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■2015/10/04 (Sun)
※ 物語中に登場する美術家、美術作品、美術用語はすべて空想のものです。

第3章 贋作工房

前回を読む

14
 宮川の顔には動揺も驚きもなかった。ただ楽しげに、ゆるやかな微笑みが浮かんでいるだけだった。
 宮川は、「さあ、どうぞ」と手で示した。「贋物を始末しろ」だ。
 ツグミは贋物のデッサンの前に進んだ。やはり躊躇いを感じて、ナイフを握ったまま、逡巡した。
 すると、コルリがツグミのナイフを持った手を握った。
「私がやる」
 ツグミはコルリを振り返った。コルリは力強く、それでいて優しさを込めた目でツグミを見ていた。
 でも頼っちゃいけない。自分でやらなくちゃ、と思った。
 ツグミはコルリを振り向き、首を左右に振った。
「大丈夫。ルリお姉ちゃん。もう、怖くないから」
 ツグミは低く落ち着いた調子でそう言った。
 コルリは信頼を込めて頷き、ツグミを握っていた手を離して、さっと身を引いた。
 ツグミは深く息を吸って、止めた。ナイフを振り上げる。
 刃先が絵に触れる瞬間、やはり目をつむってしまった。血が出るような気がした。
 しかし、やはり紙は紙だ。麻布よりずっともろく、破れやすかった。紙は無惨に引き裂かれ、足元にはらりと落ちた。
 ツグミは一瞬のうちに大量に噴き出た汗を拭った。足元に目を向けると、引き裂かれたモデルが、こちらをじっと睨んでいるような気がした。
 また「絵を殺した」という気がした。肉の感触もないし、血も出ない。でも、画家の魂を殺しているんだ、と思った。人を殺した時も、こんな気分なのだろうか。
 コルリがツグミを慰めるように、何も言わず肩を抱くようにした。そうして、宮川を振り返った。
 宮川は手を上げて、指をパチンと鳴らした。ロダンの素描を照らしていた照明は消えて、少し進んだところに別の明かりがイーゼルを照らした。

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※ 物語中に登場する美術家、美術作品、美術用語はすべて空想のものです。

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■2015/10/03 (Sat)
第4章 王の宝

前回を読む
 宝箱はただちに城まで運ばれた。厳重な警備が終始ぴったり貼り付いていた。
 セシルは送られてきた宝箱を一度確認すると、充分に満足してその足で父の部屋へ向かった。
 ヴォーティガン王の部屋は、人目を避けるように窓が閉め切られていた。王は、しばらく全ての面会を拒絶していた。部屋の内装は質素で、机とベッドがあるだけだった。
 ヴォーティガン王が、1人で静かに書き物をしている。側に召使いの少年が控えていた。
 部屋にセシルが入っていく。その後に、宝箱を抱えた従者が続いた。

セシル
「父上。少し時間を。例のものが発見されました」

 王がすっくと立ち上がった。
 王は老いで全身が衰弱し、そのうえに病気が追い打ちをかけていた。もはやかすかな生命を残すばかりである。だが、宝箱を前にして、失いかけた生命が一瞬にして力を取り戻させた。
 ヴォーティガン王はただちに臣下の者を下がらせた。セシルの従者にも部屋を出て行くように指示する。部屋にセシルとヴォーティガン王だけが残された。


「……遂に……見付けたのか」

 王の声が震えていた。
 セシルは何もいわずに、宝箱の前で膝をついた。
 王は杖を突きながらだが、力強い足取りで宝箱の前まで向かった。


「お前は、もう見たのか」
セシル
「はい。我が目で確かめました。例のものに間違いありません。太古のものとは思えぬ霊力で漲るのを感じました」

「早く見せろ」
セシル
「はっ」

 セシルは宝箱の蓋を開けた。
 するとそのなかにあったのは、ただ1つ。ひとふりの剣だけだった。
 セシルは剣に向かって頭を下げると、丁重に取り上げ、ヴォーティガン王に差し出す。
 剣を前にしたヴォーティガン王の手が震えた。
 剣の長さは、刃の長さが1メートルをやや越えるほどで、柄は質素で力強かった。鞘は探索隊が取り付けたものだが、その剣に相応しい上等な品が使われていた。
 見た目だけの印象ではない。その剣がまとう霊気は神々しく、峻厳な冷たさをまとい、信心のない者ですら頭を下げさせる神秘を漂わせていた。まさに伝説の剣に相応しい存在感だった。


「これが……伝説の剣……エクスカリバーか……」

 それが王が生涯探し続けていた剣だった。エクスカリバー。史上最も高貴な剣。精霊が鍛えし最強の剣にして、英雄の守護者。
 ヴォーティガンは柄を握り、ゆっくり鞘を外した。
 そこから溢れるのは封じ込めようのない清々しい英気であった。あまりの感動に、王は白みかけた目に涙を浮かべた。
 しかし、その刃を見た瞬間、感動は一転して失望に変えられた。


「……なんということだ。こんな有様だとは……」

 エクスカリバーの刃は無残に赤く錆びて、ボロボロになっていた。辛うじて刃の先まで残っているものの、もはや錆びきった鉄の棒杭に過ぎなかった。

セシル
「千年の間、泉の底で眠っていたのです。むしろ失われず、形だけでもこうして残っていたことを喜びましょう。人生をかけてそれを探した忠臣のためにも」

「……そうだな」

 落胆の大きかった王は、剣を鞘に戻すと、息子に押しつけるように差し出した。


「アーサーとその下僕が死んで、すでに千年か。かの者の伝承もここに失われた」
セシル
「父上。お言葉ですが、こうして剣は見付かったのです。伝承は蘇ります。その魂も」

「そうあってほしいがな。それも我が国の宝だ。地下に運び、厳重に保管しろ。誰に目にもつかんようにな」
セシル
「――はっ」

 王はむしろ以前よりも衰えた様子で、よろよろと椅子に上に戻った。落胆が全身に滲み出ていた。
 セシルは剣を箱に戻すと、従者を呼びつけた。従者は王の部屋に入ってくると、王と剣の入った箱に1つ頭を下げて、持ち上げた。

セシル
「――父上。オークを名乗る者が現れました」

「また騙りではあるまいな」
セシル
「その者は知らないようです。私も話していません。単なる偶然かも知れません。真偽はいずれ明らかになるでしょう」

「そうか。わかった」

 王はあまり関心を持たない様子だった。
 セシルは王に頭を下げて、王の部屋を去った。

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■2015/10/02 (Fri)
※ 物語中に登場する美術家、美術作品、美術用語はすべて空想のものです。

第3章 贋作工房

前回を読む

13
 デッサンの贋作は作りやすい。油絵ほど時間がかからないし、道具を揃えるのにもお金が掛からないからだ。絵具が店で販売される以前の絵画は、画家自身が岩石を砕き、油と混ぜ合わせて色を作っていた。油絵の精巧な贋作を作ろうとしたら、まず画家がどんな鉱物を使用し、どのような調合を試みたのかを特定しなければならない。
 しかしデッサンであれば、紙と鉛筆さえあれば、少々の努力で誰でも作れてしまう。高名な研究家であっても、画家が毎日、大量に描いていたデッサンや習作まで把握するのは不可能だ。画家本人に「これは、あなたが描いたデッサンですか?」と訊ねても、判然としない事例のほうが多い。
 デッサンは油絵ほど儲からないが、贋作師にとって手を出しやすい題材でもあった。
「もう降参かな? まだ始まったばかりだというのに」
 後ろからプレッシャーを掛けてくる。
 しかしツグミの気持は乱れなかった。じっと絵に集中していたし、今度は結論が出るまで、さして時間が掛からなかった。
「ルリお姉ちゃん、これは簡単やで。贋作は右の、横顔のほうや」
 ツグミは小さな声で、コルリに伝えた。平静を取り戻しつつあったとはいえ、コルリほど大きな声を出す度胸はなかった。
「理由を聞かせてもらうか?」
 宮川にとって普通かもしれないが、その声は暗く、容赦のない尋問に聞こえた。
 ツグミは宮川に体を向けつつ、ナイフの切っ先で絵を示した。
「ロダンはデッサンの時、常に25センチ、30センチの紙を使用していた。それに当てはまるのは、左のほう。右は、紙の選び方は正しいけど、正確に25センチ、30センチやない。多分、横の長さは26センチや」
 ツグミは紙の横幅を切っ先でなぞりながら説明した。
 25センチと26センチ。僅かな違いに思えるが、絵描きにとって大きな差だった。
 画家は修行を続けていくうちに、目の中に目盛でも入っているかのように、正確な長さの線が描けるようになる。
 ツグミは絵描きではなかったが、画廊で毎日絵画と向き合っているうちに、自然と身についた感覚だった。
「それに、贋作師はどこかに必ず、自分が描いた、という手掛かりをわざと残そうとする。この絵の場合はサインや。ロダンの素描は、ほとんどサインが描かれていないけど、描かれているものには『A Rodin』と、Rodinの下には必ずアンダーラインを引く。時々、省略して『AR』と描く例もある。でも、これはずっと少ない。二枚ともサインが入っているようだけど、右の横顔のデッサンには『Ar Rodin』だけで、アンダーラインもない。文字の癖も違う。このサインは、ロダンを示す名前じゃない。贋作師がわざと残した自分のサインや(※)」
 ツグミははっきりと断言して、宮川を振り返った。

※ このサイン云々の下りは物語中の空想。

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■2015/10/01 (Thu)
第4章 王の宝

前回を読む
 トリンはしばらくして眠ってしまった。他の者も眠ってしまっている。オークは1人きりで監視を続ける。
 やがて空が白く霞みはじめる。真っ黒な海が、色を浮かべ始める。霧が出てきて、風景が白く濁り始めた。やがて、海に置かれた点も見えなくなってしまった。
 そんな時、ドンッと遠くで音がした。オークははっと身を乗り出した。
 風が海の上を静かに巡っている。霧が一瞬薄くなる間があった。海上の点が動いていた。しかも数が増えている。大砲を打ち鳴らしていた。

オーク
「敵襲! 船が動いたぞ! 敵襲!」

 オークの声に、守備隊の人達がはっと目を覚ました。全員が一度窓に殺到した。霧でほとんど何も見通せないけど、遠くで大砲の音がするのに事態を察した。
 守備隊の全員が外に飛び出した。岸壁に備え付けられた、対駆逐艦用の砲台に鉛玉を込めて用意する。まだ夜が明けて間もない時間だけど、機敏に動いて速やかに準備を終わらせた。
 滅多にない緊急事態だ。ブリテンがあらゆる外交的手続きを無視して攻撃を仕掛けてきているのだ。この事件の後は、直接的武力の衝突も必死……オークはそんな予感もしていた。
 海に霧が深く立ちこめている。肝心の標的が霧に隠れて見えない。オークは見張りの合図を待った。
 しばらくして、霧に船の影が映った。守備隊の隊員に緊張が走る。
 しかし、

オーク
「待て! 攻撃を待て! 味方だ!」

 現れたのはブリテンの船ではなかった。商隊を偽装したガラティアの船だった。船体はすでにかなりの砲弾を浴びてボロボロになり、帆布も散りかけていた。
 ガラティアの船が桟橋に突っ込んだ。板で組まれた桟橋が弾け飛ぶ。衝撃が港全体に広がった。船はようやく停まったが、大きく傾いで、少しずつ水没を始めた。
 守備隊の人達が沈みかけの船に殺到する。乗組員が飛び出してきた。

オーク
「船を乗り捨てろ! 沈むぞ!」

 オークも船に乗り込んだ。だが、まだ船上で積み荷を降ろしている船員たちがいた。

船員
「手伝ってくれ! 積み荷を降ろすんだ!」
オーク
「そんなのは後にしろ! 今すぐに船を下りるんだ!」
船員
「駄目だ。宝があるんだ。王子から命じられた宝が……」

 宝。オークはそれを聞いて、船の中に飛び込んだ。
 船倉へ降りていく。船の中はあちこち穴だらけになり、水が流れ込んできていた。危うげな軋み音が船全体を包んでいる。瓦礫と荷が無秩序に折り重なって、水に浮かんでいた。
 入っていけば、沈みかける船に巻き込まれて戻って来られないかも知れない。しかし船員たちは躊躇わず水の中に入っていった。オークも水の中に潜っていき、件の宝を探した。

船員
「あった! こっちだ! 助けてくれ!」

 船員の1人が声を上げる。オークは船員の許へ急いだ。他の船員たちも集まってきた。
 大きな箱だった。飾りのない鉄の箱で、子供が入れそうなくらいの大きさはあった。だが、重くない。
 オークは船員たちと協力して、宝の箱を水の中から引き上げた。ようやくの思いで、桟橋まで運ぶ。
 船はもはや船と呼べないくらいにズタズタになり、ゆっくりと渦に飲み込まれようとしていた。
 船員たちがぜいぜいと喘いでいる。守備隊の人達も救助で疲れ切っていた。

トリン
「それで、お宝はいったい何だ? 見てみようぜ」
オーク
「そうですね。中身が失われていないか、確かめてみましょう」

 オークは宝箱の前まで進んだ。
 王の宝。噂に語られた宝がいったい何なのか……。
 箱はどっしりとした大きさで、飾りなどはひとつとしてなかったが、蓋に鍵が取り付けられていた。その鍵も、今や壊れてしまっている。
 その容積のせいか、何とも言えない雰囲気をまとっていた。誰もがその中に金銀財宝が詰まっているのを期待した。オークも同じように思っていた。
 オークが蓋に手を掛けた。その瞬間感じたのは、今までにない、ぞっとするような冷気であった。冷たいのではなく、何かとてつもない霊力がそこから溢れ、周囲一帯を包んだようだった。
 オークは箱を、ゆっくりと開けた。
 それを見た瞬間、ぞっと気持ちが昂ぶるのを感じた。見ていた全員が言葉を上げず興奮していた。そうならずにはいられない品だった。

オーク
「これが……王が探し求めたものですか」
船員
「はい。ブリテンに乗り込んで40年。遂に発見しました。現地で倒れた部下たちも、これで報われます」
オーク
「よくぞ見付けました。すぐに王子に連絡を。これを護送するために軍隊を寄越してください」

 オークの指示に、すぐに全員が応じた。伝令が馬に乗って走り、件の箱は厳重な警備の元に運ばれていった。
 オークは箱を見送りながら、敬礼を送った。
 だが状況はこれで終わりではなかった。

見張り
「敵襲! 来るぞ!」

 見張りの警告。振り返ると、いくらか薄くなりかけた霧の向こうに、ブリテンの軍艦の形がくっきりと浮かび上がっていた。今度こそ戦いである。

※ ガラティア 物語中の主要舞台となっている国のこと。現実世界では、チェコとチェコスロバキアあたりに建国されたケルト人の国を指す。新約聖書の『ガリラヤ人の手紙』はガラティアを指す。

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■2015/09/30 (Wed)
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第3章 贋作工房

前回を読む

12
 コルリが奥歯をきつく噛んで、宮川を睨み付けていた。そのままの顔で、次の絵を振り返った。
「ツグミ、行くで」
 コルリは、ツグミのナイフを持っている左手首を掴んで早足に進んだ。ツグミは少し転びそうになりながら従いて行った。
 次の絵はスケッチブックを切り抜いたものだった。描かれていたのは、ヌードデッサンだ。一目でオーギュスト・ロダン(※1)のデッサンだとわかった。
 ロダンは彫刻家として有名だが、優れたスケッチを多く残している。生前から『ロダンの素描』などが出版され、好評を得ている。
 ロダンの素描は、即興でありながら、的確に対象の形を捉え、流麗な線と、鮮やかな色彩感覚で一枚絵のように仕上げる。
 絵のモデルは美しい女性だった。左の絵はやや左向きの正面で、腰までの上半身が描かれている。右の絵は右向きの真横で、乳房の下で線が途切れている。
 モデルになっているのは《カミーユ・クローデル(※2)》だ。
 均整の取れた、あまりにも美しい顔。とろんとした甘い目。カミーユ・クローデルは男性を虜にする美貌の持ち主で、ロダンすらその魅力に捉われてしまった。美術史上、最も有名な芸術家として知られる女性だ。
 イーゼルに掛けられたデッサンを前に、ツグミとコルリが並んで向き合った。デッサンは厚紙で裏打ちされていた。多分、ナイフで突きやすくするためだろう。
 コルリが困惑を浮かべた。
「こんなの、わかりっこないわ。ロダンのデッサンは少なくとも7000点あるんやで。それを言い当てるなんて、不可能やわ」
 コルリが宮川を振り返って抗議する。
「だからこそ、ここに取り上げた。ゲームは難しいほど面白い。それに、これはテストであるのだからね」
 宮川は甲高く足音を響かせながら、ツグミとコルリの後ろに近付いてきた。響きのいい、高級そうな靴音だった。
「テストって、何のや?」
 近付いてくる宮川に対し、コルリは正面を向けて訊ねた。ツグミはちらとコルリの横顔を見た。強気の下に、緊張が浮かんでいるのを感じた。
「君達が今、知る必要のない話だ。それよりも、君達には集中しなければならないものがるんじゃないかね?」
 丁寧に思えて、やはりどこかに脅すような重々しさが混じった。
 コルリは舌打ちして、猛犬のようにふうふうと鼻息を吐きながら、じっと宮川を睨み付けた。
 ツグミは背後で繰り広げられる緊張に流されないように「平静に、平静に」と心の中で唱えながら、改めて素描と向き合った。

※1 オーギュスト・ロダン 1840~1917年。19世紀を代表する彫刻家。デッサンも多く描き残した。作中で取り上げられているデッサンは、架空の物。
※2 カミーユ・クローデル  1864~1943年。ロダンの弟子だったが、そのあまりの才能と美貌のために不倫関係になってしまう。カミーユも彫刻家として優れた傑作を残した、間もなく精神を病んで、48歳のとき精神病院へ入れられる。

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