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■2015/11/08 (Sun)
創作小説■
第6章 キール・ブリシュトの悪魔
前回を読む
1
黄昏が平原を包んでいた。王城を手前にした平原に、累々たる屍が積み上げられていた。その中に、負傷して動く気力もない兵士が混じっている。怪我人の介抱に医者達が駆け回っている。僧侶達が敵味方の区別なく、霊の供養するためにお祈りを捧げている。兵士達が死体の中から仲間を探していた。
夜を前にして、戦場だった場所にぽつぽつと篝火が燃やされる。その光景が、なんとなく人魂が浮かんでいるように見え、この世ならざる修羅の風景を浄化しているように思えた。
そんな最中を、オークはうろうろと歩いていた。鎧は血まみれで、意識は戦闘の覚醒状態からまだ解放されない。目がぎらぎらしていて、眠くならなかった。
セシルも同じような様子で、死体が群がる中を歩き、なんとなくオークと落ち合った。
セシル
「お互い生き残れたな」
オーク
「王子が生き残って幸いです」
セシル
「言うな。多くの者が死んだ。私はまた友をなくした。今だけはただの一兵卒として扱ってくれ。本当に死んではならぬのは、死んでいった者達だ」
オーク
「しかしセシル様はよくあの戦いを生き延びました。援軍には感謝します」
セシル
「真に務めを果たしたのは死んだ者とお前だけだ。私は……貴族相手に間抜けな芝居を演じていただけだ。――オークよ、今度も守備に失敗したと考えているか」
オーク
「……わかりません。これだけの人が死んで、いったい何が勝利だったのか……。死んだ人間の数か、それとも蛮族の目的を挫いたことか……」
セシル
「勝利は勝利だ。よく生き延びた。私にとっては、貴様が生き延びてくれたことが幸いだ」
オーク
「勿体ない言葉でございます」
平原に陰鬱な空気が包んでいた。勝利した者達の中から、それに相応しい声を上げる者もいなかった。
黄昏は地平の向こうに消え、風景は青く沈み込もうとしていた。夜の冷たさが降り、いよいよ死霊の時間が訪れようとしていた。
そんなこの世ならざる風景の中に、悠然と歩を進める騎馬が一騎。――バン・シーである。
セシル
「バン・シーか。修羅にはぴったりの貴婦人だな」
セシルがその姿を見て毒づき、その行く手に立ちはだかった。
セシル
「何用だ、バン・シー」
バン・シー
「王に用事だ。……ミルディか。随分と久し振りだな。どうやら生き延びたと見える」
オーク
「幾多の幸運に恵まれました。今はオークと名乗っております」
バン・シー
「ほう」
セシル
「バン・シー。そなたの訪問が喜びを招いた試しはない。用件を言え」
バン・シー
「私は危難の時に現れ、助言を与えるだけだ。災いを持ち込んだ試しは一度としてない。即刻、王にお目通り願いたい。危急の用事だ」
セシル
「……貴様は凶兆の女神だ」
セシルはしばしバン・シーを睨み付けるが、間もなく臣下に伝令を与えた。ただ「バン・シーが来たぞ」とだけ。
バン・シー
「オークか?」
オーク
「はい。かつての名前は魔物に奪われました」
バン・シー
「…………」
バン・シーは考えるように押し黙った。
セシル
「バン・シーよ、どうした。危機が迫っておるのだろう。急がれよ」
バン・シー
「うむ。貴辺らも後で王の前まで来い。王から直接指示が下るだろう。
バン・シーは馬を走らせて、大門を潜った。
次回を読む
目次
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■2015/11/07 (Sat)
創作小説■
※ 物語中に登場する美術家、美術作品、美術用語はすべて空想のものです。
前回を読む
美術経済のピークは1990年頃とされており、推定規模は1兆円に達すると言われている。その後は転落傾向を見せて、日本画壇の大家は、1号数千万円から10分の1以下に落ち、物故作家となると、価格という考え自体が消滅した。
美術品の需要それ自体が一時的に消滅したのだ。あれだけ買い込んだ美術品は倉庫行きになり、行方不明になる事例も多数起きた。
「美術品は、持ってさえいればどんどん価値が上がり、儲けになる」
この生ぬるい幻想は瞬時にして悪夢の債務地獄に変えられたのである。
画商や画廊も、煽りを食らって次々と廃業。特にバブル期に事業を広げすぎた画商ほど、その後ひどい転落の仕方をした。
これを乗り切るには、それぞれで知恵を働かせなければならない。そういう時代的な必要を、唐突に突きつけられたのである。
「それで、太一はな、外国から流れてくる美術品の転売を始めたんや」
話はどこまでも重く沈んでいくようだった。
「あの、それって盗品のこと?」
コルリが慎重な感じに確認する。
光太が重々しく頷いた。
「そう。盗難美術や。まず、外国の窃盗グループが美術品を盗む。それを日本に持ち込む。この段階でどこそこの社長さんにはすでに話は通っている仕組みになっとるんや。でも、そのまま直接クライアントに持って行ったりはしない。まず、画商の手に渡り、来歴を曖昧にする作業をするんや」
効果的に活用されたのが『交換会』だった。
『交換会』とは、プロの画商だけが集る、日本特有の競売システムである。基本的に関係者以外立ち入り禁止。やりとりも密室状態で非公開。ここで美術品に付いた値段が、そのまま市場価格になるわけである。
俗に『絵ころがし』と呼ばれる転売方法がある。『交換会』で転売を繰り返すことによって、徐々に値段を吊り上げていく方法である。
その過程で、多くの人の手に渡り、次第に来歴不明になっていく。これは、『絵のロンダリング』とも呼ばれていた。
「それですっかり来歴不明になったところで、もともとのクライアントであった社長に引き渡す。そのとき画商は、その作品が盗品とは言わない。あくまでも『出来のいい名画のコピー』と言って引き渡すんや。社長も、それが本物だと知らない振りをして、その美術品を手に入れる。もし指摘されても『知りませんでした』とシラを切る。『交換会』についても知らんことになってるし、作品の来歴もすでに不明になっているから、アリバイはばっちりや」
実例が存在する。1984年。パリのスミュール・アン・オクソワ美術館から、コローの名画数点が盗まれた。
何年も経って、発見されたのは日本だった。この絵を所有していた社長らは、それが盗品だとは知らない建前になっていた。
この事件は、窃盗グループが銀行強盗に失敗して逮捕されたことを切掛けに、初めて発覚した(※)。
※ 実際に起きた事件。1984年10月17日、スミュール・アン・オクソワ私立美術館からコローの絵画が盗まれた。『夕暮れ』『ボド婦人の肖像』『スミュールの日暮れ』『果樹園』『帽子をかぶった少年』の5点である。実行したのはフランスマフィアだが、日本での販売を請け負ったのは日本人の藤曲信一。フランスのICPOが捜査のために来日し、美術品はすべて回収されている。強盗の実行犯は、1986年11月25日、東京都・有楽町の三菱銀行を襲撃し、逮捕されている。
次回を読む
目次
※ 物語中に登場する美術家、美術作品、美術用語はすべて空想のものです。
第4章 美術市場の闇
前回を読む
9
バブルが弾けた後の美術界は暗澹を極めた。美術経済のピークは1990年頃とされており、推定規模は1兆円に達すると言われている。その後は転落傾向を見せて、日本画壇の大家は、1号数千万円から10分の1以下に落ち、物故作家となると、価格という考え自体が消滅した。
美術品の需要それ自体が一時的に消滅したのだ。あれだけ買い込んだ美術品は倉庫行きになり、行方不明になる事例も多数起きた。
「美術品は、持ってさえいればどんどん価値が上がり、儲けになる」
この生ぬるい幻想は瞬時にして悪夢の債務地獄に変えられたのである。
画商や画廊も、煽りを食らって次々と廃業。特にバブル期に事業を広げすぎた画商ほど、その後ひどい転落の仕方をした。
これを乗り切るには、それぞれで知恵を働かせなければならない。そういう時代的な必要を、唐突に突きつけられたのである。
「それで、太一はな、外国から流れてくる美術品の転売を始めたんや」
話はどこまでも重く沈んでいくようだった。
「あの、それって盗品のこと?」
コルリが慎重な感じに確認する。
光太が重々しく頷いた。
「そう。盗難美術や。まず、外国の窃盗グループが美術品を盗む。それを日本に持ち込む。この段階でどこそこの社長さんにはすでに話は通っている仕組みになっとるんや。でも、そのまま直接クライアントに持って行ったりはしない。まず、画商の手に渡り、来歴を曖昧にする作業をするんや」
効果的に活用されたのが『交換会』だった。
『交換会』とは、プロの画商だけが集る、日本特有の競売システムである。基本的に関係者以外立ち入り禁止。やりとりも密室状態で非公開。ここで美術品に付いた値段が、そのまま市場価格になるわけである。
俗に『絵ころがし』と呼ばれる転売方法がある。『交換会』で転売を繰り返すことによって、徐々に値段を吊り上げていく方法である。
その過程で、多くの人の手に渡り、次第に来歴不明になっていく。これは、『絵のロンダリング』とも呼ばれていた。
「それですっかり来歴不明になったところで、もともとのクライアントであった社長に引き渡す。そのとき画商は、その作品が盗品とは言わない。あくまでも『出来のいい名画のコピー』と言って引き渡すんや。社長も、それが本物だと知らない振りをして、その美術品を手に入れる。もし指摘されても『知りませんでした』とシラを切る。『交換会』についても知らんことになってるし、作品の来歴もすでに不明になっているから、アリバイはばっちりや」
実例が存在する。1984年。パリのスミュール・アン・オクソワ美術館から、コローの名画数点が盗まれた。
何年も経って、発見されたのは日本だった。この絵を所有していた社長らは、それが盗品だとは知らない建前になっていた。
この事件は、窃盗グループが銀行強盗に失敗して逮捕されたことを切掛けに、初めて発覚した(※)。
※ 実際に起きた事件。1984年10月17日、スミュール・アン・オクソワ私立美術館からコローの絵画が盗まれた。『夕暮れ』『ボド婦人の肖像』『スミュールの日暮れ』『果樹園』『帽子をかぶった少年』の5点である。実行したのはフランスマフィアだが、日本での販売を請け負ったのは日本人の藤曲信一。フランスのICPOが捜査のために来日し、美術品はすべて回収されている。強盗の実行犯は、1986年11月25日、東京都・有楽町の三菱銀行を襲撃し、逮捕されている。
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目次
※ 物語中に登場する美術家、美術作品、美術用語はすべて空想のものです。
■2015/11/06 (Fri)
創作小説■
第5章 蛮族の軍団
前回を読む
16
森の向こうからどどどと大地が揺れる音がした。続いて騎馬の一団が現れた。騎馬達は蛮族達の一角を突き崩し、その勢いを削いだ。セシル達の騎士団だった。オーク
「セシル様!」
セシル
「オークか。よくぞ持ちこたえたな。大した奴だ。後方の村で戦の準備ができている。そこまで退くぞ!」
オーク
「はい! セシル様に続け!」
オークの新たな伝令で、兵士達は全力で村までの道のりを走った。
その間に、セシル達の騎馬隊が縦横無尽に駆け回り、蛮族達を足止めした。蛮族達の騎馬隊がセシル達に挑んだ。セシルは蛮族の挑戦を受け入れた。一瞬のうちに剣が交わり、決着が付いた。その瞬間は、セシルの勝利であった。
長城は今や、何ら防壁の役目も障壁の役割も果たしていなかった。その前後で多少滞りはあっても、それはすでに障害ではなく、蛮族の軍団はこれを潜り抜けて、北側に乗り込んできた。
セシルはその様子を見て、自身も撤退を決めた。
オーク達が村に辿り着くと、丸太格子の防壁が道を寸断していた。そもそもこの村も戦を想定して防壁が整えられていたが、その上にさらに急ごしらえで丸太格子の柵が立てられていた。
オーク達は丸太格子の内側に入ると、扉を閉じた。村人達も戦いに参加した。
オーク
「王の軍団はまだですか!」
セシル
「召集はかけた! 今は耐えろ!」
間もなく蛮族達の先頭が村まで走ってきた。オーク達は柵を盾にして、向かってくる蛮族を矢で撃ち、槍で突き殺した。
蛮族達は次々と数が増えた。夕暮れ近くなる頃には、蛮族達の本陣がやってきて、大人数で柵に群がってきた。黄昏の光に包まれる中、格子を挟んでくっきりと峻別された両軍が、押すな押すなの大乱闘を繰り広げていた。
夜になっても蛮族達の勢いはとどまらなかった。辺りが暗くなると、火矢の応酬が始まり、茅葺きの民家に火が点いた。
もともと数の少なかったオークたちの軍勢は、いよいよ勢いを失う。守りの要であった丸太格子も、圧倒的な数の蛮族達に乗りかかられ、揺さぶられ、ついに崩れてしまった。
蛮族達が村になだれ込んで、夜の暗闇に刃が光を放った。燃え上がる民家が、火の粉を上げて崩れる。
オーク達の決死の戦いは、村を舞台に繰り広げられたが、蛮族達は溢れんばかりの勢いで迫り、オーク達を圧倒した。オーク達は、1人で何人もの蛮族と同時に刃を交えた。しかしほとんどの者は応じきれず、蛮族達の刃に切り刻まれ、命を落とした。
間もなく次の夜明けが来た。東の空が白みかけて、夜の時間と対立しはじめた。真っ黒だった地面が、光の下に浮かび上がり、累々たる修羅を浮かび上がらせた。
オーク
「ここまでか――。全員撤退! 撤退! 城まで走れ! 城まで走れ!」
村は蛮族達で埋め尽くされていた。もはや味方が何人残っているかも定かではない。兵士達がオークの声を聞いて、走り始める。オークは仲間達が村を去り始めるのを見届けて、自身も村を後にした。
蛮族達はオークが指揮官だと気付いて、オークを狙ってきた。オークはそんな蛮族を振り払って走った。一緒に走っている仲間は僅かしかなかった。ほとんどの者が死に、ほとんどの者が傷つき、泥と血にまみれていた。走りながら、力尽きて絶命する者もいた。走る仲間達の中に、セシルがいるのにオークは安堵した。
蛮族達はオーク達を追跡した。全力で走るオーク達を、蛮族達が追いかけて走る。蛮族の騎兵も追いかけてきて、槍で兵士を串刺しにした。
走りながら、オークは倒れた者を見付けて、背負って走った。仲間達も倣って、倒れた仲間を背負って走った。
背後から蛮族の軍団が迫ってくる。蛮族達は走りながら、斧や槍を投げてくる。兵士の何人かはそれを背中に受けて、倒れた。蛮族達は残りわずかになった王国の兵士を殲滅させようと、躍起になっていた。
村から王城までおよそ10リーグ(55キロ)。馬で駆けても数時間かかる距離だ。だがオーク達は馬と変わらない時間で、その距離を走破した。
平原を駆け抜け、分かれ道を横断して、街道へと入ってく。
蛮族達の追跡は止む間なく続いた。オーク達は走った。オーク達の俊足に、その差がいくらか広がったが、追跡の手が消えなかった。
そうして次の森を抜けて平原に達した時――オーク達の顔に初めて希望が浮かんだ。
城の大門に至る平原の両翼に、大軍勢が待ち受けていた。貴族の召集で集まっていた兵士達だった。その中心に、ヴォーティガン王が立っていた。
王
「よくぞ持ちこたえたな。全軍進め! 徹底的に叩きのめせ!」
王の軍勢が進撃した。蛮族達はオーク達の攻撃に、数も勢いも相当削られた後だった。今となっては数という面においても、武装という面においても完全に王の軍団が圧倒していた。
王の軍勢は1万人。平原に飛び出してきた蛮族達をすっぽりと囲んでしまった。蛮族達は逃げ場を失う。王達は蛮族達に容赦のない矢の雨を降らせた。
それから戦いは驚くほど速やかに終わった。次の夕暮れが来る頃には蛮族の軍団は壊走。残った蛮族達も逃げ出してしまった。王の軍団の圧倒的勝利だった。
次回を読む
目次
■2015/11/05 (Thu)
創作小説■
※ 物語中に登場する美術家、美術作品、美術用語はすべて空想のものです。
前回を読む
「あの、叔父さん。ミレーの事件で、話しとかなあかんことがあるんです」
コルリはさらに深刻さを持って、次の話へ進ませた。
コルリは1週間前に起きた事件の全てを、光太に話した。宮川との遭遇。ミレーの真画を賭けて、危険なゲームを強要されたこと。その最後に、宮川が太一の名前を告げたこと。
事件の1つ1つを、コルリは丁寧に話して聞かせた。
「私ら、お父さんが誘拐された事件と、この間の事件、繋がりがあると思うんです。だから……」
コルリの表情は、あの時以来、真剣そのものだった。
しかし光太は、話を躊躇うように、腕組をして「うーん」と唸っていた。
ツグミは胸が――いや、左脚がじりじりと疼くような感じがした。
あの場面は何度も夢に見ている。今でも正確に頭の中で再生できる。ツグミにとって、今においても生々しい事件であった。肉体的な傷であると同時に、心の傷だった。
しかし、今は皆が気遣わしげにするのが、却って鬱陶しかった。自分のせいで、話が進まなくて、皆の邪魔をしている、と感じた。
「私なら平気です。叔父さん、話してください」
ツグミは顔を上げて、はっきりとした決意を言葉に込めた。
光太も、ようやく顔に決意めいたものを浮かべて、重々しく頷いた。
「そうか。訳ありなんやな。じゃあ、話したほうがいいやろう。2人とも、そろそろ大人や。でも、本当にショックな話やで。心の準備、しっかりしてから聞くんやで」
光太は今までにない深刻な顔をして、繰り返し念を押した。
ツグミは動揺を浮かべてはいけない、と思いながら頷いた。
次回を読む
目次
※ 物語中に登場する美術家、美術作品、美術用語はすべて空想のものです。
第4章 美術市場の闇
前回を読む
8
光太の言うとおり、警察がほとんど捜査しない事件だった。被害者がいて、目撃者もかなりいた事件なのに、警察は早々に迷宮入りを決め込んで、捜査を打ち切ってしまった。「あの、叔父さん。ミレーの事件で、話しとかなあかんことがあるんです」
コルリはさらに深刻さを持って、次の話へ進ませた。
コルリは1週間前に起きた事件の全てを、光太に話した。宮川との遭遇。ミレーの真画を賭けて、危険なゲームを強要されたこと。その最後に、宮川が太一の名前を告げたこと。
事件の1つ1つを、コルリは丁寧に話して聞かせた。
「私ら、お父さんが誘拐された事件と、この間の事件、繋がりがあると思うんです。だから……」
コルリの表情は、あの時以来、真剣そのものだった。
しかし光太は、話を躊躇うように、腕組をして「うーん」と唸っていた。
ツグミは胸が――いや、左脚がじりじりと疼くような感じがした。
あの場面は何度も夢に見ている。今でも正確に頭の中で再生できる。ツグミにとって、今においても生々しい事件であった。肉体的な傷であると同時に、心の傷だった。
しかし、今は皆が気遣わしげにするのが、却って鬱陶しかった。自分のせいで、話が進まなくて、皆の邪魔をしている、と感じた。
「私なら平気です。叔父さん、話してください」
ツグミは顔を上げて、はっきりとした決意を言葉に込めた。
光太も、ようやく顔に決意めいたものを浮かべて、重々しく頷いた。
「そうか。訳ありなんやな。じゃあ、話したほうがいいやろう。2人とも、そろそろ大人や。でも、本当にショックな話やで。心の準備、しっかりしてから聞くんやで」
光太は今までにない深刻な顔をして、繰り返し念を押した。
ツグミは動揺を浮かべてはいけない、と思いながら頷いた。
次回を読む
目次
※ 物語中に登場する美術家、美術作品、美術用語はすべて空想のものです。
■2015/11/04 (Wed)
創作小説■
第5章 蛮族の軍団
前回を読む
15
オーク達は蛮族達と刃を交えた後、森を通り抜けて逃げ出した。蛮族達の騎兵が追いかけてきた。だがオーク達の馬ほど優秀ではなく、やがて追跡を諦めたようだ。すでに夕空には星が輝き始めていた。オーク達は急いで長城を目指した。辿り着いた頃にはすでに日は落ちていた。ありがたいことに、蛮族の軍団はまだ長城に到達していなかった。
ゼイン
「オーク殿! 無事だったが」
長城の前にいたゼイン達が迎えた。
オーク
「あなたも無事で」
長城の通用口を潜ると、篝火の明かりがいくつも浮かんでいるのが見えた。戦闘準備は終えようとしているが、非戦闘民の避難が終わっていなかった。近くの村から動員されてきた者達も、まだここにいた。
オーク
「戦える者は武器を持て! 戦いの時は近いぞ! 戦えぬ者はここにとどまるな。戦いの時だ!」
オークが檄を飛ばす。兵士達が「おう!」と返事をした。
砦の空気に緊張感が現れ、村人達が砦を去る準備を始める。
オークは、そんな中にソフィーがいるのに気付いた。ソフィーも兵士達に混じって、戦闘準備を進めていた。
オーク
「ソフィー、あなたも城へ」
ソフィー
「いいえ。私も残って戦います」
オーク
「いけません。危険です」
ソフィー
「危険は承知です。私は戦えます」
オーク
「何度も言いません。城に行ってください」
ソフィー
「…………」
オークは話を打ち切って、ソフィーに背を向ける。
ソフィーの顔に落胆が浮かんだ。しかしすぐに従い、村人たちの列に加わると、先頭に立って人々を導いた。
村人達を見送り、オークは残った兵士達を振り返った。そこにいるのはわずか100人の兵士だけだった。それから、未完成の長城だった。
兵士
「敵本陣! 確認!」
そこに兵士の声が響いた。
オークは長城を登り、その向こうに目を向けた。夜の闇に沈もうとする平原に、無数の松明の明かりが現れ、揺れていた。
その全体は暗闇で見通せないが、どこまでも続く松明の明かりが、その軍団を凄まじい大軍団に錯覚させた。
暗闇を行く靴音に、地面が揺れる。星の瞬きのような松明が平原を満たした。圧倒的な戦力の差。兵士達に動揺が浮かんだ。
オーク
「ここで戦うのは長くても1日限りです。それ以降は砦を捨てて、王城に向かいます」
アステリクス
「それはなりません。ここを見捨てるのですか!」
オーク
「砦は未完成で、戦力は充分ではありません。この戦いは、王の軍隊が召集されるまでの時間稼ぎです」
アステリクス
「私は反対です。死んでもここを離れるわけにはいきません。死ぬ覚悟で戦います」
オーク
「死ぬ覚悟で生きてください。死ぬにはまだ早すぎます。あなたにはまだ多くの役目がありますから」
アステリクス
「…………」
アステリクスは応とも否ともつかないような迷いを顔に浮かべていた。
兵士
「戦闘準備整いました! いつでもいけます!」
オーク
「戦闘開始だ! 先手を打つぞ! 矢を放て!」
矢の応酬が始まった。矢の雨が蛮族達の頭の上に降り注ぐ。蛮族達も火矢で応じた。蛮族達の矢は、砦に雹のごとく降り注いだ。砦はあっという間に無数の矢で埋め尽くされ、あちこちで火が点いた。蛮族達の猛烈な矢の応酬は、とどまらず続いた。その間にも、敵の行列は前へ前へと進んでくる。
間もなく蛮族の先頭が長城に到達した。通用口はすでに塞いである。だが未完成の壁は、梯子を掛ける必要はなく、一部は勢いよく飛びつけば手の届く高さだった。
オーク達は向かってくる蛮族達を剣で押しのけた。壁を飛びつこうとする蛮族達を斬り付け、蹴り落とす。壊れた通用口を潜り抜けようとする蛮族には、ハンマーの一撃を喰らわせた。
蛮族達の攻撃は苛烈だったが、しかし深夜に入る頃になって、次第にその攻撃が弱くなり、やがて一時的な小休止に入った。
どうやら蛮族達も長征の疲れで休息が必要に感じたらしい。特に合図もなかったが、暗黙の了解で互いに休息を取ることにした。
オーク達はその間に大急ぎで次なる戦闘準備を整えた。火矢で燃えた砦の消火活動をはじめ、無傷で残った小屋をあえて崩し、その板材で矢除けの盾を急ごしらえで作らせた。
味方のもの敵のもの構わず矢を拾い集めさせ、鍛冶師に欠けた武器を修復させ、医師が負傷者の手当に奔走する。手の空いたものから、大急ぎで食べ物を口の中に放り込んだ。
やがて明け方に近い頃になって、蛮族達から雄叫びが上がった。戦闘再開の合図だ。花火の光が砦の全容を明るく浮かばせる。蛮族達が再び砦に向かってきた。矢の攻撃も再び始まる。
蛮族達の矢に、急ごしらえで作った盾が役に立った。雨のごとく降り注ぐ矢は、盾に防がれる。オーク達は砦の前に油を注ぎ、これに火を点けて蛮族達の進行をとどめさせた。
防壁はしばし業火に守られた。蛮族の攻撃は一時的に止まったが、その火力は弱く、暗いうちは炎の輝きは恐るべき防御に見えたが、太陽が昇り始めると、蛮族はその勢いの弱さに気付き、再び進撃を再開した。
夜明けの時を迎えて、砦の周囲は白く霞みつつ浮かび上がり始めた。そうすると、味方も敵もはじめて砦周辺の惨状を目の当たりにした。防壁のこちら側もむこう側も、敵味方区別なく死体が積み上がり、風がその血生臭い臭いを辺りに散らしていた。空には貪欲なカラスの群れが集まって、食事の時間が来るのを待ち構えていた。
砦はすでに壊滅寸前だった。立てたばかりの家や防壁には火が点き、今も炎で燃え上がっている。住居の跡は無残に消えてしまった。その中で慌ただしく走り回る兵士らに負傷していない者はなく、まるで無間地獄を体験しているかのような絶望が浮かんでいた。戦いが始まって数時間、すでに敗走は確定だった。
オーク
「動ける者はあと何人だ」
兵士
「40人ほどです」
オーク
「……そうか」
オークは絶句した。たった一晩で、兵士の過半数がやられていた。
オークはただちに戦闘不能になった兵士達を、後方の村まで運搬するように指示した。それであっても、どれだけの兵士の命が救われるかわからない。
兵士
「オーク様、王の召集は間に合いますか」
オーク
「間に合います。セシル様は信頼に値する指揮官です。今はできる限り耐えるのです」
蛮族達の攻撃は続いた。防壁は次第に限界を迎えた。敵兵が長城を突破し、砦内で白兵戦が始まった。そうなると長城を盾にした水際作戦はもう通用しなくなり、敵は津波のごとき勢いで乗り込んできた。
オークは向かってくる兵士達を矢で攻撃した。防壁の中で、みんなが戦っている。蛮族をとどめる障壁など、もはやあってないようなものだった。
蛮族達は長城に乗り込むと、通用口を塞ぐ扉を破壊した。蛮族の騎馬が次々と中へ入ってくる。そしてついに、長城に蛮族達の旗が揚がった。
旗が揚がるのを見て、蛮族達がおうおうと声を上げた。
オーク
「退却! 退却!」
アステリクス
「まだ1日過ぎていない! 砦を捨てるのか!」
オーク
「やむを得ない! 全員走れ! 村まで走れ!」
オーク達は撤退を始めた。ともに走っている兵士は、もはや20人しかいなかった。
逃げるオーク達を追跡して、蛮族達が追いかけてくる。まるで荒波に追われているようだった。
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