■ 最新記事
(08/15)
(08/14)
(08/13)
(08/12)
(08/11)
(08/10)
(08/09)
(08/08)
(08/07)
(08/06)
■ カテゴリー
お探し記事は【記事一覧 索引】が便利です。
■2010/01/02 (Sat)
映画:外国映画■
――1994年4月6日の夜。
公立技術専門学校の英国人教師、ジョー・コナーは、駐留している国連軍たちと一緒に、サッカーの試合をテレビで観戦していた。
そんな最中に、事件は起きた。
大統領の暗殺。
フツ族による虐殺が、今まさに始まろうとしていた。
夜のうちに、公立技術専門学校に、町の人々が集ってくる。
誰もが、国連軍が駐留している学校に行けば、守ってくれると信じていた。
話の展開は『ホテル・ルワンダ』の同じ。話がザッピングしている場面もある。補完しながら見ていくと興味深い。
しかし、デロン大尉は「彼らは守れない」と告げる。
国連軍の使命は平和維持のためではない。ただの観察だ。命令されていない限り、一発でも銃を撃つことはできない。
国連軍は虐殺されるツチ族を見捨てるしかなかった。
事件が始まると同時に報道合戦も始まる。
「これは虐殺ではありませんか。国連は介入する義務があるのではないですか」と問われるが、デロン大尉は回答できない。
“Shooting Dogs”(原題)
そんな未曾有の最中、国連軍が銃口を向け、撃ったのが“犬”だった。
神父のクリストファーは激怒して「犬が君らを撃ってきたのか!」と問う。
デロン大尉は「犬が死体を食う。衛生上の問題がるので、犬を撃ち殺したい」と言い出す。これに対し、神父クリストファーは憤慨する。これがタイトルとなる。
『ホテル・ルワンダ』と同じ時、同じ場所を題材にした、もう一つの物語だ。
『ルワンダの涙』では、当時、実際に事件を体験した人達が、スタッフとして参加している。ロケ現場も実際の場所で撮影され、物語の真実味を補強している。『ホテル・ルワンダ』で言及されていた修道院の場面も登場する。二つの作品を並べてみると、当時起きていた状況がよくわかる。
『ホテル・ルワンダ』同様、多くの問題を描いた映画である。
登場人物たちは、ギリギリまでその場にとどまり、危難を乗り越えようとする。そんな様に、我々はただ涙することしかできない。
日本では、アフリカの状況について、報道される機会は少ない。しかし、虐殺は今も起きている。この映画は今、世界が直面する現実を描いている。
『ホテル・ルワンダ』の記事へ
映画記事一覧
作品データ
監督:マイケル・ケイトン=ジョーンズ
音楽:ダリオ・マリアネッリ 脚本:デヴィッド・ウォルステンクロフト
出演:ジョン・ハート ヒュー・ダンシー
〇 クレア=ホープ・アシティ ドミニク・ホルヴィッツ
〇 ニコラ・ウォーカー ルイス・マホニー
公立技術専門学校の英国人教師、ジョー・コナーは、駐留している国連軍たちと一緒に、サッカーの試合をテレビで観戦していた。
そんな最中に、事件は起きた。
大統領の暗殺。
フツ族による虐殺が、今まさに始まろうとしていた。
夜のうちに、公立技術専門学校に、町の人々が集ってくる。
誰もが、国連軍が駐留している学校に行けば、守ってくれると信じていた。
話の展開は『ホテル・ルワンダ』の同じ。話がザッピングしている場面もある。補完しながら見ていくと興味深い。
しかし、デロン大尉は「彼らは守れない」と告げる。
国連軍の使命は平和維持のためではない。ただの観察だ。命令されていない限り、一発でも銃を撃つことはできない。
国連軍は虐殺されるツチ族を見捨てるしかなかった。
事件が始まると同時に報道合戦も始まる。
「これは虐殺ではありませんか。国連は介入する義務があるのではないですか」と問われるが、デロン大尉は回答できない。
“Shooting Dogs”(原題)
そんな未曾有の最中、国連軍が銃口を向け、撃ったのが“犬”だった。
神父のクリストファーは激怒して「犬が君らを撃ってきたのか!」と問う。
デロン大尉は「犬が死体を食う。衛生上の問題がるので、犬を撃ち殺したい」と言い出す。これに対し、神父クリストファーは憤慨する。これがタイトルとなる。
『ホテル・ルワンダ』と同じ時、同じ場所を題材にした、もう一つの物語だ。
『ルワンダの涙』では、当時、実際に事件を体験した人達が、スタッフとして参加している。ロケ現場も実際の場所で撮影され、物語の真実味を補強している。『ホテル・ルワンダ』で言及されていた修道院の場面も登場する。二つの作品を並べてみると、当時起きていた状況がよくわかる。
『ホテル・ルワンダ』同様、多くの問題を描いた映画である。
登場人物たちは、ギリギリまでその場にとどまり、危難を乗り越えようとする。そんな様に、我々はただ涙することしかできない。
日本では、アフリカの状況について、報道される機会は少ない。しかし、虐殺は今も起きている。この映画は今、世界が直面する現実を描いている。
『ホテル・ルワンダ』の記事へ
映画記事一覧
作品データ
監督:マイケル・ケイトン=ジョーンズ
音楽:ダリオ・マリアネッリ 脚本:デヴィッド・ウォルステンクロフト
出演:ジョン・ハート ヒュー・ダンシー
〇 クレア=ホープ・アシティ ドミニク・ホルヴィッツ
〇 ニコラ・ウォーカー ルイス・マホニー
PR
■2010/01/02 (Sat)
映画:外国映画■
ベンは、ハリウッドの脚本家だったが、アルコール中毒のために仕事を失った。
友人もいない。頼りになる人もいない。妻も失った。
ベンは人生の終わりを感じていた。
酒に溺れて、酒を手放せなくなっていた。
現実の感覚が、ぐらぐらと歪む。人生の終わりかもしれない。
ベンは家中のものを焼き払い、残ったお金を持って、ラスベガスに向かった。
夢のなかで、人生を終わらせるために。
ラスベガスの通りで、ベンは娼婦のセーラに声をかけた。
俺の部屋にきてくれたら、1時間で500ドル上げよう。
しかしベンは、セーラとの性的快楽を望んでいなかった。
ただ側にいて、話をして欲しい。側にいて、静かに眠って欲しい。
翌日の朝、セーラはベンの部屋を後にする。
セーラは、ベンとの関係はそれきりで終わりにするつもりだった。あの感情は、一夜限りのものだ、と考えていた。
だが、セーラはどうしてもベンを忘れられない。
気付けばベンの姿を探して、ラスベガスの街を歩いていた。
映画の構成は少し変わっている。時間軸に乱れがあるし、オープニングタイトルは15分を過ぎてからだ。ベンの状況をすっかり説明し終えてやっとタイトルだ。タイトル以後は、説明的な台詞や描写はなくなり、心情だけが描かれていく。
ベンは物語のはじめから心を病んでいた。いつも落ち着きがなく、手が震え、酒ばかり求めている。
周囲はベンを遠ざけようとしている。いつも通っているバーのマスターから出入りを禁止され、アルコール中毒のために職場を追い出される。
ベンは自身の死と、人生の終わりを感じていた。
ベンはすべての人間との関わりをすてて、孤独を望み、放蕩の限りを尽くす。
多くの人にとって、死は逃げるものであり、死に追いつかれたときが人生の終わりだ。
死を漂わせる人間を、誰も望まない。
だがベンは、自ら進んで死に向かっていく。
サラ役のエリザベス・シューはかつて『バック・トゥ・ザ・フューチャー』などに出演していた女優。美人だがなぜかあまり注目されない。いまだに知る人ぞ知る女優である。
セーラは死にいこうとするベンに、どこかで共鳴しあうものを感じていた。
セーラも、人生の行き詰まりを感じていた。
ハリウッドでの失敗。ボスであるユリの狂気。
セーラも、自分の人生は終わりかもしれないと予感していた。
一方のベンは、セーラよりずっと深い場所にいる。ずっと暗い場所に。セーラより一歩も二歩も進んだ場所に、ベンはいる。
セーラがベンの死を見守ろうとしたのは、ベンに自身を見出したからかもしれない。
死に魅入られ、誰からも歓迎されないベン。大きな躓きを経験したセーラ。ベンとはどこかで通じ合うものがあったのだろう。孤独な2人……。世界はやがて2人を見放すように遠ざかっていく。
セーラはベンを死から救い出そうとしない。ただ静かに見守るだけだ。最初の約束の通り、死の淵を渡っていくベンを見届ける。
ベンの現実は、おぼろげに霞んでいく。
何もかもが夢の中。ラスベガスの煌くネオンサイトも、ベンの目には残像しか映らない。
あの世なのか、この世なのかもわからない。
すべての境界が取り払われ、その向うに真っ暗な“無”が押し迫ってくる。
ベンが死を間際にしたときに、セーラはやってくる。
君は天使か?
僕の妄想か?
男の死を、女は静かに見守り、連れ去っていく。
映画記事一覧
作品データ
監督・音楽・脚本:マイク・フィギス
原作:ジョン・オブライエン
出演:ニコラス・ケイジ エリザベス・シュー
〇 ジュリアン・サンズ リチャード・ルイス
〇 スティーヴン・ウェバー ヴァレリア・ゴリノ
〇 ローリー・メトカーフ ジュリアン・レノン
第68回アカデミー賞主演男優賞受賞
友人もいない。頼りになる人もいない。妻も失った。
ベンは人生の終わりを感じていた。
酒に溺れて、酒を手放せなくなっていた。
現実の感覚が、ぐらぐらと歪む。人生の終わりかもしれない。
ベンは家中のものを焼き払い、残ったお金を持って、ラスベガスに向かった。
夢のなかで、人生を終わらせるために。
ラスベガスの通りで、ベンは娼婦のセーラに声をかけた。
俺の部屋にきてくれたら、1時間で500ドル上げよう。
しかしベンは、セーラとの性的快楽を望んでいなかった。
ただ側にいて、話をして欲しい。側にいて、静かに眠って欲しい。
翌日の朝、セーラはベンの部屋を後にする。
セーラは、ベンとの関係はそれきりで終わりにするつもりだった。あの感情は、一夜限りのものだ、と考えていた。
だが、セーラはどうしてもベンを忘れられない。
気付けばベンの姿を探して、ラスベガスの街を歩いていた。
映画の構成は少し変わっている。時間軸に乱れがあるし、オープニングタイトルは15分を過ぎてからだ。ベンの状況をすっかり説明し終えてやっとタイトルだ。タイトル以後は、説明的な台詞や描写はなくなり、心情だけが描かれていく。
ベンは物語のはじめから心を病んでいた。いつも落ち着きがなく、手が震え、酒ばかり求めている。
周囲はベンを遠ざけようとしている。いつも通っているバーのマスターから出入りを禁止され、アルコール中毒のために職場を追い出される。
ベンは自身の死と、人生の終わりを感じていた。
ベンはすべての人間との関わりをすてて、孤独を望み、放蕩の限りを尽くす。
多くの人にとって、死は逃げるものであり、死に追いつかれたときが人生の終わりだ。
死を漂わせる人間を、誰も望まない。
だがベンは、自ら進んで死に向かっていく。
サラ役のエリザベス・シューはかつて『バック・トゥ・ザ・フューチャー』などに出演していた女優。美人だがなぜかあまり注目されない。いまだに知る人ぞ知る女優である。
セーラは死にいこうとするベンに、どこかで共鳴しあうものを感じていた。
セーラも、人生の行き詰まりを感じていた。
ハリウッドでの失敗。ボスであるユリの狂気。
セーラも、自分の人生は終わりかもしれないと予感していた。
一方のベンは、セーラよりずっと深い場所にいる。ずっと暗い場所に。セーラより一歩も二歩も進んだ場所に、ベンはいる。
セーラがベンの死を見守ろうとしたのは、ベンに自身を見出したからかもしれない。
死に魅入られ、誰からも歓迎されないベン。大きな躓きを経験したセーラ。ベンとはどこかで通じ合うものがあったのだろう。孤独な2人……。世界はやがて2人を見放すように遠ざかっていく。
セーラはベンを死から救い出そうとしない。ただ静かに見守るだけだ。最初の約束の通り、死の淵を渡っていくベンを見届ける。
ベンの現実は、おぼろげに霞んでいく。
何もかもが夢の中。ラスベガスの煌くネオンサイトも、ベンの目には残像しか映らない。
あの世なのか、この世なのかもわからない。
すべての境界が取り払われ、その向うに真っ暗な“無”が押し迫ってくる。
ベンが死を間際にしたときに、セーラはやってくる。
君は天使か?
僕の妄想か?
男の死を、女は静かに見守り、連れ去っていく。
映画記事一覧
作品データ
監督・音楽・脚本:マイク・フィギス
原作:ジョン・オブライエン
出演:ニコラス・ケイジ エリザベス・シュー
〇 ジュリアン・サンズ リチャード・ルイス
〇 スティーヴン・ウェバー ヴァレリア・ゴリノ
〇 ローリー・メトカーフ ジュリアン・レノン
第68回アカデミー賞主演男優賞受賞
■2010/01/02 (Sat)
映画:外国映画■
ロンドンの都会で、男と女は出会った。
「ハロー、“ストレンジャー(見知らぬ方)”」
見知らぬ者同士は、導かれるように出会う。
いつか“バスター(あんた)”と呼び合うようになる。
美しき女、アリス。
謎多きファムファタール。全ての切っ掛け。物語を引き起こす美女。ダンはアリスに惹かれ恋仲になるが、アリスについて何も知らない。ファムファタールは自身の秘密を決して明かさない。秘密それ自体だ。
映画『クローサー』には、登場人物は4人しか出てこない。
それに、映画のほとんどは言葉のやり取りだけで終わる。
この映画にとって、舞台は重要ではない。
恋人同士を取り囲む風景は、物語を解説しない。ただの背景、書き割りに過ぎない。
ダンは誠実な男である。誠実であるが故に、分割できない愛に悩む。
アリスへの想いも枯れ始め、写真家のアンナに惹かれ始める。だがアリスへの愛は裏切れない。理性でどう律したところで、想いはふらふらとゆれて別の新しい愛を求めて彷徨い始める。
台詞のやり取りばかりだが、どれも言葉が少ない。
短い言葉が、何度も何度も交わされる。
物語の背景を説明するような、重要な台詞は少ない。
この物語が大事にしているのは、二人の間に流れる空気だ。
出会った瞬間のときめきと、別れる直前の悲しみ。
だからこの映画では、二人以上の人物が同時に会話を交わす場面はない。
重要なのは、二人の間に流れる空気だからだ。
写真家のアンナ。ラリーと恋仲だがダンにアプローチを受ける。
二人の男の狭間で、ゆらゆらと振り回される。
四人の男女の、愛を巡る物語だ。
たかが、愛の物語。しかし予定調和はなく、緊張感は決して途切れない。
愛を得るために、男と女はあらゆる戦術を練る。
ラリーは策略家だ。愛を得るために計略を練る。手段を選ばない貪欲な男。粘着気質で好色。
ラリーの介入により、物語はより複雑に、男も女も迷い揺れ動く。すべてはラリーの計略のうち。
愛を得るためには、誠実でなければならない。
愛を得るためには、誠実であってはならない。
恋愛を経験した者ならば、誰でも知っている認識だ。
男と女を破局させるには、愛を分割させればいい。
今まさに破局を迎えようとしている男女。しかし愛が途切れたわけではない。
愛を分割できないだけだ。
愛情があるからこそ、自身を追い詰め、破局が訪れる。
愛は複雑で、闇に包まれている。
親密に過ごしているつもりでも、愛する者の全てを理解できない。愛する人でも他人に過ぎないから。だからそこに疑惑が生まれる。
疑惑は、相手の秘密を暴き出そうとする。
しかし全てを暴いた時、破局が訪れる。
映画記事一覧
作品データ
監督:マイク・ニコルズ
音楽:モリッシー 脚本:パトリック・マーバー
出演:ジュード・ロウ ナタリー・ポートマン
〇 ジュリア・ロバーツ クライヴ・オーウェン
「ハロー、“ストレンジャー(見知らぬ方)”」
見知らぬ者同士は、導かれるように出会う。
いつか“バスター(あんた)”と呼び合うようになる。
美しき女、アリス。
謎多きファムファタール。全ての切っ掛け。物語を引き起こす美女。ダンはアリスに惹かれ恋仲になるが、アリスについて何も知らない。ファムファタールは自身の秘密を決して明かさない。秘密それ自体だ。
映画『クローサー』には、登場人物は4人しか出てこない。
それに、映画のほとんどは言葉のやり取りだけで終わる。
この映画にとって、舞台は重要ではない。
恋人同士を取り囲む風景は、物語を解説しない。ただの背景、書き割りに過ぎない。
ダンは誠実な男である。誠実であるが故に、分割できない愛に悩む。
アリスへの想いも枯れ始め、写真家のアンナに惹かれ始める。だがアリスへの愛は裏切れない。理性でどう律したところで、想いはふらふらとゆれて別の新しい愛を求めて彷徨い始める。
台詞のやり取りばかりだが、どれも言葉が少ない。
短い言葉が、何度も何度も交わされる。
物語の背景を説明するような、重要な台詞は少ない。
この物語が大事にしているのは、二人の間に流れる空気だ。
出会った瞬間のときめきと、別れる直前の悲しみ。
だからこの映画では、二人以上の人物が同時に会話を交わす場面はない。
重要なのは、二人の間に流れる空気だからだ。
写真家のアンナ。ラリーと恋仲だがダンにアプローチを受ける。
二人の男の狭間で、ゆらゆらと振り回される。
四人の男女の、愛を巡る物語だ。
たかが、愛の物語。しかし予定調和はなく、緊張感は決して途切れない。
愛を得るために、男と女はあらゆる戦術を練る。
ラリーは策略家だ。愛を得るために計略を練る。手段を選ばない貪欲な男。粘着気質で好色。
ラリーの介入により、物語はより複雑に、男も女も迷い揺れ動く。すべてはラリーの計略のうち。
愛を得るためには、誠実でなければならない。
愛を得るためには、誠実であってはならない。
恋愛を経験した者ならば、誰でも知っている認識だ。
男と女を破局させるには、愛を分割させればいい。
今まさに破局を迎えようとしている男女。しかし愛が途切れたわけではない。
愛を分割できないだけだ。
愛情があるからこそ、自身を追い詰め、破局が訪れる。
愛は複雑で、闇に包まれている。
親密に過ごしているつもりでも、愛する者の全てを理解できない。愛する人でも他人に過ぎないから。だからそこに疑惑が生まれる。
疑惑は、相手の秘密を暴き出そうとする。
しかし全てを暴いた時、破局が訪れる。
映画記事一覧
作品データ
監督:マイク・ニコルズ
音楽:モリッシー 脚本:パトリック・マーバー
出演:ジュード・ロウ ナタリー・ポートマン
〇 ジュリア・ロバーツ クライヴ・オーウェン
■2010/01/01 (Fri)
映画:外国映画■
子供の頃よく空想遊びをした。
町の外れに人知れず建っている廃墟。窓が破られ、壁紙はボロボロに剥がれ、ゴミと埃ばかり降り積っているのに、不自然に椅子とテーブルだけが残されている。人々はまるであの建物に気付いていないように通り過ぎていく。
暗く荒んだ風景。近付いて覗き込んでみると、表通りの喧騒が一気に遠のき、沈黙が漂っている。でもよく耳を澄ませていると、そこには間違いなく何者かの気配がある。
『スパイダーウィックの謎』の物語は、ある一家が古い屋敷に引っ越してくる場面から始まる。
主人公である少年はジャレッド。双子の弟サイモンがいる。母親ヘレンに強い猜疑心と反抗心を抱いている。なぜ母は父と別れてしまったのか。どうしてこんな見知らぬ場所に引っ越してこなければならないのか。
少年は突きつけられている“今”を受け入れられなかった。
屋敷の生活に馴染みかけた頃、物置に何かが潜んでいるのに気付く。少年ジャレッドは冒険心と好奇心を輝かせて、その何かに目を凝らそうとする。
屋敷には秘密が隠されていた。
それは祖父が描き、隠した謎の書物『妖精観察図鑑』だった。この『妖精観察図鑑』が悪しきオーガーたちの手に渡ると、世界が終ってしまう。
ジャレッドとサイモン兄弟は、『妖精観察図館』を守るために戦いを決意する。
美しい自然の光景やおばあちゃんの昔語りなどは、空想の世界の原点であり、イメージの補強に最適である。
空想の世界は、いつも無口で社会に溶け込めない少年の心の中にある。いや、そういったはぐれものの少年だけが、社会の狭間にある何かと結びつき、空想世界の創作者になれるのだ。
少年が空想世界を作り出すのは現実逃避のため。あるいは現実世界を再構築し、社会性を取り戻すためだ。
だから少年が空想世界に立ち入る切っ掛けは、いつも愛を失った時だ。ジャレッド少年は空想世界を飛びぬけて、愛する者を失った事実を受け入れていく。
子供と大人は物事を同じように捉えているわけではない。子供には子供独自の思考とイメージで世界というものを捉えている。むしろ大人たちがなぜ考えもなしに社会を絶対のものとして共有できるのか不思議でならない。
『スパイダーウィックの謎』は「ごっこ遊び」の映画だ。
あの影には魔物が潜んでいる。あの屋敷には幽霊が支配している。魔物や幽霊は少年の空想の中で、無限の冒険世界の舞台を提供する。古い屋敷は、そうした空想世界を生み出すのに格好の場所だ。
「あのサークルの中は安全地帯だ」
「怪物の弱点はトマトソースなんだ」
大人にはわからない。子供たちだけでルールを作り、子供たちの間で育まれていく世界。空想世界の原理は少しずつ現実世界へと接近し、結びつき、最後には1つに世界として共有されていく。
そうなると大抵の場合、空想遊びはおしまいだ。空想世界はいつの間にか消えていて、思い出になっている。『スパイダーウィックの謎』は思い出となって消えかけた子供の感情を呼び起こしてくれる。あの時、子供だった私たちがどのように考えたか。暗がりに魔物の姿を見つけ、特別のルールを作り、最後には恐るべき呪いに対し英雄のごとく立ち向かった。
なにもかも、オママゴトのように作り出した仮定の世界に過ぎない。だが『スパイダーウィックの謎』に接した時、ふと思いはあの時の子供の頃に戻っている自分に気付かされる。
とにかく楽しい映画だ。
大人は子供時代の感性を呼び起こすだろうし、子供たちは自分たちの空想遊びを補強するだろう。
登場する怪物たちは決して恐ろしくない。怪物オーガーすら、まるまるしていてユーモラスだ。
子供たちは映画が終った後でも、現実世界に映画の続きを見るだろう。
「あの廃墟にはブラウニーが住んでいるんだ」と。
監督:マーク・ウォーターズ
原作:ホリー・ブラック トニー・ディテルリッジ
音楽:ジェームズ・ホーナー
脚本:キャリー・カークパトリック デヴィッド・バレンバウム ジョン・セイルズ
出演:フレディ・ハイモア サラ・ボルジャー
〇 メアリー=ルイーズ・パーカー ニック・ノルティ
〇 ジョーン・プロウライト デヴィッド・ストラザーン
町の外れに人知れず建っている廃墟。窓が破られ、壁紙はボロボロに剥がれ、ゴミと埃ばかり降り積っているのに、不自然に椅子とテーブルだけが残されている。人々はまるであの建物に気付いていないように通り過ぎていく。
暗く荒んだ風景。近付いて覗き込んでみると、表通りの喧騒が一気に遠のき、沈黙が漂っている。でもよく耳を澄ませていると、そこには間違いなく何者かの気配がある。
『スパイダーウィックの謎』の物語は、ある一家が古い屋敷に引っ越してくる場面から始まる。
主人公である少年はジャレッド。双子の弟サイモンがいる。母親ヘレンに強い猜疑心と反抗心を抱いている。なぜ母は父と別れてしまったのか。どうしてこんな見知らぬ場所に引っ越してこなければならないのか。
少年は突きつけられている“今”を受け入れられなかった。
屋敷の生活に馴染みかけた頃、物置に何かが潜んでいるのに気付く。少年ジャレッドは冒険心と好奇心を輝かせて、その何かに目を凝らそうとする。
屋敷には秘密が隠されていた。
それは祖父が描き、隠した謎の書物『妖精観察図鑑』だった。この『妖精観察図鑑』が悪しきオーガーたちの手に渡ると、世界が終ってしまう。
ジャレッドとサイモン兄弟は、『妖精観察図館』を守るために戦いを決意する。
美しい自然の光景やおばあちゃんの昔語りなどは、空想の世界の原点であり、イメージの補強に最適である。
空想の世界は、いつも無口で社会に溶け込めない少年の心の中にある。いや、そういったはぐれものの少年だけが、社会の狭間にある何かと結びつき、空想世界の創作者になれるのだ。
少年が空想世界を作り出すのは現実逃避のため。あるいは現実世界を再構築し、社会性を取り戻すためだ。
だから少年が空想世界に立ち入る切っ掛けは、いつも愛を失った時だ。ジャレッド少年は空想世界を飛びぬけて、愛する者を失った事実を受け入れていく。
子供と大人は物事を同じように捉えているわけではない。子供には子供独自の思考とイメージで世界というものを捉えている。むしろ大人たちがなぜ考えもなしに社会を絶対のものとして共有できるのか不思議でならない。
『スパイダーウィックの謎』は「ごっこ遊び」の映画だ。
あの影には魔物が潜んでいる。あの屋敷には幽霊が支配している。魔物や幽霊は少年の空想の中で、無限の冒険世界の舞台を提供する。古い屋敷は、そうした空想世界を生み出すのに格好の場所だ。
「あのサークルの中は安全地帯だ」
「怪物の弱点はトマトソースなんだ」
大人にはわからない。子供たちだけでルールを作り、子供たちの間で育まれていく世界。空想世界の原理は少しずつ現実世界へと接近し、結びつき、最後には1つに世界として共有されていく。
そうなると大抵の場合、空想遊びはおしまいだ。空想世界はいつの間にか消えていて、思い出になっている。『スパイダーウィックの謎』は思い出となって消えかけた子供の感情を呼び起こしてくれる。あの時、子供だった私たちがどのように考えたか。暗がりに魔物の姿を見つけ、特別のルールを作り、最後には恐るべき呪いに対し英雄のごとく立ち向かった。
なにもかも、オママゴトのように作り出した仮定の世界に過ぎない。だが『スパイダーウィックの謎』に接した時、ふと思いはあの時の子供の頃に戻っている自分に気付かされる。
とにかく楽しい映画だ。
大人は子供時代の感性を呼び起こすだろうし、子供たちは自分たちの空想遊びを補強するだろう。
登場する怪物たちは決して恐ろしくない。怪物オーガーすら、まるまるしていてユーモラスだ。
子供たちは映画が終った後でも、現実世界に映画の続きを見るだろう。
「あの廃墟にはブラウニーが住んでいるんだ」と。
監督:マーク・ウォーターズ
原作:ホリー・ブラック トニー・ディテルリッジ
音楽:ジェームズ・ホーナー
脚本:キャリー・カークパトリック デヴィッド・バレンバウム ジョン・セイルズ
出演:フレディ・ハイモア サラ・ボルジャー
〇 メアリー=ルイーズ・パーカー ニック・ノルティ
〇 ジョーン・プロウライト デヴィッド・ストラザーン
■2009/10/05 (Mon)
映画:外国映画■
「……人は生きていると、いろいろな罠に転がり落ちて苦しむ。“書くこと”も罠だ。
読者に受けた旧作を焼きなおす作家達は、賞賛が忘れられない。だが、作品の価値を最後に決めるのは、作家自身だ。
批評家や編集者や出版社や読者に左右されたら、終わりだ。金と名声に捉われた作家どもは、クソと一緒に川に流しちまえ」
ヘンリー・チナスキーが唯一、自立的に活動している小説。だが執筆活動もヘンリー・チナスキーにしてみれば堕落の一つである。この映画に共感できる人は少ないと思う。美しい画面はないし、ロマンチックな場面もない。ただどこまでも影の深い陰鬱さが延々と続く。しかも主人公は救いようのない自堕落な男で、その男の生活に2時間付き合わされる感じだ。
ヘンリー・チナスキーは、自称作家だ。実際に執筆活動らしきこともしている。だが、実際に本を出版しているわけではない。ヘンリー・チナスキーは職業作家ではない。
生活の中心は執筆活動より、ほとんと酒とセックスとギャンブルに振り回される。
ヘンリー・チナスキーは完全に執筆活動を忘れて、ギャンブルにのめりこみ、ギャンブルで生活しようとしてしまう。
ヘンリー・チナスキーはただ溺れて、流されるだけの男だ。自身の生活をどうにか律して、一つの活動に専念しようとはしない。
どこまでも沈み、どこまでも堕ちていく男。
堕ちていくから、ヘンリー・チナスキーは執筆活動にも手を出してしまう。
どんな仕事も続かないチナスキー。ギャンブルにのめりこみ、ギャンブルで生活をしようとすることも。「金と名声に捉われたクソどもは…」とかっこつけるが、金が絡むと簡単に自己矛盾に陥る。堕落云々は自己弁護に過ぎない。
ヘンリー・チナスキーの生活は、まさにどん底だ。
作家としてのプライドを強く持とうとするが、すぐに消費に振り回されてしまう。ギャンブルにのめりこみ、セックスに耽溺し、生産性のない快楽に飲み込まれていく。
だが、ヘンリー・チナスキーの精神は、神の近い場所にいる。チナスキー本人は、そういう心構えでいる。
自身より上の者はいない。天上にいるのは、ただ一人だけで、たった一人でその道を歩んでいる。
それが、時になんらかの形を持つかもしれない。
女の部屋に転がり込むが、なんとなくそこを離れてしまう。「ここは俺の居場所ではない」作家は生来的に孤独なものだ。一つの場所に止まると、むしろ孤独を感じてしまう。
作家とは、放浪するものだ。
一つの場所や、一人の女に留まらないものだ。
どこまでも歩んでいき、どこまでも堕ちていき、その向うにきらめく“何か”をすくいあげる。
世界や社会は、詩人が描いたモデルケースでしかない。世界や社会は、集団が共有する願望でしかなく、実体としての形は世界や社会を指し示していない。
詩人は、たった一人で最も暗い闇の中を歩いて進み、その向うに見えた(感じた)世界を目撃し、それを形にして残す者だ。
ひたすら軸がぶれ、自己矛盾を続けるチナスキー。だが自分の描こうとしているものだけは自分で理解している。共感を求めない映画だ。どこまでもよそよそしく、一人で歩く孤独な映画。その先にあるのは、地獄か成功か。
「世界は詩だ。詩は世界だ」
堕ちていく者だけが、世界という表層の向こう側を覗き込む。
ヘンリー・チナスキーは自らの生活を捨てて、女を捨て、流動的な生き方を望む。
身体も精神も自由に解き放ち、放浪し、橋の下で眠る者。
『酔いどれ天使になるまえに』には、通俗映画が描きそうな、“放浪者の自由さや豊かさ”など描かれない。
映像に漂うのは、匂ってきそうな腐敗の生活と、救いようのない貧困。それからヘンリー・チナスキー自身の自堕落だ。
ヘンリー・チナスキーは作家であるために、本能で漂流をし続ける。
映画記事一覧
作品データ
監督・脚本:ベント・ハーメル
音楽:クリスティン・アスビョルンセン トルド・グスタフセン
脚本:ジム・スターク 原作:チャールズ・ブコウスキー
出演:マット・ディロン リリ・テイラー
〇〇〇マリサ・トメイ フィッシャー・スティーヴンス
〇〇〇ディディエ・フラマン エイドリアン・シェリー
読者に受けた旧作を焼きなおす作家達は、賞賛が忘れられない。だが、作品の価値を最後に決めるのは、作家自身だ。
批評家や編集者や出版社や読者に左右されたら、終わりだ。金と名声に捉われた作家どもは、クソと一緒に川に流しちまえ」
ヘンリー・チナスキーが唯一、自立的に活動している小説。だが執筆活動もヘンリー・チナスキーにしてみれば堕落の一つである。この映画に共感できる人は少ないと思う。美しい画面はないし、ロマンチックな場面もない。ただどこまでも影の深い陰鬱さが延々と続く。しかも主人公は救いようのない自堕落な男で、その男の生活に2時間付き合わされる感じだ。
ヘンリー・チナスキーは、自称作家だ。実際に執筆活動らしきこともしている。だが、実際に本を出版しているわけではない。ヘンリー・チナスキーは職業作家ではない。
生活の中心は執筆活動より、ほとんと酒とセックスとギャンブルに振り回される。
ヘンリー・チナスキーは完全に執筆活動を忘れて、ギャンブルにのめりこみ、ギャンブルで生活しようとしてしまう。
ヘンリー・チナスキーはただ溺れて、流されるだけの男だ。自身の生活をどうにか律して、一つの活動に専念しようとはしない。
どこまでも沈み、どこまでも堕ちていく男。
堕ちていくから、ヘンリー・チナスキーは執筆活動にも手を出してしまう。
どんな仕事も続かないチナスキー。ギャンブルにのめりこみ、ギャンブルで生活をしようとすることも。「金と名声に捉われたクソどもは…」とかっこつけるが、金が絡むと簡単に自己矛盾に陥る。堕落云々は自己弁護に過ぎない。
ヘンリー・チナスキーの生活は、まさにどん底だ。
作家としてのプライドを強く持とうとするが、すぐに消費に振り回されてしまう。ギャンブルにのめりこみ、セックスに耽溺し、生産性のない快楽に飲み込まれていく。
だが、ヘンリー・チナスキーの精神は、神の近い場所にいる。チナスキー本人は、そういう心構えでいる。
自身より上の者はいない。天上にいるのは、ただ一人だけで、たった一人でその道を歩んでいる。
それが、時になんらかの形を持つかもしれない。
女の部屋に転がり込むが、なんとなくそこを離れてしまう。「ここは俺の居場所ではない」作家は生来的に孤独なものだ。一つの場所に止まると、むしろ孤独を感じてしまう。
作家とは、放浪するものだ。
一つの場所や、一人の女に留まらないものだ。
どこまでも歩んでいき、どこまでも堕ちていき、その向うにきらめく“何か”をすくいあげる。
世界や社会は、詩人が描いたモデルケースでしかない。世界や社会は、集団が共有する願望でしかなく、実体としての形は世界や社会を指し示していない。
詩人は、たった一人で最も暗い闇の中を歩いて進み、その向うに見えた(感じた)世界を目撃し、それを形にして残す者だ。
ひたすら軸がぶれ、自己矛盾を続けるチナスキー。だが自分の描こうとしているものだけは自分で理解している。共感を求めない映画だ。どこまでもよそよそしく、一人で歩く孤独な映画。その先にあるのは、地獄か成功か。
「世界は詩だ。詩は世界だ」
堕ちていく者だけが、世界という表層の向こう側を覗き込む。
ヘンリー・チナスキーは自らの生活を捨てて、女を捨て、流動的な生き方を望む。
身体も精神も自由に解き放ち、放浪し、橋の下で眠る者。
『酔いどれ天使になるまえに』には、通俗映画が描きそうな、“放浪者の自由さや豊かさ”など描かれない。
映像に漂うのは、匂ってきそうな腐敗の生活と、救いようのない貧困。それからヘンリー・チナスキー自身の自堕落だ。
ヘンリー・チナスキーは作家であるために、本能で漂流をし続ける。
映画記事一覧
作品データ
監督・脚本:ベント・ハーメル
音楽:クリスティン・アスビョルンセン トルド・グスタフセン
脚本:ジム・スターク 原作:チャールズ・ブコウスキー
出演:マット・ディロン リリ・テイラー
〇〇〇マリサ・トメイ フィッシャー・スティーヴンス
〇〇〇ディディエ・フラマン エイドリアン・シェリー