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■2016/01/13 (Wed)
創作小説■
第5章 Art Crime
前回を読む
24
ツグミは外の風景を見ようとは思わなかった。堅気ではない男が、じっとツグミを見ている。ツグミは怖くて、リュックを盾のつもりで抱きしめて、体を小さく縮めた。足が震えて止まらなかった。脇の下に汗が染み出してくる。寒いところに飛び出したみたいに、呼吸が震えた。
「貸金庫の中に、何が入っていた」
しばらくして、宮川が切り出した。ツグミは、ビクッと宮川を振り返った。
「別に。……貯金、していました」
消え入りそうな声で、首を横に振った。
宮川は組んでいた足をさっと戻し、ツグミに顔を寄せた。
「嘘は言わないほうがいい。君は2日前、倉敷に行った。そこで1枚の絵画を受け取った。絵画の中から、貸金庫のカードを手に入れた。自分たちだけの秘密のつもりか? 我々はぜんぶ知っている。ついさっきまで、君には尾行が付いていた。もう1度聞く。貸金庫に、何が、入っていた?」
静かに、ゆっくりと、一語一語に脅しが込められていた。
ツグミは怖くて、さらに座席の隅に逃れようとした。しかし、それ以上に下がれる場所はなかった。空気が急に薄くなったみたいに、浅く呼吸をしていた。恐怖に耐え切れず、泣いてしまいそうだった。
ちらと隣に座る大男に目を向けた。サングラス越しに、異様にギラギラした目をツグミに向けていた。
誰も助けてくれない。心が挫けそうだった。ツグミは諦めて、コートの左ポケットに手を入れた。震える指先が、『それ』を握る。
ツグミは1度間を置いて、宮川と大男を見た。2人は一様に、目で「早くしろ」と急き立てていた。
ツグミはゆっくりと宮川の前に手を差し出し、開いて見せた。百円のライターだった。
「何だ、これは?」
宮川は苛ついた顔で、ツグミを睨み付けた。
ツグミはその一睨みだけで、全身にゾッと寒気が走るのを感じた。手を出したままの格好で、動けなくなってしまった。
ツグミが答えないでいると、宮川はもう1度、百円ライターに目を向けた。それで、何かに気付いたように、眉間に皺を寄せた。
「燃やしたな」
確認するように、宮川がツグミを睨む。
ツグミは口を開くが、声が出なかった。その代わりに、小さく頷いた。
貸金庫に入っていたのは1号の絵は、トイレに持っていって、即座に燃やした。百円ライターと一緒に入れてあったのは、そうしろという指示だ、と解釈した。
突然に、宮川がツグミを殴った。ツグミの左顔面に拳がぶつかる。巨大な鉄塊みたいだった。
ツグミは窓に体をぶつけて、一瞬、くらっと意識が暗転しかけた。手に持っていたライターが、どこかに吹っ飛んでしまう。
すぐに痛みは来なかったが、顔の左側を押えた。ショックがあまりにも大きくて、涙がぽろぽろとこぼれた。
次回を読む
目次
※ 物語中に登場する美術家、美術作品、美術用語はすべて空想のものです。
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■2016/01/12 (Tue)
創作小説■
第8章 秘密都市セント・マーチン
前回を読む
3
会議を終えると、オークは簡単な事務仕事だけ済ませて、足早にとある客室に向かった。その部屋は、最上級の賓客のために用意される部屋で、うらぶれたこの城の中にあって、そこだけ贅に尽くされた調度品と装飾品で飾られた。その部屋の天蓋付きのベッドに、ソフィーが眠っていた。側で覗き込んでみると、安らかに眠っているように見える。今にも目を覚まして、いつでも優しげな調子で話してくれそうな――しかしそんな血色のいい寝顔も、実は医者の薬と僧侶の祈りで辛うじて保たれているものだった。
オーク
「容態は?」
ドルイド
「変わりありません」
側で看病している僧侶が答えた。
オーク
「そうですか」
オークはベッドの側に置かれたスツールに座ると、ソフィーの頬を撫でた。柔らかくて暖かい感触。美しい頬だった。しかしソフィーが目を覚ましそうな気配はなかった。
あの大魔法の後、ソフィーの意識は途絶え、どんな医師の薬も僧侶の祈祷も効かず、眠り続けていた。街を救った聖女として最上級の環境が用意されたが、今のところ充分な効果が現れたとは言い難い。
ノックの音。振り返ると、入口にセシルが立っていた。
セシル
「よいか」
オーク
「はい」
オークは一度席を立ち、セシルを迎え入れた。
椅子がもう1脚用意され、セシルとオークは向き合うように座った。
セシル
「大した女だ。バン・シーが言うには、あの魔法が効いている間はネフィリムは城下に入ってこれんらしい。わずか1日の間に、それだけの大魔法を習得して戻ってくるドルイドなど、例に聞いたことがない」
オーク
「不思議な人です。側にいると暖かい気持ちになります。ドルイドの歴史の中でも、例を見ない才女であると聞きました」
セシル
「まだ目を覚ませんのか」
オーク
「バン・シー殿が言いました。この者の心は闇に捕らわれた、と。だから決して目を覚ますことはないそうです」
結局、医師にも僧侶にも下せない診断を下したのは、バン・シーだった。
それは悪魔達の最後のあがきだった。魔術の光に包まれ、消え行こうとする瞬間、魔の者共はソフィーの魂を掴み、不浄なる闇の世界へと引きずり込んだのだ。
そうバン・シーが告げた時、オークは憤慨した。
オーク
「なぜそのような魔術を使わせたのです」
バン・シー
「そうさせたのはそなたであろう」
反論できなかった。バン・シーの言葉は冷たくオークの胸に突き刺さった。
セシル
「ずっと側にいるつもりか」
オーク
「知らないうちに冷たくしていました。目を覚ます時は、側にいるつもりです」
セシル
「女とはそういうものだ。男の立場で気を遣ったつもりでも、女はそう受け取らない。体も男と同じように丈夫というわけにはいかんのに、無理してでも男の側にいようとする」
オーク
「この人は意志が強いのです。私はその意志の強さを知りながら、無理させたのです」
セシル
「……そうか」
長く沈黙が降りた。オークは美しき乙女を見詰め、セシルはその2人を見詰めた。
セシル
「……実は大事な話をしようと思って来た」
ようやくセシルは、何か告白するみたいに切り出した。オークもセシルを見た。
オーク
「…………」
セシル
「私にはかつて弟がいた。名をオークという」
オーク
「…………」
セシル
「しかし生まれて2ヶ月が過ぎたある夜、ふとした油断から、取りかえっ子に連れさらわれてしまった」
オーク
「その子供は、生きているのですか」
セシル
「わからん。その後も何度もスクライヤー(※)に居場所を占わせて捜索隊が調査に出たが、見付かることはなかった。それでも私も父も、今でも望みを捨てられんのだ。もし生きておれば、ちょうどお前と同じ年齢だ。――オークよ、今一度聞く。オークの名前は生来の名ではないのだな」
オークは首を横に振った。
オーク
「いいえ。私が母から授かった名前はミルディです。ドル族の族長の子として生を受けた者です」
セシル
「……そうか」
明らかに落胆した様子だった。
セシル
「『妖精に連れさらわれた子が幸福になることはない』……。邪魔をしたな。私はしなければならない仕事がいくつもある。彼女の側にいてやれ」
セシルはそう言って、オークの肩に手を置いて、早々に部屋を出て行った。オークは君子の後ろ姿に頭を下げて、見送った。ひどく寂しげな背中だった。
※ 水晶を使った占いをする人のこと。この時代は石を覗き込み、そこで見えたものを予言として伝えていた。水晶玉が使用されるのは、研磨剤が発明されてから。
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■2016/01/11 (Mon)
創作小説■
第5章 Art Crime
前回を読む
23
ツグミは自動扉を潜って、外の通りに出た。通りは相変わらず人が犇いていて、間もなく傾き掛けた日が街を夕暮れの色に染めようとしていた。でも、ツグミは解放的な気分になって、そこで背伸びでもしたい気持ちになった。といっても、目の前は人ごみで、周りは排ガスまみれだからしないけど。
このまま、ちょっとセンター街をぶらついてから帰ろうかな、と簡単な計画を立てた。
しかし、目の前に大男が立ち塞がった。2メートルはありそうな筋肉質の巨体。ダークスーツにサングラス、鼻の下には髭。誰がどう見ても、堅気には見えなかった。
ツグミはびっくりして大男を見上げた。逃げようと方向転換する。が、そこにもう1人、全く同じ容貌の巨人が行く手を阻んだ。
ツグミは困惑した。どうしよう、と2人の大男を交互に見上げた。
すると、大男の1人が、すっと頭を下げた。
「お嬢、お迎えに上がりました」
大男は目の前のバス停留場を示した。
見ると、そこに黒のクラウン・バンが待ち構えていた。異様に角ばった高級感のある車は、明るい陽射しの下で、ひどく場違いな歪さを主張していた。それが、ドアを開けて、ツグミを待ち構えている……。
ツグミは、助けを求めるつもりで周りに目を向けた。誰も、ツグミを見ていなかった。バス停留所で待つ人たちも、みんなツグミから背を向けていた。多分、みんな怖くてツグミから目を逸らしているのだ。
大男を見ると、目に「早くしろ」と露骨な苛立ちを浮かばせていた。
どうやら、今のツグミの立場は「ヤクザのお嬢さん」らしい。周りの人たちも、きっとそんな目でツグミを見ているのだろう。
ツグミは男達に従うことにした。杖をついて、クラウン・バンに近付く。2人の大男がツグミの後にぴったり従いてきた。
これがSPだったら心強い。でもその正反対だから、プレッシャー以外の何物でもなかった。
クラウン・バンに乗り込む前に、まず中の様子を覗きこんだ。
中は思った以上に広々とした空間で、座席が対面式で並んでいた。シートは高級感のありそうな白の革張りになっている。天井に、きらきら輝く照明が吊り下げられていた。
どこかしら威圧感のある高級感で、やはりヤクザの車以外の何物でもなかった。
座席の運転席側に、宮川大河が1人で座っていた。汚れ1つない白のスーツを着て、長い足をゆったりと組んでいる。
ツグミが宮川を見ると、宮川はこちらを振り向き、軽く微笑んだ。「また会ったな」という感じで。
ツグミは宮川から目を逸らした。何となく、宮川がいるような予感がしていた。
ツグミは身をかがめて車の中に入ると、リュックを膝の上に乗せて、後部座席の奥に座った。
外にいた大男が1人、ぬっと入って来て、ツグミの隣に座った。ツグミはさらに奥へ、向いのドアに体がくっつくくらいのところまで下がった。
最後に残った1人が、ドアを閉めた。完璧な所作で、頭を下げる。
誰の指示もなく、運転手が車を発進させた。快適な挙動で車が動き出し、車道の列の中へと入っていく。
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※ 物語中に登場する美術家、美術作品、美術用語はすべて空想のものです。
■2016/01/10 (Sun)
創作小説■
第8章 秘密都市セント・マーチン
前回を読む
2
広間に入ると、セシルを筆頭に参謀や戦士といった面々がバン・シーを待ち受けていた。バン・シー
「悪魔が何体甦ったのかわからん。複数同時に甦る前例はなくはなかったが、これだけの規模のものになると、やはりかつてない現象だ。もはや、キール・ブリシュトを正面から侵入するのは難しいだろう」
バン・シーは地図を広げながら説明する。国土の全域が描かれた地図には、城の南南東の方角に描き込まれたばかりのキール・ブリシュトが置かれていた。
参謀
「ならばいかんとする。敵の根城は山岳に囲まれ、侵入は困難。大軍を動かしても、容易には攻められぬ」
バン・シー
「そうだ。だから別の侵入口を使いたい。セント・マーチンの地下空洞だ」
セント・マーチンと聞いて、人々が動揺の声を上げた。多くはあまりにも聞き慣れない言葉への動揺だった。
セシル
「待ってくれ。何の話だ? セント・マーチンの地下空洞とは?」
バン・シー
「知らないのか。このガラティアの地下には、いくつもの地下空洞があり、かつて人間ならざる者達が地下王国を築いていた。この王国は、その彼らとの交易で、繁栄したのだ」
誰もが互いに、「知っているか」と言い合った。
バン・シーは呆れたように続けた。
バン・シー
「やれやれ。伝承の語り手はいったい何をしていた。ともかく、地下の通路を使い、キール・ブリシュトを目指す」
参謀
「そんな地下通路が実際にあるとして――今もその道が通じているという保証は? 本当にキール・ブリシュトに繋がっているのか」
バン・シー
「繋がっているさ。地下王国を滅ぼしたのはクロースだ。クロースは地下世界の住民を皆殺しにして、その空間をそのまま利用し、キール・ブリシュトに通じる道を作った。地下空洞は、今もキール・ブリシュトで最も重要な心臓部に繋がっている」
武将
「私は少年の頃、あちこちの洞窟に入っては探検したものだが、そなたの言うような地下空洞は見たことがない」
バン・シー
「当然だ。私が破壊して塞いだからな。だから長年、洞窟からネフィリムが現れなかった。棲み着くことはあったがな。しかしごく最近、どうやらネフィリムは掘削の技術を学んだらしい。私の塞いだ道が再び掘り返され、しかもその道が延長されている」
セシル
「馬鹿な。ネフィリムにそんな知恵はない」
バン・シー
「その通りだ。ネフィリムには知恵はない。しかしネフィリムは常に同じ姿をしているのではない。時代とともにゆっくりと姿を変える。私も長年奴らを見続けたが、今ほど強く、賢かった時代はない。連中がなぜあちこちの洞窟から姿を現すようになったのか、貴辺らは少しも考えなかったのかね。奴らは知恵を得て、洞窟を完成させたのだ」
参謀
「……そなたは、一体何者なのだ? なぜ何もかもを知っている?」
バン・シー
「私は古い伝承の語り手だ。草から草へ、石から石へ、音から音へ。それを追い、伝えるのが本来の私の役目だ」
オーク
「バン・シー殿。先ほど言われた最も重要な場所とは?」
バン・シー
「悪魔の王だ。そこに悪魔の王がいる」
オーク
「まさか、その者との戦いに……?」
一同がどよめいた。
バン・シー
「いいや。奴はまだ復活していない。悪魔の王の封印は特別厳重だ。今回は通り過ぎるだけでいいだろう。ただし、封印を解く方法を、悪魔達が記憶していると考えられる。悪魔の王の復活を阻止するためにも、作戦は迅速であることが望まれる。軍を3箇所に分けさせ、東、西、南の3点から洞窟に侵入し、キール・ブリシュトで合流しよう」
バン・シーは地図の上に指先を置いた。魔法の力が、地図にキール・ブリシュトを中心とした地下空洞の道筋を描き始めた。地下空洞は複雑に折れ重なりながら、3つの入口の場所を示した。それはガラティアのほぼ東部分を占める大きさだった。その広大さに、集まった一同が驚いた。
オークも、別の驚きで地図を見ていた。
オーク
「バン・シー殿……ここは」
バン・シー
「懐かしかろう。あそここそ、キール・ブリシュトに繋がる入口だったのだ」
忘れもしない。オークとバン・シーが初めて出会った、あの場所だった。全ての始まりの、あの洞窟だった。
バン・シー
「出発は3日後だ。皆も戦で何日も眠っておらぬだろう。3日のうちに充分英気を養っておけ。以上だ」
そうして、会議は解散となった。
◇
廊下に出たバン・シーをゼインが追いかけた。
ゼイン
「バン・シー殿、待ってくだされ」
バン・シー
「何だ?」
ゼイン
「1つ聞きたいことがあってな。あの時だ。ソフィー様があの魔法を使ったあの瞬間、多くの兵が奇妙な体験をした。わしもなのだが……魔法が発動された後、しばし時間が止まったように思えるのじゃ。いや、気のせいかも知れないが……」
バン・シー
「間違っておらんよ。確かに時間は止まっていた」
ゼイン
「本当か?」
バン・シー
「魔法とは、神が定めた法則を一時的に狂わせる技だ。魔法が発動された瞬間、法則に齟齬が生まれ、それを修正するために時が止まる。こんな小さな魔法でも、一瞬時間が止まっているのだ」
と、バン・シーは指先に火の玉を浮かばせた。
ゼイン
「ほう!」
バン・シー
「大きな魔法なら、静止する時間も大きくなる。優れた魔法使いならば、その静止した時間の中で、さらに別の魔法を使える。未熟な魔法使いは、静止する瞬間も自覚できないと思うがな。この世界には、もっと大きな魔法がある。そうした魔法が使用されれば、静止する瞬間は、より大きくなる。魔力を持たぬ者も、静止する瞬間が感じられるだろう」
ゼイン
「なるほど、なるほど。ではバン・シー殿がいつまでも若々しいのは……」
バン・シーは、指先に浮かべた火の玉をゼインの鼻先にぶつけた。
バン・シー
「そこを追求すると、火で焼き殺すぞ」
ゼイン
「……すまなかった」
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目次
■2016/01/09 (Sat)
創作小説■
第5章 Art Crime
前回を読む
22
画面が再びピーッと音を鳴らした。心臓に悪い音だけど、2度目だから少しは耐性ができた。と思ったが、今度は電話が鳴った。
びっくりして周囲を見回す。いったい、どこから?
左手の、目線から外れる位置に、電話が掛けてあった。とりあえず、電話を静めるために、受話器を取った。
「番号をお忘れですか?」
淡々とした、男性の銀行員の声だった。
「すみません。番号を押し間違えたんです」
ツグミは焦って早口に言い返すと、一方的に受話器を戻した。ますます電話がトラウマになってしまった。
ツグミはうなだれるように視線を落とし、気持ちを鎮めようとした。両掌で顔を覆うようにして汗を拭った。顔も掌もベトベトで、返って気持悪くなった。トレンチコートの袖口で拭うと、べったりと汗を吸い込んだ。
周到な川村さんのことだ。どこかに必ずヒントを残しているはずだ。
ツグミはじっくりと考えた。記憶の中から川村に関するところだけを、ピックアップして早送りをした。
こんな場合、暗証番号はどう設定するだろう。誕生日? 住んでいるところの番地? 電話番号……。
……電話番号。
ツグミは「あっ」と声を上げてモニターに飛びついた。
『6092―7824』
川村の電話番号だ。かけようとしても、遂に繋がらなかった、あの不自然な電話番号。そうだ、そういえばあの番号、もともとは8桁だった。
入力してから、少し間があった。モニターは何も反応せず、入力画面を表示し続けた。ツグミはその間、息を止めて待った。
やがて、画面が切り替わった。
『ロックを解除します』
ツグミは体から力が抜けて、「はあー」と長く息を吐いた。
正面の把手の付いた枠が、ガチャッと少し隙間を開けた。把手を掴んで開けると、向うに引き出しが現れた。それが貸金庫の本体だ。
引き出しの把手を手に取り、引っ張り出して、カウンターの上に置いた。
小さかった。小さなカウンターに載る程度の大きさで、奥行きはせいぜい30センチくらい、厚さは10センチ程度だった。
ツグミはにわかに緊張した。「この中に、川村さんが預けた何かが」と思うと、さんざん汗を掻いた後だというのに、自分の気持ちを勿体つけたくなってしまった。開けないまま色々想像して、気持を少し昂らせてしまった。
ツグミは、ゆっくりと引き出しの中を開けた。中に入っていたのはたったの2点。1号キャンバスと、百円ライターだけだった。
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※ 物語中に登場する美術家、美術作品、美術用語はすべて空想のものです。