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■2009/08/09 (Sun)
創作小説■
この小説は、『さよなら絶望先生』を題材にした2次創作小説です。2次創作に関する法的問題については、こちらをご覧下さい。【著作物】【二次創作物】【パロディ】【パロディ裁判】
5
新幹線が蔵井沢駅に到着した。私たちは新幹線を降りて、三角屋根の改札口を潜って北口から駅の外に出た。
駅は一段高いところにあって、駅前の風景が一望できた。蔵井沢の街は、建物の屋根が低く、視界を遮るものが少なくすっきりと開けた感じがあった。夏の盛りだというのに、巡り来る風は少し冷たく思えるくらいだった。さすが避暑地といった感じの空気だった。
すでに夕暮れの時刻に入りかけていた。斜めに射し込む光が柔らかく色づき始め、影が長く伸びていく。
「どっちに行けばいいのかしら。誰か蔵井沢に来たことのある人いる?」
千里が初めて不安な顔を浮かべて私たちを見回した。私たちは誰も答えず、ただ視線を返した。
蔵井沢駅を出たところは広い踊り場のようになっていて、左右に長いスロープが延びて地面と接地していた。スロープは駅前広場を両手で囲むように伸びていた。
「とにかく、交番に行って住所を聞くのがいいんじゃない?」
私は千里に提案した。どこでも駅前には交番があるものだ。
《俺のGPS使えるぜ》
すると全員の携帯電話が振動した。芽留がもじもじと背を向けながらメールを打っていた。確かにGPSがあるんだったら、交番にもいかなくてもいいかな。
「待って。皆、あそこを見て」
可符香が何かに気付いたように、踊り場の端へ行き、下の駅前広場を指した。
私たちも踊り場を囲む欄干の前まで進んだ。踊り場から見下ろすと、すぐ下は小さな公園になっていて、背の高い木が葉を茂らせていた。
可符香が指をさしていたのはそこではなく、スロープの右手の足元だった。そこで、背の高い女の子が私たちを見上げて手を振っていた。
まさかと思ったけど、手を振っているのは小節あびるだった。その隣に、木村カエレが腕組をして立っていた。
私たちはスロープを駆け下りて、あびるとカエレの前まで進んだ。
「どうして。どうして二人ともここにいるの?」
私はびっくりして二人に声をかけた。
「ベンガルタイガーの尻尾を追いかけていたら、いつの間に……」
あびるはいつもの感情のないクールな声で言葉を返した。
「僕もいますよ」
あびるは白い飾りのないシャツに、茶色のカーゴパンツを穿いていた。ゴーグルのついたヘルメットを被っていた。どうやらバイクでやってきたらしい。こうしてセーラー服以外の格好を見ると、意外とというか、かなり胸が大きいと気付いた。
「私はこの失礼な女を告訴してやろうと追いかけていたのよ!」
カエレはどういうわけかつんつんとして、ぷいっとそっぽ向いてしまった。
カエレは真っ白のワンピースに野球帽を被っていた。ちぐはぐしたファッションだけど、カエレくらい日本人離れしたプロポーションだとなんでも似合う気がした。
「みんなそれぞれ、理由があってここにたどり着いたというわけね。これは、何か裏がありそうね。」
千里が考えるように顎を手に当てた。
そんな私たちの前に、すっと何者かが近付いてきた。私たちは皆で何者かを振り返った。
「お待ちしておりました。望ぼっちゃまの生徒の皆様」
白い髪を後ろに撫で付け、鼻の下に立派なカイザー髭を蓄えた老人だった。老人は細く痩せていて、黒の礼装を身にまとい、私たちにかしこまって頭を下げる。
「セバスチャン!」
可符香が老人を見て声をあげた。私も同じことを思った。
「時田と申します。セバスチャンというのは、幼少の頃の何かによる刷り込みかと思われます。さて、最後の一人が到着したようですね。そろそろ出発しましょう」
時田が言いながら、私たちの後方に目を向けた。
私たちは促されるように後ろを振り返った。するとそこに、リンゴを両手一杯に抱えたマリアが立っていた。マリアはいつものよれよれのセーラー服姿に裸足という格好で、私たちに天真爛漫な微笑を見せた。
次回 P020 第3章 義姉さん僕は貴族です6 を読む
小説『さよなら絶望先生~赤い瞳の少女~』目次
P019 第3章 義姉さん僕は貴族です
5
新幹線が蔵井沢駅に到着した。私たちは新幹線を降りて、三角屋根の改札口を潜って北口から駅の外に出た。
駅は一段高いところにあって、駅前の風景が一望できた。蔵井沢の街は、建物の屋根が低く、視界を遮るものが少なくすっきりと開けた感じがあった。夏の盛りだというのに、巡り来る風は少し冷たく思えるくらいだった。さすが避暑地といった感じの空気だった。
すでに夕暮れの時刻に入りかけていた。斜めに射し込む光が柔らかく色づき始め、影が長く伸びていく。
「どっちに行けばいいのかしら。誰か蔵井沢に来たことのある人いる?」
千里が初めて不安な顔を浮かべて私たちを見回した。私たちは誰も答えず、ただ視線を返した。
蔵井沢駅を出たところは広い踊り場のようになっていて、左右に長いスロープが延びて地面と接地していた。スロープは駅前広場を両手で囲むように伸びていた。
「とにかく、交番に行って住所を聞くのがいいんじゃない?」
私は千里に提案した。どこでも駅前には交番があるものだ。
《俺のGPS使えるぜ》
すると全員の携帯電話が振動した。芽留がもじもじと背を向けながらメールを打っていた。確かにGPSがあるんだったら、交番にもいかなくてもいいかな。
「待って。皆、あそこを見て」
可符香が何かに気付いたように、踊り場の端へ行き、下の駅前広場を指した。
私たちも踊り場を囲む欄干の前まで進んだ。踊り場から見下ろすと、すぐ下は小さな公園になっていて、背の高い木が葉を茂らせていた。
可符香が指をさしていたのはそこではなく、スロープの右手の足元だった。そこで、背の高い女の子が私たちを見上げて手を振っていた。
まさかと思ったけど、手を振っているのは小節あびるだった。その隣に、木村カエレが腕組をして立っていた。
私たちはスロープを駆け下りて、あびるとカエレの前まで進んだ。
「どうして。どうして二人ともここにいるの?」
私はびっくりして二人に声をかけた。
「ベンガルタイガーの尻尾を追いかけていたら、いつの間に……」
あびるはいつもの感情のないクールな声で言葉を返した。
「僕もいますよ」
あびるは白い飾りのないシャツに、茶色のカーゴパンツを穿いていた。ゴーグルのついたヘルメットを被っていた。どうやらバイクでやってきたらしい。こうしてセーラー服以外の格好を見ると、意外とというか、かなり胸が大きいと気付いた。
「私はこの失礼な女を告訴してやろうと追いかけていたのよ!」
カエレはどういうわけかつんつんとして、ぷいっとそっぽ向いてしまった。
カエレは真っ白のワンピースに野球帽を被っていた。ちぐはぐしたファッションだけど、カエレくらい日本人離れしたプロポーションだとなんでも似合う気がした。
「みんなそれぞれ、理由があってここにたどり着いたというわけね。これは、何か裏がありそうね。」
千里が考えるように顎を手に当てた。
そんな私たちの前に、すっと何者かが近付いてきた。私たちは皆で何者かを振り返った。
「お待ちしておりました。望ぼっちゃまの生徒の皆様」
白い髪を後ろに撫で付け、鼻の下に立派なカイザー髭を蓄えた老人だった。老人は細く痩せていて、黒の礼装を身にまとい、私たちにかしこまって頭を下げる。
「セバスチャン!」
可符香が老人を見て声をあげた。私も同じことを思った。
「時田と申します。セバスチャンというのは、幼少の頃の何かによる刷り込みかと思われます。さて、最後の一人が到着したようですね。そろそろ出発しましょう」
時田が言いながら、私たちの後方に目を向けた。
私たちは促されるように後ろを振り返った。するとそこに、リンゴを両手一杯に抱えたマリアが立っていた。マリアはいつものよれよれのセーラー服姿に裸足という格好で、私たちに天真爛漫な微笑を見せた。
次回 P020 第3章 義姉さん僕は貴族です6 を読む
小説『さよなら絶望先生~赤い瞳の少女~』目次
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■2009/08/08 (Sat)
創作小説■
この小説は、『さよなら絶望先生』を題材にした2次創作小説です。2次創作に関する法的問題については、こちらをご覧下さい。【著作物】【二次創作物】【パロディ】【パロディ裁判】
4
命先生から実家の住所を聞き出すと、私たちはすぐに糸色医院を後にした。そのまま近くの茗荷谷駅から電車に乗り、東京駅に向かった。東京駅に着くと、長野方面の新幹線に乗った。
新幹線はやがて東京の都会を離れていき、賑やかな風景も遠ざかって畑や山ばかりが現れた。
私はなんとなく千里に従いてきてしまったけど、都会の風景が見えなくなって、急に「来ちゃった」という気になってしまった。それから不安も感じてしまった。ちょっと糸色先生の顔を見ようかな、と思っただけなのに。ちゃんと日帰りで帰れるだろうか。家に電話もしなくちゃいけない。
私の隣に可符香が座っていた。可符香はのんびりと窓に肘を置いて、鼻唄を歌っていた。可符香の手前には、千里が座って厳しい顔で窓の外を眺めている。その千里の隣に、いつの間にか合流していた藤吉晴美が座っていた。
「藤吉さんも、先生の家に行くの?」
新幹線での移動の時間は退屈だった。私は退屈を紛らすつもりで藤吉に話しかけた。
「ううん。なんか面白そうだから見に行くだけ。ちょうど方向も一緒だし、ついでにね」
藤吉は楽しそうに微笑んでいた。
私は藤吉という女の子について、よく知らない。どうやら千里とは幼馴染らしく、いつも一緒にいて、子供時代を語り合ったりしていた。
藤吉さんはちょっと背が高く、手足がすらりと伸びて健康的な印象があった。髪は肩に届くくらいで、変に手を加えていない。いつも眼鏡を掛けていて、なんとなく知的な雰囲気があり、私にはお姉さん、という感じに思えた。千里と可符香と一緒だと不安だけど、藤吉がいてくれるのは心強かった。
藤吉はキャミソールの上にタンクトップを重ね着していて、ハーフパンツを穿いていた。崩したファッションだけど、藤吉のスタイルだとかっこよく思えた。
いきなり私のポケットの中で、携帯電話が振動した。私は何だろうと携帯電話を引っ張り出してメールボックスを開いた。
《そっち行ってもいいか》
文章の感じを見て、差出人の名前を見る前に芽留だと思った。
でも、《そっちに行って……》ってどういう意味だろう。私は身を乗り出して、通路に目を向けた。すると、私たちの席からちょっと離れたところに、芽留が携帯電話を片手にしょんぼりした感じに立っていた。
「どうしたの、芽留ちゃん。こっちにおいでよ。そっち席空いてるから」
私は芽留に呼びかけて、通路を挟んだ向かい側の席を指差した。もっとも、新幹線のなかはすいていて、どの席も開いているんだけど。
《すまねえな 今度ジャニーズの裏画像送ってやるよ》
芽留は素早くメールを打ち込むと、私が指さした席にちょこんと座った。芽留はオレンジのTシャツに、デニムスカートを穿いていた。芽留みたいな小さな女の子だと、そんな格好も子供みたいで可愛かった。
「いや、いらないから。でも芽留ちゃん、どうしたの? 家族とはぐれちゃったの?」
私は身を乗り出させて、向かい側の席の芽留に話しかけた。
でも芽留は、私から目を逸らし、もじもじとメールを打った。
《電波が急に切れて うろうろしていたら何か乗ってた》
やっぱり返事はメールだった。
「そうなんだ。偶然ってあるんだね」
私は姿勢を戻して、頬杖をついた。側にいるんだから、正面を向いて「ありがとう」て言えばいいのに。
次回 P019 義姉さん僕は貴族です5 を読む
小説『さよなら絶望先生~赤い瞳の少女~』目次
P018 第3章 義姉さん僕は貴族です
4
命先生から実家の住所を聞き出すと、私たちはすぐに糸色医院を後にした。そのまま近くの茗荷谷駅から電車に乗り、東京駅に向かった。東京駅に着くと、長野方面の新幹線に乗った。
新幹線はやがて東京の都会を離れていき、賑やかな風景も遠ざかって畑や山ばかりが現れた。
私はなんとなく千里に従いてきてしまったけど、都会の風景が見えなくなって、急に「来ちゃった」という気になってしまった。それから不安も感じてしまった。ちょっと糸色先生の顔を見ようかな、と思っただけなのに。ちゃんと日帰りで帰れるだろうか。家に電話もしなくちゃいけない。
私の隣に可符香が座っていた。可符香はのんびりと窓に肘を置いて、鼻唄を歌っていた。可符香の手前には、千里が座って厳しい顔で窓の外を眺めている。その千里の隣に、いつの間にか合流していた藤吉晴美が座っていた。
「藤吉さんも、先生の家に行くの?」
新幹線での移動の時間は退屈だった。私は退屈を紛らすつもりで藤吉に話しかけた。
「ううん。なんか面白そうだから見に行くだけ。ちょうど方向も一緒だし、ついでにね」
藤吉は楽しそうに微笑んでいた。
私は藤吉という女の子について、よく知らない。どうやら千里とは幼馴染らしく、いつも一緒にいて、子供時代を語り合ったりしていた。
藤吉さんはちょっと背が高く、手足がすらりと伸びて健康的な印象があった。髪は肩に届くくらいで、変に手を加えていない。いつも眼鏡を掛けていて、なんとなく知的な雰囲気があり、私にはお姉さん、という感じに思えた。千里と可符香と一緒だと不安だけど、藤吉がいてくれるのは心強かった。
藤吉はキャミソールの上にタンクトップを重ね着していて、ハーフパンツを穿いていた。崩したファッションだけど、藤吉のスタイルだとかっこよく思えた。
いきなり私のポケットの中で、携帯電話が振動した。私は何だろうと携帯電話を引っ張り出してメールボックスを開いた。
《そっち行ってもいいか》
文章の感じを見て、差出人の名前を見る前に芽留だと思った。
でも、《そっちに行って……》ってどういう意味だろう。私は身を乗り出して、通路に目を向けた。すると、私たちの席からちょっと離れたところに、芽留が携帯電話を片手にしょんぼりした感じに立っていた。
「どうしたの、芽留ちゃん。こっちにおいでよ。そっち席空いてるから」
私は芽留に呼びかけて、通路を挟んだ向かい側の席を指差した。もっとも、新幹線のなかはすいていて、どの席も開いているんだけど。
《すまねえな 今度ジャニーズの裏画像送ってやるよ》
芽留は素早くメールを打ち込むと、私が指さした席にちょこんと座った。芽留はオレンジのTシャツに、デニムスカートを穿いていた。芽留みたいな小さな女の子だと、そんな格好も子供みたいで可愛かった。
「いや、いらないから。でも芽留ちゃん、どうしたの? 家族とはぐれちゃったの?」
私は身を乗り出させて、向かい側の席の芽留に話しかけた。
でも芽留は、私から目を逸らし、もじもじとメールを打った。
《電波が急に切れて うろうろしていたら何か乗ってた》
やっぱり返事はメールだった。
「そうなんだ。偶然ってあるんだね」
私は姿勢を戻して、頬杖をついた。側にいるんだから、正面を向いて「ありがとう」て言えばいいのに。
次回 P019 義姉さん僕は貴族です5 を読む
小説『さよなら絶望先生~赤い瞳の少女~』目次
■2009/08/08 (Sat)
創作小説■
この小説は、『さよなら絶望先生』を題材にした2次創作小説です。2次創作に関する法的問題については、こちらをご覧下さい。【著作物】【二次創作物】【パロディ】【パロディ裁判】
3
大通りを外れて住宅街の細い道へ入っていくと、ありふれた街並みに病院の看板が現れた。
「こんなところに診療所なんてあったんだ」
私は看板を見上げながら呟いた。家からそう離れていない場所だったから、意外だった。
でも、看板の文字をちゃんと確認する前に、可符香が先に入口のガラス戸を潜ってしまった。私と千里も、可符香の後を追った。
可符香は靴を脱いで、スリッパに履き替えて中に上がった。入ってすぐのところが待合所になっていて、革張りのベンチと小さなブラウン管テレビが備え付けられていた。だけど、休診日みたいに待合室には人がいない。テレビのささやき声とセミの鳴き声だけが一杯に満ちていた。
私と千里もスリッパに履き替えて、待合室に入った。可符香は廊下を先に進み、診察室のドアを開ける。
「先生、また来ちゃいました!」
可符香が診察室の中の人に元気な声をかける。
可符香が私たちにも「覗いてみなさい」というふうに促した。私と千里は、遠慮がちに診察室を覗いてみた。
「先生!」
私と千里は、同時に驚いた声をあげた。
診察室にいたのは、間違いなく糸色先生だった。机でなにか書物をしていたらしく、それを中断して振り向いたところだった。糸色先生はまるで医者みたいにネクタイを締めて白衣を羽織っていた。
「また、あなたですか。今度は友達まで連れてきて……」
糸色先生は可符香を振り返って諦めたように呟いた。
「あの、糸色先生、ですよね?」
千里が診察室に入っていき、糸色先生の前まで進んだ。でも、違和感があるみたいに、その言葉は慎重だった。
私にも、なんとなく変なものを感じた。糸色先生によく似ているけど、どこか違う。いつも丸みのある眼鏡が今日は四角だったし、髪型も癖がなく落ち着いた感じだ。でもそれ以上に、どこか雰囲気が違っているように思えた。
「望の生徒ですね。私は望の兄の、命です」
糸色 命先生は不機嫌そうなものを取り払って、私たちに笑顔で微笑みかけた。
私は糸色 命の名前を聞いて、考えるように顎に手を当てた。
「えっと……。絶命……先生?」
「くっつけて言うな! こんな名前だから、医院が流行らないんだ!」
命先生は急に感情的になって声を張り上げた。
「先生、落ち着いてください!」
すぐに看護婦が飛び出してきて、命先生を取り押さえようとする。命先生はすっかり我を忘れて、床をのたうったり壁に頭を叩きつけたりしていた。
宥めようとする看護婦との取っ組み合いはしばらく続くようだった。悪意はなくとも、思いつきを口にしてはいけない。私は深く反省した。
そうして1時間が経過した。やっと命先生は正気を取り戻して落ち着いた。
「失礼しました。この程度で取り乱していては、医者は務まりません。今日は何の用事ですか。皆さん、随分健康そうに見えますが」
命先生はスツールの上で悠然と足を組んだ。どうやら、命先生の中ではさっきのできごとはリセットされたらしい。私たちもそれぞれスツールが用意されて座った。
「これのことで、ちょっと聞きたいことがあって来たんです。」
千里が“失踪します”の張り紙を命先生に差し出した。
「私たち、里帰りなんじゃないか、て思っているんです」
可符香が自分の推測を補足する。
命先生は張り紙を受け取って、一つ頷いた。
「ああ、なるほど。弟の文字ですね。弟が書きそうな内容です。時期的にもそうですし、多分、あれでしょう。ちょっと、実家に電話してみます」
命先生は千里に張り紙を返すと、立ち上がり、事務室に入っていった。
私たちはスツールに座ったまま、首を伸ばして事務室を覗き込んだ。事務室は診察室より狭く、棚に薬が一杯に置かれていた。受付も同じ場所にあって、看護婦が私たちを振り返って微笑みかけた。その奥に電話機を置いているらしく、命先生がそこで受話器を手に電話していた。黒のダイヤル式電話だった。
命先生はすぐに用事を終えて、受話器を置いて診察室に戻ってきた。
「やはりそうでした。望は見合いで実家に帰っているようですよ」
命先生は事務室のドアを後ろ手に閉めて、私たちに報告した。
「本当に里帰りかよ! ていうか、見合いってなによ。そういうのは私との関係をきっちり済ませてからにしてよ!」
千里が憤怒の叫びとともに立ち上がった。さらに、凄い気迫で命先生をじっと睨み付けて、
「先生の実家はどこ。すぐに教えなさい。」
それはまるで、脅迫でもするみたいだった。
次回 P018 第3章 義姉さん僕は貴族です4 を読む
小説『さよなら絶望先生~赤い瞳の少女~』目次
P017 第3章 義姉さん僕は貴族です
3
大通りを外れて住宅街の細い道へ入っていくと、ありふれた街並みに病院の看板が現れた。
「こんなところに診療所なんてあったんだ」
私は看板を見上げながら呟いた。家からそう離れていない場所だったから、意外だった。
でも、看板の文字をちゃんと確認する前に、可符香が先に入口のガラス戸を潜ってしまった。私と千里も、可符香の後を追った。
可符香は靴を脱いで、スリッパに履き替えて中に上がった。入ってすぐのところが待合所になっていて、革張りのベンチと小さなブラウン管テレビが備え付けられていた。だけど、休診日みたいに待合室には人がいない。テレビのささやき声とセミの鳴き声だけが一杯に満ちていた。
私と千里もスリッパに履き替えて、待合室に入った。可符香は廊下を先に進み、診察室のドアを開ける。
「先生、また来ちゃいました!」
可符香が診察室の中の人に元気な声をかける。
可符香が私たちにも「覗いてみなさい」というふうに促した。私と千里は、遠慮がちに診察室を覗いてみた。
「先生!」
私と千里は、同時に驚いた声をあげた。
診察室にいたのは、間違いなく糸色先生だった。机でなにか書物をしていたらしく、それを中断して振り向いたところだった。糸色先生はまるで医者みたいにネクタイを締めて白衣を羽織っていた。
「また、あなたですか。今度は友達まで連れてきて……」
糸色先生は可符香を振り返って諦めたように呟いた。
「あの、糸色先生、ですよね?」
千里が診察室に入っていき、糸色先生の前まで進んだ。でも、違和感があるみたいに、その言葉は慎重だった。
私にも、なんとなく変なものを感じた。糸色先生によく似ているけど、どこか違う。いつも丸みのある眼鏡が今日は四角だったし、髪型も癖がなく落ち着いた感じだ。でもそれ以上に、どこか雰囲気が違っているように思えた。
「望の生徒ですね。私は望の兄の、命です」
糸色 命先生は不機嫌そうなものを取り払って、私たちに笑顔で微笑みかけた。
私は糸色 命の名前を聞いて、考えるように顎に手を当てた。
「えっと……。絶命……先生?」
「くっつけて言うな! こんな名前だから、医院が流行らないんだ!」
命先生は急に感情的になって声を張り上げた。
「先生、落ち着いてください!」
すぐに看護婦が飛び出してきて、命先生を取り押さえようとする。命先生はすっかり我を忘れて、床をのたうったり壁に頭を叩きつけたりしていた。
宥めようとする看護婦との取っ組み合いはしばらく続くようだった。悪意はなくとも、思いつきを口にしてはいけない。私は深く反省した。
そうして1時間が経過した。やっと命先生は正気を取り戻して落ち着いた。
「失礼しました。この程度で取り乱していては、医者は務まりません。今日は何の用事ですか。皆さん、随分健康そうに見えますが」
命先生はスツールの上で悠然と足を組んだ。どうやら、命先生の中ではさっきのできごとはリセットされたらしい。私たちもそれぞれスツールが用意されて座った。
「これのことで、ちょっと聞きたいことがあって来たんです。」
千里が“失踪します”の張り紙を命先生に差し出した。
「私たち、里帰りなんじゃないか、て思っているんです」
可符香が自分の推測を補足する。
命先生は張り紙を受け取って、一つ頷いた。
「ああ、なるほど。弟の文字ですね。弟が書きそうな内容です。時期的にもそうですし、多分、あれでしょう。ちょっと、実家に電話してみます」
命先生は千里に張り紙を返すと、立ち上がり、事務室に入っていった。
私たちはスツールに座ったまま、首を伸ばして事務室を覗き込んだ。事務室は診察室より狭く、棚に薬が一杯に置かれていた。受付も同じ場所にあって、看護婦が私たちを振り返って微笑みかけた。その奥に電話機を置いているらしく、命先生がそこで受話器を手に電話していた。黒のダイヤル式電話だった。
命先生はすぐに用事を終えて、受話器を置いて診察室に戻ってきた。
「やはりそうでした。望は見合いで実家に帰っているようですよ」
命先生は事務室のドアを後ろ手に閉めて、私たちに報告した。
「本当に里帰りかよ! ていうか、見合いってなによ。そういうのは私との関係をきっちり済ませてからにしてよ!」
千里が憤怒の叫びとともに立ち上がった。さらに、凄い気迫で命先生をじっと睨み付けて、
「先生の実家はどこ。すぐに教えなさい。」
それはまるで、脅迫でもするみたいだった。
次回 P018 第3章 義姉さん僕は貴族です4 を読む
小説『さよなら絶望先生~赤い瞳の少女~』目次
■2009/08/06 (Thu)
創作小説■
この小説は、『さよなら絶望先生』を題材にした2次創作小説です。2次創作に関する法的問題については、こちらをご覧下さい。【著作物】【二次創作物】【パロディ】【パロディ裁判】
2
私は張り紙の前で、茫然と立ち尽くした。張り紙の文字は、達筆な毛筆で書かれていた。左横に添えられた“まとい”の文字は、ペン書きの丸文字だった。
「なんなのよこれ!」
千里が肩を震わせて怒鳴った。なかなか妥当と思える反応だった。
「先生、いるんでしょ! 出て来なさい!」
千里は玄関扉に進んで、ドンドンと叩いた。さらに開けようと格子戸を壊さんばかりに引こうとする。
「ちょっと、千里ちゃん」
私は千里の肩をつかんで宥めようとした。
千里が私を振り返って睨んだ。やばい、と私は手をのけた。
「日塔さんは庭のほうへ回って。私は反対側から見て回るから。もし少しでも気配を感じたら、きっちりと報告するのよ!」
千里は問答無用に命令すると、家の左手に飛び込んでしまった。
私は千里の後ろ姿を見送りながら、また茫然としてしまった。どうしよう。千里は一度動き出したら、止まらないところがあるからな……。
私は諦めて右手の庭に足を向けた。
敷地の右手に入っていくと、小さな庭が現れた。特に植物もなく、乾いた土に雑草がぽつぽつと生えているだけだった。ちゃんと手入れはされているようだった。
庭に面したところが廊下になっているらしい。でも雨戸が全て締め切られて、中の様子はわからなかった。
私は先生の家をしばらく眺めた。庭はちょうど日蔭になっていて、瓦の頂点に太陽の光が当たっていた。先生の家は落ち着いた趣があって、静かで、それでいては廃墟とは違う穏やかさがあるように思えた。
そこに人の気配は感じられない。私はここに先生が住んでいるんだな、と思っていた。
裏手を回っていた千里が、一周してきて庭に姿を現した。
「日塔さん、糸色先生いた?」
千里は髪についた蜘蛛の巣を払いながら、激しいテンションで私に声をかけた。
「ううん。誰もいないみたいだよ」
私は落ち着いて首を振った。ここで千里の勢いに飲まれると危険だ、という思いがあった。
「仕方がないわ。こうなったら、強行突破で……。」
千里は考えるように目線を落とす。
「駄目だよ、千里ちゃん。勝手に入るのはよくないし、それ多分、犯罪だよ?」
私は言葉を選んでうまく宥めようとした。
千里が厳しい目で私を振り返った。それから、しばらく考えるふうにして、やっと頷いた。
「そうね。」
千里は納得したように呟くと、早足で歩き始めた。玄関のほうだ。
「どうしたの?」
私は千里の後を追って、玄関扉に進んだ。千里は玄関扉に貼り付けてある張り紙を引き剥がしていた。
「警察に行くわ。失踪したんだから、これは事件よ。」
千里は“失踪します”の張り紙を手に私に説明した。
私は、「えー」と返すしかできなかった。確かに失踪したのなら事件だ。でも、なんだろう。どういうわけか張り紙には、そんな深刻なものを感じられなかった。
私と千里は、糸色先生の家を離れて、通りに出た。交番はどっちだろう、としばらくやって、左手の道を進み始めた。
そうして次の角を曲がったところに、偶然にも可符香と出くわした。可符香はチューリップの柄が細かくプリントされた、シンプルなワンピースを着ていた。
「あ、奈美ちゃんに千里ちゃん。どうしたの、二人で」
可符香はこんな炎天下だというのに、暑さを忘れさせるような涼しげな微笑で私たちに声をかけた。
「風浦さん。糸色先生を見なかった? 実はさっき先生ん家行ったんだけど、玄関にこんなものが貼られていたの。」
千里は声を動揺させて、持っていた“失踪します”の張り紙を可符香に手渡した。
「先生が失踪?」
可符香はきょとんとした顔で、張り紙の文字に目を向けた。
「これから警察に行こうと思っているの。もしものことがあったら、どうしよう。」
千里は不安で顔を青くしていた。
でも可符香は、ふわりとぬくもりのある笑顔で顔を上げた。
「やだなぁ、こんな身近に失踪者なんて出るわけないじゃないですか。これはただの里帰りだよ」
可符香は明るい声で言って、千里に張り紙を返した。
千里は張り紙を受け取って、しばらく考えるように張り紙に目を落とした。
「……それもそうね。失踪する人が自分で失踪するなんて、書かないわよね。」
「納得したの?」
感情むき出しだった千里が、急に冷静さを取り戻し始めた。
でも、確かに可符香の言うとおりだった。失踪する人が自分で「失踪する」なんて書くはずがない。この場合、「出掛けます」と捉えるべきだ。
「あ、そうだ。あの人に聞いてみようよ」
可符香の頭の上に白熱球が輝いたようだった。
「え、誰に?」
私は可符香を振り返って訊ねた。
「行けばわかるよ」
可符香は無垢な子供のような微笑を浮かべていた。
次回 P017 第3章 義姉さん僕は貴族です3 を読む
小説『さよなら絶望先生~赤い瞳の少女~』目次
P016 第3章 義姉さん僕は貴族です
2
私は張り紙の前で、茫然と立ち尽くした。張り紙の文字は、達筆な毛筆で書かれていた。左横に添えられた“まとい”の文字は、ペン書きの丸文字だった。
「なんなのよこれ!」
千里が肩を震わせて怒鳴った。なかなか妥当と思える反応だった。
「先生、いるんでしょ! 出て来なさい!」
千里は玄関扉に進んで、ドンドンと叩いた。さらに開けようと格子戸を壊さんばかりに引こうとする。
「ちょっと、千里ちゃん」
私は千里の肩をつかんで宥めようとした。
千里が私を振り返って睨んだ。やばい、と私は手をのけた。
「日塔さんは庭のほうへ回って。私は反対側から見て回るから。もし少しでも気配を感じたら、きっちりと報告するのよ!」
千里は問答無用に命令すると、家の左手に飛び込んでしまった。
私は千里の後ろ姿を見送りながら、また茫然としてしまった。どうしよう。千里は一度動き出したら、止まらないところがあるからな……。
私は諦めて右手の庭に足を向けた。
敷地の右手に入っていくと、小さな庭が現れた。特に植物もなく、乾いた土に雑草がぽつぽつと生えているだけだった。ちゃんと手入れはされているようだった。
庭に面したところが廊下になっているらしい。でも雨戸が全て締め切られて、中の様子はわからなかった。
私は先生の家をしばらく眺めた。庭はちょうど日蔭になっていて、瓦の頂点に太陽の光が当たっていた。先生の家は落ち着いた趣があって、静かで、それでいては廃墟とは違う穏やかさがあるように思えた。
そこに人の気配は感じられない。私はここに先生が住んでいるんだな、と思っていた。
裏手を回っていた千里が、一周してきて庭に姿を現した。
「日塔さん、糸色先生いた?」
千里は髪についた蜘蛛の巣を払いながら、激しいテンションで私に声をかけた。
「ううん。誰もいないみたいだよ」
私は落ち着いて首を振った。ここで千里の勢いに飲まれると危険だ、という思いがあった。
「仕方がないわ。こうなったら、強行突破で……。」
千里は考えるように目線を落とす。
「駄目だよ、千里ちゃん。勝手に入るのはよくないし、それ多分、犯罪だよ?」
私は言葉を選んでうまく宥めようとした。
千里が厳しい目で私を振り返った。それから、しばらく考えるふうにして、やっと頷いた。
「そうね。」
千里は納得したように呟くと、早足で歩き始めた。玄関のほうだ。
「どうしたの?」
私は千里の後を追って、玄関扉に進んだ。千里は玄関扉に貼り付けてある張り紙を引き剥がしていた。
「警察に行くわ。失踪したんだから、これは事件よ。」
千里は“失踪します”の張り紙を手に私に説明した。
私は、「えー」と返すしかできなかった。確かに失踪したのなら事件だ。でも、なんだろう。どういうわけか張り紙には、そんな深刻なものを感じられなかった。
私と千里は、糸色先生の家を離れて、通りに出た。交番はどっちだろう、としばらくやって、左手の道を進み始めた。
そうして次の角を曲がったところに、偶然にも可符香と出くわした。可符香はチューリップの柄が細かくプリントされた、シンプルなワンピースを着ていた。
「あ、奈美ちゃんに千里ちゃん。どうしたの、二人で」
可符香はこんな炎天下だというのに、暑さを忘れさせるような涼しげな微笑で私たちに声をかけた。
「風浦さん。糸色先生を見なかった? 実はさっき先生ん家行ったんだけど、玄関にこんなものが貼られていたの。」
千里は声を動揺させて、持っていた“失踪します”の張り紙を可符香に手渡した。
「先生が失踪?」
可符香はきょとんとした顔で、張り紙の文字に目を向けた。
「これから警察に行こうと思っているの。もしものことがあったら、どうしよう。」
千里は不安で顔を青くしていた。
でも可符香は、ふわりとぬくもりのある笑顔で顔を上げた。
「やだなぁ、こんな身近に失踪者なんて出るわけないじゃないですか。これはただの里帰りだよ」
可符香は明るい声で言って、千里に張り紙を返した。
千里は張り紙を受け取って、しばらく考えるように張り紙に目を落とした。
「……それもそうね。失踪する人が自分で失踪するなんて、書かないわよね。」
「納得したの?」
感情むき出しだった千里が、急に冷静さを取り戻し始めた。
でも、確かに可符香の言うとおりだった。失踪する人が自分で「失踪する」なんて書くはずがない。この場合、「出掛けます」と捉えるべきだ。
「あ、そうだ。あの人に聞いてみようよ」
可符香の頭の上に白熱球が輝いたようだった。
「え、誰に?」
私は可符香を振り返って訊ねた。
「行けばわかるよ」
可符香は無垢な子供のような微笑を浮かべていた。
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小説『さよなら絶望先生~赤い瞳の少女~』目次
■2009/08/06 (Thu)
創作小説■
この小説は、『さよなら絶望先生』を題材にした2次創作小説です。2次創作に関する法的問題については、こちらをご覧下さい。【著作物】【二次創作物】【パロディ】【パロディ裁判】
1
8月の半ば頃に入った。夏休みは、もう後半の後半。あとは残り日数を数えるだけとなった。
私は夏の暑さに降参するように、自分の部屋で転がっていた。オレンジのタンクトップに、デニムのショートパンツという格好だった。
窓を全開にしているけど、入ってくるのはドライヤーのように暖められた風だけだった。太陽の熱射はなんでもかんでもくっきりとさせて、私の部屋を極彩色に変えていた。
……暑い。何もする気になれない。
全身から汗が流れ出る。こうしてしばらく転がっていたら気力が戻るかと思ったけど、体から水分が失われるだけだった。
机の上に夏休みの宿題が広げられていた。けれど、続きをしようという気になれなかった。宿題はほとんど手付かずだった。私は小学生時代からの教訓を一切生かさず、夏休みを遊び倒してするべき宿題を溜めてしまっていた。
そろそろ宿題を片付けなければいけない。だというのに、やる気は1ミリも動かなかった。
私は重たい体を起こして、立ち上がった。部屋を出て、ふらふらと階段を降りていく。狭くて急な階段は、影が濃くて、少し涼しかった。
台所に入り、冷蔵庫を開けた。何か飲める物はないだろうか、と思ったが、麦茶もカルピスもなかった。
「お母さん、カルピスないの? お母さん?」
私はどこかにいるはずの母を探して呼びかけた。
「もう、ないわよ。買ってきて。どうせ暇でしょ」
脱衣所のほうから母の声が返ってきた。どうやら洗濯をしているらしく、ぶるぶると水が渦を巻く音が聞こえてきた。
「暇じゃないんだよ。暇じゃ。宿題もあるし……」
私は諦めて冷蔵庫を閉じた。気分が晴れないまま、2階へ繋がる階段の前へ行く。階段を一段登ろうとして、足を止めてしまった。
部屋で待っているのは、夏休みの宿題だった。部屋に戻れば、嫌でも宿題という義務に直面しなければならなくなる。
私は重い溜息をついて、回れ右をした。
「カルピス買ってくるね」
私は母に用事を告げると、玄関に向かった。
外に出ると、さらに激しい熱射が頭の上から降り注いだ。異様な熱を持った箱の中に放り込まれたみたいだった。街はくっきりと色彩を切り分け、陰影を際立たせていた。外に出た判断を後悔したくなるような暑さだった。
私は、水分を失いすぎてふらふらする足元を律しながら、近所のスーパーへと向かった。
やっとスーパーに入ってクーラーの冷気に触れると、生き返るような心地だった。私はしばらく物色する振りをして充分に涼むと、棒アイスとカルピスを買ってスーパーを出た。
スーパーを出ると、私はアイスの包み紙を解いて、ぱくりと食べた。ひんやりした食べ物が体の中に落ちていく感触があった。アイスを食べながらなら、家まで体が持ちそうだと思った。
そうして家への道を戻り始めたけど、ふと私は足を止めた。そういえば、糸色先生の家ってこの近くだっけ。
急に私に悪戯心が湧き上がった。このまま、いきなり糸色先生の家へ押しかけちゃおうかな、と。せっかくカルピスも買ったわけだし、一緒に飲みませんか、なんて切掛けを作って。
私は一人で勝手に気分を盛り上がらせると、進路を変更して別の道へ入った。
アイスを食べながら、日蔭を選んで進む。そうして道を進んでいくと、ばったりと木津千里と出会ってしまった。
「あら、もしかして日塔さんも糸色先生のところ?」
千里は肩にかかる艶のある髪を払いのけながら、私に微笑みかけた。千里は胸元に刺繍の入ったキャミソールに、それに柄を合わせた膝上までの短いスカートを穿いていた。
「えっと、うん、そう」
私は笑顔を引き攣らせて答えた。抜け駆けを指摘されたみたいで、気まずい思いだた。
「そう。じゃあ、一緒に行きましょう」
でも千里は気にした様子もなく、通りを歩き始めた。私は棒アイスの最後の一口をぱくりと食べて、残った棒を袋の中に捨てた。そうして、千里と並んで歩いた。
「千里ちゃんは、先生の家に何か用事とかあるの? 委員長の仕事とか?」
私は、自分で勝手に引きこんだ気まずさをごまかすように訊ねた。
「ううん。たまに様子を見ないと、なんとなく心配でしょ。ほら、あの人、頼りないところがあるから。日塔さんは、何か用事だったの?」
千里は穏やかな調子で私に答えを返した。
「ええっと、私は、その……。そう、宿題、見てもらおうかなって……」
私は目一杯のごまかし笑いを浮かべて答えた。宿題も持っていないのだから、すぐにばれる嘘だと思ったけど。
でも千里は疑いもせず、ふうん、と視線を前に戻した。
そのまま私たちは、話もせずに並んで歩いた。時々、私は千里の横顔をちらと見た。綺麗で艶のある黒髪。小さく整った顔。体格は小柄なほうだけど、私の目からでも、千里は美人で魅力のある女の子に見えた。
そんな千里を前にして、私は軽く憂鬱を感じた。千里みたいな美人と並ぶと、私は日蔭に入っちゃうんだろうな、という気がした。
間もなくして、糸色先生の借家が見えてきた。緑が茂った低い生垣がぐるりと取り囲んでいる。小さな二階建ての家だったけど、木造の家には趣があり、立派な瓦の屋根が載っていた。
私は糸色先生の借家までやってきて、今さらながら気分をそわそわさせると同時に緊張した。本当に来ちゃった、みたいな気分だった。千里と一緒じゃなかったら、たぶんここまで来て素通りしていたかもしれない。
千里が戸口を開けて、敷地の中へ入っていった。玄関の格子戸が目の前に現れた。その格子戸に、なにやら張り紙が貼り付けてあった。
“失踪します 糸色望
まとい”
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小説『さよなら絶望先生~赤い瞳の少女~』目次
P015 第3章 義姉さん僕は貴族です
1
8月の半ば頃に入った。夏休みは、もう後半の後半。あとは残り日数を数えるだけとなった。
私は夏の暑さに降参するように、自分の部屋で転がっていた。オレンジのタンクトップに、デニムのショートパンツという格好だった。
窓を全開にしているけど、入ってくるのはドライヤーのように暖められた風だけだった。太陽の熱射はなんでもかんでもくっきりとさせて、私の部屋を極彩色に変えていた。
……暑い。何もする気になれない。
全身から汗が流れ出る。こうしてしばらく転がっていたら気力が戻るかと思ったけど、体から水分が失われるだけだった。
机の上に夏休みの宿題が広げられていた。けれど、続きをしようという気になれなかった。宿題はほとんど手付かずだった。私は小学生時代からの教訓を一切生かさず、夏休みを遊び倒してするべき宿題を溜めてしまっていた。
そろそろ宿題を片付けなければいけない。だというのに、やる気は1ミリも動かなかった。
私は重たい体を起こして、立ち上がった。部屋を出て、ふらふらと階段を降りていく。狭くて急な階段は、影が濃くて、少し涼しかった。
台所に入り、冷蔵庫を開けた。何か飲める物はないだろうか、と思ったが、麦茶もカルピスもなかった。
「お母さん、カルピスないの? お母さん?」
私はどこかにいるはずの母を探して呼びかけた。
「もう、ないわよ。買ってきて。どうせ暇でしょ」
脱衣所のほうから母の声が返ってきた。どうやら洗濯をしているらしく、ぶるぶると水が渦を巻く音が聞こえてきた。
「暇じゃないんだよ。暇じゃ。宿題もあるし……」
私は諦めて冷蔵庫を閉じた。気分が晴れないまま、2階へ繋がる階段の前へ行く。階段を一段登ろうとして、足を止めてしまった。
部屋で待っているのは、夏休みの宿題だった。部屋に戻れば、嫌でも宿題という義務に直面しなければならなくなる。
私は重い溜息をついて、回れ右をした。
「カルピス買ってくるね」
私は母に用事を告げると、玄関に向かった。
外に出ると、さらに激しい熱射が頭の上から降り注いだ。異様な熱を持った箱の中に放り込まれたみたいだった。街はくっきりと色彩を切り分け、陰影を際立たせていた。外に出た判断を後悔したくなるような暑さだった。
私は、水分を失いすぎてふらふらする足元を律しながら、近所のスーパーへと向かった。
やっとスーパーに入ってクーラーの冷気に触れると、生き返るような心地だった。私はしばらく物色する振りをして充分に涼むと、棒アイスとカルピスを買ってスーパーを出た。
スーパーを出ると、私はアイスの包み紙を解いて、ぱくりと食べた。ひんやりした食べ物が体の中に落ちていく感触があった。アイスを食べながらなら、家まで体が持ちそうだと思った。
そうして家への道を戻り始めたけど、ふと私は足を止めた。そういえば、糸色先生の家ってこの近くだっけ。
急に私に悪戯心が湧き上がった。このまま、いきなり糸色先生の家へ押しかけちゃおうかな、と。せっかくカルピスも買ったわけだし、一緒に飲みませんか、なんて切掛けを作って。
私は一人で勝手に気分を盛り上がらせると、進路を変更して別の道へ入った。
アイスを食べながら、日蔭を選んで進む。そうして道を進んでいくと、ばったりと木津千里と出会ってしまった。
「あら、もしかして日塔さんも糸色先生のところ?」
千里は肩にかかる艶のある髪を払いのけながら、私に微笑みかけた。千里は胸元に刺繍の入ったキャミソールに、それに柄を合わせた膝上までの短いスカートを穿いていた。
「えっと、うん、そう」
私は笑顔を引き攣らせて答えた。抜け駆けを指摘されたみたいで、気まずい思いだた。
「そう。じゃあ、一緒に行きましょう」
でも千里は気にした様子もなく、通りを歩き始めた。私は棒アイスの最後の一口をぱくりと食べて、残った棒を袋の中に捨てた。そうして、千里と並んで歩いた。
「千里ちゃんは、先生の家に何か用事とかあるの? 委員長の仕事とか?」
私は、自分で勝手に引きこんだ気まずさをごまかすように訊ねた。
「ううん。たまに様子を見ないと、なんとなく心配でしょ。ほら、あの人、頼りないところがあるから。日塔さんは、何か用事だったの?」
千里は穏やかな調子で私に答えを返した。
「ええっと、私は、その……。そう、宿題、見てもらおうかなって……」
私は目一杯のごまかし笑いを浮かべて答えた。宿題も持っていないのだから、すぐにばれる嘘だと思ったけど。
でも千里は疑いもせず、ふうん、と視線を前に戻した。
そのまま私たちは、話もせずに並んで歩いた。時々、私は千里の横顔をちらと見た。綺麗で艶のある黒髪。小さく整った顔。体格は小柄なほうだけど、私の目からでも、千里は美人で魅力のある女の子に見えた。
そんな千里を前にして、私は軽く憂鬱を感じた。千里みたいな美人と並ぶと、私は日蔭に入っちゃうんだろうな、という気がした。
間もなくして、糸色先生の借家が見えてきた。緑が茂った低い生垣がぐるりと取り囲んでいる。小さな二階建ての家だったけど、木造の家には趣があり、立派な瓦の屋根が載っていた。
私は糸色先生の借家までやってきて、今さらながら気分をそわそわさせると同時に緊張した。本当に来ちゃった、みたいな気分だった。千里と一緒じゃなかったら、たぶんここまで来て素通りしていたかもしれない。
千里が戸口を開けて、敷地の中へ入っていった。玄関の格子戸が目の前に現れた。その格子戸に、なにやら張り紙が貼り付けてあった。
“失踪します 糸色望
まとい”
次回 P016 第3章 義姉さん僕は貴族です2 を読む
小説『さよなら絶望先生~赤い瞳の少女~』目次