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■2015/12/23 (Wed)
創作小説■
第5章 Art Crime
前回を読む
14
大原家の門を出ると、タクシーが待ち構えていた。もちろん、料金は紀明持ちだ。紀明の美的センスには引っ掛かるものがあったが、ツグミはこの人物に、かなり好感が持てるようになった。きっと何もかも、先代、眞人の美意識や教育の賜物だろう。できれば、生前にお目にかかりたかった。
タクシーで岡山駅まで送ってもらい、新幹線に乗った。いよいよ岡山ともお別れだ。
夕方4時頃、新神戸に到着した。風景に柔らかいオレンジの光線が混じり始める頃である。
駅から出ると、何だか妙に空気が心地よかった。いい時間、というのもあるが、何か得して帰って来た気分だった。
浮いたお金でバスにでも、と行きたいが、駅からは歩くことにした。毎日、家計簿と向き合っている者としては、節約は重大事項だ。
新神戸駅を離れて、生田川公園方面の大通りには行かず、脇道の、異人館通りに入っていった。兵庫区へ行くには、こちらのほうが近道なのだ。
しばらく白の石畳で舗装された坂道が続き、それを越えると不思議な風景が現れる。異国情緒溢れる洋館に、この界隈だけで運行している、旧国鉄風のバス。観光客が賑やかに犇いていた。
異人館通りは、その名の通り、異人館を始め、各国領事館や、外国料理店といった建物が集っている。神戸の観光スポットとして知られていて、様々な国の人たちが騒々しく行き交っている。ツグミは順路に逆らうように、白煉瓦の通りを進んだ。
ツグミは、すぐにでも一休みしたくなった。紀明が持たせてくれたお土産が思った以上に重かった。
それに、左手の絵画は難物だった。常に肘を曲げていないと、地面に擦ってしまう。右手は杖だから持ち返るわけにはいかないし、ツグミは次第に疲れて、指の先が痺れてくるのを感じた。
ああ、どうしよう。家まで体もつかな……。
ツグミは家までの道のりを考えて、気が遠くなってしまった。道が下り坂なのがせめての救いだった。逆だったら、行き倒れていたかも知れない。
そんな時、後ろから誰かが走って来た。振り向く気力すらなかったので、無視してやり過ごそうとしたけど、
「ツグミ、ツグミ、こっち向いて!」
コルリの声だった。
助かった、と思って振り向く。が、そこにあったのはコルリの顔ではなく、EOSのレンズだった。
ツグミは、振り向いた格好で思わず固まってしまった。視線を遠くに定める。
パチッと、デジタルカメラ特有の味気ない音で、シャッターが切れる。
コルリはちょっとカメラを下げて、手で「そのまま」と指示しながら、2歩下がってフレームを変え、もう1枚パチッと撮った。
ツグミはだんだん恥ずかしくなってしまった。カメラのレンズに反応して、思わずポーズを決めてしまった。自分で思った以上に被写体慣れしているのに、今さらながら気がついた。
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※ 物語中に登場する美術家、美術作品、美術用語はすべて空想のものです。
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■2015/12/22 (Tue)
創作小説■
第7章 王国炎上
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10
気付けば、辺りは暮れかけていた。一日中暗く、雨ばかり続いたので、ソフィーには時間の経過がまるでわからなかった。今ようやく導師による呪文の伝承が終わり、玄妙なる一時が過ぎ去って辺りは急速に自然の穏やかさが戻りつつあった。ソフィーは1日限りの師に恭しく頭を下げ、導師も1日限りの優秀なる弟子に敬意を込めて頭を下げた。
ソフィーは立ち上がろうとして、よろめいてしまった。バン・シーに支えてもらった。
庵を後にすると、ようやくソフィーは時間の経過に気付いて、途方もないような気持ちになった。
ソフィー
「……バン・シー様、私は子供なのでしょうか」
馬に乗ったところで、ソフィーが訊ねた。
バン・シー
「どういう助言を望んでいるのかね」
ソフィー
「自分が好きになった相手に、自分を受け入れてもらいたいなんて、わがままだという気がしたのです。私、意地を張って彼をこんなふうに困らせて……。私は子供なのでしょうか」
バン・シー
「お前はまだ17だ。事実、まだ子供だ。私としては利害が一致したと考えるね。あの者を愛しているのだろう」
ソフィー
「はい」
ソフィーはかすかに頬を赤くする。
バン・シー
「ならばそなたの信じるようにすればいい。そなたの選択したとおりにな」
ソフィー
「――はい」
2人は馬を進めた。空は暗く、あちこちに灰色の水溜まりを浮かべていた。向かう先は明快だった。進行方向に、ソフィーが見た経験もない暗い空と、どろりと漂う気配があった。ソフィーとバン・シーは馬を急がせた。
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■2015/12/21 (Mon)
創作小説■
第5章 Art Crime
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13
間もなく、女中が会葬者名簿を持って戻ってきた。ぜんぶで16冊もあった。重ねると、実に厚さ7センチにもなった。さすが大財閥になると会葬者名簿のスケールも違う、と感心してしまった。
ツグミと紀明、それから女中2人を動員して、会葬者名簿を調べた。それからおよそ20分。『宮川大河』の名前が出てきた。企業名は『クワンショウ・ラボラトリー』とあった。以前、手に入れた名刺と違っていたが、間違いないと思った。
宮川大河についても謎が多いが、とりあえずここに来ていた事実が確認できた。川村も宮川も、大原と何らかの関係を持って、ここに集まってきていたのだ。
これで話は終わった。ツグミは「そろそろ、これで」と切り上げて、席を立とうとした。
すると紀明は、色々とお土産を持たせてくれた。地元名産「くらしき美味処」の包装紙に包まれた菓子折り詰めに、佃煮の小瓶、それから、羊羹の袋も入っていた。
ツグミは嬉しくなって、普段は滅多に出さない店の名刺を渡して「今度、是非、家で鑑定を」とアピールした。
玄関に戻ろうと廊下を歩いていると、ツグミはふと、左脇の通路に何かあるのに気付いた。その廊下はこの屋敷にしては幅が狭く、雨戸も締め切られてひどく暗かった。
そんな場所に、板状の何かが立て掛けられていた。ツグミは即座に、あれがキャンバスだと判断した。大きさは100号相当。絵は見えないが、大作には違いないだろう。
ツグミは、ちょっと嫌な気持ちになった。絵画をあんなふうに立て掛けておくのは、感心しない。
紀明はツグミの視線に気付いたらしく、同じ方向に目を向けた。
「ああ、あれ? 今、蔵の中の美術品を整理していてね。見苦しくって、すまないんだけど。そうだ。また今度おいでよ。今度は蔵の中の美術品鑑定にね」
紀明はツグミの表情から気持ちを読み取ったらしく、ちょっと明るい声で言った。それでも、ツグミの紀明に対する評価は、ちょっとマイナス気味になってしまった。
玄関までやって来て、靴を履いてそろそろ別れの挨拶、というところで、女中が「旦那様」と声を掛けた。
女中は風呂敷に包んだ板状のものを持ってきた。淡い藍色の風呂敷で、包まれているものは絵画だった。
「ああ、そうだった。実は国分さんから預かっていた絵はもう1枚あったんだ。君にだよ」
紀明は風呂敷に包まれた絵画を受け取ると、そのままツグミに手渡した。
「私にですか?」
ツグミは予想もしない展開に、少し戸惑いを覚えた。
中身は何だろう。とツグミはさっそく包みを解いてみた。
絵画の大きさは40号相当。絵画はミレー風の、いや、ミレーとしか言いようのない作品だった。農夫が夕陽を背にしながら、畑に鋤を入れていた。
普通なら、ミレー作品と断じてしまいそうだが、ツグミは絵を見た瞬間にはっと理解した。川村さんの絵だ、と。
「国分さんは、その絵は大事なものだから、しばらく預かってほしいって言ったんだ。それで、『いつか左脚の不自由な女の子が訊ねてくるから、必ず渡して欲しい』って。何の話かわからないまま引き受けてしまったけど、今ようやくわかったよ。左脚の不自由な女の子って、君のことだね」
紀明は身を屈め、ツグミを覗き込むようにして、事の次第を説明した。
「はい、私です。ありがとうございました」
ツグミは思いがけない贈り物に、声を裏返らせて、紀明に深く頭を下げた。
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※ 物語中に登場する美術家、美術作品、美術用語はすべて空想のものです。
■2015/12/20 (Sun)
創作小説■
第7章 王国炎上
前回を読む
9
セシルたちの軍は城壁を背に防衛戦を敷いて、弓兵で牽制しつつ、ガラティア、ブリタニア両騎士団が列を作って一点集中攻撃を加えた。そこに突破口を作り、歩兵がしらみ潰しにネフィリムを駆逐する作戦だ。ところが、この作戦は失敗だった。敵の軍勢は想像以上に厚く、勢いの強い攻撃に突撃の力が削がれ、ついにはその中腹で、騎士団は完全に勢いを失ってしまった。
ネフィリムたちが騎士達の上に次々と被さってくる。瞬く間に黒だかりの山に飲み込まれてしまった。騎士達の後方に続いていた歩兵も勢いが続かず、押し返される結果となった。敵に取り囲まれた騎士達を取り返すことはできず、次なる突撃で取り返せたのは、彼らの亡骸だけであった。
問題なのは、敵の異様なまでの数と、兵士の疲労であった。それゆえに勢いが続かず、五分五分どころか、じりじりと後退しはじめていた。
地平の果てまで続くネフィリムの軍団は、歩兵の集団を完全に取り囲んで、セシル達のいる本陣へと横殴りに攻撃を加えた。
セシルの対応は迅速であった。セシル達はただちに本部を捨てて全員を馬に乗せると、東から向かってくるネフィリムに正面から突撃を加えた。ネフィリムの軍勢の先端を切り崩すと、素早く方向転換して西側から回り込もうとする一団に攻撃を加えた。
しかしそれですら充分な攻撃とは言えず、ともかく数という面では圧倒的なネフィリムを足止めするには至らなかった。
ネフィリムは絶えず押し寄せてくる。セシルの軍勢は取り囲まれてしまった。平原は完全にネフィリムに埋め尽くされて、人間とネフィリムがまだらに混じり合う乱戦の様相を呈した。
時間は刻々と過ぎていく。太陽は一度も光を見せずに、西の空に没しようとしていた。
ネフィリムの勢力も数もとどまることなく続き、短期決戦の作戦は完全に崩壊していた。戦いは終わりが見えず、誰の目にも明らかな劣勢だった。
夜を手前にして、雨が止んだ。それまで雲に隠れていた太陽が、ほんの一瞬姿を見せた。しかし風景をこれでもかというくらい不吉な赤に染めた。そんな最中、人々はあの咆吼を聞いた。地獄の底から使者が放たれた事態を示す、この世で最も不気味で禍々しい唸りだった。
地平線の向こうに現れたのは、悪魔が率いるネフィリムの第3陣の軍団だった。その数は例によって多かった。中心を歩くのは巨大な身体を持った悪魔だった。悪魔は暮れかけた太陽の光に、その巨体を真っ黒な影に変えていた。
それは、まさしく人々の希望が奈落の底に叩き落とされる瞬間だった。
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■2015/12/19 (Sat)
創作小説■
第5章 Art Crime
前回を読む
12
ツグミは思考を中断し、本題に戻った。「それで、その男の人と交換した品というのは?」
「蔵の中にあった、2枚の絵画だったねえ。ちらと見たけど、いまいち、ぱっとしない、無名作家の作品だったね。多分、彼自身が描いたものだろう。父は画家に援助もしていたから、彼もその1人だと思う。だから、交換しても構わないだろう、と思ったんだが」
紀明の口ぶりに、何となく懸念のようなものが浮かんでいた。もしかしたら、男が持って行ったものが高額なものかも知れない、と今さら思い始めているのだろうか。
「どんな絵だったか、憶えていますか?」
ツグミはさらに疑問を掘り下げた。
紀明は額や眉間に皺を寄せて、思い出すふうにした。が、すぐに首を振った。
「……すまない。憶えてないな。蔵の中には、あまりにもたくさんの絵があるし、ちらっと見ただけだから」
ツグミはちょっとがっかりした。実物の写真でもあれば、そこから誰が描いたかある程度の判断をつけられるのに……。
「それじゃ、名前は? 憶えていませんか。男の人の名前」
ツグミは質問を変えて、男の正体を探った。少し期待をして、密かにドキドキした。
「それは、はっきり憶えているよ。『国分徹』。ちゃんと領収書も書いてもらったから、間違いないよ」
紀明は頷き、今日一番の自信で断言した。
ツグミは声に出さず、「あれ?」という気になった。高まった期待が一気に冷やされる。別の男性の名前が出ると思ってたのに……。
「お父様は、眞人さんは、美術に詳しいという話でしたけど、どんなふうでした?」
ちょっと間があって、ツグミは次の質問をした。何を聞いていいかわからず、何となく、質問の軸がぶれてきた感じだった。
「父はこの辺の美術商の総元締めだったんだ。よく知らないけど、交換会にもかなり強い影響力を持てたらしい。実は、大原美術館のコレクションは、交換会で動員をかけて集めさせたって話だよ。葬式の時にも、そういう美術関係の人は一杯来ていたな」
初めて、紀明自身の体験とは違う話が出てきた。それでも、紀明は淀みなく話を続けていく。
何も考えずに出した質問だったけど、ツグミは何か「ピンッ」と来るものがあった。
「その時、葬式の時ですけど、ちょっと怪しい人たちって来てませんでした? 何となくヤクザ風、っていう感じの。名前は、そう『宮川大河』って言うんですけど」
急に思いついたことで、言葉を探りながら話した。
紀明は理解してくれて、いちいち頷いてくれた。
「ああ、来てたね。中国語を話していたから、よく憶えているよ」
紀明はちょっと不機嫌そうな顔になった。ヤクザが嫌いなのだろう。
「中国語ですか?」
「うん。そういう連中は皆、身内では中国語を話してたよ。父は手広く仕事していたからね。やっぱりああいう連中にも知り合いがいるんだろうと思ったけど。宮川だったね。今、調べさせるよ」
紀明は手を叩いて、女中を呼びつけた。女中は指示を聞くと、「はい、ただいま」と慌てず、静かに去っていった。
話が途切れた。ツグミと紀明は無言になってお茶を啜り、羊羹を切り崩す。
羊羹の味は絶品だった。一口で高級品とわかる深みのある甘さだった。おかわりが欲しかったけど、それはさすがに遠慮した。
でもツグミは、この羊羹を持ち帰ってコルリにも食べさせたいと思った。言えば、持ち帰らせてくれるかな……。
ツグミは切り出すタイミングを探って、何となくそわそわとしはじめてしまった。
そのせいで無言の間が長く続き、ツグミはちょっと気まずいような気持ちになってしまった。
「あの、その……、ちょっと見ていただきたいものがあるんですけど」
ツグミは羊羹の話題をするつもりだったけど、急に恥ずかしいような気持ちになってしまって、はぐらかすように別の話題を引っ張り出した。
「こういう人は知りませんか。捜しているんですけど」
ツグミはポケットの中に入れていた、川村の肖像写真を紀明に差し出した。
「ああ、国分徹さん?」
紀明は写真を覗き込んで、即答した。
「え? 今、何て?」
予想もしない答えに、思わず身を乗り出して聞き返してしまった。胸の中で、何かが大きく跳ね上がる気がした。
ツグミの反応に、紀明がいくらか怪訝な様子を見せた。
「国分徹さんだよ。間違いなく。それで、この人が何か?」
「い、いえ。別に」
ツグミは取り繕うように言うと、どうにか作り笑顔を浮かべて、写真と体を引っ込めた。
やはり『ガリラヤの海の嵐』を描いたのは川村だった! ツグミの勘は間違っていなかったのだ。
しかし、ツグミは写真を見詰めて、複雑な気持ちになった。
川村――国分――。あなたは誰なの?
心の中で、動かぬ川村の写真に問い掛けた。
1歩でも近付いたら、逆に新しい謎が立ち塞がり、遠ざかっていくような気がした。その度に、ツグミの体内に記憶された、川村の実像が怪しくなるような感じだった。
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※ 物語中に登場する美術家、美術作品、美術用語はすべて空想のものです。