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■2010/10/19 (Tue)
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アスラクラインの失敗1
アスラクラインの失敗2
アスラクラインの失敗3
アスラクラインの失敗4
エンターテインメントとはピンチである
けいおん! 総括!
けいおん!! 途中経過!
けいおん!! 総括! ティータイムが終わる時
けいおん! 劇場版 補足!
ソードアート・オンライン ストーリーテラーの不在
這いよれニャル子さん ニャル子さんとお祭りアニメ
這いよれニャル子さんW パロディとギャグの狭間
鋼の錬金術師 構想力とは何か1
鋼の錬金術師 構想力とは何か2
鋼の錬金術師 構想力とは何か3
鋼の錬金術師 構想力とは何か4
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鋼の錬金術師 構想力とは何か7
氷菓 日常の中の非日常 前編
氷菓 日常の中の非日常 後編
BLOOD-C 進まない物語
魔法少女まどか☆マギカ批評 前編
魔法少女まどか☆マギカ批評 後編
■ 掲載日順 ■
2009年7月6日 けいおん! 総括!
2009年11月10日 アスラクラインの失敗1
2009年11月10日 アスラクラインの失敗2
2009年11月10日 アスラクラインの失敗3
2009年11月10日 アスラクラインの失敗4
2010年6月27日 けいおん!! 途中経過!
2010年8月10日 鋼の錬金術師 構想力とは何か1
2010年8月10日 鋼の錬金術師 構想力とは何か2
2010年8月10日 鋼の錬金術師 構想力とは何か3
2010年8月11日 鋼の錬金術師 構想力とは何か4
2010年8月11日 鋼の錬金術師 構想力とは何か5
2010年8月11日 鋼の錬金術師 構想力とは何か6
2010年8月11日 鋼の錬金術師 構想力とは何か7
2010年10月4日 けいおん!! 総括! ティータイムが終わる時
2011年4月18日 魔法少女まどか☆マギカ批評 前編
2011年5月3日 魔法少女まどか☆マギカ批評 後編
2011年9月27日 BLOOD-C 進まない物語
2013年2月7日 ソードアート・オンライン ストーリーテラーの不在
2013年2月9日 這いよれニャル子さん ニャル子さんとお祭りアニメ
2013年2月13日 けいおん! 劇場版 補足!
2013年2月23日 氷菓 日常の中の非日常 前編
2013年2月23日 氷菓 日常の中の非日常 後編
2013年7月4日 這いよれニャル子さんW パロディとギャグの狭間
2013年8月23日 エンターテインメントとはピンチである
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■2010/10/18 (Mon)
写真■
コスモスが咲いている……。でも撮りにいく時間がない。
これは買い物のついでに撮ってきたもの。曇りだった。
暗くしすぎた……。画像処理をやっていると、ついやりすぎてしまう。反省の一枚。これでも前回と同じ場所の写真。
花も撮りたいけど、空も撮りたいな……。と考えているうちにどんどんカメラ位置は低くなる。後で見直すと花びらの裏側ばっかり。正面が写っている写真もあるけど逆行で真っ黒。本当はピンクのコスモスだよ。
写真日記 目次
これは買い物のついでに撮ってきたもの。曇りだった。
(1280×1024)
(1280×720)
暗くしすぎた……。画像処理をやっていると、ついやりすぎてしまう。反省の一枚。これでも前回と同じ場所の写真。
(1024×1280)
(720×1280)
花も撮りたいけど、空も撮りたいな……。と考えているうちにどんどんカメラ位置は低くなる。後で見直すと花びらの裏側ばっかり。正面が写っている写真もあるけど逆行で真っ黒。本当はピンクのコスモスだよ。
写真日記 目次
■2010/10/11 (Mon)
オリジナル・アニメ・DVD■
「どんな教育受けてんだ、まったく。親の顔が見たいぜ」
乱暴な言葉が無情に投げかけられる。雨の音に混じって、ピチャピチャと遠ざかっていく足音が聞こえた。
のんちゃんは薄く目を開けて、固くざらついたアスファルトのでこぼこを見詰めた。細かな石の溝の間を、雨が流れて行くのが見えた。
雨の冷たさが全身に広がっていく。落雷の音が、雨雲の中でごろごろと轟いていた。
のんちゃんは全身包帯まみれ、右腕を吊った格好で砂浜を歩いていた。体の状態はまだ思わしくなく、左脚をずるずると引き摺り、引き摺った跡が砂浜に長く尾を引いていた。右手の買い物籠の中には長ネギが一本入れられている。頭の上にはPちゃんが大人しく止まっていた
海風がごうごうと唸りを上げている。砂浜に鉛色の波がゆらりと押し寄せてくる。空気はどこか暗く淀んで、かすかな灰の匂いを混じらせていた。
のんちゃんは気にしないで、ごろつきの側を通り過ぎようとした。
すると、ごろつきの一人が顔を上げ、のんちゃんを振り返った。
はっと声を強張らせた。顔と体が恐怖で固まったと思うと、棒を放り出して走り去ってしまった。それに釣られるように、ごろつきの仲間たちも去ってしまった。
ごろつきたちが去ると、砂浜に小さな影が残された。目を合わせる
「わー、ミイラ!」
カメは怯えた声を上げて、頭を抱えてぶるぶると震えていた。
しかし、何も応答がないのにふっと我に返り、ちらっとのんちゃんを見上げた。
のんちゃんの頭の上で、Pちゃんが代わりに答えた。
カメは驚きを浮かべ、それからほっとした感じに溜め息を吐いた。
「……なんだ。ヒドイ国ですね、ここは。いじめっ子ばかりだ。でも、あなたは良い人。命の恩人です。どうです? 私の国に来ません
カメは安心したのか、饒舌になって語り始めた。
のんちゃんは、何も返事しないで、踵を返し左脚を引き摺って歩き始めた。
「あちらは地上の楽園。絵にもかけない美しさです。明日もこの海岸
カメは調子を強めて、のんちゃんの背中に向って語り続けた。
のんちゃんはいくらか気にするように歩調を緩めて、何も答えずカメの言葉を聞いた。
「ずっと待っていますから」
カメの声が、海風に消え入りそうになりがら細く聞こえてきた。
何気なしにテレビを点ける。流れてくる情報は暴力、殺人、詐欺、虐待――。
事件が陰惨であるほどに、ニュースキャスターが生き生きと言葉を弾ませる。
不意にのんちゃんは、幼い日の出来事を思い出した。突然の暴力。いきなり迫った包丁の刃。自分の身代わりで犠牲になった母親――。何の意味のない暴力、そして犠牲。
のんちゃんは耐え切れず外に飛び出した。この国を捨ててしまおう。そう思って。
異変の中央へ進むと、海岸線が深く抉られ、昨日のごろつきがボロボロになって倒れているのが見えた。不快な灰の臭いが昨日よりも
茫然としているそこに、ドシンと地面が揺れた。はっと振り向くと、巨大な鉄の杭が、ゆっくり移動するのが見えた。いや、それは脚だった。4本の鉄の杭のような巨大な脚を持った怪物が、町の中心地を目指して歩いていた。
町が怪物に襲われている。助けなきゃ。
のんちゃんは持っているスプーンを振り上げた。スプーンの先端で光が砕けた。周辺の瓦礫が衝撃に吹っ飛んだ。
のんちゃんの戦いが始まった――。
◇
『海からの使者』は作家《のすふぇらとぅ》がたった一人で6年の歳月を費やして制作された、わずか8分の個人製作アニメーションである。
作品についての解説を始める前に、まず《のすふぇらとぅ》の人となりを見ていきたいと思う。
《のすふぇらとぅ》が運営するサイト、《活動漫画館》には次のように紹介文が掲載されている。
▽
西暦19××年とある小島に誕生。高校時代、文化祭用共同製作アニメに3年連続で参加。3作目で監督を担当(各3~5分のペーパーアニメ)。専門学校時代は広告・イラストを学び、映画研究会でちょっとだけ活動する。後に広告制作会社に就職、グラフィックデザイナーになったが、特にパッとした活躍もせぬまま、志し半ばで田舎に戻ってきてしまう。現在は小さな八百屋をやってます。
△
上に書いてある通り、《のすふぇらとぅ》はプロのアニメーション作家ではなく、アニメーション作家を志した経歴もなく、それに相当する職業経験もない。多少の絵心はあり、デザインを学び広告制作会社に就職するが、これといった実績もなく、間もなく淡路島の実家に戻ってしまっている。アニメーションを描く土台となる経験は、高校時代に描いたほんの数分のペーパーアニメが全てである。現在はありふれた町の青果店を営んでおり、作家としてではなく、ごく普通の人として日常を過ごしている。アニメーションの制作は青果店の経営とは無関係の、息抜きか趣味のようなところから始まり、《のすふぇらとぅ》本人によれば、現在においてもそれをプロの職業にするつもりはないと明言している。
初期の作品はペンタブレットではなく、マ
それ以後も《のすふぇらとぅ》は、例えばレタススタジオのような本格的なアニメーションツールを手に入れることもなく、あくまでもGIFにこだわり続け、GIF形式のままいかに精度を高められるか、いかに迫力のあるカットを作り出せるか、その研究に一人のめりこんでいく。
その後は急速な勢いで作品のクオリティを高めていく。最初のGIFアニメを発表してからわずか10年。落書きのようだった作品は、前例のない勢いで技術を向上させ、画力を上達させ、ついには『海からの使者』という途方もない傑作を作り上げるのである。
その驚くべき画力の向上、そして作品の完成度。まさに「奇跡の作家」と呼ぶべきである。
アクションの最中には繰り返しサブミニナルが使われ、《のすふぇらとぅ》作品にとっておなじみのキャラクターがちらちらと登場する。DVD完成版はサブミニナルは控えめになっているが、それでもコマ送りで探す楽しみはある。
少女ルカが父親らしき男から暴力を受けている。とっさに飛び出し、助けようとするのんちゃんだったが、ルカに「お父さんを、いじめないで」と止められてしまう。激昂した男は、容赦なくのんちゃんを攻撃する。それでものんちゃんは、反撃しないで攻撃を受け続けた。
男はそんな言葉を吐き捨てて、そこから去っていく。
その事件を切っ掛けに、のんちゃんは暗澹と考え込むようになった。暴力とは何か。なぜ人は暴力を振るうのか――。脳裡に浮かび上がるのは、母親が殺されたあの事件。通り魔に突然襲われて、母親を失ったのんちゃん。あの暴力に何の意味があったのか? いや何の意味もなかった。ただ襲われて、死と悲しみが後に残っただけ。
のんちゃんは自身の秘められた能力を封印し、暴力から逃れようと考えた。
そんなとき、出会ったカメから、海の向うの暴力のない世界へ行こうと誘われる。迷うのんちゃんだったが、テレビから溢れる暴力のニュースから逃れるように、カメのもとへと走る。
のんちゃんは襲われている町の人々の中に、あのルカの姿を見つける。のんちゃんは町を守るためために、ルカを救い出すために、封印したはずの力を解放し怪物と対峙する。
すでに書いたとおり、『海からの使者』はこれまでの作品と同様に、GIFアニメの形式で描かれている。現代のディスプレイで作品を見ると、『海からの使者』の映像は鮮明とはいえず、線にドット単位のがたつきが見て取れる。冒頭のゆるやかに展開していく映像を見ると、最近の高品質の映像作品には遠く及ばないものがある。
だが、その印象も後半のアクションが始まった瞬間、一変する。躍動するキャラクター、破壊される街、次々と迫ってくる戦闘機と爆撃、容赦なく繰り出される暴力。
圧倒されるようなアクションが矢継ぎ早に展開され、荒削りに思えた映像が、野獣のような迫力を放って眼前に迫ってくる。このわずか8分のアクションのために、《のすふぇらとぅ》は6年という歳月を費やして、見事に描写してみせたのである。
『海からの使者』の小さな物語である。ドラマとしての躍動は小さく、驚くような展開もなければ言葉の一つ一つに感動的な何かが込められているわけではない。ただただ痛快にして豪快なアクションがそこにあるだけである。
しかし『海からの使者』の映像にはプリミティブな感動が込められている。物語の蓋然性や道理はさて置くとして、キャラクターが自由に重力から解放され、町の構造を叩き壊し、怪物との素手の対決を挑む。そこに何の意味があるのか、なんて問うのは野暮である。
その瞬間現れる何ともいえない心地よさと痛快さ。それから恍惚。ただただ巨大な2者が対峙し、ぶつかり合い、破壊の描写が連続するだけの映像である。だが我々は、そこに圧倒されるような剥き出しの快楽を見出すのである。初源の動画快楽に感覚が一気に引き戻され、その中に飲み込まれて恍惚が溢れ出す。そんな感動を与えてくれる秀逸な作品である。
背景にちらちらと「9条改正反対」「のんちゃんは違憲」などの書き込みがあり、意外と今日的なテーマを取り入れているのがわかる。
大雑把に言えば、職業として仕事を引き受け、それで生活しているのがプロである。だから、そうではないのがアマチュアだ。
しかし、世間一般ではなぜかプロの仕事がより上等で、アマチュアが下等であると見做そうとしている。プロと比較すると、アマチュアの仕
「プロは特別優秀であるから、アマチュアに敗北することは決してない」
特にアニメーションという分野では、制作方法があまりにも複雑で予算規模が大きいために、プロであることの地位は絶対的に守られて
だが、高度に発達したコンピューターの手を借りることによって、プロの絶対性は少しずつ、それでいて確実に揺らぎつつある。というか、プロであることのプライドが、そろそろ根拠のない傲慢さと見栄に変
「素人の作品は所詮、素人に過ぎない。あれはオリジナル作品とは言わない」
プロとしてのプライドにこだわりたい人の多くは、上のように言うだろ
のんちゃんというキャラクターのオリジナル性は、落書きの中から偶
どの個人製作アニメーションも物語の展開が弱く、ドラマとしての力強さをそこに見出すことはできない。そのキャラクターと物語という繋がりから生まれる感動がない(という以前に、そもそもキャラクターが借り物に過ぎない)。その作品だからこそ現れる、あるいはその作品
だからといって、プロが制作する商業アニメーションの地位が安泰とはまったく思わない。商業アニメは、商業アニメであるがゆえの詰まらなさを抱えている。
商業アニメもどことなく似たり寄ったりのキャラクターやストーリを作り出しているのではないだろうか。商業的であるがゆえに、むしろ作品の品質は横並びに整理され、ある程度の水準や画風などの流行から、誰もその向うに踏み出せないでいるのではないか。商業的なリサーチの末に「今の流行はこういうキャラクターとストーリーだから」と時代が持っている流れに隷属させ、作家が本来持っているエネルギーを封じてしまっているのではないだろうか。あるいは過剰に発達した公共性(欲求ばかりが増大する消費者の傲慢さを慰めるために)が作家のパーソナリティを封じ込めてしまっているのではないか。
気付けばどの作品を見ても、いつもお目にかかるキャラクターがいたりする。動画を見ると、止めに口パクと目パチがほとんどだ。どこかぼんやりした印象で、『海からの使者』で得たような痛快さと感動を持った力強い動画には、なかなかお目にかかれない。
最近制作されたアニメーションのほとんどが12話~13話という短い期間で終わってしまい、ドラマとしての大きなダイナミズムを見出す前に終わってしまう。それに、物語の終局に対して、特に蓋然性のない放送回数を消化するだけのエピソードも多く見られる。そもそも目標地点が低く設定され、作り手による挑戦や冒険精神が感じられない。はっきり言えってしまえば、ただ仕事をしているだけだ。
果たしてそんな商業アニメが、全ての面において個人製作アニメを上回っているといえるのだろうか。今後もプロは、アマチュアよりも絶対に上である、という優位性をどこまで保っていられるだろうか。それまでの優位性を、勘違いの尊大さに発展しないことを祈るばかりである。
商業アニメと個人製作アニメの境界線は、ゆるやかに混じり合おうとしている。品質という側面でいうと、個人製作アニメは集団制作アニメに肩を並べつつある。将来的には追い抜かないとも限らない。もし宮崎駿クラスの天才が個人製作アニメの世界に現れたら、アニメに対する認識は間違いなくひっくり返ってしまうだろう(というか、宮崎駿があと50歳若く、コンピューター操作を偏見もなく理解していれば、確実に歴史的な傑作を残しただろう)。そんな事態を直面するまで、アニメの業界は個人製作アニメの存在を韜晦し、あるいは見下し続けるのだろうか。
個人アニメの分野はまだ発展の余地を残している。集団制作アニメの弱点は、優れた個人のエネルギーが何となくチームの平均値の中に埋没してしまうことにある。しかし個人製作アニメは、天才が作れば天才的な作品ができあがる。アレクサンドル・ペドロフの『老人と海』がその実例だ。
もしも商業アニメの退屈さが素人作品の品質を下回った時、そしてアニメユーザーの目線が商業アニメから個人製作アニメに移った時、業界は大きなパラダイムシフトの直面し、自身の創作について改めて見直す切っ掛けを作るだろう。
その時に、安直に「売れるから」という理由だけで、集団制作アニメの体勢を放棄してしまわないように、と未来のアニメ会社の経営者たちに念を送るばかりである。日本のアニメーションの実体は、あの集団制作のシステム構築にこそあるのだ、ということを忘れてはならない。
何にしても、我々はもしかしすると大きな変化を前にしているのかもしれない。『海からの使者』はそんな予感を与えてくれる作品であった。
ホームページ『活動漫画館』
ブログ『のす日和』
〇 →当ブログが採り上げられました。
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ようこそタコシュへ:DVDのすふぇらとぅ『海からの使者』
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作品データ
監督・脚本・演出・作画・編集:のすふぇらとぅ
音楽:佐藤綾子 SE:細江慎治 編集協力:うもとゆーじ
プロデュース・販売:竹熊健太郎(たけくま事務所)
制作:活動漫画館
■2010/10/06 (Wed)
記事一覧 各目次ページへ■
第1話 狭間世界に住む姉妹
第2話 設定説明回
第3話 野原とまりの無限連鎖アパート その1
第3話 野原とまりの無限連鎖アパート その2
第3話 野原とまりの無限連鎖アパート その3
第4話 中井みゆきの世界
第5話 無限平原で夏休み
第6話 魔法少女 その1
第6話 魔法少女 その2
第2話 設定説明回
第3話 野原とまりの無限連鎖アパート その1
第3話 野原とまりの無限連鎖アパート その2
第3話 野原とまりの無限連鎖アパート その3
第4話 中井みゆきの世界
第5話 無限平原で夏休み
第6話 魔法少女 その1
第6話 魔法少女 その2