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■2015/07/16 (Thu)
第1章 隻脚の美術鑑定士

 暗い森の奥で、金色の光が射し込んでいた。光はきらきらと周囲に散って、緑の苔に覆われた幹をかすかに浮かび上がらせていた。
 夜の宴は始まっていた。妖精たちが集り、うっとりとした恍惚を浮かべて光の中を漂っていた。
 そこは人の住いから遠く離れた場所だった。人間の言葉も鉄の文明も知らず、草むらには靴の跡もなかった。獣たちは原始の時代から姿を変えず、永遠の神秘の中を今も漂っていた。宴が永遠に続く場所だった。
 突然に、電話が鳴った。
「ヒィ!」
 妻鳥ツグミは思わす声を上げてしまった。ぱたぱたと周囲を見回す。画廊に誰もいないのが幸いだった。ほっと胸に手を当てて溜め息をこぼす。
 夢から突然はっと目覚めた時のように、現実世界を確かめる。学校から帰ってきたばかりで、セーラー服姿のままだった。画廊に置かれた白い円テーブルの椅子に座って、それきり絵の世界に没頭していたのだ。
 電話は事務用品を入れた小さな棚の上で、遠慮なく鳴り続けている。ツグミは夢の中の気分を少し引き摺りつつ、杖を手にして左脚をかばうように立ち上がった。受話器に手を置いて、一度深呼吸をした。
「はい、妻鳥画廊です」
 気持ちをスッと入れ替えて、事務的な声で応対した。
 妻鳥画廊。兵庫区の古い趣を残す街並みに、ひっそりたたずむ画廊だ。それなりに歴史なり由緒なりのある場所だったが、今は訪ねる人もほとんどいない。展示している絵も僅かに数点だけだった。
「芦屋の山下ですぅ。美術鑑定を依頼したいんですけどぉ」
 おっとりと間延びするような感じの女性の声が聞こえた。言葉は丁寧だけど、神戸訛だ。
 ああ、山下さん……。芦屋の高級住宅街に住んでいる美術好き。電話してきたのは常駐の女中で、ツグミにとって馴染みのある声に喋り方だった。
「わかりました。30分ほどでそちらに行きますとお伝えください」
 ツグミはいつものフレーズを口にしつつ、壁の時計に目を向けた。3時半を少し過ぎた頃だった。芦屋に到着する頃には4時頃だろう、と簡単に計算した。
 女中は「はい、おまちしておりますぅ」とおっとりした調子で言い、丁寧に電話を切った。
 ツグミも受話器を置いた。椅子に掛けてあった丈の長いトレンチコートを羽織って、襟元に入った髪をすくい上げた。忘れものはないかな、とちょっと自分の体を見て確かめた。大丈夫そうだ。
 照明を落とし、「Closure」と書かれた緑の暖簾を入口のガラス扉に掛ける。ガラス扉全体が隠れる、大きな暖簾だ。
 出発の前に一度画廊の中を振り返った。誰もいない6畳ほどの小さな空間。暗くなりかける光に、壁の白が淡く浮かんでいた。画廊には接客用の円テーブルと、簡単な事務用品を入れた棚が置かれているだけだった。
 静かで誰もいない画廊。壁に掛けた絵が、ささやかな存在感を放っていた。まるで目を離した隙に動き始めるような、そんな生命感が絵に宿っているように思えた。
「行って来ます」
 ツグミは壁に掛けられた絵に挨拶をして、そっとドアを閉めた。

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目次

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■2014/03/06 (Thu)
映画監督押井守は、プロダクションIG社長・石川光久をこう評する。
「初対面の印象は、ただのバカにしか見えない(笑)。それはいまだに変わんないね。アイジーの社長という肩書きをはずして会えば、ただのトッポいヤツにしか見えないし」
あんまりな言いようである。しかし、こうとも言う。
「ハリウッドにとって、間違いなくあいつは組みたい相手なんだよ。会社ではなく個人として評価される。日本人には珍しいタイプだね」


世界に名を轟かせる、日本を代表するアニメーション制作会社プロダクションIG。この会社を取り仕切っている石川光久はどんな人物なのか。
石川が生まれたのは東京都八王子市。山と田んぼに囲まれた、40世帯前後の小さな村で生まれ育った。貧しい農家で、3人兄弟の末っ子。米農家だったが、家族の食卓はいつも麦ご飯。「米は売るもの」という認識だった。
貧しい暮らしで、家では畑仕事の手伝いばかり。成績は低かったが、親からは勉強しろとは一度も言われなかった。ただし、いつもこう言われていた。
「おふくろからは『上を見ずに、下を見ろ』と言われて育った。人におだてられても舞い上がるな、いつも周囲に気を遣え」
石川少年は、親の教えを素直に守り通した。人を立てるのが好きで、周りが笑ってくれていると幸せを感じる。何人かで歩いていると、必ずみんなの後ろを歩く。そんな少年に育った。
勉強もスポーツも駄目な劣等生だったけど、そのうちにもみんなが石川を頼るようになった。学級委員長に選ばれ、野球部ではキャプテンだった。石川は、みんなが「この人を頼りたい」と思える人物だった。

高校卒業後は明星大学を受験。奇跡的に合格するが、大学にはほとんど通わず、バイトに明け暮れ、お金ができると放浪の旅をした。バイクに乗り、計画も立てず、ふらりと行き当たりばったりに進む。行き着いた場所で住み込みのバイトをして、お金ができたらまたどこかへ行く。これを繰り返して、何ヶ月も家に帰らない。そんな生活だった。
旅はそのうちにも海外へと足を伸ばしていく。インドやタイ。パキスタン、アフリカまで行くこともあった。
アフリカで紛争に巻き込まれたり、盲腸を切った……という武勇伝を持っているそうだが、
「それは押井さんが、勝手に言っているだけ」
だ、そうだ。
ただし、本当に医者かどうか怪しい人の元で、麻酔なしで虫歯を引っこ抜いた……という武勇伝は本当だったようだ。

そんなある日、フーテンの暮らしを一変させる出会いがあった。たまたま福生の市民会館で見た「文楽」の公演である。これに感動を覚えた石川は、地元の車人形一座に転がり込み、その日のうちに弟子入りを決めてしまう。
本当の転機は次の事件だった。1981年、石川が22歳の時だ。車人形の一座が海外公演へ行ってしまい、石川は1人、日本で留守番をすることになった。その間にアルバイトでもしよう、と思って何となく求人広告の中から「タツノコ・プロダクション」を選んだ。
当時の石川はアニメなんて何も知らない。家が貧乏だったから、テレビなんてほとんど見せてくれない。社名に『プロダクション』とあるから、劇団関係の仕事をしているのだろうと思った。石川はアニメの世界に「迷い込んできた」のである。
ところが、石川はあっという間にこの業界に魅せられてしまう。
「世の中って、すぐに浮かれちゃうじゃない。でも、自分はひたむきに生きる人間が好き。ひたむきに一生懸命に働く人の姿は美しいって、子どもの頃から思っていたし……。アニメーションの現場で働いている人もみんなひたむきなんだよ。純粋で無垢でコツコツ仕事をしている。こういう人に囲まれて働く環境が最高にいいなあって思う。すごく楽しいし、救われる。石川の場合、アニメーションが好きというより、アニメーションを作っている人間が好きなんだよ」
※ 石川光久は、自分のことを「石川」と呼ぶ。
石川の最初の仕事は制作進行。制作進行とは、予算やスケジュール管理をする人のことで、アニメーターに仕事の指示を出したり、各会社との関係を取り持ち、カット袋を回収しに行ったりする人のことである。現場になくてはならない運営役である。
石川は、この制作進行の仕事に特別な才能を発揮し始めた。周りを立てるのが好きな性格と、方々を旅して回ったときの交渉能力がこの仕事の役に立った。そのうちにも、「石川がいないと仕事が回らない」というくらいにまで信頼されはじめ、アルバイトから正社員へ、制作デスクへと昇進する。学級委員長で野球部のキャプテンだった石川は、アニメ業界でも「みんなが頼りにしたいやつ」だった。残念ながら車人形一座は破門になってしまったが、石川の想いはすでにアニメ業界の中にあった。

そんな時だった。タツノコが、社員のリストラをしようという話が上がってきたのだ。
石川は奮起した。誰もリストラなんかさせない。会社が黙るくらいの凄い作品を作ってやる!
石川は自らの足でスタッフを口説き、集めて回った。そうして集まったのは西久保瑞穂、後藤隆幸、黄瀬和哉、沖浦啓之といった錚々たるメンバーだった。後に、日本を代表する最強のアニメーターと呼ばれる人達である。この陣容で、石川は『赤い光弾ジリオン』を制作。低予算作品にも関わらず、そのクオリティは業界から注目を集め、批評的も商業的にもまずまずの成功を収めて終わった。
だが石川にとって本当のご褒美は、この時に集めたスタッフが、「石川について行きたい」と言ったことだろう。この声を受けて、石川は独立。後藤隆幸率いる作画スタジオ「鐘夢(チャイム)」と合流し、『有限会社アイジー・タツノコ』を設立する。Iは石川、Gは後藤のイニシャルである。

その後は多難であった。下請けばかりの生活。仕事はつらいのに、収入は僅か。『ジリオン』の勢いで会社を興したものの、前途は暗かった。
が、わずか1年後には転機が訪れる。『機動警察パトレイバー』の劇場版の制作が、アイジー・タツノコに決定したのだ。
設立してわずか1年、フリーのアニメーターが数人いるだけの小さな会社である。ありえないような抜擢だが、実は『ジリオン』で目をつけていた押井守監督の指名であった。
『機動警察パトレイバー』の劇場版第1作目は、リアルな背景描写、インターネット社会を予見したようなストーリー、いま振り返っても驚異ともいえるクオリティの高さで、後々、長くファンの間で語られる作品となった。アイジーは押井が要求するクオリティを完璧な形で応えてみせ、その後も、押井に「ここを拠点にしよう」と決心させるほどだった。

その第2作目『パトレイバー2』の制作には暗雲が付きまとった。
押井は『パトレイバー2』の制作に4億円を要求した。だがバンダイはこれを拒否。「押井の映画は絶対にコケる。そんなお金は出せない」の一点張りだった。
そこで石川は、アイジーから5000万円を出資すると言いだした。それはつまり、アイジーが作品の権利を持つという意味でもある。設立5年目の小さな一介の制作会社が、権利を主張するなど、当時ありえない話だった。
この条件に、バンダイは了承。『パトレイバー2』は制作スタートとなった。
バンダイその他周辺の人達の読み通り、『パトレイバー2』は興行的には失敗だった。だがこの名作は、長く長く売れ続け、アイジーに安定的な利益をもたらし続けている。短期的には失敗だったかも知れないが、長期的には大成功だったのだ。
制作会社が権利を主張する。今においても画期的な話である。この一件で石川の先見性について語られることは多いが、当人にはそんなつもりはまったくなかった。率直な気持ちで「押井さんの映画が見たい」という思いで資金の申し出をして、それが後の大成功を引き連れてきたのである。

いい仕事は、次なるいい仕事を引き連れてくる。仕事に対するひたむきさと誠実さが、よりよい仕事と才能を引き寄せてくる。そうして、数人のアニメーターでスタートしたアイジーは人数を増やしていき、社名を『プロダクションIG』に変更。子会社『ジーベック』を設立し、海外支店も作った。
それでも、アイジーは次なる段階へと挑戦する。大作『イノセンス』の制作である。
この作品の制作で、石川は覚悟を決めた。自分たちだけでやる。だから権利を持っていたバンダイビジュアル、講談社、MANGAENTERTAINMENTの3社から手を引いてもらう。その上で、自分の足でハリウッドを回り、出資を募る。
前作『GHOST IN THE SHELL』が名刺代わりになった。石川と押井の2人組でFOX、ワーナー、ドリームワークスを回ったが、どこへ行ってもトップが会ってくれる。いい仕事がチャンスを引っ張り込んでくれた。その結果、ドリームワークスと契約し、前作の4倍の資金を確保。
日本ではあの人に宣伝の協力を仰いだ。スタジオジブリ・プロデューサー鈴木敏夫である。鈴木敏夫は、元々は『GHOST IN THE SHELL2』でスタートしていた映画のタイトルを『イノセンス』に変更させた。キャッチコピーである『魂の乱交』という印象的なフレーズも鈴木敏夫の発案である。
さらに鈴木敏夫軍団が宣伝に集結。徳間書店、日本テレビ、ディズニー、電通、東方、三菱商事といった面子である。鈴木敏夫の一声でこの人材が集まり、絨毯爆撃というほどの宣伝攻勢が始まった。ドリームワークスが出資しているのに、犬猿の仲であるディズニーが宣伝する、という異例の体勢だったが、鈴木と石川の人望のおかげで不問となった。
『イノセンス』はカンヌ映画祭コンペティション部門に正式招待され、風向きがこちら側に強く吹いていた。
しかし――『イノセンス』は何の賞も与えられなかった。日本国内の興業収入は10億円。観客動員数は70万人。米国では104万ドル(1億2000万円)。制作費すら回収できなかった。
石川はこの結果を、
「興行的に見ても、こんなもんでしょう」
と語っている。
0号試写の時に、
「押井さん、これは回収に10年かかるよ。……もう腹くくったから」
と押井に伝えていた。
『イノセンス』の興業は失敗に終わった。しかし、プロダクションIGの企業としての名声は高まっていく。この揺るぎない傑作が、今も新しい仕事を引き込んでいる。

石川光久は、ある時こう語った。
「その人の良さを引き立てるっていう意味なら、石川は鏡みたいなものかもしれない。相手をきれいに映すのが仕事なんだよ」
『上を見るな、下を見ろ』と親から教えられ、人を立てるのが好きで、ひたむきに仕事に打ち込むアニメーターが好きな石川。そのアニメーター達にいい仕事を与えようと思ったから、プロダクションIGの今がある。
数人でスタートしたアイジーは、劇場作品を軸に仕事を回し、下請けから元請けに昇進、作品の権利も多数獲得し、優秀なアニメーター達と信頼関係を築いた。もちろん、アニメファンもアイジーと聞けば作品に一目を置く。
それでもアイジーは立ち止まってはいられない。今も次なるステージを求めて、歩み続けている。


著者:梶山寿子
編集・出版:日経BP社

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■2014/02/28 (Fri)
本のタイトルが、そのままテーマになっている。
「結局、日本のアニメ、マンガは儲かっているのか?」
著者の板越ジョージは、実際にアメリカで日本のアニメ、マンガを販売する仕事に従事し、その実体験的な立場から本を書いている。それでお題目に掲げられている「儲かっているのか?」という問い。この問いに対しては、残念ながら「NO」である。あまり儲かっていない。
では受け入れられていないのか? と問われるとそういうわけではない。
「アニメやマンガに関するコンベンションでの集客数や、実際アメリカに住んでいての肌感覚では、日本のアニメの人気の衰えはまったく感じません。むしろ、世代から世代へと、時代とともにアニメに慣れ親んだ分母は増えていっていると思います。」(32ページ)
それだけ支持されているのに、しかしビジネスとしては成功していない。それは何故なのか? 板越ジョージは、当事者の目線からその謎を解き明かしていく。

本の視点は「アメリカでは……」というところから始めているけど、日本のアニメに対する支持は、今や世界スケールである。世界のユーザーは、日本のアニメ・マンガがローカライズされた状態を望んでいない。つまり、それぞれの国に合わせたストーリーやキャラクターの改変を望んでいない。可能な限り、オリジナルのまま接したいと思っている。それくらいに、日本の作品に対する信頼や愛情は深い。
それでも、ビジネスとなるとまるでうまく行かないのだ。
理由の第1に、マーケティングにかける予算が少ない。アメリカでは、制作スタッフとマーケティングスタッフの割合は3:5。対する日本は、7:1。アメリカでは、マーケティングスタッフが多い。それくらいに、マーケティングに賭けているものは大きいのだ(しかも、日本はマーケティングスタッフに、英語を話せるというだけのビジネスの素人を立ててしまう場合が多いそうだ)
第2に、アメリカの書店事情。アメリカのコミック専門店は、新刊コミックのスペースが小さい。出版社は単行本売り上げによる利益を重要視していないので、人気作品でもあまり多く刷らない。アメリカのコミック専門店へ行くと新刊コミックはほんの僅かで、あとは古本が中心。ファンは、古本の中から、お目当ての作品を探すわけである。
そういった場所に、翻訳本を大量に送りつけても「どこに置けばいいんだよ!」という話になる。
それに日本のマーケティングスタッフは、「これはいいものなんです! ぜひ置いてください」と情熱的に説明する。同じ日本人なら「そうか、わかった。では様子見でいくつか……」となるけど、アメリカ人だと「何だお前」みたいになる。「これはいいものなんです」なんて説明されても、中身のわからないものは店に置けない。
第3に、知的財産に詳しい弁護士を雇わない。アメリカでは弁護士は100万人いると言われ、エンターテインメント関係を専門にしている弁護士は2万人もいる(アメリカは弁護士多すぎると思うけど)。対して、日本は知的財産を専門にする弁護士はやっと1000人ほど、と言われる。
著作権の絡む契約の時に、弁護士を雇わないケースが多く、結果として不利な約束を押しつけられてしまう場合がかなりあるそうだ。それで、本来得られる利益が得られていないという。
(画像出典:世界のエンタメ業界地図2013年版)
第4に挙げるのが、ナショナリズム。別のデータを見ても、2006年を境にして、日本のアニメビジネスは大きく後退している。2006年に何が起こったのか? 板越ジョージは「カルチュラル・エコノミック・ナショナリズム」であると指摘している。
アメリカが危機感を覚えたのは、2000年頃に起きた『ポケモン』ブームだった。私もその当時、ハリウッド映画のウイークリーランキングをリアルタイムで見ていたのだけど、『ポケモン』の映画が見事興業ランキング1位。しかも数週間ランキングトップに居座り続けていた。
この時、2位だったのはリック・ベッソン監督の『ジャンヌ・ダルク』。本来ならば確実に1位だったはずの『ジャンヌ・ダルク』は『ポケモン』のせいで全米1を獲れなかったのだ。
翌年に公開された『ポケモン』映画の続編もやはり興業ランキング1位を獲得。貫禄の人気を誇示してみせた。アメリカでの『ポケモン』爆進に、私も無邪気に喜んでいた。
だが、これがアメリカ人の危機感を募らせてしまった。ポケモン人気が後退すると同時に、店舗の棚から日本の作品を撤去。「日本外し」が始まったのだ。それがデータとして明確に現れたのが2006年だった……というわけだ。
こうしたナショナリズムはアニメに限った話ではなく、ゲーム業界も影響を受けている。今、批評誌を中心に、「日本のゲームより欧米のゲームのほうが面白い」という見解が普通になってきている。これにも“裏”があるらしく、アメリカのレビューアが、日本の作品を低く書き、アメリカの作品を高く書いているから……というらしい。
「アメリカは自由の国。才能と意欲を持った人が成功する国」と評され、アメリカ人自身もそのように語る。だが実際には人種や民族に対する差別が強烈な国だ。違う国のエンターテインメントが勢力を持ってくると、危機感を憶え排除しようとする。そういう性質を持っていることを忘れてはならない。
その後は2008年にリーマンショック。この影響で2009年にはアメリカでDVD販売を請け負っていたサーキットシティが会社の清算。2010年には日本の作品を多く取り扱っていた大手書店ボーダーズが倒産。アメリカでの「売り場」が減っていく事態に直面している。

マスメディアはデータ上の数字を見て、「日本のアニメはもう海外では受け入れられない」なんて書いたりする。しかし始めに書いた通り、日本をテーマにしたイベントを開催すると、ファンが多く集まり、その数は年々多くなっている。筆者の肌感覚として日本の作品をリスペクトする人は確実に増えている。
単に、ビジネスとして成功していないだけで、その理由は一杯ある。
まず日本側が現地リサーチを全くせず、精神論で押し通そうとすること。知的財産に詳しい弁護士を雇わない。売れ始めてもナショナリズムという障壁に阻まれてしまう。
半分くらい日本側のオウンゴールという気がしないでもないが、ビジネスとして成功しないだけの理由はあるのだ。

板越ジョージは、成功するためにどうするべきか? という提唱をはじめる。
アメリカでは、2000年頃の保有規制撤廃によりメディアのコングロマリット化が進んだ。例えばウォルト・ディズニーは、放送局のABCとスポーツチャンネルのESPN、メジャーリーグのロサンゼルス・エンジェル、アニメ製作会社ピクサー、映画会社のタッチストーン・ピクチャーズとミラマックス・フィルム、コミック出版社のマーベル・コミックを傘化に収めた。2012年、『スターウォーズ』の権利を買収したことは、記憶に新しい。
これだけの複合体としての強みを活かして、世界展開を押し進めている。日本のコンテンツの海外輸出率がわずか5%であるのに対し、米国は17.8パーセント。海外売りに力を入れているのがわかる。
板越ジョージは日本も同様にコングロマリット化すべきだと提唱する。確かに別資料でも、アニメが海外展開しない理由を「そもそもそれだけの資力がないから」と挙げられている。今のままではあまりにも脆弱だ。
(巨大化すればそれだけ動きが鈍くなるのでは……新しい発想が生まれなくなるのでは……という懸念もありそうな気がするけど。しかしアニメ制作だけではなく、出版、音楽、グッズ制作などの事業を1社で縦横に連携を取れる会社を作ることができたら、きっと強力だろうな……と私もよく夢想する)

それからプロデューサーの育成だ。
「ディズニーはすばらしいプロデューサーであり、手塚は優秀なディレクターである」(140~141ページ)
これには多くの意味を含んでいるように思える。アメリカは確かにプロデューサーの国だ。アメリカ人でも優秀なディレクターはいるけど、プロデューサーとしての存在感が際立っている。だから、色んな国から才能をかき集めて、大きなものを作ることに長けている。
例えば、世界興業収入1位2位を独占しているジェームズ・キャメロンはカナダ人だ。映像派の代表者リドリー・スコットはイギリス人。重量感ある映像を作るウォルフガング・ペーターゼン監督とローランド・エメリッヒ監督はドイツ人。ニュージーランド出身のピーター・ジャクソンも忘れてはならない。
対して、日本はディレクターの国だ。日本を代表すべき映画監督は多く、海外からは日本そのものが尊敬の対象になっている。アニメーションの品質は最高だけど、そのほとんどが国内の才能だけで作っている。なぜそんなに作れるのかといえば、日本人だからだ、というしかない。
才能と技術はある。支持もされている。決定的に足りないのはプロデューサーだ。作品はそのままで、プロデュースできる人を発掘、育成していくことが、今後の課題になっていくだろう、と板越ジョージは語る。

現在進行形で、少子化は国内のマンガ・アニメビジネスに深刻なダメージを与えている。漫画のメインターゲットはやはり少年少女。その人口が減っていくという現状は、漫画の文化そのもののを弱くしてしまう。
もう1つ、アニメーターの給料がいつまでたってもよくならないという問題。こちらの理由はシンプルだ。アニメを制作するにはお金がかかるが、儲けは少ないからだ。よくピンハネがどうこうという話は出てくるが、実際にアニメ業界にいる人は、誰も得していない。「アニメ業界に大金持ちはいない」というくらいだから。
今はアニメビジネスは好調といわれるけど、天井は見えているし、少子化の影響で目減りしていくのは確実だ。
だからこそ、海外売りに鉱脈を見出す。その方法を考える時が来たのかも知れない。


著者:板越ジョージ
出版・編集:株式会社ディスカヴァー・トゥエンティワン

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■2013/12/02 (Mon)
なぜ『かぐや姫の物語』なのか。
原作『竹取物語』の物語は古く、『日本書紀』や『万葉集』に並ぶくらいの歴史を持っている。由緒正しき古典であり、日本人なら誰もが知っている物語でありながら、しかし謎めいた部分も多い。たけのこから生まれたお姫様がなぜ月を古里に帰ってしまうのか。なぜ高貴な身分の男たちが求婚しても、無理難題を突きつけて断ってしまったのか。原典には登場人物の感情がごっそり抜け落ちて、ただただ不思議な現象だけが次々に起きて、物語は終わってしまう。
奇妙な物語だが、近代的な解釈による改竄を許さないプロットの強さを持っており、ゆえに現代まで形を変えることもなく、全ての時代を通じて日本人は『竹取物語』の物語を受け入れ受け継いできた(過去に当時の都市伝説的な説話と結びついて、UFOがかぐや姫を迎えに来る映画が作られたことはあるが)
そんな古い物語をなぜ今の時代に映画化しようと思ったのか。この感情が抜け落ちた物語のどこに映画的な情緒【カタルシス】があるというのか――。『かぐや姫の物語』の「なぜ?」を問うとき、この疑問に向き合わなくてはならなくなるだろう。

映像は見ての通り余白が多い。線は大らかな柔らかい線で描かれており、通常のアニメのように正確な線で繋げられていない。
高畑勲監督は「仕方ないからあのように描いていた」と語る。アニメの絵は、なぜアニメ特有の絵になるのか。それは制作上の“都合”によるものが大きい。アニメの絵は“あのように描こうとしてああなった”のではなく、“結果的にそうなってしまった”が本当である。
だから高畑勲監督はアニメの絵に、本来そうであるはずだった絵画の性質を取り戻そうとした。制作の都合上、システマチックに構築されたアニメはすでにあまりにも高度な世界に達しており、アニメにさほど詳しくない人の目には「全てCGで作られている」と思われるようになってしまった。人の手で一枚一枚描かれている、ということを知っている人は少なく、アニメは人の手で描いているということがわからないという域に達している。
高畑勲監督の試みは、アニメからアニメを取り除くことから始めた。仕上げの線は先端を丸くした鉛筆を使い、ざらつきがはっきり出るように描かれた。色彩は水彩絵の具風で、ムラや塗り残しを敢えて作る。背景も鉛筆の線を中心に水彩絵の具でさらっと塗って仕上げた。こうして作られた映像は、背景とキャラクターの境界を限りなく曖昧にして、カットが一枚の絵として自立した力強さを持つようになった。アニメの制作方法をうまく利用しながら、仕上がりは“アニメ”ではなく、「動く水彩画」として映像を完成させたのだ。

従来のアニメの技法を使いながら仕上がりはアニメを目指さない。ゆえにこの作品特有の表現も多い。例えば発光処理だ。
冒頭の光る竹が登場する場面。光の表現を放射状に取り囲む線で表現されている。
非常に漫画的。普通の絵描きなら、色彩で光を表現する。画面のコントラストを強くして、光の存在を描こうとする。しかし『かぐや姫の物語』では従来的なセオリーを否定して、まるで子供が描く絵のように、光の放射を実線で描いた。絵描きの世界ではあり得ない“幼稚な方法”がここでは敢えて使われている。

演出は空間を表現する場合には正面を、移動感を示す場合には横の構図が使われている。
その場にある空間的なディテールを表現したい場合には対象を正面から捉えて、密度の高さを伝えようとする。
一方、移動は必ず横構図だ。横構図の移動が描かれるとき、背景は一気に削ぎ落とされ、移動する場所のみが描かれる。
単に構図からディテールを取り去り、シンプルに画面を見せる、というだけではなく、構図の流れを誰の目ににも明らかなように作られている。
光源処理が放射状の点と線で描かれるように、構図の作りも誰の目にも明らかなように、ある意味で“幼稚な描き方”をあえて取り入れることで、絵画にプリミティブな性質を与えている。

映画は作家的な芸術性以上に、学術的な視点が追求されているように思える。例えば、かぐや姫が育った環境だ。竹取の翁の生活……「野山にまじりて竹を取りつつ、よろづのことに使いけり」の具体的な部分を描写している。具体的に何をどのように作ったのか、が具体的に描かれている。竹を切る場面でも、道具の一つ一つが細かく描写されている。従来の絵本や映画で描かれたような、鉈一本で仕事していたのではなく、様々な道具を使い、どのように竹を切っていたか、というところまでびっしりと描いている。
翁と媼の暮らしだけではなく、周囲に住んでいる一家の描写も詳しい。捨丸一家がお椀を作り売るまでの描写を、まるで職人仕事のドキュメンタリーのように丹念に描いている。
当時の子供たちが何で遊んでいた、どんな仕事をしていたのかも詳しい。森に入ってその晩に食べる総菜を集めたり、葡萄の実を食べたり。キジを捕まえる一連の場面は、キャラクターの動き、周囲の自然の風景を含めて見事な描写だった。
そうした“学術的な目線”は都に入ってからより凄まじい力を持ち始める。当時の貴族の暮らしはどんなものであったのか。どんな家に住み、どんな衣装を着て、どんなしきたりがあったのか。名付けの儀式や、宴会の場面。一つ一つが詳しく、ディテールが徹底されている。
現代的な目線で、現代的な考え方で当時を捉えるのではなく、どこまでも学術的な目線で『竹取物語』の主舞台であると思われる平安時代の習俗を描き込んでいる。
絵には余白が多いが、その向こうに注ぎ込まれているものは非常に大きい。ディテールにこだわった映画は、画面を目一杯の密度で満たしてしまう。見る時は作ったディテールの10%が伝わればいい。捉えきれない90%が画面の迫力となって力を持つ、と考えられている。『かぐや姫の物語』は同じように学術的な目線を徹底させているが、この捉えきれない90%のところを思い切って削ぎ落として余白にしてしまう。しかし描写が的確だからこそ、余白にこそ圧倒させるディテールの密度が感じられるように作られている。この発想の転換は素晴らしい。

線の描き方は従来のアニメと違うアプローチが試みられている。従来のアニメ表現で体や顔が動かず口だけが動く場合、体は1枚の止め絵、口パクだけが3枚程度で描かれる。
しかし『かぐや姫の物語』は部分的に動く、という方法は使われていない。動く必要のない場面でも、わざわざ書き起こされ、線のブレが表現されている。動きを失ったイラストレーションになりつつ日本のアニメに対する批評のように、線がブレ、動きが与えられている。
線の動きに演出的な効果が与えられる場合がある。キャラクターの感情と線の動きが一体となって動き出す瞬間がしばしばある。かぐや姫に動揺や恐れが現れる場合、線にかすれやざらつきが大きく現れる。一方、落ち着いた心情や解放感を表す瞬間には線は美しく描かれる。線と感情が一体となっているので、シーンによってかぐや姫の顔や姿が、まるで別人のように描かれることさえある。キャラクターの動きや構図の作り方だけではなく、画面を構築する線そのものが感情を描写する一つの手法として使われている。
線のブレが最大になる瞬間は、予告編でも使われたかぐや姫が服を脱ぎ捨てながら都を飛び出すあの瞬間だ。線がかぐや姫の感情と一体となって激しくブレ、意味のない線が現れ、背景の線も一緒になって崩れ、ついにはかぐや姫は木炭の像になってしまう……。かぐや姫の葛藤が最大になった瞬間だ。
従来のアニメのように、線が機械のように硬直したものではなく、映画が持っている感情と一体となって描写され躍動するように意識されている。

映画『かぐや姫の物語』は私たちが知っている『竹取物語』をそのまま映画化したものだ。原作の記述を忠実に映像化している。
映画にする限りは、「映画的な修正と改竄」は必ず必要である。恋愛にアクション、VFX……映画的な見せ場がなければエンターテインメントとして成立しない。そう考えられている。最近のハリウッド映画では童話が次々と映像化されているが、どの作品を見ても最後にはヒロインが武器を手にして怪物の大軍と戦うストーリーになっている(私の大嫌いなパターンだ)。これも現代の観客の感性に合わせた修正と改竄だ。
しかし『かぐや姫の物語』は驚くほど原作に忠実だ。原作に書かれているとおりにかぐや姫は4人の男性からの求婚を断り、帝を拒絶して最後には月に帰ってしまう。「現代的なストーリー」というよりは、当時の風俗や習慣を徹底的に調査した上で、「当時の人達が感じていたストーリー」をそのまま再現することを務めている。こうした点でも“学術的な視点”の作品といえる。
原作に登場しない唯一のオリジナルキャラクターとして捨丸が登場するが、これはかぐや姫の子供時代、少女時代の体験を肉付けするために必要なキャラクターだし、捨丸との交流があったからこそ、その後の疑問すら氷解させる。「かぐや姫はなぜ求婚を拒絶したのか?」「なぜ月に帰らなければならなかったのか」。捨丸との生活に理想を見出していたかぐや姫が宮廷での生活に倦んで、精神的に追い詰められ、そこからの最終的な逃避として月へと帰ってしまう。いや、“月に帰る”ではなく、“月が迎えに来る”というほうが正しい。かぐや姫の月への帰還は、自ら望んだものではなく、“思いがけず強制的に”というべきものだ。
そうしたかぐや姫の心情の流れを、捨丸という存在がいるからこそ説得力あるものにしている。捨丸との森での暮らしがあったからこそ、かぐや姫が宮廷での生活に不満をためて、男たちの求婚を拒絶するというストーリーに説得力を加えている。捨丸が『かぐや姫の物語』の全体に特別な力を与えているのだ。
原作を飛躍させる捨丸は学術的なものではなく、作家的な改竄というべきものかも知れない。しかし捨丸がいるお陰で、原作中の不可解な部分に光が当てられる。原作中に削ぎ落とされたそれぞれの登場人物の感情を、克明なものとして浮き上がらせる。捨丸は作家的な産物だが、翻って学術的な視点を持って物語に“理由”を与えている。これはもはや、高畑勲監督による『新説・竹取物語』と呼ぶべき内容になっている。

これは喪失の物語である。
かぐや姫が受けた罪と罰とは何であるか。「罰」という言葉は原典『竹取物語』にも出てくるが、何を指しているかは判然としない。映画中でも「罪と罰」についてあまり詳しく掘り下げられておらず、映画本編よりパンフレットに書かれた企画原案のほうが詳しい。
もしも『竹取物語』のストーリーに、『天女の羽衣』が前編としてあったら……。というこれは、高畑勲監督個人の空想ではなく、実際に『竹取物語』と『天女の羽衣』が関連を持ったストーリーであるという学説が存在する。かぐや姫は天女の物語を知り、地上への好奇心を抱いて、天女の記憶を再生させた。天女が地上にいた頃の“幸福”だった気持ちを再生させてしまった。この“幸福”こそが、最大最悪の“苦痛”だったのだ。その苦痛を与えてしまった“罰”として、かぐや姫は地上に降ろされたのだ。
こうして、翁に拾われて『竹取物語』の物語が始まる。
地上に降ろされ、子供から人生を始めることになったかぐや姫は、自分の足で立って歩くという喜びを、言葉を発してコミュニケーションを取るという喜びを体験する。ご飯を食べて美味しい。人と接して嬉しい。野を駆け回って楽しい。どれも不老不死が約束される天上界では決して得られない感情だった。
この幸福は周囲にいる媼や翁にも伝播して、「立った!」「歩いた!」「喋った!」と些細な一つ一つに喜びを与える。それだけではなく、かぐや姫の生命力は周りのものに作用して、年老いた媼に乳を出させてしまう。
周りの誰もが幸福になり、本人も幸福を隠そうとしない。しかし間もなくこの幸福が違うものへと狂わせようとしてしまう。
はじめに道を違えたのは翁だった。かぐや姫が現れて間もなく、金が一杯に詰まった竹が現れるようになった。さらに綺麗な反物が詰まった竹も。
翁は考える。これはきっと、かぐや姫によりより生活をさせよ、相応しい場所で相応しい男性を与えよという神からのメッセージに違いない。翁は得た金で宮廷の暮らしを獲得するが、以降は宮廷での地位や立場ばかりに固執する老人になってしまう。かぐや姫自身の幸福ではなく、地位や名誉に幸福を見出そうとする(もっとも、それでも愛らしい老人として描かれている)
宮廷の生活が始まってからは、かぐや姫が持っている魔力は、負の力を持って周囲に作用する。都の男たちはみんなこぞってかぐや姫を一目見ようと思うし、恋文が大量に届くし、さらには求婚を申し出るものが後を絶たない。そうした生活がかぐや姫を追い込んでいくし、そういった生活から逃れようと拒絶するうちに周りの人達に次々と不幸が降りかかってしまう。求婚を申し出た男たちは破産し、失脚し、ついには死者が出てしまった。そうすると翁や媼の(貴族階級の暮らしの中での)立場が悪くなってしまう。かぐや姫自身もすっかり“偉い人”と思われるようになって、周りの人達が恐れて避けられるようになってしまう。
かぐや姫は宮廷での生活がついに我慢できず、あの森へと逃亡するが、自分たちが暮らした家はすでに見知らぬ一家が住んでいるし、捨丸一家は森を去ってしまっていた。捨丸の家があった周辺は、深い森に飲み込まれて跡すら残っていなかった。ただうらぶれた空気が辺りを満たすだけである。
その後、かぐや姫が再び捨丸を目撃するのは、盗人としての生活をしているところである。
エデンの追放。楽園の崩壊。一度楽園を去った者は、どんなに願っても楽園を手にすることはできない。それは過去だからだ。
かぐや姫が持っている無限の愛らしさは、周りの者達に過剰な幸福感を与え、それがある時に刺となって突き刺さり始める。幸福だった感情は、後半に入り不幸に反転し始める。
その後もかぐや姫は森での暮らしを想い続ける。森で暮らしていた頃の思い出を、どこかで追い続ける。森での暮らしは夢想の中で、理想となって輝き始める。
物語の最後、かぐや姫は捨丸と飛翔する夢を見る。飛翔は深層心理学的にいえば性的な感覚を意味するが、この作品が指向したのはもっと原初的な“解放”の感情だ。野を駆け回り、冷たい、熱いと些細なことで笑ったり大騒ぎしたりする、根源的で動物的な感情の回復。動物性の回帰。それを象徴し、最大限に表現したものがあの飛翔なのだ。そしてその飛翔はただの夢に過ぎず、はっと気付いた時にはどこかに遠ざかって消えてしまう。所詮は夢……眠っているときに見る願望に過ぎなかった。
こうしてかぐや姫は月へと帰ってしまう。“幸福”という感情を知る罰が終わったから。月への帰還は、最後の罰だった。強制的な月への帰還により、後に“心残り”が残るからだ。幸福な思い出や、この心残りを含めた全てが“苦痛”として跳ね返ってくる。これが天界がかぐや姫に与えた“罰”の全体だった。そして、幸福を得て周りに幸福を与えたことが、かぐや姫にとっての罪だった。

なぜ今の時代に『竹取物語』を映画にしたのか。『竹取物語』は映画になりうる題材なのか。
その疑問に、映画全体が回答を示してくれた。『かぐや姫の物語』には映画的な情緒で満たされている。しかも、映画は古典に「現代的な視点」をほとんど与えていない。今時な恋愛やアクションVFXは完全に拒否し、むしろ学術的な視点を徹底させて平安時代の暮らしを再現させている(ひょっとして最後はUFOが迎えに来る話か……と思ったがもちろんそういう展開もなし。現代的な視点を拒否し、古典に寄り添ったストーリーでありながら、『かぐや姫の物語』はどこまでも映画的で、映画的な感情を満たしている。映画になっているのだ。
高畑勲監督は古典『竹取物語』をより強い感情を持った物語として再生させた。『かぐや姫の物語』と接すると、よりビビッドな印象として、日本人の意識に『竹取物語』が強く刻印されることだろう。

感想補足


作品データ
監督:高畑勲 原作:『竹取物語』作者不明
脚本:坂口理子 作画監督・人物造形:田辺修 作画監督:小西賢一
美術:男鹿和雄 塗・模様作画:斎藤昌哉 色指定:垣田由紀子
撮影監督:中村圭介 CG:中島智成 音楽:久石譲
製作:氏家齋一郎 企画:鈴木敏夫
アニメーション製作:スタジオジブリ
出演:朝倉あき 高良健吾 地井武男 宮本信子
    高畑淳子 田畑智子 立川志の輔 上川隆也
    伊集院光 宇崎竜童 中村七之介 橋爪功

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■2013/10/28 (Mon)

「内容があまりにもデタラメ」という指摘を受けて削除しました。

本当に申し訳ありませんでした。私は何もわかっていませんでした。

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