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■2015/11/28 (Sat)
創作小説■
第6章 キール・ブリシュトの悪魔
前回を読む
11
キール・ブリシュトは異様なほど広かった。どの広間も野放図に広く、通路は進んでも進んでもその向こうに果てなく続いた。しかも要所要所にネフィリムの拠点があり、しばしば大群で襲いかかってきた。まるで邪悪なる無間回廊に迷い込んだような感覚だった。戦士達はいずれも英傑であったが、次第に消耗しはじめた。
ゼイン
「ええい、忌々しい! ここはネフィリムが生まれた場所か!」
バン・シー
「騒ぐな。士気を乱しているうちは、悪魔には勝てんぞ」
バン・シーの言い草は冷酷に感じられるほどだった。
セシル
「バン・シーよ。私からも聞きたい。ネフィリムはここで生まれたのか」
バン・シー
「違う。ネフィリムはそれ以前からいる。正確ではないが、5000年前か6000年前だ。ノアの大洪水が話に絡んでくる。その時代の1人の魔術師によって生み出されたのがネフィリムだ」
セシル
「いったい何のために」
バン・シー
「もちろん使役するためだ。人間は常に対立する局面を持っている。光と闇。善と悪。聖と邪。大抵はふたつが混じり合った姿で存在し、そして両立するものだが、ある人にとっては負の部分は厄介でしかない。人間の負の部分は、常に人を悪徳と愚行へと走らせる。だから魔術師は考えた。人間から負の部分の一切を取り除き、実体を与え、これを低級な人間として従わせることができたら……と。しかし魔術は不完全なばかりか、そもそも人間の悪の部分だけで作られたネフィリムが人間に従うはずはなかった」
セシル
「そんなものを、どうやって……」
バン・シー
「もちろん容易ではない。はっきりとわからぬが、悪魔を作り出した技と同じだと伝え聞く」
セシル
「そなたは古い時代から悪魔と戦っている……。悪魔を完全に封じる術は、そなたも知らんのか」
バン・シー
「わかっていることは少ない。悪魔の削除に必要なのは、『聖剣』『封印』『真理』の3つだということだけだ。悪魔を作り出すのも、封じ、存在を消す方法も同じというわけだ」
やがて長い長い回廊の向こうに終わりが見えてきた。
セシル
「詳しく聞きたいものだな。なぜ貴様が悪魔の作り方まで知っているのか」
セシルの殺気が、はっきりとバン・シーへと向けられる。
バン・シーが立ち止まり、セシルを振り向いた。両者の眼光が鋭く輝き、一同に緊張が走った。
しかし、バン・シーは笑った。
バン・シー
「ククク……。ますます父親に似てきたようだな。だがお前は、まだ父親から学ばねばならんようだ。お前の祖父達がしてきたようにな。――剣は収めるな。いよいよだぞ」
次回を読む
目次
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■2015/11/27 (Fri)
創作小説■
※ 物語中に登場する美術家、美術作品、美術用語はすべて空想のものです。
前回を読む
ヒナの部屋はもう誰も帰ってこない。ヒナがいた頃には、散らかっていてもどこかに生命感があった。それが完全に消えてなくなり、あの部屋は、廃墟のような寂しさが漂い始めた。
新聞では1度だけ、あのミレーの鑑定結果についてベタ記事に小さく掲載された。あのミレーは真画であり、少なくとも70億円の値打ちが付けられ、テレビや週刊誌でバッシングされた必要経費2000万円も、一切の無駄がないどころか、相当に切り詰めたものだということも証明された。
しかし何もかもが明らかになると、「叩くものがないと面白くない」とでも言いたげに、報道は勢いをなくし、この話題について取り上げるメディアは1つもなくなってしまった。
妻鳥家には平和が戻ってきたけど、失われたものは大きかった。あれだけ盛況だった神戸西洋美術館には、誰も来なくなってしまった。ツグミの周りでは話題にする人どころか、1週間前にそんな事件があったことを覚えている人すらおらず、ただただ当事者が深く傷ついただけで、事件は忘れられていった。
それから数日が過ぎた。
ツグミは学校から帰ってきて「ただいま」と画廊の中に呼びかける。いつもの習慣だけど、誰も返事する者はいない。だけどツグミは、壁に掛けられた3枚の絵に微笑みかけ、「ただいま」の挨拶をした。
ツグミは杖をつきながら、画廊の奥の上り口まで進み、腰を下ろす。1日の授業が終えて、ふぅと溜息が漏れる。
それからリュックを下ろそうとすると、電話が鳴った。
ちょっとびっくりした。あれ以来、マスコミ関係から一切電話は来ていない。とはいえ、軽い電話恐怖症になってしまった。
ツグミはリュックを置き、4度、5度、とコール音を聞く。胸に手を当てて、ゆっくり深呼吸をして気持ちを鎮めると、やっと受話器を取り上げた。
「はい。妻鳥画廊です」
そういえば電話も久し振りだ。鑑定の依頼も、そろそろ来て欲しい頃だけど。
「おう、嬢ちゃんか。俺や俺。岡田や」
電話の向うから、威勢のいい神戸弁が聞こえてきた。
落ち込んでいるときには絶対に聞きたくない声だった。一瞬、切ろうかと思った。でも、それさすがに大人気ない。
「何ですか?」
ツグミは喧嘩にならない程度の冷淡さで応じた。
「無事か、そっちは。えらい目に遭うたな。テレビで見とったで」
口ぶりから判断して、一応は心配してくれているみたいだった。
「いえ、あの事件はもう、解決しましたから」
少しだけ、岡田がいい人、と思ってしまった。危ない、危ない。
「おお、そうか。良かったな」
岡田は電話の向うで頷いているかのように、うんうんと言い始めた。
「それで、その……」
用件はそれだけだろうか。ツグミは言葉に感謝を消して、「鬱陶しい」を言外に滲ませた。
「まあ、まあ、まあ、ちょお待ってや。今からウチに来おへんか。ちょっと、見せたい絵があるんや」
「嫌です。絶対に。お断りします」
どうやらこれが本題らしい。岡田はいつもより調子よく誘い掛けたけど、ツグミは即答した。
「いやいや、ほんまほんま。凄い絵が入ったんや。それで、その、ちょっと頼むわ。嬢ちゃんに見てもらいたいんや」
岡田は急にもどかしく言葉を詰まらせた。岡田からの電話で、そういう流れになるのは初めてだった。
「もしかして……鑑定依頼ですか?」
ツグミは自分で口にしながら、ちょっと信じられないような気持だった。
次回を読む
目次
※ 物語中に登場する美術家、美術作品、美術用語はすべて空想のものです。
第5章 Art Crime
前回を読む
1
次の日の朝、ツグミとコルリが目を覚ますと、もうヒナはいなかった。あの夜のヒナが、ツグミにとって最後のものになってしまった。せめて、お別れくらい言いたかった。ヒナの部屋はもう誰も帰ってこない。ヒナがいた頃には、散らかっていてもどこかに生命感があった。それが完全に消えてなくなり、あの部屋は、廃墟のような寂しさが漂い始めた。
新聞では1度だけ、あのミレーの鑑定結果についてベタ記事に小さく掲載された。あのミレーは真画であり、少なくとも70億円の値打ちが付けられ、テレビや週刊誌でバッシングされた必要経費2000万円も、一切の無駄がないどころか、相当に切り詰めたものだということも証明された。
しかし何もかもが明らかになると、「叩くものがないと面白くない」とでも言いたげに、報道は勢いをなくし、この話題について取り上げるメディアは1つもなくなってしまった。
妻鳥家には平和が戻ってきたけど、失われたものは大きかった。あれだけ盛況だった神戸西洋美術館には、誰も来なくなってしまった。ツグミの周りでは話題にする人どころか、1週間前にそんな事件があったことを覚えている人すらおらず、ただただ当事者が深く傷ついただけで、事件は忘れられていった。
それから数日が過ぎた。
ツグミは学校から帰ってきて「ただいま」と画廊の中に呼びかける。いつもの習慣だけど、誰も返事する者はいない。だけどツグミは、壁に掛けられた3枚の絵に微笑みかけ、「ただいま」の挨拶をした。
ツグミは杖をつきながら、画廊の奥の上り口まで進み、腰を下ろす。1日の授業が終えて、ふぅと溜息が漏れる。
それからリュックを下ろそうとすると、電話が鳴った。
ちょっとびっくりした。あれ以来、マスコミ関係から一切電話は来ていない。とはいえ、軽い電話恐怖症になってしまった。
ツグミはリュックを置き、4度、5度、とコール音を聞く。胸に手を当てて、ゆっくり深呼吸をして気持ちを鎮めると、やっと受話器を取り上げた。
「はい。妻鳥画廊です」
そういえば電話も久し振りだ。鑑定の依頼も、そろそろ来て欲しい頃だけど。
「おう、嬢ちゃんか。俺や俺。岡田や」
電話の向うから、威勢のいい神戸弁が聞こえてきた。
落ち込んでいるときには絶対に聞きたくない声だった。一瞬、切ろうかと思った。でも、それさすがに大人気ない。
「何ですか?」
ツグミは喧嘩にならない程度の冷淡さで応じた。
「無事か、そっちは。えらい目に遭うたな。テレビで見とったで」
口ぶりから判断して、一応は心配してくれているみたいだった。
「いえ、あの事件はもう、解決しましたから」
少しだけ、岡田がいい人、と思ってしまった。危ない、危ない。
「おお、そうか。良かったな」
岡田は電話の向うで頷いているかのように、うんうんと言い始めた。
「それで、その……」
用件はそれだけだろうか。ツグミは言葉に感謝を消して、「鬱陶しい」を言外に滲ませた。
「まあ、まあ、まあ、ちょお待ってや。今からウチに来おへんか。ちょっと、見せたい絵があるんや」
「嫌です。絶対に。お断りします」
どうやらこれが本題らしい。岡田はいつもより調子よく誘い掛けたけど、ツグミは即答した。
「いやいや、ほんまほんま。凄い絵が入ったんや。それで、その、ちょっと頼むわ。嬢ちゃんに見てもらいたいんや」
岡田は急にもどかしく言葉を詰まらせた。岡田からの電話で、そういう流れになるのは初めてだった。
「もしかして……鑑定依頼ですか?」
ツグミは自分で口にしながら、ちょっと信じられないような気持だった。
次回を読む
目次
※ 物語中に登場する美術家、美術作品、美術用語はすべて空想のものです。
■2015/11/26 (Thu)
創作小説■
第6章 キール・ブリシュトの悪魔
前回を読む
10
それ以上は、馬は近付きたがらず、結界を張って近くの木に括り付けることにした。一同はキール・ブリシュトに至る道を進んでいく。地面は灰色の生命のない土ばかりだったけど、きちんと平らに均され、舗装された道路がまっすぐキール・ブリシュトの門まで続いていた。
キール・ブリシュトに近付くと、禍々しい気配はより濃くなってくる。騎士達は、誰となく剣を抜いた。
やがて大門が見えてきた。すでに破壊され、左の門は倒れ、右の門は斜めに傾いている。これを潜ると、ついにキール・ブリシュトの敷地内だ。
城内に漂う気配はさらに緊張感に満ち、道路のタイル張りにはかつての栄華を示すようなレリーフが刻まれているが、それもこの中で見ると、邪悪なもののサインにしか見えなかった。
中庭へと入っていくと、道の両脇にガーゴイルの石像が並んでいる。その異様な気配と、生々しい描写に、騎士達は恐れを抱く。
ゼイン
「ガーゴイルか。……しかしなんという存在感。まるで生きているようだ」
バン・シー
「気をつけよ。その石像はまさに生きている」
ルテニー
「まさか。ご冗談を」
バン・シー
「本当だ。忘れたのか。『悪魔は石に封じられた』のだ。こやつらも封印が弱まれば、自らの力で動き始めるだろう」
ルテニー
「…………」
屈強の戦士達も、黙るより他なかった。いつか、このガーゴイルと戦う日が訪れる恐怖を、胸に思い描いていた。
道路の向こうに、キール・ブリシュト本館の入口が見えてきた。そこは地獄の入口であるかのように暗く、その向こうからごうごうと風が唸っていた。豪勇の戦士でさえ、肝を潰す冷たさに満ち溢れていた。しかし何の恐れも抱かずに入っていくバン・シーに、ついて行かないわけにはいかない。
入口を抜けると、大広間に入った。その容積は小さな屋敷くらいおさまりそうなほどに広く、天井はどこまでも高く、はるか上方で光が射し、光の輪が暗い地面に2つ3つと落としていた。床は塵と埃が降り積もって灰色を浮かべている。広間の四方に通路が伸びていた。
何もかも灰色を浮かべる広間の中に、奥の壁に掛けられた十字架だけが真っ白に浮かび上がっていた。
バン・シー
「ネフィリムたちが管理している。ここは奴らの聖地だからな。奴らはあれを自分たちのシンボルマークだと思い込んでいるようだ」
十字のシンボルを見ながら、バン・シーが説明する。オークは古里に近い洞窟で見た、あの十字のマークを思い出していた。
不意に気配がした。それまで辺りを包んでいた不吉な気配が、実像を持ち始め、通路という通路から溢れ出してきた。上方の吹き抜けからも、大軍勢が飛び出してくる。ネフィリムたちだ。
セシル
「どうやら歓迎されていないようだな」
オーク
「人を歓迎する地獄があれば見てみたいものです」
ネフィリムたちは瞬く間に戦士達を取り囲み、手にした武器で襲い始めた。戦士達は邪悪な下僕どもに白刃の一撃を加え、次々に蹴散らしていく。2人の魔術師は、光の珠を掲げて暗黒の従者を怯えさせ、さらにその頭の上に雷を落とした。セシルの聖剣が斬りつける者に炎を放つ。不敗の戦士達は強く、群がり襲ってくる魔の者を迷いなく次々と斬り伏せていった。
しかしここは魔の者たちの楽天地だ。ネフィリムたちの数は圧倒的だった。澎湃となだれ込んでくるネフィリムをいくら斬り伏せても数も勢いも尽きることはないように思えた。
ネフィリムの勢力に、戦士達は少しずつ追い込まれていく。
セシル
「これではキリがないぞバン・シー! 悪魔をお目に掛ける前に力尽きてしまう!」
バン・シー
「うむ。危険だが奥に進もう。援護しろ。ソフィー、手を貸せ!」
ソフィー
「はい!」
バン・シーの合図と共に、杖の先から光の粒が溢れ出した。光の粒はソフィーが呪文を唱えるごとに大きくなり、ある瞬間、光が火柱を噴き上げた。それにバン・シーの霊力が加わり、炎と雷が混じったとてつもない爆炎が飛び散った。
ネフィリムたちは爆炎に吹っ飛ばされ、焼き尽くされた。
その瞬間、戦士達はネフィリムの大軍の中に、一筋の道を見出した。
バン・シー「走るぞ!」
バン・シーの導くままに、一同は走った。しかし群がり集まるネフィリムたちは人間達を逃がすまいと攻撃を加える。戦士達はこれをかわしつつ、通路の向こうへ、次の部屋に飛び込むと、そこにあるもので道を塞いだ。ネフィリムの気配は絶えなかったか、即席で作られたバリケードでとりあえず進路は阻まれた。
その部屋は最初の大広間ほど大きくなかったが、ネフィリムの気配はなかった。暗い天井に、蝙蝠がいくつかとまっていて、侵入者を不快そうに見下ろしているだけだった。
戦士達は最初の緊張から解放されて、へなへなと座り込んでしまった。すぐにソフィーが戦士達の治療に当たる。
セシル
「バン・シー! 悪魔はどこにいる。まさか案内人が道に迷ったではあるまいな」
するとバン・シーは口の端で笑った。
バン・シー
「30年の時を経て、同じ台詞を聞くとはな。父親に似たな。案ずるな。しっかり導いてやる」
ソフィー
「少し休みましょう。怪我人がいます」
ソフィーが言った。戦士の中に、足に重傷を負った者がいた。
しかしバン・シーは冷酷に言い放った。
バン・シー
「とどまるわけにはいかん。動けぬなら置いて行く。ゆっくりしている暇はない」
と、バン・シー達は向こうの通路へと行ってしまった。
戦士達もバン・シーの従って、その後を追っていく。
ソフィーは逡巡した。戦士の手を引いて行こうとした。しかし戦士はソフィーを拒んだ。
戦士
「見捨てて行け。足をやられた者は、ここでは生きていけん」
ソフィーが困惑の顔を浮かべた。
するとオークが側にやって来た。ソフィーは救ってくれると思って顔を明るくした。しかしオークは、ナイフを戦士の前に1つ置いて、恭しく頭を下げるだけだった。返礼のように、戦士がオークに家紋の入った護符を渡す。
戦士
「妻に」
オーク
「必ず」
オークはソフィーの腕を掴み、強引に戦士から引き離した。
ソフィー
「そんな……オーク様!」
オーク
「声を上げないで。戦士の死を辱めてはなりません。……だからあなたを連れて来たくはなかった」
ソフィー
「…………」
ソフィーは何も言わず、オークに従った。
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■2015/11/25 (Wed)
創作小説■
※ 物語中に登場する美術家、美術作品、美術用語はすべて空想のものです。
前回を読む
コルリが入ってきて、ヒナが体をもどかしそうに捩じらせた。起き上がりたいけど、起き上がる気力がないのだ。ツグミはそう察して、ヒナに被さるように背中に両腕を回し、体を起こさせた。
コルリがヒナの前で膝をついて、心配そうにその顔を覗き込んだ。
ヒナはツグミとコルリを安心させるみたいに、無理に微笑を浮かべると、コルリが手にしていたトレイを手に持ち、自分の膝の上に載せた。
ヒナはレンゲを手にして、米をすくい、少しふうふうして口の中に運んだ。コルリはヒナが食べ始めたのを見届けて、部屋の奥まで「探検」をして、椅子を持って戻り、ヒナの手前に座った。
しばらくツグミとコルリは、ヒナが食べるのを見守っていた。ヒナはゆっくりと米をすくい、時間をかけて咀嚼して、飲み込んだ。
「報告、しなくちゃあかんよね。あの絵画の鑑定は……」
と区切りを置いて、ツグミとコルリを見た。
「判定は真画でした」
弱々しい顔に微笑を浮かべた。いま気付いたけど、すっかり頬がこけていて、そのせいで微笑みが痛々しく見えてしまうのだ。
ツグミとコルリは顔を見合わせた。コルリの顔に、安堵の喜びが浮かんでいた。
ついでに、その時に集った“ミレーの権威”による会議で、ミレーの絵画に70億円という推定価格がつけられた。ヒナの目利きの正しさが完璧に証明されたのだ。
「よかったやん。これでヒナ姉、元通り仕事できるんやろ」
コルリは嬉しそうに身を乗り出した。しかし、ヒナは寂しそうに笑った。
「残念。ミレーが真画だったのは、偶然でしょう、っていうのが美術館全体で一致した意見。だ~れも私の実力なんて信じてくれへんかったわ。さんざんやったわぁ。学芸員失格って言われちゃった。騒動を起こした責任とかで明日から京都の関連会社に異動。今夜で2人ともしばらくお別れや」
ヒナは静かに語り、最後には声が泣きだしそう崩れてうつむいてしまった。
「そんな、偶然なわけないやん。ヒナお姉ちゃんの目利きが間違えるはずがない。あれは……」
ツグミは慰めようと必死に捲くし立てるけど、途中で言葉を濁らせた。
コルリに目を向ける。コルリは無言で首を振った。宮川の件は、まだヒナに報告していないし、今は言うべき状況ではない。
「ありがとう。でも、もう決定事項だから。クビよりマシやわ」
ヒナは目元を拭いながら、呟く声を震わせていた。
「ヒナお姉ちゃん、京都のどこ? 何ていう美術館?」
諦めるように、ツグミはヒナを覗き込んで話題を変えた。
「美術館違うんや。製薬会社。暗黒堂製薬。薬品のテストをやっている会社で、絵とは何の関係のない会社や」
ヒナはちょっと声を明るくして、ツグミを振り返った。
暗黒堂といえば、ミレー展の主催企業の名前だ。
ヒナは医薬品免許も持っていた。修復の仕事は多くの薬品も扱う。物によっては、免許が必要なものもあった。
「明日から……。それじゃ、明日にはもう、おらへんの?」
ツグミは泣き出しそうになりながら、身を乗り出した。
「うん、そうやな。着るもんだけまとめて、明日の始発には乗らなあかんのや」
ヒナは頷いて答えた。「ちょっと旅行に行くだけ」という感じで言いたかったのかも知れないが、あまりにも場の空気が重かった。
ツグミは、ついに耐え切れなくなって、ヒナの体にすがりついた。
「ヒナお姉ちゃん、私、寂しい」
ヒナは雑炊をヘッドボードに置いて、ツグミを抱き寄せて、その頭を撫でた。
ツグミはすぐに、あっと声を漏らし、顔を上げた。
「ごめん。服汚してしもうた」
ツグミが顔をうずめたそこに、涙のシミがついてしまっていた。
「ええよ。どうせ明日の朝、着替えるし、それにもう見てくれるような人もおらんようになるしな」
ヒナはおどけるように言って、ツグミの体を強引に抱き寄せた。
ツグミは遠慮なく、甘えるようにヒナにすがりついて、すすり泣いた。
コルリも上から被さるようにヒナに抱きついた。コルリはヒナの肩口に顔を押し当て、小さくすすり泣く声を上げていた。
「よし。じゃあ、今夜は皆で一緒に寝よう。もうずっと一緒に寝てなかったやろ。なっ、そうしよう」
ヒナは明るい声で提案し、ツグミとコルリを見た。
ツグミが顔を上げる。ヒナの頬にも涙の跡がいくつも浮かんでいた。
ツグミとコルリは、ヒナの顔を見上げて「うん」と子供みたいに頷き、ヒナの体に抱きついた。
そのままの格好で、3人は抱き合ったまま、眠りについた。
ツグミの落ち込んだ気持は、ヒナのぬくもりに抱かれて、ゆっくりと癒されるようだった。いつ眠りに入ったか、記憶になかった。
次回を読む
目次
※ 物語中に登場する美術家、美術作品、美術用語はすべて空想のものです。
第4章 美術市場の闇
前回を読む
18
コルリが戻ってきて、肘でドアを開けた。コルリはトレイに、水を入れたグラスと、雑炊を入れた鉢を載せていた。コルリが入ってきて、ヒナが体をもどかしそうに捩じらせた。起き上がりたいけど、起き上がる気力がないのだ。ツグミはそう察して、ヒナに被さるように背中に両腕を回し、体を起こさせた。
コルリがヒナの前で膝をついて、心配そうにその顔を覗き込んだ。
ヒナはツグミとコルリを安心させるみたいに、無理に微笑を浮かべると、コルリが手にしていたトレイを手に持ち、自分の膝の上に載せた。
ヒナはレンゲを手にして、米をすくい、少しふうふうして口の中に運んだ。コルリはヒナが食べ始めたのを見届けて、部屋の奥まで「探検」をして、椅子を持って戻り、ヒナの手前に座った。
しばらくツグミとコルリは、ヒナが食べるのを見守っていた。ヒナはゆっくりと米をすくい、時間をかけて咀嚼して、飲み込んだ。
「報告、しなくちゃあかんよね。あの絵画の鑑定は……」
と区切りを置いて、ツグミとコルリを見た。
「判定は真画でした」
弱々しい顔に微笑を浮かべた。いま気付いたけど、すっかり頬がこけていて、そのせいで微笑みが痛々しく見えてしまうのだ。
ツグミとコルリは顔を見合わせた。コルリの顔に、安堵の喜びが浮かんでいた。
ついでに、その時に集った“ミレーの権威”による会議で、ミレーの絵画に70億円という推定価格がつけられた。ヒナの目利きの正しさが完璧に証明されたのだ。
「よかったやん。これでヒナ姉、元通り仕事できるんやろ」
コルリは嬉しそうに身を乗り出した。しかし、ヒナは寂しそうに笑った。
「残念。ミレーが真画だったのは、偶然でしょう、っていうのが美術館全体で一致した意見。だ~れも私の実力なんて信じてくれへんかったわ。さんざんやったわぁ。学芸員失格って言われちゃった。騒動を起こした責任とかで明日から京都の関連会社に異動。今夜で2人ともしばらくお別れや」
ヒナは静かに語り、最後には声が泣きだしそう崩れてうつむいてしまった。
「そんな、偶然なわけないやん。ヒナお姉ちゃんの目利きが間違えるはずがない。あれは……」
ツグミは慰めようと必死に捲くし立てるけど、途中で言葉を濁らせた。
コルリに目を向ける。コルリは無言で首を振った。宮川の件は、まだヒナに報告していないし、今は言うべき状況ではない。
「ありがとう。でも、もう決定事項だから。クビよりマシやわ」
ヒナは目元を拭いながら、呟く声を震わせていた。
「ヒナお姉ちゃん、京都のどこ? 何ていう美術館?」
諦めるように、ツグミはヒナを覗き込んで話題を変えた。
「美術館違うんや。製薬会社。暗黒堂製薬。薬品のテストをやっている会社で、絵とは何の関係のない会社や」
ヒナはちょっと声を明るくして、ツグミを振り返った。
暗黒堂といえば、ミレー展の主催企業の名前だ。
ヒナは医薬品免許も持っていた。修復の仕事は多くの薬品も扱う。物によっては、免許が必要なものもあった。
「明日から……。それじゃ、明日にはもう、おらへんの?」
ツグミは泣き出しそうになりながら、身を乗り出した。
「うん、そうやな。着るもんだけまとめて、明日の始発には乗らなあかんのや」
ヒナは頷いて答えた。「ちょっと旅行に行くだけ」という感じで言いたかったのかも知れないが、あまりにも場の空気が重かった。
ツグミは、ついに耐え切れなくなって、ヒナの体にすがりついた。
「ヒナお姉ちゃん、私、寂しい」
ヒナは雑炊をヘッドボードに置いて、ツグミを抱き寄せて、その頭を撫でた。
ツグミはすぐに、あっと声を漏らし、顔を上げた。
「ごめん。服汚してしもうた」
ツグミが顔をうずめたそこに、涙のシミがついてしまっていた。
「ええよ。どうせ明日の朝、着替えるし、それにもう見てくれるような人もおらんようになるしな」
ヒナはおどけるように言って、ツグミの体を強引に抱き寄せた。
ツグミは遠慮なく、甘えるようにヒナにすがりついて、すすり泣いた。
コルリも上から被さるようにヒナに抱きついた。コルリはヒナの肩口に顔を押し当て、小さくすすり泣く声を上げていた。
「よし。じゃあ、今夜は皆で一緒に寝よう。もうずっと一緒に寝てなかったやろ。なっ、そうしよう」
ヒナは明るい声で提案し、ツグミとコルリを見た。
ツグミが顔を上げる。ヒナの頬にも涙の跡がいくつも浮かんでいた。
ツグミとコルリは、ヒナの顔を見上げて「うん」と子供みたいに頷き、ヒナの体に抱きついた。
そのままの格好で、3人は抱き合ったまま、眠りについた。
ツグミの落ち込んだ気持は、ヒナのぬくもりに抱かれて、ゆっくりと癒されるようだった。いつ眠りに入ったか、記憶になかった。
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※ 物語中に登場する美術家、美術作品、美術用語はすべて空想のものです。
■2015/11/24 (Tue)
創作小説■
第6章 キール・ブリシュトの悪魔
前回を読む
9
翌日も旅は続いた。東へ進路を進め、やがて海岸線が見えてきたところで南に折れた。再び舗装された道路が見えてくると、それに沿って進んだ。日が暮れた頃、ちょうどよく漁村が見えてきたので、その日は漁村の民家で休みを取った。その後も再び南へ、ついに街道から逸れて、地図にも描かれていない土地へと踏み込んでいく。その先に何があるのか、バン・シー以外に知る者はない。荒れ地ばかりの風景に目印など何一つない。旅の一行は、バン・シーの案内のみを頼りに旅を続けた。
旅もいよいよ5日目に入った。荒れ地は深まっていく。土は赤茶けた面を剥き出しにして、木々は不吉に折れ曲がり、大地が吸い込もうとしない雨水が不快な臭いを放つ沼になって浮かび上がっていた。風景に魔性の気配が漂い始めた頃、行く手に山脈が立ち塞がった。
バン・シーは躊躇いもなく山へと入っていく。セシル達もこれに続いた。
まさに死の山であった。山には健康な草木などなく、なにもかもが朽ち果てていた。獣の気配はなく、囁くのは邪な悪霊の声ばかりだった。悪霊達は、もはやドルイドの祈りの声すら受け付けなかった。
そんな場所ですら、かつて人が立ち入った痕跡があちこちにあった。山の奥へ向かって道が整えられていたし、建物の跡があちこちにあった。信じられないが、かつてこの場所にもかなり賑わった街があったようだ。バン・シーが言うには、城を築くために集められた労働者が過ごす街だったそうだ。廃墟には、もはや悪霊の影すらなく、バゲインが潜む気配が感じられた。
山の奥へと入り込んでいくと、噴火でも起きたような濁った灰色が風景を包み始めた。ますます生命の気配は遠くなっていき、死の世界に迷い込んだような不気味さが漂い始めていた。風の音もなければ獣の気配もない。ただ不吉さが景色全体を覆っていた。
ゼイン
「なんじゃこの気配は……。不吉だ」
バン・シー
「この辺りはネフィリムの楽天地だ。いつでも剣を抜ける用意をしておけ」
バン・シーは灰色の霧の中、迷いなく一同を導いていく。そのお陰か、ネフィリムとは遭遇しなかった。
山道は何度も分岐した。この山では、崖の下がそのままあの世に通じているように思えた。
そんな山の中で夜を迎えて一泊した。次の日の朝も、山道を進む旅は進む。
やがて谷間に、人の建築物が見えた。まるで教会の尖塔のようなものが見えた。一行は谷を下りていく。するとその辺一帯が、山をくりぬいたかのような広い平野になっていた。その平野に、不気味な建築物が堂々たる威容で建っていた。
キール・ブリシュトだ。
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