り向き、初めて睨み付けた。憎たらしい男だ、と率直に思った。
 ツグミは絵に向き直り、ふと気付いて絵の後ろ側に回った。が、絵の裏側は明かりがなく、真っ暗だった。
 ツグミは絵の正面に戻ると、左の絵を手に取り、裏向けにしてイーゼルに掛けた。キャンバスの裏側にスポットライトが当たるようにした。
 コルリもツグミの意図を察して、右の絵を手に取り、裏返しにしてイーゼルに掛けた。そうして、2人でそれぞれの絵の裏側をじっと覗き込む。
「あかんわ。フランス製やわ。そっちは?」
 ツグミはキャンバスの裏をじっと見つつ、コルリに訊ねた。
「こっちもフランス製。どう見ても当時のキャンバスに見えるわ」
 コルリが首を左右に振った。
 キャンバスには普通、メーカー名が記載されている。贋作師が犯す初歩的なミスが、キャンバスの選択だ。
 しかし2枚のゴッホは、いずれもフランス製の麻布。木枠も木目が目立つ、板目木が使用されていた。それに、どちらも同じくらい年代がかっているように見えた。おそらく炭素年代測定法で測定しても、当時の木枠であると判定されるだろう。贋作師はよくよく調べた上で、偽ゴッホの制作に当たったらしい。
 ツグミは仕方なく絵を正面に戻した。

※ フィンセント・ファン・ゴッホ 1853~1890年。オランダ出身。様々な技法を模索するうちに、長いストロークが渦を巻く独特の表現を生み出した。1889年精神を病んで入院。1890年5月に退院するが、7月に拳銃で自殺する。

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※ 物語中に登場する美術家、美術作品、美術用語はすべて空想のものです。

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■2015/10/05 (Mon)
第4章 王の宝

前回を読む
 セシルは宝箱を地下まで運び、エクスカリバーが保管庫に置かれるのを確認すると、階段を戻った。
 そこに、待ち構えている男がいた。

ブラン
「浮かない顔をしておるな、友よ」
セシル
「ブランか。来ていたのか」

 セシルとブランが抱擁する。
 ブランは、ブリタニアの使者だった。ガラティアとブリタニアの関係は希薄だったが、ブランの一族とは親しい付き合いにあった。

ブラン
「ついに見付けたらしいな」
セシル
「ああ、我が国の宝だ」
ブラン
「しかし、あちらも同じように言っておる。宝を返せ、でなければ国を寄越せ」
セシル
「宝だと言いつつ、泉の底で腐らせていた連中が何を言うか。あれはそもそも我らの一族が鍛えし剣だ」
ブラン
「お宝の奪還なんぞ、奴らにとってはただの口実に過ぎん。ブリテンが欲しいのは、ガラティアの土地そのものだ。挑発に乗るなよ。挑発に乗れば、奴らの思う壺だ」
セシル
「わかっている」
ブラン
「気をつけるんだぞ。ブリテンのヘンリー王は強欲でしかも狡猾だ。気を許せば何でも掠め取っていく。特に海上では連中は無敵だ。海の上では決して戦うなよ」
セシル
「承知しておる」
ブラン
「とりあえず、我々はお前たちの味方のつく。ブリタニア政府も同様だろう。俺達とお前は、似たもの同士だからな。違うところもあるようだが」
セシル
「お前たちは気障だ。そこが違う」
ブラン
「否定はしないよ。我々が最も大事にしているのは力でも権力でもなく、美しい婦人と腰の剣だからな」
セシル
「おまけに下品だ」
ブラン
「それも否定しない。我々にとっての誇りだからな。――そちらは内戦続きで戦力不足だ。ブリテンの戦いなら我々が引き受けよう」
セシル
「すまない」
ブラン
「ブリテンが大陸を手に入れれば、我々とて無事に済まない。我々の連合がブリテンを包囲しているが、そのいずれかが崩されれば、大陸は一気にブリテンに奪われる。礼には及ばんよ。さらば友よ。そちらの戦いも無事に終わることを祈っておるぞ」

 ブランはおどけたような挨拶を残して去って行った。

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