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■2010/01/04 (Mon)
映画:外国映画■
刑事ニックは押収品の横領を疑われていた。6月の事件で得た押収品の一部が消えている。
ニックは妻と離婚し、慰謝料と子供の養育費で相当の出費があるはずだ。内務捜査官は、ニックが押収品を横流しし、それで得た金を慰謝料と養育費にしていると考えていた。
もちろんニックは容疑を否認。そんなはずはない、と完全否定した。
査問が終わり、ニックはレストランで同僚のチャーリーと合流する。
そこで和やかに昼食――というわけにはいかなかった。レストランには日本のヤクザも居合わせていた。ニックとチャーリーはヤクザを気にしながら食事を続ける。
そこに、黒いコートの男が現れた。佐藤だ。
佐藤はヤクザの一団の中へ入っていくと、何かを奪って立ち去ろうとする。だがその時、日本人のうちの誰かが佐藤に何か言った。
これに佐藤は逆上した。レストランに集ったヤクザ2人を殺害し、去っていく。
ニックとチャーリーはただちに佐藤を追跡した。
格闘戦の末、ニックたちは佐藤を現行犯逮捕する。しかし佐藤の身柄はただちに日本に送られることになった。日本大使館員が介入してきたのだ。
ニックとチャーリーはしぶしぶ佐藤を日本まで護送する。
日本に到着したところで偽の警官が現れ、ニックは疑いを抱かず書類にサインし、佐藤を引き渡してしまう。
日本まで来て佐藤を逃がしてしまった失態に、日本の警察は激怒。ニックとチャーリーは捜査の権限を奪われ、さらに松本警部補の監視下に置かれる。
それでもニックは、佐藤逮捕を諦めず果敢に事件に挑む。
日本にやって来た最初のカット。『ブレードランナー』のようだがこの風景は映画のフィルターを通さずとも実際に見られる。伊勢丹空港周辺の工業地帯を晴れた夕暮れ時に走るとこの通りの風景が見られる。
舞台は日本。しかも大阪だ。もちろん日本でロケーションされた映画だ。
だが『ブラック・レイン』で見る日本は、馴染みのある場所ではない。どこか奇妙で、知らない世界のようにすら見える。『ブラック・レイン』が描く日本の風景はあまりにも猥雑で、騒々しく、あちこちで不浄のガスが渦巻いている。まるでSF映画でも見ているような奇妙な印象すらある。
道頓堀周辺らしき場所。ロケのほとんどはここで撮影された。奇妙な漢字の並ぶシーンはセット撮影だ。日本人出演者が間違いを指摘してもよかったと思うのだが。日米合作映画とはいえ、現実的にはアメリカ主導で制作されたとよくわかる。
欧米人にとって、日本は未だに遠い国である。
サムライが国を治め、ニンジャが裏社会を暗躍し、ゲイシャが夜を慰める……。
欧米人による日本人の印象なんてその程度だ。いまだ日本と中国の区別が難しいらしく、背景に奇妙な漢字が並ぶ。大量の自転車が横切ったりなど、中国のステレオタイプ的風景も登場する。
日本でロケーションされているが、映画はあえてなのか日本を親しみある場所として描いていない。遠い、どこかにあるかも知れない――あくまでも異界としての日本なのだ。
『ブラック・レイン』での日本とは飽くまでも“素材”なのであって、描こうとしたのはリドリー・スコットの感性が描く“異世界”なのである。
この映画でも対決の構図が描かれている。
物語はわかりやすい典型的な異界冒険譚として描かれる。
セオリー通りに物語がはじまり、事件が起き、アメリカ人が介入することによって解決する。事件解決のご褒美は当然、美女のキッスだ。実にハリウッド・エンターティメントとして行儀のいい作品である。
この映画で新鮮な印象をもたらすのは、リドリー・スコットがイメージして見せた“異界”としての日本であって、その物語にはない。
それからもう1つ。この映画において語らねばならないのは松田優作の存在だ。
松田優作の演技は素晴らしく、出演時間は短いものの強烈な印象を残す。不良刑事であるニックですら、松田優作が演じる佐藤の前では平凡な優等生に見えて、映画の枠組みの中に埋没している。
松田優作だけが映画のフレームを飛躍して自由に奔放に振舞い、強烈な印象を残して去っていく。
もしこの映画が心に残るとしたら、松田優作の存在感によるものだろう。
映画記事一覧
監督:リドリー・スコット
脚本:クレイグ・ボロティン ウォーレン・ルイス
撮影:ヤン・デ・ボン 音楽:ハンス・ジマー
出演:松田優作 マイケル・ダグラス 高倉健
〇 アンディ・ガルシア ケイト・キャプショー
〇 若山富三郎 内田裕也 國村隼
〇 安岡力也 神山繁 ガッツ石松
ニックは妻と離婚し、慰謝料と子供の養育費で相当の出費があるはずだ。内務捜査官は、ニックが押収品を横流しし、それで得た金を慰謝料と養育費にしていると考えていた。
もちろんニックは容疑を否認。そんなはずはない、と完全否定した。
査問が終わり、ニックはレストランで同僚のチャーリーと合流する。
そこで和やかに昼食――というわけにはいかなかった。レストランには日本のヤクザも居合わせていた。ニックとチャーリーはヤクザを気にしながら食事を続ける。
そこに、黒いコートの男が現れた。佐藤だ。
佐藤はヤクザの一団の中へ入っていくと、何かを奪って立ち去ろうとする。だがその時、日本人のうちの誰かが佐藤に何か言った。
これに佐藤は逆上した。レストランに集ったヤクザ2人を殺害し、去っていく。
ニックとチャーリーはただちに佐藤を追跡した。
格闘戦の末、ニックたちは佐藤を現行犯逮捕する。しかし佐藤の身柄はただちに日本に送られることになった。日本大使館員が介入してきたのだ。
ニックとチャーリーはしぶしぶ佐藤を日本まで護送する。
日本に到着したところで偽の警官が現れ、ニックは疑いを抱かず書類にサインし、佐藤を引き渡してしまう。
日本まで来て佐藤を逃がしてしまった失態に、日本の警察は激怒。ニックとチャーリーは捜査の権限を奪われ、さらに松本警部補の監視下に置かれる。
それでもニックは、佐藤逮捕を諦めず果敢に事件に挑む。
日本にやって来た最初のカット。『ブレードランナー』のようだがこの風景は映画のフィルターを通さずとも実際に見られる。伊勢丹空港周辺の工業地帯を晴れた夕暮れ時に走るとこの通りの風景が見られる。
舞台は日本。しかも大阪だ。もちろん日本でロケーションされた映画だ。
だが『ブラック・レイン』で見る日本は、馴染みのある場所ではない。どこか奇妙で、知らない世界のようにすら見える。『ブラック・レイン』が描く日本の風景はあまりにも猥雑で、騒々しく、あちこちで不浄のガスが渦巻いている。まるでSF映画でも見ているような奇妙な印象すらある。
道頓堀周辺らしき場所。ロケのほとんどはここで撮影された。奇妙な漢字の並ぶシーンはセット撮影だ。日本人出演者が間違いを指摘してもよかったと思うのだが。日米合作映画とはいえ、現実的にはアメリカ主導で制作されたとよくわかる。
欧米人にとって、日本は未だに遠い国である。
サムライが国を治め、ニンジャが裏社会を暗躍し、ゲイシャが夜を慰める……。
欧米人による日本人の印象なんてその程度だ。いまだ日本と中国の区別が難しいらしく、背景に奇妙な漢字が並ぶ。大量の自転車が横切ったりなど、中国のステレオタイプ的風景も登場する。
日本でロケーションされているが、映画はあえてなのか日本を親しみある場所として描いていない。遠い、どこかにあるかも知れない――あくまでも異界としての日本なのだ。
『ブラック・レイン』での日本とは飽くまでも“素材”なのであって、描こうとしたのはリドリー・スコットの感性が描く“異世界”なのである。
この映画でも対決の構図が描かれている。
物語はわかりやすい典型的な異界冒険譚として描かれる。
セオリー通りに物語がはじまり、事件が起き、アメリカ人が介入することによって解決する。事件解決のご褒美は当然、美女のキッスだ。実にハリウッド・エンターティメントとして行儀のいい作品である。
この映画で新鮮な印象をもたらすのは、リドリー・スコットがイメージして見せた“異界”としての日本であって、その物語にはない。
それからもう1つ。この映画において語らねばならないのは松田優作の存在だ。
松田優作の演技は素晴らしく、出演時間は短いものの強烈な印象を残す。不良刑事であるニックですら、松田優作が演じる佐藤の前では平凡な優等生に見えて、映画の枠組みの中に埋没している。
松田優作だけが映画のフレームを飛躍して自由に奔放に振舞い、強烈な印象を残して去っていく。
もしこの映画が心に残るとしたら、松田優作の存在感によるものだろう。
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監督:リドリー・スコット
脚本:クレイグ・ボロティン ウォーレン・ルイス
撮影:ヤン・デ・ボン 音楽:ハンス・ジマー
出演:松田優作 マイケル・ダグラス 高倉健
〇 アンディ・ガルシア ケイト・キャプショー
〇 若山富三郎 内田裕也 國村隼
〇 安岡力也 神山繁 ガッツ石松
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