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■2010/01/06 (Wed)
6eefe4b6.jpg遠い昔。これは、紀元前1万年の物語だ。
e67335bd.jpg“マナク”とはマンモスのことだ。
多くの日本人はなぜかマンモスに憧れを抱いている。

9b6d2bdd.jpg
ヤガル族は獣の王マナクを狩って暮らす一族だった。マナクを狩る行為は、単に食糧を得るだけではなく勇気を試される戦いでもあった。
9655fd56.jpgある狩りの日、ヤガル族の若者デレーはたった1人でマナクを倒す。この活躍でデレーは「一族の英雄」として認められ、美しきエバレットとの結婚を許される。
7f3bd5b0.jpgしかしデレーがマナクを倒せたのは偶然だった。デレーは自身が「本当の勇気」の持ち主でないと思い悩む。
そんな時、侵略者がヤガル族を襲った。侵略者達は一族の人0e2b95a6.jpgたちを虐殺し、幾人か選んで連れ去ってしまった。
エバレットも侵略者に誘拐されてしまう。デレーはエバレットを救うために、仲間と共に旅を決意する。
62c3a935.jpgピラミッドはローランド・エメリッヒ映画『スターゲート』以来のモチーフである。ピラミッドは早くても紀元前2600年頃だから考証に誤りがある。このちぐはぐ感が奇妙な感覚を作っている。

af06cd87.jpg誰にでもわかる、典型的な冒険映画である。
西洋的な父殺しの映画であり、エディプスの英雄が妻を得るまでの物語だ。
595ab5d8.jpgそんな使い古されたプロットを、今まで誰も見た経験のない場所を舞台することで、鮮烈な印象を与える。
物語の舞台は「紀元前1万年」とされているが、現実的な考証は12475edb.jpg基本的に無視されている。ある程度、紀元前1万年という時代は調査されたのだろうが、そこで得た知識や文化を足がかりに、作家独自のイマジネーションの力で増幅されている。
b1024edf.jpg登場する部族はどれも洗練され、優れた社会能力を持った集団として描かれている。身を飾る装飾やメイクも実に美しい。
物語の背景は容赦なく厳しい。荒涼とした大地に横殴りに降りかかってくる吹雪。青く凍りつく空気。そんな厳しい風景も、作家は独自の感性で見詰め、美しくフィルムの中に描き出す。
32ebc7ae.jpg考証に嘘がある――これが作品への没入感を妨げるのは確かだ。いっそ“地球に似た異世界”としてくれたほうが潔かった。怪物の造形や映像733de3d4.jpgつくりはよくできていただけに惜しい気がする。
登場する怪物たちは、冒険映画になくてはならないメタファーだ。怪物は英雄の行く手を妨害し、試練を与える者たちだ。
d46f87c8.jpgその怪物たちの造形は実に素晴らしい。時代考証に誤りがあるとか、そもそも実在しないとかそういう議論は無粋だろう。なぜなら『紀元前1万年』という映画はファンタジー作品だからだ。ファ930a8d49.jpgンタジーに登場する巨人やドラゴンが実際に存在するかなど議論する者はいないだろう。
怪物たちは英雄達に容赦なく襲い掛かる。その動きは強調されすぎているが、それが不思議な実在感を与えている。かつて着ぐるみやストップモーションの怪物に胸躍らせて見ていた気分を甦らせてくれる。
fd706067.jpg作品の雰囲気は『スターゲート』に近い冒険映画。時代考証がおかしかったり地理的な設計がおかしかったり、没入感を妨げる要素が多い。“リアリティ”とは一時的にその世界に“真実”と思わせるためのものだが、考証がその効果をきちんと果たしていない。割り切ってしまえばそれはそれで楽しい映画なのだが。
84a0790f.jpg2198d40c.jpg映画の展開や結末は、どこまでも典型的である。典型的なハリウッド娯楽映画の類型に過ぎない。
63cab703.jpgfded744c.jpg典型的であるから、制作者は誰も知らない場所を舞台にすることで、新鮮な映像体験を呼び起こす必要があったのだろう。
現代の技術は古いプロットを、より美しく、鮮烈な形で甦らせた。かつての冒険映画にあった、血沸き肉踊る興奮を呼び覚ます映画だ。
579b1115.jpg

映画記事一覧

作品データ
監督:ローランド・エメリッヒ
音楽:トマス・ワンダー
出演:スティーヴン・ストレイト カミーラ・ベル
  クリフ・カーティス ジョエル・ヴァーゲル
  アフィフ・ベン・バドラ



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■2010/01/06 (Wed)
妖精の世界を見つけるには、生身の人間のままであってはならない。
肉体を捨てて、自ら妖精にならねばならない。

6506e7f0.jpgアーサーはおばあちゃんと二人きりで暮らす10歳の少年だった。
二人で暮らす家には広い庭があって、アーサーにとって空想の世界を育む場所だった。おじいちゃんが書いた本の中の妖精た9b80a096.jpgちが、現実に存在する場所だった。
アーサーとおばあちゃんの平穏な日常が脅かされようとしていた。おばあちゃんには多くの借金があったのだ。すでに電気が止められ、電話も通じない。あと2日の間にまとまったお金を支edfba637.jpg払わないと、家を立ち退かねばならなかった。
そんな時アーサーは、広い庭のどこかにおじいちゃんがルビーを隠していると聞かされる。
ルビーのありかを知るには、妖精の世界を通らねばならなかっa0fd2655.jpgた。
アーサーはおじいちゃんが隠した秘密の暗号を解き、妖精世界へ足を踏み入れる。
しかしそこは、邪悪なマルタザールに脅かされる場所だった。
アーサーは、妖精世界の平和のために、ルビーを得るために、戦いの旅に赴く。
c110fc88.jpg“鍵”は実にファンタジックなアイテムだ。“鍵”は未知なる場所への扉を開けてくれるという期待がる。空想世界へ行くには必ず鍵が必要だ。しかし人間には妖精世界を発見できない。夢想世界の住人……自ら妖精にならなければならない。少年は妖精の世界に変えることで、妖精世界へと入っていく。
d040ec3b.jpg少年の意識の中では、現実と空想の世界は混同され、まだ分離されていない。現実世界の知識も生活に役立つものではなく、空想遊びの道具になる。
子供が異世界への冒険に招請されるのは、常に生活の危機に直面19aef6f8.jpgした時だ。深層心理学がそう解説しているし、すべての冒険物語は危機の直面から始まっている。
少年は心の平穏を手にするために、さらに厳しい危難と受難が待ち受ける場所に行くのだ。
d18a9ba2.jpg空想世界への招請の切っ掛けは冒険心によるものではない。現実の危機に直面した時、はじめてその扉は開かれる。望んで空想世界に行けるものではないし、大抵は望まぬうちに妖精世界に迷い込んでしまう。そしてその向うにはもっと危険なものが待ち受けている。

c5495628.jpg現実世界の危機は常に見えにくいし、現実を捉えるのは難しい。現実を捉えようという努力はあらゆる哲学者が失敗してきた試みである。
だが空想世界の危機は具体的な形を持って迫ってくる。醜い怪物た5fd0b387.jpgちや、おぞましい暗黒の支配者。
空想世界では現実世界では決して試されないすべてが試される。
体力、知力、それから勇気。
その危難と受難に自ら挑み、達成した者にこそ、財宝が与えられるのだ。
c814d32f.jpg妙にエッチな空気を振り撒くセレニア姫。もっとも空想世界の姫君は、少年が抱く性の象徴だ。空想世界の少女は、現実的なものを無視して構築した理想の女性像そのものだ。2次元の美少女が魅力的なのは、それが理想像だから当然だ。2次元美少女に魅力を感じないという人は、単に理想がないだけだろう。
1c2fbe2b.jpg映画の中で描かれる妖精世界の造形は、美しく、不思議な手触りがある。
空想世界の風景をまずミニチュアで作り、そのうえにデジタルのキャラクターを合成しているためだ。
何もかもをデジタルに頼らない工夫で、あの独特の手触りの感触を作り出している。
dc0b229b.jpg空想世界には人生のすべてがある。誕生、戦い、性、財宝、別離……。人生のすべてを凝縮させた濃密な世界、という例えもある。ファンタジーは現実よりも現実的な感性に満ちた場所である(現実はむしろ非現実的だ)。だがそんな世界の創造は、作り手にとっても危険が一杯に待ち受けている冒険なのである。
adc4ff5a.jpgところで、空想世界の創造は非常に難しい。
空想の世界は想像する限り無限であるが、その一方で、作り手の実力を容赦なく試されてしまう。
作り手の実力や、知識、まだ誰も発見していないアイデア。
18fe7238.jpgそれらすべてを結集させ、空想世界に説得力を持たせられなければ、作り手は三流のレッテルを貼り付けられてしまう。ファンタジーは現実世界のどの風景とも似てはいけないし、過去のどの創作作品の系譜に属してもならない。もしどこかに一片でも隙があれば、読者はdeba22d2.jpgただちに興醒めしてしまう。玄人である批評家はもっと容赦なくこき下ろすだろう。
“ファンタジーは子供向けだから、どの描写も通俗的でよい”なんて言い訳は通用しない。ほとんどの作り手はファンタジーを通俗的なイ177a7483.jpgメージで埋め尽くし、「どうせ子供のものだから」と妥協している。創造の努力を始めから放棄している。だがそんな言い訳をしているうちはファンタジーの名作と肩を並べることは決してできず、どうでもいい駄作の中に埋もれるだろう。
2c97ee15.jpg空想世界の創造は作り手にとって最も楽しい創作行為だが、最も難しい冒険であるのだ。
さて、『アーサーとミニモイの不思議な国』はそんな課題をどう乗り越えているだろうか。

映画記事一覧

作品データ
監督・原作:リュック・ベッソン
音楽:エリック・セラ 脚本:リュック・ベッソン セリーヌ・ガルシア
出演:フレディ・ハイモア ミア・ファロー
  ペニー・バルフォー マドンナ
  デヴィッド・ボウイ スヌープ・ドッグ
  ジミー・ファロン ロバート・デ・ニーロ



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■2010/01/05 (Tue)
……夜が明ける。
552a15a8.jpg木の陰に光が差し込み、小さな蕾が淡い色づきを取り戻す。獣たちもそろそろと目を覚まし、食事を求めて茂みの中を彷徨い始めた。
穢れなき野原が一日の活動を始めようとする。
そんな森に、邪な陰が横切った。まるで夜の闇を引き摺るように、醜4dd593aa.jpg悪な子鬼が姿を現した。
子鬼が向った先は毒を吹く沼地だった。その中心に、恐ろしい気配を背負った古城が聳え立っていた。
――魔王が住む城だ。
219ea08b.jpgトム・クルーズとミア・サe7c8bc87.jpgラ。どちらも若い。トムはこの次作品にトニー・スコット監督の『トップガン』に出演する。特に言及する資料はないが、関連を想像してしまう。
e18c421c.jpg森は午後の穏やかなぬくもりに抱かれていた。草や花は色鮮やかに色づき、競うように芽吹いている。鳥たちが枝から枝へ飛びながらさえずり歌っていた。
穏やかさに満ちた、豊かな時間だった。
そんな森の小道を、ドレス姿の少女が歌いながら走っda445d52.jpgている。リリー王女だ。
リリーはドレスの裾を掴みながら、森の深いところに入っていく。下草はリリー王女と同じ背丈まで伸びて、その姿を色とりどりの花で包み隠そうとしている。
リリー王女は誰かを探すように首を伸ばし、きょろきょろと森を見回していた。
「ジャック。どこにいるの、ジャック?」
不意に、ちょっと向うの岩場に誰かが飛びついた。リリー王女は驚いて目を背けた。
だけどすぐに怒ったように頬を膨らませて振り返った。岩場に現れたのはジャックだった。
その森はジャックとリリーの2人きりの場所であり、2人きりの秘密の時間だった。
75c5203c.jpgc94d2094.jpg後に『ブレードランナー ディレクターズカット最終版』で使用されたのはこのユニコーンだ。

219ea08b.jpgその日、ジャックはリリーに「特別なもの」を見せたいと森のさらなる奥へと連れて行く。
人気の絶えた場所だった。獣のざわざわとした声で満ちていた。しかしそこに射し込む光は人里近い麓よりはるかに眩く煌き、むしろ神聖な気持ちに包まれるようだった。
そんな場所で待っていたのは2頭のユニコーンだった。
リリーはユニコーンの美しさに心捉われてしまう。
「リリー、近付いちゃ駄目だ。ユニコーンに触れてはいけない」
しかしリリーはジャックの忠告を聞かず、ユニコーンを歌声で誘いその鼻先を撫でる。
0b00e549.jpgその時、何かが起きた。
風が強く吹き、太陽は厚い雲の向こうにかき消された。世界は闇に封じられ、冷たい吹雪が渦を巻き始める。
ユニコーンに触れた事によって、時間が凍り付いてしまったのだ。
6029d4a5.jpgcdf812ff.jpgゴブリンに指輪。改めて見ると『ロード・オブ・ザ・リング』に似たモチーフそっくりな構図が見られる。ピータージャクソン監督はやはりこの作品を見たのだろう。
d557e052.jpgファンタジーとは絶対的な世界だ。
夜の夢のように自由で途方がなく、不条理でどこかに必ず狂気が潜んでいる。なのにファンタジーは我々の心を捕らえて決して離させなくさせる。なぜならファンタジーには、物語自体に魔法使いの呪いが掛9579ba1a.jpgけられているからだ。
ファンタジー作りは難しい。
ファンタジーには作り手の全てが試される。作り手の生まれてから得た全ての知識と美意識。
c3e8752f.jpgファンタジーには一片でも隙があってはならない。なにもかもが小さな世界の中で原理的な自己完結をしなければならない。英雄の冒険に求められるものと同様に、知恵と美の力が問われるのだ。
ccdeeff5.jpgファンタジーの創造を失敗する――それは作家の無能を晒すという意味だ。
0d7e0af7.jpgこの映画では異世界の特徴を描くために、様々なイメージがレイヤリングされる。左の場面ではシャボン玉。なぜシャボン玉なのかわからないが美しい。
137d944f.jpg
物語は森のずっと深い場所で始まる。
森の奥。暗闇がどこかに潜む場所。文明の支配から遠く逃れた場所。そこがリリー王女と森の住人ジャックとの秘密の場所だった。
b8f59b10.jpg森は古来より、魔物が住む場所と信じられてきた。そんな場所だからこそ、最も気高きものとおぞましきものが同居している。
a84d6eae.jpg物語はご都合主義のように、淀みなくストンと流れ落ちてしまう。魔王という絶対的な困難を前にしているのに、見ている側はそれほど大きな障壁に感じないのが欠点だ。

b261f556.jpg神聖さの象徴であるユニコーンは決してその背に人間を乗せない。人間は存在自体が不浄――それは人間が文明を得たと同時に達成された1つの意識である。
ただし例外がある。
まだ生理を迎えていない処女。肉体も魂も汚されていない幼き娘。
そんな少女だけが、神聖なるユニコーンに手を触れる資格が得られる。ユニコーンは穢れなき乙女にのみ、その背に乗ることを許す。
神聖さの象徴であるユニコーンを、恐ろしき魔物が影を潜めて狙っている。聖と魔は常に表裏一体だ。ユニコーンは神聖なる神であると同時に、恐ろしき魔王の属性を持っている。
リリーが不純な動機でユニコーンに触れた瞬間、異変が起き、影を潜めていた子鬼たちが公然と姿を現す。
リリーが手を触れた結果、ユニコーンから神秘と神聖さが失われ、魔物へと姿を変えたのだ。
c4842b3a.jpgガンプ、それから妖精ウーナ。いずれも実に妖精を思わせる容姿をしている。よく見つけてきた、といったところか。物語やキャラクターは北欧神話からイメージを得ている。デザイナーの1人に『指輪物語』の挿絵画家アラン・リーがいる。ということはやはり『ロード・オブ・ザ・リング』に近い起源を持つのだ。
4b030b69.jpgユニコーンの角が折られ、大きな異変が起きてしまう。と同時に、森は様々な秘密を明らかにしていく。
魔王の存在。それから森に潜むガンプやブラウン・トムといった精霊たちだ。
92bed21d.jpgすでに日常の時間や意識は崩壊した。リリーとジャックは、過ちを犯した結果、見えざる妖精世界へと足を踏み入れてしまったのだ。
aa4ea36f.jpg間に魅了されて踊りだすリリー。抵抗するが、あまりにも美しい光景、軽やかなメロディに誘われて、つい一緒に踊ってしまう。リリーが“堕ちる”瞬間である。映画中でも美しさが際立つシーンだ。


53cb792b.jpg『レジェンド 光と闇の伝説』の物語は普遍的な少年と少女の冒険物語だ。
少年が困難に打ち克ち、愛する乙女を手にするまでの物語。少年ジャックは恐ろしき魔王に立ち向かうために、男性としての全ての資質を得る。
459363a0.jpg力。責任。友情。信念。理性。
一方で少女も困難に挑戦する。
魔王の宮殿には美しい宝石や鮮やかなドレス、舌を喜ばせる美食に満たされている。美を愛する少女は、常に美しいものに心を奪われる。それは少女自身の欲望――不純な精神との対立を表している。
少女は美を愛で、永遠の美との同化を望む。しかしその背後には恐ろしい魔王が身を潜めて、清らかな魂を汚し、肉体を陵辱しようと待ち構えている。
96a195b4.jpg魔王は堂々たる全身メイク。迫力は凄まじい。ところで『ドラクエ』シリーズにそっくりのモンスター・キャラクターが登場するが偶然の一致だろうか。


物語の時間は、リリーが池に指輪を投げ入れた瞬間、全てが静止する。
ジャックが池に飛び込んだ時点で、物語は現実的なパースティクティブを喪い、精神世界に突入している。
無限に延長された精神世界の物語。
少年と少女は、その最中に夫として、妻として必要な資質のすべてを試されている。
ジャックは全ての困難を達成できたからこそ、池の底で指輪を発見できた。その瞬間、時間は再生され全てのものは新しく萌え生まれる。
b261f556.jpg『レジェンド』は究極の手作り映画だ。ほとんどはセット撮影で作られている。リドリー・スコット監督は当時の手法、自身の感性のすべてを注ぎ込み、おそらくは美術家としての資質を試そうとしたのだろう。前期リドリー・スコット作品において、もっとも美しい作品となった。だが一方で、惜しい作品であった。(下の「続き」を参照)
『レジェンド 光と闇の伝説』はどこまでも美しい映画だ。
美術家としての研ぎ澄まされた感性が見事に結集している。
『レジェンド 光と闇の伝説』は今も魔法の輝きに満ちている。

映画記事一覧

作品データ
監督:リドリー・スコット 原作・脚本:ウィリアム・ヒョーツバーグ
音楽:ジェリー・ゴールドスミス
出演:トム・クルーズ ミア・サラ ティム・カリー
  ダーヴィット・ベネント アリス・プレイトン
  ビリー・バーティ コーク・ハバート



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■2010/01/05 (Tue)

死者だけが戦争の終わりを見た
                    プラトン
cfd77951.jpg
1992年。ソマリア。
577247ed.jpg部族間の抗争は絶えず、30万人の民間の餓死者を生んだ。
最強の部族を率いるアイディード将軍は、首都モガディシオを占拠。間もなく国際世論が動き、米国海兵隊2万人が投入された。
翌年8月。
84c9cc6e.jpg米国は、精鋭デルタ・フォースを投入し、アイディード逮捕に乗り出した。
だが6週間、事態は進展しなかった。
4da1b4fb.jpgアイディードに武器提供を行っていた商人。この男のa3f3be2a.jpg逮捕によって、事態は進展するはずだった。


アイディード支配地区。バカラ・マーケット。
e059935b.jpg米国はいまだにアイディードの所在を突き止められなかった。だがその日、バカラ・マーケットにアイディード派の幹部が集り、会合が開かれるという情報を得る。
米国は現地人をスパイに雇い、その正確な所在を特定。最強と謳わ9024d9ce.jpgれるブラックホークで突入させ、逮捕する計画を立てた。
イージーな作戦で1時間後には終了し帰還する――予定だった。
しかしそれは、地獄の始まりだった。
81f6ad60.jpgこの地域でアメリカはとことん嫌われている。単に政治的問題に関わらず、いきなりやってきては市や一族のトップを“犯罪者”として逮捕する。80613ba6.jpgそのついでのように住人を大量に銃殺する。

若者はいつだって戦争を軽んじる。
954f4030.jpg「たいしたことはないさ」
「すぐ戻ってこれるさ」
戦場には子供の頃、寝物語で聞かされたような心躍る冒険が待っている。自分たちは必ず戦いに勝利し、英雄として帰還する。それに相9b46d14f.jpg手は武器すら持っていない一般の住人に過ぎない。自分たちは充分以上の訓練を積んでいる。
だから、どんな作戦も余裕さ。
その期待は失望と絶望で裏切られる。戦争という現実を前に、若者e4037f0e.jpg達は初めて恐怖を知り、状況を前に茫然と立ち尽くす。
デルタ・フォースの兵士たちは、そんな若者の典型だ。
戦争を軽んじ、そこで起きようとする事件を理解できず、予測もできない。
a909cb50.jpg兵士たちは戦争の訓練を受けたプロだが、実際の戦争がどんなものであるのか、何一つ知らない。
6ec7f152.jpgこのロバは実際にいたようだ。この銃撃戦に関わらず生き延び“幸運のロバ”の愛称が与えられた。だが7832bc1e.jpg最後には死亡が確認されている。

舞台となるモガディシオはいわゆるスラムだ。道行く人はファッションのごとく軽機関銃を持っている。
d2d9b1fa.jpg略奪や拷問、虐殺するら起こる場所だ。我々が勝手に考えている文明人の条理などここにはない。すべてから解放された渾沌だけがここにはある。
だが不思議なくらい、都市の外には静かな風景が広がっている。
24b80bfe.jpg「妙な気分だよ。美しいビーチ。美しい太陽。バカンスだったら最高だ」
そこは天国にもっとも近い場所なのだ。
それでも人々は、望んで塀に囲まれた地獄を住まいにする。
e2338749.jpgガリソン少将が見ているモニターは衛星中継されたものだ。ガリソン少将は衛星中継で見た画像で状況を判断し、中継ヘリに連絡、中継ヘリが現場の兵士に連絡するシステムだ。当然のように状況は変わっているし、“本当の現場の状況”は無視されてしまう。これが延々繰り返されてしまう。
54fdd937.jpg“ソマリア強襲作戦”はたった一つにミスにより、大きな失敗を引き起こした。兵士たちはかつて経験のない激しい戦いの中に身を投じていく。
容赦なく迫り来る地獄を前にして、米国兵士たちは現実を乖離させてb00b1fc1.jpgいく。
何人死んだ?
何人負傷した?
何人殺した?
64278b7a.jpg戦争の実体はいつだって非現実的なものだ。そこに投入された兵士にとっても、“戦争”という実体を発見できない。もし“戦争”というものがあったとして、いつからいつまでが“戦争”だったのか。後に語られる機会はあっても、それは飽くまでも断片化された物語ないし状況に573a4d6f.jpg過ぎない。子供たちにとっては、父親達が寝物語に語る英雄譚になってしまうだろう。
だが戦争は、すでに始まっているのだ。彼らは始めから地獄の中にいたのだ。
522b03cd.jpgそうだと気付くのが少し遅かった。
兵士たちは何が起きたかわからないまま、煮だった地獄の鍋の中を這い進む。
ここは地獄だ。だが側には天国も同居している。
bde7e882.jpg兵士たちにできる手段は、できるだけ早く、最も激しい渦の中から遁走することだけである。
bbb01bec.jpgソマリア住人達がアメリカ兵氏の死体を裸にして吊るし上げにする。この場面がCNNで報道されたのが映9ba337b5.jpg画製作の切っ掛けとなった。

戦争が題材にされているが英雄映画ではない。激しい戦闘が延々続くが、何が起きているのか見ているだけではほとんどわからない。
7c86f6e0.jpg有名な俳優が何人も出演している。ジョシュ・ハーネットや、オーランド・ブルーム。ユアン・マクレガー、エリック・バナ。いずれも主役をやれるビッグ・スターだ。
だが戦闘が始まると、すぐに誰なのかわからなくなる。みんなメットをa5b8f59a.jpg被り、ゴーグルをかけ、顔は泥まみれで汚れる。戦闘の場面があまりにも激しく、その兵士がいったい誰なのか考えるゆとりすら与えない。
なぜなら『ブラックホークダウン』は、状況を描き出すことだけを目的と2960f71b.jpgしているからだ。
ただただ混乱と危機と破壊と死だけが留まらず迫り来る。映画の鑑賞者も彼らが置かれている状況に飲み込まれ、茫然と眺めているしかできなくなる。
終わりなき地獄の中へ。
いつか終ると信じて、兵士たちとともに心は走り出す。
4e3b252e.jpg

映画記事一覧

作品データ
監督:リドリー・スコット 原作:マーク・ボウデン
製作:ジェリー・ブラッカイマー
音楽:リサ・ジェラード ハンス・ジマー
脚本:ケン・ノーラン スティーヴン・ザイリアン
出演:ジョシュ・ハートネット ユアン・マクレガー
  トム・サイズモア サム・シェパード
  エリック・バナ ジェイソン・アイザックス
  ジョニー・ストロング ウィリアム・フィクトナー



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■2010/01/05 (Tue)
増田こうすけ劇場 ギャグマンガ日和+

40f846c2.jpga128dcec.jpg4e9b1de9.jpg
628eb093.jpg47a94f6e.jpg6dfb6bf2.jpg
462d8c2d.jpge4168ad6.jpg1370111c.jpg

ルノワールVSセザンヌ

bde59421.jpg1874年。パリで第1回印象派展が開かれた。後に印象派の巨匠と呼ばれる、ルノワール、セザンヌ、ピサロ、モネ、シスレー、ドガらが顔を揃える展覧会である。
その日、ルノワールはベンチで思い悩むように空を見上げていた。空はにわかに白く濁り、ルノワールの沈んだ気分を映し出しているようですらあった。
3a5554c9.jpg次の展覧会、果たしてどんな画題で臨むべきか。どんなタッチが相応しいか。ルノワールはこれだというテーマが決められず、思案に明け暮れていた。
「ああ……裸婦が書きたい……」
考えに考え、考えに惑った挙句、ふとそんな独り言がこぼれた。ルノe2a51576.jpgワールは自分にごまかすように笑った。
「ははは、ちょっと恥ずい独り言いってしまったな。ははは……はっ!」
背後にゆらりと気配。
ルノワールは「ギャー」と叫びそうになった。そこに立っていたのは、34d52746.jpgまさしくライバルセザンヌであった。
――まさか、今の聞かれたんじゃないだろうな。
「聞いたぞ」
セザンヌは勝ち誇ったように親指を突き出した。
「聞かれてるー! まさか人に言う気じゃないだろうな。言うなよ、セザンヌ! 略して言うヌ!」
「言うぜ!」
43194876.jpgセザンヌは誇らしげに髭をなでつつ、親指を突き立てた。
「言う気だー! いや待て。僕が画家だぞ? 何を恥じる必要がある? そりゃ裸婦くらい描くつーの。恥ずかしくないわー!」
「え~、ご通行中の皆さーん!」
「わー! わーー!」
504bf24a.jpg「なんとここにいるルノワール君が独り言で……」
「ぐはぁー!」
ルノワールの口から噴水のごとく血が吹き出した。まさに間血泉の勢いだった。
「コワいよお前! どんな喉の痛め方だろ。嫌だろ」
405ff6cd.jpgドン引きだが突っ込みは容赦のないセザンヌであった。
「じゃあどうしたら僕の独り言を秘密にしといてくれるんだ?」
ルノワールは密約を求めるようにセザンヌに囁きかけた。
セザンヌは悪代官の微笑を浮かべて内ポケットに手を突っ込んだ。
「今度の展覧会でこれを出品したまえ」
6d6b93c8.jpgと差し出したのはメモ用紙に描かれた落書きだった。ルノワールと注意書きされた人物が、笑顔でバベル・タワーの如きうんちを掌に乗せていた。
セザンヌは得意げになって脅迫めいた説明を続けた。
「タイトルは君が付けていいが、一応私が考えたのは、ルノワールおf26e8765.jpg前、何を食べてんだ……!」
「ルノワールロケット!」
ルノワール自身が空中を走った。ルノワールは容赦のない砲弾となり、セザンヌの腹に強烈な一撃を食らわした。セザンヌはくの字に体を折り曲げて「ぶへー!」と悲鳴を上げた。
「ふざけるな! そんなの出品したら僕の画家生命絶たれるだろうが!」
「ふん。それが狙いよ。私はライバルは早めに潰す主義なんだ。売れるのは私1人で充分なんだ」
セザンヌはルノワールロケットの衝撃を体に受け、ぜいぜい息を喘がせながらも、悪役らしい微笑みを絶やさず言った。
562c02a5.jpg「くきー! このケダモノ!」
「何とも言いたまえ」
セザンヌはむしろ誉め言葉と受け取ったように髭をいじり始めた。
「侍で切られた音みたいな名前しやがって!」
セザンヌ!
18622847.jpgセザンヌの脳裡に衝撃の鐘が鳴り響いた。セザンヌはくらくらと地面に手を置いて、愕然とうなだれた。
「そこまで言うとは……」
「図星だったようだな」
ルノワールは勝ち誇った優越を背負って反り返った。
ad23ea1d.jpg「黙れ! 貴様だってオッサンがワックスかけた床を全裸で滑る落としやがって!」
「がーん! それだけは言われたくなかったのに!」
ルノワールに衝撃が貫いた。ルノワールは人生の終わりを予感したように愕然とうなだれた。
「ぐうの音もでまい、ルノワール君。いやむしろ、全裸ワックス君!」
セザンヌは勝ち誇った優越を背負って、敗者を見下した。
「セザンヌ! こうなったら絵で勝負だ!」
ルノワールは立ち直り早く飛び上がり、宣言をした。
「臨むところだ!」
セザンヌがルノワールの挑発を付けて叫ぶ。2人の背後に、めらめらと闘士の炎が燃え上がった。

ef855792.jpg『ギャグマンガ日和』がまたしても戻ってきた。第4期を迎え、何か変わったのかといえば――何も変わっていない。あの休日の朝にやっつけで描いたような絵画はそのままだし、何より作品に流れる独特の空気は一切変わっていない。あの前後の時間や空気の流れを一瞬にして変貌させ、独特の世界に取り込んでいくような強引さ、それc039715b.jpgから魔術的魅力は相変わらずである。
『ギャグマンガ日和』は油断ならない作品である。絵画は子供の落書きだし、構図の作り方は映像の作法を完全に無視している。だが矢継ぎ早に迫るカットの速度や、畳み掛けるような言葉の応酬には人を惹き付けるエネルギーに満ち満ちている。この作品に接した多くは中403514fe.jpg毒者となり、続きを求め、日常生活の中でキャラクターの台詞やアクション(創作者は“文脈”を)を真似するようになる。
この作品から実に多くの名台詞や名シーンが生まれていった。「変態紳士」など、ネット上であまりにも有名でうんざりするほど使いまわされた称号も『ギャグマンガ日和』がオリジナルである(他にもあるはずb349a1a5.jpgだが、すぐには思い出せない)
『ギャグマンガ日和』が特別で油断ならないのはそのオリジナルの力である。ギャグ漫画の多くは、オリジナル作品を引用し茶化して同意の笑いを誘うだけである。有名作品を茶化し、極めてどうでもいい突込みを入れて笑いを引き出そうとしている。オリジナルを知っている人に限定した、小さくつづまっていく笑いだ。はっきり言えば、多くのギャグ作品にはオリジナル創作の努力がそこにない。創造の苦労を遠ざける作家は、自身が影響を受けた作品の数々を抽斗から全て出してしまえば、その瞬間に作家として枯れてしまうだろう。
『ギャグマンガ日和』にはそんなどこにでもあるような三流の笑いを求めていない。『ギャグマンガ日和』にはオリジナルの力が漲っている。
一見すると手抜きにしか見えない絵画も、おそらく見る側のガードを引き下げるための作戦であろう。だから我々は、極めて無防備な裸の姿で雹のごとく降り注ぐギャグをその身に浴びるのだ。
ふと気付けば、我々は単なるコピー人間となって、『ギャグマンガ日和』を引用してイミテーションを現実世界に作ろうとしている。『ギャグマンガ日和』の魅力に捉われ、創造主増田こうすけの精神的奴隷となっているのだ。
『ギャグマンガ日和』という作品はたったの5分だ。その他の25分シリーズ作品と較べると圧倒的に短い。しかしだからこそ、番組と番組の狭間にとどまり続けるのである。光に対する影のように、こっそりと、それでいて強烈な輝きを放ちながら――。それで気付けば、我々の精神構造の一片として組み込まれているのだ。番組と番組の狭間に残るように、意識の狭間に留まり続けるのだ。やはり油断のならない作品である。
『ギャグマンガ日和』は時代に引き摺られることなく、年代を越えて語り継がれていくだろう。その度に作品から生まれた名台詞の一つ一つを人々は模倣する。オリジナル作品がもはやわからなくなった後でも、恐らくは我々の思考様式、それから言葉の中に『ギャグマンガ日和』はとどまり続けていくだろう。

作品データ
監督:大地丙太郎 原作:増田こうすけ
演出・作画:かどともあき
音楽:山本はるきち 音響監督:たなかかずや 撮影:大山佳久
主題歌「希望の宇宙の…」
作詞:増田こうすけ 作曲:大地丙太郎 山本はるきち 唄:うえだゆうじ
エンディング曲「ハッピーゴーラッキーエンディング」
作詞・作曲:山本はるきち 唄:冠徹弥
アニメーション制作:ダックスプロダクション・スタジオディーン
出演:前田剛 うえだゆうじ 内藤玲 矢部雅史
  佐藤なる美 那須めぐみ 名塚佳織



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