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■2010/01/06 (Wed)
映画:外国映画■
妖精の世界を見つけるには、生身の人間のままであってはならない。
肉体を捨てて、自ら妖精にならねばならない。
アーサーはおばあちゃんと二人きりで暮らす10歳の少年だった。
二人で暮らす家には広い庭があって、アーサーにとって空想の世界を育む場所だった。おじいちゃんが書いた本の中の妖精たちが、現実に存在する場所だった。
アーサーとおばあちゃんの平穏な日常が脅かされようとしていた。おばあちゃんには多くの借金があったのだ。すでに電気が止められ、電話も通じない。あと2日の間にまとまったお金を支払わないと、家を立ち退かねばならなかった。
そんな時アーサーは、広い庭のどこかにおじいちゃんがルビーを隠していると聞かされる。
ルビーのありかを知るには、妖精の世界を通らねばならなかった。
アーサーはおじいちゃんが隠した秘密の暗号を解き、妖精世界へ足を踏み入れる。
しかしそこは、邪悪なマルタザールに脅かされる場所だった。
アーサーは、妖精世界の平和のために、ルビーを得るために、戦いの旅に赴く。
“鍵”は実にファンタジックなアイテムだ。“鍵”は未知なる場所への扉を開けてくれるという期待がる。空想世界へ行くには必ず鍵が必要だ。しかし人間には妖精世界を発見できない。夢想世界の住人……自ら妖精にならなければならない。少年は妖精の世界に変えることで、妖精世界へと入っていく。
少年の意識の中では、現実と空想の世界は混同され、まだ分離されていない。現実世界の知識も生活に役立つものではなく、空想遊びの道具になる。
子供が異世界への冒険に招請されるのは、常に生活の危機に直面した時だ。深層心理学がそう解説しているし、すべての冒険物語は危機の直面から始まっている。
少年は心の平穏を手にするために、さらに厳しい危難と受難が待ち受ける場所に行くのだ。
空想世界への招請の切っ掛けは冒険心によるものではない。現実の危機に直面した時、はじめてその扉は開かれる。望んで空想世界に行けるものではないし、大抵は望まぬうちに妖精世界に迷い込んでしまう。そしてその向うにはもっと危険なものが待ち受けている。
現実世界の危機は常に見えにくいし、現実を捉えるのは難しい。現実を捉えようという努力はあらゆる哲学者が失敗してきた試みである。
だが空想世界の危機は具体的な形を持って迫ってくる。醜い怪物たちや、おぞましい暗黒の支配者。
空想世界では現実世界では決して試されないすべてが試される。
体力、知力、それから勇気。
その危難と受難に自ら挑み、達成した者にこそ、財宝が与えられるのだ。
妙にエッチな空気を振り撒くセレニア姫。もっとも空想世界の姫君は、少年が抱く性の象徴だ。空想世界の少女は、現実的なものを無視して構築した理想の女性像そのものだ。2次元の美少女が魅力的なのは、それが理想像だから当然だ。2次元美少女に魅力を感じないという人は、単に理想がないだけだろう。
映画の中で描かれる妖精世界の造形は、美しく、不思議な手触りがある。
空想世界の風景をまずミニチュアで作り、そのうえにデジタルのキャラクターを合成しているためだ。
何もかもをデジタルに頼らない工夫で、あの独特の手触りの感触を作り出している。
空想世界には人生のすべてがある。誕生、戦い、性、財宝、別離……。人生のすべてを凝縮させた濃密な世界、という例えもある。ファンタジーは現実よりも現実的な感性に満ちた場所である(現実はむしろ非現実的だ)。だがそんな世界の創造は、作り手にとっても危険が一杯に待ち受けている冒険なのである。
ところで、空想世界の創造は非常に難しい。
空想の世界は想像する限り無限であるが、その一方で、作り手の実力を容赦なく試されてしまう。
作り手の実力や、知識、まだ誰も発見していないアイデア。
それらすべてを結集させ、空想世界に説得力を持たせられなければ、作り手は三流のレッテルを貼り付けられてしまう。ファンタジーは現実世界のどの風景とも似てはいけないし、過去のどの創作作品の系譜に属してもならない。もしどこかに一片でも隙があれば、読者はただちに興醒めしてしまう。玄人である批評家はもっと容赦なくこき下ろすだろう。
“ファンタジーは子供向けだから、どの描写も通俗的でよい”なんて言い訳は通用しない。ほとんどの作り手はファンタジーを通俗的なイメージで埋め尽くし、「どうせ子供のものだから」と妥協している。創造の努力を始めから放棄している。だがそんな言い訳をしているうちはファンタジーの名作と肩を並べることは決してできず、どうでもいい駄作の中に埋もれるだろう。
空想世界の創造は作り手にとって最も楽しい創作行為だが、最も難しい冒険であるのだ。
さて、『アーサーとミニモイの不思議な国』はそんな課題をどう乗り越えているだろうか。
映画記事一覧
作品データ
監督・原作:リュック・ベッソン
音楽:エリック・セラ 脚本:リュック・ベッソン セリーヌ・ガルシア
出演:フレディ・ハイモア ミア・ファロー
〇 ペニー・バルフォー マドンナ
〇 デヴィッド・ボウイ スヌープ・ドッグ
〇 ジミー・ファロン ロバート・デ・ニーロ
肉体を捨てて、自ら妖精にならねばならない。
アーサーはおばあちゃんと二人きりで暮らす10歳の少年だった。
二人で暮らす家には広い庭があって、アーサーにとって空想の世界を育む場所だった。おじいちゃんが書いた本の中の妖精たちが、現実に存在する場所だった。
アーサーとおばあちゃんの平穏な日常が脅かされようとしていた。おばあちゃんには多くの借金があったのだ。すでに電気が止められ、電話も通じない。あと2日の間にまとまったお金を支払わないと、家を立ち退かねばならなかった。
そんな時アーサーは、広い庭のどこかにおじいちゃんがルビーを隠していると聞かされる。
ルビーのありかを知るには、妖精の世界を通らねばならなかった。
アーサーはおじいちゃんが隠した秘密の暗号を解き、妖精世界へ足を踏み入れる。
しかしそこは、邪悪なマルタザールに脅かされる場所だった。
アーサーは、妖精世界の平和のために、ルビーを得るために、戦いの旅に赴く。
“鍵”は実にファンタジックなアイテムだ。“鍵”は未知なる場所への扉を開けてくれるという期待がる。空想世界へ行くには必ず鍵が必要だ。しかし人間には妖精世界を発見できない。夢想世界の住人……自ら妖精にならなければならない。少年は妖精の世界に変えることで、妖精世界へと入っていく。
少年の意識の中では、現実と空想の世界は混同され、まだ分離されていない。現実世界の知識も生活に役立つものではなく、空想遊びの道具になる。
子供が異世界への冒険に招請されるのは、常に生活の危機に直面した時だ。深層心理学がそう解説しているし、すべての冒険物語は危機の直面から始まっている。
少年は心の平穏を手にするために、さらに厳しい危難と受難が待ち受ける場所に行くのだ。
空想世界への招請の切っ掛けは冒険心によるものではない。現実の危機に直面した時、はじめてその扉は開かれる。望んで空想世界に行けるものではないし、大抵は望まぬうちに妖精世界に迷い込んでしまう。そしてその向うにはもっと危険なものが待ち受けている。
現実世界の危機は常に見えにくいし、現実を捉えるのは難しい。現実を捉えようという努力はあらゆる哲学者が失敗してきた試みである。
だが空想世界の危機は具体的な形を持って迫ってくる。醜い怪物たちや、おぞましい暗黒の支配者。
空想世界では現実世界では決して試されないすべてが試される。
体力、知力、それから勇気。
その危難と受難に自ら挑み、達成した者にこそ、財宝が与えられるのだ。
妙にエッチな空気を振り撒くセレニア姫。もっとも空想世界の姫君は、少年が抱く性の象徴だ。空想世界の少女は、現実的なものを無視して構築した理想の女性像そのものだ。2次元の美少女が魅力的なのは、それが理想像だから当然だ。2次元美少女に魅力を感じないという人は、単に理想がないだけだろう。
映画の中で描かれる妖精世界の造形は、美しく、不思議な手触りがある。
空想世界の風景をまずミニチュアで作り、そのうえにデジタルのキャラクターを合成しているためだ。
何もかもをデジタルに頼らない工夫で、あの独特の手触りの感触を作り出している。
空想世界には人生のすべてがある。誕生、戦い、性、財宝、別離……。人生のすべてを凝縮させた濃密な世界、という例えもある。ファンタジーは現実よりも現実的な感性に満ちた場所である(現実はむしろ非現実的だ)。だがそんな世界の創造は、作り手にとっても危険が一杯に待ち受けている冒険なのである。
ところで、空想世界の創造は非常に難しい。
空想の世界は想像する限り無限であるが、その一方で、作り手の実力を容赦なく試されてしまう。
作り手の実力や、知識、まだ誰も発見していないアイデア。
それらすべてを結集させ、空想世界に説得力を持たせられなければ、作り手は三流のレッテルを貼り付けられてしまう。ファンタジーは現実世界のどの風景とも似てはいけないし、過去のどの創作作品の系譜に属してもならない。もしどこかに一片でも隙があれば、読者はただちに興醒めしてしまう。玄人である批評家はもっと容赦なくこき下ろすだろう。
“ファンタジーは子供向けだから、どの描写も通俗的でよい”なんて言い訳は通用しない。ほとんどの作り手はファンタジーを通俗的なイメージで埋め尽くし、「どうせ子供のものだから」と妥協している。創造の努力を始めから放棄している。だがそんな言い訳をしているうちはファンタジーの名作と肩を並べることは決してできず、どうでもいい駄作の中に埋もれるだろう。
空想世界の創造は作り手にとって最も楽しい創作行為だが、最も難しい冒険であるのだ。
さて、『アーサーとミニモイの不思議な国』はそんな課題をどう乗り越えているだろうか。
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作品データ
監督・原作:リュック・ベッソン
音楽:エリック・セラ 脚本:リュック・ベッソン セリーヌ・ガルシア
出演:フレディ・ハイモア ミア・ファロー
〇 ペニー・バルフォー マドンナ
〇 デヴィッド・ボウイ スヌープ・ドッグ
〇 ジミー・ファロン ロバート・デ・ニーロ
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