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■2016/03/13 (Sun)
創作小説■
第6章 フェイク
前回を読む
18
ツグミは木野との会話をすぐに切り上げて、2階に上がった。いま誰かと顔を合わせると、いたたまれない気持ちになるように思えた。寝室に入り後ろ手にドアを閉める。1人きりになると、緊張が解けて崩れそうだった。
ツグミはもう少し自制して、ベッドまで進み、布団の上に仰向けに寝転がった。
口から溜め息が漏れた。スカートに皺が付いちゃうな、と思ったけど体を起こす気力もなかった。
何もする気にもなれなかったけど、目を閉じる気にもなれなかった。ただ時計の針が音を刻む音だけを聞いていた。
その後の話は特に何もなかった。ただ時間だけが流れ去っていった。
画廊にお客さんも来ない。電話も来ない。それはいつも通りだった。もともとあまり人が来るような場所でもなかったから、ある意味で日常が戻ってきたようなものだった。
学校はずっと休んだ。休んでいたけど、表向きにはひどい風邪を引いて、という話だった。誘拐事件であることを知っているのは、ごく一部の教員に限られていた。
警察の捜査は特に進展はないみたいだった。何度か警察の人が来て、高田に捜査資料を渡していたけど、ツグミに報告しなければならないような情報は何もないようだった。
そんな感じで2日が過ぎた。
当日の朝だ。ツグミが目を覚ました時には、もう10時半だった。前日の夜、なかなか寝付けなかったせいか、起きる時間も遅かった。
ツグミは寝室に篭もって、箪笥の中を引っかき回した。
今日は何を着ていこう。どんな格好をしていこう。
出かける用事がはっきりあるし、もしかしたら体を動かすかも知れない。だから下はスカートではなく、カーットジーンズにした。上は汚れてもいい地味なボトルタイプのセーターを着て、その上にパーカーを羽織った。
バッグはショルダー・ストラップ付きのポシェットにした。本革製の、非常に丈夫な品だ。それでいて小ぶりで、細々としたものを入れて出かけるのに使い勝手がいい。
バッグの中にメモ帳や絆創膏や生理用品や、とりあえず必要になるかも知れないものを詰め込んだ。
パーカーのポケットに、高田からもらった携帯電話を突っ込む。その格好で、鏡の前に立ってみた。
意外に悪くなかった。地味で動きやすい服、で揃えたつもりが普段にないボーイッシュな雰囲気になっていた。新境地かも……と思えた。
これでよし、と判断したツグミは、引っ張り出して散らかした服を箪笥に戻した。トレンチコートと杖を手に、寝室を出て行く。
1階に降りて画廊を覗くと、高田と木野がテーブルに着いていた。
ツグミが画廊に入っていくと、木野が「あっ」と顔を明るくした。
「へえ、いいじゃないですか。可愛いですよ」
木野が席を立って、ツグミの前まで進んだ。
「そうですか。ありがとうございます」
褒められると思っていなかったから、恥ずかしい。ツグミは上がり口に腰を下ろして、わざと靴を履くのにもたついた。たぶん、褒められたせいで顔が変な感じににやけちゃっていると思ったからだ。
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目次
※ 物語中に登場する美術家、美術作品、美術用語はすべて空想のものです。
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■2016/03/12 (Sat)
創作小説■
第10章 クロースの軍団
前回を読む
8
ソフィーは意識がぼんやりと戻ってくるのを感じた。周りの風景を見て、城の中だと気付いた。体が重い。何かが体にのしかかっているような、そんな感じだった。側に医師が付き添っている。薬品の臭いが部屋に満ちていた。何かしらの薬が与えられたらしい。
誰かが部屋に入ってきた。ソフィーは体に力が入らず、首だけ傾けてその人物を迎えようとした。しかしその姿を見て、慌てて飛び起きて、深く礼をした。セシル王の后、ローザだった。
ローザ
「無理をなさらないで。まだ休息が必要な時です。楽にして。これは命令ですよ」
ソフィー
「はい」
ソフィーはローザに頭を下げて、再びベッドに横になる。
ソフィー
「……あの、ローザ様」
ローザ
「あなたの夫が帰還したわ。いま私の夫と会見中です。召使いに代わって報告しに来たのよ」
ソフィー
「あ、ありがとうございます」
ローザ
「かしこまらなくていいわ。ソフィーは病気をしているのだから。それにお友達でしょ。大丈夫よ。あの人も、あなたの夫もとても優れた人だから、良き判断をしてくれるはずです」
ソフィー
「はい。あのローザ様。オーク様と私は、まだ……」
ローザ
「そうでしたの? あんなにいつも側にいて、親しくなさっていたのに」
ソフィー
「ええ。オーク様は信頼できる方です。でも、ずっと危険な旅ばかりで、剣を握らなくても、あの人の周りで戦の音が途絶えぬ日はありません」
ローザ
「苦労なさっているのね。可哀相。こんなに美しい姫君なのに」
ソフィー
「いえ、私なんか……」
ローザ
「……あの人は王になってからすっかり変わってしまった。いつも難しい顔をして、気持ちを穏やかにされたことはありません。信頼の置けない家臣に囲まれて苦労ばかり。民は嘘を吹き込まれて、誰も王を信じない。……側にいるとつらいわ」
ソフィー
「そんな。お后様は一番喜びが与えられていなければならないのに……」
ローザ
「いいえ。私はあなたのように手を汚さないから。あなたはこんなに泥だらけにして。本当は綺麗なのに」
ローザはソフィーの手を取り、指を絡ませた。細く柔らかいローザの指に対して、ソフィーの指は硬く、まだ泥がついていた。
ソフィー
「あのお方のためですから」
ローザ
「彼を愛しているのね。こんなになるまで側にいようとするのだから……。ずっと側にいてあげてね。私は……夫の側にもいられないから」
ソフィー
「…………」
ローザの目に涙が浮かぶ。ソフィーはローザの体を抱き寄せた。
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■2016/03/11 (Fri)
創作小説■
第6章 フェイク
前回を読む
17
ツグミは美術倉庫を出て、書棚が並ぶ本屋に戻った。本屋の中を見回したけど、高田の姿はなかった。どこに行ってしまったのだろう。ツグミはモップ頭のバイト青年を振り返った。
モップ頭の青年は、無言で、店の外を指した。
ツグミは店の出口に向かった。狭い路地の、向こう側に高田がいた。こちらに背を向けて、うなだれている様子だった。
ツグミは杖を突いて本屋を出た。高田の背中に近付く。考えてみればエロ本屋に女性1人で残されるなんて、あまり気分がいいものじゃなかっただろうし、もしかしたら客の誰かに失礼な目に遭わされたのかも知れない。そう思うと、ツグミはまた高田に申し訳なく思った。
「高田さん、あの、終わりました。……大丈夫ですか」
ツグミは気を遣うような声で、高田に話しかけた。
高田がツグミを振り返った。ぱっと顔を見ただけで、不機嫌なのがすぐにわかった。
「終わりましたか。では、戻ります」
「すみません」
高田はすぐに歩き始めた。ツグミは高田の背中に頭を下げて、従いて行った。
ツグミと高田は、寄り道せずに駐車場に駐めた車のところへ行き、移動した。
高田はセダンのハンドルを握ると、ようやく機嫌を直したのか、ピリピリとした緊張感を解いた。
ツグミも気分を落ち着かせて、窓の外を眺めた。
窓の外の風景は、音を失ったように思えた。単に車の窓に遮られているだけだけど。人の足音も風の音も消えて、スクリーンに映した画像が流れ去っていくように見えた。
考えなければならない計画がいくつもあった。でも、ツグミが今できる行動はすでに終わっていた。後は待つだけ。考えようにも考える必要がなく、それでも考えようとしていたから、ただ空転するばかりだった。
セダンは元町から、湊川公園脇の静かな通りを駆け抜けていく。車道は賑やかだけど、歩道に人の姿は消えていく。間もなく兵庫区だ。
ツグミはそんな風景の移り変わりにも、注意が向かなかった。自分の考えに沈んでいて、静かに緊張していた。
セダンが妻鳥画廊に戻ってきた。妻鳥画廊の手前で停まっていたけど、ツグミはしばらく気付かなかった。
ツグミはセダンを降りて、妻鳥画廊に入った。高田はセダンを器用に操って、妻鳥画廊のガラス戸横の展示スペースに、隙間なくぴったりと貼り付くようにして駐めた。
画廊に入ると、テーブルの椅子に座っていた木野が、ぱっと立ち上がった。
「ツグミさん、絵は大丈夫でしたか?」
木野は不安そうな顔をしていた。木野もあの絵に何らかの価値があると、信じているのだ。
「はい。2日で直してくれるそうです」
ツグミは木野を安心させるつもりで、軽く微笑んで答えた。
しかし内心、後ろめたかった。私は今から警察の人を騙すんだ、と思うと気が重かった。
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※ 物語中に登場する美術家、美術作品、美術用語はすべて空想のものです。
■2016/03/10 (Thu)
創作小説■
第10章 クロースの軍団
前回を読む
7
オークは泥まみれの旅装束を着替える暇を惜しんで、城の廊下を歩いた。あまりにもみすぼらしいオークの格好に、兵士達が驚いて見送っていった。城の様子は以前より閑散とした寂しさが漂っていた。兵の数はより少なくなり、風と雨の音がくっきりと際立っていた。あちこちで雨漏りをしている。城の老朽化が目立ち始めていた。
廊下を歩いていると、思わぬ人物が目の前に現れた。ウァシオだ。
ウァシオ
「オ、オーク! いったいなぜ……。い、いや、オーク殿、そなたは確か北方の砦を任されていたはず。任務を放棄してなぜこんなところにいらっしゃる」
オーク
「その理由はよくご存知でしょう」
オークは言い捨てて、ウァシオの横を通り抜けていった。
ウァシオは茫然とした顔でオークを見送った。
ウァシオ
「なぜだ! なぜ生きている!」
ウァシオは密かな声で毒づいた。
オークは廊下を急いで通り抜け、セシルのいる部屋へと入っていった。
セシルは僅かな臣下と共に、机で仕事をしていた。オークが立ち入っていくと、セシルは臣下たちに書斎を退出するように命じた。
部屋に2人きりになると、セシルは重く溜め息を吐いた。
セシル
「随分早かったじゃないか。お前の任期は3年だったはず。何があった」
オーク
「砦は崩壊しました。裏切りがありました。各地に放たれた遠征隊も、同じく壊滅しました。伝令を送ったはずですが……」
セシル
「報告は何も届いておらん」
オーク
「戦が迫っております。南から見慣れぬ姿の軍団が1万。王城を目指して北上中です。城内で手引きをしている者がおります。ただちに兵の準備を」
セシル
「戦か……。なあオークよ。私は王に相応しいか。この若者の面が王に見えるか」
オーク
「セシル様。今はそんな話をしている時では……」
セシル
「民の心は国から離れる一方だ。先日、盗賊が城の宝物庫に忍び込んだ。毒味役が1人倒れ、その後、国が充分に保証してくれなかったと訴訟を起こすつもりだ。兵士は王の命令を聞かない。民の心が離れていくのを、日々感じている」
オーク
「王ならば、国の危難に対して、然るべき備えをするべきでしょう。ただちに命令を与えて、兵士達を動かしてください。王の命令と、国が危機を前にしていると知れば、みんな従うでしょう」
セシル
「国の危機か……。そんなものに気付いている者が、果たしてどれだけいるだろうか。みんな目の前の政治に振り回されてばかりだ。民も、貴族共も、この私も。危機だと? そんなものは知っている。幼い子供だって気付いている。だが何もしない。知っているだけで何もしない。目の前の不満を訴えて、憂さ晴らしの代わりに喚くだけで、結局なにもしない。時間だけが失われていく」
オーク
「なればこそ命じてください! 今こそ王が立場を示す時です」
セシル
「わかっているとも! だがどうしろと言うのだ! この城を見よ! 城を牛耳っているのは腹黒い連中ばかりだ。誰も王などなんとも思ってはおらん。みんな腹の底で嘲笑っておるわ! 貴族も民も、奴隷すらも、王を尊敬しておらん!」
セシルは突然怒りを爆発させて、机を蹴り、その上のものをぶちまけた。挙げ句、無気力になって椅子に腰を下ろした。
セシル
「……すまぬ。どうかしているのはわかっている」
オーク
「命令を。騎士ならば王のために動きます」
セシル
「この間、貴族達との会議で取り決めが行われた。城にはもうわずかな財産しかなく、兵団を維持できない。それで多くの兵士が解雇された。城下町に貧しいあぶれ者が増えたのは、そのためだ。私が命じても、充分な兵は集められない」
オーク
「そんなまさか……」
セシル
「貴族達に押し切られて、決めてしまった。結果として、貴族の権限を拡大させる結果になってしまった。これも、作戦のひとつだったのかも知れんな。……戦か。まるで遠い話のようだ。戦のことも、ネフィリムのことも。毎日に追われていて、何が国の危機なのか、私にはもうわからない」
オーク
「…………」
オークは何も言わず背を向けた。
セシル
「どこへ行く」
オーク
「戦場へ行きます。私は私が動かせるだけの兵を連れて、セルタの砦へ向かいます。王も戦ってください。父君はあんな連中に国を食いつぶされるところなど望んではいないはずです」
オークはセシルの部屋を立ち去った。
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■2016/03/09 (Wed)
創作小説■
第6章 フェイク
前回を読む
16
ツグミはもう必要ないから、メモ帳をコートのポケットにしまいこんだ。「あと、できれば絵具の修復もお願いしたいんですけど」
「絵具? どういうことや」
岡田はちょっと意味がわからない、といった様子だった。
「この絵、最近の修復で、使われている絵具が新しくなっているんです。白は亜鉛白だし、黄色は、多分、カドミウム・イエローですね。岡田さん、たしかイタリア製シェンナ持っとったでしょ。それからスマルト・ブルー。骨を焼いて作った、リン酸カルシウムのブラック。……お願いできますか?」
ツグミは紫の布を見詰めながら注文を並べて、最後に岡田を振り返った。
レンブラントはあまり多くの絵具を使用しなかった。少なく見ても、僅かに5色。多めに見ても10色を越えるケースはない。図版を見ても、青ならどの絵を見ても同じ青が使用されているのがわかる。
しかも、フェルメールのような高級な素材を使用しなかった。レンブラントが使用した絵具は、現在でも容易に手に入れ、作り出すことができる。
「そうか。万全な状態にして、依頼主に渡したいわけやな。任せろ。期間はどれくらいや」
悪賢い人間は頭の回転が速い。天才と詐欺師がどこで別れるかといえば、天才は自身のテーマにのみ向かい、詐欺師は他人のテーマを盗み取る、というところだろう。岡田は詐欺師としての才能で、何もかも理解してくれた。
レンブラントの贋作を、科学的に完全な“本物”に仕立て上げるのだ。
「2日です。きついのは重々承知していますけど……」
ツグミは気を遣う調子になった。かなり無茶なお願いなのはわかっている。
しかし岡田は頼もしげに頷いた。
「嬢ちゃんのためや。知り合いを動員して引き受けたろ。受け渡しはどうするんや」
「受け渡し……どうしよう」
考えていなかった。ツグミはちょっと困って、目線を逸らした。警察がぴったり貼り付いているのに、100号の絵を持って誘拐犯と接触を持つなんて、できるはずがない。
「そうやな。2日後、こっちから電話を掛けるわ。わし、日曜日に仕事があんねん。電話を掛けるから、指定した場所まで、来てくれ」
岡田には何か考えがあるのだろう。
ツグミは岡田を振り返った。岡田が何を考えついたかまではわからない。今はとにかく、岡田を信じよう。悪巧みでは岡田のほうがずっと上だ。何かしら考えがあるのだろう。
「岡田さん、本当にありがとうございます。お金は後で必ず払いますから。あ、この絵は大切に保管しておいてくださいね。後で引き取りに来ますから」
ツグミは岡田に素直な感謝を述べて頭を下げた。それから、棚の上に置いたニコラ・プッサンの模写を指した。こちらの模写については、後でかな恵に謝らないといけない。
岡田はツグミの肩を気安く叩いた。
「心配せんで、ええがな。わしとお嬢ちゃんの仲やんか」
どこか、不適切に聞こえる言葉だった。
ツグミの胸からさっと感謝が消えて、笑顔が引きつった。
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※ 物語中に登場する美術家、美術作品、美術用語はすべて空想のものです。