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■2009/03/15 (Sun)
外国アニメ■
パンダのポーは、カンフーに憧れていた。
カンフーのことなら、何でも知っていた。あんなふうになりたい、と思っていた。
でも、現実のポーはラーメン屋。
ポーにとって憧れのカンフーは、ずっと遠い、泰山の上の城のようなものだった。
そんなある日、ポーは翡翠城で“龍の戦士”を選抜する式典が催されると知る。
“龍の戦士”とは、無限の力が与えられる“龍の巻物”を手にする許可を与えられた戦士のことだ。
中国武術では、よく動物を見立てにするが、それをその通りに描けるのはアニメの自在さゆえ。描写としては、ある意味正しいといえる。
ポーはもちろん翡翠城に行き、“龍の戦士”を指名する式典を見たいと思った。
だが、翡翠城の前には、長い長い階段。
ポーは時間をかけて、ふうふう言いながらやっと階段を登り切るが、ちょうど翡翠城の門が閉じられてしまうところだった。
門の向うで、華やかな式典が始まるが、門の外のポーには何も見えない。
ポーはどうしても“龍の戦士”が指名される瞬間が見たかった。
ポーは、花火を使って自分の体をふっ飛ばし、門の向うに飛ぼうと考える。
カンフー・アクションは実にマニアック。作り手による中国映画愛を感じる作品。アクションの多さは、西洋アニメとしては最も多いかもしれない。
ポーの計画はうまくいった。花火はポーの体をふっ飛ばし、高い門を飛び越えた。
だが、ポーが目を開けると、目の前にウーグェイ導師の指。
“龍の戦士”に選ばれたのは、まさかのポーだった。
この決定に、シーフー導師もその弟子であるマスター・ファイブも納得がいかない。
シーフー導師たちは、ポーを追い出すための計画を練りはじめる。
凄い!美しい!と思えるのは、せいぜい3ヶ月くらいまで。それが技術の映画の宿命。作り手は常に、観客より一歩前に進んでいなければならない。
ドリームワークス制作10本目のアニメーションは、パンダを主人公にしたカンフーアクションだ。
『カンフー・パンダ』の物語は簡潔に整理され、展開が速く、一瞬でも退屈を感じさせない。
どの場面もどのキャラクターにも、こだわりと工夫が込められ、優れた娯楽活劇として結実している。
キャラクターには、西洋アニメーションに見られる典型的な作法が踏襲されるが、題材が新しく、激しいアクションが類型的であるという退屈さを完全に覆い隠してしまっている。
安心して楽しめる娯楽映画だ。
ぐるぐる回るカメラ。日本のアニメーションの空間表現は、所詮は背景の引っ張りだし、“付けパン”の動画は未だに勘に頼っている。これだけのアクションを描き出せる才能は少ない。
デジタル・アニメーションは、難しい宿命を抱えたジャンルだ。
どんなに優れた技術も、3ヶ月で古びてしまう。これ以上はないと思える美しい映像も、せいぜい数ヶ月の寿命だ。デジタル・アニメーションは常に技術の最先端を更新せねばならず、観客に一寸の隙も見せてはいけないのだ。
だが、デジタル・アニメーションの制作には、数年の時間がかかってしまう。
だから、デジタル・アニメーションの制作者は、数年後の時代を予想して作品を作り、技術を開発せねばならない。
せっかくの技術も、数年後の社会に大量に氾濫していたら、制作者の苦労はすべて無駄になる。
そのために題材選びは慎重に審査せねばならない。
『カンフー・パンダ』が題材にしたのは、カンフー・アクションだ。
近年、ハリウッドで急速に勢力を伸ばしつつある“カンフーもの”。
だが、まだ誰もアニメーションで本格的に制作した者はいなかった。
それに、カンフー・アクションをアニメーションで表現するには、相応の技術の開発が必要になる。
題材選び、技術開発。その両面において、『カンフー・パンダ』は正しい選択を行ったといえる。
中国の情勢不安や、北京オリンピックといろいろ重なってしまった映画だが、現実の政治など気にしないで観るのが正しい。作り手も、そう願うだろうから。
『カンフー・パンダ』の主人公はだらしないパンダだ。
デブで鈍くて、とてもカンフーの達人に成長しそうに思えない。
それが、潜在的な力を見出され、覚醒していく。
弟子と師匠の物語。成長のドラマ。アクション。どの要素もしっかりと組み上げられている。
実写ではありえないカメラワークに、二次元アニメではなかなか見られない三次元的な空間移動にアクション。
それに、主人公がパンダだから殺伐としない。要所要所で、笑いを添えてくれる。
物語やキャラクターにはどこか既視感があるし、それは気のせいではない。
それでも、魅力ある作品だ。娯楽映画をきちんと作ろうとしているし、間違いなく制作者の努力は成功している。
誰にお勧めしてもいい作品だ。
作品データ
監督:マーク・オズボーン ジョン・スティーヴンソン
音楽:ハンス・ジマー ジョン・パウエル
脚本:ジョナサン・エイベル グレン・バーガー
出演(英語):ジャック・ブラック ダスティン・ホフマン
アンジェリーナ・ジョリー イアン・マクシェーン
ジャッキー・チェン セス・ローゲン
ルーシー・リュー デヴィッド・クロス
ジェームズ・ホン マイケル・クラーク・ダンカン
出演(日本語):山口達也 笹野高史 木村佳乃
中尾彬 石丸博也 桐元琢也 MEGUMI
真殿光昭 富田耕生 龍田直樹 高木渉
カンフーのことなら、何でも知っていた。あんなふうになりたい、と思っていた。
でも、現実のポーはラーメン屋。
ポーにとって憧れのカンフーは、ずっと遠い、泰山の上の城のようなものだった。
そんなある日、ポーは翡翠城で“龍の戦士”を選抜する式典が催されると知る。
“龍の戦士”とは、無限の力が与えられる“龍の巻物”を手にする許可を与えられた戦士のことだ。
中国武術では、よく動物を見立てにするが、それをその通りに描けるのはアニメの自在さゆえ。描写としては、ある意味正しいといえる。
ポーはもちろん翡翠城に行き、“龍の戦士”を指名する式典を見たいと思った。
だが、翡翠城の前には、長い長い階段。
ポーは時間をかけて、ふうふう言いながらやっと階段を登り切るが、ちょうど翡翠城の門が閉じられてしまうところだった。
門の向うで、華やかな式典が始まるが、門の外のポーには何も見えない。
ポーはどうしても“龍の戦士”が指名される瞬間が見たかった。
ポーは、花火を使って自分の体をふっ飛ばし、門の向うに飛ぼうと考える。
カンフー・アクションは実にマニアック。作り手による中国映画愛を感じる作品。アクションの多さは、西洋アニメとしては最も多いかもしれない。
ポーの計画はうまくいった。花火はポーの体をふっ飛ばし、高い門を飛び越えた。
だが、ポーが目を開けると、目の前にウーグェイ導師の指。
“龍の戦士”に選ばれたのは、まさかのポーだった。
この決定に、シーフー導師もその弟子であるマスター・ファイブも納得がいかない。
シーフー導師たちは、ポーを追い出すための計画を練りはじめる。
凄い!美しい!と思えるのは、せいぜい3ヶ月くらいまで。それが技術の映画の宿命。作り手は常に、観客より一歩前に進んでいなければならない。
ドリームワークス制作10本目のアニメーションは、パンダを主人公にしたカンフーアクションだ。
『カンフー・パンダ』の物語は簡潔に整理され、展開が速く、一瞬でも退屈を感じさせない。
どの場面もどのキャラクターにも、こだわりと工夫が込められ、優れた娯楽活劇として結実している。
キャラクターには、西洋アニメーションに見られる典型的な作法が踏襲されるが、題材が新しく、激しいアクションが類型的であるという退屈さを完全に覆い隠してしまっている。
安心して楽しめる娯楽映画だ。
ぐるぐる回るカメラ。日本のアニメーションの空間表現は、所詮は背景の引っ張りだし、“付けパン”の動画は未だに勘に頼っている。これだけのアクションを描き出せる才能は少ない。
デジタル・アニメーションは、難しい宿命を抱えたジャンルだ。
どんなに優れた技術も、3ヶ月で古びてしまう。これ以上はないと思える美しい映像も、せいぜい数ヶ月の寿命だ。デジタル・アニメーションは常に技術の最先端を更新せねばならず、観客に一寸の隙も見せてはいけないのだ。
だが、デジタル・アニメーションの制作には、数年の時間がかかってしまう。
だから、デジタル・アニメーションの制作者は、数年後の時代を予想して作品を作り、技術を開発せねばならない。
せっかくの技術も、数年後の社会に大量に氾濫していたら、制作者の苦労はすべて無駄になる。
そのために題材選びは慎重に審査せねばならない。
『カンフー・パンダ』が題材にしたのは、カンフー・アクションだ。
近年、ハリウッドで急速に勢力を伸ばしつつある“カンフーもの”。
だが、まだ誰もアニメーションで本格的に制作した者はいなかった。
それに、カンフー・アクションをアニメーションで表現するには、相応の技術の開発が必要になる。
題材選び、技術開発。その両面において、『カンフー・パンダ』は正しい選択を行ったといえる。
中国の情勢不安や、北京オリンピックといろいろ重なってしまった映画だが、現実の政治など気にしないで観るのが正しい。作り手も、そう願うだろうから。
『カンフー・パンダ』の主人公はだらしないパンダだ。
デブで鈍くて、とてもカンフーの達人に成長しそうに思えない。
それが、潜在的な力を見出され、覚醒していく。
弟子と師匠の物語。成長のドラマ。アクション。どの要素もしっかりと組み上げられている。
実写ではありえないカメラワークに、二次元アニメではなかなか見られない三次元的な空間移動にアクション。
それに、主人公がパンダだから殺伐としない。要所要所で、笑いを添えてくれる。
物語やキャラクターにはどこか既視感があるし、それは気のせいではない。
それでも、魅力ある作品だ。娯楽映画をきちんと作ろうとしているし、間違いなく制作者の努力は成功している。
誰にお勧めしてもいい作品だ。
作品データ
監督:マーク・オズボーン ジョン・スティーヴンソン
音楽:ハンス・ジマー ジョン・パウエル
脚本:ジョナサン・エイベル グレン・バーガー
出演(英語):ジャック・ブラック ダスティン・ホフマン
アンジェリーナ・ジョリー イアン・マクシェーン
ジャッキー・チェン セス・ローゲン
ルーシー・リュー デヴィッド・クロス
ジェームズ・ホン マイケル・クラーク・ダンカン
出演(日本語):山口達也 笹野高史 木村佳乃
中尾彬 石丸博也 桐元琢也 MEGUMI
真殿光昭 富田耕生 龍田直樹 高木渉
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