■ 最新記事
(08/15)
(08/14)
(08/13)
(08/12)
(08/11)
(08/10)
(08/09)
(08/08)
(08/07)
(08/06)
■ カテゴリー
お探し記事は【記事一覧 索引】が便利です。
■2016/04/12 (Tue)
創作小説■
第6章 フェイク
前回を読む
33
六甲山の道路は、蛇の体のようにうねうねと波打っていた。行く先は森で遮られて、何も見えなかった。トヨタ・クラウンは速度を落としながら、ゆっくりのペースで進んでいく。意外と安全運転だった。
空はどんどん暗くなっていく。5時を過ぎると、もう雲がかすかに青く浮かぶだけだった。森に囲まれた道路は、ヘッドライトの周囲だけが明るく浮かばせ、あとは暗く沈んだ。
間もなく、トヨタ・クラウンは阪神高速の料金所に入った。料金所を潜る時、ワゴン車との間に何台か割り込んできた。もたもたしている間に、先行したワゴン車と引き離されてしまった。
高速道路に入ると、明るいオレンジの光に包まれた。防音壁が、道の両側を遮っている。
夜が近かった。防音壁が暗い青色に浮かんでいる。
車の中はしばらく沈黙していた。ツグミが沈黙を破るように、質問を投げかけた。
「1つ、聞いてもいいか。……『ガードナー事件』。あれ、アンタらが起こしたんか」
この男と対話したくなかったが、情報収集のためだ、とツグミは割り切った。
美術品盗難の多くは、小品を狙う。大作はリスクが高いからだ。首尾よく盗めたとしても、有名すぎる盗難品はコレクターも手にするのを恐れてしまう。大作が狙われるケースは、すでに売却先の決まっている『依頼強盗』だ。
「いいや、違う。しかしクライアントは確かに日本人だった。ある港湾会社が、組織的に強盗を計画した」
二ノ宮がちらとツグミを見た。ツグミは二ノ宮の目線がいやらしく感じて、目を逸らした。
オレンジの照明が何度も通り過ぎていった。その度に、車の中がオレンジの光で浮かび上がった。
「協力したのは日本人だけじゃないやろ」
ツグミはカマを掛けるつもりで、挑発した。遠いアメリカの美術館の絵画を盗むのだ。1つの企業では、どう考えても手に余る。
「もちろんだ。各国港湾会社、航空会社。それに外交官も協力した」
二ノ宮が呟くように解説した。
「『外交行嚢』やな」
ツグミは確認するように二ノ宮を振り返った。
「その通りだ」
二ノ宮が短く、即答した。
ツグミは何もかも納得して、うつむいた。二ノ宮から得られた情報を、頭の中で整理しようとした。
そもそも美術品を国外に持ち出すのは難しい。特に欧米では、美術に対する関心が日本とはまるで違う。税関のチェックも、日本などと較べて遙かに厳しい。
フェルメールクラスの美術品となると厳しさはさらに増大する。奇跡でも起こらない限り、国境を越える事態はまずあり得ない。それが盗難であれば、なおさらだ。
だが、外交官が密輸に協力していたとなると話が違ってくる。
『外交行嚢』とは、外交官が公文書を入れて運ぶ特別な荷物便だ。外交行嚢ならばあらゆる検査はノーチェックで通過できる。
実際の例として、外交行嚢に密輸品が混じっていた前例がある。
1995年、あるオークションにウィンスロー・ホーマー(※1)の水彩画が、競売に掛けられた。このホーマーの水彩画が盗品であった。メキシコからアメリカに密輸された絵画だった(※2)。
しかし警察がいくら調査しても、問題の絵が税関を通った記憶は見つからなかった。警察がようやく辿り着いた結論が、外交行嚢だった。
※1 ウィンスロー・ホーマー 1836~1910年。アメリカ出身。水彩画の自然の風景を描いた画家。
※2 実際の事件。
次回を読む
目次
※ 物語中に登場する美術家、美術作品、美術用語はすべて空想のものです。
PR
■2016/04/11 (Mon)
創作小説■
第10章 クロースの軍団
前回を読む
23
オーク達の部隊は大門の向こうに引っ込んだ。しかし壊れたままの大門は完全に閉じない。兵士達が盾と槍を持ち、大門の前で戦う態勢に入った。ネフィリムの軍勢が迫る。兵士達は戦った。銃眼から弓矢を放つ。だがネフィリムを押し留めることはできなかった。ネフィリム達は兵士達を蹴散らし、城下町へとなだれ込んでいった。
街は地獄と化した。街の人達は、何も知らされていなかった。戦闘準備など何もできていない街に、怪物の軍団が押し寄せた。それを引き留める兵は明らかに少なすぎだった。街の人達は、ネフィリムの刃に次々と殺されていった。
魔の者どもの蹂躙は留まらず、家には火が点けられ、人々は無抵抗に殺され、通りには死体と血の海で溢れ、むせかえるような死臭が街全体を覆った。街は殺戮に支配され、絶望が深まるほどに、魔の手先はその顔に恍惚を浮かべた。
ネフィリムの軍勢に対して、オーク達はほとんど何も手を講じることができなかった。敵の数はあまりにも多すぎで、兵士達は一度に十の刃を受け、命を落とした。兵士達の足並みは揃わず、迫ってくるネフィリムの軍勢を前に、逃げるしかなかった。
すでに街を守る者はなく、王国は滅亡を前していた。
◇
セシルはようやく我に返った。いつの間にか城の前にいた。いや、兵士達に連れて来られたのだ。
セシルは放心状態から立ち直り始めた。それと同時に、異臭が鼻をついた。街はネフィリムに蹂躙されているが、その脅威はまだ城に達していないはず――。
セシルは大階段の前に向かった。すると兵士達が倒れ、剣が放り出され、血の跡があちこちに散っているのが見えた。明らかに戦いの痕跡だった。
何かが起こった。セシルはそう察して、大階段を駆け上った。
セシル
「誰か! 誰かおらぬか!」
だが返事がない。王の声だけが王宮内に響いた。
セシルは城の中へと入っていく。すると、足下がちゃぷちゃぷと濡れる感触があった。血だった。床が血で浸されていた。廊下のあちこちに王の家臣や召使いが倒れていた。
セシルは驚愕しながら、奥へと進んだ。死体はあちこちに放り出されていた。城内で戦闘があったのだ。戦闘はすでに終結していて、みんな殺されたのだ。セシルは悪夢の中を漂うように、城の中を進んだ。
すると、死体の中に思いがけない姿があった。
セシル
「ローザ! カイン!」
セシルは倒れているローザとカインに飛びついた。すでに死んでいた。カインは剣を手に、母を守ろうと戦ったのだ。だが、力及ばず、殺されてしまったのだ。
セシルはローザとカインの亡骸を抱き上げて泣いた。号泣しながら、ふつふつと怒りをこみ上げさせた。
背後に、何者かが現れた。
ウァシオ
「遅かったな、セシル殿。いや、早かったのかな」
ウァシオだった。ウァシオの背後に、兵士が何人も付き添っている。セシルを取り囲むように兵士が現れる。
ウァシオ自身、鎧を血まみれにしている。手には剣が握られていた。あからさまに襲撃の犯人を示すその姿が、天窓の明かりといまだに辺りを漂う血煙で、赤い色に浮かんでいた。
セシル
「ウァシオか。どういうつもりだ」
セシルはローザとカインの死体にマントを被せて、ウァシオと対峙した。
ウァシオ
「子供の頃から疑問だった。なぜ生まれで差別されなければならない。私は西の蛮族の生まれだ。だからなんだ。なぜそれだけの理由で王になれぬのだ。ただ過去の栄光にすがり、血族主義が横行し、無能な王が民の生殺与奪の権利を自由に行使している。この城は過去という亡霊に支配されている。この城の王は無能だ。無能の王に支配された抜け殻の王国だ。私は自由がほしかったのだ。いや私だけではない。全ての民に、自由と未来を与えたかったのだ」
セシル
「貴様は自分が王になりたかっただけだろう。名声欲に囚われた怪物め。ウァシオよ、全てを償う覚悟はできているだろうな」
セシルは剣を抜いた。
ウァシオ
「償いだと! わからぬか! これこそ償いではないか。貴様達無能の王族は、我々ゼーラ一族に何をした。償いをするべきは貴様達であろう」
セシル
「貴様はいつか、正式な裁判で裁くつもりだったがな。手間を省こう! 今ここで引導を渡してやる!」
ウァシオ
「悪いが、私は勝てる戦いしかやらないのだよ」
突然、横から矢の攻撃が迫った。廊下の陰に、弓兵が隠れていたのだ。
セシルは全身に矢の攻撃を浴びた。だが、膝をつかなかった。その顔に憤怒を浮かべて、立っていた。
セシルはよろよろと震えながら、ウァシオの許へ向かおうとした。
ウァシオが合図した。弓兵達がもう一度、セシルに矢の一撃をくわえた。
ついにセシルは膝をついた。だが倒れなかった。全身に浮かんだ憤怒はより激しく燃え上がって、ウァシオを睨み付けた。剣を杖にして、立ち上がろうとした。
兵士達に怯えが浮かんだ。2歩3歩と下がる。ウァシオは冷然とセシルを見ていた。
セシルがウァシオの前までやってきた。剣を振り上げる。
が、それが最後だった。セシルは膝をつき、倒れた。
ウァシオ
「運べ。地下牢に閉じ込めておけ」
ウァシオは指示を出し、そこを後にした。
次回を読む
目次
■2016/04/10 (Sun)
創作小説■
第6章 フェイク
前回を読む
32
二ノ宮が作業員たちに向かって「運べ」と指示を出した。作業員たちはコンテナのベニヤを戻し、2人がかりで持ち上げた。作業員の1人が黒のワゴン車に戻り、観音開きのハッチを開けた。
二ノ宮と運転手の男がトヨタ・クラウンに戻ろうと踵を返した。
「私も同席させてもらうで。持ち逃げされたら堪らんからな」
ツグミは二ノ宮を追って、2歩進み出た。これでも精一杯の勇気だ。
二ノ宮が振り返った。どうやら二ノ宮の杖は飾りで、歩くのに障害はないようだ。
「もちろんだ。お姉さんと対面したいだろうからな。乗りたまえ」
二ノ宮がにやりと笑った。ツグミの要求をあらかじめ察していたようだった。にやりと歪めた提灯アンコウの顔が、不気味を通り越して不快だった。
運転席の男が、トヨタ・クラウンの後部ドアを開けた。二ノ宮が「さあ入りたまえ」と促す。
ツグミはトヨタ・クラウンの後部座席を前にして、唾を飲み込んだ。脚が震えて、竦んでしまった。
すると、誰かがツグミの掌を掴んだ。ツグミはびっくりして振り返った。するとそこに、岡田の顔があった。
「本当に大丈夫か。俺、従いて行かんでええんか」
岡田の顔が近くにあって、一瞬ぎょっとしたが、岡田の顔は厳しく、慎重だった。
「大丈夫や岡田さん。きっとうまく行きます。ありがとう、岡田さん」
岡田の言葉に、少し慰められるような気持ちになったツグミは、岡田に握られた手を両掌で握り替えした。
むしろ岡田が従いて行くと、岡田の身に危険が及ぶ。二ノ宮たちはおそらくツグミに危害を加えないだろう。二ノ宮たちにとっても、ツグミは貴重な存在だ。ツグミ自身、そういう自覚があった。
しかし岡田の存在には、あまり価値がない。だからどう扱われるかの保証ができない。岡田自身も、そういう立場はわかっていた。
だから、岡田はツグミが決意の表情を見せると、大人しく引き下がった。
ワンクッション置いたから、少し気持ちに余裕ができた。ツグミは杖を突いて、トヨタ・クラウンに乗り込んだ。奥へ詰めると、二ノ宮が乗り込んでくる。
トヨタ・クラウン内部は清潔に保たれていた。シートは高級品だったし、軽やかな芳香剤の香りに包まれていた。しかしツグミは、二ノ宮が不快で反対側のドアに体が付くくらい奥に詰めた。二ノ宮の体臭は、岡田のワゴン車どころではない悪臭だった。
後部ドアが閉じられた。運転席に男が戻り、エンジンを点火させた。
黒のワゴン車が先行した。トヨタ・クラウンはワゴン車の後を追って、出発した。
トヨタ・クラウンが駐車場を出る。六甲山の道路は、周囲が鬱蒼とした森に囲まれている。まだ夕暮れの前だったけど、六甲の道路は暗く翳っていた。
トヨタ・クラウンがヘッドライトを点ける。光の中がくっきりと浮かぶ。
ツグミは杖に両掌を置いて、うなだれた。
「車酔いかな。長くなるから、吐きたいときには言いたまえ」
二ノ宮の声には感情がなかった。だが、どこか嘲るように思えた。
ツグミはうなだれたまま、目だけで二ノ宮を睨み付けた。側で声を聞くと、予想を越えて不快だった。「あんたが不愉快で吐きそうやわ」と言ってやりたかったけど、無用な挑発は避けたかった。
「あ、アイマスク、付けなくて、いいんか」
強気に言おうとしたけど、恐くて吃ってしまった。
ツグミは、汗の下に大量の汗を掻いていた。なのに、暑いのか寒いのか、自分でもよくわからなかった。全身が痺れる感じだった。体温調節がまともに働いていなかった。
「もう必要ない。隠す秘密ではなくなってしまったからな。それに、今から来てもらう場所は、一日限りで解散する」
二ノ宮は無感情の中に、優越と余裕が浮かんでいた。
「アンタらの根城は、警察に知らせたで。そろそろヤバいんとちゃうんか」
ツグミは挑発的に出た。コルリの撮影したあの写真は、すでに警察に提出済みだった。
しかし二ノ宮は、ツグミの挑発を軽く受け流した。
「あの場所は、すでに解散した。警察が追跡できないよう、後始末も済ませてある。あそこはとっくに廃墟になっている。君の姉さんは、余計な詮索をしてくれたよ」
「金に余裕があるんやな」
ツグミは追撃のつもりで、皮肉っぽく笑った。
すると、二ノ宮がにやりと笑った。もともと出来損ないの造形物である二ノ宮の顔が、にやりと崩れて、ツグミはさらに不快に感じた。
「たった今、10億円の絵が手に入ったからな。それにこの仕事が終われば150億円の絵も手に入る。少々の損失だ。痛くとも何ともない」
ツグミは二ノ宮の顔を、横目で睨み付けた。心の内でこの男を嗤ってやりたい気分だった。前方を走るワゴン車に入っているあのレンブラントは、贋作なのだから。
しかし勝利宣言はまだ早い。コルリが救い出すまで、感情を抑えていよう。
次回を読む
目次
※ 物語中に登場する美術家、美術作品、美術用語はすべて空想のものです。
■2016/04/09 (Sat)
創作小説■
第10章 クロースの軍団
前回を読む
22
クロース軍の軍勢も、平原に現れた。セシルが集めた軍勢を前にして、改めて態勢を整える。だがクロース軍は1万にまで削られていた。セルタの砦で数を削がれ、村を前に2分し、さらに街道を走る途中で道に迷い、ようやく辿り着いたのが、この1万人の軍勢だった。今やセシル王の軍勢が数の上では圧倒している。4日に及ぶ戦闘と、長旅の疲れで消耗しているクロース軍に負けるとは思えなかった。形勢逆転の瞬間だった。誰もがガラティア軍の勝利を確信していた。
だがその時、不穏な風が平原を一杯に満たした。森がざわざわと不吉な声を漏らし始めた。
クロース騎士
「ジオーレ様。例のものが到着しました」
ジオーレ
「よくやった」
ジオーレが満足げに微笑んだ。
森から、真っ黒な集団が現れた。それはこの世ならざるおぞましき軍団だった。ネフィリムの軍団だった。その周囲に、先端の光る杖を持った神官達が取り囲んでいた。ネフィリムたちはキィキィと敵意剥き出しの声を上げていたが、光る杖を向けられて反抗できず、光る杖に誘導されるままに進んでいた。
ジオーレ
「あの杖は、この杖の霊力を少しずつ分け与えたものだ。少し時間がかかったが、ネフィリムの巣穴を突き、集めてきた。蛮族の城は蛮族の手によって滅ぶ。……相応しかろう」
ネフィリム達がクロース軍の前に集結した。クロースの兵士達がネフィリム達の前に、武器を放り投げる。ネフィリム達は平原の向こうに並ぶガラティア軍を見て、標的を定めたようにキィキィと叫び始めた。
セシル
「何だあれは。魔の眷属を使役するとは、不吉な連中だ。構わん! 王国に逆らう者どもは全て殲滅せよ! ――出撃だ!」
セシルは顔に憤怒を浮かべて、剣を振り上げた。
出撃を伝える旗が揚がった。
しかし両翼の兵達は反応を示さず、しんと静まり返った。いったい何が起きたかわからず、王も兵も顔に困惑の色を浮かべた。
セシル
「どうした! 出撃だぞ! 進め!」
セシルは両翼を指揮する貴族らに向かって怒鳴りつけた。
貴族
「断る! 我々は集まれと言われたから集まった。戦えと言われた憶えはない!」
セシル
「何を馬鹿な……! 敵の前だぞ! 戦え!」
貴族
「知るか! 殺し合いがやりたければ、王1人でやれ!」
貴族達が自分の軍団に合図を出す。すると軍団はその場を引き揚げた。まるで敵に陣地を明け渡すように、軍団は西へ東へと分かれて去って行った。
残された軍勢は、もはや軍団と呼べないほどに僅かなものだった。
ジオーレ
「つまり、そういうことなのだよ」
対岸で、ジオーレが不敵に微笑んでいた。
ジオーレが杖を掲げた。杖の先でカッと光が輝く。同時に、ネフィリムを囲んでいた光が消えた。
ネフィリム達が光から逃げるように駆け出した。目の前に置かれた武器を手に取る。そのまま走り、その向こうにいるセシル達の軍勢に狙いを定めた。
その様子を、セシルは茫然自失とした様で見ていた。
オーク
「セシル様、命令を。兵を門の向こうに退避させてください」
セシル
「…………」
オーク
「セシル様!」
しかしセシルはただ首を振った。
セシル
「もうおしまいだ。この城はもう……」
オーク
「奇跡は起きます! 望みましょう!」
セシル
「……駄目だ。ブリタニアの救いはない。バン・シーの助言も。聖剣の力も……。もう何も……」
オーク
「それでも望みを持ちましょう!」
目の前にネフィリムの軍団が走り迫ってきた。圧倒的な数だった。ネフィリム達は猛然と駆けてくる。
その様に、王は戦意喪失状態に陥った。兵士達は恐慌状態に陥って命令されてもいないのに遁走を始める。
オーク
「門の向こうに退避だ! 態勢を立て直すぞ! 一時退避だ!」
オークの号令が兵士達にかすかな勇気を与えた。
オーク
「王も早く!」
セシル
「…………」
しかしセシルは完全な放心状態で、返事もしなかった。
次回を読む
目次
■2016/04/08 (Fri)
創作小説■
第6章 フェイク
前回を読む
31
二ノ宮が黒のワゴン車を振り返った。「それでは、まずレンブラントを拝見させてもらおう」
黒のワゴン車から3人の男が降りてきた。3人の男は運送屋のような白の作業着を着ていた。
作業着の男たちはみんな体が大きく、堅気商売ではない雰囲気があった。作業員の1人が、捲り上げた袖からちらと入れ墨を見せていた。
二ノ宮が作業着の男たちを引き連れて、岡田のワゴン車に近付いた。
岡田がワゴン車の後部ハッチに進んだ。二ノ宮と作業員も、ワゴン車の後部ハッチに集まってくる。ツグミは一同から遅れて、後ろに従いた。
岡田がワゴン車の鍵を開けて、ハッチを上げた。作業員の男が2人、岡田を押しのけてワゴン車の中に入った。
作業着の男2人で、ワゴン車の中のコンテナを持ち上げた。中はキャンバスが1枚入っているだけだから、重くはないはずだ。2人で持ち上げるのは、中を平衡に保つ必要があるからだ。10億円の絵画が入っていると思っているから、扱いは慎重だった。
作業着の男たちは、コンテナのバランスを崩さないように外に出した。そういった作業は慣れているようだった。コンテナはそっと地面の上に下ろされた。
もう1人の作業員が、バールを用意していた。バールで、コンテナ表面を覆うベニヤを外した。
中からレンブラントの『ガリラヤの海の嵐』が現れた。
『ガリラヤの海の嵐』は横向けにされた状態で、四方を角材で、完全に固定されていた。残った空間には緩衝材の綿が敷き詰められていた。
ツグミは男たちの後ろから、初めて修正された『ガリラヤの海の嵐』を見た。正直に感心した。もともと贋作として見事な完成度だったが、さらに精度は上がっていた。もはや、モレリ式鑑定法では真贋の区別は付けられないだろう。
「まず、撮影させてもらおう」
二ノ宮が運転席の男を振り返った。運転席の男は、カメラを用意していた。一眼レフカメラだ。
赤外線カメラだな、とツグミは思った。一眼レフカメラは感度が高く、可視光線以外の光も捉えてしまう。だから一眼レフカメラには通常、偏光フィルターが取り付けられている。この偏光フィルターで、可視光線以外の光が排除されるように調節される。
この偏光フィルターを操作する。あるいは特殊なものに替えるなどをすれば、赤外線に『透視撮影』が可能になるわけだ。
『透視撮影』を絵画に向けると、上に塗られた絵具が消える。つまり、下絵が現れる。
過去の絵には、後になって描き足されたものが意外に多くある。もともとは海の絵だったのに、後の誰かが帆船を書き足してしまったり。そうした、元々がどんな絵だったかを炙り出すのに、赤外線撮影は有効である。
また赤外線撮影は、真贋を区別する初歩の検査だった。
運転手の男が、一眼レフカメラで『ガリラヤの海の嵐』を撮影した。フラッシュの光が眩しく瞬く。
撮影を終えて、二ノ宮が一眼レフカメラのディスプレイを覗き込んだ。
「下書きは問題ないようだな。随分と修正が多いようだが」
二ノ宮は感心するわけでもなく、訝しむわけでもなく、淡々としていた。
ツグミはディスプレイにどんな画像が映し出されているのか、だいたい想像できた。
「当たり前や。『ガリラヤの海の嵐』は盗難された時、丸めて運ばれたんや。絵具がだいぶ剥離していたから、今日のために頑張って修復したんや」
ツグミは手で紙を丸める仕草をしてみせた。最初から用意していた台詞だ。
『ガリラヤの海の嵐』は、縦幅160センチもある大作だ。そのままで持ち運ぶのはあまりにも目立つ。もしこの絵を盗んで運ぼうと思ったら、木枠から外して丸めるだろう。
カメラのディスプレイには多分、『ガリラヤの海の嵐』の中央に描かれた舟の大半が消えたに違いない。その上に、修正が加えられた跡がぽつぽつと浮かび上がってきたのだろう。
レンブラントの絵画は緻密で知られるが、実はキャンバスに下書きをほとんど描かなかった。レンブラントは構図やデッサンで悩まなかった。それらは、ほとんど習作の段階で解消されていた。だからレンブラントは、絵を描き始めて完成まで非常に早かったと伝えられている。
天才・川村の技術力だ。レンブラントが絵を描く過程まで、完璧に再現したに違いなかった。
そこにいた男たち全員が、ツグミを振り返った。ツグミは嘘がバレないように、男たちを自信たっぷりに睨み返してやった。
二ノ宮は、ツグミの説明に納得したように頷いた。
「確かにそれなら納得ができる。しかし我々の手で、精確に調べさせてもらう。取引はそれが終わってからだ」
二ノ宮の口調に、交渉人としての厳しさがあるように思えた。
ツグミはうつむいて、誰にも悟られないように、ホッと息をついた。何とか、透視撮影による鑑定をクリアできたようだ。
次回を読む
目次
※ 物語中に登場する美術家、美術作品、美術用語はすべて空想のものです。