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■2016/04/22 (Fri)
創作小説■
第6章 フェイク
前回を読む
38
女研究員はモニターを見ながら、CCDカメラを動かした。聴診器を当てるみたいに、少しずつ位置を変えながら『ガリラヤの海の嵐』に拡大画像をモニターに映し出した。やがて女研究員は結論に達したらしく、助手らしき人に指示を与えた。助手の研究員が頷いて、マイクの前まで進んだ。
「マイクロスコープの診断が終了しました。使用されている顔料が判明しました。使われている顔料は、鉛白、鉛錫黄、スマルト、リン酸カルシウムなどでした。全てレンブラントが使用した顔料と一致しました」
助手の研究員も女の声だった。きっと若い人だと思うけど、声が嗄れていておばさんみたいな声だし、感情もなくて淡々としていた。
ツグミはふっと肩の力が抜けて首をうなだれさせた。緊張から解放されて、杖に全体重を預けた。
でも、まだ最初のテストだ。ツグミはすぐに体を緊張させて、顔を上げた。
実験室右の作業台に目を移した。右の作業台にも、パソコンが1台置かれていた。パソコンにはスキャナーのような機械と繋げられていた。
一見するとスキャナーに見える機械が、『分光測色計』だ。分光測色計の左部分に、筒状の容器が挿入される。この容器を『分光光学セル』と呼ぶ。
この分光光学セルに採取された試料を格納し、分光測色計本体にセットする。すると検査が開始される。
分光測色計は、試料の、光の波長を測定する機械だ。試料に、可視光線、紫外線、赤外線を当てる。試料がこれらの光をどのように吸収し、屈折させられるかが測られる。この実験を行えば、その試料の正確な色が機械的に測定されるというわけだ。
分光測色計の機械とパソコンと、それぞれ1人ずつ研究員が担当に就いた。研究員の1人が、分光光学セルに試料を入れる。もう1人がパソコンを操作する。
ツグミは瞬きもせず、ガラスの向こうを睨み付けた。休憩室には暖房もなく、寒いくらいだった。なのに、ツグミの腕の下がぐっしょり汗で濡れた。体が緊張していた。
「座ったらどうかね」
二ノ宮がツグミの後ろから声を掛けてきた。
ツグミは突然声を掛けられたみたいになって、振り返った。二ノ宮が杖で、革張りソファを指していた。
「いいえ。立っていますので、お構いなく」
ツグミはわざと言葉に刺を込めて返した。
実験室に目を戻す。座っていられないくらい、緊張していた。
次回を読む
目次
※ 物語中に登場する美術家、美術作品、美術用語はすべて空想のものです。
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■2016/04/21 (Thu)
創作小説■
第11章 蛮族の王
前回を読む
5
城で宴が始まった。ゼーラ一族に美食が振る舞われ、音楽や曲芸、競技など様々な催し物が行われた。宴は夜になっても朝日が昇っても終わらず、そのあいだ曲芸師は踊り続け、競技に参加した兵士は戦い続け、間もなく過労のために倒れる者が現れた。作法を持たないゼーラ一族は、宴の最中に城の広間をこれでもかと汚し、破壊する。城に残された財宝があちこちにまかれ、ゼーラ一族が乞食のように拾って回った。壮麗だった城は、数日の間に汚物と異臭が漂う汚らしい場所に変えられてしまった。
一方、街では税の徴収が始まった。兵士達が一軒一軒周り、目に付いた財産を奪って出て行く。住人が反抗しようものなら、殴り、脅して黙らせた。その様は、あたかも強盗のようだった。
ウァシオがほろ酔い気分で城の廊下を歩いていた。宴の気分が体から抜けない。
ラスリン
「うまくいったな。一時はどうなるかと思ったぞ。あの若造が現れた時は、計画の失敗を案じたほどだ」
ウァシオ
「暗殺に失敗したのは貴様の不手際だろう。その責任も果たされたわけではないぞ」
ラスリン
「埋め合わせはするさ。だが義務は果たした。約束のものは渡してもらうぞ。隠居させてくれ」
ウァシオは足を止めて、ラスリンを睨み付けた。
ラスリンは震え上がって一歩下がる。
ウァシオ
「生意気な奴だ。乞食と変わらん。東端の海岸であったな。好きに使え」
ウァシオは再び歩き始める。
ラスリン
「……一応訊いておくが、死体は確認したのだろうな」
ウァシオ
「何?」
ラスリン
「オークの死体だ。ちゃんと確認したのだろうな」
ウァシオ
「兵士に命令して、いま確認させておる。だがいまだに報告は入っておらん。クソッ。この国の兵士は盲か。たった1人の生き死にすらまともに調査できんとは。だがあれだけの戦いの後だ。生きてはおらんだろう――まさか生きているとでも?」
ラスリン
「あいつはそういう男だ。どんなに込み入った罠でも、潜り抜けてくる。危険な男だぞ」
ウァシオ
「過大評価だ。あいつもただの人間に過ぎん。敵に肩を持つのか」
ラスリン
「まさか」
ウァシオ
「心配するな。あいつは死んだ。もしも生きていたところで、何もできん」
ラスリン
「そう願いたいところだな」
廊下に、十字架を掲げた一団が現れる。クロースの神官だ。
ジオーレ
「ほろ酔い気分のところも申し訳ないな。我々との約束がまだ果たされていないようだが」
ウァシオ
「ふん。異教徒めが。勝手に我が城に立ち入りおって」
ジオーレ
「おかしなことを言う。異教徒どもはお前達であろう。真の正教はクロースのみだ。本来ならば、この邪教の城など、焼いて滅ぼしていたところだ」
ウァシオ
「勝手な連中だ。すでに我々は貴様らのシンボルを掲げておるだろう。それとも貴様は、同胞を焼く趣味でもあるのか」
ジオーレ
「我々は世界で最も平和を愛する教団だ」
ウァシオ
「なあ訊かせてくれ。なぜ貴様達の僧侶の中には、女がおらんのだ?」
ジオーレ
「またおかしなことを言う。女こそ堕落と悪徳の象徴。女など奴隷か召使いで充分だ。女を引き立てれば社会が乱れるだけ。滅んだすべての文明がそうであるようにな。――そういえばドルイドには女がいるらしいな。戦場で姿を見たが、あんな売春婦じみた者がいるから、貴様らの政治はこうも腐りきっているのではないか」
ウァシオ
「あくまでも、自分達だけが正しい……そう言い張るつもりか」
ジオーレ
「当然だ」
ウァシオとジオーレはしばし向き合い、睨み合った。
ウァシオが口の端を吊り上げて笑う。
ウァシオ
「私はもともと無宗教だ。霊も神もまじないも信じない。ドルイドだのクロースだの、どちらでも構わんわ」
ジオーレ
「我らの神さえ信じていればいい」
ウァシオ
「望むものは持って行くがよい。どうせガラクタだ。お望みなら、土地のひとつふたつ与えてやっても構わんぞ」
ジオーレ
「必要ない。我々の住まいは、いつも人々の清き心の中だ」
ジオーレはウァシオ達に礼をすると、僧侶達を引き連れてそこを去って行った。
ラスリン
「気に喰わん男だ。……殺すか」
ウァシオ
「よせ。あいつの後ろにはローマがついている。従順な振りをして、機会を待て」
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■2016/04/20 (Wed)
創作小説■
第6章 フェイク
前回を読む
37
研究員たちは手際よく準備を始めた。必要な機械に電源を入れ、道具を集めてくる。指揮しているのは、先ほどマイクに声を吹き込んだあの女性だった。女研究員は周りの研究員より背が高く、姿勢がいいせいか体格がしっかりしているように見えた。他の研究員たちとは違う存在感を放っているように思えた。
研究員たちは『ガリラヤの海の嵐』を持ち上げて、慎重に作業台へ運んだ。
作業台は全部で3つ。等間隔に並んでいる。『ガリラヤの海の嵐』が置かれたのは中央の作業台で、あとの2台は使われていなかった。
作業台頭上に、真っ白なライトが点灯した。手術台みたいだった。
研究員がそれぞれの道具を手に、『ガリラヤの海の嵐』に集まってきて、ナイフやピンセットでそれぞれの箇所から試料を採取した。女性研究員が指導役になって、採取する場所を指定していた。
まるで病院の手術中の様子みたいだった。実際に、今『ガリラヤの海の嵐』は解剖実験に掛けられているわけだから、ツグミは自分の連想に間違いないと思った。
やがて研究員たちが『ガリラヤの海の嵐』から離れていった。それぞれ別のテーブルに着いて、実験を始めた。
研究員の1人が試料を手に奥のドアへ入っていった。あの向こうに、《AMS》があるのだろう。
別の研究員が、女研究員に胃カメラのようなものを差し出した。カメラはコンピューターに繋げられていた。
コンピューターはツグミから見て、左の作業台に置かれている。モニターは遠くてよく見えない。
休憩所のカウンターにも、モニターが置かれていた。実験室のモニターと同じ映像が映されているようだ。
胃カメラに見えるものはマイクロスコープのCCDカメラだ。最初のマイクロスコープテストだ。
ツグミは内股に緊張を感じて、仁王立ちになった。
マイクロスコープは最大2万倍の拡大画像を、モニターに映す。もちろんカラーレーザー搭載で、鮮明なカラー画像を表示させる。
女研究員がCCDカメラを作業台の『ガリラヤの海の嵐』の表面に当てた。
休憩室のモニターにも、色鮮やかなパッチワークが写った。『ガリラヤの海の嵐』が拡大画像だ。
モニターには顔料の原型である、鉱物の形が映し出された。絵画は作られてから50年以上過ぎると、顔料が結晶化する。拡大して映されると、絵画というよりどこかの鉱山みたいな風景だった。
ツグミは体の奥から冷たいものを感じた。奥歯をぐっと噛み締める。
マイクロスコープ・テストは、ある程度の知識を持った者ならば、不自然なものが混じっているとすぐにわかってしまう。あの絵には現代の絵画と、上から細工した顔料との2種類が混じっている。この2日の間に作られた顔料ならば問題ないけど、もしも川村が使用した顔料が映し出されると、ただちに贋作がばれてしまう。CCDカメラを当てる位置によっては、嘘がばれてしまうのだ。
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※ 物語中に登場する美術家、美術作品、美術用語はすべて空想のものです。
■2016/04/19 (Tue)
創作小説■
第11章 蛮族の王
前回を読む
4
戦いが終わり、城の整理が始まった。かつての王を示す様々な証が破壊され、焼き払われ、ヴォーティガンに忠誠を尽くした召使いたちは処刑された。王と王子が住まいとしていた館は完全に破壊された。
ドルイド達は城から追放し、あるいは異端審問にかけて火あぶりにした。その死骸は、長く街の広場で晒し者にされた。王城が代わりに迎えたのは、クロースの神官達だった。城の大広間に、大きな十字架が掛けられた。
捕らわれたセシル王は投獄され、拷問が加えられた。ウァシオに王権を譲るよう強要したが、セシルはあらゆる苦痛に耐えて、これを拒否し続けた。だが、呻き声の1つが承認であると見なされ、ウァシオはついに王冠を手にした。
◇
戴冠式は城の謁見の間で厳かに行われた。
ウァシオに付き従っていた貴族達が式典を見守る。クロースによるラテン語の祝詞が広間を包む。
ウァシオがマントと王笏を身につけ、玉座に座る。クロースの神官がウァシオの頭に冠を載せた。
貴族達がその瞬間を拍手で喝采した。
◇
ウァシオの戴冠は、最新のニュースとして街の人々に広まった。
街の人達
「ウァシオ様が王になったぞ!」
街の人達
「嬉しいわ! これで生活が楽になるのね!」
街の人達
「前の王は無能だったからな。これで俺達のための政治が始まるぞ!」
街の人達
「俺達は平和を掴み取ったんだ!」
街の人達
「ウァシオ王! 万歳! ウァシオ王に栄光を!」
街は祝福ムードに包まれていた。
が、城壁の周囲では緊張が走っていた。いまだ戦争の爪痕が残る平原。死体と壊れた武器が残る禍々しい修羅の中を、ゼーラ一族の人々が列を作って城へと向かっていた。
戦争か! 城壁を監視していた兵士達に緊張が走った。
兵士
「ゼーラ一族だ! 戦闘配置! 警戒せよ!」
兵士
「待て! 武器を収めよ! 武器を収めよ! ウァシオ様からの命令だ。ゼーラ一族を城下町に入れろ!」
兵士達にどよめきが走る。兵士達は武器を手にしたまま、命令を理解できず、茫然としていた。
それでも、命令通り大門が開かれた。ゼーラ一族が行列を作って街の中へと入っていく。
街の人達は、西の蛮族が街に入ってくる様子を、困惑と不安の顔で見守った。なぜ彼らが街にいるのか、なぜウァシオが彼らを招き入れたのか、誰も理解できない様子だった。
ゼーラ一族は街の中を真っ直ぐ進み、城へと入った。迎えたのはウァシオ王であった。
ウァシオ
「よくぞ来たな。我が友よ」
ゼーラ一族
「長い戦いであったな。よくぞ耐えてくれた」
ウァシオ
「苦労は忘れよう。喜びは分かち合おう。国も城の財産ももはや我らのものだ。住居の心配もしなくてもいいぞ。先の戦いで多くが死に、多くが街を去った。街へ行けば、お前達全員が住むのに不都合がないくらいに空き家がある。なんなら、王の権限で人を追い出すくらいいくらでもできる」
ゼーラ一族
「お前は一族最大の英雄だ。歴史を持たぬ我らだが、ウァシオの名前は英雄の代名詞として残そう」
ウァシオ
「今日は喜びの日だ。ゼーラ一族全員で分かち合おう。宴だ! 宴の用意をしろ! これより7日間の宴を催す! 記録に残る宴にするぞ! 今すぐに食事を用意しろ!」
従者
「……ウ、ウァシオ様、我が城には財産は多くありません。先代は民に負担を掛けないため、質素倹約を貫いておりました。今すぐに宴というのは……」
ウァシオ
「何を言うか、この間抜けめ。あそこを見ろ。財産ならいくらでもあるわ」
ウァシオが指し示したのは、城下町だった。
ウァシオ
「城に財産がないのなら、民からふんだくれ! 我は王であるぞ! 従わぬ奴は死罪にしろ! わかったら、早く宴の用意をしろ!」
従者
「……は……ははぁ」
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■2016/04/18 (Mon)
創作小説■
第6章 フェイク
前回を読む
36
建物に入ると、目の前に廊下が現れた。明かりは非常灯ランプだけだった。かすかな光に、廊下が暗く反射して浮かんだ。廊下の印象は、病院か化学実験室みたいだった。無機質で幅が広かった。人の気配は皆無で、3人分の足音だけが跳ね返って戻ってきた。
廊下に並ぶドアにも明かりはない。覗き窓が真っ黒に沈んでいた。掲示板やプレートに、何か貼り付けてあった跡が残っていた。今はすべて剥ぎ取られて糊の跡だけ残っていた。
ツグミは二ノ宮と少し距離を置いて、従いていった。二ノ宮たちとぴったりくっついて歩きたくはなかった。
廊下を端まで進み、曲がると、階段が現れた。階段を登り踊り場で折り返すと、上から明るい光が射してきた。ツグミはその明かりに、救われるような気がした。
2階に上がるとまた廊下が現れた。照明は何となく仄暗く、廊下が鈍い光を反射させていた。
2階も物音はなく、人の気配もない。中途半端に照らされた廊下が、却って廃墟の印象を深めて不気味に思えた。
「ここだ。入りたまえ」
二ノ宮が間もなく現れたドアを開けて、中に入った。
ツグミは二ノ宮に続いて、ドアを潜った。
するといきなり眩しい光が飛び込んできて、目がくらんでしまった。
間もなくして、部屋の中が像を浮かべる。ツグミは部屋全体を見回した。入ってすぐのところが休憩所になっていた。休憩所の奥に黒の革張りソファが置かれていた。ソファの隣に自動販売機が置かれていた。自動販売機脇のゴミ箱が、紙コップで溢れ返っている。自動販売機はどうやらまだ動くようだ。
休憩所の正面に化学実験室のような広い空間があった。実験室と休憩所の間をガラスが仕切っていて、ガラス越しに実験室を覗けるようになっていた。
実験室は強烈な光が当てられていて、あまりの光の強さに、実験室全体が白く浮かんでいるようだった。そんな中に、何人かの研究員が僅かな影を湛えて揺らめいているように思えた。
実験室の中には、すでにレンブラントの『ガリラヤの海の嵐』が持ち込まれていた。『ガリラヤの海の嵐』はイーゼルに掛けられて、研究員みたいな人達に取り囲まれていた。
研究員は全員で6人いた。どれも白衣に白帽、白マスクという格好で、ツグミにはみんな同じ人に見えた。
研究員たちは『ガリラヤの海の嵐』を取り囲んで、討論を始めている様子だ。会話は間のガラスで遮られていて、休憩所まで聞こえてこない。
実験室には様々な道具が置かれていた。しかし撤収の労力を考えてなのか、あまり道具は多くない。棚には半分しか薬品が入っていなかったし、フラスコやビーカーといったお馴染みの道具もワンセットしか見当たらない。
実験室としてはどこか寂しい感じだった。空間の広さに対して、6人の研究員は少なく思えた。
ガラスの前にカウンターが置かれ、マイクが設置されていた。二ノ宮がマイクの前に進んだ。
「来賓の到着だ。テストを始めたまえ」
二ノ宮がマイクに吹き込んだ。声が少し重さを持って返ってくる。
二ノ宮の声が実験室内に届いたらしい。研究員の何人かが振り返って、了解の意味で頭を下げた。
研究員の1人が、他の研究員に指示を出していた。それから同じ研究員が、実験室左奥に設置されたマイクの側に向かった。
「それではテストを行います。テストは、マイクロスコープ、分光測色法、加速器質量分析法による、炭素14年代測定法。この3種を行います」
女の声だった。品がよくて、好感の持てる声だった。
ツグミは気になって顔を上げた。休憩所の頭上に、スピーカーが取り付けられてあった。スピーカーは学校でよく見かけるタイプのものだった。
「加速器質量分析法? 《AMS》がここにあるんか?」
ツグミは「まさか」という思いで、二ノ宮を振り返った。
「もちろんだ。鑑定に必要なものだからな」
二ノ宮はさも当たり前といった調子で答えた。
加速器質量分析機。この機械を、通称《AMS》と呼ぶ。非常に巨大で、高級な機械だ。《AMS》は、これまで困難だった、炭素14年代測定法を簡単に行えるようにした機械だ。必要な試料も、わずかに約1ミリグラム。『トリノの聖骸布(※)』を、実は13世紀前後のものと判定したのも、この《AMS》だ。
国内にはわずかに3台しかないはずの機械だ。その4台目が、まさかこんな場所にあるとは……。
「えらく、金かけとおんやな」
ツグミは驚きを隠すように、皮肉っぽく言った。
「大金を得るにはまず投資だ。より大きな金が入ると思えば、安いものだろう?」
二ノ宮は自分が集めた宝物を自慢するように、誇らしげだった。
ツグミは杖に両掌を置いて、実験室を覗き込んだ。内心、「ヤバイ」と思った。いくら絵画に細工を施したとはいえ、付け焼き刃の付け足しだ。まさか相手が《AMS》を所有しているなんて、想像もしていなかった。
※ トリノの聖骸布 イエス・キリストが磔にされて死んだ後、その遺体を包んだとされる布。聖骸物の1つ。炭素年代測定法によって13世紀のものと推定されたものの、その真偽について、今も議論が絶えない。
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※ 物語中に登場する美術家、美術作品、美術用語はすべて空想のものです。